無意識日記
宇多田光 word:i_
 



キーボードの音色を聴いて「おぉ、『HEART STATION』のヤツじゃないか」となった。軽快に跳ね回るリズムは『DISTANCE』のようだし…とはなったが、それでも少し重々しい流れになるのは『Fantome』の直後だし自然かな。本人の実感としては比較として「随分明るくなったろう」と思ってはいるだろうが。

メロディーラインを一度半音捻ってから立て直す感じ。『Keep Tryin'』の頃と較べれば更に自然に聴かせるようになっている。11年もすりゃ成長するわというけれど間6年空いてるのだし。何より、歌詞との符合が自然過ぎて危うくスルーするところだ。『くものなか』という5文字分のメロディーで大空の大きさや果てしなさ、白い雲の神秘性などを一気に伝える。しかし次。『とんでいけたら』で捻り落としにかかる。この少し卑屈に感じられるメロディーのニュアンスは『たら』という仮定の話、願望と、それが無理であるという事実に対する感情そのものだ。たった12文字分のメロディーでここまで表現できるかという密度の濃さと簡潔さだ。「目には見えるものの未だに信じられない」というフレーゲの名言を反芻したくなる。


聴いた直後に「簡潔な表現の向こうに広がる世界が」みたいな事を感じたのはそういう理由からだ。メロディーと歌詞の符合。今回は余りに綺麗に纏まってしまっているのでその凄味はいまいち伝わりにくいかもしれないが、日本に居る全シンガーソングライターは日々「こういう事ができないか」と夢想して作詞作曲に取り組んでいる。殆ど夢物語みたいな話だ。日本語圏以外の人にも伝わるかな。ここのメロディーを聴かせたあとに歌詞はこんな意味だよと教えたら「確かにそんな気がする」と言ってくれるだろうか。それならば正解だ。凄味という点では伝わっていないが、ただ歌を嗜むという点では別に伝わらなくていいことか。

もうちょっとね、歌の続きを聴いてみないとすぐにはわからない事ばかり。だが、今聞こえている歌詞とメロディーのリアリティだけで既に十分過ぎる程の内容が詰まっている。そこまで力まなくてもいいのかもしれない。今はそういう時期なのだと割り切る事にしよう。

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『大空で抱きしめて』。「First Single」と呼ばれる以上やはり、『time will tell』ほどではないにせよ『Automatic』との符合についても触れておきたい。

『Automatic』の歌詞は宇多田ヒカルにとって基本のようなもので、言い方は悪いが中庸でどうとでも取れたりする内容である。しかし、今回は直接的に『抱きしめる』という動詞が共通して出てくる点は先ず指摘してよいだろう。そう、『抱きしめられると君とParadiseにいるみたい』である。

そして『空』に関しては基本的な関係が出てくる。

『君に会えないmy rainy days』

『声を聞けば自動的にsun will shine』

の2節である。これは非常に象徴的だ。つまりヒカルにとって

『愛する人に会えない』=『雨』

であり、

『愛する人に触れれる』=『晴』

なのだ。この関係性は『Fantome』でも『大空で抱きしめて』でも一貫している。

『降り止まぬ真夏の通り雨』とは、「いつもだったら会えない日が続いててもいつかまた会える日があった。でも、もう会える日はやってこない。永遠に。」という意味だ。会えない日々は通り雨のようなもので、悲しいけれどいつかきっと止む。また会える。それが今までだった。だから会えない日々は通り雨。会えた日は晴の日。そう思えていた。それが叶わなくなった。永遠の別れである。

『Automatic/time will tell』から連綿と続く晴雨と想い人の関係性。何故ヒカルはこのような比喩を用いるのだろうか。

ニュアンスとしては確かにわからなくもないが、私はもっと直接的な比喩だと踏んでいる。ヒカルにとって、お母さんは太陽なのだ。だから雨が降ったら会えない。雲の中を飛んで行って雲の上に飛び出せば太陽に会える、お母さんに会えるのだ。

藤圭子さんのミドルネーム(ニックネーム)が"ラー"なのは、古いファンならご存知だろう。これは「太陽神ラー」の事である。ヒカルにとってお母さんは「太陽みたいな存在」であるだけでなく、直接的な記号・象徴として「母=太陽」なのである。ラーだから。余談だが、照實さんのミドルネーム(ニックネーム)は"スキーイング"。てっきりスキーが好きだからかと思ったらこれは「スキング」即ち「ス・キング」=「酢王」の事らしい。酢に目がないのですと。だから宇多田照實宇多田純子夫妻が揃うと「ラー油」と「酢」で餃子が食べられるね!という事で宇多田家のソウルフード(と言うんかこれ?)は餃子だという話。ほんまかいな。ハンバーグ嫌いな理由言う時に「一度挽き肉にしておいてもう一度くっつけるのが許せない」とか何とか言ってた気がするがそれ餃子も同じやで。


