blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

早朝ですが

2019-01-27 06:47:18 | 休日
時計の針はまだ日曜日の午前6時台である。
いつもの休日ならこんな時間に起きていることすらないし、ブログの更新をすることもない。

1月は、決められた月間休日数の縛りのため、5日を除く土曜日はすべて出勤という特殊な月だった。
最後の土曜となった昨日、さすがにホッとしたのか、夕食を自宅でとったその後はあっという間に寝落ちしていたようで、早く寝たから目が覚めるのも早かった。
今朝見たらご飯は準備できておらず、食パンの備蓄もなかったからとりあえずご飯を炊かなくてはいけないので、その時間を利用してブログを更新することにした。

2月のことを言えば、4回ある土日のうち3回は土曜日も休みにできる。
前の会社では、製造はともかく倉庫の方はわりあいカレンダー通りであったから、前と比較すれば個人的には休みは減っている。
しかし今の会社では、昼夜シフトや三交替など、曜日などまったく関係のない勤務の人も少なくない。
現場が骨身を削って仕事を進めている中で、たかだか土曜が休みにならないことで文句を言ってはならないとは以前も書いた。
比較上は恵まれた流れで働けており、2月は3回も土日連休が実現するので、この寒い季節、体調管理の面で現場の人に劣ってはならないとは強く思う。

1月最後の休日は、愛車の車検入庫のため、おとなり岐阜県の各務原市のショップまで行く。
まだ私が富山にいる頃、車種としてのアキレス腱であったギアボックスの不調を完璧に直してくれたことで縁ができ、たまたま当地に転勤でやってきたことで距離的に無理のないところになったのは不思議としか言いようがない。
近年は大きなトラブルはなく、車検や、車検の谷間の12ヶ月点検くらいしか用事はないが、フランス・イタリア車のメンテナンス専門という稀有な店舗のおかげだと思っている。

約束は午後なので、午前はのんびり、しばしの別れとなる愛車との時間を過ごしてもいいし、一週間の自らの疲れを癒して直接店舗に向かってもいいだろう。
周辺の観光を思いつくなら、預けた後の代車でもできるからだ。
もちろん、また明日から始まる仕事に備え、早々に自宅に帰ってもいい。

個人的には久々に日曜日しか休みがない状況を経験して、あらためて土日まるまる休めていたことの有り難さを感じている。
とはいえ、自分で決めて前の会社を辞めて環境を変えたわけなので、話しかけてくれる人も増え徐々になじみつつある今の環境でなんとか踏ん張って生きていきたいと思う。

大きく出たね

2019-01-24 18:56:49 | 日記
私の一日は、事務所を出て同じ会社のとある部署を訪ねるところから始まる。
車両も多く使う現場だけに、近頃航空関係で悪い方の話題になったアルコールチェックも行われるし、それ以外の健康状態や体調を把握するため、ひとりひとり対面でチェックを行うのが私の役目である。
前任者は役付の社員であったが、決して形式に流れないようにやろうと思えば全員のチェックには1時間半くらいかかる。
せっかく現場でも重要な戦力となれる社員が朝一番1時間半をむざむざ取られる形になっていたので、事務方に回った私がそこを代わりに行うことで、現場の早期終業と当該社員の時間外削減に少しでも役に立てるならよい。

全ての部署で体調チェックをやるわけではなく、次は別の部署に移動してその日の各人の勤務時間や部署としての取扱量などの資料をまとめる。
事業所として揃えなくてはならない書類は法令でも定められ、その種類は膨大であるが、人手が足らない中で皆が現場の仕事そのものに手一杯である中、私だけではない事務方が現場を遊軍のごとく巡回しながら、面倒な書類の作成を手伝って(決して丸抱えではない)いる。
最初は時間がかかったが、徐々に慣れ、今では仕事以外の雑用もこなすほどの時間が作れるようになった。

