blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

6月を振り返って

2024-06-30 11:17:37 | 月末振り返り

毎月最終日はその月を振り返る。

環境が変わったというほどではないが会社の中での役割が変わった。

マイナス面といえばフォークリフトに乗っている時間がかなり長くなったこと、また扱うものが今までよりかなり重くなったことでやや腰に来ることが増えた。

乗り物を使っているから重いものが運べるのは事実としても操作する人間にはそれなりの負荷はかかる。

逆にプラス面としては他のメンバーの仕事からかなり独立したエリアにあるので、ひとり仕事的要素がアップして日頃のストレスは軽減した。

入った当初は執拗に当方をイジメていた某氏も今私がやっている仕事の中身は知らないしできないからウザがらみをする手立てはない。

プラスマイナス差し引きすれば、かなりいい方向に進んだと言える。

 

今の担当は人目につきにくいのでサボろうと思えばいくらでもサボれるし、現に前の担当者はやたらに休憩が多くて悪評を買っていた。

しかし、私がまだ慣れていないことを割り引いても実際に携わってみるとこの仕事量でどうやってサボりながらできるのかという感じである。

所定の休憩を飛ばしてまでがんばろうとは思わないが昼の食事を除いた午前午後の小休憩は飛んでしまうことがある。

サボることを考えるのは慣れてからでも遅くない。

とりあえず現場が全体としてうまく回るように動けるようになるまでは今しばらくのガマンである。

 

全体としてと書いたが、ひとり仕事になったといっても当然全体の流れから全くの無縁ではいられないし、こちらの仕事が片付かないせいで現場のスペースが空かないと文句を言われることになるから物事の優先順位は考えていく必要がある。

文字通り全体を把握してこちらの立場も理解している人は表立っては言わないが、高齢化している我が現場ではとにかく自分のことは早く終わって早く帰りたいという向きも少なくない。

いざ自分の仕事となればゴキブリのように飛びついていって、思い通りに進められないとなると時にはこちらに文句を言ってきたりする。

ごく一部を除いては私の担当はやろうと思ってもできないから、文句を言うとしたらそういう時しかない。

 

今だけ自分だけ、全体を見渡せない人間というのはどうにもこうにも簡単に直るものでもなく、さりとてアタマカズとしては貴重だから排除できないというのが会社としての本音だろう。

いくら社歴を積んでも毎日同じことばかりやって新しいことを覚えずできることが増えないから、いつまで経っても体力勝負の面倒くさい仕事も押し付けられてしまう。

体力勝負が好きならどうぞご勝手にというところだが、そういう仕事に回っていたほうが気分的にラクというのではそれこそいつまで経っても進歩がない。

エリアとしてはごくわずかとはいえ、自分よりも後に来た人間が「数量の管理」までやり出した現状に危機感を覚えないようであれば、我が社での時間はただの運び屋積み込み屋で終わってしまう。

お前なんかお前なんかと思っていた人物が、すでにはるか前方、背中すら見えないところを走っていることに早く気づいていただきたいものだ。


決めつけんといて

2024-06-25 21:51:22 | 日記

急な担当変わりから間もなく一週間が過ぎる。

以前の担当業務も「ひとり仕事」に近いものはあったが今の仕事はその色がさらに濃くなった。

同じ建物の中ながら日中いるエリアがまず他の人と違うし取り扱うモノも今までとは全然違う。

場所のやり繰りや日々の段取りについては現場のリーダー氏や事務所とのコミュニケーションはあるがそれも多くは必要ない。

他の人ももちろんそれぞれに仕事を持ち忙しいからあまり人に見られている感覚もない。

人目につきにくいと言ってしまうと語弊があるかもしれないがそれくらいに他の人の日中の流れからは離れたところにいる。

 

今回私が今の担当になるにあたり私以外にも何人か候補はあがったようだが、そのうちの一人は「引きこもるからダメ」ということで事務所が却下したらしい。

要は人目につかないからと言ってサボることを考えるタイプは今私がいる場所はたとえこなす能力があってもダメだということになった。

人に見られていなくてもすることはすると思われているのは光栄なことだが、もちろん私だって生身の人間だからラクをしたいと思うことはある。

しかし今は前担当者のやり残しで多少乱雑な部分を整理する必要がありアレコレと現場をいじっているうちにあっという間に時間が過ぎていく。

自分の判断で現場をいろいろいじって文句を言われないありがたい状況でもあり、のちのち自分がラクにやっていくために今は少しラクを控えてアタマをひねって現場を分かりやすくしているといったところだ。