話が逸れた。ヒカルは空についての歌を幾つか書いているが、最も肝要なのはその中心に位置する「太陽」なのだ。『青空』について歌った『Passion』の前にあるインタールードは『Eclipse』、日食である(月食かもしれないがね)。太陽が隠されたり現れたり、その時の心境を綴ったのが『time will tell』であり『Automatic』であり、そしてこの『大空で抱きしめて』、なのかもしれない。まだ歌詞の全貌がわからないから慎重に、ね。解禁の日が待たれる。

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でまぁ、多くの皆さんと同じように自分も繰り返し60秒CMのYouTubeを聴いてる訳なんだけど、これに慣れちゃったらいざオリジナルを聴いた時に『大空で抱きしめて〜♪』の後に渾身の『“(`(エ )´ )ノ彡☆ぼんじゅーる !!』が入ってないの物足りなく感じるようにならないか。ここは是非オフィシャルでカップリングとして『大空で抱きしめて(“(`(エ )´ )ノ彡☆ぼんじゅーる !!バージョン)』を作ってうただきたく…。あぁ、『雲の中〜♪』の前のちっちゃな『くものなか〜…』もか…。


歌詞の中に『雲』が出てくる歌といえば『time will tell』だ。

『雨だって雲の上へ飛び出せば
 Always Blue Sky』

宇多田ヒカルのデビュー曲になる筈だった―というか実際デビュー曲か、両A面シングルだし―この曲と、SONYからの"First Single"(@hikki_staff)である『大空で抱きしめて』がほぼ同じイメージを共有しているのは大変興味深い。『雲の上へ飛び出せば』と『雲の中飛んでいけたら』。仮に同じ歌の一節であったとしても全く違和感はない。

となると、『大空で抱きしめて』の歌詞はまだ約60秒分しか聴けていないが、『time will tell』の歌詞を参照すれば、そこから類推できる事もあるのではないか。


『time will tell』の歌詞の要旨は楽曲の最後の一節『雨に負けないで』に集約されている。雨。『Fantome』の軸となるイメージだ。最も要、重鎮となる楽曲2曲『真夏の通り雨』と『桜流し』はいずれもタイトルからして雨だ。ここで『大空で抱きしめて』が『time will tell』と同じ『雨に負けないで』というテーマを携えて登場したとすれば、それは『通り雨』や『桜流し』といった『雨』に象徴される、『Fantome』で表現されていた終わりの見えない大きな悲しみを飛び越えようという強い意志がそこに見いだせる事になる。ある意味、『Fantome』を"克服"したともいえる。

その精神的な昇華が『雲の中飛んでいけたら』に集約されている―と結べれば綺麗に纏まるのだが、今のところ『飛んでいけ"たら"』という仮定の話である点もまた留意されなければならない。勿論まだ60秒だから、次の歌詞では『雲の中飛んでいって大空で抱きしめた』などに変化しているかもしれない(流石にこのままでは尺に合わないが)。まだそこは推測の域を出ない。

いずれにせよ、『大空で抱きしめて』が"First Single"である事、『雲』を乗り越えて『雨』を凌ぐ歌詞をもつ事などから『time will tell』を意識しているのは間違いないんじゃないだろうか。どうだろね。

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『大空で抱きしめて』の略称ってどうなるのかな。『traveling』なら「トラベ」、『First Love』なら「初恋」、『Movin' on without you』は「むびのん」、『Can You Keep A Secret?』は「キャンシー」、などなど。えとせとら、えとせとら。いろんなパターンがあるものだな。

『SAKURAドロップス』は長年「桜/さくら」でよかったが、『桜流し』ができたので今はちょっとそれだけではわかりづらいかな。でもまぁ今のところ『桜流し』は「さくらながし」と言い切ってるか。ふむ。

書くのというのも違う。『誰かの願いが叶うころ』は口でいう通称は「ダレカノ」だが、時で「誰かの」って書く人あんまりみない。私なんかは『誰願叶』って漢字に縮めて書くし。これなんて読むんだろーね。皆アタマん中で音読してんのかな。

『二時間だけのバカンス』はまだまだ定着しないけど「ニジバカ」に落ち着きそうだし、『花束を君に』は「花束」、『真夏の通り雨』は「真夏」か「通り雨」、『荒野の狼』は「おおかみ」、という風な感じか。『俺の彼女』は「おれかの」になるんだろうか。聞いたことないな。『俺の彼女』から『誰かの願いが叶うころ』を歌ったら「オレカノ」から「ダレカノ」、みたいな言い方するんだろうか。なんだかよくわからなくなってきた。

こういった傾向からすると『大空で抱きしめて』は「大空/おおぞら」で定着するかな。無理に縮めなくても、他と単語かぶらないし困りもしないし言いやすいし書きやすい。まず間違いないだろう。


