blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

2月を振り返って

2017-02-28 19:38:53 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
一年でただ一つ28日間しかない月ではあったが、遠出も含めて得難い経験もでき全体には充実していたと思う。

仕事の面では、特に求められるものも変わらないので、精度やスピードを上げることを心がけた。
モチベーションの低い人、ついで使いが天才的に上手い人など、周囲に関する悩みは尽きないが、幸い日々の積み重ねが功を奏してか不必要に追い詰めるような人間も現れず、不当な攻撃も受けていない。
仕事ぶりにどうも穴が多く、たまにならいいがそれが繰り返しになってしまう人はどうしても軽く見られてしまい、当人の間違いや手違いではないことでも周囲から声がかかってしまう。
実際には私や他の人の間違いでも真っ先に当人に声がかかるのは、残念ながらこれも日々の積み重ねで今ひとつ信用が薄くなっている証左であり、職場を生きていく上ではやはり実力をつけてある意味「武装」しておかないと大変だということである。

プライベートは、短い月ながら第1週の週末には北海道へ飛んで札幌市内の雪まつり直前の様子や余市町にあるニッカウヰスキーの工場など狙っていたものを押さえ、19日の日曜には好天を利用して愛知県の渥美半島の突端である伊良湖岬まで足を伸ばすこともできた。
これらの行動が当たり前のようにできなかった時期のことも考えると、やはり人間元気でなくては何も始まらないと痛感するとともに、今の健康に重々感謝しなくてはいけないのだと思う。
3月は今のところ遠出の予定は立てていない。
サッカーは先日開幕しプロ野球も月末には始まるからスポーツ観戦がらみか、当地の桜は3月下旬と北陸よりは早いので、今から近場でもいいから名所をチェックしておくのもいいだろう。

今年に入り1月2月は飲みに出る回数がかなり多くなってしまったので、3月以降は修正をしたい。
お店に出て行って飲んだり楽しんだりするのはいいが、本当の意味で満たされるわけでは決してない。
相手にしてもらえるのが当たり前の場所に行って相手をしてもらって喜んでいても意味はなく、人間的な中身は成長しない。
ストレス発散もいいが、気持ちの逃げ込み場所は多すぎないほうがいいようだ。

さて、1月は飛ばしてしまったベストショット、2月はその分もまとめて二枚。

あまりにも有名な札幌市の時計台。
撮ったのは朝方、適度に逆光が入ってスッキリした写りになった。



もう一つは伊良湖岬近くにある恋路ヶ浜という砂浜。
今の住まいは案外海まで遠く、貴重な機会として残したかった。



3月といえば、暖かくなるのと同時に花粉も多く飛び始める。
私は苦しい期間は短めだが、マスクをすれば視界が狭くなり、くしゃみ鼻水ともなれば気が散るから、仕事の上では安全の面でよろしくない。
花粉症ごときで大ポカなどしないよう、できることはしっかりやって乗り切りたいものだ。

土曜も

2017-02-25 19:56:08 | 日記
今日は久しぶりに土曜出勤があって半日少しを手伝った。
チームの仕事に加え、自分の担当にからむ宿題を金曜にどっさりもらっていたため、時間には余裕があるようであまりなかった。
必要最小限の人数の中、作業場をあちこち行ったり来たりしているうちに所定の時間になったので仕事を終わって自宅に帰った。
とりあえず区切りのいいところまでは仕事が進んだので月曜以降の心配はない。

私が所属するチームもそうだが、別のチームでも毎週のように交代で土曜などに出ているところがあって、これに関しては頭が下がるの一言である。
個人に落とせば実益を兼ねていることは事実でも、貴重な休みを削って会社に出てくれるのだから感謝しなくてはバチが当たる。

