blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

9月を振り返って

2016-09-29 22:12:20 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
最終日は明日だが、半期締めの当日は何らかの行事が予定される場合もあり、今日のうちに書いておくことにする。

毎月1枚の写真をピックアップして載せていくことにすると8月の最終日に書いた。
悩むくらいに写真があった8月に比べて9月は写真を撮った機会自体がかなり少なく、別の意味で悩むことになった。
遠出ということになると唯一、中旬の連休中に実家に帰った。
9月に入ってからの出来事の積み重ねから、無性に地元の空気を吸いたくなった。
いつの間にかたまっていた心のゴミは捨ててくることができたと思う。
特別な予定こそなかったが、今回の帰省はただ単に実家に帰る以上の何かがあったように感じる。
写真は、地元の海を写した何ということはないものだが、中央にたまたま鳥が写り込んだので選んだ。



明日で会計年度の半分という節目を迎えると同時に、私にとっては当地での仕事・生活がまる一年を迎える。
一時はクビさえ覚悟した不調から立ち直り、地元を離れることにはなったが今いる会社では慣れた職種に戻してもらって毎日を何とか乗り越えてきた。
明日を無事に勤め上げれば、病気や怪我による欠席ゼロを1年間継続するという当初の目標が達成される。
油断ならない火種を抱えながらも、おおむね適切な環境で楽しく仕事をやってこれて、1年という期間を問題なくクリアーできることを喜びたい。
迷惑をかけることになった前の所属部署にもこれでようやく恩返しができたと言っていいだろう。
アウェイの地にはいても、仕事の中身が性に合う以上、当地を離れる理由が私自身の中には見当たらない。
できるなら、これからも体調を崩さないで2年3年と当地での経験を積み重ねていければと思う。

9月の反省は、一言「飲み過ぎ」であった。
当地にも仲良しさんができることは、そうそう毎週地元に帰るわけにもいかない状況にあっては決して悪いことではない。
会社の看板を外して振る舞える機会や場所を当地でももっと増やしたいくらいに思ってもいるが、何せ9月は回数が多くなり過ぎた。
ようやく暑さも去り、爽やかないい季節になってくる。
飲んで騒ぐばかりではなく、遠出などもうまく織り交ぜながらバランスのいい生活を目指したいと思う。

騒いで、寝ての週末

2016-09-25 20:49:31 | 休日
先週は帰省もあって長い距離を移動した。
その反動でもないが、今週末は遠出は避けてごぶさたの場所に相次いで顔を出した。
今の時点で、会社の人と一緒に出歩くことよりも単独行動で好きなように動くことの方が楽しくなっていて、幸いその場その場では気心も知れたありがたい存在もある。
もちろん毎週毎週というわけにはいかないが、常々ただのハダカのおっさんに戻る時間の重要性を感じているだけに、今の私にとっては大切な大切な仲間であることは確かである。
しかし、連日の深酒がたたって、土曜も日曜も日中はほぼぐったりで過ぎてしまった。
特に今日は長雨が続いていた当地では久々の日差しが出たようだが、その恩恵はまったく受けることなく自室で惰眠をむさぼることになってしまった。

さて、9月の下旬といえば、昨年の今頃は文字どおり「不安のみ」という状態であった。
10月からの当地での赴任に備え、会社からお願いされて当地の産業医との面会と住まい探しのために初めて当地にやってきたのがちょうど昨年のこの時期だった。
長休明けで体力・気力の面はもちろんのこと、富山の家族や素敵な仲間たちなど離れていくものばかりが頭を支配し、当地ではどんな出会いがあるか分からないという状況では、わずかの期待感を持つことすら難しかった。

当然ながら、10月当初から順調にスタートできたわけではない。
もちろん現在も、周囲に関しては必ずしも素晴らしいとは言えない。
ただ、幸い職種が自分にフィットしていたために理解も早く、慣れるまでに時間はかからなかった。
何も分からないうちに私を叩いておこうという不穏な動きも多々あったことは告白するが、今は私自身が好きなように動いてもほぼ文句は言われない状況にある。
当地において完全に外様である私が、口さがない人間ばかりの中で生き抜いていくには、誰よりも多く動き、目に見える結果を出し続けて、一目も二目も置かれていないことにはどうにもならない。
時には意図して周囲を威嚇するようなことまでやってきたが、そうでもしなければ今こうして当地での一周年を無事に迎えようという段階には来れなかったかもしれない。

職場の人間など、最低限「仲間」であればよく「友達」である必要はまったくない。
毎日飲み歩き、毎日コンディション不良のまま、ただただ日々を流されるように生きている人間たちと無理をしてまでうまくやろうとしても、残るものは無用なストレスだけである。
幸運なことに、下半期にからむ異動ではどこにも飛ばされなかったので、これまで通り自分を信じてわずかずつでも組織に貢献していきたいと思う。

台風来たる

2016-09-20 22:25:45 | 日記
当地では夕方前から空模様が物々しくなって、住まいに近い地域でも避難準備情報というのが出た。
先の週末は、3連休に今日1日をくっつけて4日間の休みにしていたが、当地に戻る今日は台風を見越して朝早々に出てきて結果的には正解だった。
あえて急がない道のりながら昼過ぎには当地に着くことができ、雨が強い時間帯もあったものの危ない状況の中を動くのは避けられたのである。

4日も休みがあったのなら例によって遠出をしてもよかったのかもしれない。
しかし、8月には盆休みの他にもいろいろと動いてそれなりにお金も使った。
この9月の連休は特別に大きな用事を入れることなく、心身を休める方向に使おうと思っていた。
当地にいてもよかったのだが、9月は職場でもいろいろあって、また知らず知らずにたまっていた疲れもあって、連休が近づくにつれ、ただただ一度地元に帰りたいという思いが強くなった。
地元に帰るのが待ち遠しいくらいの気持ちになったのは、去年の年末以来のことだ。

自ら神経質になり過ぎていることは否定しないが、富山が本拠の企業に属しながらも当地では富山県人は少数派で、言って見れば当地はアウェイである。
その背景等については過去にも書いているから繰り返さない。
何度も街に出て遊んで楽しい時間を過ごしてもどうしても晴れてくれないモヤモヤを感じた時は、やはり一度地元の空気を吸うことが一番の助けになる。
毎回毎回そのありがたさを感じてはいるが、今回はあえて特別な用事と言えるものも作らなかった中で、ただ地元に身を置いていることでずいぶんと気持ちが軽くなったように思う。

台風の状況により予断は許さない状況ながら、明日は仕事に影響するような天候ではなくなり、通常通りの流れになるだろう。
制度休暇とはいえ1日会社を空け、今週は3日間働くだけだ。(22日は出勤日)
今日は悪天候のためそれほど仕事が進んだとは思えないが、もし自分のところで遅れが出ているようなら早めにカバーしておきたい。

地元に帰っている時は基本的に当地のことは頭から追い出しているつもりだが、なかなか頭から離れてくれないことはある。
決してイヤなことではなくて、むしろこの1年間、会社に足を向けるエンジンになってくれていることである。
他人の評価を受ける場である以上、職場とは戦場であるという思いはこれからも変わらないだろうが、四六時中がそうではそれこそ疲弊してしまう。
わずかでもいいから、身勝手でもいいから、気持ちが癒されたり休まったりする要素が会社の中にあればそれに越したことはない。
目標にしてきた「1年間、体調不良による欠席ゼロ」が近づいてきた今、何を支えにしてでも、当地での機会を与えてくれた人々への恩返しのためにも、最低限それだけは達成したいとあらためて誓うのであった。

バテとるわ〜

2016-09-15 22:32:27 | 日記
8月あたりから、日々の体力的な負担がかなり増えている。
暑いというのとは別に、単純に手作業にかかっている時間そのものが間違いなく長くなっている。
8月の最初の方で若い社員が他部署に行ってしまったことは何度か書いた。
私の部署は午前中が主に体力仕事で、担当を大きくA、Bとするとそれぞれ3人ずつ計6人を配して回してきた。
それが1人がいなくなったことにより、私のほうの担当Bが1人減って2名体制になった。
3人いれば、手作業に2人と運搬に1人を配することで問題なく回るが、2人になって「手作業は私」的な流れに何となくなってしまっている。

総勢5人で2つの担当を回すのなら、2人ずつを手作業に配し、運搬係は1人にして2つの担当を行き来すればよい。
もとより屋外用のフォークリフトは1台しかないのだから、現在3人いる担当Aの誰かがフルに乗って担当Bの2人は手作業に専念すればよい。
ところが、今まで運搬ばかりやってきた人間の頭の切り替えがうまくいかず「ワシの仕事はリフトだで」とでも言わんばかりにロクに手作業を手伝わないので、手作業は私1人でやる日が非常に増えた。
昨日あたりは午後の真ん中で疲れ切ってしまい、水分を取りながら休んでいると、たまたま通りがかったエライさんから「大丈夫か?」と声がかかってしまうほどであった。

手作業と運搬を交代制にするなどという雰囲気はサラサラない。
私が屋外用のフォークリフトに乗っているだけで不思議そうな顔をされるばかりか、ナンダカンダと理由を付けては奪い取りに来るような動きまである現状、まさに既得権益を手離したくないのがミエミエである。
一度機動力の手軽さを知ってしまったら手作業がバカバカしくなるのは気持ちとして分かる気はするのだが、自分が乗ってはいけない明確な理由は何もなく、単に個人的な感情から「乗せたくない」というのではあまりにも陰険に過ぎるし、パワハラ要件の一つにもなりうる。

わが部署は、事業所の中ではいい意味で雰囲気はゆるく、笑い声も頻繁に起きる。
ただそんな中でも背筋の凍るような場面というのはあって、ある日には一つの議論の中で上席者から「あまり文句を言ったら切られるよ」という発言があった。
その言葉が向けられたのが一年契約の契約社員だったからなおさらだが、これは脅迫以外の何物でもなく絶対に口にしてはいけない言葉である。
どうもさらに上からあれこれ指摘を受けたために下に八つ当たりしたというのが真相だろうが、二言目には「上は、上は(こう言っている)」というので腹が立つ。
「上は、上は」と言われたら、「あなたは?」と問いかけたいが、たぶん当人の中には考えなど何もない。
当人の脳みそは経由しないで、ただただ運動神経か脊髄反射で反応してあわてふためいているだけである。
いわゆる「脳筋」や「体育会系」の弊害はどこに行ってもなくならないまことに不思議なものだ。

そんな中でも仕事は続く。
とてつもないアウェイ感の渦中で毎日を過ごしてはいるが、味方は幸いゼロではない。
明日を何とか穏やかに乗り切って、地元の空気を吸いに帰る準備をしたいと思う。

カタをつける?

2016-09-12 21:29:25 | 日記
今週の勤務が始まった。
特に今までと変わったことを要求されるわけではおそらくない。
あるとすれば半期締めに向けての準備作業程度だが、日頃からモノの出入りをしっかりチェックできていれば期日が迫ったからといってあわてることは何もない。

もうだいぶ前になってしまったが、今やっているような作業系の仕事を始めてから、仕事でからむ人からは陰に陽に「マシーン」とか「サイボーグ」などと言われることが多くなった。
モノと数を相手にするのだから自分自身の冷静な性格は役に立っていると思うし、その姿がサイボーグだ何だということならあながちバカにされているわけでもないだろう。
安全危険の意識も当然必要だから、要領をかまして危険なやり方をしている人間には立場や年齢も構わずドヤしつけることもある。
こと仕事に関しては、それだけ思いを持ってやれていることになるから、サイボーグ呼ばわりをされようが嫌われようがどうということはない。

さて、半期締めの時期とくれば、人の動きもそろそろ明らかになってくる頃だ。
それほど大規模な動きになるかは分からないが、一人か二人は当地を離れ、一人か二人は当地にやってくることになるのだろう。
数の上では少なくても、別れは別れ、出会いは出会いである。
最近やっと話ができるようになった人がどこかに行ってしまうかもしれないし、逆に過去にお世話になった人とまた同じ事業所の中で働くことになるかもしれない。
自分で決められるものではないだけに、別れにも出会いにも大いに感謝をするのみである。

さて前回書いたように、9月に入ってから何となくチグハグとした事態が続き、心がささくれ立ってしまっている。
今週は仕事が終わったらすぐにでも地元に帰りたい気分になっていて、今からもう金曜の夜が待ち遠しい有様である。
しかし、地元に帰るまでのあと数日で何としてもカタをつけておきたい事柄があるから精神的にタフな週になることは間違いない。
しかし、乗り越えた先の素晴らしい景色だけを信じたい。
一切の虚飾を捨て、シンプルにストレートにあたればよい。
できるだけスッキリした形で当地での一周年を迎えるため、思いつくことはやっておきたい。
大事な場面では、いつものサイボーグを捨て、人間にならなくてはいけないのである。

遊びすぎたから

2016-09-10 23:30:01 | 休日
先週末からも含めて、9月に入りお酒を飲む機会が急に増えた。
一回は同僚からの誘いであり段取りもまったく預けたのでどうしようもないが、その後「自力」を出して必ずしも必要でない機会まで作り、ずいぶん散財してしまった。
さすがにこの土日は平日の分に上乗せまでして飲むつもりはなく、明日も静かに過ごすことになりそうだ。

そのうちの一回ではやや後味の悪い形があった。
とある平日にあるはずだった4名での飲み会は、ホスト役が急用で直前にいなくなった。
残り3名になったのならホスト役が指定したエリアでなくてもいいかもと思い、連絡できる1名にコンタクトを取ったがいつまで経っても反応がない。
仕方がないので本来の待ち合わせ場所に急行したが、定刻より10分程度遅れて着いて、そこにはもう誰もいなかった。
この時点ですぐにアタマを切り替え、そのエリアを探し回ったり連絡を取り直したりするようなことはせず、単独行動に移った。
そもそも私にとって、ホスト役との関係に比べ、残された2名とのそれはかなり薄く、むしろ下手に会わなくてよかったと思う。
ただ一つ反省すべきは、そこから勢いをつけ過ぎて酒量が増えてしまったことである。

当地に来てからもうすぐ一年、少しずつでも素に戻って振る舞える空間が増えてきた。
会社の中では、いつも心にヨロイカブトを身につけていないと容易に攻撃を食らったり濡れ衣を着せられたりするから、気の張り方は尋常でない。
最近は、フォークリフトで、自動車で言うところの「だろう運転」が染み付いてしまっている人間にモノ申したりしていることもあって、すっかり嫌われてしまっている現状もある。
そんな日常にあって、無防備な一人のオッサンに戻る時間は必要で、その選択肢が増えてきたことはややお金がかかることを別にすればいい傾向だ。
それぞれの機会では周囲の環境も違い、トーク中心になるかカラオケ中心になるかはそれぞれだが、最近では洋楽連発の下ハモリ付きという荒技に出られたことは幸運だった。

単独行動でも当地で十分楽しめるようになってきたのはいいのだが、物理的なストレスは晴れても気持ちの奥底はどうもスッキリしない。
当然ながら、いろんなお店での時間や出会いはその場限りの刹那的でバーチャルなものに過ぎず、未来につながるものではない。
未来を見据えてとまでいうとオーバーかもしれないが、より現実に近いところで実現したい関係を胸の中には秘めているのにそこから逃げてしまっている。
この先あるか分からないような貴重な出会いだと思えば思うほど慎重にはなるが、近々のうちには白黒を付け、個人的な部分も気持ち的な整理をつけなくてはならない。

9月になってから気分がモヤモヤすることが多く、本欄も他人のことをあれこれ批判するような中身が増えてきた。
気分的には昨年の年末あたりによく似ていて、何がどうというわけでもないが毎日毎日がいっぱいいっぱいなのである。
次の週末は世の中的にも3連休なので、とにかく一回故郷に帰って内面的な部分を立て直したい。
お盆にも帰ったから短いスパンでの帰省にはなるが、心身ともに無事で、当地での一周年にあたる9月末を迎えるためには必要なことと判断している。
お盆に会いたかったけど会えなかったという人を中心に、いい再会ができたら素晴らしい。

しつこいタイ国歌

2016-09-08 00:56:58 | 日記
ホームの初戦でまさかの敗戦を喫したサッカー日本代表だが、アウェイのタイ戦では相手にほとんど攻めさせることなく2-0で勝ちきり、2戦目にして勝ち点3を手にした。
すでに2連勝しているチームもあり今後が厳しいことは変わらないとしても、一つの勝利が心理的にいい方向に作用してくれるなら、今後の戦いにも希望が持てる。

さて、熱戦から一夜明けたわが職場では、朝からタイ国歌の鼻歌を延々と聞かされることになった。
私はタイ戦をNHKーBSのライブ中継で見ていたので、タイ国歌をやっているのだろうとはすぐに分かったが、自分から食いつくようなマネはしなかった。
遊び上手で芸達者のイメージがある鼻歌の主は、実は音楽的素養には甚だ欠けており、地元の場末のスナックで聴かされるズレたカラオケよりも不快な思いをしたので、話題にする気にはならなかった。
これならいつもやっている東京資本の口パクアイドルの歌をうなっているほうがよほどマシだと思っていた。

それでも、誰かが話題にしてくれるまでやり続けるのが主のデフォルトになっているようで、15時を過ぎてようやく職場の一人が「楽しそうだね」と反応を返した。
すると、鼻歌の主はわが意を得たりとばかりにとうとうと説明を始め、メロディーは分かるが歌詞は分からないという笑うに笑えない冗談を吐いて(タイ語が読める人はそう多くはないだろうから)、結果その場の雰囲気を自らの手で破壊することになった。

この主は、自分が興味のないことに関しては驚くほど冷淡だが、自分が興味のあることについては他人の反応がないとどうにも寂しいらしい。
周囲のほとんどは「また始まった」と思って進んで絡んでいくようなことはしないが、たまに仏心を出して相手をするとすぐに調子に乗ってしまう。
とことん無視されて淡々としていればいいところ、時にそのイライラが思いもしないような形で表面化するので要注意なのである。

すでに本来の節目を超え、まったく不足のない蓄えを有し、もはや組織に縛られていること自体が滑稽に思えるくらいの状況にあって、なお職場に彼を駆り立てるものは何なのか。
過去それなりの肩書きを持って組織に尽力したプライドがそうさせるのか、ただ単に日中のヒマつぶしのための仕事への参加であるのか、いずれにしても日々の取り組みに関しては真剣味は微塵も感じられない。
自らの腹の内を隠して日々をノラリクラリとやり過ごし、限度いっぱいまで居座ろうと思っているならとんでもない話である。

もう正確には昨夜になるが、企画されていた飲み会のことを自らウヤムヤにして結局はっきりした連絡もなくないものにしてしまった罪はメンバーの中でいちばんの年長者として重いものがある。
私とサシで飲むのがイヤなことは分かっているが、緩衝材的な存在が消えた途端、連絡をしても無視をされた形になったのはいい大人の振る舞いとは言えないと思う。
そんな人と飲んでもまったく楽しくはないので、昨夜は自分の行きたいところに、いたい時間だけいさせてもらって楽しい時間を過ごすことができた。
職場の人間は「仲間」であることは必要だが、「友達」である必要はまったくない。
何かを我慢して無理をして付き合うくらいなら、最初から付き合わない方がいいのである。

信じたくない話

2016-09-05 19:55:04 | 日記
今日はわが部署になぜか誰かが買ってきたお菓子が流れてきた。
私も旅行に行けばせめて小さなチームのメンバーの分くらいは買ってくる。
中には、たかだか出張で他県に行ったくらいのことで何かを買ってくる人もいる。
当人の思惑はさておいて、いただけるものはありがたく頂戴して、なるべくすぐに食べてあげるのが礼儀としてはいいだろう。

さて最近のエントリーでは、ひと月ほど前に他部署に行ってしまった若い某君のことを書いた。
多少常識とズレたところがあって周囲は皆ストレスを感じてはいたが、例えば旅行に行ってお土産を買って彼にだけ何も渡らないというような場面はさすがに見たことはなかった。
どんなに仕事の上で迷惑千万を働いていたとしても、同じチームの一人にお土産の一つもあげないとまで思うのは行き過ぎている。

わが事業所にもいろいろあって、衛生上の観点から職場ではお菓子などのやりとりができない部署もある。
誰かがお土産を買ってきた時には、ランチタイムに社内の食堂でせっせとお菓子を配っている人を目にすることもある。
ところがある日、その部署のメンバーのたった一人にあからさまに何も渡らない場面を目にすることになり悲しい気持ちになった。
私自身はその一人とは直接の接点はなくあくまで伝聞にはなるが、意欲や態度など当人に帰する問題が多々あるために周囲も大変扱いにくい存在であるという。
それでもなお、衆人環視の状況でたった一人お菓子が回って来なかった当人の気持ちを考えると、ただでさえ深い傷を抉るようなことになったのではないかと危惧する。
食堂というオープンな空間でこんな行いがまかり通るなら、職場の中ではもっと陰湿なことが行われているのではないかと思われても仕方がない。
言うまでもなく、無視などの「人間関係からの切り離し」はパワハラ事例に該当する。

当地に来てからというもの、使えないから追い出されたとか、文句を言うから仕事を奪われたとか、物騒な話が多すぎて正直あきれている。
そろそろ10月の異動も発表になる時期だが、またぞろいらない人間の押し付け合いのような話が出るのかと思うとウンザリだ。

人というのは不思議なもので、ある場所で使えないと烙印を押されても、違った場所でまるで別人のように輝くケースは何度も見てきた。
同じ会社や環境では難しくても、いつかどこかで花が咲く可能性は誰にでもある。
環境を変えるまでの決断を会社が下すのは不可能だから、当人がそこまで踏み切れない限りにおいてはできる限り組織の中で花を咲かせようとするのが会社というものの務めである。

本当にいらない人間などこの世にはいないはずだ。
もし本当にいらない人間がこの世に存在すると思うなら、それは「優生思想」そのものであって、相模原の殺人鬼と何ら変わらないのである。

いいタイミング

2016-09-04 19:24:59 | 休日
私も当地に来てからもうすぐ1年になる。
故郷ではない土地で働くのだからいろんな意味での違いがあることは覚悟していたが、今これだけの時間が経ってなお、得体の知れない「アウェイ感」が漂っている。
当初は、一緒に毎日を協力していく中でいずれ消えていくものと思ってあまり深く考えないでいた。
しかし、この時期に至って、どうもこれは当地にいる限りは「消えない」ものだと思うようになった。

盆休みの前までは、個人的な旅行の目標が楽しみにあって、いらないことを頭に描くヒマはなかった。
大きな目標を成し遂げた後、若干脱力感にさいなまれる時期があって、その心の隙間にいろんな雑念が入って休み明けからの日々は何となく苦しかった。
このままでは1周年を無事に迎えられないのではないかとさえ思いかけていた時、1人の同僚が週末に誘いをくれて名古屋市内に繰り出すことになった。

私がいる事業所はもともと独立した別の会社(以下、旧社と表記)であった。
合併により我が社の一員となったのは10年あまり前の話である。
経済活動としての合併について、それよりも後に入社している私が何かを言う資格はないが、旧社の人間については雇用を奪うこともなく、のちのち要職に上がっている人間もいるので、旧社の人間に不当な扱いが行われたとは思えない。

