blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

6月を振り返って

2017-06-30 20:15:06 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
梅雨に入ったものの天気はそれほど悪くならず、湿っぽかったのはむしろ私の心の中かもしれなかった。
5月の終わりから6月にかけては、予期せぬ別れの知らせやショックを受けた出来事が多くあり、寂しさや孤独感をひときわ感じた時間であった。
下旬になってようやく本欄の更新もペースが上がって、少しずつ心に陽がさすような場面も増えてきた。
初めて当地に来て、右も左もわからず不安しかなかった時期と比較すれば現実の世界が言うほど悪いわけではない。
それでもやはり、良くない出来事が重なれば、恵まれているとさえ言える環境にあっても気分が落ち気味になることもある。
月の最初とはいえ実家にも帰っているので、7月以降は徐々にでも今以上に気分を上げていって、早々に消耗しないようにコントロールしなくてはならない。

毎日の仕事に関しては特に大きな変化もなく順調に過ぎた。
週に一度くらいは忙しい人の手伝いで午後がまるまるつぶれたりなど、特殊な日もあったはあったが、むやみに遅くなることもなく通常通りのリズムは確保できた。
わずかでも新しいことを覚えられたと思えば、体力的にはかなりキツい場面もあったものの無駄ではなかったと言える。
自身のことに関しては特に心配することはないが、会計年度が変わった4月以降、正直なところ組織としての勢いはやや落ち着いたように感じる。
当地の事業所が特別忙しいわけではないのに全国から数人が応援という形でやって来ている。
全国的に在庫が積み上がり製品を切らす心配が減って、事業所によっては大変ハードな勤務体系をとっていたものが徐々に解消されているものと思われる。
とはいえ、作る側として現状にたどり着いたことに満足しているだけではダメで、作ったものは売れてくれないとお金にならない。
近々には昨年度通期の業績についてと今年度の第一四半期の見通しも明らかになってくるだろう。

プライベートも特に変わったところはない。
週末になればお誘いに応じて、または単独自力で街に出て、仕事中とは別人になって大笑いして楽しむ。
男性女性問わず、平日にはまったく接点がないであろう世代の人間との交流はやはり刺激になる。
自分の世代では使わない言葉や流行りものを知ることができるのは大変貴重だ。
古い人間だからと若い世代を軽蔑したり見下ろしたりするのではうまくいく会話もうまくいかない。
私自身が平日身につけているヨロイカブトを脱ぎ捨て、ありのままを見てもらってようやく楽しく話ができる。
できれば、こちらが話す分量は少なめにしていろいろなことを質問して聞く方に回る時間が多くなればなおいいだろう。
若者は若者でそれぞれ悩みを抱えながら生きていることが街に出ればよく分かるはずだ。

月が変わって7月はいきなり真夏日が連続する予想で、日頃はもちろん休みの過ごし方にも一考が必要な時期になってきた。
暑さはともかくも、冬と違って足元はいいわけだからできるだけ活動的にいきたい。
アンテナを高くして、興味がわいた所には積極的に足を運ぶようにして楽しい夏になれば最高だ。

張り合いの一つかも

2017-06-26 20:17:30 | 日記
ごくごく普通に一週間の始まりを迎え、特に変わったこともなく無事に終了して、夕食もとりシャワーも浴びて本欄に手をつけている。
雨が降る降ると言いながら、なかなかここまでは本格的な雨にはならず、ようやく明日の夜あたりからは雨の日が続くようだ。
仕事の中身から言って、夜はどれだけ降ってもいいから日中はできるだけ降らないでくれと勝手なことを考えてしまう。
事務方やライン作業にあたっている人間は勤務中はほとんど外には出ないが、事業所の様々な設備を管理する部署や私がいる倉庫担当は外に出ることが他の部署よりも多いのである。

生活のための収入を得るということ以外の「張り合い」については、ここのところクドいほど書いている。
頭で考えているだけでも答えなど出ないし、仕事に1日出て行ったところで自動的にいいことが起きるわけでもない。
何か一つくらいないのかと問われれば、あえて思いつくのは「本欄を書くこと」となる。
2007年の2月に開設してから、タイトルや自己紹介を少しずつ修正はしたが、日々の雑多なことをああでもないこうでもないとダラダラ書きなぐるスタイルはまったく変わることなく10年も続けていられるのは、ひとえに私自身が苦ではないからであって、張り合いと言うには少し意味合いが違うかもしれない。
間違っても他の誰かのためになどという気持ちはなく、ただただ日々の出来事や常々感じていることを自由に書き散らかすことで、いい意味で物事を内にため込まないことにもなり精神的にもよいのである。

