『道』とはパッセージ、即ちメロディーの事なのではないか、と言った時に、最もシンプルに答を確かめる方法は、歌詞の『道』のところに「歌」をそのままあてはめる事だ。やってみよう。
「一人で歌ったつもりの歌 でも始まりはあなただった」
「It's a lonely song. But I'm not alone. そんな気分」
「ひとりで歌わねばならぬ歌でもあなたの声が聞こえる」
「It's a lonely song. You are every song. これは事実」
「どこへ続くかまだ分からぬ歌でもきっとそこにあなたがいる」
うむ。感想は人それぞれだろうが僕には寧ろオリジナルよりも直接的に「藤圭子と宇多田ヒカルの物語」を感じられて、大変よい。
一人で歌ったつもりの歌でも、つまり、勝手に自分が歌い始めていたのだと思ってたけどこれ明らかに私お母さんの影響で歌い始めてるよね、って事だ。ここをそう読んでおけば2番冒頭の『調子に乗ってた時期もあると思います 人は皆生きてるんじゃなく生かされてる』もよりリアルに響いてくる。腑に落ちる。
「これは孤独で寂しい歌だけど、私は1人じゃない。」―『道』のままとさほど変わらない、かと思いきやここに『そんな気分』が続くのがまたよりしっくりくるんだな。「これは孤独で寂しい歌だけど、私は1人じゃない、そんな気分。」 ふむ、『道』のままよりこっちじゃないのか。
もっとわかりやすく変化するのが2番のサビだ。『これは孤独で寂しい歌だけど、どの歌(を歌って)もそれはあなた(そのもの)なんだから』となる。これで『You are every song』の意味がわかった人も多いんじゃないか。「だから1人じゃないんだ(But I'm not alone.)」という結論になる。「私にとってあなたが歌なのなら、歌う私はいつでもあなたとともにある」というのがこの歌の主旨なのだ。「あなたが歌」なのは「歌の始まりはあなただった」のが理由である。この流れがあるから最後の〆が『これは事実』なのだ。『これは孤独で寂しい歌だけど、どの歌もそれはあなたなんだから。これは事実。』―ね、そういう事なんだ。
「ひとりで歌わねばならぬ歌でもあなたの声が聞こえる」
「どこへ続くかまだ分からぬ歌でもきっとそこにあなたがいる」
もうこの並びは「復帰して歌い続ける決意」を歌った歌そのものだ。歌い続ける事でどこまでもあなたに近づける。ずっとともにあれる。その願いを歌ったのがこの『道』なのだ。
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