さて、そうなると大空の歌詞について立ち入っていきたいところだがもう私はそれはそれは慎重になっている。『真夏の通り雨』のような"叙述トリック"(本来の定義からはハズれた使い方だが、私の衝撃を表すのに最適なので敢えてこう言っている)がこの60秒の外にありはしないかとビクビクしているのだ。「通り雨だったらすぐ止むじゃない」と油断していたところへの『ふりやまぬ』で世界がひっくり返った。これが言葉の怖いところで、文章は全体を通して全部見ないと何がどうなるかわからない。現実には90m飛んできたボールは必ずあと10mで100m飛ぶ位置まで来ているが、文章は最後に「ではなく」とか「という気がした」「だったらよかったのに」「なんてな」と幾らでも否定が利く。否定こそ言語の最大の機能であり、現実には一切無いファクターなのだ。精密機械を鉄屑にするには必ず連続的に変化させねばならないが、「精密機械かと思ってたらそうじゃなかった」と書いてしまえば文章上では一瞬にして精密機械は鉄屑に"なる
"。それが想像力であり飛躍であり言葉の本質だ。本来バラバラなのだ。


宇多田ヒカルという作詞家はそういったあれやこれやを究極まで究める人だ。だから『Can't Wait 'Til Christmas』のように、クリスマスが好きな人にもクリスマスが嫌い・無関心な人にも両方の共感を得る歌詞を書く事ができるし、『ふりやまぬまなつのとおりあめ』のような大胆な"仕掛け"をエレガントに為す事もできる。まぁ、最初に白旗をあげて、今聴こえている歌詞だけでどう感じられるかを書いておくか。次回から多分歌詞の話になります。

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金曜日に新曲『大空で抱きしめて』が発表になった。いやはや、素晴らしい。60秒足らずだが、複雑に入り組んだフックラインの組み合わせをきっちりPopsといえる領域に落とし込んでいる。『Fantome』の時にはやや混沌としていた感覚もかなり"スッキリ"した。慣れてきたというか、順調なのだろう。

タイトルのてにをはに未だに慣れていなくて「大空に抱きしめて」だったか「大空を抱きしめて」だったかすぐわからなくなってしまっていたが、聴いてみると『抱きしめて』の『めて』と母音を揃えている事がわかった。これで混乱する事なく『で』を導き出せる。

タイトルをパッと見た瞬間「あぁ、日本語タイトル曲継続か」となった。『桜流し』からこっち、総ての曲は日本語タイトルだ。オフィシャルがリニューアルに合わせて英語ページを本格的に稼働(復活)させ始めたので、もしかしたら英語タイトル曲、或いは英語曲が来るかな、と頭をよぎったが、そんな事はなかったぜ。引き続き日本語タイトル曲が連なっていく。

ヒカルの事だから今、気持ちの流れが日本語を大切にする方向に向かっているのでたまたまこうなっているというだけで、計画的ではないだろう。結果こうなっているというだけで。とはいえ例えば『道』のタイトルは『A Lonely Road』や『I'm Not Alone』でもよかった訳で、ある程度のわかりやすいこだわりはあるのかもしれない。…いやダサいっつっても『道』も相当なもんだからね!? 曲が抜群にいいから格好がついているだけで。

少し違うかな、と思うのは、前作にはなかった"動詞"をタイトルにもってきた点。いつ以来だこれ。『誰かの願いが叶うころ』以来かな。他には『幸せになろう』『蹴っ飛ばせ!』『言葉にならない気持ち』くらいかな。もともと日本語タイトル曲が少ない為特別感があるかどうかはわからないが『抱きしめて』は過去最高に詩的情緒に寄った感が強い。この『て』をどう解釈すべきかは2番3番を聴かないとわからない『抱きしめて(ほしい)』でもいいし『抱きしめて(眠りたい)』とかでもいい。前後の文脈で違ってこよう。ほんに、タイトルだけでも色々と考えさせる人なのだヒカルって人はね。

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いつも新曲発表の度に、いろんな人の期待を裏切ってきたんだろうなぁ、と回顧する。ヒカルがリスナーの期待を裏切らなかった曲といえば『Flavor Of Life』と『Prisomer Of Love』、あとは『Goodbye Happiness』とかかな。何が言いたいかといえば、新曲を出すと期待外れとやや距離を置く人と「今度の宇多田いいじゃん」と新たに食いつく人の両方が居て、それは他のアーティストの皆さんにもある事だけれど、ヒカルの場合は殊に甚だしい。総入れ替えの勢いなんじゃないかと。いやそれは言い過ぎだけど。

つまり、いつも「次は自分かもしれない」という不安と「今まで散々新曲を楽しめてきたんだから次も大丈夫」という自信の両方をもって私はヒカルの新曲を迎えている、という話。自分で言うのもバカバカしくアホらしいが、かなり音楽的趣味が広くないと出す歌のどれも好き、とはならない。流石に『Kuma Power Hour』の選曲の幅広さ、無節操さ(笑)にまではいかなくてもいいけれど、それなりに「理解できないジャンルはない」状態にしておかないと厳しい。

