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筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

2月を振り返って

2018-02-28 23:59:59 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
今夜から明日にかけては春の嵐に注意ということだが、夜明けまでには落ち着くとの予報である。
最高気温も15度前後という日が多くなってきて真冬の寒さからは完全に脱したようだ。
数字的にひと桁の気温など地元で慣れてはいるはずだが、やはり15度あたりの気温になってくるといよいよ春だなという気分になってくる。

年明けから続けてきた多忙な流れは本来なら今日で終わるはずだった。
しかし、応援先の安易なマネージメントのせいで、自分に限ればあと半月、全体にとっては締め日直前まで苦しい流れが続く。
他部署から人を一方的にかき集めて当座をやり過ごそうという思惑も、結局は足元の本メンバーの退職がなだれを打っている事態に対応できず、しかしどうやっても応援先では肩書きのある人間は作業に加わって戦力になることをしない。
これでは他部署の協力は積極的なものにはならず、メンバーもずいぶん2月とは様変わりするが、受け入れ先がそれに文句をいう資格は当然ない。
新しいメンバーが来れば、作業を一から丁寧に教えてあげなくてはいけない。
受け入れ側からすれば余計な負担にはなるが、入って行く側も不安を抱えてのことだから大切にしてもらわなくては困る。

そもそもなぜ足元の本メンバーが補充に追いつかないくらいに抜けて行くのか、マネージメント陣がまったく理解していないからこういうことになる。
抜けて行くメンバーもまだ未来ある若者が中心であることが、現在の危機的状況を象徴している。
伝聞なので真偽は定かではないが、退職者の中には離職の理由について、過去に受けたその部署での「扱い」を堂々と記入して提出した者もいるらしい。
常日頃より部署のメンバーを大事にせず、やる気をなくさせ、いくら若いとは言っても一度入った会社を辞めるという重い重い決断にまで至らしめるという粗雑極まりないオペレーションが他部署の不満まで生んでいることに思いが至らないようなら、もはやその地位にとどまる器ではないと会社として断を下すべきであろうと思う。

人が減っているのは特定の部署だけではなく、ほとんどが世の中とは違う「人手不足」である。
新しい人を入れても急には戦力にはならない中、残る人間の負担は増大し、土日もへったくれもない状況がしばらくは続くようだ。
働き方改革もワークライフバランスも、まるで別世界かのようである。
会社が大きくなる一方で、現場の不満ももはや制御不能なほどに膨張している現実、全国に散らばる事業所のどこかで噴火が起きれば、一応は新聞に毎日株価が載る企業として知らぬ存ぜぬでは済まされなくなる。
地元のマスコミは押さえ込めても、ひとたび県境を越えれば知名度はほとんどない会社など、事の内容によっては吹っ飛ぶのは一瞬だ。
たまたま世の中の追い風を受けて実力以上に成長してきた現実を受け止め、歩みをいったん止めて成長による「ひずみ」の解消に努める時期を一年二年作ったところで、そうそう簡単につぶれたりするものか。
有為な人材がなだれ式に流出し続けそうな現状を見るにつけ、木っ端の社員でも思うところは多い。

3月は締めの月でもあり、二刀流生活から解放されても締めの準備が待っている。
昨年末に引き継ぎを受け、今の担当エリアの締めをやるのは初めてになるから不安もある。
幸い土日がつぶれるような予定は私にはないが、遠出や休暇はガマンして、かつ余計なストレスをためないように注意しながら3月を乗り切りたい。

勝つべき戦い

2018-02-26 20:18:34 | 日記
わが事業所には、某国出身の実習生が複数名やって来ていることはどこかで書いたかもしれない。
母国を離れ外国で経験を積む機会を与えられる人というのは国を問わず相当に優秀であると思ってよい。
彼らがやって来たのは私が当地に来てから一年は経っていない時期だったと思うから、彼らの異国での暮らしも二年近くにはなっていると思う。
もちろん一人で来ているわけではなく母国の仲間がいるから、表立っては分からないがお互いを心の支えとして日々のハードワークに向かっていることと思う。

個々人の最終的な進路や目標は人によって中身も違うだろう。
契約により一定期間の後にはわが国を離れなくてはいけないので、すべては母国に帰ってからそれぞれがそれぞれの人生を切り開いていくことになる。
ただ、彼らに共通する最低限の目標である「日本語」は、彼らの将来にとっては相当に明るい材料となっていくだろう。

私は昨年まで彼らの誰とも仕事上では接点がなく、たまの飲み会で一回か二回時間をともにしただけであったが、今年に入って特に男性のほうと一緒に仕事をすることが増えた。
性格的には優しい彼らも仕事に対する姿勢は厳しいし、応援者である私もしょっちゅうダメ出しを食らう。
言葉がまだ十分にはままならないこともあってか、「ダメだよ、そんなんじゃ〜」とでも言わんばかりに首を大きく振ったりされることもある。
もちろん私にとって初めての作業であれば最初から完璧にいくことなどないと彼らも分かっているとは思うのだが、やはり慣れている人間はそうでない人間がもどかしく見えるということか。

