blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

一日を外で

2021-04-22 22:26:52 | 日記
明日から富山県内は感染対策が「ステージ1」から「ステージ2」に強化される。(県独自の基準あり)
その少し前には県知事から「富山アラート」なるものが発出されていたが、あろうことか県知事自身が夜の会食に参加していたというニュースが飛び込んできた。
私自身は、前々から書いているように珍コロなるものは概念にしか過ぎず、人類の完全支配を目的とする層の作為によって恐怖が喧伝され続けているだけ(今日のニュースは二重変異ウイルス確認とか、笑)だと思っているから、知事が夜にメシを食べに行くこと自体は何とも思わない。
ただ、世のほとんどが珍コロの存在を恐れつつ動いている以上、また県民に自ら注意を呼び掛ける立場にある以上、一言軽率とのそしりは免れない。
記者会見の様子が昼のワイドショーのネタにされ、MCや出演者にコケにされるような行動は、行政の首長としては避けなくてはいけなかった。

さて、県内では今年も昨年に続いて中止になるイベントが多い中で、砺波市の春の一大イベントである「となみチューリップフェア」が今日から開幕し、春の連休いっぱいまで開催される。
今日は開幕を祝い、航空自衛隊のブルーインパルスが昨年の5月以来、富山ではもちろん初めて編隊飛行を披露するというので話題になっていたので行ってみることにした。
チューリップは入善町や朝日町で十分見たし、平日とはいえ入場するだけでも大変なフェアそのものには行かず、市内にいくつか公式に設定されていた観覧ポイントに行って正午の開始を待った。
20分程度とのお知らせは5分ほどオマケが付いて、編隊飛行から単独のアクロバット飛行、飛行機雲で空に6つの輪やハートマークを描く演出まで終わると、会場には拍手をする人もいた。

いつもは地上波はほとんど見ないが、夕方の県内ニュースでは各局が軒並みこの話題を放送していた。
フェア会場内の映像はどう見てもソーシャルディスタンスなどとは程遠い状態であったし、地元にも今年のフェア開催には否定的な意見もあったという。
しかし、ニュースのネタとして格好のイベントでもあるからTVカメラはそんな状態の真っ只中に入り込んで撮影をしたわけで、日頃エラそうに画面の中から感染対策を唱えるわりにはずいぶんと矛盾しているし、言葉は悪いが偽善と言われても仕方がない。
個人的には、砺波市長の「今この段階で全てを止めてどうなる」という意見に賛成だ。
日常を忘れみんなで空を見上げ、今後数十年は見られないかもしれない貴重な機会に歓声をあげる、こんな当たり前の光景が今は当たり前ではなくなっていて、本来は分断されなくてもいい者どうしのつまらない争いにつながっていることが残念でもあり腹立たしくもある。

ここ10日ほどは、気分に従って外に出て過ごせるようになってきたが、主に午後、時間的には長くて3~4時間ほどにとどまっていた。
今日は午前の早いうちから動いて自宅に帰ったのは夕方前だから、だいぶ長く外にいたことになる。
誰にもジャマされない遊びで一日動けなかったら、仕事なんかできない。
4月のうちになるべく外に出て自信を取り戻し、本来あるべき生活に戻れるようにしていきたい。

人間に戻る

2021-04-13 19:25:16 | 日記
3月半ばに体調を落としてからひと月が経とうとしている。
当初は、日常のあらゆることが面倒くさく、部屋はバタバタのまま放置、大切な食事すら億劫で日に一食で終わった日もあった。
休む日々が長くなるにつれ徐々に気力は回復し、食事も規則正しく取れるようになり、他の雑事もしっかりできるようになった。

4月に入ると陽気もよくなり、ここ最近は桜やチューリップなどを見に近隣に出掛けることも多くなった。
横になっていてもつらい時期を脱し、思い付きであっても、短時間であっても出掛けられることに喜びを感じている。
気が向くまま出掛けては、好きな写真を撮って一部はSNSにも上げるという、普通の休日的な行動ができるようになってきた。

不健康な状態から普通の人間に戻ってはじめて「職業人」への復帰が展望できる。
誰の制約も受けず時間にも縛られない行動ができなくて、仕事に復帰などできるものか。
ようやく今の段階では「普通」に近いところまで戻ってきたように思うので、後はどのように社会に帰っていくかの思案が必要だ。

いずれ社会に帰っていったとしても、消耗しやすい性格は間違いのないところだから、日々完全燃焼ではまた燃え尽きてしまう。
もっともっとテキトーに生きていかないと、また同じことの繰り返しだ。
真面目に仕事をするのはいいが、自分で自分を追い詰めても仕方がない。
いい意味でゆるくゆるく生きていかないとまた不健康になってしまう。

この年代から変わっていくのは容易ではないが、乗り越えるべきものがある幸せを感じて日々を送りたいと思う。

変わらなきゃ

2021-04-05 20:37:15 | 日記
もうだいぶ前になるが、当時SMAPの草剪剛さんが「いいひと」というドラマの主演をやっていた。
ドラマの内容は全く知らないが、いいひとであるがゆえの不条理を描いた作品であることは想像できた。

このご時世、いや本当はもっと前から、もっと言えば人間社会はもともと、いいひとだからといって得になることはほとんどない。
いいひとの前には(どうでも)とか(都合の)という屈辱的な枕詞が隠れていることに気づくと、いいひとなんかヤメられるものならすぐにでもヤメなさいと他人には言える。

