blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

5月を振り返って

2021-05-31 22:42:10 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
と言っても、長々と書けることがない。
世の大型連休の終わりに更新して以来、更新が滞ってしまった。

3月の不調を脱し、4月は県内ながら小旅行もできるまでに回復して、貴重な体験もできたし写真もたくさん撮ることもでき自信も戻りつつあった。
しかし、世の連休明けから不調がぶり返して立て直すのに余計な時間がかかってしまっている。
どういう形で世の役に立っていこうか考え始めた矢先にまた振り出しに戻ってしまったショックは大きかった。

厳しかった冬を越え、爽やかな季節になっても世の中の雰囲気からは雲が晴れる気配はない。
世の中の心配をする前に自分の心配をしなくてはならないが、思うに任せない体にやきもきし、何のきっかけもつかめないまま6月を迎えることになったのは残念だ。
月も変わるところで、やはり何らかの方向は決めてかからないとズルズルと自堕落な生活が続いてしまう。
自分ひとりや家族だけで考えていても限界はあるので、第三者の話や考え方を聞く必要がある。

重度のウツ病と診断を受け、当時赴任していた北海道から地元に帰ることになったのがかれこれ20年前であった。
この20年間薬は手放せず、しかしながら薬の役割はあくまで不安や気分の落ち込みの緩和であって、20年経っても毎日の服薬は欠かせない。
そんな中でも何年も引きこもりをしていた期間はなく、20年間を休み休みながら、環境も文字通りコロコロ変わりながらも一般就労で働いてきたが、何度も何度も倒れて苦しい思いをしてきたことも事実である。
今現在の思いとしては、このまま無理をして一般就労にこだわるべきかということがあるのだ。

両親はもとより、主治医の先生も、私に「能力」はあるとしきりに口にする。
もちろん私自身も自分の持つ力を発揮する場が現状「ない」ことはもどかしい。
しかし、能力が周囲に調和せず同じ環境に長くいられず職場を転々とすることを重ねてきている現実もある。

今の時点では、やはり病気の存在を明らかにした上で、周囲の理解と社会の支援を得ながらでもいいから働いていく方がいいのではないかと思っている。
20年間、薬が手放せない中でも普通に働こうとしてきた自分を私自身がねぎらい、今後は細く長くでいいからしっかり社会と関わりたい。
理解や支援を得ようとすることは決して恥ずかしいことではないし、それで現役世代の時間をつつがなく終わりまで勤めあげられるならそれで大成功だと思う。

4月+大型連休を振り返って

2021-05-05 23:19:54 | 月末振り返り
毎月の振り返りを、4月は今日までの大型連休とくっつけてやりたい。
晴れた日には外に出るだけの気力はずいぶん前に戻ったが、天気が悪い日や特段の計画がない日は出歩く日との落差が大きかった。
一日出歩いた翌日は疲れがどっと出てしまい晴れているのに終日ゴロゴロする日があったりと、ややもったいない過ごし方になってしまった。
それでも3月の終わりと比較すればかなり気力も体力も戻って、少し長めに出歩くことも増えてきた。

ただ、現役世代真っ只中である私が「仕事の場」にまだ帰ることができていない。
直前はCVSの店員として慣れない夜通し勤務をやってきたが、時間中にやることがなぜかどんどん増えていき、いち従業員としての役割をはるかに超えた取り組み方や考え方を要求されるなど、ハードルがみるみる上がる状況に至って、またまたの「電池切れ」となったのが3月の中頃のことだった。
経営との話し合いはあるにはあったしまだクビではないようだが、24時間365日動いている店舗から一ヶ月半も離れている人間などもういないのと同じだろう。
世の中が通常運転に戻る明日以降、別方面も考えて動いていくよりほかはない。

さて、私には職業人としての「恩師」が二人いるとは過去にも書いている。
両人とも同じ会社で出会ったが、私がその会社を辞めることになった時にそのうちの一人の方に連絡をとってみた。
まず、がんばり屋のあなたが辞めてしまうのは残念という言葉があった。
そして、その後の言葉に考えさせられるところがあった。
身内であるうちは言えなかったことだろうとは思うのだが、あなたは会社に向いていないのかもしれない、あなたのがんばりは周りが付いていけないから、と。

両手でも足らないくらいの環境を経験している私だが、その場その場でベストを尽くしてやってきたとだけは言いたい。
指示待ちではなく自ら考えて動く方が同じことをするにも心持ちが全然違ったのでどこにいてもそうしてきたが、結果的にそれは少なくとも同調圧力の強い傾向がある我が国で働くに当たっては適当ではないようである。
どこに行っても与えられた仕事には何とかかんとか「対応」できてきたとは思うが、対応できてしまったことが逆に周囲との摩擦を生んだのだとすれば何とも皮肉な話で、恩師が言いたかったのはそのあたりの意味なのだろうと感じている。

そんなことから、体調がほぼほぼ戻っているのに、仕事の世界に帰ることが正直不安で不安でたまらない。
望めば仕事など山ほどあるが、仕事だと思うとどうしてもがんばってしまいまた倒れるのではないかと考えると怖い。
丸投げされたり足を引っ張られたりした経験ばかりが頭に残り、外の世界が信用できなくなっている。
今時点で仕事から離れていて、自分のような者がこれから生きていけるのか、もっと言えばこんなつまらない争いばかりの世の中に生きる価値があるのかという葛藤がある。

息苦しい世の中が続き私自身も先の見通しが立たない中だが、今はあまり先のことは考えず、好きなことしたいことを日々思い切りやって一日一日を悔いなく終わらせたい。
自分が世の中のためにできることがあると思うなら、お金や稼ぎとは関係なくそれをやったほうがいいのだと思う。