blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

3月を振り返って

2022-03-31 20:02:07 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
3月というのは花粉症もさることながら、ここ数年体調を崩したり仕事で悩みを抱えたりといわば鬼門となっていた。
月末の今日現在で致命的な事態を招かず「乗り切った」という意味では久々ということになった。

それでもなぜか3月というのは何かが起こる。
中旬には、職場の駐車スペースをめぐって年配のスタッフに言いがかりをつけられた。
どこに停めてもいい駐車場で「領有権」を主張してきたので「その土地は買ったのか?」と返し、秒で相手を撃沈した。
時々私のいる現場にも頼みごとをしに上がってくるが、私には声をかけられないようでざまあみろである。

さて、3月の頭から我が現場ではシルバー人材から数名を受け入れ限定的ながら仕事をお任せしている。
全くの初心者だから親切に指導しなくてはいけないのは当然、ただただ「やれ」だけで放置できる時代ではない。
現場の管理者と協力して、精緻なマニュアルを作り、渡すだけではなく説明の時間を設け、終業前には当日の振り返りの時間も取って指導してきた。
ところが日数を経てもひたすら指示待ちの状況が続き、もちろんそれでは上達もしない。
たったひと月で完璧は無理でも、ひと月あれば基本的な手順はマスターできるようにとの思いで資料も作るなどできることはやってきたが、どこまで行っても指示を出すかこちらから気づかせないと動かない。
こちらにも当然不満はたまるし、先方もいかにも不満そうな態度をとるのでついに昨日は現場で大衝突して、管理者も交えて緊急のミーティングとなった。

月の頭から来てちょうど月の終わりに差し掛かり、この際シルバー諸氏に言いたいことを言ってもらうように管理者が仕向けたところ、出るわ出るわ、不満と批判とイヤミのオンパレードとなった。
あらためて書くのもバカバカしい話ばかりだが、年長者だからもっと大事にしろだの、他の職場では一体感(?)があっただの、私のモノの言い方には愛がない(はぁ?)だの、一生懸命やってるんだから分かってくれだの、身勝手も甚だしい言葉が堰を切ったように出てきた。
あまりにも一方的な振る舞いに加え、こちらが話し出せば途端に話を折って勝手なことを話し出すので、私も久方ぶりにブチギレするなどもはや収拾の付かない状況になった。
ここで、管理者の方が、取り急ぎ場を収めるための不本意な選択とはいえ、相手の言い分をいともアッサリと受け入れ「全面降伏」してしまった。
するとシルバー諸氏は急に元気になり、今度は管理者をひたすら持ち上げ勝ち誇ったような表情を見せ出したので、私はとんだ貧乏くじを引かされることになった。

この瞬間にあっては、せっかく苦労してつかみ取った職場を本当に辞めたいと思った。
今の仕事がなくなれば生活ができず死んでしまうとは知りつつ、今まで指示に従い協力してきた管理者に裏切られた思いがした。
こんな、被害者ビジネスのようなゴネ得を許してしまって、この先かえっていいことがあるのかという思いがしばらくは消えなかった。
そのあたりのことは、管理者とのサシでの面談の中でも当然話題にはなった。
気持ちを聞かれたので、ダメージは大きい、今後仕事に来ないとは言わないがしばらく時間がほしいと言った。
状況として険悪な場が収まっただけで、この先シルバー諸氏は管理者にべったりになり私が何を言っても聞いてもらえないことは容易に想像できる中でなおシルバー諸氏に関わらなくてはいけないとすればこれ以上続ける意味が果たしてあるのかと思った。

一夜明けた今日は本日付で退社される大ベテラン氏の最終出勤であったので、個人的な感情は横に置きその方を送り出すまでは穏やかに過ごそうと決めそれは果たせたと思う。
4月に入れば、余計なことも考えられない物量と戦うことになるようだ。
仕事に向かっているうちに後ろ向きな気持ちは消えていくのか、それは分からない。
幸い、アマチュア根性丸出しのシルバー諸氏への指導は今後は免除されるようなので、少しずつでも修正しながら日々プロと呼ばれるにふさわしい仕事をしていければと思う。

