blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

9月を振り返って

2018-09-30 22:14:57 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
全国的には、今も外を吹き荒れる台風24号はじめ、自然災害がやたらに多い月となり、私自身も今現在は祈るような気持ちで本欄を書いている。
幸いまだ停電にはなっていないが、同じ市内でも停電になっているところもあると出ているので、急に更新ができなくなってしまうかもしれない。

さて、2018年の9月はついに私にとって決断を迫られる状況となって、最終的には今の会社を去る方向となったのが何と言っても大きな出来事である。
原因は一つではなく、それらをいちいち挙げていけば字数などとても足りないから、詳しくは避けたい。
周囲にばかり原因を求めるのは簡単だが、私にも当然ながら非はあり、本欄だけでなく、私がこれまで手がけて来たSNSなどの類が私が思っている以上に影響が大きく、周囲との距離を遠ざける原因にもなったことは記録しておきたい。
全くの予想外ながら、結果的に大量の人間の今後に影を落とすことにもなり(中身は厳密には法に触れる事案なので私が責められる筋合いはないが)、もはや同じ環境で働くことは事実上無理になったから、今さら後戻りもできないのである。

ことコンプライアンスという話になるなら私自身もどこかの時点でお叱りどころか何らかの処分を受けていてもおかしくはなかったと思うが、私がもう身を引くこともあってか、過去のものについては不問とされ、今後は本欄やSNSを怒りをぶちまける場にはしないで明るく楽しいことを載せるようにしていけば、との有難い言葉をもらった。
今後どんな環境に行くことになろうと、本欄やSNSの中身は前向きで生産的な内容にしていくと「約束」した以上、私自身はもう前を向いて進むだけだし、その中で経験するであろう「よきこと」を書き連ねるようにしていきたいと思う。

次の住まい、次の仕事についてはまだ何も決まっていない。
幸いにして今の会社での8年間で、わりあいツブシのきくスキル(フォークリフト免許と4トントラックまでの運転)を身に付けることができたので、年齢は重ねたが選択肢はむしろ増えているのではないかと思う。
地元富山に帰ることを基本には考えてきたが、悪天候の今日、自宅にこもってあれこれ調べていても、求人の絶対量だけで言うとやはり当地周辺の方が圧倒的に多いし、条件もよい。
土地勘もある程度はできたし、住まいも欲張らなければ今より割安なところを選ぶことも可能だ。
今日という日になって、当地近辺に残っての再出発という選択肢も急浮上してきたというのが正直なところである。

台風が過ぎたら何はともあれ地元に入って住まい探しというプランは、少なくとも明日には実行されない。
当地でやり直すことも考えながら、限られた時間を有効に使って最終的にベストな選択ができればそれでいいと思う。
つらいことの方が多かった土地だからと無闇に当地を離れる理由は、環境を変える決断をした今にあってはあまりないものと考えている。

自分で決めたことだから

2018-09-26 23:09:09 | 日記
春先の体調不良により今期の有給がなくなっていた私は、締めの週で作業もなくなる今週いっぱい、つまり9月の終わりまでは普通に出勤するつもりでいた。
しかし、月曜に通常通りに仕事をしていると、11時にあらためて面談をしたいということで、それまでは入ったこともなかった打ち合わせ室に呼ばれ、少し早めに行って待った。

もう私が進む方向がはっきりした中で、どんな話があったかまでは書く必要もないが、事業所の厚情により今週いっぱい出勤することにも相当無理があるだろうということで、月曜の午後からは事業所に出ていない。
私は入社月の関係で有給が復活するのは10月アタマなので、正式な退職日までは有給消化でまかなえるから、もう仕事をしに今の事業所に行くことはない。
あと一回、当地でお世話になった産業医さんに最後のあいさつをするため事業所へ出て行く機会があるが、それが済んだら予定としては本当に当地事業所とはお別れになる。

