久々の更新で大変恐縮です。
この間も多くのアクセスをいただき感謝申し上げます。
さて、長らく続けてまいりましたgooブログですが、gooブログサービスの終了が本年11月に迫りましたことから、Amebaブログへの引っ越し作業申請を行いました。
引っ越し先のURLは下記の通りです。
移行には数日を要する見込みですので、完了しだい本欄でもお知らせしますのでよろしくお願いいたします。
毎月最終日はその月を振り返る。
3月末は過ぎてしまったが、下旬から月末にかけては身辺の状況が変わりすぎた。
変わると書けば「またかよ!」と怒られるくらい私自身は様々な環境で生きてきている。
しかし今回はコトワザで言うところの「捨てる神あれば拾う神あり」を地で行くような、人の縁の不思議さを感じながら収入源たる仕事が途切れることがないという願ってもない展開となって、やはり毎日を誠実に送ることの大切さをかみしめている。
というのも、すでに前職となった現場ではひとりの問題社員のために私自身も含め職場が疲弊している状況があった。
その社員いるところ常に問題あり、他人のミスを捏造するなど日常茶飯事、たまたま体が触れた程度のことで現場に大げさに倒れ込み警察沙汰にまでしてしまうなど、職場にしがみつくためなら手段を選ぶことがなかった。
そんな社員が決して辞めさせられることがないのは前代表者の縁故者であるため、現代表者は当然前の人に引き上げられているからアタマが上がらずどうにも手出しができないので、当人は増長する一方ということであった。
そういう話を日ごろ出入りしている業者さんから聞くことができたのも、毎日つらい思いはしつつも何とかガマンして会社に出て、ある日の昼休みに接点を持つことができたからだった。
話を深めるうち、どう見ても問題がある社員が仕切るところにいても泥舟確定だからこの先いいことはない、ウチの代表に連絡を取ってみたらどうかということになり、それならとすぐに動いて今はまた新たな挑戦が始まっているというわけである。
生活リズムの変化もあり、まだ新しい流れに慣れるまでには今少し時間はかかる。
ひどい環境を這うように抜け出して駆け込み寺のごとくに今の場所にたどり着いた。
私の事情については私以上に理解があるところだから快く受け入れてもらえたし、代表者も他の人も穏やかそのもの、特異なキャラクターを持つ人もおらず一言「あたたかい」と感じる。
そういうところに来れたわけだから、まだ本格的に何をやっていくかは分からないが、日々できることを誠実にやっていくだけである。
ちょうど世の中は年度変わり、相も変わらず波乱続きの現状ではあるが、とにかく生きていければいいの精神で日々あたっていきたいと思う。
見出し写真はJR大糸線(信濃森上~白馬大池、2025.2.15撮影)。
3月15日のダイヤ改正により日に一本だけ大糸線に乗り入れる特急あずさ号は南小谷行きから白馬行きに変更になるため写真のスポットには来なくなる。
天候もよかった今日、たぶん写真以上の混雑があったかもしれない。
最近はマナー違反の問題が大きく取り上げられ「撮り鉄」と聞くだけでマユをひそめる人も増えているが、今日の沿線はどうだっただろうか。
さて、新しい環境に移って1か月が経過した。
一時は一挙手一投足を監視しているかのような指示役の接し方に相当悩み、あるいはせっかくつかんだ現場を離れることも考え実際に相談もした。
そこで「あ、辞めるの?ふーん」となっていればまたぞろ苦しい日々が始まるところであったが、私自身相談して開き直ったこともあるのかビクビクしながらの仕事をしなくなり、前後して元請けさんからいろいろと声をかけてもらうことも増えて仕事そのものにも慣れてきた。
私を必要とし、申し出即手続きとはしなかった代表者の気持ちにも応えるべく今少し踏みとどまることにした。
とはいえ、今後数年安泰になったなどとはまるで思っていない。
目標は近くに置いて、まずは3か月、次は半年、その次は1年と積み重ねる気持ちでいきたい。
私に遅れることちょうどひと月、現場にはかなり若い戦力が加わった。
私とは相性の悪い指示役(たぶん今後も良くなることはない)は彼を何とか取り込もうと手すきの時間も片時も離れずアレコレと教え込むありさまで、私から見れば「そういうところだぞ」とは言いたくなる。
自分が任されたからと言って何もかも思い通りにはできないし、新人さんといえどもそれは同じである。
