blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

5月を振り返って

2012-05-31 20:59:04 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
月の前半は連休もあったし多忙でもあったからか、過ぎるのがかなり早く感じられた。

仕事は現在の部署で3年目に突入したので、経験年数にふさわしい振る舞いを心がけたいとあらためて考えている。
物流倉庫という場所で他人の2倍3倍のパフォーマンスを出すことは無理と以前も書いたが、安全は当然のこと、パッと見で他人に分かりやすい丁寧なやり方を目指すことはできる。
いくつかのセクションに分かれているわが部署も、それぞれが相互につながっている。
日頃それほど接点のないセクションの人にも、例えば自分が自動倉庫で拾ったダンボールが行き渡ることは多い。
身内といっても人の手に渡るものの見た目にこだわるのは当然だ。
直接お客のもとに出荷されていくものは言うに及ばずだろう。

プライベートでは、GW中に久しぶりにクルマで長い距離を流した。
天気がよかった1日だけを狙い撃ちした感じだが、最近はこれまでの苦労(?)が実を結んでクルマにもトラブルらしいトラブルは起きなくなっている。
独特のクセを持つATをうまく生かすため、アタマをフル回転させながら楽しく運転して帰ってきた。
フランス車特有のシートの良さもあり、長い距離、長い時間を乗っていてもあまり疲れは感じない。
近々夏タイヤも新しくする予定で、ますますクルマと一緒にいる時間が多くなるかもしれない。

毎月同じことを書いているが、5月もやはり街に出て飲む機会が多くなった。
いずれのケースもお店の女性からお誘いを受け、普通の食事をしてからお店で飲み直すという感じだが、当の誘い主に関しては例外なく私ではない誰かとしっかりとしたお付き合いをしているはずだ。
そんな状況でなぜ私を、と考える時、いいようにも悪いようにも推測はできる。
自分あたりとは比較にならないくらいの忙しさの中、お店に入る前とはいえ自分のために時間を割いてくれることはありがたいと感じる一方、結局は商売のアタマカズなのかなという思いもふとよぎる。
嫌われているなら食事に誘われることはないだろうが、特別に好かれているとも到底思えない。
寂しさを埋めてくれるただの都合のいい存在なのか、あえて本人たちに確かめるのは野暮が過ぎるしマトモな答えなどまず帰っては来ない。
彼女たちとは誰かに偏ることなく一定の距離感を保ちつつ、今よりもよりゆるやかな、付かず離れず程度のお付き合いにしていくのがいいのだろうと思う。

「女子力」に対して「男子力」という言葉があるのかどうかは知らないが、そういう力はプロの女性とばかり話していてもアップしない。
むやみやたらというわけにはいかないとしても、例えば職場の女性陣にもっと積極的に話すようにしていくなど、ある意味鍛えていかないことにはどうしようもない。
職場では取っ付きにくいイメージで見ている人が大半で正直なかなか厳しいところはあるが、そういう欲があるだけまだ今後に救いはあるのかもしれない。

ご先祖様がいた場所

2012-05-29 19:56:35 | 休日
前回の続き。
土曜の午前は魚津市内での用事を済ませ、午後は特に決まった予定はなかった。
せっかくなので、魚津市の中であちこち行ってみることにした。

魚津市の郊外には北陸自動車道のサービスエリア(以下SA)があって、最近下り線(新潟方面)の建物がリニューアルされた。
一般道からもSAにアクセスできるようになっていて、看板を頼りに行ってみると10台あまり駐車できるスペースがあってそこから歩いて入った。
あまりにも地元すぎるSAのため普段はほとんど入ることはないが、天気も良くSAはたいそうにぎわっていた。
ちょうど昼時だったので軽く食事をし、写真も数枚撮ってSAを後にした。

5月の最終週といえば、魚津市では「戦国のろし祭り」という催しがある。
高速のSAと会場の松倉地区が近いので行ってみようと思った。
地区にはノボリも至るところにあったのだが、開催は土曜ではなく日曜の1日のみということが分かったのは、メイン会場となる松倉城址のふもとまで来てからだった。
狭い峠道をクネクネ登ってきてそのまま帰るのももったいないので、まだ行ったことのなかった松倉城址を見学することにした。
たどり着くまでが大変だった分、多少かすんではいたが素晴らしい景色を堪能できてよかった。