私は普段土曜はメッタに出ない。
無理して出なくても、毎週でも出たい人(土曜メンバーとでもいうのか)で頭数が足りてしまうことがほとんどだから、お願いされることすらこれまではあまりなかった。
今回お願いされたのは、土曜メンバーのうちの1人が出られない予定だったからである。
今週は当事者は遠出をして楽しんでいるようなので、そこは誰かがカバーしなくては筋が通らない。
急な話ではなかったし、どうせ家で寝ているよりはと気楽に参加したまでである。

わがチームは残業や休出が多い人とそうでない人の差が極端な現状があり、いずれ「平準化」の名の下に土曜出勤などをお願いされることも増えるかもしれない。
私は医師のアドバイスもあって、自発的に実益目当てで毎週土曜も出勤、というのはやりたくなく、あくまでもお願いがあった時に、しかしその時ははなるべく断らずに前向きに協力しようと思う。
毎週出てくれる人がいる中で、たまの機会にすら「お互い様」がきかないとなると集団の中では肩身が狭くなる。
平日の仕事でも、担当違いの仕事だからとソッポを向いていたらいい顔はされない。
両手に満たない人数のわがチームにあっては、誰もがいろいろなことができて、人が欠けた時にも難なく回るくらいになるのが理想だ。

今週は人繰りが十分でない中、一日余分に出てさすがに今の時間は疲れている。
木曜まではもちろん、金曜も夜の外出を抑えて今日に備えたが、土曜の今日はやはり月金の疲れからかやや我ながら精彩を欠く場面があった。
明日はひたすらノンビリするのも一つの手だが、幸いにしてマチナカに出る予定が一つだけある。
これがなかったら、職場と自宅の単純往復を二週間続ける形になるところだったから、ちょうどいい気分転換の機会として有り難くいただくことにしたい。

かまってほしい人の話

2017-02-22 20:18:06 | 日記
かつて富山の職場にいた頃に不思議だなと思ったことがあった。
男性が2人いて、年は10歳ほど離れている。
休み時間には決まって一緒につるんでいて、プライベートでは食事や飲み、加えてお互いに好きなゴルフにもよく行っていた。
これだけなら職場の仲良しさんということで何の問題もないように思えるが、実のところ2人は仲良しさんでも何でもない。
片方は相手を指して「人間的には好きではないな」と言っていたし、もう一方の人に至っては「あのクソおやじが」などと、にわかには信じられないような言葉を吐いていた。

お互いに嫌いなのになぜ一緒に行動をともにできるのか分からなかったのだが、ある日その謎が解けた。
この両人は、それぞれ「自分をかまってくれる」存在として相手を見ているだけなのであった。
自分のことを嫌っているな、大事とまでは思っていないなとうすうすは感じていても、ひとりでいる寂しさよりはとりあえずでも話し相手になってくれることに安心する気持ちの方が勝ってしまう。
自分を相手にしてくれることだけがお互い一緒にいる理由であって、相手への尊敬などはひとかけらもない、実に身勝手な感情に支えられた薄っぺらい関係なのである。

当地に来てからも同じような光景はよく見かける。
表向きの振る舞いは富山の2人とは微妙に違うが、こちらの2人もやはりプライベートをともにする機会は多いし、仲良しさんに見えないこともない。
しかしお互いを本当に尊敬している関係かと言われれば、この1年以上観察して来てやはり互いにぶら下がっているだけの関係にしか思えない。
「かまってほしい人」というのは、土地が変わっても一定数はいるものである。

もう一つ重要なことは、かまってほしい人は、かまってほしいが故に虚言や妄言が多かったり、少しでも周囲に話題にしてもらおうとわざと他人とほんの少しだけズレた行動をとったりする。
毎日のように繰り返される、わざとらしくウソくさい言動に対して周囲は本心では反応などする気はないのだが、無視されているように感じると時に感情をあらわにして「誰も聞いてくれん」などとヘソを曲げてしまうから余計に疲れる。