もはや朝に顔を見ても夕方帰る時も互いにあいさつすらしなくなっていた環境にもう顔を出さなくていいと思うとホッとしたと同時に、少ないながら最後のあいさつをしたい人にはその機会がなくなり一抹の寂しさは感じている。
しかし、昨日あたりは緊張が解けた反動か、ほぼ一日抜け殻のように過ごし、夜になってようやくしばらく止まっていた自室の整頓を進め、今日は粗大ゴミの持ち込みも含めてもう一段整頓を進めて、今本欄に手をつけている。

この季節は、各界で引退や辞任などの話題が多く出る。
最近では当然ながら、優勝22回の大横綱・貴乃花親方の問題、また当地中日ドラゴンズのブルペンを長年支えた浅尾投手の引退など、スポーツを愛する私にとっては寂しいニュースが相次いでいる。
個別の事情について字数を割くつもりはないが、やはり出処進退は最終的には自分で決めていることは報道などで知らされる通りである。
周囲がまだその人物を完全な戦力外とはせず何とか生かす方策を立てていたとしても、当の本人が「やるだけやった」とか「もう潮時が来た」という思いに至れば、どんなに素晴らしい救済策も間に合わない。
本人と周囲の思いが、時にわずかなタイミングのズレですれ違いに終わることがあるとしたら、それも縁の切れ目を物語る事実なのである。

せっかく多めに時間をいただくことになったので、住まいの契約や引っ越し、住所の転出等、諸々の手続きはしっかりと済ませ、何はともあれ、当地に「忘れ物」をすることがないように、会社はもちろん家族などともしっかり話を重ねながら進めていきたい。

いらない人間だから PART2

2018-09-23 11:44:46 | 休日
2018年9月21日、今週最後の出勤日、午前中の仕事をこなした後の昼休み、私はオフィスのPCに向かってメールを打っていた。
宛先は直属の部長、題名は「お願い」であった。
午後のスタートの時間を気にしつつ、文章表現に気をつけながら書き上げて、13時の10分前くらいには送信できた。
そのまま午後の仕事に入り忙しく動いていると、先輩社員から16時45分までに事務所に来てほしいという伝達があった。
「いよいよ来たか」との思いで、荷物がひっきりなしに入る状況ながら、約束された時間より早く事務所に着いた。

相手は部長に加えて、事業所のトップであった。
これは8月下旬に異動の打診を受けた時と同じだ。
しかし、話の内容は先月とは違って、私のお願い、つまり「退職の意思」を伝える場となった。

過去の社会人経験から、8月下旬に異動の打診があれば10月アタマの異動を通常は思い描く。
しかし、10月1日付けの異動には私はかからなかった。
もちろん、10月になるかは分からないとの前置きがあったことは記憶しているから、単純に10月の異動にかからず期待外れになったことに腹が立ってというのが退職の理由ではない。
それだけならただの駄々っ子であるが、この、10月に異動できないことの「意味」を考えなくてはならない。

8月の話の中では、私が所属するチームの人員が10月からは1名減で考えられていると聞いた。
一部の製品を他工場に移すなどして、我がチームの仕事量が総体的には減少しているのでそうなるとのことだった。
我がチームは、私以外はもともと当地出身か、結婚して当地に根を張っている人であるから、当地が出身でない私をまた出身地に帰す方向の話が出ていると聞いたのもその時であった。
ただ、出身地に帰すという方向だけで中身はこれからというのもその時の話であった。

上の流れからすれば、事業所からの要望もされていながら10月に異動できなかったということは、10月1日以降私は「戦力外」なのに当地に留め置かれることになる。
人事は懸命にあなたの行き先を探していて、調整的に11月や12月にも異動があるかもしれないのだからそれまで我慢はできなかったのかと言われれば返す言葉はないが、普通ならば10月の次は1月である。
その間、いらない人間として当地事業所に通い続けることは苦痛でしかないし、我がチームの中で私はまるでいない人間かのごとくにほぼほぼ無視されている状況が数ヶ月にわたって続いており、しかし私の適性上、倉庫周り以上に活躍できる部署もない。
もう当地では本当はいらない、他部署もダメ、転勤は近くて3ヶ月後、今の部署内での扱われ方、諸々考えれば、数ヶ月、下手をすれば数年「飼い殺し」にされ人生の一部をむざむざ無駄にするのならば、一日も早く当地を離れる究極の方法として退職という選択肢をとらざるを得なかった。
会社は病歴を抱える厄介な人間の処遇に腐心しなくてもよくなり、私はただただ誰とも会話せず仕事をして終われば帰るだけの退屈極まりない環境から抜け出せる。
会社と私、WIN-WINで、今回はこれでよかったのだと思う。
ちなみに一昨日は、引き留めのような言葉は一言として聞かれなかった。