さて、各現場からは事務所行きの書類を託されることも多いが、問題のない職場などない中で定期的な話し合いも各現場で持たれている。
空き時間にはその中身を一通り眺めることもあって、中にはずいぶん勝手な意見を言っている人もあって残念な限りである。
曰く、人数ではなくまずマトモな作業員を入れろ、自分の担当は年寄りには無理だ、体力的にもきつく頭脳も必要だ、と。
こう言って吠えるタイプの人間こそ、丁寧に教えて誰かをマトモに育てる能力などサラサラなく、まだ始めたばかりの人間に対しても「あれダメこれダメ」の指摘しかできず、最後には相手をつぶしてしまう。
肝心の本人の実力はといえば、見る人が見ればテストが途中で中止になるレベルなのに、それを棚に上げてやたらに威張り散らすのは、本来の姿はどうにも隠しようのない半グレか小物といったところだろう。
ついでに言えば、当人が、タバコが禁止の場所で喫煙していた事実もあったことを付言しておく。

いわゆる人手不足は、単に人員が集まりにくい状態だけを指すのではなく、原因が自らにある場合も少なくない。
せっかく入った新人さんを一刻も早く戦力にしようと無理をさせ、時にはきついダメ出しをしたり怒声を浴びせたりするものだから、希望を持って入ってきた人もすぐに辞めてしまって定着しない。
ある程度時間を経て少しずつ慣れてきたように思える人にも接し方が変わらないので、ようやく戦力になるのかなと思われた社員も結局は辞めていったのは、惜しいの一言では済まされない。

作業環境も決していいとは言えない中、日々懸命に作業をこなしている人たちにはただただ頭が下がるのみで、今この時間も作業が続いているのかもしれないし、そろそろ夜勤者も交代で入って来る頃だ。
その大変さを周囲はせっかく理解しているのだから、少しでも人が離れていかないように、日々必要十分な人員でもって回っていくように、現場の中にいる一部の困った社員にも「育てる」意識を少しは持っていただきたいものである。

変な人

2019-01-20 20:34:33 | 休日
先週の日曜を何もしないでゆっくりと思いながら、NHKの紀行番組でたまたま当地の名所が紹介されたために、一日中とはいかずとも結局は外出した。
もちろん遅くなりすぎないように考えて帰り、なるべく休む時間も作ったので、全国でインフルエンザ感染率2位という愛知県にあっても(1位はおとなり岐阜県)今のところは通常の風邪もひかず、元気ではいられている。
来週の日曜は車検入庫でちょっとしたドライブになってしまうので、今日こそは一日ゆっくりの日にしようと思い、外出は不在郵便物の引き取りと食材の仕入れの1時間ほどだけにして、文字通り何もせずにゴロゴロしてこのまま終わりそうである。

仕事に関しては、やや冷たい仕打ちを年始から受けるようになり、しかし誰が仕掛けているかはもう読めており、今回あらためて書く必要はない。
相手はひとりだ、こちらもひとりの人間として、犠牲を払っても戦うべき時は戦う、それだけだ。

さて、今週末は仕事を離れたところで変な人を見る機会があった。
金曜日、週に一度の気晴らしにJR春日井駅前に出ようとしていた道中、ひとりの男性がわりあい聞こえやすい音量で「どっかいいお店ありませんかね〜」などと話しているのを見た。
Bluetoothか何かを使って誰かとケータイで話しているのかなと思ったから、また前を向いて普通に歩いていたら、その男性から「オイ!何で無視すんだよ!こっち向いといて話聞かねーのかよ!」と後ろから怒鳴られた。
ハンズフリーで誰かと話していると思っていたその男性は何と私に話しかけていたつもりだったようだ。
一瞬身の危険を感じ後ろを振り向いたが、なぜかこちらに向かって来る気配はなく、何事もなかったように駅の建物に消えて行った。
どうしても納得がいかなくて私に文句が言いたいのであれば体ごと近寄って来るはずなのだが、ただただ吠えたかっただけなのであれば、残念ながら正常な神経は持ち合わせていないということだろう。