クルマもここまででずいぶん酷使してはいたのだが、もうひと踏ん張りしてもらって、かつて私の父方の先祖が住んでいたという古鹿熊(ふるかくま)地区まで行くことにした。
昭和47年の段階で廃村になっていることもあり、生まれてこのかた足を運んだことがなかった。
ほんの短い時間いただけだが、かつて人が住んでいたことをうかがわせる小屋や土管や古タイヤなどがあった。
当時の地図には私の父方の姓を名乗る家も複数見つけることができるので、この地区がもともとの父方のルーツであることに間違いはないだろう。
農地としては恵まれていたようだが、それにしても厳しい場所で暮らしていたものだと思う。

気ままな行程ではあったが、魚津市内でも初めて訪れる場所は新鮮だった。
旅といっても何も遠くに行くことばかりではない。
今回のように、近場ながら知らない場所という形でも旅の気分は味わえる。
近くにありすぎて見落としているものもまだまだたくさんあるかもしれないから、天気の良い休日の過ごし方の一つとしては十分にアリということにしたい。

ふるさとで見たもの

2012-05-26 21:42:45 | 休日
今日の午前中は例月の通院があって魚津市内に行った。
その後は、会社の某氏から頼みもしない植物のプランターをいくつももらっていたので実家に置いてきた。
いくつもあったところで狭い私の自宅では満足な環境を与えられないから仕方がない。

氏は自宅に菜園をこしらえていろいろな野菜を育てている。
個人でやっている分にはいいが、たまに突然会社に持ってきて昼時に無理やり配ったりするものだから、周囲のわれわれにとっては「ありがた迷惑」そのものである。
プランターにしても、とりあえず一度こちらが快く受け取ったと見るや、何の前触れもなく第二弾、第三弾と持ってきては聞きもしない「取扱説明」を始めるからたまらない。
私より20年ほど長く生きているわりには、ずいぶんアタマの構造が単純にできているようである。

今日の記事はその話をしたいのではなく、魚津で見たある光景である。
かつて私が在籍していた某旅行会社は、私の在籍時を含めてかれこれ10年以上魚津市内の某大型スーパーの中に店舗を置いていた。
今日病院に行く前にそのスーパーに行った時に、店舗の場所が白いシートで覆われていた。
貼り紙がしてあって、完全撤退ではなく同じ魚津市内の某所に移転すると書いてあった。
場所的に言うと、某スーパー内に移動する前の時代にあった店舗とよく似たところに「戻って」くるようなイメージとなる。

もう部外者である私が心配してもどうしようもないことだが、大型スーパーから小さな雑居ビルへという移転なので、移転そのものが経費節減などの消極的理由によるものと推測される。
駐車スペースもほとんどなく、地場では名の通った会社と言えども果たして店舗としてうまくいくのかと思う。
申し込みや手続きでない、ただパンフレットを1枚2枚ほしいだけの用事だったら、雑居ビルの「2階」に足を運ぶのは少し気が引ける。
店舗としての機能は最小限にして、県東部の営業拠点と割り切った上での選択かもしれない。

今の自宅がある富山市でも見ないことはないが、魚津市のような人口5万にも満たない小さな地方都市を走っていると、業種を問わず店舗の入れ替わりが本当に多いことに気づく。
コンビニあたりは足を運ぶたびにどこかがなくなっているような感じだ。
地形が厳しく平坦な場所が少ないため、今後いろんな店舗が「増える」ことは考えづらい。
新しい店は新しい場所にできるのではなく、閉店してしまった店の後を埋めるパターンがほとんどである。
最近は店舗の進出も西どなりの滑川市で増えているから、魚津市はすでに飽和状態なのであろう。
今はまだまだ新川(にいかわ)地域の中心ではあるものの、やがて開業する北陸新幹線の駅は東どなりの黒部市にできて魚津市にはできない。
悲観しすぎるつもりはないが、ふるさとが左前になっていく姿はできれば見たくないものだ。

またチャンスはある

2012-05-25 23:09:26 | 日記
今週の勤務は今日までだった。
一週間を振り返れば、ようやくにして通常モードとでも言うべき状態になってきた。
4月当初から続いていた、様々な要因が重なっての忙しい状況は過ぎ、新しいシステムも館内業務に限れば順調になってきた。
仕事の進み方がずいぶん早くなったから、会社全体として取り組んでいる時間外の削減にも寄与するだろう。