理想を言えば、むしろ「この人のために」と思える誰かがいたりするのが日々に張り合いを持たせるにはいちばんいいのだろう。
家庭を持っているなら奥さんや旦那さんや子供さんのため、持っていなくても親や恋人や友人のためというのは大いにアリだし、残念ながらすでにこの世にはいない人物であっても支えや張り合いになる場合もある。
もはやお近づきにはなれないと分かった人であっても、姿を見て発奮できるのなら勝手に張り合いにしてしまえばいい。
目に見えて仲がいいとかそうでないとか、つながっているいないが支えや張り合いになるならないの基準では必ずしもないということである。

本欄はだいたい一つのエントリーで1,000字前後を基本としている。
1,000字というのは、かつて私が師事した某スポーツライター氏(故人)が毎回出してきた課題の分量と同じである。
個人のブログに決まり切ったものなどないわけだが、このくらいの分量がないと言いたいことが言えないというのか、起承転結がきいた文章にできないからこうなっているだけなのでご容赦願いたい。

地震のち曇り

2017-06-25 21:00:44 | 休日
今朝はちょうど朝7時くらいの地震で目が覚めた。
ゆらゆらと長く揺れたように感じたが、震度は愛知県内では2から3であったようだ。
震源近くの王滝村や木曽町近辺は、先月に開田高原の木曽馬の里に訪れたばかりである。
地元の人は、もともと地震の多い地域ではあるがと前置きした上で、震度5強の揺れにはさすがに驚いていたようである。
日中にも余震とみられる揺れが同じような場所であったから、しばらくは当地でも注意が必要だろう。
震源から150km近く離れていると言っても、今回はなぜか当地よりもはるかに遠い能登半島の先端まで影響が及んでいる。

さて、せっかくの好天だった昨日をゴロゴロして終え、今日は大雨だったらやはりゴロゴロも止む無しかと思っていた。
上半期のG1レースの締めくくりである宝塚記念には是非参加したいと思っていたが、参加する方法はいくつもある。
銀行口座に資金を入れてスマホかPCで買う、金山駅から歩いて10分ほどのWINS名古屋で買う、馬は走っていないが馬券は売っている中京競馬場で買う、などである。
今回はそのいずれでもなく、いっそヒマつぶしにと思って、岐阜県恵那市にある発売所までドライブがてらクルマで行った。
仮に土砂降りになった時のことを考えると、クルマで行けてわりあいすいている恵那がいいと思った。
本来は笠松競馬場の場外発売所として作られたが、土日はJRAの馬券も全レース買えるようになっている。

成績は、順当と思えた宝塚記念で大本命馬のキタサンブラックがまさかの惨敗、もちろん資金を最も張っていたレースなのでトータルではややマイナスになってしまった。
本日の唯一の的中はコレ、払い戻し金額6,150円なり。



夏至を過ぎたとはいえ、まだまだ日が落ちるのが遅いこの季節、まっすぐ帰るのももったいなく感じ、まずはいずれ乗りに行くであろう明知鉄道の始発であるJR恵那駅近辺を撮影、1日きっぷなどの情報を一通り仕入れた。



今度は春日井市の東端にあるJR定光寺駅近くを歩いたが、ここは何度来ても飽きないところで、JR中央本線と庄内川の渓谷美と廃業したと思われる宿泊施設の退廃的な雰囲気が絶妙に絡み合った、何とも表現が難しい、しかし大変美しいスポットである。







前回も書いたが、すぐにどこかに行くことはないにしても、私が当地に5年10年といる可能性は低いと思う。
しっかり自分の時間が取れ、幸い健康にも大きな問題のない今のうちに、当地近辺で目に焼き付けておきたいところには足を運ぶようにしたいとあらためて感じた日であった。

