無意識日記
宇多田光 word:i_
 



もう一度確認しておくと。椎名林檎嬢によるオリジナルの「丸の内サディスティック」は全編大体日本語、「丸の内サディスティック(Expo Ver.)」は「英語〜日本語〜英語〜日本語」という構成、そしてヒカルとなりくんによる「カバー2017・オブ・丸の内サディスティック(Expo Ver.)」はおおよそ「日本語〜日本語〜英語〜日本語」という構成だ。

となると今回のヒカルとなりくんによる「丸ノ内サディスティック」は全編英語の可能性が出てくる。オリジナルの更にルーツとなる英語版の「Marunouchi Sadistic」になるのかな。ようわからんけど。

で気になるのは演奏形態だ。どんな編成でどんなサウンドなのかによって、似合う歌詞が決まってきたりする。歌詞の取り方が比較的自由なのだから、サウンドのニュアンスによって歌詞の構成、日本語と英語のバランスが変化しても不思議ではない。

この点についてヒカルはこう述べている。『小袋成彬とミュージシャンたちとセッション形式で録りました』と。なんとまぁ、あの『Parody』をレコーディングした時のような感じなのか?

とすると。とすると、である、ヒカルはもしかしてもうライブのリハーサルを始めてたりするのだろうか? たった一曲の、それもカバーの為にミュージシャンたちを一ヶ所に集めるだろうか?

いや勿論、アルバムのレコーディングのついで、というのが正しい答だ。それ以外にないだろう。しかし、なぜそれでセッション形式を? どういう意図だったのだろうか。なのでついつい、レコーディングに呼んだミュージシャンたちは、ツアーのメンバーでもあり、少しずつ慣らし運転を始めてるんじゃないかと勘ぐりたくなってくるのだ。逆もあるな。このセッションを通じてツアーメンバーが決まっていく、なんて事もありえる。妄想に際限などないのだ。

少し先走り過ぎた。まずは5月の発売を待とう。他人シンガーをプロデュース、トリビュートアルバムへの参加、を経ていよいよ本丸のオリジナルアルバムの発売とツアーという順番だ。一つ々々、ですよ。

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自分でも結構どうでもいいと思っている疑問なんだが、「まるのうちさでぃすてぃっく」の「まるのうち」の正式な漢字表記って「丸の内」なの「丸ノ内」なのどっちなの。

ググッたら「の」の方が多いんだけど今回のトリビュート盤の表記はオフィシャルでも「ノ」で、@utadahikaru も @hikki_staff も「ノ」でツイートしている。取り敢えず今回は「ノ」で行けばいいようだ。が、
私は今そういうの大体予測変換に任せているので多分混在すると思われる。どっちでもよさそうだしこだわる事でもなさそうだし。

Wikipediaによると「まるのうち」という地名は1970年の町名変更以前は「丸ノ内」、以後は「丸の内」になっているらしい。「ノ」→「の」という推移なんだな。で、地下鉄の「丸ノ内線」はその1970年の町名変更以後もそれ以前の表記のまま、即ち今でも「ノ」の「丸ノ内」なんだそうな。ふむ。

という事は、何かこだわりがあるとすれば、敢えて「丸ノ内」と「ノ」で表記する場合、1970年以前の当地に思いを馳せているとか、或いは地下鉄丸ノ内線の話である事を強調したいとか、そういった所になる。

だとすると今度は「どんな歌詞が歌われているか」という視点に移るのだが、この「丸之内サディスティック」の歌詞は少々ややこしい経緯を辿っているようだ。Wikipediaによると元々この歌は英語詞で書かれていたものを日本語に書き換えて1999年のアルバム「無罪モラトリアム」に収録、その10年後に歌詞の半分を英語にして2009年の「三文ゴシップ」に「丸乃内サディスティック(Expo Ver.)」として改めて収録された、とのこと。

既に何だかややこしいが、更にややこしいことに、昨年の3月にヒカルとなりくんが椎名林檎御姐様直々の正真正銘本物の「丸埜内サディスティック(Expo Ver.)」のカラオケトラックをバックに収録した歌の歌詞は、出だしが日本語で、1999年のオリジナルトラックの方に準じた内容になっている。即ち、日本語で歌われているのだ基本。半分以上何言ってんだかわかんないけど。ベンジーって誰だよまったく。(※ 私はイカ天初登場の会生放送で観てました)

という訳なので、実は1年前のヒカルとなりくんのカラオケバージョンはまるきりExpo Ver.のカバーという訳でもないのだ。貰ったバックトラックがそうなだけで。ならば、今回の収録カバーもどんなバージョンなのかクレジットでは判断できないんでしょうな。

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