毎日の業務で特に変わったことはなかったが、先ごろ本部から話があった研修に関して、私は選ばれなかったとの知らせを受けた。
わが部署からは私がただ一人候補となっていて、もちろん他の部署からも候補者は出ていただろう。
会社全体を見渡せば、まだまだ未来のある若い人なり、私と違ってそれなりに社歴も積んだ人なりがいるだろうから、一つの機会でおそらくは一名しか選ばれないところにいきなりは抜擢されなかったのも無理はない。

今回は残念だったが、一度候補にはあがったので、会社の上のほうでは引き続き何らかのチャレンジの機会を考えてはくれるものと思う。
次の機会までには時間はかかるかもしれないが、少なくとも今の倉庫での仕事は確保されているから落ち込むようなことはまったくない。
幸いにして、わが倉庫が所属する部の部長は私にいい印象を持ってくれているようだ。
繰り返しにはなるが、まだ社歴も浅い私のような人間を気にかけてもらえるのはありがたいことである。
あまりにもレベルが低くいろいろと腹の立つことも多い職場だが、上の人はしっかり見てくれていると思えるのは何よりだ。
少なくともその期待を裏切ることだけはないように、今与えられている仕事は慣れやヤッツケに流れることなくキチンとやりとげていきたい。

明るく見えても

2012-05-23 22:37:55 | 日記
私は自宅では新聞をとっていないが、実家に寄った時にはけっこう時間をかけて読む。
その中で面白い記事があった。
二人の男がそれぞれ地面に穴を掘っていて、一人は穴のできばえがどうか周囲に感想を求め、もう一人はただただ穴掘りが楽しいなとつぶやいて周りには目もくれず穴を掘っている。
さて、どちらが「明るい心の持ち主」でしょう、というものだった。
結論は当然ながら後者を明るいとしていた。
他人に認められないと何もできないというのでは明るい心を持っているとは言えないということのようだ。

この記事を読んで、職場にいる某氏のことを思い出した。
言動そのものにはどこも「悪い」ところはなく、パッと見は性格的にも明るく、時には模範的とも言える振る舞いすら見せる人である。
仕事もとりあえずは進んで動き、周囲への配慮もそこそこあるように映る。
昼ごはんの時には必ず「いただきます」と一声発し、食べ終わった弁当箱もそれはそれはキレイに洗う。
言うこともいちいち格好いいというのか「ごもっとも」的な部分が多い。

しかしこの某氏、職場のほとんど、特に女性陣にはかなり嫌われている。
文脈からお気づきの方も多いだろうが、氏のやることなすこと全てが「周囲へのアピール」なのである。
いろいろな言動が、単に自分への注目や評価を集めるための手段になってしまっていて、結果的に周囲に余計な気を使わせてしまう。
周囲の人間はそこに嫌気をしているわけで、氏本人だけが自らが思うような注目や評価を得られないことに勝手に不満をためている現状がある。
上記の記事からすれば、心が明るくない人の最たるものということになろう。

氏と関わる日数が浅いうちは、そのあたりが見えてこないのだが、そのうちにだんだんと氏の「かまってちゃん」的な雰囲気が分かってくる。
誰にでもよく見られたいと思いすぎて、話す相手によって正反対のことを言ったりすることもザラである。
もう50歳も近いのに、ずっとそんな感じで生きてきたストレスは相当なものだろう。
ある日突然、何かをきっかけに爆発することがないかが心配だ。
こういう、ある意味での「暗さ」を抱えた人は、追い詰めると何をしでかすか分からない。

明るく見えても、心に何か葛藤を抱えた人というのは何となくだが表情で見分けが付く。
特に他人と接していない、例えば昼休みに一人でいる時などを観察してみるといい。
氏の場合は、本当は人付き合いなど面倒くさいと思っているはずである。
しかし、他人の注目や評価がないと寂しいから、面倒なはずのコミュニケーションに日々精を出す。
そんなダマシダマシのような生き方、私自身も経験があるだけに毎日痛々しいことこの上ないというのが率直な思いである。

いい天気だったけど

2012-05-20 23:51:09 | 休日
5月に入っても気温差が激しい日が続いて、敏感な人はカラダに影響が出たかもしれない。
私はことさら鈍感なのか、着るものやフトンで調節がうまくいったからか、特にカゼをひいたりはしていない。
週間予報を見る限りは気温の面では安定していくようで、いよいよ今度は暑さ対策が現実味を帯びてくる。

貴重な休日は土日とも雨の心配もまったくいらないお出かけ日和ではあった。
しかし、毎月のことながら月の第3週と言えば給料日の直前にあたり、今月度もあまり派手に動くことができない状態に陥った。
4月前半は残業も多く今月度はいつもの月よりは稼ぎもあって、少しお金を残しぎみで乗り切りたいとは思っていたのだが、結果的にはうまくいかなかった。

今月度は弔事など思わぬ出費がなかったとは言わないが、大きな原因はひとえに「街に出すぎ」ということに尽きる。
最近は特に、飲み屋関係の子と店に入る前の時間に食事をしてからそのまま飲みに行くことが多い。
食事の出費と、その後はどうやってもお店に連れていかれるからそこでの出費ということでなかなかつらいものがある。

彼女たちはプロとはいえ、お客を一対一で誘うのは勇気がいると言っている。
それとてどこまでが本当かは分からないが、わざわざ時間を割いて数あるお客の中から私を選んで食事をしようというのだから「イヤな客ではない」のだろう。
お店に入れば他の客もいて特定の客と話し込むことは難しいし、急に団体でも入ればトークどころではなくなる。
ゆっくり話をしてみたい人と思われているなら、ひと頃の自分を考えれば進歩していると思うし、悪い気はしないのは確かだ。

それでもオトコというのはゼイタクで欲張りな生き物だから、そんな「お店ありき」のお誘いは、その刹那は楽しくても解放された後の空しさがかなりある。
彼女たちも商売だから「言えば来る」とだけ思われて声がかかっているのでは、という疑念もフッとわいてくる。
そろそろ仲のいい子とは食事も一巡するから、今後は誰かれとなくお誘いに乗っていかないようにしなくてはならない。
どうせ発展性のない、「気分」を味わうだけのお付き合いを入れるくらいなら、ノンアポでフラっとお店に行ったほうがいいのである。

飲み屋うんぬんは横に置いて、私自身が本当に誰かひとりを心に決めアプローチしていく勇気を持たない限りは、ここで格好のいいことを書いていてもまた同じことになる。
アタマの中を今一度整頓して、プライベートもなるべくスリムな形にしていきたい。
見込みのない場所に時間とお金をかけているヒマはもうないのである。

機械のせいではない

2012-05-16 21:28:14 | 日記
わが部署では最近、館内のシステムを新しくした。
本格的に仕事に使い始めた今週はもちろん、それ以前から様々な業者の方が何人も行き来している。
何度もテストをして万全を期したつもりのセットアップも、不具合が見つかって仕事が思うように進まない日もあった。
個人宅でのPC1台2台のトラブルとはスケールが違うから、完全に軌道に乗るまでは部署の上も業者さんも気が気でないだろう。

機械としての処理能力(速度)がかなり上がったことは確かで、相変わらず出荷量は多い状態ながら意外に思えるほどに早い時間に収束した。
以前のシステムがかなり年数も経ち陳腐化していたとはいえ、会社がコストをかけて現場の負担を少しでも減らそうとしてくれていると思えば、最大限有効に使っていく努力をするのは当然だ。

私も担当している自動倉庫は、出荷ラベルを出す機械の入れ替えはあったものの、作業スピードという点では恩恵は受けないポジションである。
3台ある自走台車そのもののスピードを上げることは製品をより大きな危険にさらすことになるのでできない。
効率の良くなった他のセクションとの時間的なバランスがこれまでとは若干食い違ってくることも考えられる。
他セクションどうしの話し合いがほとんどないという異常な状況にある部署にあって、今回のシステム変更を契機にして根本的に「日々のあるべき進め方」について意見を交わす機会があっていいのだろうと思う。

しかし、今週に入ってから自動倉庫が関係するトラブルが連発していて、私のいるセクションは毎日肩身が狭い。
そのどれもが、システムが変わったからなどという言い訳が通用しない初歩的なヒューマンエラーばかりである。
数十秒か数分の気遣いをケチったために、貴重な製品を何回落下させ、いくつダメにしてしまったか。
安全を後回しにして効率を優先するという某国の新幹線のようなマネをするから痛い目に遭わなくてはならないのだが、回数が多すぎてもう見飽きてしまい心配する気にもならない。
何度言われても同じミスを繰り返すのはオトナの人間がすることではない。
学習能力ということで言えば、インコやチンパンジーのほうがよほどマシだ。