40歳を前に富山県内の某部署に拾ってもらい、一時は苦しい時期を救ってくれた会社だから、自分の判断とはいえ去ることは残念無念の気持ちはある。
しかし、能力を出せば出すほど、ベストを尽くせば尽くすほど、周囲から疎まれるタイプであることに気づいた以上、チームワークが重視される会社組織とはまた違った形も含めて、働き方そのものを考える機会を与えてもらったと思って真剣に今後を考えていきたい。
必ず今よりも幸せになり、私自身が明るく元気に日々を送ることで、当地事業所また8年余りお世話になった会社への恩返しにしたいと心から思うのである。

いらない人間だから

2018-09-20 21:17:06 | 日記
平日がつまらないとは毎度毎度書いているが、そのわりには会社に出向くのは早めだ。
8時半に間に合えばいいのに、8時10分にはオフィスに着いている。
オフィスのPCを立ち上げ、勤務状況を入力し、フォークリフトの充電を外して鍵をつけ、ついでに館内の自動倉庫を立ち上げる。
何にしても全ては簡便な動作で数十秒単位で終わるから、始業前の準備として誰に頼まれるでもなくルーティンとしてなぜか私がやっている。

ところが今日は自動倉庫の立ち上げ時に半分に異常があり、自分では直せないのでほったらかしにしておいた。
上の人が気づいたのがいつだったのかは知らないが、そのまま午前の仕事に向かって帰って来ると上の人に呼び止められて「明日から自動倉庫は触らなくていいですから」と言われた。
頼まれてもいないのに毎朝そこまでやってきたことがたった一回の不具合で切って捨てられたような思いがして、これからは自動倉庫の立ち上げはもちろんフォークリフトの充電を外すとか、今まで自主的にやってきたことは明日からは一切やらないことにした。

最近のエントリーでも書いているように、わが部署は今の状態では一名余分である。
それならと、出身も当地ではなく独り身で動かしやすい私に他の土地へ動けるかどうか打診があったわけだが、10月1日付けの異動にはなぜかかからず、いつ動けるのかは全くの五里霧中となってしまった。
呼び出されたからわざわざ仕事を30分早く切り上げて面談に臨み、病気から復帰してからは特に私を相手にする人がいなくなったことなど、ざっくばらんな話もしたのが8月も終わりの頃であった。
10月とは限らないと言われたとはいえ、私にとって当地の事業所にい続けることの意味は皆無であることは主張して理解もしてもらっているはずだから、10月を期待して身構え心構えをして正式発表までヤキモキして、結局肩透かしというのはなかなかにつらいものがある。

当地で必要ではないのに10月以降も今の職場に出なければいけない苦痛に加え、今日のくだらない出来事、またせっかく面談の機会を作り異動の打診をしてきた上司も、人事異動の正式発表後も私には何も言ってこない。
次の受け入れ先が本当に見つからないなど言いにくい事情があるのだとしたら、なかなか話しかけるといっても本心では避けたいのだろう。

当地でもいらない、他でもいらないとなれば、いよいよ私と、一時は私を救ってくれた我が社との縁もこれまでということではないのか。
私自身を会社にいらない人間と認識したうえで朝早く起きて会社に出て行って、何事かは勤務時間の中で成し得たとしても、たとえそれが傍目には立派なことであったとしても、私の中では決して満足感は得られないし、極論すれば「人生(=時間)の無駄遣い」以外の何物でもない。
求められない環境に長くいられるほど、人間強くはできていない。
今の会社か、はたまた全く別の環境を模索するのか、今この時間がもしかすると人生の重大な岐路のさなかということなのかもしれない。



