無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『道』は、ヒカルからすればリスナーに「おかえり」を言う曲だ。

一ヶ所は、恐らく意図的に配したフレーズだろう。

『悲しい歌もいつか懐かしい歌になる』

ここを聴いた長年のファンの中には即座に

『今はまだ悲しい love song 新しい歌 うたえるまで』

という『First Love』の一節を連想した人も居たに違いない。

勿論、悲しさの質は違う。失恋と喪失では失うものとそれに伴う悲しみのレベルが違う。「悲しい歌」をそれでも歌ったり、更に新しい歌を作り出したりする人の営み。

『道』はまた、「歌の歌」でもある。サビには『You are every song』というフレーズがある。この歌を理解するにはこの決めフレーズの意味を捉える必要がある。

「あなたはあらゆる歌だ。」とは一体どういう意味なのか。こうやって直訳するとかなり意味不明だ。少し変えて、「どの歌もあなた」とすると、少し印象が動き出す。

ここからどう踏み込むか、だ。私はオーソドックスに、「どの歌(の一節)もあなたに向けて書いたものだ」という解釈を採用したい。「どの歌もあなたが居なければ生まれなかった」と言い換えてもいい。ただ、長々と描かず「どの歌もあなた」と言い切る事はやはり違う決意みたいなものを感じる。

「どの歌もあなた」なのであれば、歌を歌う度に『私』は『あなた』をすぐ身近に感じる事が出来る。もっと言えば、歌を歌う事はあなたと会う事なのだ。だからひとりで歌ってても独りじゃないし、あなたの存在を感じ取る為にまたひとりになりたくなる。

その構図を思い浮かべて『道』を聴けば、ヒカルの「歌いに戻ってきたよ」という決意の重さと清々しさを感じ取る事が出来るだろう。確かにヒカルは帰ってきた。喪う事で、歌う理由がまた生まれた。ここまでの重い決意から生まれてくる歌は、これからもそれはそれは切ないに違いないのである。皆々さん、心して次の新曲を出迎えましょうね。

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卓球の世界選手権もいよいよ今日が最終日。女子ダブルスの準決勝からと男子シングルスの準決勝から、だ。特に女子ダブルスは日本ペアと中国のエースペアの対戦が注目だ。

このカードは覚えておいた方がいい。何故なら、2020年の東京五輪女子団体決勝戦の第3試合が、このペア同士そのままの対戦になる可能性があるからだ。中国は予想が難しいが、日本代表の場合現時点では平野美宇伊藤美誠早田ひなの3人が団体戦代表になる確率が最も高く、その場合平野美宇がシングル2点、伊藤と早田がダブルスとシングルス1点ずつ出場、という組み合わせが濃厚。団体戦はダブルスの勝敗が勝負を大きく左右するから、今宵20時からのこの一戦は、オリンピックの金メダルを賭けた前哨戦だと思って貰って構わない。もし日本ペアが勝つような事があれば3年後の女子団体金メダルも絵空事でなく現実味を帯びてくる。要注目である。

今大会は日本勢の躍進が著しいが、彼らが勝ち上がる度にやたら「48年ぶり」という数字を目にするようになった。約半世紀って果てしな過ぎるだろという感じだが、この48年前の1969年大会で一体何が起こっていたのか。何か特別な事があったのか。

卓球ファンには周知の事実だし当時を生きていた人なら「そういえばその時代の中国って…」と気づくかもしるない。この頃の1967年と1969年(当時は隔年開催だった)は、中国卓球チームはかの「文化大革命」の影響で出場辞退を余儀無くされていたのだ。そこで同二大会では当時世界のナンバーツーだった日本チームが「鬼の居ぬ間に」と大躍進し、結果1969年は日本チームがメダルを沢山とれたのだ。そして次の1971年名古屋の世界選手権からまた中国チームは復帰して王国の地位を奪い去り日本は少しずつメダルから遠のいていった。その流れがあったから今大会日本勢がメダルを獲得する度に「48年ぶり」という数字を目にする事になったのである。従って、単純には比較できないものの今大会は中国一軍がフルで出場している訳で、その中でのメダル獲得はかなり価値のある出来事だ。既に競技を終えた選手の皆さんの健闘を称えたい。さぁ泣いても笑っても後1日。頑張れみまひな!

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