今日、不在郵便物の引き取りに春日井郵便局に出向いた時にも変な人がいた。
正式にはどう呼ぶのかは知らないが、市内の中心局として土日も関係なく時間外窓口を開設して受付をしてくれる。
その「ゆうゆう窓口」で、手続きを待つ人の列から外れジリジリしている女性がいた。
窓口の前には黄色でラインも引かれており、一列で順番を待つのがルールで、列を外れている人は見たことがなかった。
どうやら窓口の向かって左側が通常の郵便物の受付(当人の用件は封書1通を出したいだけのようだった)で、不在郵便物の引き取りが右側だと勝手に解釈し、自分に声がかからないのでイライラしていたようである。
自分の勘違いを棚に上げ、不在郵便物引き取りの表示が右端にあるのが悪いなどと言い出して、ついには表示を外させてしまったからタチが悪い。
当人の用件は封書1通だからあっという間に終わり、当人が帰っていったところで、次の順番にいて用件が済んだ私は職員の女性に「その表示、また同じところに貼っとけば?」と言った。
すると、私のすぐ左にいた女性も一緒になって笑っていたから、同じように感じてはいたのだろう。
この次に用事がある時は、表示の位置を確認してみたいものだ。

一部の変な人や声だけが大きな人のために、多くの善良な人が迷惑し、普通に過ぎるはずの時間が嫌なものになってしまう。
実力行使をしてしまってはさすがに公権力のお世話になる世の中で、言葉による弱いものイジメはむしろひどくなっている。
学校でも職場でも普通の街中でも、都合が悪くなると騒ぐだけ騒いでなぜかうまい汁を吸っている人間のいかに多いことか。
何でも言える自由な我が国にも、自由であるがゆえの難しさは潜んでいる。
自由というものに対する解釈はひとりひとり違い、さらに我が国の法律は画一した解釈をひとりひとりに強いてはいないからである。

なるほどね

2019-01-18 19:29:01 | 日記
今朝出勤したら、私のユニフォームが入っているロッカーの前が荷物でふさがれていて開けにくくなっていた。
ずらさないと開けられないので仕方なくずらしたが、朝から気分が悪くなったのは言うまでもない。
今の環境に来て約3ヶ月、決して人に好かれるタイプではないことは重々承知でも、ある意味での実力行使を受けたことはこれまでなかった。
まるで役に立てなかった現場の時を通じてもだ。

こういうことをする人間となると、もう見当は付いている。
あまり詳しくは書けないが、私がいる事務所は系列は同じだが名前の違う2つの会社の営業所が同居している。
2つの営業所が同居しているということで、「所長」という肩書きの人物がふたりいる。
当然ながら2つの会社の間には立場の上下はある。
私が現場の時に仕事に悩んで困った時、親身に話を聞いてくれたのは立場が上の方の所長だったが、下の方の所長は話をただ横で聞いているだけだった。
しかし、私の所属は立場が下の方の会社であるから、直接の指示や命令は後者の方から受けることが多いし、入る前の面接でも話したのはそちらだった。

何度も書いているが、私ごときを「もったいないから」と真剣に引き止め今も会社に残してもらっているのは間違いなく前者の所長の影響が大きい。
最近はあまり無理な絡み方はしてこないが、事あるごとに「元気か?」とか「慣れたか?」と声をかけてもらえることはありがたいの一言では言い尽くせない。