徐々に

2018-09-16 21:24:23 | 休日
世の中的には3連休が2回ある9月だが、我が社では9月24日を夏休みのどこかに振り替えたため、3連休は今回だけである。
本来ならば、久々に愛車にがんばってもらって、三重県の海岸線を延々走って和歌山県に入るという旅行の計画も頭にあった。
事前に宿泊などは押さえていなかったのでよかったが、何せ8月終わりの会社での話を聞いて、この3連休は旅行どころではないと腹をくくり、自室の整頓を一気に進めていく予定であった。

幸か不幸か、10月初めの異動になぜかかからず、もうしばらくは当地にいることになるが、こうなってしまうといつ動くのかは全くの未知である。
10月の次は1月(年度の最終四半期の区切り)などと決まったものがあるわけでもなく、中途半端な月でも小さいながら人が動くことはある。
いつその時が来てもいいよう、話は変わってしまったが10月に動くくらいの勢いで自室の掃除と整頓、荷造りにここまでは多くの時間を割いている。

今の自室は、いつ引っ越しするか分からない人間の部屋とは思えない状態になっていて、もう段ボール箱がたくさん積み上がっている状況だ。
当地に来る時に使った段ボールはずっと残してあったが、いよいよ足らなくなってきたので、明日はスーパーに買い物に行った時に不要な段ボールをごっそりもらってこようと思っている。

とはいえ、最低限の生活、炊事や洗濯、入浴に睡眠などはしばらくは続けなくてはいけないから、大きなものは片付けられない。
今のところは緊急性のないものだけを整頓しただけで、大きなもののことを考えるのは実際に今度こそ当地を離れることが本決まりになってからでないとどうしようもない。

整頓の合間を縫って、時間つぶしには格好である中古屋さんめぐりなど、ここ2日間は一つ一つは小さいが買い物をけっこうした。
いらないものを捨てる過程で、必要になってくるものもある。
この期に及んでモノを増やすのもどうかとは思うが、実質使えないものを後生大事に抱えているのならひと思いに捨ててしまって、古着や中古品でもいいから最低限補充しておくことに関しては無駄とは言わないだろう。

いずれにしろ、私がもう当地にいらないという話は引っ込みがつけられないはずなので、そう遠くない時期には初めての土地であった当地を離れることになる。
私自身はつらい状況の中でも特に動かせだなんだという希望は出さずにきたが、動きたくて希望を何度出しても動かしてもらえない人間もいると聞くから、案外これから数年ズルズルとい続けることになるのか。
いやいや、今の私を取り巻く異常な状況を考えると、最低でもひと月延びると分かっただけで気が狂いそうに感じたのに、年単位などとなると本当におかしくなってしまうかもしれない。

受け入れ先が見つからないというなら、見つかるまでは当地にいる。
どうしても見つからないというなら、私もいい大人だ、その時は考える。
死ぬわけでもない話にいちいち狼狽してばかりもいられない。
人から笑われそうなことでもいい、あらゆる選択肢を思い描いて、どんなことが起こっても必ず生き抜いていくのだと誓う3連休中日の夜である。

延びた…。

2018-09-11 22:19:32 | 日記
月曜の朝、出社していちばんの確認事項は、私が人の動きの対象になったかどうかであった。
単なる「肩書きだけ異動」の人はやはり多かったものの、何度見ても私の名前はリストの中にはなかった。
下半期の初め、10月1日付けで私の環境が変わることはなくなった。

タイミング的には10月1日の1ヶ月ちょっと前に呼び出しを受ける形で、しかも特に希望を出していたわけでもなく、さらには上から出て来た話ということで、10月1日付けにかかるのは相当確率の高いことと思っていた。
もちろんその場では「10月とは限らないよ」という一言があったことは書いておきたいが、身構え心構え十分のところに結局対象外という事実には、相撲が始まったからではないが肩透かしを食った気分である。