今日はたまたま終わりがけに彼らのうちの一人と同じ作業をする流れになり、自分は分からないからお手本を一度見せてもらって挑戦するのだが、時間もかかるし結果もうまくいかない。
「何やってんだよ〜」的な仕草もないことはなかったので、バカバカしいからいっそ彼一人に任せてしまえとも考えたが、終わるまでの時間もわずか、今日は何としても少しでもうまくなって彼にイライラされないようなレベルまでは行ってやろうと思った。
ある程度私の精度も上がりダメ出しを食らう感じではなくなってきたタイミングを狙って、優しい彼には申し訳ないが「やり続ければ少しずつでもうまくなるんだよ!」という言葉を投げたが、彼は黙ったままだった。

私のような大雑把な人間と違い、彼は細かいところに気がつくタイプなので、応援者とは言え私の仕事ぶりには不満があるのだろう。
悔しい思いはあるが、彼の土俵に入って行っている以上は、彼が納得できる結果を出すしかない。
わざわざ他国からやって来て日々を頑張っている心優しい若者が相手とは言え、今日のその作業に関しては彼をどうしても黙らせたかったから必死だった。

職場という戦場、しかも圧倒的に不利な状況でも勝つべき時には勝たなくてはいけない。
その気持ちがなければ、当地においてもとっくの昔に精神的につぶれていたと思う。
同じ会社で二回もつぶれてしまったら、当地も含めて居場所はなくなる。
多少の波風を覚悟しても、感情を内にため過ぎず、とにかくつぶれないように生きていくより今の私には道はないのである。

複雑だよね

2018-02-25 20:43:30 | 休日
今週は先週と違って通常の月金の勤務であった。
どの部署も余裕はなく、土曜日もしくは日曜日を使うのが当たり前になっているところもあるから、同じ事業所の中ながらお気の毒なことである。
年明けからの大きな変化にもかかわらず土日は普通に休んでいる私だが、休日に出る部署の作業に合わせて前倒しで仕事をしなくてはいけないこともある。
結果、週の最後の金曜日が他の曜日よりやや負荷が大きくなることが多い。

会社には月に一度、出入りのお医者様がやってくる。
私も当地に来た当初は毎月面談していたが、当地では体調はずっと落ち着いていて、いつしか隔月での面談に変わった。
今は偶数月しか顔を合わせない中で、今年初めての面談は今月ということになった。
体調を聞かれてもいつも「変わりない」と言うばかりの時間も、今回だけは年明け早々から今までの「激変」を伝えざるを得なかった。
激変の中身について、お医者様にいくら話しても解決にはならない。
しかし、「話す」ことによって、内に溜め込んでいるものを「放す」ことにつながるから、しゃべれる時はしゃべった方がいい。
不本意ながら延びてしまった二刀流生活も、毎週のように休みをつぶしている部署の人間を思えばあとひと月足らずは何とか乗り越えたい。

先週はやや無理をしてバレンタインデー当日(水曜)に街に出たが、今週は通常通り週末に飲みに出た。
こんな薄毛のオッさんにもチョコを渡したいという奇特な方がまだ残っていて、結局「高いチョコ」になると知りつつもせっかく用意されているものを無視はできない。
財政事情もありダラダラと長居はしないで、しかしありがたくいただいてきた。

遅きに失したと言われても文句は言えない年齢になってやっとではあるが、他人に対する「壁」のようなものが少しずつ低くなって、会話のキャッチボールが初対面から驚くほど早い段階で実現する体験も増えてきた。
居酒屋の大将でも、飲み屋の女の子でも、コンビニやスーパーのレジの人でも、ほんの少しずつながら言葉を交わせるようになっているのは、仕事を離れている時間の私自身が「壁の低い状態」になっているからか。

私はすでに「商売チョコ」しかもらえない人間だが、いわゆる「生理的に無理」と思われていたら、それすらもらえないかもしれない。
一人の男としては喜ぶべきことなのだろうが、代金はその日のうちに回収され、来月には応分のお返しも必要になる。
モノの好みが分かっている相手には(キャラクターのナントカが好きなど)、それを題材にした何かでいいだろうし、分からなければ本当に型通りのモノでいい。
下手にモノに強弱を付ければ不公平感も出て、いらぬ争いの種になる。
幸い仲良しさんは増えたが、誰が一番などということは考えていない以上、同じようなものを、しかしなるべくそれぞれの相手に喜んでもらえる形で選べたらそれでいい。

中身は避けるが、ささいなことからやや複雑な心境にもなったこの週末、さすがに出費も多くなったので、次の週末はガツ飲みにはならないように考えたいと思う。

やっぱりね PART2

2018-02-20 21:43:03 | 日記
今回の「二刀流生活延長」に関しては、本当に腹が立っている。
人が足らなくて計画通りに仕事が進みそうにないから他の部署から人を借りればいいや、という短絡的な思考がどうしても気に食わない。
もちろんエラい人どうしでの打ち合わせは行われていて、その席では某部署の部長が激怒したそうである。
それはそうだ、その某部署からは部長自ら、また課長、係長も含めて交代交代で人を出している。
他部署が部長や課長を出しているのに、当の応援を受ける部署が係長すら現場に出さないのだから激怒するのも当然である。
しかし、他部署の部長が激怒したところで他部署からのうのうと人を借りるという方針は変わることなく決定事項となり対象者にはその旨の連絡が回ってきたところである。