イヤでも私や彼や元請けさんの助けがないと回らない以上、まずはただただ他人を思い通りに使うことばかりを考えるのではなく、どうやったら気持ちよく動いてもらえるかを考えたほうがいい。
案の定と言うべきか、まだ一週目というのに金曜あたりは明らかに疲れが見え半分はキレたような仕草を見せる新人さんの姿があった。
いくら先輩とは言っても他人を「自分教」の信者にすることは不可能だし、そういうアプローチがかえって人が離れる原因となることをこの指示役はいつになったら分かるのだろうか。
周囲に助けられ大きな危機を回避した直後の週末はさすがに疲れていて土日ともほとんどを自宅で過ごした。
これまでのことは脇に置いて、文字通り一日一日の積み重ねを続けていきたい。
毎月最終日はその月を振り返る。
あっという間の1か月だった。
当然ながらいろいろなことがあった。
ひとつ分かったのは、絶対に分かり合えない存在がこの世にはあるということだ。
新しい環境に移って本格的なスタートを切り日々少しでも早く慣れるように努力を重ねてきた。
ひと月も経てば毎日の流れ、週単位での流れくらいはつかめてきて、完璧とは当然いかないまでも流れに乗った動きはできるようになってきた。
目の前のことをこなすだけで精一杯の段階から、自分なりにスピード感を出すためのアイデアも加えつつ、また荷造りにおいては見た目も考えてできるようにしてきた。
毎日の積み重ねが少しずつ形になってきて、今週に入ってからは元請けさんからモノをお願いされることも増えたし、役付きの方々も皆気さくで、たまにはくだけたコミュニケーションも取れるようになって現場での居心地は上がってきたように思う。
ところが、そんな私の姿がどうしても気に食わない人物がひとりいて、私のやることなすことはすべて否定される。
行動の目的が否定だから、当然ながら些細なミスでも鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる。
話しかけてくるとしたら指摘や注意や攻撃の時だけという面倒くさいを絵に描いたような人物である。
私が入ってからその態度は見事に一貫していて、できるようになったことに全く触れない一方、できなかったり違っていたりには猛然と突っかかってくる。
私も長年人間をやっているから分かるが、せっかく入ってきた人間にわざわざ敵意のみで接するのは、当人の能力が低く自信もないからである。
社内政治を駆使して当人にパワハラを浴びせていた人物を追い出すことができたので、当人にとっては願ってもない文字通り「俺の現場」が実現したが残念ながらそれは「どうにでもできる」ことと同義ではなくどうやら当人はそこを勘違いしている。
邪魔者を追い出してまで自らのものにした現場だから自分が中心となってやらなければ、と意気込むのは分かるが、100%自分の思うような管理などできるわけがない。
経験時間のわずかな違いでもって、まるで馬や犬を調教するかのごとく「とにもかくにも俺様はお前より偉いのだ」という部分を何としてでも分からせようとしてくるが、そんな調子で来られれば受け止める側は少なくとも心を開いて接することは難しいし、何も分からないうちは自由を奪われたような感覚になり当人の顔色を伺いながらの対処になってしまう。
俺の現場を自負するのは勝手だが、実際に現場を私や元請けさんなど誰の助けも借りずにひとりで回すことなど不可能であり、私をどれだけ否定したくても、私から何もかも取り上げて仕事を背負い込んでしまえば日付が変わっても仕事は終わらない。
週で最もあわただしい金曜の今日、結局その日の「大どころ」(個口の多い行先)のチェックや荷造りはほとんどが私がやり、当人は大して時間のかからない簡単な仕事に逃げ込んでしまっていた。
当人の意気込みとは裏腹に、この日の仕事の主要な部分を見事に、実質来てまだひと月という人間に持っていかれ、寒い2月というのに耳たぶまで真っ赤にしてイライラしている様子が見て取れた。
この人物以外のことは、例えば労働条件はよい部類だし、元請けさんは皆さん優しいしで、現場に出向くことはむしろ楽しみのほうが大きいくらいである。
しかし、たったひとり、たまたま同じ会社の、ややもすると正常性を欠いた人間との関係性のために、大変残念なことだがわずかな期間で本当は離れたくない現場を離れざるを得なくなるかもしれない。