10月ではなくなったとは言え、過日の話の内容からしてもう私の当地での時間は長くないことはハッキリしている。
一企業として、当然ながら次の半期は半期で予算というものが存在し、それに基づいて会社は動く。
我がチームにおいては、諸々の事情から仕事量は減少の方向だから、今いる人数では一人多いのである。
一人多いから私が動いて適正人数になるのかと思いきや10月には変わらなかったから、もし我がチームの人数を一名減で予算を組んでいるとすればそこだけでいうと整合が取れないことになる。
人が動くのは必ずしも4月7月10月1月だけとは限らないし、人数は小さいが左記以外の月にも人が動くことはある。
人が余っている部署なのに人を減らさないことは企業として通常はありえないので、私個人としてはとにかくもう動くのは近いという心構えは変えずに、引き続き動きやすい態勢を作ることを心がけたい。

思い出せばつらい話にはなるが、我が社の本拠地で事務方に就いていた時、毎日がクレーム対応窓口のような状況の中で精神的に追い詰められ、2ヶ月の休養を取ることになった。
確か2015年7月末までの診断書でもって休みをもらったが、7月末が近づいても人事担当からは音沙汰一つなかった。
さすがにたまりかねて連絡を取ってみたりもしたが、結局「その後」について面談の機会があったのは7月末をずいぶん超えてからになった。
しかしながら休む根拠がないまま7月末を超えて休むことはできないので主治医に診断書を延長してもらい、結局2ヶ月の休みが4ヶ月にまで延びてしまって、当時の職場にはロクに挨拶一つできずそのまま当地にその年の10月に来ることになった。

もちろん、ちょうど3年前に当地に来たのは会社の配慮、そして今当地を離れるという打診も会社の配慮の上でのことで、本拠地での失態は当地での3年間で何とか恩返しはできたとは思うが、当地で今年の春先に再度倒れた分の恩返しは次の環境で果たさなくてはいけなくなった。
思っていた日付より延びてやや拍子抜けしたところはないとは言わないが、会社としては、私をどこで使おうか鋭意検討中であるか、病歴があるだけに次の受け入れ先がなかなかスンナリとは見つかってこないかのどちらかなのであろう。

最悪の事態としては、当地に来る直前に「次んとこでまた病気になったら他に紹介できるところがないよ」という発言も本拠地での面談でされていることから、私などもう会社にいらないという意見も出ているのか。
特殊な事情があったとはいえ当地でも長期休養に陥ったこと、また特に復帰後は周囲からまるでいない人間のごとくに扱われている現状は事業所のトップも知っている。
それらも踏まえてのせっかくの事業所としての要望だからぜひ通ってほしいが、仮に通らないとなれば、もはや故郷がどうとか自分にフィットする仕事などとは言っていられない。
一人の人間として「生き延びる手段」を何とかして考えなくてはいけなくなるのかもしれない。

惜別?

2018-09-09 23:15:40 | 休日
この週末は、金曜は毎度毎度のガツ飲み、土曜の午前中はぐったりという何度も繰り返された流れとなった。
しかし週末だからといって、この期に及んではベタ寝だけで週末をやり過ごすことができない。
もうすぐ当地を離れる準備を今から少しずつでも始めないといけない。
前回、つまり3年前、当地に来る時は休職期間中に引っ越しの準備をすればよかったから、かえって余裕が出過ぎて結局間際にバタバタになってしまった。
今は平日は仕事をしながら月末近くを目標に準備が必要なわけで、体に疲れが多少あっても物事は日々前に進めておかないと何となく不安である。

日曜の午前までで、いるもの、いらないもの、何とかより分けて、段ボールもゴミ袋もたくさんできた。
金属や家電など収集日が限られるものはその日付、また使わなかったテーブルや座椅子など大きなものはどうすればよいかも調べ、あとは運ぶだけになっている。
難敵はたまりすぎているCDやDVD、書籍の類であるが、資料性も高く記念になるものが多いので正直捨てるまでの決心がつかないものが多い。
引っ越しをするたび荷物を減らすことはいつも意識するが、今回は主に衣類にターゲットを絞り、クタクタになっているものはひと思いにゴミ袋に放り込み(眺めると捨てられなくなる)、量的にはだいぶ少なくできた。
あとは、なるべく運送屋さんにお任せできるものの割合を多くし、前回のように両親に負担をかけ過ぎないようにしたいと思う。