お出かけ日和だったけど

2017-06-24 23:10:49 | 休日
この土日の中では今日土曜の方が天気が良く、どこかに出かけるなら当然今日の方がというところだったが、遅めの昼食とちょっとした買い物にクルマを出しただけだった。
去年の6月最終週は、土日プラス有給1日の日程で鹿児島・宮崎・大分とまわり、47都道府県すべてに足を入れるという目標に達した。
その週のほかにも、まだ当地に来て1年も経ってない時期ということもあり、去年の6月は毎週土日のうち必ず1日は出かけていたことが過去の写真を見直していて分かった。
月末振り返りの時にもあらためて書くとは思うが、今年の6月は遠出というと第1週に実家に帰っただけで、去年と比べればずいぶん静かに週末を過ごした月になりそうだ。

一昨年の秋に当地に来てはや2年足らずとなった。
東海地方で生活するのが初めてなので、クルマにも無理をしてもらって、またJRのトクトクきっぷ的な物も活用しながら、当初は気分に任せていろいろなところに行った。
もちろん当地にはまだまだ見どころはたくさんあり、わずか2年足らずで一通り制覇したなどと言うつもりもない。
いわゆるメジャーどころにも、いつでも行けると思いながらまだ行けていないところもある。
まだまだ見逃しているところも多いので、今月はペースが鈍ったがまた追い追い計画して出かけてみたい。

今のうちに見られるところはなるべく見ておこうと考えるのも、当地の出身でない一人のサラリーマンとして2年という時間は決して短くはなく、いつどこに行けと言われるか分からない時期に来ていると思うからである。
今の会社ではほとんどが倉庫まわりの仕事できているから、そういう仕事でさえあればどこへ行っても何とかなるだろう。
私自身は、富山で事務方をやって体調を悪くし、一時はクビかもなどと考えていたが幸い当地での役割を与えられた。
そういう経緯からすると、特に自分から希望して当地を離れて違うところに行きたいと申し出る理由はない。
ただ全社的に見れば、全国に散らばっている事業所の中でどこに重点を置くかは今後変わってくる可能性がある。
取扱品目の入れ替えや移管その他の要因で、仮に当地事業所の役割が相対的に小さくなれば、今いる人員の数は必要でなくなり、特定の事業所に集中ということも十分に考えられる。
会社も生き物である以上、またその中の一員であろうとする以上は、動きたくない人間も動く事態くらいは想像だけでもしておいて損はないと思う。

前々回あたりにも書いたが、毎日の仕事に向かっていくにあたって、生活の糧を得るという理由だけではちょっとだけ弱い。
会社の中でも仕事を離れた時間、あるいは会社とは関係の無い時間の中から、毎月の生活を回すこと以外の「張り合い」を見いだせるかどうかで会社に出ていく心持ちも変わってくる。
環境には恵まれていても、孤独感や疎外感を感じるようなことが続けば、仕事には行けても心持ちは暗い。
暗くなりすぎて気持ちを落としすぎないようにしないと、せっかくの働き場所を失うことにもなりかねない。
とはいえ、気持ち的にここまで上がらなかった月は今月が初めてである。
明日は大雨の予想もあるから外には出にくい。
今後何を大切に、張り合いにして日々を乗り越えていくか、あるいは捨てるべきものがあるのかどうかなど、じっくり頭を整理する時間としたい。

怒らないのはなぜ

2017-06-23 20:37:00 | 日記
今週の仕事も無事終わった。
無事ではあったが、気分的に今ひとつテンションが上がらず、クルマに例えれば6速に入らないまま終わった感じだ。
そういう意味では長い長い5日間だった。
任務を果たせなかったわけではないが、完全燃焼できたとは言い難い、悔いが残る残念な週だった。

私は、幸か不幸か雑多な環境を経験してきた分、出会った人間の「種類」も多い。
武器は気合と大きな声のみという絶滅危惧種も含んだ「体育会系」は言うまでもなく、吐き出される言葉の一つ一つが実はほとんどウソか間違いという手の施しようのない「ペテン師」、内心では他人を信用していないくせに一人になるのを恐れ他人にベタベタくっついていく「かまってちゃん」など、挙げていったらキリがない。