正常ではない人間とはいえ経験時間は当人のほうが長いので不利なのはどう見てもこちらだからだ。
今後は先のことは考えず、もう来るなと言われる日まで一日一日誠実に勤め上げるのみである。
幸いにして会社の代表者には当人の「本当の姿」が伝わりつつあるし、私と元請けさんとのコミュニケーションは良好だ。
不利な状況には違いないが、限られた時間の中で「やめなきゃいけないのは本当はどっちなんだ」というところで勝負するしかない。
嫉妬心まみれで声だけは大きくて能力も低い、強い者にはゴマすりという取るに足らない人間のために自らの生活にリスクを招くことは本当ならばしたくないからである。
今の現場を仕切っているのは年の頃で言えば40になっているかいないかくらいの男性である。
我が社は現場をいくつか持っており、当人は数ヶ月は別の現場にいたらしい。
今私がいる現場を守ってきた某氏と当人がある日ケンカになって、結果某氏が他の現場へ動いて当人が戻ってきたということらしい。
当人は某氏のパワハラにずいぶん苦しんでいたらしく、そこは会社も把握済みであったから、動かされたのは加害者である某氏の方となった。
私は某氏とからむことなく来たので実際にどれほどひどかったのかは知らない。
被害者である当人は当然ながら某氏のことは時たま話題にしていたから、それはそれでお気の毒ではあったろう。
さて、パワハラの被害に遭った人物はその気持ちや痛みが分かるから決してパワハラなどはしないかと言われれば実はそうでもない。
自らがつらい思いをしたから他人にはつらい思いはさせたくないと考えられる人の割合は意外に小さい。
かつて自分が受けた苦痛は心の傷として残したまま、その葛藤をどこかで消化しようとなぜかパワハラ行為に及ぶ向きはけっこういる。
前職で、事務方にいて役員クラスからかなりのパワハラを受けたため現場勤務に移ったが、その本人が新しく入ってくる仲間をことごとくパワハラしてつぶしてしまっていたというのが例としてある。
現在はどうかと言えば、かつてパワハラで苦しんだはずの当人があろうことか私を相手にパワハラ行為をしている。
まだ慣れるには程遠い段階の人間の努力など一顧だにせず、ダメなところだけあげつらって明らかにバカにしたり見下ろしたりアオり立てたりを繰り返してきた。
自分が教えて私ができるようになったことは無視して、ほんの些細な不足ばかりをオオゴトのように騒ぎ立てるだけではさすがにこちらのやる気は低下する。
どうにも程度が過ぎたので会社の代表者に電話で相談し、下に付いた者にしか分からない当人の態度については理解してもらえたようである。
上や強い立場の人にはワザとらしいくらいに腰が低いためか、代表者も私の話に驚いているようだった。
私と代表者との話は今日になって当人に伝わったようである。
会社の中で情報として受け入れられたということは、当人はパワハラ加害者として正式に認知されたということである。
彼にしてみれば、今後の人生は「パワハラ加害者」の汚名を背負い続けることになったわけで誠にお気の毒というほかはない。
今後私の身の振り方も含めて何らかの答えが出るが、おそらく彼自身の考えよりは重いことになる。
仲間でいられるはずだった人間をつぶして無傷でいられるほど人の世は甘くはできていないのである。
前回のエントリーが2月7日、この日は本欄を開設してから18年という日であった。
18年という長い時間だが、毎日の更新を自身に「課した」わけでもなく、書きたい時書ける時にはどんどん更新、逆に体を悪くしたりすれば書きたい気にもならず数か月も更新せずで、あくまで自分のペースで続け閉鎖だけはせず維持してきた結果に過ぎない。
この期間は自分ごとながらいろいろなことがあり、今も決して安定とは程遠いいろいろを経ながら年齢ばかりを重ねているといったところである。
さて、先の年末年始を思いがけず無職で過ごすこととなったが年初一番から動き出して1月の下旬からは新しい環境に身を置くことができた。
中年の就活が一社で終わったことは幸運の一言で、いわゆるカレンダー通りの休日という願ってもない条件、また一般の会社よりやや遅めのスタートのため通勤時の渋滞とも無縁、仕事内容もそれほど難しいものではない。
比較しては何だが前職よりは体はいたってラクで、仕事が特定の時間帯に集中してしまう構造的な問題と古株のウザがらみ以外は不満のない場所である。