私自身も本当に自分に自信が持てていない年代(20代くらいまで)は、主に同級生で構成される「群れ」から離れるのが怖くて、いろんな会には呼ばれるまま誘われるまま行っていた。
食べ物飲み物を持ち寄って大勢でくだらない話をしながらウダウダするのはそれはそれで楽しい部分はあったが、自分自身がその集団になじんでいると感じたことはあまりなかった。
単なる人数合わせでいるだけかもと感じても、その時分はその群れの外に弾かれるのを極度に恐れていたと思う。
そうでなければ、深酒をして幹事役の自宅で一夜を明かし、目が覚めて240円を渡され「ニッカン2部買ってきてくれ」とパシリのようなことをさせられても直接には反発できなかったことが説明できない。

今は決して裕福ではないながら、30代全般にわたる雌伏の時代の経験もあり精神的に少しは成長できたので、望まない場所に無理をして顔を出すようなことはなくなった。
職場でも、昼食は「ぼっちめし」だし、仕事を離れた場所で話ができる存在もいるかいないかというレベルだが、特別寂しいと感じることはない。
群れに紛れていなくても心は満足できているということであり、足らないものがあるとすれば、鉄分や塩分のような栄養素に例えれば「女性分」といったところか。
若い頃に比べれば、度重なる投資(?)のおかげで壁のようなものはなくなりつつあるし、そろそろこちらも成就すれば当面は「何もいらない」くらいに感じられるのではないかと思っている。

信じたかったが

2017-02-21 20:33:27 | 日記
今朝は早い時間から大きなトラックが次々にやってきた。
目的はいろいろあるが、今日は特に入る荷物が多く人手がけっこう必要な時間帯があった。
そういう時はチームほぼ全員が出てヤイノヤイノ言いながらやっている。
おしゃべりは多いが手が動かないわけでもなく、人数がかかっている分くだらないことを言いながらもいずれ作業は終わっていくので、様々な仕事の中でもギアを上げる必要はあるが楽しくやれる部分もある。

こういう楽しい時間なのに、本欄にたびたび登場する「あの人」はまたしても参加しなかった。
後工程から頼まれごとがあると一も二もなくそちらを優先し、チームの仕事はほったらかしにする。
今朝は珍しく始業のチャイム前から動き出したと思ったら、やはり後工程への資材の運搬で頭がいっぱいだったようだ。
これだけならいつものことだが、今日は資材の中にダブルチェック(通常は私と当人でする)を行ってから渡すべき、しかし私はチェックした覚えがないモノがあったのでそれも運んでしまってどうするつもりだろうと思っていた。

荷捌き場での作業も落ち着いたので、ルーティンワークに戻った。
ルーティンの場所では当人がせっせと作業にかかっていたが、当の資材はすでに後工程に渡っていた。
当人がいつまでたっても無言なので「○○はダブルチェックした覚えがないがどうやって渡したのか?」と尋ねた。
すると当人は、あろうことか当人単独でチェックをして形式だけ別の人間にサインをもらったとシャアシャアと言ってのけた。
もともとやる気に欠けるとは分かっていたが、定められた手順を堂々と無視して、それを指摘されてなおヘラヘラしているのには心底あきれた。
もちろん大事な話なので、当人には「要報告事項ですね」と言って、実際にチームの上司にも伝えた。
その後何か言われたのかは知らないが、少なくとも私にとって当人は「前科者」となったわけで、この先イヤでも協力は必要とはいうものの気持ちよく付き合える関係ではもはやなくなった。

合併前の旧組織とはいえ一時は管理職まで張った人間が、一定の年齢を超え雇用形態も変わり給料も落ち立場も変わったらこうまでグズグズになるものなのか。
富山にいる時に私を育ててくれた「師匠」は、もともとうるさ型という本人の性格はあったにしても、いったん年齢的な節目を迎えて雇用形態が変わった後も仕事に対する情熱は変わらなかった。
私は単なる表面的な肩書きや立場で一緒の仕事場にいる人を判断しない。
当地で一時は重い責任も背負いながら仕事をしていたであろう当人が、現在は仕事方面のプライドはすっかり消え失せ、私のような変わり者から少し突き上げられただけでヘソを曲げられ時には八つ当たりまで食らうとなると、これはもう当人のいかにも「幼い」本質が明らかになったと言わざるを得ない。