例えば英語の歌には興味ない、というだけでもうUtadaの活動期はアウトだろう。R&B/ソウルっぽいボーカルが好き、という人は『Passion』をどう受け止めたか。ダンサブルな『traveling』がいいねと言っていた人は『桜流しを聴いてくれただろうか。『DISTANCE』の爽やかな
ポップ・センスが気に入っていた人は荘重な『FINAL DISTANCE』に思うところはなかったのか。言い出したらキリがない。特にヒカルは落差が激しすぎる。

今夜聴ける新曲は一体どっちになるのやら。クォリティーは間違いなく高い。というか、そけに行けなかった場合ヒカルは締切を"落とす"んじゃないかな。落としたくないから死ぬ気で頑張る。兎に角頑張る。いつも『Apple And Cinnamon』みたいにあっという間に出来上がる訳じゃない。『For You』みたいに寝かせた曲もある。『テイク5』のように雌伏を経た曲もある。そういえば『Celebrate』に押し出された例の『しみったれたバラード』は今どうなっているのだろう。既に聴いたのかな。だとしたらどれだろう。あの仮タイトルの曲は…キリがない。今回のヒカルは締切を落としていない。従ってクォリティーも落としていない。ならば締切こそクォリティー。謎の三段論法だな。取り敢えず、信頼できる。

能書きはいい。歌って聴かせろ。それだけだ。黙って耳を、傾けよう。

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今宵は皆Mステにかぶりつきか。本編もだがそれ以上にCMに注目が集まる。放送枠の取り決め上演出重視とはならないだろうが本編に先んじてCMを流してしまう構成も完全には否定できない。なんだろう、スポンサーほくほくの展開ですな。

ほぼ同期の浜崎あゆみが太っただの声が出ないだの叩かれている中で、ヒカルの方のパブリックイメージはかなり保たれている。勿論本人の努力あっての事だが、昨年制作疲労でやつれたままの顔でテレビに出た時は劣化スレも立った。ほんのちょっとの事でも言われる時は言われる。それを収束させて定評にさせない工夫と運が必要である。もっとも、ヒカルの場合「不幸」とか「波瀾万丈」とか思われていて非常に叩きにくいだけかもしれないが。

CM出演はパブリックイメージが総てだ。虚構か真実かは関係ない。どうあるかではなくどう思われているかで動く。ヒカルのイメージのよさはCMに格好である。たぶん山のようにCMの誘いを蹴っているんじゃないか。私だったらダメもとでオファーだけはしてみるわね。もっとも、だけ、と言ってもこちらの本気度が伝わらなければ瞬滅だろうが。

今回もまた違う山に登ったらしいが、予告動画の画面から受けるイメージは昨年のCMとさほど変わらない。勝ってるチームは変えない、というセオリーなんだろうが、だとすると"ヒカルらしくないな"となる。その"らしさ"ですら脱却したい、となると裏の裏が表である宿命から逃れられないという事か。曲調が『道』に似通っていたらどうしよう。


嗚呼そうそう。配信販売について混乱があるかもしれないが、当初から「初夏配信曲」と「サントリーCMソング」が同じ曲であるともないとも言っていない。別々かもしれないし、同一かもしれない。今夜聴ける曲が初夏に配信開始かもわからないし、CMソングがリリースされないうちにまた別の曲が初夏に配信されるかもしれない。

恐らくこの「混乱」は梶さんが狙って作っているものだろう。何を狙っているかは具体的にはわからないが(わからんのかい)、彼の情報操作レベルからして「しまった、紛らわしい書き方をしてしまった」というのは有り得ない。ツイッターでエクスキューズするステップまで想定済みで事を運んでいるように見受けられる。既に幾つもの叙述トリックが仕掛けられているに違いない。

とは言ってもそれは我々を出し抜く意図がある訳ではなく、純粋に注目度の最大化を狙っての事だろう。結果論として今こうなっているのだ。これからの緻密な展開に期待である。

あとは新曲を待つだけだな。果たしてどんな曲なのやら、だ。あたしゃリアルタイムには間に合いそうにないけれど。とほほ。

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メッセのパーマリンクが無くなった事に、自分が不便という以上にショックを受けている。

パーマリンクというのは要するに、一般用語としてはひとつのURLに対してひとつの決まった内容のウェブサイトが対応している状態の事だ。パーマネント(恒久的な)リンクだわね。

これの何がいいか、っていうと実用上のメリットはググればわかる。心理的なメリットを語ろう。「持ち家を買った」みたいな感覚なのだ。パーマネントでないリンクはどこか借家感が拭えない。

メッセにパーマリンクが無くなった事で『Message from Hikki』に借家感が出てきた。いや現実的には借家に一生住む人も多いので「仮住まい感」と言い換えようか。なんとなく落ち着かなくなった。

くどいようだが心理の話、感情的な問題意識である。パーマリンクがないと実用上も色々と不便だが今はその話をしていない。

押したら流れる。今日踏んだURLが明日も同じ意味を持つとは限らない。メッセの今の居場所が仮住まいだとしても、日々更新されるメッセージこそが主役と言い張れればそれでいい。こちらも常に動的な状態に身を置こう。しかし違う。目の前にあるのはただ過去ログだ。これにパーマリンクがついていないと、まるで昔の思い出を今という時から遠ざける方向に押しやっているかのように感じられるのだ。メッセには感謝と感動と愛着しかない人間にとっては、その"ぞんざいな扱い"にほとほと腹が立つ。