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旗日の月曜は

2022-03-21 20:38:00 | 日記
祝日と月曜日が重なればまず間違いなく出勤である。
祝日だろうが何だろうが月曜日は大切な日なので、出られる人間は出なくてはいけない。
もし月曜に対応しなければ成り立たない仕組みになっているし、仮に月曜分をを火曜に回したら現場は文字通り地獄となるのでそうしている。
どんな業種でも「太い客」は大事にしなくてはならないのだ。

祝日出勤の日は、一部の管理者クラスを除いては、その太い客対応を完了すれば定時までいなくてもいい。
形式ばった朝礼などはないし、人間はそれなりに出てきているので何人かは我々の現場のヘルプにも入ってもらえる。
ベテラン揃いのメンバーなので、多少の数量はあっという間に片づける。
いちおう弁当は用意していったが、運送屋さんが早めに来るというので終わらせることを優先し、昼休憩は取らずに突っ切って作業は13時前には終わった。

会社で食べるはずだった弁当を自宅に持って帰って食べ、午後はグースカと眠るばかりであった。
春分の日を過ぎればいよいよ繁忙期ということで、その忙しさを知らない私にとっては未知の領域を経験することになる。
今日が早々に片付いたからと言って、浮いた時間を遊びに振り向ける余裕はない。
今日はベテラン勢におまかせしていればよかったが、明日は月の頭から来ている初心者の高齢者の方々も混じるからスムーズに行く保証はどこにもない。
私自身も含め以前からのメンバーですら目の前にいっぱいになるであろうから、初心者の皆さんがどれだけ働いてくれるかでずいぶんと明日以降の行く末は左右される。

もちろん、しっかりと動いていただくべく現場リーダーを中心としてマニュアルをこしらえ、口頭での説明も加え、日々の振り返りの時間も設けて指導してきた。
その中で、先週の時点で「完璧に理解しました」という言葉も出たので、それを信用するしかない。
初めての方々だから長い目で見てあげたいのはヤマヤマだが、繁忙期への突入に加え、大ベテランであり私の最初の頃を指導してくれた某氏が今月で会社を去ることが決まってしまった。
今月はもちろん、その先も、申し訳ないとは思いつつも「放置」して自立を促す形を取らざるを得なくなった。

ベテランである現場リーダーはともかく、まだ今の現場での経験が半年にも満たない私の指導など頼りないものだったとは思う。
自分で分かっているのとそれを他人、特に初心者に伝えることとは全くの別物である。
専門用語で通っているものを理解できる言葉に置き換えて説明する必要があるし、一つ一つの動きや手順がなぜそうなっているかも伝えないと納得して動いてはもらえない。
人に教えるという役割をいただいて、それまでただただ自分の作業や現場のスペースのことで悩んでいたのとは違う疲れが今はある。

昼寝もたっぷりしてしまったので今から早く寝付けるかは分からないが、これからの期間は万が一にも体調を崩して離脱などしてはいけないから、子供より早いと言われても明日に備えて早めに横になろうと思う。

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それはあなたの土地か?

2022-03-18 19:46:28 | 日記
週も終わりの金曜日、毎週のことながら金曜はヒマなので気分的には朝の段階でクルージングモードである。
どうしてもという仕事が少ない分、自らやることを見つけて、例えば現場の整理整頓なり、週明けの出荷に備えて梱包箱を作るなり、それでも時間が空けば掃除をするなり、である。
今の環境に来てから4か月を経過し、現場のどこを手直しすればいいか見えるようになっているので、特に指図を受けなくても好きなように現場をいじっていいと言われているし、いじった結果でお叱りを受けたことはない。
同じことでも指図されてやるのと自分からやるのとでは気分が違うし、時にはヨシヨシという気にさえなれる。
仕事は生活のため、やらされ仕事だけで満足できる人はいいが、私はそういう体にはできていない。

そんな金曜日も、この環境に来てから最もイヤな思いをしたのが今日である。
職場の駐車場は人によって場所が決まっているわけでもなく、早い者勝ちでどこに置いてもいい。
私はいつも早く着きすぎるので駐車場の端っこのスペースを使うことにし、時間まで音楽を聴いていた。
時間になったので車から出て社屋に向かおうとすると、となりの車から「オイ!」という声が聞こえた。
何かと思って振り返ると、別部署で働いているご老人が怒っている。
何でも私が車を置いていた場所は「オレが7年8年ずっと置いてきた場所だからどけ」という。
朝からオイ!などと言われて気分がいいはずはなく、「この場所は買ったんですか?」と返したらもう二の句が継げなくなって戦闘はアッサリと終結した。