 

私は仕事中は仕事のことしか考えないし周囲にもあまり遠慮せずズケズケとモノを言うから、あまりひとりの人間として見てもらえないところはある。

見てもらえなかったところで私には何のダメージもないし、見渡してもこの人と一回飲みに行きたいなと思える対象もいない。

職場の人は互いが同じ目的のために時に協力し合う仲間であることは間違いないとしても、仲間だから仲良くあるべきとは思わない。

 

こんな冷淡な考えを持つ人間だからかなぜか「何か趣味持った方がいいよ」などと言われたこともある。

仕事場での姿だけ見て無趣味で無機質な仕事人間だと決めつけているのかもしれないがとんでもない勘違いである。

私に少しでも関心があるなら「休み何してんの?」くらい聞かれれば答えることはできるがそうしないで自分の勝手なイメージで判断してしまうのはいかがなものか。

私は無趣味の反対で多趣味なのは本欄や各SNSを通じて知る方も多いと思うが、そう思いたくない人は実像がどうあろうと私が趣味一つない無味乾燥な人間でなければならないということのようだ。

 

トシを食ってプライドばかり高くなりアタマの切り替えができないというならそれは仕方がないし、残念ながらそんな人間も我が現場は少なくない。

将来「なってはいけない姿」を毎日見せてくれていると思えば、今からそうならないように努力すべきなのだろう。


サイレント人事異動?

2024-06-21 21:27:29 | 日記

学生さんが休みの期間に発売される「青春18きっぷ」(JR線全線の普通・快速乗り放題が5日分で12,000円くらい)、例年夏にも発売されてきたが今年は告知がやや遅れたこと、また北陸新幹線の延伸により我が富山県も含む北陸地方ではかなり使いにくくなったことでよもや打ち切りとのウワサが流れた。

実際はJR各社から発表があって例年通り発売されるが、告知もなくヒッソリと打ち切り=サイレント廃止のウワサには私自身もかなりヤキモキした。

各地の「快速」をうまく活用して低コストで長い距離を移動する楽しみは年齢が「18×3」に近くなった今でも十分に使いようがある。

 

さて、ごく最近になって私の仕事内容が急に変わった。

高齢化著しい我が現場、予想しないところで急に離脱者が出た。

誰かが離脱すれば誰かがその代わりをしなければならず、その誰かに私がなった。

通う場所が変わるわけではないしフォークリフトに乗るのも変わらないが扱うモノが変わるし当然日々の段取りやリズムも変わる。

私個人としては現場の中でできることが増えて何の損もないから二つ返事で引き受けているが、心配なのは今は離脱している旧担当者にこの話がしっかりとした形で伝わっているのかということである。

今は離脱中とはいえ体調が戻ればやがて当人は現場に帰ってくる。

これまでやってきた仕事が知らない間に他人の担当になっていて当人が驚くようなことではいけないし、元の仕事に改めて意欲を示さないとも限らない。

万一そうなったら現場は混乱してしまう。

私にとっても急なことではあったが辛うじて「サイレント人事異動」ではなかった。

しかし旧担当にとってサイレントな形になっていないだろうかという心配は残る。

 

こういう動きの当事者となって改めて思うのは、やはり職場には出られるだけ出ておいた方がいいということである。

高齢化している現場だから私も含めて体に何の問題もない人はない。

しかし病気や障害などいくら正当な理由があったとて休みがちであることは存在感の低下につながる。

病気や障害と付き合いながらもひとたび出てくれば結構な重労働だから人間としては感謝しかないが、職業人としての評価はそれほど上がらないのは致し方ない部分はある。

どうしても、どうしても、肉体的もしくは精神的に業務の遂行が難しいと判断されれば残念ながら会社都合での解雇事由に該当してしまうのも世の中の厳しい一面ではある。

 