最近はどうにも分類のしようがない種もいて、とにかく何を言われても怒らない。
年齢的には若い人間に多少うるさいことを言っても何ら問題はないのだが、そういうことは全く言わないし、大声をあげるような場面は少なくとも私は見たことがない。
よくよく観察していれば、若い者にモノ申すどころか、ふた回り近くも年下の人間から相当バカにした物言いを毎日のようにされている。
私に関して言えば、本人の仕事以外のアイドルや旅行の話題の時だけはやたら元気な姿を知っているから、仕事の動きが悪い時はこちらが大きな声を出して尻を叩くこともあるような状況だ。

ここまでの扱いを受けてなぜ怒りを露わにしないのか。
十分に怒っていいレベルの言動をまともに受けてなお、本人はいつもただただ薄気味悪いニヤついた表情を見せるだけなのである。
本人の中では「大人の対応」を気取っているのかもしれないが、それはややもすると周囲に軽く見られているという現実に必死に耐えている表情にも取れる。
とにもかくにも、今のままでは本人にとっては間違いなく損である。
何か意図して攻撃を受けたと感じたら、少なくとも言葉の上で怒りを表現しないことには、周囲は怒りの気持ちに気づくことができず、時間の経過とともに過去の実績や積み重ねた年齢なりの「威厳」は失われ、この人には何を言ってもいいと完全にナメられてしまう。
常々「職場=戦場」と書き、時には怒りのフル活用も辞さない私のような気性の荒い人間からすると、怒りという抑止力を持たない当人の姿は見ていて何とももどかしい。
まるで隣の国から何を言われても「甚だ遺憾」やら「厳重に抗議」くらいのことしか言えない我が国の外交と同じではないか。

当人は、周囲に軽く見られていることは頭の悪い人ではないのでとうに分かっているはずである。
軽く見られるのは、年齢の節目を超えてすでに正社員扱いでなくなっているから、という形式的な理由では決してない。
私の富山での「師匠」は口うるさいまま正社員扱いから外れ、しかし退職するまで口うるさいままだった。
反面で情に厚いところもあって、何度かは食事に誘ってもくれ、私が体を崩した時には本気で心配をしてくれたというから、ナメるとか軽く見るなどできるわけがないではないか。
周囲は表面的な肩書きや立場だけで人物を評価するほど単純ではない。
言葉でまったく怒りを表現しないことに加えて、自ら進んで軽く見られるような言動を繰り返すから軽く見られるのである。
多少怒っても寿命が縮んだりはしない。
人望なくナメられたまま職業人を終えることになるくらいなら、ブンブン怒って「いいひと」をやめればよいのである。

夢や幻想がなければ

2017-06-21 19:41:45 | 日記
雨が少なかった当地も、今日は本格的な雨になった。
強い風も伴っていた時間帯もあったが、今は雨は落ちていないし、注意報レベルの状況にはならなかった。
それでも、三重県や愛知県の一部は避難指示や勧告が出るなど大雨となり交通にも大きな影響が出てしまった。
農業関係の方はひとまずホッとしたかもしれないが、今まで雨の気配すらなかったところに何もこんなに一気に来なくてもというのが率直なところだ。

さて話はまったく変わって、某東京資本のアイドルグループの総選挙とやらで一人のメンバーが結婚宣言をしたことが騒動になっている。
結論から言えば、アイドルとしてステージに立っている状況でのあれはさすがにナシだろう。
言葉は悪いが、ウソでも「アナタにももしかしたらチャンスがある」くらいにファンに思わせ、売り上げにつなげることが立場上は求められるはずである。
夢や幻想を売る立場にある者でも恋人の存在や結婚を宣言することを制限する手立てはないが、公に恋愛禁止をうたっているグループであったからやはり結婚宣言は「ナシ」が妥当だったと言える。

夢や幻想を売るのは何もアイドルに限った話ではなく、都会でも田舎でもいいがテーマパークの類いもやはり同じようなものだ。
もう6月に入り、キャラクターの格好をして場内を闊歩する役割の方にはいささかキツい季節となってきた。
しかし、いくら猛暑であっても園内にいる以上は一つのキャラクターを演じ続けなければならない。
素の人間に戻れるのは舞台裏に帰ってからである。