スポーツ観戦など共通する趣味もあって当初は最も親しくできていた人物を今後も信じていきたかったが、最近ではウソも平気で言えることも判明してしまった。
仕方がないので今後は「軍事衝突」だけは避けて、とにかく仕事が回ることだけを考えながら付き合っていくよりないのだと思う。

われは海の子 PART2

2017-02-20 19:58:18 | 休日
昨年の5月に知多半島の先端、羽豆岬まで行ったことを書いた。
愛知県にはもう一つ渥美半島というものがあるから、コレクション癖のある私としてはその先端にある伊良湖岬にもいずれ行ってみたいとひそかに計画を練っていた。
日曜は早くに目が覚めたこともあって、車検明けのクルマを連れ出してノンビリと向かうことにした。

私の住まいからだと渥美半島の先まで行くには知多半島よりは距離も長いし当然時間もかかる。
ただ、当日は国道1号も23号も流れは悪くなく豊橋市までは苦もなく着いた。
豊橋から先の渥美半島は未知の世界、北側を国道259号、南側を国道42号が走っているが、いずれも一本道である。
23号から259号に入ったが流れが今ひとつ悪く、早々に県道2号に流れて三河港大橋を通るルートに入った。
ここがスムーズだったのが大きく、259号との合流地点はもう半島の先までわずかのところであった。

クルマを道の駅にとめて、まずは伊良湖岬の灯台を目指した。
灯台までは海沿いを歩いていってもいいのだが、岬のそばの丘に入って遊歩道からあえて少し高いところからの景色を楽しんだ。
灯台の近くまで来ると急な階段があってそれを下りると目の前に灯台が現れた。
何は無くともここが目的地だったので、角度を変えて何枚も写真を撮った。







灯台から東側に歩くと、恋路ヶ浜という砂浜が見えてきた。
海もさることながら、久しぶりの砂浜にも心が洗われた。
海が見えることが当たり前の土地で生まれ育ったから、海を見るとやはり気持ちが落ち着く。
「われは海の子」をあらためて実感することになった。
それにしても、最近はどこへ行っても「幸せの鐘」のようなものが増えた。
楽しそうに写真を撮るアベック(死語)もたくさんいたが、人がハケたところで撮った写真が案外うまくいった。
そのすぐ横には菜の花がたくさん咲いていた。
黒潮の通り道はやはりひときわ温暖なのだろう。





急がない旅なので、帰り道は地図とにらめっこしつつ田原市の市街地に近い蔵王山に上がって景色を楽しむことにした。
山頂には展望台があってそばまでクルマで行けるのでラクだった。
展望台からはまさに360度のパノラマ、三河湾や豊橋港周辺の工業地帯も素晴らしいが、そこを振り返ると太平洋が見えるというのは細長い半島地形ならではであった。
遠目には富士山も見えたから、急な峠道を下手くそな運転で振り回して上がった甲斐があるというものだ。









未知の地域も含め往復300km近いドライブとなり、さすがに疲れて自宅に着いた途端に眠りこける有様であった。
今朝まで寝すぎるくらい寝ることができたので今日の仕事は何とかうまくいった。
今週は土曜日にも全日ではないながら出る予定があり、ペース配分が大切になる。
くだらないことでイライラなどしないようにできるだけ穏やかにいきたいと思う。