これまでの私は良くも悪くも仕事となると「やり込む」傾向があり、時に周囲のペースに合わなかったり、ひどい時にはキャパオーバーして燃え尽きたりなどおよそ職場という場所でいい思いをしたことがほとんどない。
だから今の環境は仕事の中身よりも休みの多さと通勤のしやすさという甚だ自分本位な要素で選んだ。
もともと幼少のころからクラスや部活動などの集団生活に合わず、社会に出てもそれは変わらないままここまで来て今さらそれが変わるとも思えない。
会社員、もっと言えば働くことそのもの、さらに言えば「多くの人間の中で生きていくことへの不向き」を感じているからこそ、会社にいる日数はなるべく少ないほうがいい。
実のところ特定の曜日以外はやたらに待ち時間が多くて退屈なくらいなのだが、仕事をすることそのものが私にとっては不向きでありストレスなのだから、動いている時間が短いことは率直に「オイシイ」ので特に不満には感じない。
そうは言ってもいちおうは仕事なので覚えるべきことは覚えなければいけない。
もともとが仕事に向いていない人間だからと言って毎日ダメダメな状態ではお試し期間で捨てられる。
得意不得意が特に激しいタイプでもあるから、不得意なところは人並み程度でOKとし、得意なところを伸ばすほうにフォーカスしていけたら毎日も少しは気がラクだろう。
もうすぐ人員の補充もあると聞いているので、ウザい古株は適当にあしらいつつ新しいメンバーとは「ほぼ同期」として協力してやっていきたい。
新しい環境に変わっての本スタートである一週間を終えた。
通常運転であれば金曜日がいちばん忙しいと聞いていて、実際に月~木は待機時間が多くて退屈なくらいだったがさすがに今日は朝から終わりまで常に動いている状態だった。
研修期間が10日ほどあったおかげで今週は少しずつ仕事の流れに乗ることができるようになった。
さて、何とか一週間乗り切ってホッとしているところ、現場を手伝ってくれる元請側の社員さんから怒られた。
トラックへの積込作業は屋外だが、最後の車両の時は雪が激しく降っていた。
微妙な塩梅でトラックのアオリが閉まらないところを現場の偉いさんも外に出て懸命に人力で押して一件落着という場面をただ見ていたことをキツく注意された。
「偉い人も外に出てるのに、雇われてるんだから手伝いに行かないと、やらないと」ということで、さすがに言葉を返すことはできず恐縮するばかりであった。
このことひとつだけなら特別落ち込むこともなく、次に生かすだけの話かもしれない。
しかし、この出来事ひとつでなぜ私が「ジョブホッパー」として歩んできてしまったかが分かった。
上司や先輩同僚といった他人を信頼してその評価を積み重ねながら働いていくという、雇われ人としてやっていくには避けられない仕事以前の「人の道」的なところを学ばないまま生きてきてしまったからではないのかと。
職業人は他人の評価が全てであり、どんなにムチャな指示でもいったんは受け止めないことにはほどなく仕事場を追われることになる。
仕事以前の部分を外していくらアクセク動いたところでそんなものはただの自分勝手であって組織の一員としては失格であろう。
それにしてももういい加減な年齢になっていまだに他人の感情の機微もつかめず、どう動いても周りを怒らせるばかりの人間がそれを矯正できるのかといえば正直無理だろうと思う。
そういったことは幼少期から家庭や学校の中で、少なくとも社会に出る前の段階で身に着けておかなければいけなかったが悔やんだところで遅すぎる。
紆余曲折の末に何とか毎日苦にならない「職種」に巡り合うことはできたが、雇われて働く上でぶつかる壁に今も見事にぶつかってしまった格好である。
では、他人の気持ちが分からなくて永遠に評価されない人間がこの先は生きていってはいけないのかと言えばそれは違うと思いたいし、少なくとも自ら前途を絶つことだけはしたくない。
恐らくは根本的には解決しない問題を抱えていても、生きることそのものをあきらめたくはない。
目の前の生活に気を取られて安易な道を選び結局挫折の繰り返しになるくらいなら違った方向を模索する時期に来たのではないかとも思う。
今日の今日、雇われ人として生きる根幹の部分の不備を指摘されるに至ったからといってこの先の人生が閉ざされるわけではない。
今日のことは今後の人生にとっての良き知らせだと考えたい。
まずは、人から言われなくても自然にできることの中から手掛かりを探っていこう。
