無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『ワンシーンずつ撮っていけばいいから』と歌われては岩下さんの事だと断定されてしまうし、『WINGS』はハッキリ夫との事がヒントになったと答えている。昔のヒカルは夫との事も歌にしていた。

今はどうなのか。何度か書いているように、キコの影がとても薄い。今のところ、彼との事を歌ったと認めた歌はない。そうこうしているうちに『あなた』というダヌパとの事を歌った歌が出来てしまった。

勿論、直接インタビュー等で答えていないだけで、実はキコとの事を歌った歌がもう存在している可能性はある。『光』だって当時「今お付き合いしているカメラマンとの事です」と公言していた訳ではない。メイキングの様子をみれば「あれこいつら付き合ってんじゃね?」となっても不思議ではなかったけれども。

ただやっぱりキコは一般人。映画監督まで務めた岩下きりやん(そんな名前の人居ません(笑))からすれば名前を出して貰った事はデッカいプラスになっていたが、キコの名前をヒカルが出して彼にメリットがあるかというと恐らく「小さなメリット&ドデカいデメリット」と判断するのが確かに妥当な気がする。彼をメディアに巻き込みたくない、というのはよくわかる。

でも、ならダヌパのエピソードはツイートするのにキコとのエピソードはツイートしないのか?という歌詞とは関係のないところで引っ掛かる。…うーん、こういう書き方を続けているとしまいには「ヒカルとキコの仲を疑ってるの?」と言われるよねぇ。それは、うん、仕方ねぇよな。なおキコという呼び名はヒカルは一度も使った事がないから誤解なきよう。"ダヌパ"同様、タイピングがラクだから便宜的に使っているだけだ。

まぁいい。今の日本の、特にWeb上では母子のエピソードは微笑ましく受け止められ易いが、夫婦のラブラブエピソードは時に妬みからか悪らつな言われ方をする事もある。「あらあら、ごちそうさま」とでも言っとけばええのんに、と思わなくもないが、母子のエピソードと違って新婚夫婦とか恋人同士とかって「二人だけの世界」を形作っていて我々傍観者の存在が視野外になっている事がままある。そういった客観的視点の欠如が反感を買うのかもしれない。私ゃ幸せのお裾分けは大好物なのでどんどんラブラブエピソードを摂取したい方なんじゃがの。

なので、結果的にヒカルの今のやり方は戦略として最善になっている。案外暫くこのままでいいのかもだわ。

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そして今日は『光』発売記念日か。キングダムハーツの発売日も付近だったかな。ゲーム業界の発表のサイクルやタイミングは把握していないのでどういったアプローチがあるかは知らないけれど、今週中に『誓い』&『Don't Think Twice』の続報があればと願う次第だ。

『光』は自分の名前を冠しながらも当時の婚約相手との事を歌っているのでついつい「色々歌ってるけど、でも、離婚したよね」と思ってしまう。それに対する反論も難しい。歌にすると残るのは宿命だ。残す為に歌うのでもあるのだから。

ならばこの『誓い』で、上書きを果たせれば過去も昇華出来るかな。16年前の歌に今更昇華も何もないのだが、寧ろ歌うヒカルの方が気になるかもしれない。聴いてる方は大概無責任だからな。こちらとしても祝福した手前、という感情が…いや、あんまり残ってないんだけど(笑)、ライブで『光』を聴いた時の感情みたいなもの、つまり、『Utada United 2006』で聴いた『光』は『ヒカルの5』で聴いた『光』とは少し違っていたし、『WILD LIFE』での『光』は、「あ、躊躇わずに歌うんだ」と安堵してた覚えがある。こちらが気にするというより、ヒカルが気にしていないか気になっていた、というのが実際だった。ヒカルが気にしていないのなら、珠玉の名曲、これからもバンバン歌って貰わないと。キングダムハーツのみならず、宇多田ヒカルのテーマソングなんだし。

なので『誓い』による上書きというのは、主にライブコンサートでの効果を考慮したものだ。今生まれる名曲によって、過去の名曲をいい意味で過去のものとする、という一見禅問答のような役割を担えるだけの胆力をもっているのではないか、何度も強調してきたように、『光』と『Passion』の系譜を引き継ぐ力強さを(既に明らかに)持っているでしょう、という確信に満ちた期待がある。そうなれ。いや、そうなる。

ミュージシャンの印象はどうしても初期の名曲に縛られる。以後はどれだけクォリティーの高い曲をリリースしても同等程度だとまともに見向きもされない。まっさらに新曲と向き合って貰うには一旦忘れて貰う必要すらある。それは言い過ぎにしても、過去は偉大であればあるほど呪縛となる。16年経っても『光』の威光は強い。『誓い』がその眩い光でどれだけ押し返せるか、同じく光れるかでライブコンサートの色合い自体が変わってくるだろう。その意味で、責任重大なのである。

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