今日は、日頃から何かと間違いの多いM氏が、ある製品を一個多く運送業者に出してしまった。
自動倉庫の経験はまだ浅いが、慣れているはずのセクションに行ってもミスが多いことは伝わっている。
もはや何かを起こさない日はないと言ってもよい今の状態では、やがて館内で任せられる仕事がなくなってしまうかもしれない。
仮に50歳で外に放り出されたとして、氏の日頃の集中力とスキルでは少なくとも現場仕事はどこも無理だし、そうでなくても次がすぐに見つかるほど今の世間は甘くない。
それくらいの危機感を持ってもらわないことには、もはやどうしようもない段階にきている。

明日は私が自動倉庫を担当する。
どんなに優れたシステムがあっても、人間が最後を詰めないとどうしようもない。
少なくとも自らのミスによって作業がいたずらに遅れたりしないように今まで同様気をつけたいと思う。

お葬式にて

2012-05-13 21:54:09 | 休日
近親者の葬儀が富山市内であったので行ってきた。
私の母親の弟にあたる人物で、小さい時にはそれなりに交流もあっただけに、亡くなったことの知らせは私にもショックだった。
私の両親の世代だと「きょうだい」は今よりは多くて、母親も男女合わせて6人きょうだいの家庭で育った。
故人は長く病気の状態にはあったようだが、年齢的にはいちばん下だったから、今日会場にそろった残り5人の心情は推し量るに余りあるものがあった。

故人はエレキギターを趣味としていて、会場の入り口には愛用のストラトキャスターが飾られており、葬儀の前後にはやはり故人が愛したベンチャーズのライブ音源が小さくではあるが流れていた。
故人も含め母方のきょうだいは仲も良く性格的にとても明るいから、心の底には悲しい気持ちはあってもワンワン泣くような人はいなかった。
さすがに直接の子供や孫には涙は見られたが、ベンチャーズのかかる会場には葬式特有の湿っぽさや暗さはあまりなかった。
私の父親は「オレの時は加山雄三にしてくれ」などと冗談めかして言っていたが、ある意味明るく送り出すことが故人のためになるのならそれもまたいいだろう。

今日はお寺さんの話も印象に残った。
2月だったか不慮の事故で亡くなった近親者の通夜の時には、正式な作法をうるさく言い募るばかりのお坊さんの話で半分ウンザリしたものだが、今回は違っていた。
ザックリ言ってしまえば「清めの塩という習慣は亡くなった人に失礼」ということである。
斎場から帰ったら体に塩をふるという慣習というか振る舞いは、亡くなった人を「ケガレ」とみなすことであるとの内容だった。
確かに、亡くなるまでは一緒に生きてきた人を、亡くなったとたんにそういうものにしてしまうのは、故人の人生そのものを否定・侮辱することにつながる。
清めの塩に限らず、何とはナシにやっている日頃の振る舞いで、単に通例に流されているだけのものもあるかもしれないと考えると、いい話を聞いたものだと思った。

こういう場に顔を出せば当然懐かしい顔もあり、同世代の人間も多くいた。
ただ、お互いガキンチョの時以来ということになると、パッと見では分からなかったり、分かっても気恥ずかしさが先に立って不自然な感じになったりする。
顔を見れたことそのものは非常に嬉しい気持ちがしたが、深く話し込むにはお互い離れている時間が長すぎた。
縁起でもない話だが、親の世代からはこれからイヤでもお別れの機会が多くなる。
お別れの場で顔を合わせるたび、私たちの世代がより結束していくような流れになっていけばいいのだと思う。

いつも書いていることだが、まだ若いからといって何が起きないとも限らないのが今の時代である。
いつ何が起きてもいいように、一日一日を大切に悔いなく過ごしていくことしかない。
それが、今生かされている者としての努めであるし、そこだけは忘れずにやっていきたいものだ。

