無意識日記
宇多田光 word:i_
 



TwitterやInstagramから毎日発信するのがスタンダードになっている昨今、筆無精ともいえるヒカルのペースは余りに泰然自若だ。ホイールだ非常口だタクシーだとほんの一言残してまた沈黙。まぁメッセのみの頃は常時平気で数ヶ月放置したりしていたので今は本当は饒舌なのだと言うべきなのかもしれないが、周りが煩くなった分ヒカルは相対的に静かにみえてくる。

期間限定だった筈のツイッターを続けていてくれて感謝しかないが、やはりそこは140字。宇多田ヒカルのリズムというよりはツイッターのリズムにやや合わせている感もある。

メッセには独特のリズムがあった。ヒカルの自由と責任の許に無制限で書かれるそれは、言わば歌の萌芽の宝庫であった。あの文体に慣れ親しむ事で宇多田ヒカルという人の思考や感情をすんなりと受け入れる事が出来ていたのだ。言葉の選び方と紡ぎ方。確かにメロディーはないのだけれど、時に跳ねるような、時にしっとりとした筆遣いは、いつも「あぁ、この人を好きになってよかった。」と思わされた。いや勿論総てが総て、とまでは言いませんが大抵概ね大概は。

今の様子だと金輪際『Message from Hikki』の更新はないのだろうなぁ。かつては、「メッセの更新が止まるのと新曲がリリースされなくなるのだったらどっちが辛い?」と訊かれたら真剣に悩んだものだ。あそこが有料サイトだったら幾ら払っていたかわからない。誰でも見れるからこその文体と内容だったので、その仮定に意味があるかはわからないが、今のHikkiのやり方は、考えた末での選択だろう。荒立てる気は全く無い。って、Hikkiって呼び名、今オフィシャルにどれだけ残ってるんだろう。

メッセのタイトルも『Message from Hikki』から『Message from Utada/Hikaru Utada』になったり戻ったりして元々永遠不変なイメージでもないんだし、どんな方法であれヒカルの生の声がリアルタイムで届くのならそれでもう、いいな、と思えてしまうのでこれはノスタルジーでしかない。だから遠慮無く言わせて貰うと、この点に関しては、「昔は、よかったなぁ。」と溜め息を吐きつつ呟くしかないのだった。今がよくないとは全然思わないけどな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人間の耳、聴覚というのは環境とそれに伴う学習で大きく左右される。習得する言語によって全く様子の違う事になる。翻訳すると同じ文章な筈なのに、それぞれ脳の異なる部位で解釈したりしているほどに。

そんなだから、「ありのまま」に音を聴くなんて無理だし、同じ音を聴いても一人一人違うように解釈している。感情のレベル以前の問題として、有り体に言ってしまえば皆違う音楽を聴いているに等しい。

例えば私の耳はデスメタルを聴き慣れているから「トマス・リンドベルクはいい声してるな」とか「アレックス・ウェブスターのプレイは切れ味抜群だ」とか聴き分けが出来るが、殆どの人にとってデスメタルはただの騒音・雑音でしかない。そんな人からみれば私の聴き分けは工事現場の音だけを聴いて職人の巧拙を論じているようなものだろう。

何度も同じ事を言うようだが、私は耳がよくない。すぐに聞き取れなくて「今なんつった?」と聴き返すなんてしょっちゅうだ。英語のヒアリングなんてさっぱりわからないし、日本語で歌われていても歌詞がまともに聞き出せない。ヒカルの新曲なんて毎回必ず「お前は何を言っているんだ」と思う歌詞パートがある。全くいい耳をもっていない。

ただ、たくさん聴いているから分類して語る事が出来る、というだけ。場合によっては、まともに聞き取れていないのに断片的な情報から頭の中で再構築したりもする。そこまでいくと不気味というか、「果たして俺の記憶は正しいんだろうか?」という疑問まで頭をもたげてくる。自分で捏造したのではないか、と。

そこまでいくと音楽って一体「何処」にあるの?となっていく。ならば、とそもそも正しいか否かの判断基準から検討し直されていかなくてはならないんだが、何だか話がややこしくなってきたので続きは又次回。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )