blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

9月を振り返って

2015-09-30 20:24:46 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
10月1日付けの異動だが、まだ体は富山にいる。
自室の中はキレイとは言いにくいがだいぶ片付いた。
土曜に大きなものを業者さんに預け、その後私自身も現地に移動する。
日曜には荷物が新しい住まいに着く段取りで、月曜から勤務に出る。

5月の終わりにストレスから体調を崩して休みに入って、今日まで本当に長かった。
9月に入り方向を与えられたので、過去のイヤなことは忘れ、新しい気持ちで努力するよりほかはない。
こんな人間のために尽力をしてくれた部署の方々には感謝申し上げたい。

きっと、決める立場の人間の中では「いろんな意見」はあったと思う。
自分のようなケースは全社的に時々あるとはいえ、労働力を提供できない人間の扱いは会社という組織にとっては正直面倒だ。
こんな人間クビでいいじゃないか、という意見もあっただろう。
そういう意味では、決して誰もが納得している措置ではない。
私も好きで倒れたわけではないが、会社の温情がかなり入っていることを心に留め、時間がかかっても「今回はこれでよかった」と思ってもらえるようにするよりないのだと思う。

9月だけの話をすれば、やはり方向が決まった後で気分は落ち着かなかった。
シルバーウイークくらいは遠出をしてもよかったのかもしれないが、そんな気分にはなれなかった。
日中のほとんどは、狭い自室の整頓にあてた。
けっこう思い切って捨てたものもたくさんあるが、こういう引越しのような時でないと、ひと思いにモノを捨てることはなかなかできない。
次の土地もどれだけいるか分からないわけで、常時できるだけ身軽にしておくのがいいのだと思う。

繰り返しにはなるが、今回環境まで変えてもらって引き続き在籍できることには感謝の気持ちしかない。
ただ、そればかりを考えすぎて余計な重圧を感じてはよくない。
自分に与えられた目の前のことをしっかりとやっていくことがまずは第一だ。
人間、悪いことばかりは続かない。
この一年のつらい出来事が「ちょっとした不運」だったといつか笑って言えるようになりたいと思う。

自分の世界を持つこと PART2

2015-09-27 22:55:41 | 休日
今週の後半は、次の勤務地に出向いていた。
最初は勤務先に行って現地の産業医さんと面談をした。
もちろん私に関する資料は持っていたが、どのような経緯で不調になり休みに入ったのかはあらためてこちらから話した。
地元の主治医と言うことは同じで、体が一番であること、また今後は少しでもおかしいと思ったら周りの人に伝えるようにとの指導があった。
過ぎたことは忘れ、会社をクビにもならず新しい環境が与えられることに感謝し、気分を変えて臨んで行かなくてはならない。

その後は、会社が紹介してくれた業者さんに複数会って住まい探しをし、首尾よく使いやすい物件にめぐりあった。
スケジュールはまだはっきりしないが、こちらでやれることは終わって後は会社側の段取り待ちである。
名古屋という大都会に近いとはいえ、当地そのものはどこにでもある中堅の都市だ。
住む分には絶好、しかし車がないとまともな生活は難しいと感じた。

さて、知らない土地で忙しくした反動か、土曜は自室で休むばかりであった。
それでもさすがに夜は街に出たくなり、行きつけの居酒屋さんに入った。
いつものメニューを頼んで飲んでいると、となりに座った若者から話しかけられた。
県外の学校を出て地元には帰らずひたすらとある資格のために勉強を続けてきたようだが、地元に最近帰ってきたらしい。
勉強をあきらめて地元に帰ったのではなく、今でも定職には就かずにアルバイトをしながら勉強を続けているということだった。
家族などとの葛藤もあったと想像するが、何とか理解は得られており、資格取得の折にはいわゆるマチナカを元気にしていく活動に役立てたいと話していた。

人生は本当に一度きりで、悔いや恨みを残してこの世を去りたくはないものだ。
いつ終わりが来てもというとオーバーかもしれないが、せめて思いつくことは挑戦をしてみたい。
地元の素晴らしさは人並み以上に感じてはいるしそれはずっと変わらない。
しかし、地理的制約から挑戦をためらっていた事柄もいくつかある。
今回、三大都市圏の一つに近い場所に拠点を置くことになるので、仕事とは別の部分を極めるのにはいいチャンスだ。
まずは仕事と生活に慣れることが第一だが、オフにゴロゴロしているだけではもったいない土地に行けるのだから、あふれる選択肢の中から適切に判断をして、ひとりの人間としてさらに厚みを増すことができれば最高だ。

自分の世界を持つこと

2015-09-22 19:53:19 | 休日
安保法案の成立は9月19日の未明だった。
政策の大きな転換点だからと、飲み以外では夜更かしができない私も成立の瞬間まで見届けた。
その翌日にあたる20日の未明に、ラグビー日本代表が南アフリカ代表を破る快挙。
粗暴で幼稚な野党の振る舞いにイライラしながら法案の最終局面を見るくらいなら、同じ夜更かしでもラグビーのほうにすればよかったと後悔した。

さて、昨日夜は帰省してきていた高校の同級生が地元魚津で飲み会を開いてくれた。
しょっちゅう帰ってきていることや普段の生活はオンライン上では知っていたが、オフラインで会うのは高校卒業以来だった。
大きな同窓会はちょうど5年前に魚津市内で催されたものの、彼はそこには出席していなかった。
3名で始まった会は、後半で1名増えて4名となり、19時からの楽しい時間はあっという間に22時を回ったのであった。

わざわざそういう機会を作ってもらえたのも、私が10月から新天地に行くことが決まったからだった。
そういえば小欄では新天地がどこなのか書いていなかった。
9月の初め頃に発表があり、愛知県内の製造所で働くことが決まった。
事務方として富山市の真ん中に移ってわずか1年で職場が変わる理由は、これまでもさんざん書いているので繰り返さない。
心機一転の再スタートには一度富山を離れてみたら、という話も行き先を詰めていく中であったのは事実であり、その結果県外へ行くことになった。
もし行き先が県内であったとしても、住まいは富山市を離れて勝手知ったる魚津に戻ることを考えていた。
土地として嫌いなわけではまったくないが、結果としてつらい目にもあった富山市とは、近い将来離れる運命にはあったのだと思う。

行く前の今の時期がいちばん不安で寂しいものだが、幸い現地近くには旧友がいる。
また、昨日の飲み会では名古屋ベテランの人間もいたので、会の中でいろいろと土地柄については教えてもらった。
新しい職場に行けば新しい出会いもあり、今感じている不安も徐々に解消されていくと信じている。

昨夜の話の中では、小欄が思いもよらず昔の同級生によく読まれていることを知った。
下手な小説よりも面白いなどとずいぶん持ち上げてもらったが、私自身はあまりフィクションの世界に触れない人間なので、下手な小説がどんなものかが分からない。
かれこれ8年半、誰の強制も受けずにダラダラと駄文雑文を書き続けているのも、日頃のウザウザの解消のため、もう一つは「苦ではない」という事実、それだけである。

やれと言われなくても自分からやれることに、もはや中年となった今からでもより楽しく生きるヒントが隠されているかもしれない。
生活のための仕事は誠実にこなしながらも仕事とはまったく別の世界を持つことは、職業人を終えてからの時間も長くなった現代では重要なことだ。
背伸びなどしなくてもいい、無理をしないで自分のペースでやる中から良いものが生まれる。
結果として、新しい出会いがあったり違った世界を感じることができたりするのなら大変素晴らしいことだと思う。

あらゆる手段とは?

2015-09-17 23:08:07 | 日記
安保法案に反対してきた野党が言う「あらゆる手段」とは何なのか。
昨日は委員会の開催を人垣で妨害し、今日は委員長不信任動議からのフィリバスター(不必要に長い演説をぶつ)戦術、それが否決された後は委員長席になだれ込んで採決を妨害。
平和だ護憲だ人命だと騒がしいわりには、やっていることはずいぶんと子供じみていて暴力的だ。
これでは野蛮人と何ら変わりがない。
今日の採決は生中継されたようなので、「お里が知れる」ということになり、かえってよかったかもしれない。
彼らの後にいて彼らの背中を押しているのは、日本人ではなく異民族であるということが全国に知れわたってくれるなら、今日の騒動にも意味がある。

この時間は参議院の本会議が始まったようだ。
委員会で可決され、与党が勢力でも多数を握る以上、法案の成立は事実上決まっている。
いわゆる60日ルールに頼ってもいいのに、あえて参議院でもきちんと議決を経ようというのは、やはり戦後の安保体制の転換という重要事項であるからにほかならず、与党はわざわざ面倒な道を通っている。
反対派である野党にとっては、そのおかげで「あらゆる手段」を使う機会を与党からもらったのだから、閣僚の問責決議案でも内閣不信任決議案でも何でも思う存分やればいい。
深夜になろうと、未明になろうと、やったところで自分たちの支持率が下がるだけだ。
もとより、くだらない時間稼ぎにも歳費が出ていることに思いを致すような連中ではない。

今回はいつにも増して左派勢力の「必死」なところが見えて興味深かった。
一介の大学生が一国の首相をバカ呼ばわりするとか、かりそめにも有識者や知識人と呼ばれる人間が罵詈雑言を撒き散らして抵抗するとか、結局思い通りにならなければ頭に血が上って分別も付かなくなる人たちだということが、分かっていたつもりだったが確信になった。
日本が少しずつでも「独立国」へ進み始め、静かなる国民の意識が変わり始めた以上、彼らの存在意義はやがてなくなる。
今日がその分水嶺になったのは間違いがないのである。

お互い様な話

2015-09-13 23:02:10 | 休日
先日、自宅近くの大企業の正門にノボリを持った団体がいた。
どうやら、先の大戦前後の「強制労働」とやらを蒸し返すような主張を持って集まっていたらしい。
そこに大音量の街宣車がやってきてその団体に対して挑発行為を働いていた。
日韓の戦後補償に関しては50年前にチャラになっているはずなので、いまさら企業に圧力をかけて何か利益を得てやろうという動きは論外だ。
街宣車の人間が言っていたことはその点ではまことに正しい。

しかし、事情をよく知らない市井の人間にとっては、うるさいクルマが来たとしか思えない。
近隣には学校や保育園も多い。
愛国を叫んではいるものの、かなり野蛮な言葉使いもあったのは事実で、あれではかえって「国を愛する人々」のイメージが悪くなるのではないかと思う。
一説には、いわゆる街宣右翼というのは保守思想や愛国心を単なる隠れ蓑にしているだけで、裏社会とのつながりも噂され、本当に日本人がやっているのかという話すらある。
となれば、白昼堂々、右と左でケンカをしているように見えながら、実は身内どうしの「プロレス」だったのかもしれない。

そんなイヤな場面もあった週末ながら、次の環境に向けての身辺整理が進んできた。
もともと一人で住むにも最小限と言えるような部屋なので、少し時間をかければみるみるうちに片付いていく。
しかし、あと半月程度は生活するから大きなものはそのままだ。
まだ次の住まいの場所や広さが分かっていないから、週明け以後にはなるべく早く連絡があるといい。
残すか捨てるか迷っているものの踏ん切りをつけられれば、準備ももっと進むだろう。

思いがけず体調を崩すなど、ここまではまったく順調さを欠く年になっているが、生活の拠点や基盤が失われたわけではない。
今日までの間に次の部署は決まり、いずれ住む場所も判明し、新しい生活が始まる。
ひどい災害に遭って家すらなくしても必死で立ち上がろうとしている人々がいるのに、自分程度のアクシデントで落ち込んでいるのは失礼だ。
一人で自室にいるとどうしてもあれこれと考えすぎる。
出られる範囲で外に出て、他人と話す機会を多く持ち、ムダな不安を抱えないように日々過ごしたい。

驚きとイヤな話と

2015-09-10 23:36:54 | 日記
今回の関東地方を襲った大水害は、台風18号が日本海に抜けてから、またその進路からはずいぶん離れた地域で起こったことに驚きました。
台風18号の進路であった愛知や静岡で大雨になったのは不思議ではないとして、そこから変わった温帯低気圧が、太平洋上にある台風17号や秋雨前線を刺激して関東に大雨、と解説されても素人にはピンとこないほどの出来事です。
またわが国に被災地と被災者が増えてしまい、ただただ胸が痛みます。
一瞬にして住む家などを失った方々の気持ちは推し量るに余りあります。

某SNS上での情報ですが、常総市の役所に聞いた話としてイヤな内容が出ていました。
鬼怒川で決壊した堤防の近辺は、太陽光パネルの設置事業のためにかなり高さが削られてしまった経緯があるようです。
当時は当時で大義名分があってのこととは思いますが、どの時代にどういった進められ方をしたのか。
急ぐ必要がなかったかもしれない事業のために被害が拡大したとするなら何とも皮肉であり一部は人災とも言えます。
今は当然ながら救助活動優先、しかし事後にはしっかりと検証がなされるべきと思います。

一部マスコミのヘリが、救助ヘリに近づきすぎてジャマになっていたという話もありました。
最低限の振る舞いもできないで、ただただ他社よりも「使える」画像が撮れればいいというのは本末転倒もいいところです。
局によって財力に違いはあるかもしれませんが、むやみに現場に近づかなくてもいいような撮影機材が揃えられないものでしょうか。

わが国は災害が多く、どこにいるから安全ということはありません。
月並みですが、日頃からもしものことを考えておくのとそうでないのとでは、イザという事態を乗り越えられるかが変わってくるのかもしれません。

フォークリフトに乗りたい!!

2015-09-08 22:16:24 | 日記
土曜に行った富山刑務所の中にはフォークリフトが2台見えました。
当日はよさこいグループの演舞もあり、観客用の日よけに使う幕を固定する役割に使われていました。
もちろん本来の役割は、収容者の職業訓練のためです。
昨日の地元紙には、就労支援のためにハローワークなどから人を呼んでの説明会も行っていくとありました。
一人でも多くの人が定職に就き、胸を張って生きていけるようになることを願ってやみません。

今日は写真を2枚載せます。
最初の写真は、高岡市内某店に置かれていたフォークリフトです。



時期としては今年の2月、職場的にはすでに事務方に変わって数ヶ月経ったところです。
普通なら写真を撮るようなものではないですが、人目が少ないのをいいことに操作系などを一通り眺めてから撮ったのを覚えています。
この頃は事務方での疲れがピークに達しようとしていて、「現場に帰れないかな…」と考えるだけで涙があふれそうになっていた時期です。
そんな思いが、使われているかも分からない古びたフォークリフトの前を通りがかった私の足を止めてしまいました。

2枚目はおまけ、オモチャのフォークリフトです。



これは昨年の3月にフォークリフト免許を取得してから後に買ったものだと思います。
他に格好のいいクルマのものもたくさんある中であえてこれを手にしたのも、自ら調べて申し込み、座学も含めて4日間の講習を乗り越えて取った資格に対する思い入れがあるからです。
思い入れという意味では、教師や上司に言われて何となく受けてきた英検やTOEICあたりとは全然違うのです。

昨年の秋、その、しかもずいぶん昔のTOEICのスコアに目を付けられて事務方に引っ張ってもらい得がたい経験ができたことは確かですが、何度も書いている通り結果的には行き詰まってしまいました。
今後は事務方からまた現場に戻り、フォークリフトなどに乗ったりすることも増えるでしょう。
1年間棚ざらしになっていた大切な資格を活かす場所が与えられて嬉しい気持ちでいっぱいです。
同じ場所にカムバックするのではありませんが、4年半もの間、おしなべて楽しく過ごすことができた前の現場での経験がきっと生きると信じています。

塀の高い場所で考えたこと

2015-09-06 22:24:48 | 休日
写真だけではすぐにどんな場所か分からないような撮り方をしました。
ヒントはやたらに高く分厚いコンクリートの塀、塀といえば…そう刑務所です。
この週末は、富山刑務所で「富山矯正展」という催しがありました。
富山はもちろん全国の刑務所で作られている刑務作業品の展示即売会で、毎年多くの来客があるようです。

私は土曜の昼間、初めて足を運んでみました。
駐車場と会場の境目に撮影禁止の看板があったので中の写真はありませんが、普通のバザール会場のように見えました。
売り場があるのは当然「塀の中」ではなく、事務所前の広場や武道場の中などでした。
私のような不器用な人間では何十年経っても追いつけない繊細で丁寧なつくりの製品ばかりでした。
もともと手先に覚えがあったのか、服役中に製作にやりがいを感じるようになったのかは分かりませんが、ただただ感心するばかりでした。

所内での更生や社会復帰、一般的マナーなどに関する啓発活動も掲示物で紹介されていました。
受刑者の、やがて来る出所の日以後の暮らしが少しでもいいものであるように地道な努力が行われていることを知りました。
犯してしまった罪の償いとして服役しているのは事実としても、服役者は決して悪人ではなく罪を償い社会復帰のために必死で前に進もうとしている人たちであり、職員の皆さんは日々彼らを必死で支えていることを数々の展示品が訴えているようでした。
わが国は法治国家で、罪を償えばもう一般人です。
過去の傷に必ずしも寛容でないわが国の現状ですが、本当に更生した人が先入観なく受け入れられる社会になるといいですね。

復帰、という話ですが、私の今後の行き先がようやく決まりました。
昨年秋からの担当では、外部的なストレス要因は確かにありました。
しかし、どんな理由があろうと、周囲になじめず結果的に会社を長く離れたことは自らの失敗でもあります。
大きな失敗の後、先が見えない不安、会社に見捨てられるのではないかという思いを何度抱えたか分かりません。
体は回復しても気持ち的にはつらい時期が長かったのですが、最近になり新天地での再スタートを切るチャンスを与えられてホッとしているところです。

受刑者が出所する時、二度と刑務所には戻らないと誓うように、私は二度と同じ原因で長く休むことだけはしてはいけません。
能力と希望をくんで新しい環境を用意してもらったので、まずは環境に少しでも早くなじむことを目指します。
仕事に自信をつけて少しでも恩返ししていって、せめて終わりの3ヶ月だけでもいい年だったなと言える2015年になればと思います。

久々にタバコの話

2015-09-03 23:23:52 | 日記
タバコをまた吸わなくなって半年以上が経ちました。
もちろん夏前からの体調不良の問題もあってそれどころではなかったのは事実です。
ただ、ほんの一年近く前まで、現場で働いていた頃は、わりあい休み時間にも吸っていました。
喫煙できる場所が自分の持ち場に近く、話し相手も気の合う先輩だったのでついついという感じでした。
昼間も吸っているくらいですから、夜に飲みに出ればけっこうな本数をなくしていたものです。

去年の秋に事務方に回ってからもタバコは吸っていたのですが、ある時期から遠ざかってしまいました。
というのも、タバコを吸うためには建物の一番下まで降りなくてはならず遠くて面倒なのに加えて、喫煙場所そのものがまるで嫌がらせのようにコロコロ変わり、悪いことに変わるたびにどんどん劣悪な環境になっていったからです。
私はタバコをパタッと止めてもイライラなどの禁断症状は起きないので、吸うのが面倒な環境が幸いして自然に吸わなくなっていったという感じです。

今までさんざん喫煙者の時期がありながら今は吸っていないので、困るのは使いかけのライターの扱いです。
必要なわりにはつい持ち歩くのを忘れてコンビニで買い、忘れてはまた買いの繰り返しでいつの間にか数がたまってしまいます。
ガスが残ったままゴミに出してしまうと処理場での火災や爆発につながりますので禁じられており、富山市では使い切って穴を開けてから不燃物として出すことになっていたかと思います。

しかし何十本もの使いかけのライターを普通に使い切るには気が遠くなるような時間がかかるでしょう。
手っ取り早い方法を動画やブログであげている人がいたので見てみると、手際よくやって1本あたり3分程度で済む方法がありました。
具体的にはまず本体を破壊しなくてはならず真っ当な方法とは言えませんが、公園などの火の気のない屋外でやることを前提に試す価値はありそうです。
数がたまりすぎて捨てたいのに捨てられなくて困っている方は「使い捨てライター 捨て方」あたりで検索するといいです。
ただし、自己の管理のもと安全には気をつけてやってください。

そろそろ身の回りの整理を考える時期になっていますので、厄介なものをサッパリ捨てられたら嬉しいですね。
最近はダンシャリなる言葉も聞かなくなりましたが、日頃から心がけてできるだけ身軽になっておくに越したことはないと思います。