別にコーナーとしてもう隠居するというのならしていい。今までありがとう。しかしなんだ、老人を大切にしない国なのかここは?
もっと丁重に扱って欲しい。功労者をいたわってあげてほしい。何を言ってるんだ?―その通り。一年に一度も読まない文章を尊重してくれとは片腹痛い。しかし、再三繰り返すが、これは気持ちの問題なのだ。そのままにしておけば何の問題もなかった事をわざわざ改めたのだ。「意」がそこにあると汲み取ってしまうのは穿ち過ぎか? どうだろう。わからないが、過去のメッセージは存在自体に価値がある。それをほんの少しでも貴ぶ姿勢を見せて欲しかったな。


梶さん本人は「今日はてっぺん跨ぎないよ」とわざわざ教えてくれる人だ。こんなにファンの事考えてくれるA&R他に居る? 今日は寝ていいよ、ってさ。それだけ明日以降のプロモーションに自信があるともいえるし、宇多田ファンなら満足できるだろうラインというのをちゃんと心得てもいる訳だ。あとは我々がそれに巻き込まれて翻弄されて楽しむだけである。その"感じ"が、まだ今の新しいサイトにはない。まぁ徐々にお互い慣れて気心が知れてきたらもっと有機的になるだろう。


大体、こういう"小さな不満"があっても、新しい歌を聴いたらあっさり忘れる(笑)。裏を返せば、総てはここにかかっている。サントリーのCM捕獲等々、色々と準備して明日を待ちませう。配信販売がないという事でまぁ力まなくていいのは有り難いのでした。

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3日前告知ってのも、梶さん随分考えたんだろうなぁ。早過ぎず遅過ぎず。告知即発表だと拡散し切れてないし間があくと忘れられてしまう。その間をとってちょうどいいインターバルがこれ位なんだろう。

もっと規模の大きいコンテンツや小さいコンテンツだとまた違ってくる。宇多田ヒカルの知名度やファンの熱量、情報が伝わるメディアの特性などを加味するとこれくらいで、となる。逆からみれば、告知から発表までのインターバルからレコード会社がそのアーティストをどう思っているかがみえてくる訳だ。もっと比較対象があればそのスケール感もわかりやすくなるのだが。

本来なら先行して公開されているアーティスト写真から次の曲の作風を推理したりしたくなるところなんだが、昨年の感じからすると見た目と音の連関がうまく行っているようには実はみえない。

多彩な曲を多数網羅する『Fantome』でビジュアルイメージを統一するのは至難の業だ。ジャケットのクレオパトラヘアで『人生最高の日』を歌われてもなんだかなぁという気分になるだろう。

そこらへんヒカルは心得ていて『30代はほどほど。』では歌を歌う段になったら着替えてきていた。『20代はイケイケ!』の時はそのまま歌ったのにえらい違いだ。

とはいえ、格好なんて歌がよければどうでもよくなる、というのもまた事実。自分も『少年時代』とヒカルのトレーナー姿×サラサラロングヘアは自分の中でわかちがたく結びついているが、格好が歌詞のイメージにそぐわないからといって気になるかというと、うーん。「いい歌だった」という記憶を彩るいち要素でしかない。

それに倣えば、『人生最高の日』をクレオパトラヘアで歌ったとしても、歌のパフォーマンス事態が図抜けていれば「これもありか」と妙に納得してしまう事もありえる。いや、きっとそうなるだろう。新しいアー写をみて私みたいに「なんか普通だな…」と思った人も、ヒカルがあの格好で見事なパフォーマンスを披露してくれれば、同じアー写も「いい写真じゃないか」と絶賛するようになるかもしれない。現金だが、事実なんじゃなかろうか。今の写真の出来なんてこれから歌われるヒカルの歌次第でどうとでもなるのだ。取り敢えず、だから、今夜か明日中か、どこかで耳にする新しい曲を聴いてから、そして、ミュージックビデオでもテレビ出演でもなんでも、ヒカルが顔を出して歌っているのを聴いてから、だわね。

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25時間後にはもう新曲が聴けるのかそれともTVCM放送まで待たねばならぬのかどっちだろうね。そもそも昨年。こちらが油断してる隙にいきなりCMを放送するもんだから見逃す人多数だった。とはいえ"見逃した"と嘆くような人は大抵番組を録画してたから見直せば済む話だったが。

今回はそれとは対極だ。3日前に"トレイラー"をリリースして期待感を最大限煽るなんて。余程の自信がなくばこんな芸当は出来まい。キャッチー極まりない楽曲を持ってこれたという訳か。