あくまでも個人的な感じ方にはなるが、旧社の人間どうしは非常に仲がいい。
一定の常識はわきまえつつも、日常的にもファーストネームやニックネームで呼びあうくらいの雰囲気はあったろうし、それは今もある。
息の詰まるような感じではなく、日常は和気藹々とした雰囲気で流れていたのだろう。
そのことと結びつくかは分からないが、必ずしも企業体質が強くなかったために、よりによって、彼らにしてみればワケの分からない「ウラニホンの会社」に狙いをつけられることになった。

さて、名古屋市内の居酒屋で何が話題になったかといえば、旧社出身者は私たちと同じユニフォームを身にまといながらも我が社には複雑な感情を持っていること、そこから発して役割分担などの面において既得権益を抱え込み旧社出身でない人間には決して甘い汁を吸わせないことなど、言葉にするのも馬鹿らしいくらいの陰険な側面であった。
もちろん全員のことを言っているのではないし、我が社にもまったく問題がないとは言えない。
かといって、旧社出身でない人間にイジワルをしていいということにはならないのであり、そもそも問題のない組織などない中で、この期に及んで「昔はよかった」的な話までが聞こえてくるのは非常に残念だ。
同じ船に乗っていく覚悟がないなら、さっさと降りてもらうしかない。

性格はまったく反対だが、旧社出身でないどうし、この点では見事に一致したことで、1人でモヤモヤとしていた部分が晴れ、極端な話「これからもやっていけそう」と感じることができた。
2次会では少し遊び過ぎてしまったがそこはご愛嬌、このタイミングで思いの丈をぶちまける機会を作ってもらったことは何物にも代えがたく、感謝の言葉しか見つからない夜となったのである。

簡単ではない

2016-09-01 22:53:00 | 日記
サッカーのW杯最終予選を見終わったところである。
初戦がホームという有利な条件ながら、UAEに1-2で負けてしまった。
首をかしげる判定も確かにあった。
後に検証はされるべきとは考えるが、試合が終わってすぐ、選手も監督も一緒になって審判に悪態をついているようではこの先が心配である。
相手を圧倒的に突き放せればよかっただけの話、そのチャンスはイヤというほどあった。
私は日本人だから、もちろん日本代表がW杯にたどり着いてほしいとは思う。
ただ、昨年のアジアカップで準々決勝で敗れたチームが「出場できて当たり前」などとは思っていない。
98年フランス大会以来連続して出ているから今回も、とは限らない。
肩入れしすぎず見放すでもなく冷静に見つめていきたい。

会計年度の半期締めの月に入り、職場は間違いなく忙しくなる。
特殊な要因によってここ数日やや動きが鈍かった分、明日以降にかなりの物事が集中する。
明日が週の最後の金曜日だが、簡単には休日にさせてもらえないと思っていたほうがいいだろう。
その明日も含め、そんな忙しいと分かりきっている時にも全員集合が実現しないのが何ともつらい。
明日の午前中は入荷物と格闘し、午後は他部署から受け取った膨大な宿題をこなさなくてはならない。
休む権利は誰にでもあるとは再三書いているが、完全にプライベートが仕事より優先されていて、この日に休んだら職場がどうなるかなどカケラも考えていないように思われるのが悲しい。
一年契約の立場になったのなら、一年一年が勝負と思わなくてどうするのか。
休みがちというイメージは、当人にとって良くないどころか命取りにもなりうる。

健康的なのは、そんな他人に引っかかってイライラするより、自らのスキル向上に集中することとは分かっている。
ふたり分とはいかなくても、ひとり半くらいになれたなら、久しく下から突き上げられることなどなかったであろう当人の本性がおのずと見えてくるからだ。
当人のイライラはすでに明らかになっていて、先月には受けるはずのない実力行使を食らった。
そうなれば、こちらとしては「適当」以上の付き合いは避け、さらに努力をして突き上げ続けるだけである。
政治的な動きをせず、正々堂々と戦って相手がつぶれてくれる分には何の問題もないだろう。

勝負事を勝ち抜いていくのも、普通に会社で働いていくというのも、どちらも簡単ではないと実感した9月の始まりであった。
いつもとは少しリズムの違う週、最後に後味の悪い思いだけはしないように気をつけたい。