そうなってくると、直接の所長ではないが自分よりも立場が上の所長に私がかわいがられていることを、本来の直接の所長である人物が面白くないと考えるのは自然だ。
ある日には、とある部署に人が足りないから行ってくれと指示を受けたが、行った先では「間に合っている」という返答で、念のためその部署の担当者がその所長に電話したら「適当にそっちで使ってよ」という何とも冷たい指示を受けたので、私は手伝いにもならない仕事で2時間を浪費することになった。
また、明日は私が8時からこれまたとある部署で仕事を抱えていることを知りながら、別の部署の仕事がないからと、事務所を7時50分に開けるというのである。
7時50分に事務所を開けられたら、どんなに急いでも8時にその部署には着けない。
仕方がないので、今日の夕方いったんユニフォーム一式を事務所から持ち出して、その部署に今晩置かせてもらい、明朝は事務所に寄らず直接その部署に向かうことになった。

分かっていてわざと私にこういう仕打ちをしてくるのなら、全体を見渡すべき管理者のトップとしては全くの失格であり、いささかの言い訳もできないパワハラ事例を平気でやっていることになる。
どうやらお坊ちゃん育ちで弁が立たないタイプのようなので、極めて陰湿な形で気持ちを表現するしかないようである。
新人だからと言っておとなしく泣き寝入りすると思っているとすればそれこそ甘い。
かつて前の職場で職場内での野球賭博を告発し大量6名を奈落の底に叩き落とした私が、今の状況をただただ我慢するわけなどないのである。

不思議なことが

2019-01-17 20:02:54 | 日記
2019年に入り、公私ともども大きな失敗やトラブルはなく、実質2週目の勤務もあと2日である。
今後は愛車の車検が控えるなど何かと物入りなので、週に一度の気晴らしも財政事情をにらみながらとなる。
仕事そのものは負担には感じていないが、職場が変わっても相変わらず「がんばればがんばるほど周囲が遠くなる」感覚に襲われる。
私自身悪いことをしている覚えはないのだが、土地が変わっても仕事場が変わってもそこだけは変わらないのである。

こういう話になると必ず「上から目線で他人を見ているのでは?」という指摘を受けるのだが、ちょっと待ってほしい。
私はまだ入って3ヶ月足らずの人間、しかも現場で活躍することを期待されて入ったのに挫折し事務方に回ったという経緯まである。
そんな中ではやはり最前線たる現場に出る人というのは無条件に「すごい」という思いを持つし、特殊な車両でスイスイと仕事をこなす姿は輝いてさえ見える。
モノを作ったり運んだりしている場所では、表面的な肩書きはともかく現場に出ている人がとにかくえらい。
今は位が上がって現場を離れている人も、やはり現場で大活躍していた時代はあったはずだ。

少なくとも現場で働く人には一方ならぬ敬意を払っているつもりだし、上から目線などと言われることがあるとすれば心外だ。
今やっている事務方にしても、現場を挫折してそのままクビになってもおかしくないところを拾い直してもらったからできているのであって、元の現場の上司や、私ごときに「もったいないから辞めるな」と言ってくれた偉い人には感謝してもし切れないくらいの気持ちは持っている。

周囲がまたぞろ遠く感じられるようになってきた背景には、私が「偉い人に気にかけられている」ことが面白くないと感じている人がいるからだろう。
その偉い人にしても、頼みもしないのに私の出身校やら職歴やらを周囲にバラしてしまうので、人によっては勝手に「構えてしまう」場合だってあるから一概には言えないが、やや色眼鏡で私を見ている人がいるのは間違いない。
少なくとも言えるのは、私自身が偉い人に「取り入った」覚えはサラサラないこと、また、親に高い能力を授けてもらっただけで歩いてこれた過去を鼻にかけるような言動は決してしていないことである。

嫉妬や羨望などという感情が高じて、ありとあらゆる手を尽くして攻撃を受けた経験は私自身何度もあって、しかしそれは攻撃している当人が、いつか私が自分を追い抜いて行くことを恐れ、つぶせるものならつぶしてしまおうという醜悪な気持ちを持っていることに他ならず、論ずるにも値しない。
しかし、私ひとり対集団となるとこれは本当に厄介だ。