さて、土日を片付けだけで終えるのもどうかと思い、午後からは外出することにした。
とはいえ、昼を過ぎてから行ける場所は限られるので、行き先は愛知県の玄関口の一つである犬山市とした。



犬山という土地は、おそらく私がかなり幼少の頃(5歳くらい)に両親に連れてきてもらった記憶がある。
小さな時だからどこで何をしたかはあまり覚えていないが、犬山に来たという事実だけははっきりしていた。
当地近辺では最も早くに足を入れた土地であるし、ずいぶん時間が経って愛知に仕事で来てからは、愛車の点検は木曽川対岸の岐阜県各務原市のショップにお世話になっていた関係で犬山市を通ることが多かったから、もともと私には縁のある土地だったのかもしれない。
そんなゆかりも心に抱きつつ、主に名鉄犬山遊園駅の近くを散策しながら写真を撮ることにした。

まずは天守のシャチホコが直った国宝・犬山城。
木曽川の流れと組み合わせると、また何とも言えない風情があった。





また木曽川には自動車と鉄道の橋が並んでかかっていて、あまり電車自体にはお世話にはなれなかったが、しばらくは撮り鉄も楽しんだ。





当地にはまだまだ名所も多く、できるだけいろんなところを見ておきたいとは思うのだが、残された時間もわずかとなり、頭にある全てをかなえることは無理である。
三重県側から和歌山県に入る旅行の計画も、近いうちに実現させるのは難しくなった。
仕事が変わるバタバタで、10月アタマの3連休を使って行こうと考えていた北海道もキャンセルにする予定である。
そのまたひと月先、佐賀市で行われるバルーンフェスタも、地元からではかなり難儀な行程になるため、再考を余儀なくされている。
当地はやはり大都市名古屋を近くに抱え、何だかんだでいろんな交通手段によって様々な地方に行きやすい土地であることは確かである。

それでもやはり、仕事で来た土地で、ある意味不本意な状況に置かれていることがあり、そこを会社も考慮してくれた上での今回の異動話だから、一度ホームタウンに帰るというありがたい機会を最大限に生かしたいと心から思うのである。

人が動く季節へ

2018-09-08 21:45:34 | 休日
台風に地震といろいろあった今週、その最後、我が社では人事異動の発表があった。
半年に一度、4月と10月の異動は、年度の節目に当たるからどこもそうだろうが規模は大きい。
我が社においては、おなじみとなった「組織変更」に伴って肩書きのみが変わる(やる仕事は同じ)人数がやたらに多い内容で、実際に転居を伴う場合となると割合としては多くないと思われる。

さて、私が8月の終わりにあくまでも非公式な話として当地を離れることはできるかという打診があったことは書いた。
昨日一定以上の偉い人は公にも(会社のサイトや新聞なども含めての意)、それほど偉くない人は社内だけに発表があったものの、実は今本欄を書いている段にあっても、私自身が異動にかかったのかどうかすら分かっていない。
もちろん10日ほど前にそんな打診が来れば、今回の異動にかかる確率は高いので、特に今週に入ってからはいつ発表になるか気を揉んでいたのは確かである。

ではなぜ、すでに対象外の人にも入っている情報が、ある意味一刻でも早く情報を知りたい私に入っていないのか。
それは金曜日の終業間際の事情による。
そもそも夕方ギリギリの発表ではあったらしいのだが、この日も私はそれこそ時間ギリギリまで仕事をしていて、部署の「シマ」に帰って来たのは終業およそ2分前くらいだった。
もちろん異動のことは気になるからシマの共用PCで確認をしたいと思った。
しかし、その時点では何とPCがシャットダウンになっていて、確認するにはもう一度PCを立ち上げる必要があった。
立ち上げるのには数分もかからないが、ほどなく終業のチャイムが鳴り、今にも泣き出しそうな怪しい空模様だったこと、また一分一秒でも早く職場から帰りたい気持ちの方が勝ってしまって、せっかく出ている情報を確認せずに自宅に向かうことになってしまった。