自分の場所を主張するなら会社に掛け合ってそのスペースを売ってもらい文字通り所有すればいい話で(無理だが)、たまたま車を置いていた私に文句を言うのは筋違いである。
ましてその場所は雪がたくさん降った時に雪捨て場になってふさがるところだから、こだわる意味がまるでない。
しかし、聞けば御年70、なぜそんな年で働いているのかは知らないが、1ルーブルにもならない安いケンカを売って恥じる気持ちはないらしい。
さっそく現場のリーダーに報告したところ、月末で退社する人がいるから今度からそこに置けば、ということだった。
脳を経由しないで脊髄反射だけで生きているような御仁も多く時々はあまりにも低次元の争いが起こる我が職場で、そういう話は聞き飽きたとでも言いたげであったからこれ以上訴えるのはやめた。

さて、今日の仕事は首尾よく終わらせ帰ろうとして車を出したら、朝に声をかけてきたご老人の車が後ろに付いた。
住所は知らないから方向が一緒なのかと思っていたら、国道が2車線になって車線変更をしても執拗に付いてくる。
自宅近くまで来て国道を左折してもまだ付いてきたので、とりあえず横道にそれて巻いてあげることにした。
自宅の近くだから土地勘は当然こちらが上だ。
まんまと巻かれて仕方なくUターンしてきた白の軽四は間違いなく当人のものであった。

70にもなって、朝方言いがかりを付けた相手を、なお帰りに付け回してやろうなど尋常な人間のすることではない。
そんなに「オレの場所」を取られたのがイヤだったのか。
年齢を重ねてこの程度のレベルまでしか到達できなかったのは哀れと言うよりない。
ザイゴのヅウマ(富山弁で、田舎の爺さん、の意)などみんなそんなものと思いたくはないのだが…。

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安くなったもんだ

2022-03-06 19:26:01 | 日記
我が国の携帯電話市場は、長らくNTTドコモ、KDDI(au)、ソフトバンクの3大キャリアが担ってきた。
表向きは激烈な競争を展開しつつも料金は各社ほぼ横並び、我が国独特とも言える「年数しばり」と「simロック」により本来は高価な端末を通信プランと抱き合わせて分割で購入させるビジネスモデルが続いてきた。

後発の楽天モバイルが参入してからも基本的なところは変わらなかったが、前の菅政権の号令によって、解約金の廃止やsimロック販売の禁止など、消費者がキャリアを乗り換えやすい状況になった。(固定回線には残念ながらまだ年数しばりや解約金は仕組みとして残っているが)
その後、各キャリアからサブブランドやオンライン手続き限定の割安なプランが登場して、我が国の携帯電話料金は欧米並みに安くなったと言われる。

私が初めてスマホなるものを持ったのは2013年頃で、当時最新だったiPhone5をソフトバンクで契約した。
初めての携帯電話となると当然もっと前で、当時いた会社から支給されたのは「デジタルツーカー」の端末だった。
デジタルツーカーがJ-PHONEとなり、やがてVodafoneに変わり、ソフトバンクがこれを買収し、という流れがあったので、何度か機種変更をしてソフトバンクでiPhone5の契約に至ったのはある意味自然なことであった。

当時は周囲もボチボチとスマホを持つ人が増え、職場では同じゲームで共通の話題ができるなどそれなりに楽しくやっていた。
しかし当時は、職場がかなり郊外にあったからかソフトバンクのLTE通信はドコモやKDDIと比較して明らかに弱かった。
思案の末、ドコモ回線使用の格安simであるOCNモバイルONEに乗り換えたのが2015年のことであった。

今となってはiPhone5の次の端末が何だったか覚えていない。
ただただ、キャリア契約で割高な料金を払うのがバカらしくなって、いわゆるsimフリー端末を中古も含めて渡り歩いてきた記憶しかない。
格安simでは昼休み時間に使い物にならない弊害はあったが、それでも当時はランニングコストの安さ、端末選びの自由度アップの方が優先であった。

現在は、キャリア品質をYmobileで担保し、バックアップとしてOCNモバイルONEという位置付けである。
そのOCNにもいよいよ5Gオプションが登場して、ドコモ本体やahamoにはない小容量プランを担うことになった。
mineoやiijmio、NUROモバイルなど競合他社が多くいる中、ドコモ直系として遅ればせながら同じ土俵に乗ってきたことになる。