事務方に回ってひと月あまり、全部で6人いる事務所、1名は終日不在、1名は私、残るは4名であるが、なぜかその4名が示したように同時に事務所から出てしまい私はひとりにされてしまった。
事務の経験はあるから、電話が鳴れば取るだろうし、来客があれば通りいっぺんの対応くらいはしただろう。
しかし、電話にしても来客にしても用件の内容については当たり前だがほぼほぼ全く分からない。
そんな人間を残して、示し合わせて、わずか15分ほどではあったがひとりにしたのには何か後ろ暗いものがあると思わざるを得ない。
明日そのうちの1名と終日行動をともにするので、冗談めかして聞いてみてもいいかもしれない。
嫌がらせ関係の経験値は異常に高い私だから、その時の反応を見れば考えていたことはあらかた分かると思う。
仕事始めの日をわざと伝えなかったくらいだから、だいたいの根性はすでに知れているのだが。

ミーハーが過ぎて

2019-01-13 21:23:07 | 休日
土曜の仕事を定時で切り上げ、週に一度の飲みは金曜に済ませていたので、昨夜はわりあい早い時間に体を休めた。
寝たのが早過ぎたからかは知らないが、今朝は休日なのにそう遅くもない時間に目が覚めた。
テレビではNHKの「さわやか自然百景」が流れていて、ちょうど当地愛知県の藤前干潟が紹介されていた。
8時前の15分番組に触発され、本当はゴロゴロするつもりであった今日を、テレビで見たばかりの場所への訪問にあてることにした。

まず行き方については少し考え、電車ならあおなみ線の野跡駅からすぐということは分かったが、平日はなかなかクルマに乗ってやれないので、少しこれまでとは違う道を選択して愛車を出すことにした。
経路の選択肢は山ほどある中で、地元でもよく使った手として「堤防沿いの道を行く」というものがあった。
名古屋近辺の道路地図を眺め、庄内川沿いを延々海まで南に下る県道を見つけたから行ってみたら、大都会名古屋にあって、片側1車線ながら信号が極端に少ない非常に快適な行程が実現し、自宅を10時前に出てから、ものの35分くらいで稲永公園(名古屋市港区)の駐車場に着いてしまった。

干潟に集まる鳥さんたちを見る前に、玄関口とも言えるビジターセンターを訪問。



建物の近くには、藤前干潟がラムサール条約に登録されたことを記した石碑があった。



対岸には写真の名古屋市南陽工場(取ってつけたような名前だがゴミ処理場)ほか、遠く鈴鹿山脈、名港大橋や周辺の倉庫群も見渡せる素晴らしいロケーションである。



写真はたくさん載せたいのだが、稲永側のお気に入りを2枚。





一度庄内川を渡って、今度は南陽工場にほど近い藤前側でも撮影。





あまり遅くなりたくなかったので、早めに自宅方向に取って返したが、絶好の撮り鉄スポットを行きの道中で確認できていたので、帰り道はJRと名鉄が近接する枇杷島付近で撮影を楽しんだ。

JRは名古屋〜枇杷島間、名鉄は東枇杷島〜西枇杷島間で撮影。







ここまで楽しんで自宅に着いたのは15時近く、まずはひと寝入りして、その後今日の写真を整理し、今こうして本欄を書いて、済んだらもう明日に備えるだけである。
貴重な休み、本当は一日何もしないつもりでいたところ、テレビで出ていた場所にすぐに行ってみようというミーハーもいいところの行動となってしまった。
先週の反省もあり、土曜夜も早めに休み、今日も早々に自宅に戻って昼寝もはさむことができたから、明日以降の長い一週間も大丈夫だろう。
インフルエンザや風邪が大はやりしている中、しっかりと自分の体を管理して仕事に穴を空けないようにしていきたい。

