無意識日記
宇多田光 word:i_
 



昨年に引き続き「サントリー天然水」の源泉地を登山しているヒカルさん。トリビアの泉なみの豪華な「実際にやってみた」だが、なんでまたそこまでするのだろう。

人間活動を経て以前よりアクティブにアウトドア活動をしているようにみえる。熊の鼓動、ちゃう(笑)、熊野古道を闊歩して捻挫したり、何より拾ってみたシリーズはアウトドアでないと成り立たない。街角の散歩をアウトドアと呼ぶべきかは微妙だが、「外に出る」という点においては一時期よりずっと積極的だ。

別にヒカルが陰キャだった訳ではなく、単に有名になりすぎて出掛けるのが人より億劫だっただけだとは思うが理由の詮索や「実際のところ」への妄想は控えよう。

そういった活動的な側面を知らしめた上で、だから山登りもそんなに違和感はない。私のような人間は『Show Me Love (Not A Dream)』を思い出してニヤニヤするというどこまでいっても陰キャでインドアな感性しかないけれど、ヒカルファンは一般ピープルの皆さんが大多数だからね、登山が好きな人も多かろうて。

しかし、自分は、ヒカルが「ここまでする」というのにはちゃんと理由があるとみている。ヒカルが「CMのオファーを受ける基準」である。SONYのMDにしろDoCoMoのFOMAにしろ、CMの仕事を受ける場合ヒカルは「自分の生活に関係があること」にこだわった。1999年当時MDは音楽ファンにとって必携のアイテムだったし、綺麗な音声で音楽を流してくれるFOMAにはヒカルも直接お世話になった。自らの生活を通して有用だと実感できる商品なら、15秒なり30秒なり60秒なり自分の顔を出して人に勧めてもいいだろう、と積極的に割り切れる。まぁ、引く手数多の宇多田ヒカルさまだからCMのオファーを受けるかどうかを吟味できるのだが、その力は親の七光や親族の遺産や名声で得た訳ではなく、ヒカルが自力で勝ち取ったものなのだから何の問題もない。

で。サントリーの天然水のCMを受ける時に、「いや確かに水は飲むけど」となったのではないか。しかし、自分で登山して源泉に触れてしまえばこのエピソードがまるごと自分の人生の一部になり、天然水との関係が分かち難くなる。そこが魅力だったのではないか。もし事前に関わりがないなら、自ら関わりを作ってしまえばいい。CMの仕事に対してもこの17〜18年間、全くと言っていいほどその態度は変わっていない。見た目はころころ変わる癖に、心根は全然変わらない。17〜18年経った今でも、基準が同じなのである。一方、やり方はよりダイナミックになった。「関わりがないなら、やってみちゃえばいいじゃん」…いや、このノリはヒカルが16歳の時そのものではないか…。

でもまぁあクマで私の妄想に過ぎない。ヒカルが単に山登りに興味があっただけかもわからない。ただ、どちらにせよヒカルの精神的な一貫性は保たれているな、誰にも媚びを売ってないなとわかるのは、嬉しい事だ。

…いやそれを言ったらいちばん嬉しかったのは「生配信でヨーグリーナをディスった事件」になるな。…別にいいか(笑)。

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発表から1ヶ月近く配信まで空くのなら「CMサイズVer.」を先行配信してくれりゃいいのに、と勝手なファン(私)は言うのだが、宇多田のパブリックイメージからすれば「阿漕だ」「金儲けに走った」というイメージダウンのダメージの方が大きそうだから商売上はやらなくて正解である。

いやまぁ、こちらとしては「15秒CMバージョン」「30秒CMバージョン」「60秒CMバージョン」の3種類を各250円で売ってもらって一向に構わない。流石に15秒や30秒は短すぎる(試聴時間より短い)ので無理だろうが、90秒バージョンなら「テレビサイズ」としてアニメの主題歌なんかで実際に売られている。こんなの誰が買うんだと思われそうだが結構売れるんですよこれが。「進撃の巨人第1期」の主題歌なんかテレビサイズが大評判で、いざフルコーラスが発表されたら評価が格下げされるという逆転現象まで起こった。もってまわった凝り性展開より即効性の強いフックラインをコンパクトに、というのが現実のニーズだったりするのである。


『大空で抱きしめて』は、そんな微妙な展開にはならないだろう…という希望的観測はどこまで当てはめられるのやら。爆発的なヒットを生むような曲ではないだけに、様々な実験を施すにはいい機会だが、60秒を聴いた限りだとサウンド面ではそこまで冒険していないように思える。歌詞の面はこの限りではないが。

実際、前に述べたように不安はある。フルコーラスを聴くまでに聴き慣れてしまった感覚と、まだ聴いていないパートとのズレ。そういう心理学的なアプローチは為されているのだろうか。実際、私は見てないのでわからないがサントリーはかなりTVCMの本数を打つ筈であり、視聴者は15秒の『大空で抱きしめて』こそ『大空で抱きしめて』だとかなり強く認識した上でフルコーラスの配信を待つ、即ちラジオでかかり始めるのを待つということになる。「あれれ?」とかにならないだろうな…。

岡崎体育の「感情ピクセル」を友達に聞かせたらBメロまではノリノリだったのにサビを聴いた途端にドン引きしてた、みたいなツイートが先日まわってきていたが(あのサビがいいのにねぇ(笑))、あそこまで極端ではなくても楽曲の一部と全部はまるで別の存在である。7月10日までのこの"間隔"すら計画のうちだった、とあとで頭を垂れる展開になるように今から願わずにいられない。なぁに、梶さんならきっとうまくやってくれてる筈だよ。

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