個人間の実効支配

2017-02-18 19:50:57 | 休日
前回はガラにもなくやや政治的な内容を記した。
法律や条約をどこからどう読んでも領有権があるとは思えないところに他国が割り込んでいるケースは我が国周辺だけのことではない。
こういう問題こそ国連の出番だと思っている人も多いかもしれないが、そもそも我が国で国際連合と訳されている「United Nations」は連合国と訳すのが本当で、第二次大戦の戦勝国(とされる)国々が主導権を握り、決して中立の組織ではないことには当初から変わりはない。
安全保障理事会の常任理事国(パーマネント5)の間で何か対立が起きれば、実質的には何も決めることができない。
我が国は拠出金ばかりを持って行かれて大した権限も与えられず、いまだに残る敵国条項の対象にまでなっている。
割りが合わないと言えばこれほどの話もないように思うが、こういったことは学校でキチンと教えなくてはいけないと思う。

さて、実効支配と言えば国と国のみならず、一般の個人レベルでも十分に起こりうる。
私が当地に来てから約一年半になろうとしているが、今年に入ってからは構内の機動力(フォークリフト)を使う機会が格段に増えた。
増えたと書くのは正確ではなく、自分で増やしていったと書くのが正しい。
限られた時間と仕事量の中で機動力に触れる機会を増やすには、他人の間隙をつき、時にはかすめ取ってでも機会を作るよりない。

もともと特に誰が機動力を使ってはダメとは決まっていないのだが、当地に来て数ヶ月は遠慮して他人に機動力を任せていた。
それが、どうも任せておくと体力を使う手作業には一切関与しないまま「運び屋」に終始してしまうことに気づいたため、それでは不公平だろうということで半分は私が奪うように機動力を使うようになった。
奪われた方はこれまでのリズムを崩されて当然不満はあるだろうが、直接の言葉で抗議されたこともなければ、上司を通じてどうこうという形もこれまではない。
すると、時間が経つうちに私が機動力を使う方に回っているのが当たり前のようになってきた。
今までの役割を奪われたと感じた方が直接不満をこちらに伝えないから物事が既成事実化して、今は私が機動力を実効支配することに成功してしまっているのである。
もちろんそれまでの過程で破損や落下などの大ポカをしていないからこそ今の状況があることも付言しておきたい。

プロの世界なのだから、役割がかぶれば奪い合いになるのは当たり前だ。
そうなった時、コミュニケーションを取って役割を分け合う形に落とし込むのが一般的なやり方ではあるが、私と対峙する当事者は他人に勝つことしか考えないプライドの高い人物である。
心の内に潜むイライラは時に「モノにあたる」という幼稚極まりない方法で発散されるだけで、自らの動きを改善して当方と対峙しようとはまったくしないのである。

職業人として、私自身もいつ同じような目に遭うか分からない。
周囲と仲良しさんになる必要は全く感じていないので、感性を研ぎ澄まして余計な口出しや嫌がらせを許さないような緻密な動きができるように日々の健康にも十分留意していきたいと思う。

実効支配を破るために

2017-02-14 20:16:23 | 日記
今日のニュースで、ロシアが北方領土の無人島に旧ソ連の軍人の名前をつけたとして、官房長官が遺憾の意を表明していた。
ロシアに限ったことではないが、隣国に何をされても遺憾、遺憾ばかりでは何も進まないことは日本国民としては歯がゆい思いもある。
ただ、昨年末の日露首脳会談にしても「島が我が国に戻る」ニュアンスはまったくもって読み取れず、結局は我が国の国富を他国につぎ込むことになるだけとの思いで見ていた。

国際法や条約を厳格に解釈するなら、北方四島はもちろん我が国の領土であるし、サハリンの北緯50度線以南(南樺太)とウルップ島以北の千島列島全体は「帰属未定地」である。
しかしながら現状は北方四島も含めてこれらの地域はすべてロシアの実効支配の下にあり、今の麻生副総理が首相だった時には南樺太に「呼ばれる」形で首脳会談に赴いたこともあった。
帰属未定地で二国間の会談が行われるというのも本来は不思議な話だが、南樺太がロシア領であることは既成事実化していて、当時の政府としてもそこを波立てたくはなかったのだろうと思われる。