静かに

2019-01-12 19:30:09 | 日記
1月は、あと2回ある土曜もいずれも出勤である。
いわゆる「カレンダー通り」ではなく、休日月間◯日という縛りの中で動いているため、正月を6日まで休んだ私にはもう土曜日の休みはない。
2月になれば、2月として定められた休日数を満たすようにスケジュールが組まれるので、絶対に土曜が休みにならないというわけではない。
地域に冠たる工場の敷地に入って仕事をさせてもらっていて、現場には昼夜のシフト勤務や三交替勤務をしている人もいるし、昼間専門の人でも毎日帰りは早くはない。
それを思えば、決められた縛りの中であっても朝起きて夜に寝られる役割にあるのだから、あれこれ文句を言ってはバチが当たるというものだ。

先週の週末は、ひさかたぶりの長い長い休みで、先週の土日は正月休みの終わりを惜しむように、いつもは早々に眠りこける私が日曜日のかなり遅くまで起きていた。
仕事始めだった今週、果たして疲れをためることにならないか心配ではあったが、月またぎ特有の仕事で多少戸惑った程度で、現状与えられている役割については遅れを出したり後日に持ち越したりはしていない。
とにかく仕事をためることが嫌いなので、できることは多少フライングぎみでもサッサとやっつけてしまわないと落ち着かない。

業種柄、また現場特有のプレッシャーその他もろもろあって、長く勤めている人が多いとは必ずしも言えないわが職場であるが、事務方にとっては人があまり頻繁に入れ替わると毎月まとめている書類をいちいち修正しなくてはならず、私程度のオフィス系ソフト初級者ではなかなか悩ましい場面も多い。
今日は土曜日ということで特別急ぎの仕事もなかったから、今後相次いで加入される予定の数名分をこれまで作ってきた書類に加えていく作業に没頭した。
なにぶん初級者なので魔法のようなコマンドは知らず、ひょっとすると見る人が見たらなんと原始的なやり方をしているのかと思われるかもしれないのだが、私の指導を担当している社員も私のやり方以上のことはやっていないようなので、確実な方法として時間はかかっても当面は続けていくしかない。
いずれは指導担当の手を離れ、私が主となってやっていくかもしれない仕事だから、多少時間を食っても一定の形には仕上げられるレベルに行かなくてはならないのだ。

事務方も現場も人が足らない中で、先進国では比較的ゆるい残業規制のもと、毎月時間的に「危なくなる」社員が少なくないのは事実である。
しかしながら、責任ある企業として、近々施行される新しいかつ厳しい法制度に対応できなければ社会から淘汰される方向に行ってしまう。
ザックリ言えば、何は無くともお客優先という時代から、まず自社の貴重な従業員を守ることを優先する時代になってきたということである。
会社としての危機感は相当なものと思われるし、私自身もやる仕事が今より増えていくことが予想される中、仕事のスキルとスピードを高めないとあっという間に限度に達してしまいそうな気がするので気を引き締めてこれからの仕事にあたっていきたい。
先週は外にずっと出ていたので、明日の日曜はゆっくり体を休める方向で考えている。

やってきたことだから

2019-01-10 19:15:13 | 日記
朝のスタートが早いとは言えせっかく人並み以上に早く自宅に戻れる生活なのに、晩メシ即横になって寝落ちというのはもったいないと書いた。
イヤでもただただ寝る前にある程度の時間を費やすこと、しかも自分が苦ではないこととなると、いきおい本欄の更新ということになってしまって、ここのところは久々の毎日更新となっている。

「昨日は眠れなかった、でも今日もがんばる。」
こんな20字程度の中身でもブログの一つのエントリーであることには変わりないし、gooだけでも200万を超えるブログが登録されている中、個々人が書く内容にいちいち首を突っ込む気はないし、そんなヒマはさすがにない。
私の場合は、始めた頃はけっこう短めに終わっているものもあるが、近年は字数にして1,000くらいが目安となっている。