特に予想もないし期待もない。いや、期待していないというのではなく、これこれこういう曲調の歌だったらいいな的な"注文"が今のところ全く無いという事だ。無理に強いて挙げれば、聴いた後に「聴けてよかった」と思える歌だったらいいな、という感じか。その歌を知らない人生よりその歌を知っている人生の方が明らかに好ましいと思える位に強力な何かを持っていて欲しい。配信代250円を払うのに一瞬たりとも悩む必要がないくらいな、そういうのが私の"期待"。なんとも観念的かつ数値的。でも本音である。そういう無色透明に近い期待に応え続けて早17年なのだから年季が違うのだ。たまにガッカリさせてくれないといつまで経っても私がただのイエスマンなんだよね。そこは是正したいような、一生このままでも、いいような。

曲に対してはそんな感じだが、それにまつわる話となると私結構口うるさいかも。Utadaとして或いはUtad Hikaruとして今後日本以外での活動がどうなるか、少なくとも今回のサイトリニューアルではなんのとっかかりも見受けられていない。また明日になったら何かが変わるのだろうか。

『Fantome』は全米配信で3位(か6位)、『光(Ray Of Hope)』は2位を記録している。今更あとにはひけないだろう。少なくとも全米対策はしてくる筈である。もう少し、様子を見てみようかな。

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あぁ、ちっちゃな画面ではわからなかったけど、サントリーの予告動画って「山を登る人」がちゃんと映ってるのね。HD画質世代ならではですな。この人がヒカルではない、なんて寒い事をヒカルが許す筈もない(笑)ので十中八九ヒカル本人でしょう。山は登ったら降りるものよ。

全体的に、「これからの予告」という感じで、いつもみたいに「あれもこれもチェックして」と濁流を流し込んでくる風じゃなくて好感がもてる。いつもドバッと出てはその日のうちに全部チェックできなくてあたふたしてるうちに新情報が、みたいな感じではなくなった。明後日16日を落ち着いて迎えられるだろう。

一方で戸惑いも多い。言われてこちらも気がついたが、『Hikki's Website』の看板がなくなってしまった。Hikkiという呼び名がトップから消えちゃったのね。これを「海外での本格的な活動に備える為ではないか」と言った人が居たが、さもありなん。Hickey(『ちょっとえっちなキスマーク』(c)宇多田ヒカルさん)と同じ発音ではシリアスに捉えられないだろう。誰なんだ最初に尻ASSって言った奴(関係ない)。

これは別に初めての事ではなく、かつてメッセが東芝からU3に移った時にもメッセのタイトルが『Message from Hikki』から『Message from Utada Hikaru/Utada』になったりしていた。これも東芝EMIで活動していない時期即ち海外展開中の時だったので、多分その時と同じ発想なのだろう。それが具体的に何なのかはさておき。

そういったマイナーチェンジを孕んで、どうやらオフィシャルサイトはスマートフォンでのアクセスに特化…は言い過ぎか、に対応したつくりになっているという。確かに、今やチェックする人の大半がスマートフォンからのアクセスなので、これは正しい。とはいえ、CD購入層とのミスマッチがあるかもしれない事は少し頭に入れておいてもいいかもしれないが。特にFL15DXを買ったような層にはね。

でもまぁ、ネガティヴな要素ってメッセの過去ログが繋がった事だろう。一気読みしたい人にとっては1ページ1ページいちいちクリックしなくて済むのでそれは有り難いが、だったら記事の順序は「古→新」でないとおかしい。続きもののメッセどんだけあると思ってんの。twilogみたいにワンタッチで降順昇順切り替えられるのが望ましい。

過去の特定のメッセを読みたい人にとっては著しい改悪である。ウェブサービスってどうして退化ばっかすんのかね。私みたいに読みたいメッセの為に121ページめまで飛ぼうと「121」ってURL直打ちする人…居ないわな。これじゃ何の為の過去ログかわからん。ま、サイト内検索窓ひとつ作れば8割方解決なのでそれを待つ事に致しますか。やれやれ。

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おいおい、なんなんだ。今夜と明朝は『ULTRA BLUE』について書こうかと思っていたのにいきなり新曲情報か。面食らったわ。まぁいつもの事なんですけどね。嬉しいしバクシーシ。(←ここらへんもう舞い上がってる(笑))

ウェブサイトをリニューアルしたと思ったらいきなりサントリー天然水の動画。またCMが流れるのだろうか。あんなフリをしておいて金曜日に新曲が聴けなかったらサントリーの株が下がる(比喩としても実際にも)だろうから意地でも新曲を流すだろう。捕獲せんとな。ま、すぐ誰かがアップしてくれる…というか、サントリーがオフィシャルで流せばいいんですわねそりゃあね。

この感じだと、SONY移籍の悪影響はなさそうだ。レーベルもサントリーも同じメンバー同士で引き続き仕事をしているのだろうかな。引き継ぎ云々とは無縁の空気。南アルプスの『道』からそのまま続編が来る雰囲気だ。まさにSONY移籍は「ただのお引っ越し」で、関わっている人たちが変わらないから何も変わらないということか。いつも通り、新戦略で僕らをあっと言わせてくれるに違いない。