真偽のほどは定かではないが、第二次大戦末期に旧ソ連が我が国に侵攻し北方四島までを奪った背景には「日露戦争での敗北に対する報復」の要素もあると聞いたことがある。
そこまでの感情が根拠にあるという事実だけでもオイソレと島が返ってくることはないと分かる。
一般的な話としては力ずくで取られたものは力ずくで奪い返すしかない。
お互いに血を流す前に当然交渉が行われることにはなるが、そもそも国と国との交渉ごとで本当の意味で対等になるには、相手と対等の軍事力を背後に持っていないことにはどうにもならない。
竹島が韓国に取られたままなのも、北朝鮮に拉致された人々がいまだ多数帰還できないのも、さらに沖縄近海を中国にしょっちゅうウロつかれてしまうのも、すべては現在の我が国自身が軍事力を背景にした交渉がほぼ不可能なためである。
先日の日米首脳会談での「日米同盟の重要性を確認」という中身だけで我が国が胸をなで下ろしている場合ではない。

憲法を改正して自衛隊を国軍に格上げし先制攻撃も可能な体制にすることは急務ではあるが、軍隊をバンバン使って中韓もロシアもやっつけてしまえという話ではもちろんない。
「イザという時には軍を出すぞ」と言える状況を我が国が作る、それだけでよい。
それがいわゆる抑止力となり、結果的に悲惨な戦争は回避されるし、それこそ現在ある慰安婦だ靖国だ何だと言った隣国との様々な問題のほとんどはなくなってしまうのではないかとも思う。
どう見ても自分より強そうな人間にケンカを売るバカはいないし、自衛隊は世界的に見ても十分強い。
その実力部隊を有効に使える状態に置きさえすれば、日米同盟ベッタリという思考も必要はないのである。

腹が冷えるのと腹が立つのと

2017-02-13 20:06:22 | 日記
週末は外出を最低限に抑えて休養たっぷり、まずはいい体調で一週間をスタートできた。
朝から急ぎの仕事がないからと自分の席でボーッとしているのはイヤなので、大きな入荷物もないようだし早速毎日のルーティンワークに取り掛かった。
金曜日に出たであろう大量のダンボールなどのゴミを遠く離れた集積所まで持っていくのに、まだ朝の冷たい空気が残る中を屋外用のフォークリフトで走った。
毎日のように来てくれる古紙回収の業者さんと「共同作業」をするのが最近の流れである。
業者さんとて日々のスケジュールがあるので、ルーティンワークよりも前に業者さんを捕まえてゴミを片付けるほうが何となく優先になる。
毎日のように私の顔を見るからか最近は業者さんもけげんそうな顔はしなくなり、当たり前のように一緒に大量のダンボールと格闘することになっているのはありがたいことだ。

ゴミの片付けも首尾よく終わって、いよいよ日々の通常の仕事に入っていったが、今日はいつもは違う場所で仕事をしている某氏がヘルプに来てくれた。
本来のコンビである「あの人」はどうしたのかと聞いてみると、急ぎで後工程に渡したいものを準備したいということでこちらには参加してこないらしい。
某氏にしても自らの担当も抱えながら、けっこうな時間を手伝ってくれてこれまたありがたいの一言であった。
おかげでこちらのルーティンが早く済んだので、今度はこちらが某氏の担当に回って日常の作業を手伝った。
私自身まだ慣れていない部分はあるが、足を引っ張るまでにはなっていないようで何よりである。