5Gの時代となったことで、4Gも含めていわゆる「バンド」の知識を付けざるを得なくなり(見出し画像参照ください)、特に今年に入ってからはかなり関心を持って見てきた。
詳しい説明は省くが、あくまで専用設備での5G提供にこだわるドコモと、転用5Gを積極的に取り入れ面的展開を優先してきたau・ソフトバンクとの対比は興味深いものがある。

5Gに関して、個人的にはYmobileですでにn77をカバーしており、いずれはn78n79をOCNで補完するつもりだから、少なくとも国内のsub6帯は全て押さえることができる。(ミリ波n257は私の使い方ではオーバースペックなので興味なし)
5Gエリアを全てカバーするために2台持ったところで月々の基本料金は合わせても2,000円くらいだから、スマホ黎明期を思えば本当に安くなったのだ。

いろいろと、時には失敗もしながらようやく5Gの時代に対応できることになった。
せっかくの知識は自分だけでなく他人にも役立てられるから、3G停波が進んでいく今後にあっても決してムダにはならないと思う。

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3月に入り

2022-03-05 20:47:20 | 休日
3月に入って暖かい日が多くなった。
明日はもしかしたら雪になるかもしれないが、ここ数日で地面が温まっているだろうから平野部では積もることはないと思う。
昼間の気温が10度を超え花粉症の心配が先に立つ状況になれば、もう春がすぐそこに来ていると言っていい。

わが職場は2月までの閑散期から3月以降の繁忙期に移行する。
これまでの体制では人手が足らないので、繁忙期には高齢者の方を何人かお招きして主に手作業の部分を手助けしていただくことになる。
もちろんわが社での作業は初めてという方ばかりなので、懇切丁寧に指導することが必要となる。
自分が理解していることと教えることは別物だ。
私自身もまだ経験は浅いわけだが、早くも指導担当の一助を託されることになったので、できるだけ嚙み砕いて分かりやすい指導になるよう心掛けたい。
個人の能力・理解力に差があったとしても同じ現場の仲間として分け隔てなく接することも重要だし、多少まごついても手出し口出しはガマンすべき状況もあるだろう。
仮にもセンセイをやるということは、自分がやるよりも大変な部分はある。

先生といえば、今春は県立高校の統廃合にからんで閉校式のニュースが相次いだ。
富山県内では4つの高校が今春をもって閉校となる。
その中で、県立入善高校に統合となる県立泊高校の閉校の話題もあった。
大切な節目に校長として立ち会ったのは、かつて私も参加していた「青春片道切符」というバンドでギターを担当していた本波先生であった。(見出し画像右端)
映像を拝見し、15年位前のバンド活動時よりはさすがにお年を召された感はあったが、穏やかなたたずまいは変わることなく、閉校式での「私は果報者です」という言葉にはグッとくるものがあった。
先生からすれば活動途中で突然バンドを飛び出した私はとんだ裏切り者ではあろうけれど、教育者としての人生の中でもとりわけ大きな出来事となっただろうと感じ、この先のさらなるご活躍を祈らずにはいられなかった。

私自身の母校は、小学校がやはり統合により名前が変わり当然ながら校歌もなくなった。
救いは校舎や体育館などの施設が「小学校として」使用されていることだが、そうでない学校は例えば〇〇地域活性センターとか××地区ふれあいセンターといった取ってつけたような名前の施設となっている。
いずれにしろ自分が学んだ学校の名前が消えるのは寂しいことだ。
閉校の節目に卒業生となった3年生はまだよいが、現1年生2年生は新しい環境に放り込まれる。
在校生として統合や合併を体験しなかった私には何を言う資格もないが、受け入れ先の学校ではしっかりと受け入れてあげることを切に望む。

土曜日の今日は、例月の通院を終えた後は滑川市まで足を伸ばして写真撮影などで楽しんだ。
しかし天気予報通り午前の終わりがけに風が強くなり雨も落ちてきたので、外出は切り上げて午後は自宅でゆっくりした。
明日は何ともハッキリしない天気になりそうで、外に出るかどうかは思案中である。
いよいよ訪れた繁忙期、また指導役としていつもとは違うリズムとなる今後数週間に備えて心と体を休める日にするのも悪くはない。

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