サントリー天然水と引き続きコラボレーションということなので、

「ヨーグリーナのCM出てくんねーかな…(ボソ」

と思ったのは内緒である。生放送であんな事を言っても干されないヒカルの強さときたらこれだ。かつてスポンサーの商品をディスって契約継続した例があったのだろうか。いやそこはサントリーなだけにビールっ腹、いや太っ腹やがな(笑)、恰幅のいい、もとい、器の大きいところをみせて株を上げたいというところか。でも実際宇多田ヒカル続投の報は株価を押し上げる要因たりえるよね。知らんけど。

そして初夏というのも気になる。なんだろう、金曜日に聞けるという曲と初夏に配信される曲が別々かもしれないニュアンスなのは。ちと穿ち過ぎなのか私。「サントリーの新しいCMソングが初夏に配信リリース決定!」って書いてある訳じゃあ、ないのよね。ちょっと引っかかっている。

そして「初夏」のタイミングである。梅雨明け前後を初夏というのなら海の日近辺だろうか。宇多田ヒカル夏うた参戦ですかいの。

一方、シリアスでもいける。7月アタマはお母さんの誕生日。更に親友の誕生日もある。そこらへんにあわせたリリースなら…或いは…やらなそうだけども。

3日後には聴けるという新曲?と、初夏の配信曲が異なるとすればそれはキングダムハーツ3の主題曲ではないか、という推測も当然出てくる。ありえる。アタマの片隅に置いておこう。

でもだとしたら豪華過ぎるだろ。

こちとら今アップされてるサントリー動画の中にヒカルらしき声を確認しただけでウッキウキウキーィ!!!なのにこれが全貌を見せてくれたらどうなるのだろうか。想像も出来ん。そして新しいアー写!! ……普通かなぁ(急にテンションが下がる(笑))。ショートヘア好物なんだけどね。まぁそれなりに元気そうでよかった、というありきたりな反応しかでけませんわ。一年前と違い最初から本人露出&近影アリで出てきたところに、今回の戦略の違い・独自性が透けてみえる。ますます意気軒昂な梶さんの手腕をじっくり堪能させてうただきましょーかねっ(^-^)

にしても、「普通」とはいえ、見た目若いなぁ34歳… :-)

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「キングダムハーツ3」の更なる新しいトレイラーは約一ヶ月後に公開になるらしいが、果たしてそこで主題歌への言及はあるか。裏を返せばここから一ヶ月は少なくとも「キングダムハーツ3」の情報は出てこない、という事になるのだろうか。

よくわかっていないんだけど、オープニング・バージョンは兎も角、エンディング・バージョンって普通にしれっと公開しちゃってていいのかな、毎度。もしこれが仮に「ゲームをクリアした人にだけ聴ける音源」だったらさぁ大変。私今まで避けてきた「据え置きゲームをがっつりやり込む」ってのに取り組まないといけなくなる。流石にそれは鬼畜かなぁ…?

新曲のプロモーションとしては面白いか。勿論、ゲームのプロモーションとしても。自分みたいに「じゃあプレイしてみるか」となる人も出てくるかもしれないし。

一方で、ヒカルがその条件をのむとは考えづらい。特権が嫌いな人だ。あれだけ人気なのに未だにファンクラブを作っていないのだから。「ファンクラブの人」と「ファンクラブでない人」の区別ですら要らないのだ。いや、正確にいえば「いつでも活動を止められるように」という自分の都合らしいんだけど、それだって「何もしない間も会費をとるのはしのびない」って最初に考えてるのが原因だ。

まぁそれはいいとして要するにファンを色分けする気がない人だ。そんなヒカルが「ゲームをクリアした人」と「ゲームをクリアしていない人」の2つにリスナーを分断するとはちょっと考えづらい。公開の時期は測るだろうが、いずれエンディング・バージョンも聴けるようになるだろう。

一応便宜上オープニング・バージョンだのエンディング・バージョンだの言っているが、勿論実際にそう呼ばれる保証はない。ゲームシステムによっては、マルチ・エンディングかもしれず、その都度新しいバージョンが必要とかになったら、『FINAL DISTANCE』EP並みのミニアルバムが完成しそうだ。それはかなり美味しいが、やり過ぎると『EXODUS'04』EPみたいになるかな。妄想はこれ位にして、落ち着いていきましょう。

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「キングダムハーツ3」の主題歌(オープニングテーマ&エンディングテーマ)はどんな曲になるか。想像もつかないが、「1」と「2」の復習ならいまのうちに出来るだろう。

「1」の『光』、「2」の『Passion』は、曲調が大きく異なるのにも関わらず、“楽曲としての位置付け・扱われ方”の点で非常に似通っている。

『光』は3rdアルバム『DEEP RIVER』に於いて曲順としてはインスト曲『Bridge(Interlude)』に続くラストを飾る楽曲であり、続くライブ・コンサート『ヒカルの5』でオープニングの1曲目に登場した楽曲でもある。