社内的には残業削減がうるさく叫ばれるようにはなっているものの、終業前にPCが落ちていることはいつもはなく、通常はその日最後に帰宅する人がPCを落として帰る。
なぜその日だけまだ全員が会社に残っている時間にPCが消されていたのかは知らないし、どうしてもと思えば自分でもう一度PCを起動させて確認することは可能だったとは思う。
しかし、すでに情報が知れ渡った後で、もし私が異動にかかっていれば誰かが何かは言ってくるはずだが、誰も何も言わなかった。
私も自分のことは自分から人に聞きたくなかったから、結局今もって私が異動にかかったのか、かかったのなら行き先はどこなのか、を知らないのはそのためである。

あるいは、よほどかわいそうな行き先になっていて気を使って声をかけられなかったという話かもしれないし、そもそも今回はかかっていないのかもしれない。
結局は、最近繰り返し書いて来たように、私が異動の対象だろうがどうだろうが、特に病気から復帰した5月下旬以降、私はシマの中には「いない」ことにされてしまっているのが根本の原因なのであろう。
事実、半期の棚卸の後に予定されている社内でのちょっとした食事会の出欠に関して、紙まで回ってきているのに上司は私にだけは声をかけなかったのがその証拠である。

異動にかかっていたとして、中身は月曜になればイヤでも分かるからよい。
今日もそうだが、明日もあまり天気は良くないようだ。
今日一日でだいぶゴミはピックアップできたが、明日も外出は控えめにして3年間でお別れとなるであろう部屋の整理整頓に貴重な時間を使いたいと思っている。

台風21号

2018-09-04 21:28:26 | 日記
今回の台風21号は、まだ我が国に影響を与えているさなかである。
これからほぼまっすぐに北に上がる予想だから、先月から雨の多い新潟県や山形県では「またか…」という感じだろう。
すでに通過した地域(特に大阪)では、目を疑うような光景ばかりがTVに映し出されていた。
各地域に落とせばほんの数時間ずつのことではあるが、あまりにも巨大なエネルギーが突然襲って来て各地に大きな被害をもたらす。
特に台風の場合はいわゆる「台風一過」の憎らしいまでの晴天がその後にやって来るので、なぜよりによって自分の地域にと考えてしまうのも無理はない。

もちろん当地東海地方も台風の影響はまともに受けたと言っていい。
南東斜面の多い三重県はただでさえ雨が多いところだが、その三重県を中心に東海地方でも数時間は大変強い風が吹き荒れ、停電になった地域も多くあり、交通も今のところはほぼマヒ状態である。
幸い明日の通勤通学の時間帯には雨風もやみ、通常運転の日常に戻るだろう。

最近は交通機関の対策も早め早めになってきており、JR線は12時以降は運転見合わせということが発表になっていた。
JR駅が最寄りの我が事業所では、通勤にJRを使っている組を皮切りに順次午前中までの間にはクルマ通勤以外の人には帰宅指令が出て、まだ雨風が強くなる前に無事に自宅に戻ることができた。
クルマ通勤の人をいつ帰したのかは不明だが、人員があらかたいなくなる中で、また結構な遠方から来ている人もいる中で、そうそういつまでも業務に残すことはしなかったとは思いたい。(明日聞けばはっきりするが)
午後2時から4時くらいまでの間、事業所にも近い自宅近辺は相当に強い雨風であったから、例えば午後早々に事業所を出られたとしても家に着く頃にはかなり天候が悪かったという人もいるかもしれない。