あるいは、私がたびたびお世話になる「夜のお店」にいる女性たちもそうだ。
昼職バレ等の回避ももちろん理由としてはあるが、本名とは違う名前をもらって別の人格を演じるという点ではテーマパークのキャラクターと同じだ。
また、恋愛事情あたりは気心が知れぬうちは(ある程度知れても)決して明らかにはしない部分はアイドルと同じだ。
よほど意気投合すれば、「最近別れた」などの真剣なコイバナを聞くことはできるが、かといって隣で酔っ払っている自分が対象になるなどと考えるのは勘違いが過ぎる。
たいがいはしつこく詮索したところで「厳しい現実」を突きつけられて男の方が悶絶するケースが圧倒的に多くはなるのだろう。

我が国のような平和な社会であっても、誰にとっても現実というのは苛烈なもので、時には非現実の世界に身を置きたいと思うのは当然だ。
方法が何であれ、そういう時間が一個人の中にまったくないとするなら、現実世界にまったく不満がないという仏様のような人ということになる。
現実が苛烈であるからこそ、人は非現実や夢や希望やファンタジーや幻想や妄想やフィクションに時々は身を委ねたくなる。
誰の現実にも特に不安や不満がないとするなら、世の中の多くの「夢を売る仕事」がなくなってしまうだろう。
実際にはかなわないと知りつつ、その夢を支えに日々を生きる場合だってある。
生活を回していくという当たり前の動機だけでは、人間が日々の仕事に当たっていくには少しだけ弱いのである。

ここまではカラ梅雨

2017-06-18 23:02:04 | 休日
6月8日に梅雨入り宣言があった当地だが、18日の今日になっても雨らしい雨は2日ほどしか降っていない。
梅雨前線は日本列島のはるか南にあって、なかなか北上してこない。
前線の北側にある大陸の乾いた高気圧が強いので、梅雨前線は北に行きたくても行けない状況である。
こういう時は、日差しが出れば暑いが湿気のないカラっとした感じだし、朝晩は信じられないくらい涼しい。
週末例によって外に出た時も、この6月中旬にして長袖を引っ張り出すことになった。

ようやく次の水曜日あたりから梅雨前線が徐々に日本列島に近づいてきて梅雨らしい空模様になってくるようだ。
私自身は晴天でも雨天でもあまり生活に影響はないが、ダムの水が少なくなっている映像などを見ると、いくら何でもそろそろ降ってくれないと困る人々の存在に気付く。
天候に成果が左右される仕事をされている方にとっては、できれば毎年の変化は激しくない方がいいわけで、一般の人間にはうっとうしくても梅雨時のある程度の降雨は必要不可欠なのだと言える。

今は南に押しやられている太平洋高気圧がいずれ勢力を盛り返して日本列島を覆うようになれば、いよいよ本格的な夏の到来である。
当然ながら大陸のものと違い、こちらは湿気を存分に含んでいるので蒸し暑い。
愛知県は海なし県ではないが、私がいる岐阜県に近い県北部は「内陸」と言っても間違いではない場所だから、前橋や甲府といった我が国きっての高温都市にも劣らない猛暑は覚悟しなくてはならない。
昨年、当地が38℃の猛暑にあった8月上旬、ちょうど私は盆休みの旅行で涼しい北海道にいた。
もちろん盆休みが済んだ後にも猛暑日はあったので、完全に猛暑日から逃げ回れたわけではないが、昨年はたまたま高温のピークだった時期に当地にいないという幸運があった。

今年の夏は梅雨の状況がまだはっきりせず、専門家でも予想しづらい状況かとは思うが、長期予報ではあるいは昨年以上の猛暑も、という話もあるので、当地では2回目となる真夏の暮らし方には重々気をつける必要がある。
仕事がある日は仕方がないし、休日も今年はお盆休みが短いので、昨年のように北の大地に逃げるようなプランは立てられない。
暑さという点では地元である北陸も何ら当地とは変わらないので、帰省しても暑さから逃げることにはならない。
それ以外の毎週めぐってくる土日をなるべく暑さから逃げるような使い方にするしかない。

誰しもそうだとは思うが、ここまでの夏は昼間と朝晩の気温差に戸惑う期間であった。
気温差も体にはこたえるとはいえ、本格的な蒸し暑いニッポンの夏もやはり体には厳しい。
しかし、お天道様がどうあろうと日々の仕事は続くので、少なくとも真っ先に倒れるなどということにだけはならないようにしたいと思う。