『Passion』もまた、4thアルバム『ULTRA BLUE』に於いて曲順でいえばインスト曲『Eclipse(Interlude)』に続いてアルバムのラストを飾る曲であり、直後に行われたライブ・コンサート・ツアー『UTADA UNITED 2006』においてもオープニングの1曲目で歌われた歌だ。

という風に、両曲共に『キングダムハーツ』シリーズに起用されたという共通点のみならず、純粋にアーティスト宇多田ヒカルの楽曲として、その時々で要の位置に居る、中心的な楽曲なのだ。

となれば、「キングダムハーツ3」の主題歌も同じように、次のヒカルのアルバムのラストを(インスト曲を引き連れて!)飾り、次なるライブ・コンサート・ツアーのセットリストでオープニングをも飾る事になるのだろうか。確かに、「キングダムハーツ」シリーズで使われる場面がオープニングとエンディングなので、大きな意味で「はじまりとおわりを司る曲」としての特別さが楽曲に宿っているのかもしれないので、その可能性は結構あるんじゃないかと踏んでいる。

ただ、キングダムハーツ側の事情が最優先とはいえ、アーティスト宇多田ヒカルの新曲として発表するのであるから、新曲をリリースしていく順番やタイミングといったものにもある程度こだわりが出てくるかもしれない。恐らく、たった一曲というよりは、例えば昨年の『花束を君に』と『真夏の通り雨』のように、2曲同時なんて事もあるかもしれない。まだまだわからない。

しかしヒカルは、キングダムハーツ側即ちディズニーやスクエアエニックスの都合にとどまらず、「世界の流れ」すら味方につけかねないスケールをもったアーティストだ。ヒカルが名曲を書けば、あらゆるタイミングがぴったりハマっていくだろう。その点については何も心配していない。心ゆくまで曲の品質に拘っとくれ。

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キングダムハーツ3のトレイラーが公開された。外伝だなんだと派生作品が大量にリリースされていてゲームをやらない身としては何が何だかわからないまま12年が過ぎているのだが、今回は「3」という事で正真正銘のナンバリング、即ち正史、「2」の続編というか「1」や「2」と同格の位置付けの作品と捉えてよろしいか。

それが我々にとって何を意味するかは一目瞭然で。つまり新しい主題歌が書き下ろされるという事だ。

「1」では宇多田ヒカルの『光』と『Simple And Clean』が、「2」では宇多田ヒカルの『Passion - opening version』と『Passion - after the battle』、及びUtadaの『Sanctuary - opening version』と『Sanctuary - ending version』が使われている。両作とも日本のみならず世界中で大ヒット、いや、ディズニーの御威光が強いのか、日本以上に海外で当たっている印象がある。押しても押されぬ超強力コンテンツである。

そのゲームの威力もあってか、海外のファンにはこのテーマソング(オープニングテーマ&エンディングテーマ)の人気が恐ろしく高い。Utadaファン相手ですら、『In The Flesh 2010』のような有り様、反応である。特にUtadaファンでないゲーム好きの人にとってはUtadaといえばキンハの歌を歌っている人であり、キンハの歌といえばUtadaである。「1」から数えて15年、「2」から数えても15年経っている。定評が常識として固定されるには十分な歳月だ。

この状況において、この期に及んで「3」の主題歌をヒカルが歌っていない筈がない。本人が休業中ならともかく、ミリオンアルバムをリリースしたばかりの現役バリバリの稼動中アーティストだ。歌わない、歌わせない理由がない。代わりの人連れてくるリスクを背負う必要がない。それで「1」や「2」の時のような高評価が得られるとは限らないからだ。

唯一懸念があるとすれば、ディズニー&スクエアエニックスがヒカルに対して不義理をはたらいた場合だが、その可能性も極めて小さいだろう。普通の感覚さえあれば三顧の礼で迎えに行く(変な表現だなw)事は間違いない。99.9%、「3」の主題歌はヒカルが歌っていると思って貰って間違いがない。

ゲームをやらないファンにとっても、ヒカルがキンハに関わってくれるのは美味しい。なぜって、上記の通り、一曲につき〔オープニング・バージョン&エンディング・バージョン〕×〔日本語バージョン&英語バージョン〕の計4通りのバージョンが楽しめる事が保証されているのだから。更にこの間『光(Ray Of Hope Remix)』がリリースされたように公式リミックスも期待できる。更に余計な事を言えば、日本語バージョン、英語バージョンに加えて更に他の国の言葉でも歌われるかもしれない。今のヒカルのキャパシティからすればイタリア語バージョンかフランス語バージョンが期待されるが、まぁ余程強いオファーがない限り実現は難しいので希望的観測としてだけ待っておこう。

来月中旬には更に最新のトレイラーが公開されるそうだ。この時点でも主題歌が発表になるかどうかは定かではないが、取り敢えず我々としては、ひたすら首を長くして待っておくとしましょうか。嗚呼、なんだか楽しくなってきたな(笑)。

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