どんな分野でもそうだが、毎日出続けて普通に役割さえこなしていれば最低限、水準程度の評価は得られる。

出続けることは簡単そうで実は難しい。

休日が少ない業界にいて日々の体調管理は年齢とともに大事さを増してくる。

あまり無理のきかないトシになっていることを今一度心にとめ一日一日を積み重ねたい。


早朝から

2024-06-18 22:22:54 | 日記

今週は早番のため7時半からの勤務に備えて6時半には自宅を出る。

いつも使っている給油所が24時間営業に変わって便利になったから通勤途中に立ち寄った。

すると見覚えのあるクルマが隣のレーンから出ていこうとしていた。

そのクルマはずいぶんと背が高い。

私のクルマは小さいから見上げるように隣を見るとクルマの主は私と前の職場で良からぬ因縁があった人物であった。

視線を送る主が私だろうと気づいたとは思うがカラんでくるようなことはなかったのでホッとした。

 

それにしても、平日の6時半という時刻に彼の住所からはやや離れた魚津市内にいるということは気になった。

私の前職の始業時刻は9時で、彼が引き続きその職場で続いているとすれば平日の6時半なら彼自身はまだ自宅で寝ていてもいいくらいの時間であるが彼は確かにクルマに乗って魚津にいた。

過去、自身より意欲もあり能力もある人物をことごとくいじめ抜いて追い出してまで仕事場にしがみついてきた当人も、ついに自分自身もいられなくなる何かがあったのかもしれない。

 

自分の居場所を何とか守り抜こうと乱暴な方法も含めて必死で工作して最後には相手を追い出すまでやってしまえば短期的には勝ったように見える。

しかし時を経て自分自身もその居場所を失うことになれば、勝ったように見えていたものもそうではなくなり実質は負けとなる。

今彼がどんな立場で、どんな契約形態で働いているのかは(そもそも働いているのかどうかも)知る由もないが、私自身は災い転じて何とやらで、数か月の雌伏ののち正社員という立場で今の会社に拾ってもらえた。

私からすれば、負けたように見えていたものがそうではなくなったわけである。

 

彼の顔を見て1年あまり前のイヤな出来事を思い出してしまったが、仕事の時間になってしまえばそんなことは忘れてしまった。

応分の投資と時間を使って得たせっかくの資格を存分に生かして仕事できている今は幸せである。

今の現場にだって私の活躍を「望まない」勢力も少なからずいることは確かで、単に社歴が長いとか社内事情に精通しているとかのアイマイな根拠に基づく変なプライドは一丁前に持っている。

「オレより後から来た人間だからオレよりはできない知らない」などという脳内設定は、日々私自身の手によって目の前で粉砕してあげているはずなのだが、その事実には残念ながら気づいていただけてはいないようだ。

 

長く生きてきた結果、他人に期待しすぎない冷酷な人間になってしまったので、今の職場でもこれからもいろいろとあるだろう。

対立するまではなさそうな人でも、関心事が違いすぎるためか特別に仲良くなれる感じではない。

あくまで仕事場では仕事、と割り切ってあまり心をザワザワさせないでいくのがいいのだろう。


休むも仕事のうち

2024-06-11 21:45:03 | 日記

我が業界は成り手不足が深刻なためどこの会社と言わず圧倒的に年齢層が高い。

どこぞのインフルエンサーとやらが差別心丸出しで底辺などと吹聴するし、業界の構造から言ってよい待遇も期待できないから若い人はハナから寄り付かない。

いわゆる3K(きつい汚い危険)職場には本人の実像はともかく見た目が怖い人も少なくはないので、怖いのKを加えて今や我が業界は4Kと言っていい。

 

我が職場では高校を出て3年目くらいの社員もいるが彼だけが極端に若くてあとは40代以上であり、社会的に定義されるところの高齢者(65歳以上)も少なくない。

50代前半である私でもかなり若い方になってしまうからいかに高齢化した職場かお分かりいただけると思う。

そんな職場だから、今この時点で何らかの病気を抱え「闘病中」という人も少なくない。

大きな病気にかかれば誰しもが不安だし定期的に観察も必要になるから職場を空ける日も多い。

職場はたとえ何人欠けようと回さないわけにはいかないし何だかんだで回ってしまうものだが、当事者にすれば休みがちなのは気になるところだから出てきた日はかなり張り切って仕事をしようとする。

ただ、張り切るのはいいがどう見ても無理をしているように思えることが多くてかえって痛々しく見えてしまう。

 

