無意識日記
宇多田光 word:i_
 



そうですよ、音楽なのです。

最初聴きながら「軽やかで心が浮き立つようでいて軽薄にならず、どこか品のあるフレーズだな。こういうのはベテランブリティッシュ・ポップ&ロックに違いない」なんて軽く考えていたのだ。VOGUE公式チャンネルにアップされている動画だからオサレな洋楽に違いない」という先入観があったのかもしれない。「お、今のコードの使い方なんて『Easy Breezy』みたいだな、もしかしたらMIKAの曲かな」とかなんとか。そう、ここに至ってもまだ気付いていなかったのであれ。「ほほーっ、ここで悲壮感を纏うストリングスを入れてくるか。リズムは快活なままなのに何とも知的な構成だな。」とか呑気に考えていた。動画が1分過ぎたあとに漸く、「…って、ぉおい! これ『大空で抱きしめて』のインストやんけ!」と自分にツッコミを入れる事が出来た。60秒以上にわたるノリツッコミである。M1グランプリの決勝でかまして当てたら伝説と呼ばれる位の尺だ。

ほんと、人の思い込みとは激しいものだ。先入観があると何が何でもそれを軸に解釈してしまう。物語とは語られるものではない。人の心の中に既に在る何かを暴くものなのだ。

冷静になってもう一度聴き直してみると、「冒頭からしてあの『HEART STATION』と同じキーボードの音色…っ!』とすぐなるんだからもう。思い込み怖いアゲイン。ヒカルの動画なんだからヒカルの曲が流れるという余りにも単純な真理を最初から視界にも入れていない。やれやれである。老いて頭が固くなってきたかな。

しかし、お陰でわかった事がある。今のヒカルの作るトラックが伝統的なブリティッシュポップ&ロック風味である事と、知らずに聴いてもやっぱりクォリティーが高いと断じざるを得ない、という事だ。ベテランブリティッシュポップ&ロック、といった時に思い浮かべてたのは相変わらずトニー・マンスフィールドだったのだが、それくらいのおじいちゃんが作りそうな、洗練されていて、無駄がなく、焦点が定まっていつつ、奥行きと知性があり、更にシンプルなサウンド。いやはや、もう年齢とかいいな。ポップでありながらノーブルな風格を感じる。Popsの皮を被ったアートとでも言うべきだろうか。

しかし、こうやって聴くと『大空で抱きしめて』って私が思ってたのよりずっと軽快でPopな曲調なんだな。『Easy Breezy』を思い出すとか。そして英国風。ヒカルは最近、VOGUEのインタビューで語っている通り日本語にご執心な訳だが、サウンドはどんどん英国化している。作詞が東洋になってる分作曲が西洋化しているのかもしれない。そうやってバランスをとっている可能性がある。


あぁ、そうそう。前にVOGUEのインタビューアの方を「最もこのテーマ(「言葉」「日本語」)に相応しい人物」と書いた理由を注釈していなかった。同誌で聞き手を務めたのは新谷洋子さん。そう、『EXODUS』の日本語対訳をした方なのです。Utada Hikaruの日本語と英語を知り尽くした、は些か誇張かな、誰よりもよく知る人物、と言った方が的確か。カメラマンだけでなく、インタビューアとの相性もグレイトだった。正直購入前は同誌に全然期待していなかった私です。どうもすいませんでした。次回の御登場を心よりお待ち申し上げておりますデス、はいm(_ _)m

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昨日はVOGUEの写真を見ていいな、と思ったがあとでそのVOGUEでの撮影を収めたメイキング動画を観て更に「おぉ」となった。なんだこれ。めっちゃいい。

冒頭で黒スカートが透けて御御足が垣間見える時点で惹き付けられるが、その後もまぁバリエーション豊かにヒカルさんの様々な表情を捉えてくださる。凛々しい表情、リラックスした表情、物憂げな表情。笑顔もアングルがいい。写真の撮影をしたカメラマンもかなりのものだが、動画の撮影をしたカメラマンと編集の中の人もぐっちょぶと言わざるを得ない。1分余りの短い動画だが、1秒あたり2枚ずつキャプチャして写真集作っちゃったらいいんじゃないのというレベル。すぐさま買うのは言うまでもなく、何冊買うかが議題に登るだろう。

宇多田ヒカルさんほど写真ごとに印象の変わる人も珍しい。それだけヒカルに抱く印象が撮影者の人それぞれなのだろうが、ファンからしたら「こう見えている」のが日常になってしまっている為ついつい「なんでわからないの?」と撮影者に苛立ちを持ってしまっている。「そーじゃないでしょーが彼女の魅力は」と。何か根本的な立ち位置からして異なっている。

単純に、ヒカルの事が好きかどうか、だろう。梶さんによるとVOGUEの撮影カメラマンはミュージシャンでもあるらしく、なるほど、そこでのリスペクトが影響しているというのは大いにあるだろう。ヒカルさんが誰なのか、何者なのかというところまで踏み込まないといい写真は撮れない。ルックスで売れた人間ではないので、そこのところが肝心だ。

あらためて雑誌上の写真を振り返ってみると。買って真っ先にヒカルさんの6ページを読んだので、そこだけの印象では「女性向けファッション雑誌というのは随分エレガントなんだな」という風だったのだが、冷静に他のページを捲ってみると如何にも普通の「雑誌」という印象だった。ヒカルさんとこだけ異質に上品であった。

動画をみても、黒・赤・白の三色を基準に非常に洗練された感性で時間が切り取られている事がわかる。私は服飾の事は全くわからないが、コンセプトを自覚し、美意識を節度をもって披瀝するバランス感覚には唸らざるを得ない。要は何が撮りたいか自分でよくわかっていて、それを撮れるだけの技術が備わっているという話。

勿論被写体としてのヒカルの集中力も大したものだ。いつもは思わないが、今回ばかりは「本職のモデルさんか」と驚いた。本職の方々には大変失礼かもしれないが。

本音を言えば、オフィシャルの新しいアー写の数々を今回のVOGUEのセッションのものに差し替えて欲しい位に気に入った。壁紙ダウンロードも桁が変わるんでないか。いやまぁ私が気に入ったからといって皆さんがそう思うとは限らないが、元々のヒカル好きならそう感じてるんじゃないか。悪いなと思いつつも今回のVOGUEのYouTube動画は瞬速で保存させてうただきました。どうもごちそうさまでした。

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