個人的には、交通機関の事情はあるとは言え、通勤手段によって帰す時間に差を付けたのは根本的に不平等だと感じる。
一度に全員を帰すのは大変だというなら、所管の部署が交通整理を買って出て周辺道路の混雑に配慮しながらなるべく早く敷地の中に誰もいなくなるようにするのが常識かと思う。
同じ気象条件下にあって、JR組とクルマ組に少なくとも2時間以上も帰る時間に差を付けたことに疑問を感じなくなっているとしたら、この組織は一度解体した方がいい。

私自身は、今の事業所にいる時間など一分一秒でも短い方がいいから、少し幸せな時間が増えたことになった。
もう付き合う時間も短いから我慢はしたいが、まるまる一日ひとりの人間(私)を補助として付けておきながら必ずしも毎日は定時上がりができない段取りの悪い社員に付いていると毎日がイライラのし通しで、今日のような悪天候で望外のブレイクにでも恵まれない限りはいずれ「紛争」になってしまうかもしれない。
私がいずれの日にか今の事業所を離れチームの人員が一人減るのは会社の方針であり、その人数が今後の適正人数ということらしいので、その後はまた一人でがんばっていただくよりないが、すでに当人にはそれがコッソリでも伝わっているのかどうか。
見る限りではまた残業地獄に逆戻りするのが目に見えているが、私としてはそんなものは知ったことではないのである。

自分を思う人

2018-09-03 20:39:44 | 日記
先週の今日以来、気分的にはモヤモヤとした日が続いている。
会社の事務所に呼ばれ、今後の環境の変化を「示唆」はされたものの、まだ公(社内的)には何も発表になってなく、しかし当の私はと言えば、モノが多すぎる自室の現状を何とかしようと早くも「その時」に向けての準備に取り掛かっている。

職業人だから、いくら公の発表があったところで期限いっぱいまではベストを尽くすのが建前ではあるが、今いる職場のいわゆるローカルルールのようなものを改めて覚える必要は感じなくなるし、近いうちに顔も見なくなる人間に今さら気を使うこともしたくなくなるのは人情としてはある。
さっさと発表してもらって気分的にすっきりしたいのだが、私だけが候補ではないから今しばらくは辛抱である。

そもそも、私の今後が明らかとなったところで、その後から急に態度が変わる人間や、余計な絡み方をして来る人間が現れたとしても私としては相手にしない。
当地での3年間は、こと仕事に限れば楽しい思い出はほとんどないし、今現在において本当に自分に関心を持って接してくれる人間などトンと思いつかない。
過去には、昼休みの話し相手になってくれた人、こんな私にどうしてかと思うくらいの笑顔で接してくれた人もいたが、それらは皆、示し合わせたかのように退職や転勤でいなくなってしまった。
会社には仕事をするために来ているとは言え、会社に出て行く上で仕事以外の楽しみや張り合いがなくなってしまっているのが現状である。

私の行く末がいずれかのうちに他人に知れ渡ろうがどうなろうが、私としては決められた日まではしっかり出席をしてわずかでも今の職場に貢献するだけである。
特に今から誰かと親しくなる必要もなければ、逆に無駄なケンカをして、ただでさえ気まずい現状に油を注いで著しく後味の悪い去り方もしたくない。
今後互いに、今からどれだけ言葉を尽くしたところで、ほぼほぼ全てが嘘っぱちであることも分かっている以上、できるならば当たり障りなく静かに去っていきたいと思うのだ。

仕事を離れれば、まだ正式には何も決まっていない今にあっても自分のために涙してくれる人がいる。
最近顔を合わせたのにそのことは言い出せず、後に私から発信されたものを見て寂しがってくれる友人がいる。
当地での現状を漏らせば「幸せになるならここは離れたほうがいい」と即座に言ってくれた人もいる。
残念ながら職場では実感できなかった他人の優しさを、プライベートでは感じることができている。
もちろん当地で初めて出会って仲良くなった人も含まれるから、それだけでも当地にいた3年間には意味がある。

それでもやはり、今より幸せになるためには可能な限り早く当地を離れることがいちばんの近道だ。
もちろん、違う環境に行ったから自動的に幸せが来るわけではなく、そこには自らの努力も必要不可欠であることを付け加えて今回のエントリーを閉じたい。