無意識日記
宇多田光 word:i_
 



メッセのパーマリンクが無くなった事に、自分が不便という以上にショックを受けている。

パーマリンクというのは要するに、一般用語としてはひとつのURLに対してひとつの決まった内容のウェブサイトが対応している状態の事だ。パーマネント(恒久的な)リンクだわね。

これの何がいいか、っていうと実用上のメリットはググればわかる。心理的なメリットを語ろう。「持ち家を買った」みたいな感覚なのだ。パーマネントでないリンクはどこか借家感が拭えない。

メッセにパーマリンクが無くなった事で『Message from Hikki』に借家感が出てきた。いや現実的には借家に一生住む人も多いので「仮住まい感」と言い換えようか。なんとなく落ち着かなくなった。

くどいようだが心理の話、感情的な問題意識である。パーマリンクがないと実用上も色々と不便だが今はその話をしていない。

押したら流れる。今日踏んだURLが明日も同じ意味を持つとは限らない。メッセの今の居場所が仮住まいだとしても、日々更新されるメッセージこそが主役と言い張れればそれでいい。こちらも常に動的な状態に身を置こう。しかし違う。目の前にあるのはただ過去ログだ。これにパーマリンクがついていないと、まるで昔の思い出を今という時から遠ざける方向に押しやっているかのように感じられるのだ。メッセには感謝と感動と愛着しかない人間にとっては、その"ぞんざいな扱い"にほとほと腹が立つ。

別にコーナーとしてもう隠居するというのならしていい。今までありがとう。しかしなんだ、老人を大切にしない国なのかここは?
もっと丁重に扱って欲しい。功労者をいたわってあげてほしい。何を言ってるんだ?―その通り。一年に一度も読まない文章を尊重してくれとは片腹痛い。しかし、再三繰り返すが、これは気持ちの問題なのだ。そのままにしておけば何の問題もなかった事をわざわざ改めたのだ。「意」がそこにあると汲み取ってしまうのは穿ち過ぎか? どうだろう。わからないが、過去のメッセージは存在自体に価値がある。それをほんの少しでも貴ぶ姿勢を見せて欲しかったな。


梶さん本人は「今日はてっぺん跨ぎないよ」とわざわざ教えてくれる人だ。こんなにファンの事考えてくれるA&R他に居る? 今日は寝ていいよ、ってさ。それだけ明日以降のプロモーションに自信があるともいえるし、宇多田ファンなら満足できるだろうラインというのをちゃんと心得てもいる訳だ。あとは我々がそれに巻き込まれて翻弄されて楽しむだけである。その"感じ"が、まだ今の新しいサイトにはない。まぁ徐々にお互い慣れて気心が知れてきたらもっと有機的になるだろう。


大体、こういう"小さな不満"があっても、新しい歌を聴いたらあっさり忘れる(笑)。裏を返せば、総てはここにかかっている。サントリーのCM捕獲等々、色々と準備して明日を待ちませう。配信販売がないという事でまぁ力まなくていいのは有り難いのでした。

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3日前告知ってのも、梶さん随分考えたんだろうなぁ。早過ぎず遅過ぎず。告知即発表だと拡散し切れてないし間があくと忘れられてしまう。その間をとってちょうどいいインターバルがこれ位なんだろう。

もっと規模の大きいコンテンツや小さいコンテンツだとまた違ってくる。宇多田ヒカルの知名度やファンの熱量、情報が伝わるメディアの特性などを加味するとこれくらいで、となる。逆からみれば、告知から発表までのインターバルからレコード会社がそのアーティストをどう思っているかがみえてくる訳だ。もっと比較対象があればそのスケール感もわかりやすくなるのだが。

本来なら先行して公開されているアーティスト写真から次の曲の作風を推理したりしたくなるところなんだが、昨年の感じからすると見た目と音の連関がうまく行っているようには実はみえない。

多彩な曲を多数網羅する『Fantome』でビジュアルイメージを統一するのは至難の業だ。ジャケットのクレオパトラヘアで『人生最高の日』を歌われてもなんだかなぁという気分になるだろう。

そこらへんヒカルは心得ていて『30代はほどほど。』では歌を歌う段になったら着替えてきていた。『20代はイケイケ!』の時はそのまま歌ったのにえらい違いだ。

とはいえ、格好なんて歌がよければどうでもよくなる、というのもまた事実。自分も『少年時代』とヒカルのトレーナー姿×サラサラロングヘアは自分の中でわかちがたく結びついているが、格好が歌詞のイメージにそぐわないからといって気になるかというと、うーん。「いい歌だった」という記憶を彩るいち要素でしかない。

それに倣えば、『人生最高の日』をクレオパトラヘアで歌ったとしても、歌のパフォーマンス事態が図抜けていれば「これもありか」と妙に納得してしまう事もありえる。いや、きっとそうなるだろう。新しいアー写をみて私みたいに「なんか普通だな…」と思った人も、ヒカルがあの格好で見事なパフォーマンスを披露してくれれば、同じアー写も「いい写真じゃないか」と絶賛するようになるかもしれない。現金だが、事実なんじゃなかろうか。今の写真の出来なんてこれから歌われるヒカルの歌次第でどうとでもなるのだ。取り敢えず、だから、今夜か明日中か、どこかで耳にする新しい曲を聴いてから、そして、ミュージックビデオでもテレビ出演でもなんでも、ヒカルが顔を出して歌っているのを聴いてから、だわね。

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