なぜ1,000字くらいになってしまうかというと、かつて今は亡き超有名スポーツライターに師事していた時、毎回出される「宿題」の分量が毎回1,000字程度だったのである。
エッセイと言うには1,000字は短く、ぴったりハマる言い方とすればコラムくらいであろうか。
実家が取っている全国紙で言えば「編集手帳」あたりがイメージとしては近い。
毎回同じ字数の宿題が出ていたのも、同じ字数の中で毎回起承転結がしっかり付いた読みやすい内容を意識づけるためであったと記憶している。
その体験が強烈であったため、毎回1,000字くらい書かないと落ち着かないということになっているのだ。

毎日ではないにしても、毎回1,000字前後の中身が書かれたブログが冗長に過ぎるのかどうかは知らない。
私自身に落として、動画サイトで仮に見たいテーマがあっても10分以上となるとさすがに敬遠してしまうのと同じで、ダラダラと長い、しかも無名の人間のブログは今はあまり歓迎されない時代かもしれない。
ツイッターの140字あたりならサッと読み終えられていいのか、短くても日々の出来事を簡潔に積み重ねていったほうが発信力という意味では上なのか、などいろいろ考えてはみるのだが、10年以上同じペースでやってきたものを今さらバッサリやめる気もない。
ツイッターを訪れる人にも読んではほしいので、連携をきかせてリンクを貼れるようにはなっていても、反応があるのは親しい友人かごくごく近しいフォロワーさんくらいである。

そんな、単なる自己満足だけで続いているような本欄でも、ごくたまにだが「訪問者数」で200万分の2,000位くらいになるから世の中は分からない。
訪問者数が300ともなれば、gooブログでは間違いなく全国5,000位くらいにはなってくる。
普段20,000位あたりをウロウロしているものが急に5,000位を大幅に切ってくると驚くが悪い気はしない。
たとえ、検索エンジンのbotによる訪問が大部分であったとしてもだ。
普段でも「上位1%前後」に入っているのだから、そこは素直に喜んで、これからもノンビリと続けていくのがいいのだろう。

徐々に日が長く

2019-01-09 19:13:42 | 日記
最も昼が短いとされる冬至は毎年12月の20日を過ぎたあたりである。
それから半月以上が経過した今、わずかではあるが日が長くなったように感じられる。
まだ気象データ上は日の入りが17時よりわずかに前だが、例えば17時の瞬間の外の明るさを比べればやはり冬至やクリスマスの頃とは違う。
冬至を越えてからの1月2月は、12月より寒くはなるけれども、2月も中頃を過ぎれば春分も近くなり、18時くらいでも外は結構明るいはずである。
春を感じるには早すぎるが、日が長くなって来ていると感じられることは気持ちをほんの少しだけ高めてくれる。

1月は、長めの正月休みの絡みもあり、土日をすんなり休める日がもうない。
外出やレジャーの計画はいきおい日曜日オンリーのものにならざるを得ない。
街に飲みに出るにしても、土曜日は混雑がひどいので悩ましいところである。
自宅で晩酌という習慣を持っていない私は、誰かと話す機会のあるなしは別として必ず外で飲む。
その外が混んでいるのだから、「土曜日パワー」(=火事場の何とやらに近い身勝手な思い込み)に期待して金曜日に街に出るのも、日付が変わらない程度ならいいだろう。
土曜を何とか乗り切って、その夕方から日曜日いっぱいを休息か遊びに使えば何とか気持ちの切り替えはきく。

今日で仕事は完全に通常運転に戻り、段取りよく進められれば一定の空き時間も作れる状況である。
誰が見ているか分からないし、現場からは乗り物のエンジン音が間を置かず聞こえてくる状況では、いかにも手すきという風情では失礼だ。
現場は現場で日々膨大な書類が作られているし、時には残念ながら全国の支店のどこかで事故が起きたことなどを知らせるメールを目にすることもある。
そういった連絡はえらい人にはくまなく行き渡る体制になっているので私が何かをほじくり出してくる必要はない。
直接は現場に関わらなくなった今は、後方から支援する立場として日々安全に終わることを祈るのみである。