今週の仕事関係

2012-05-12 21:10:26 | 休日
実質5月の1週目となった今週は、例月同様の月明けの忙しさに見舞われた。
GW明け月曜の7日が大変なことになるのは織り込み済みだったとはいえ、注文が落ちる金曜を除いては高いレベルで一定の出荷量になる日が続いた。
出て行くものが多ければ、それを埋める作業もスケールが違ってきて、毎日毎日大量の製品を取り寄せて移動させるのは先月と変わらない光景であった。

しかし、今は上の指示により夕方の残業は終了時刻が決まっていて、それまでに当日やるべきことが完了できなければ、優先順位の低いものを翌日の早朝などに回すしかない。
私は今週一回だけ火曜に本来より2時間早く出た。
それ自体は月曜が大変なことになったから仕方がない。
でも、その分火曜はなるべく早く帰ろうと思って、まだ作業は残っていたが他の人に任せて定時で上がった。
特に決まっているわけではないものの、あらかじめ朝の2時間をもらっていて夕方もダラダラと残るわけにはいかなかった。

わが部署で残業時間が一部の人間に偏る問題は、張本人たちの意識が変わる様子がまったくなく解決の見込みはない。
しかし、時間外の削減は会社全体のテーマでもあるから、せめて自分は早出した日は早帰り、それ以外の日も現場の様子を見ながらなるべく早く帰ることを心がけたい。

前回記事でも書いたように、近い時期には会社の中で物流倉庫とは違う方面に進む可能性が出てきた。
倉庫の仕事そのものはまったく苦痛ではなく、むしろ自分に合っていたとさえ思えるし、今の部署に縁があってようやくマトモな社会人としての再出発もできた。
それらを思えば、今後どんな方面に行っても自分のわが社での「原点」は今いる物流倉庫であることを忘れてはならないと思う。
オーバーな物言いかもしれないが、世の底辺から拾い上げてもらったわけなので、今の会社に対してはできるだけの恩返しをしていきたいのである。


新たな展開へ?

2012-05-10 21:45:03 | 日記
先日の連休に、最近開通した「新しい道路」を走ったからかどうか分からないが、私の日常が文字通りの新しい道に変わっていくかもしれない。
決して縁起の悪い話ではなく、今日の仕事中に急に部署のトップに呼ばれて、会社内のある研修を紹介され「やってみる気はあるか」ということだった。

私がいる物流倉庫も統括している本部の部長から来た話のようだが、いただきもののような話に尻込みするような私ではない。
部長とは直接電話で話もし、「チャンスがあればぜひ」と伝えたらずいぶん喜んでもらえたようだ。

今年の1月の終わりのほうだったか、わが倉庫の半分以上のメンバーと本部の何名かを交えて富山市内で飲み会があった。
その折に部署のトップであるY氏がその部長に引き合わせてくれ、貴重な時間をさいてしばらく話をさせてもらった。
部長は、見た目はさしずめ自民党の大島副総裁のような風情だが、語り口は非常に穏やかである。
お酒を飲みながらではあったが、私のことをずいぶん理解してくれたようでありがたかったし、引き合わせてくれたY氏にも感謝、感謝であった。

私はまだその研修を受ける候補の一人に過ぎず何も決まっていない状態なので、どんな研修であるとかは明らかにできない。
ただ本部のほうでは、私の過去の経歴や能力、持っている資格なども勘案して、物流倉庫とは別の路線で私が「より」活躍できる環境がないか考えてくれているのは確かである。
まだ社歴も浅い私のような人間に、会社の上の人が関心を寄せてくれているのはありがたいことだ。

倉庫という職場はモノと数字を相手にするから、冷静に確実にやるという部分は性格的にも合っていて、倉庫の仕事が苦しいとは一度も思ったことはない。
しかし、自分の持っているものということから言えば、倉庫という場所にいて他人より2倍3倍のパフォーマンスが出せるかというと、それはさすがに無理である。
各人、多少の能力差はあっても、やっていることは皆それほど変わらないからである。

他人より抜きん出るには、他人になくて自分にはある能力を生かしたほうが手っ取り早い。
今回の話はまさにその線に合致するものだから、具体的に実ってくれれば人生の中でも大きな転機でありチャンスとなるだろう。
たとえ今の件が実現しなくても、今後会社は何とか私をどこかで生かそうといろいろな話を持ってきてくれる可能性は高い。
そこに重々感謝をしながら、今は目の前の倉庫の仕事に日々前向きに取り組んでいくのみである。