我が社としては高齢傾向は今に始まった話ではないので事あるごとに「何はなくとも体優先」とはアナウンスされる。

職場はいちおうはお互いが仲間どうしであって、誰かに何かあれば人間としての心配は当然する。

ただし職業人としては、仕事をたびたび中座しなければいけないような状態では文字通り無理をしないで早めに帰ってもらって休んだ方がその後を考えればよほど周囲のためになる。

実際は当事者の無理が原因であっても、会社が不本意ながら労務管理上の何かを問われることになってしまえば会社の対外的なイメージさえ傷つけるかもしれない。

無理を押して仕事するなどいいことは何もないから、調子が悪ければすぐに仕事の手を止めて休めばよい。

休むべき時には休むのも仕事のうちである。

 

私は今の現場に来てから皆勤賞と言いたいところだがそうではない。

たった一日だけだが「今日行ってはダメだ」と思って休んだ日がある。

体調がとても悪いというわけではなかったものの今から思えばずいぶんと新入りならではのストレスがたまっていた時期があった。

行く気にならないから休んだというのは身勝手に思われるかもしれないが、その時分のストレスもあって本当に「今日行ったら壊れる、ダメになる」と思ったから休んだ。

結果的にはその日に思い切って休んだおかげで翌日以降少し元気が出て、その延長で今日まで来ることができたと言っていい。

 

誰しもみな生身の人間、分かりやすい病気やケガはもとより突然の「ガス欠」だってありうる。

しょっちゅうガス欠を起こしてきた人間だからこそ、ダメな時には思い切って休むことを推奨して今日の投稿を閉じたい。


安全第一

2024-06-04 20:17:17 | 日記

近頃はこのブログに取り立てて書くようなことはあまりない。

変化がないと言えばそうだし、大きなハプニングなどはなく順調であるとも言える。

仕事場でのアレヤコレヤはひと頃に比べればだいぶ減って、朝に何となくイヤだな~などという感じは幸いない。

個人のレベルでは仕事上困ることがほとんどなくなっていることは喜ばしい。

 

気がかりがあるとすれば、組織全体として統一された決まりがなくまとまりをややもすると欠いているように思えることだ。

例えば朝のラジオ体操の様子はとても人様には見せられない。

音楽に合わせてしっかり体操をする人は半分もいず、ずっとポケットに手を突っ込んで何もしない人、音楽を無視して適当に体をほぐす人など、文字通りバラバラの光景が展開される。

現場で働く者に対して会社がタダでケガ防止対策をしてくれていると思えばラジオ体操とて決してバカにはできないところ、何もしないでスカしているのがあたかもカッコいいかのような謎文化が我が職場にはある。

 

また、狭いスペースにフォークリフトが7台8台と行き交い大型トラックの出入りも頻繁な現場だから「安全第一」であることは言うまでないわけだが、残念なことに私が加わって以降に限れば座学で安全について語られたことはただの一度もない。

曜日を特定して会議が持たれていた時期もあったようだが少なくとも今はない。

するとどうなるかと言えば、安全に関しては完全に個々人に任されるということになる。

個々人が思う「安全」はそれこそバラバラなので、私からすればどう見ても危険な行動や運転はなくならず言葉は悪いが毎日生きた心地がしない。

譲ることも待つこともできない老人たちに思い思いに運転されては体がいくつあっても足りない。

 

全体的な高齢化の影響もあり時々ではあるが信じられないような事故も起こっている我が職場だから全員集合の会議は定期的に行われてほしい。

一枚の写真を見て予想される危険について意見を出し合うことは、過去に在籍した会社では茶番気味ではあったが月イチで機会があった。

毎朝の締めで「今日も事故のないように」と言っていて、どうすれば事故が起きないか全く話し合われない職場も珍しい。

ひとたび巨大な事故が起きれば全員で積み上げた利益も一瞬で吹っ飛ぶというのにだ。

 

安全を個人任せにしたところで、迷惑駐車に危険運転、他人の迷惑などどこ吹く風、いわば人としてのベースに問題があるメンバーも多いのだから、せめて組織として最低限これだけはやってくれるなといったところはしっかり決めて全員に徹底するべきだろう。

いつ大事故が起きても不思議ではない現場に明日以降も足を運ぶことにはなるが、いつか怖い思いをしなくてもいい現場になることをただただ祈るより今はないようである。