毎日毎日、朝にも弱く輪をかけていまだにヒトリモノの私が、会社という場所に重い体を引きずって出ていくには、無理矢理にでも「張り合いになるもの」を作った方がいい。
今は前の会社を辞める直前のような暗澹とした気持ちではないが、やはり仕事以外の楽しみがあるに越したことはない。
事実、前の会社での直近3年間のうち、2年半は「顔を見るのが楽しみな人」がいた。
その人が会社の命により当地を去ると知って以降、会社に出て行く支えのようなものを失った気持ちになり、果ては体調まで崩して長期療養という事態にまでなった。
復帰したところでその人の姿はなく、周囲からは誰からもまともに相手にされなくなって完全にやる気を失い、昨年の10月某日をもって辞めたのは何度も書いている通りである。

身勝手な思い込みでもいい、相手に知ってもらえなくてもいい、客観的にも無理ということでもいいので、この重い体を毎日会社まで引きずり出してくれる何かを、仕事のやりがい以外でも求めたい。
同じようなリズムで流れる毎日、少しは心に春を感じて過ごせる分には、誰にも迷惑はかからないのである。

通常運転

2019-01-08 18:47:31 | 日記
月の初め、また仕事始めであった昨日は、月またぎ特有の仕事があった。
事務方に回って初めて月をまたぐので、当然ながら初めてやる仕事もあり、指導担当の手をずいぶんわずらわせることになった。
覚えの早い遅いはあまり気にしていないが、早く覚えるにしても誰にも何も教えてもらわないで何かを覚えられることなどない。
今さら会社の中でアピールするような年齢でもなく、先回りして考えすぎて結果仕事が遅れるより、分からなかったらすぐに人に聞いて解決してしまう方がよほど早い。
壁があるわけでもなく、聞かれてわざと教えない人もいないのだから、たとえゆっくりではあっても何らかの蓄積があったと思えればそれでよい。

今の役割になってから、会社の中ではより多くの人の顔を見るようになったと書いたが、年末の忘年会で同席した人の中には、雑談を振ってくれるようになった人もある。
話の中身となるとあまり大きな声では言えないようなことではあるが、同じ会社でいろんな話ができる人が増えて損なことは何もない。
飲まされるのは嫌いだがお酒の席は嫌いではないので、わずかな機会ではあっても出ておけば何か実になることは必ずある。
新年会なるものは果たしてあるのだろうか。

今日は、だいたい通常の流れに戻り、忘れていそうな部分は思い出しながら何とか乗り切った。
昨日の仕事が押して今日に倒れた分に多少時間を食われたが、仕事をためるのは好まないのでひと思いにやっつけ、明日以降は完全なる通常運転に戻る。
ある意味、何でも屋としての役割も担う必要がある中、またこれから依頼される事柄も増えて来そうな状況で、現在の仕事量で毎日遅くなっているようではさすがにまずい。
さしたる業務もないのに無駄に会社に残り、結果的に利益を食いつぶすのが会社員として最もやってはいけないことなので、早く帰れる時は遠慮せずに帰ることにしている。

今の環境に完全に慣れたかと言われれば簡単にそうだとは言えない段階ではあるが、朝が早い分、夜に自分の時間を多めに取れるのだから、晩メシ即寝落ちなどというもったいない過ごし方をしないで、本欄の更新にあてる(45分から1時間)なり、年末に買ったのにまだ読んでいない本を読むなりすればいい。
毎日が疲れゼロということはなくても、夜の6時か7時に横になってしまうのは、いまどき小学生でもないだろう。
何となれば、ほったらかしになっている小さなキーボードを引っ張り出して練習したって、誰にも文句は言われないのだ。

自分の時間は誰が見張っているわけではない。
好きに使っていい時間の中で、少しずつでも何かを積み重ね、今年が終わる頃には一つの段階に達するようなことがあれば最高だ。