私自身は、若い時分はマジメだけが取り柄で自らそれを「売り」にするような面さえあったので、まわりの人間にとっては本当にイヤなやつであったろう。
反面で、自分はこうだという軸がなく、他に良かればかりで根無し草のごとく流されやすいところがあったので、小賢しい人間には利用するだけ利用された。
同じ目的を共有できている時期はまだいいが、それが過ぎればゴミのように捨てられて後が続かないのは、もちろん相手が悪いのではなく、私のそんな生き方が悪かったのであり、今となっては「黒歴史」として忘れてしまいたいくらいだ。

当時は当時で必死で生きていたとは言いたいが、結果的に自分の器以上のものを自分に求め続け、大学を出る頃にはもう生きることに疲れ果てていた。
学校を出るまで表面的には何の問題もなかったのは、学校の勉強は自分さえがんばればよいものだからで、否応なしに他人とのコミュニケーションが必要になる社会人になると、さらに大きな壁が待っていた。
仕事もロクにできず落ちこぼれのままで何とか8年やってはきたが、ちょうど30歳を迎えようという頃、いよいよ体が言うことを聞かなくなり、当時赴任していた北海道を最後に、最初に入った会社をやめることになった。

その後は、服薬をしながら何とか生きていくしかなくなったので、仕事はコロコロ変わりながらも一方では若いときからやりたいと思っていたことに徐々に手を付け始めるなど、他に良かればかりではない自分を獲得していった。
楽器の演奏も、自作の曲作りも、ブログに文章を書くのも、すべて30歳以後に始めたものであり、大好きな旅行では40代後半にしてようやく全都道府県に足を踏み入れることもできた。

それでもなお、私の前途には大きな課題が残っている。
どんな仕事でもベストを尽くそうという思いは持っているが、ここ最近書いてきたことも含め、いつの間にか周囲に寄りかかられて負担が増大し私自身が消耗して倒れてしまうことが繰り返されている。
その度に仕事から離れざるを得なくなり、先々のことが不安な状況に陥ってしまい、もちろん周囲はその責任は取ってくれない。

若い頃からだいぶ変わったとは思うが、まだまだ私自身が(都合の)いいひとから抜けられていないとしたら、どこに行ってもがんばっては電池切れの繰り返しになり、生活への不安は解消されないことになる。
そもそもの働き方も含めて、周囲につけこまれやすい生き方も含めて、今この機会にしっかりと「変わる」決断をしてから前に進まなくてはいけない時期に来ていると思う。

3月を振り返って

2021-04-01 17:50:45 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る、と書いてはみたが、今は4月1日の夕方である。
昨日のうちに済ませておきたかったが延びてしまった。

昨年の11月から、縁あって某CVSチェーンの夜組で働きだし、3月は5か月目にあたるところだった。
夜通し勤務というのは、いろいろやってきた私でも久しぶり(某工場で2交代の経験あり)で、完全に夜専門となると初めてで最初は不安はあった。
愛知から帰って実家パラサイトが長くなり過ぎアレコレ言っていられない状況だったこともあり、まずはやってみることにした。
幸い、最初の指導がよかったこともあり「年内には流れを覚えましょう」と言われていたものが、12月の10日あたりで一人立ちになったのを覚えている。

人間は夜に寝るようにできているところを押して働くわけだから、体の疲れを取ることが優先で、遠出はおろかたまに街に出ることもやめて、日中はひたすら「備える」ことばかり考えざるを得なかった。
ただ、仕事には日に日に慣れることができたし、ただでさえ悪い客層が深夜帯は特にひどくなるのを割り引いても、何とか長く続けていけそうな気にはなっていた。

それが今では、かれこれ半月の離脱になってしまっていることが悔しくて仕方がない。
私自身は、来客が少ない時間帯だからこそ割り振られている仕事を日々こなしていたらいつの間にか時間が経っている、というくらいの密度の中でやってきたつもりだ。
そんな中で、私の前を受け持つ担当者がなぜか手抜きを始めてやるべきことがさらに多くなり、経営からはまだ未熟な私には到底無理と思われる管理的な仕事までを展望し始め、週に1回チェーン本体の方と話し合う機会では時にはお小言を頂戴するという環境にまでなった。
実力以上にハードルがどんどん上がって行き、ついに心身が悲鳴を上げたことを訴えたのは中旬のことだったが、経営が聞く耳を持たなかったのでいったん私の方から「付いていけない」との意思を伝えた。

その後は現在のオーナーと話し合いをして、今のところ在籍そのものは外されていない。
しかし、私自身やはり人と接する仕事は苦痛で、予期せぬ作業の負担増加や仕事のハードルがみるみる上がっていく状況に加えて、そちらの方でも徐々に心身が削られていた面もあるかもしれない。
我が国では最も客層が悪い業態であろうCVSだからなおさらだ。
オーナーの厚意に感謝はするが、業界の仕組みそのものも含めて、あまり関わりたくない気持ちになっているのが正直なところである。
もちろん、実家を出てしまった以上、自分の生活の立て直しは急務だ。
働き方そのものも、体のこともあるから、決してフルタイムにこだわるのではなく、長続きすることを優先に重々慎重に考えていきたい。