毎月最終日はその月を振り返る。
月末当日に振り返りを書くことを流儀としてきているが、昨日は祭りのようなあわただしさで帰りもだいぶ遅くなったので昨夜はゆっくり休んでこの時間に更新している。
こういうことを書けるのも、わずかなブランクでまた社会に復帰できたゆえのことだ。
書類上は2月からのスタートのところ、1月の下旬から研修期間として勤務をお願いされたので言われるまま参加してきた。
たまたま昨日は様々な要因で特別な日となって帰りはかなり押したが、長くいる人にとっても本当に特別な日であったようなので、今後は昨日のような日は半期に一度くらいと思われる。
わずかの助走期間ながら、正式なスタートの前に「それほど難しいことはやっていない」ことが分かり、少しはやるべきことも覚え、なまっていた体も少しはほぐれたから良かった。
前職を不本意な形で去ることになったが、謎ルール込みで土曜日がほぼ出勤というのはなかなかにつらかったのも事実だ。
年間休日が100を切るような会社(本来は違法)にいると環境に疑問を感じるヒマも与えられないような薄ら寒い感覚があったし、私生活の予定も立てにくく何かと不便も感じていたから今となっては正解だったと思う。
前職を離れて以降はショックで体調がままならず食事すら面倒という時期もあった。
生活の不安と闘いながらもあせらずまずは健康体に戻るために徹底的に休み、体が戻ったところで何とか立ち上がって活動して今は土日完全休の環境に移ることができた。
今こうして土曜にブログの更新ができる状態になれているのはうれしいことだ。
週明けからは正式なスタートになるが、全くのゼロからではないから緊張感は少ない。
わずかな間でも覚えたことはあるのだから自信を持ってあたっていけばいい。
幸いにして現場で親しく話せる人も多くできた。
「見てくれている人」にフォーカスして誠実にやっていけば慣れるのも早い。
今は何かとマウントを取ってくる人間もいずれは黙る。
いよいよマウントが取れなくなって追い出しにかかられるくらいになれれば本望だ。
タイトルは例月の通院で先生から聞いたもので、もともとは投資の言葉らしい。
言い回しとしては「見切り千両、損切り万両」ということのようだ。
どうやっても良くなる要素がない状況にしがみついて再起不能になるほどの痛手を負うのではなく思い切ってサッサと離れたことがよい、という意味合いだと思って聞いていた。
以前から書いている通り、昨年は思いがけず突然に担当職務を外される憂き目に遭った。
せっかく保っていた体調も一発で崩れてその後は仕事には出られないどころかロクに動くこともできなくなり仕事そのものからも離れざるを得なかった。
徹底的に休養して健康と言える状態は何とか回復したが、具体的な目標や張り合いがないまま年をまたぐことになった。
気持ちが落ちて何もかもが面倒くさい状態から何とか脱して外にもひんぱんに出られるようになったことは喜ばしいことには違いないが、やはり社会と離れている期間は漠然とした不安は常にある。
前職にあるうちは心がけて遊びを減らしお金を蓄える方向で行動していたのは今となっては良かったと思うが、だからと言って何も行動を起こさなければせっかく積み上げた貯蓄も減る一方となるからだ。
この年末年始は世の中のほとんどは9連休で、年始は1月6日からというところが多かった。
5日までは何も考えず、しかし6日以降は動かなくてはどうしようもないので世の中の動き出しと時を同じくして動き出した。
自分なりに最善を尽くして取れるだけの情報を取っていく中で、やはりいわゆる「黒い」ところには引っ掛かりたくないと思った。
仕事はどこに行っても甘くないのは承知の上、しかし長続きするには条件は大事、例えば年間休日が100日を切るようなところはまず避けるようにした。(本来の法定ギリは105日らしい…)
そんな中でたまたま最初に応募したところが書類審査を通って面接となり、数日後にはご縁をいただけるという知らせを受け取ることができた。
年齢的にも何十社も応募してそれでも…の苦しい苦しい時間を覚悟していたものが、今回は活動をたった一社で終わらせることができてありがたい限りである。
実際には始まってみないと分からないことも多いのだとは思うが、前職を離れたことが本当に見切り千両であったとなるようにしたい。
今年はいい年になるよ、とも言ってくれた先生に次回はいい報告ができるだろう。