潔くあれ

2017-06-15 21:38:39 | 日記
2004年、通販大手のジャパネットたかたが顧客情報漏れを起こした時、当時の髙田明社長は即座に会見を開き、全国で展開中の販売も一時的に停止させて、事実関係を丁寧に説明して謝罪を行なった。
具体的な数字は取っていないが、会見後は逆に売り上げが急増したという。

それより前の2003年には、石原プロモーション所属の若手俳優がドラマ撮影で自動車の操作を誤り見学者の中に突っ込む事故を起こした。
この時も、石原プロは渡社長も含めてやはり即座に会見して謝罪し、その後の「西部警察スペシャル」の撮影を中止したので、石原プロに対する批判らしい批判はトンと聞こえなかった。

いわゆる「ゲス不倫」で散々叩かれた某有名女性タレントは、それまでの清廉なキャラクターイメージから、企業のコマーシャルにも数多く出演していた。
芸能人としての能力は疑いようがないので最近は少しずつ露出の機会を増やしてはきているようだが、イメージ最優先の企業CMに今も多数出ているという話は聞いたことはない。
この件に関しては会見後にも相手男性側とのやりとりが面白おかしく紹介されたりなど、一度会見はしたもののその後の言動が会見での殊勝さとはかけ離れたものであったために、あとあとまで世の多くからの不興を買う原因となった。

先の2つの例は、いたずらに発表を先延ばしにしたりしなかった姿勢が人々の共感を呼んだものと思うし、逆に女性タレントの例は結果的に会見がカタチだけのものだったことが明らかになったという悪い例である。
訴訟社会の米国などは謝罪することによってその後の裁判が不利になるため「謝ったら負け」くらいの感覚があるらしいが、我が国ではその時点で分かっている範囲の事実に基づいて、一般に迷惑や心配をかけたと当事者が認識している場合には、まずは説明と謝罪という行動が受け入れられやすいのは確かであろう。

企業もある程度の規模になれば、より知名度をアップさせるべく宣伝に工夫を凝らすのはごくごく自然な行動である。
ジャパネットたかたのように社長自身が有名人になれるようなキャラクターがあればまた別だが、一般の関心をひくために多くの企業がいわゆる「著名人」を起用して何とか企業イメージの向上と認知を狙っているのが実情だ。
しかし、著名人といえども人の子、時には過ちを犯すこともある。
宣伝に起用した著名人がもし過ちを犯したら、起用した企業は「著名人本人の問題」として全くの無関係でいられるかと言われたら必ずしもそうではないような気はする。
企業にとっては安くはない出演料を払ったのに何ということをしてくれると思うのは当然だが、CMはすでに何度も全国もしくはローカルで流れてしまっている。

今後当人とどう関わっていくのか、決定権は企業にあるから好きなようにできる。
せっかく撮ったCMが今後世に出せなくなるとすればそれは過ちを犯した本人の責任であり、契約解除はもちろん、損害賠償請求の対象にもなりうるだろう。
しかし、起用した企業も全く無関係のような顔でいるのではなくて、何かの機会で一言でも、一度は三顧の礼で迎えて期待してCMに起用したタレントの不祥事についての言及があれば、一般が受ける印象もより潔く見えるのだろうとは思う。

笑顔ひとつで

2017-06-13 20:54:24 | 日記
今週の仕事も、まだ2日間だが順調に過ぎている。
梅雨入りしたとはいうものの全くと言っていいほど雨が降っていないので、仕事をする分には非常にラクだ。
単純にモノを運ぶだけでも、いちおうは最終的にお金になるモノと思えば最善を尽くすのは当然だ。
しかし、雨に対するケアが大変面倒なのは、倉庫と製造の建物が独立していてしかも互いにかなり遠いことにある。
モノの運搬はわがチームでやるしかないので、雨はもちろん強風の時も非常に気を使うことは想像していただけるだろう。

さて、時間の力というのは大きいもので、先月来どことなくスッキリしなかった気分は徐々に良くなって来た。
今月初頭に実家に帰り束の間リフレッシュ、その後当地でも会社の飲み会があって予想以上に楽しい時間を過ごしても、酔いがさめた後は何となくテンションの低い状態に戻ってしまった。
春のG1シリーズも一段落、普段は手を出さない谷間の重賞で望外の成果があったからパッと散財してもよかったが、先週の疲れもありプラス分は今後の生活の足しにするという弱腰ぶりだった。
自らストレス発散を拒むような行動も、6月度までの厳しい財政を考えると致し方ない。

