長慶寺(ちょうけいじ)は、大阪府泉南市にある真言宗泉涌寺派の寺院。
境内には開山堂(多宝塔)以外にも、三重塔と唐様裳階付三重塔があり、3つの塔がひしめき合っている。
仁王門前の100段の石段脇に植えられたアジサイが見事で、近年はアジサイ寺とも呼ばれている。
長慶寺は、現寺地の北方にあった古代寺院・海会寺(かいえじ)の一院として開創されたという。
天正年間の織田信長と羽柴秀吉による紀州攻めで全山焼失。奥之院の観音堂だけが類焼を免れた。
その後慶長年間(17世紀初頭)、現在地へ観音堂を移築し諸堂を新築するなどの再興が豊臣秀頼
によって行われた。現寺号は延宝8年(1680年)、先の本山であった仁和寺宮から与えられたものである。
また、その寺号は再興した時の年号である「慶長」を逆さまにしたものという。
近世には岸和田藩主岡部氏の祈願寺として栄えた。
明治以降は寺勢は衰退し、観音堂と庫裏を残すのみであったが、現住職の尽力により現在の姿に整えられた。
久々の長慶寺
先日往訪した時 突然の雨で中断、気分を取り直して少し遅いかも知れないながら
紫陽花を見に行きました
以前の往訪記
あじさい祭 茶会お接待 長慶寺 泉南市
あじさい 長慶寺 泉南市
ここの紫陽花はいつもながら立派
お寺から出たところにもお花がありました
カンナ
その前には紫陽花も
境内には開山堂(多宝塔)以外にも、三重塔と唐様裳階付三重塔があり、3つの塔がひしめき合っている。
仁王門前の100段の石段脇に植えられたアジサイが見事で、近年はアジサイ寺とも呼ばれている。
長慶寺は、現寺地の北方にあった古代寺院・海会寺(かいえじ)の一院として開創されたという。
天正年間の織田信長と羽柴秀吉による紀州攻めで全山焼失。奥之院の観音堂だけが類焼を免れた。
その後慶長年間(17世紀初頭)、現在地へ観音堂を移築し諸堂を新築するなどの再興が豊臣秀頼
によって行われた。現寺号は延宝8年(1680年)、先の本山であった仁和寺宮から与えられたものである。
また、その寺号は再興した時の年号である「慶長」を逆さまにしたものという。
近世には岸和田藩主岡部氏の祈願寺として栄えた。
明治以降は寺勢は衰退し、観音堂と庫裏を残すのみであったが、現住職の尽力により現在の姿に整えられた。
久々の長慶寺
先日往訪した時 突然の雨で中断、気分を取り直して少し遅いかも知れないながら
紫陽花を見に行きました
以前の往訪記
あじさい祭 茶会お接待 長慶寺 泉南市
あじさい 長慶寺 泉南市
ここの紫陽花はいつもながら立派
お寺から出たところにもお花がありました
カンナ
その前には紫陽花も