最近は特にそうだが、屋外用のフォークリフトに長い時間乗っていると、支給されている分厚いジャンパーを着ていても作業中は寒さが身にしみてくる。
体が冷えると当然おなかにも響いて来て、朝の出勤前にキチンと用足しをしたのに昼の休憩時にもまた行くことになってしまった。
真冬だろうが真夏だろうが、おなかの周辺だけはいつも暖かくしていないと急にイテテテとなってしまうのだが、仕事中は暖かくしておくにもおのずと限界がある。
ラインの作業と違って比較的自由に動ける仕事であることは救いだが。

さて、急ぎの仕事があるといってルーティンを他人に任せた「あの人」だが、大急ぎ、少なくとも午前の早いうちには後工程に渡るはずのモノが昼休憩の後にもまだ渡っていなかった。
急ぎと偽って自分のやりたいことだけをやってルーティンワークを他人任せにした上に、準備できたモノは実際には急ぎではなかったとなるとこれはもうペテンであり、相手としては腹が立たない方がおかしい。
人生の中で決して初めてというタイプではないが、ウソをつくことが平気な人間が当地にもいたということは非常に残念だし、もちろんこういう向きを信用することは非常に難しい。
軽く小さく見られることを恐れると、人間というものは平気でウソをつくようになる。
小さいものが急に大きくはなれないのだから、変な小細工をするより文字通りの王道を行ってほしいとは思うのだが、暦を一度回ってアタマが固くなってしまった人間にはやや無理な相談ということなのかもしれない。

吐き出した

2017-02-12 21:21:14 | 休日
旅行の翌週にあたる今週末、基本的にはゆっくりしようと決めていて、外出はほとんどしなかった。
ただ、土曜の夕方に限っては、職場の某大ベテラン氏に前々から声をかけていた関係もあり、氏の自宅の周辺で軽く食事をすることになっていた。
札幌でも降られなかった雪がチラつく中、JR中央線某駅の改札で待ち合わせた。

私は職場ですれ違う人には、仕事上の接点はなくてもだいたい一声かけるようにはしている。
氏とは敷地内ですれ違うことがけっこう多く、毎回一声はかけているから印象に残っていてくれたのか、昨年は二度ほど食事をともにする機会があった。
もともとは営業マンとして当地のみならず北陸や関西でも活躍をしてきたので当地事業所の旧組織のニオイはしないし、何より職場の人間をよく観察しているのが話していても分かるから、むしろ職場を離れた場所でサシ飲みしたいとこちらとしては思っていた。

待ち合わせの時点では飲む場所は決まっていなかったのだが、結局は氏の自宅にごく近いエリアでまずは焼肉からスタートとなった。
大きなお店ではないながら祝日の土曜、ほとんどは予約で埋まっているところ、2人分のスペースはかろうじてあり、思い思いに頼んで好きなように飲み食いできた。
肉は脂が多すぎず大変おいしく、大衆店の装いながら週末のカレンダーはすでに予約で埋まっていたから、地元の隠れた名店と言って差し支えないのだろうと思う。

その後は氏御用達のスナックに流れる予定も残念ながら閉まっており、近隣のお好み焼き屋さんに流れた。
焼肉屋さんでは主に私の先週の北海道旅行や、氏が大好きな京都の話で過ぎたが、お好み焼き屋さんでは私自身が日頃感じていることも含め、仕事場の人間の話になっていった。
その頃にはずいぶんお酒も入っていて全ては覚えてはいない。
ただ、時々本欄に叩きつけているわがチームのお気楽さんのことについて、第三者に話したのは初めてだった。
日頃は冗談とも本気ともつかないようなノラリクラリとした言動に終始してはいるが、その実は自身の鼻持ちならないプライドの裏返しである。
物知り自慢など他人にやたら勝ちたがる面も多く、率直に言って付き合いにくい面があることは、お気楽さんとは年も近く付き合いも長い氏も把握してはいたようだ。