疲労が相当にたまった時はゴロゴロもいいだろうが、何となく気分が上がらないくらいの時は自宅にこもっていても何も解決しない。
短くてもいいから外に出て、誰かと言葉を交わすことが気分を変えるのにはけっこう役立つ。
誰かと言っても特に限定されるものでもなく、コンビニやスーパーの店員さんでもいい。
黙って品物を置いて、黙ってお金を払って、黙って出てくることだけは避けよう、ということである。
言葉を音声にして出すことは、笑うことと同様いくぶんかは気分を楽にしてくれる効果があるようだ。

しかし、何と言っても気分にとって良い効果があるのは他人の笑顔である。
今の当地での生活の中で、私の存在を確かめた時に笑顔になってくれる人はわずかながらいる。
そういう人は無条件に大切にしなくてはならないし、日々のやる気の助けにもなってくれるから笑顔の力たるや絶大である。
もちろん互いに示し合わせて動いているわけでもなく、姿を見ない日もあるのは仕方がないが、やはりそういう日は何となく寂しいのである。

スマイルは0円でありながら、他人の役に立つという面で見るとまさにプライスレスの価値がある。
プライベートはもちろん、なるべくなら職場でも笑っている時間、他人と笑いあっている時間が多いに越したことはない。
笑う門には何とやら、予期せぬ別ればかりが訪れてしばらく落ち込んでいた心も、自ら少しずつ上げていけたら言うことはない。

梅雨はいつまで

2017-06-10 21:19:26 | 休日
当地では6月8日が梅雨入りだったようである。
平年通りということで、イヤな季節がこれから約1ヶ月続く。
梅雨明け後には、昨年以上の酷暑もという予想もあり、また涼しいところに逃げる計画も考えなくてはならない。

さて、月曜が休暇だったため、今週の仕事は4日間だった。
やっていることは基本的なところはほとんど変わらないが、近い将来節目の年齢に達する人もいるので、それを見据えてか少しずつ違ったことを頼まれることが増えている。
詳しくは知らないが、節目の年齢を過ぎれば残業等で一定の制約があるかもしれず、まだ定年までに余裕のある人間に後を預けるケースも出てくるだろう。
入ったことのない場所に入る場面も今週は何度かあって戸惑うことも多かった。
しかし、同じチームの仕事をいろいろ覚えて損なことは何もない。
頭数が少ない中で、イザという時にヘルプ程度でも役に立てることがあるならそれに越したことはない。

勤務が終わって、金曜の夜は会社の部署が主催する会があった。
個人的な飲みとなるとあまり期待できない現状ではあるが、新人さんを歓迎する集まりが閑散としてしまってはいけないと思い、出席者の一名として末席を汚すことにした。
告知から実施日までがやや短かったわりにはそれなりの人数が揃って、お酒も進んで少なくとも私の周辺は会話で大いに盛り上がった。
仕事中は私も含めて誰もが難しい顔をして過ごさざるを得ないが、仕事を離れた席になれば日頃はピリピリして見える人も驚くほど穏やかであったり、意外な話題を持っていたりする。
昼休憩の時など、リラックスして話せる人が増える分には悪いことは何もない。

会社がらみの宴席は、今や強制性が疑われると非難の対象になってしまうという難しい時代になった。
とはいえ、私自身はせめて歓迎会や送別会などの「公式」なものには顔を出したい思いは強い。
いつか私が当地を去る日が来るとして、もし私が誰の歓迎会にも誰の送別会にも出ないまま過ごせば、私のために送別会を開こうとは誰も考えない。
みんなに好かれなくてもいいから、せめて節目の日に立ち会ってくれる人がわずかでもいいからいるような過ごし方を会社ではしなくてはいけないと思う。

私も当地に来てから、一年半というすでに短くはない時間が経過した。
いろいろなことを無理矢理にでも励みにしながら、まずはなるべく休まずを目標にここまではがんばってこれた。
ただここ最近に限れば、この時期の空と同じで今ひとつ気分がスッキリしない日々が続いている。
毎日元気に仕事に出ていくため、これまでの一年半とはまた違った新しい励みを模索する日々がしばらく続くのかもしれない。