スタートが早かったため、2軒回って氏と別れた後でもまだ20時台、いつもならホームタウンに戻って自力延長戦となるパターンで、実際にJRの駅前周辺をウロウロはした。
しかしその日は、ウロウロはしたが結局どこにも行くことはなかった。
たまたまガマンがきいただけなのか、単なる先週の反動かは分からない。
独り身のつらさ、癒しを求める気持ちはあるが、かける時間とお金のわりには若返り効果くらいしか得るものはないことにそろそろ体レベルでの気づきが始まったのかもしれない。
熱に浮かされるように街をウロついた昨年の年末以来の流れもそろそろ一定の区切りをつけ、総量規制くらいはかけなくてはいけない。

2月5日の行状

2017-02-11 21:47:38 | 旅行
前回のエントリーではテレビ塔の全景だけ載せたが、もちろん写真はたくさん撮っている。
ただ、スマホとコンデジを使い分けていて別フォルダーに整頓しテレビ塔からの景観を前回は失念したので、あらためて載せることにする。
すすきの方面から藻岩山を望むアングルと、ニュースでもおなじみの大通公園を真下に見下ろすアングル。





ただのオヤジになり切って欲望丸出し(?)の夜を送った翌朝は、若干の睡眠不足であった。
しかし、旅行中というのは不思議なもので、ホテルの朝食時間も決まっているためかわりあいスキッと目がさめる。
幸い朝食は取りたいだけ取れる形式だったから、朝からたんまりおいしい食事をいただくことができた。

さて、旅行最終日は札幌市内には用はなく、ひとまずは新千歳空港に向かった。
帰りの飛行機は夕刻なので、それまでの間は「ノーザンホースパーク」に行くことにしていた。
所在地は苫小牧市となっていて空港からも非常に近く、アクセスは空港からの無料のシャトルバスを利用した。
夏にどこかで入場無料券をたくさんもらったので持参していたのだが、冬季はもともと入場無料ということで券はそのまま自宅に帰ることになった。

社台グループの経営だけあって、場内には生産馬が獲得したトロフィーや記念品が多数あった。
上は、オルフェーヴル号が2013年に凱旋門賞に出走する際に作られた応援の横断幕。
下は、ディープインパクト号の三冠を中心とした展示。





場内には見学厩舎もあり、かつての重賞勝ち馬も多くいた。
目だけのアップになってしまったのはマックロウ号。(G2京都記念勝ちなど)
柵からひょっこり顔を出していたのはウインドインハーヘア号。(ディープインパクト号のお母さん)





その他、場内にはポニーなどの小型種が多数放牧されており、来場客の人気を集めていた。







社台グループ創始者・吉田善哉氏の銅像も。



この日が3日間でもっとも天気が良く、いい気分で空港に戻ることができたが、帰りの飛行機まではかなり時間が空いてしまった。
そこで、前夜の疲れをしっかり取るべく、また旅の締めくくりとして、空港4階フロアにある温泉施設に入ってひたすらゆっくりした。
市井のサウナ同様、ほぼ横になれるリクライニングチェアも備えた休憩室が完備されていて、長い時間滞在しても大丈夫である。
帰りの飛行機は18時半発、約1時間前に施設を出て出発ゲートに向かった。

余裕を持って搭乗口に来れたのはよかったが、西日本や太平洋側の悪天候の関係で、私が乗る便が50分遅れというお知らせが出ていた。
最終的に遅れは1時間15分にもなり、実際に飛行機が動き出したのは定刻より1時間半くらい遅れていたと思う。
緻密なダイヤを組み、限られた機材をやりくりしながらの運行も、悪天候にはかなわない。
搭乗口で余計に待つことは大変疲れることだが、その日のうちに帰れたことでOKだし、次の日も問題なく仕事をこなすことができた。

今回は、3日間ながらも頭に描いていた行程はすべて網羅できたし、現地にしては温かく天候もよかったので何よりであった。
北海道には短いスパンで2回訪れたことになるが、まだ道北(旭川や稚内あたり)には行っていないので、今年のどこかでは再度北の大地を踏むこともあるかもしれない。