とりあえず役職など関係なく、一度その部署が全員総出でかかってやってみて、それから人を借りることを考えるのが大原則だとは思うが、その部署にはおそらく我が事業所で考えうる最悪のマネージメント陣が鎮座しており、その人間たちはわざわざ下の人間の教えを請うてまで作業に参加して今の窮状を救おうなどとは毛頭考えない。
いつの頃からか身内で勝手に決まってしまったルールを、この切羽詰まった状況にあっても決して変えようとはしないのである。

さらに新しい話として、年明けの時点では人員が必要な理由として種々の安全項目の導入による生産の遅れと機械オペレーターのさらなる育成というのが名目だった。
それが今回はなんと「退職者増加により人員補充が間に合わないため」という。
今残っているメンバーからも、日々細かい指摘を受けるばかりでいい加減イヤになってきているとの言葉があった。
日頃ロクに作業に参加もしないのに、ささいな不始末や段取りの悪さばかりをネチネチと責めるだけの上司なら、追い詰められて辞めていく人間が増えるのも当然だ。
自分たちで貴重な人材をつぶしておいて、困ったから他部署に負荷をかけるなど迷惑千万も甚だしいというものだ。

残念ながら、いや予想通りと言うべきか、我がチームの長は昨日出たその話題をやっと今日になって持ち出してきた。
これまでも労いの言葉などは全くなく、ただ私の本担当の棚卸し作業には影響が出ないように、3月いっぱいいっぱいではなく、やや終了時期を繰り上げるようには話してみるという、あくまでも決定事項に沿った対応の提案があっただけだ。
仮にも自分の直下の部下をさらに1ヶ月他部署に取られることに関しての憤りのような思いなどはトンと聞かれなかった。
内心は腹が立っているというなら救いもあるが、基本的には上で決まったことはあくまでそのまま、という人なのである。
最近事務方から我がチームにやってきたベテランの某氏のほうがよほど怒っていたくらいだ。

とりあえず、他部署の部長という影響力の大きい存在が大いに怒ったという現実は、受け入れ側にも伝わってはいるだろう。
表向きは平静を装っているのかもしれないが、本質は弱い者いじめ大好きのチンピラ体質で強いものには弱いから相応のダメージを感じているのは想像に難くない。
ここまで他部署の不満を目の当たりにしてそれでも4月もやっぱり人が足りませんなどとは言っていただきたくないし、もしそんなことになったら激怒どころでは済まず、どこの部署の協力も得られなくなることを受け入れ側の部署は覚悟すべきだと思う。

やっぱりね

2018-02-20 07:07:33 | 日記
年明けから続いている二刀流生活も2月末で終わりを迎えるはずだった。
二刀流が何たるかは過去を少しさかのぼっていただければ分かるので詳しい説明は省くが、3月末まで1ヶ月延長されることになった。
2月中で終わるならもう日数的にはひとケタということでカウントダウン気分にはなっていたのだが、毎日現場に入っていて、精密なはずの機械を入れていながらここまで思い通りに事が進まないものなのかと感じていた。
事が進まないのはしょっちゅう機械が詰まるだけではなく、製造したいものの資材の入荷が間に合わないなど別の要因もあって、計画通りにモノができていかないということもある。
このあたりは調達部門と製造部門の連携の悪さと言えようし、外部のメーカーもからむことなので仕方がない部分もある。

私も含めて何も分からない他部署の人間を応援にもらっても、あと1ヶ月やったところで少しは慣れる程度で大した働きはできないから、本当ならその部署が文字通り「総出」でかかることを考える方が先である。
しかし、そこでは一定の職位以上の人間は作業に入らない慣習になっているらしく、いわゆる肩書きのある人間は事務所でデスクワークをしているか、たまに現場に来ても後ろ手のまま機械を覗き込む程度で、負担はすべて下の人間に行っているのが現状だ。
おそらく本格的に作業に入れても使い物にはならないのだろうが、それなら下の人間から教えてもらってでも自分で作業ができるようになればよい。
部署の事情を知っている分、作業を覚えれば戦力としては他部署の素人よりはマシになってくるはずなのだ。

根本の問題はそこにあることは指摘できても、そこを変えようとしないから1ヶ月延長などという話が簡単に出てきてしまう。
この調子で進めば、もう1ヶ月もう1ヶ月と、下手をすると5月くらいまで平気で延びそうな雰囲気である。
私としてもこういう安易な体質を知っているから心情的には受けたくないが、私が属する部署の課長がわざわざ私がいる現場まで出向いてこの話を伝えてきた。
現場に入るには着替えが必要だったりと非常に面倒な中、メールなど簡単な方法もある中で直接対面でお願いしに来てもらえたことで「それならば」という気持ちになれた。
この課長は、延長うんぬんの話が出る前にも、私を含めた同じ部署に属する応援者の様子を見るためだけに一度現場に足を運んでいる。
そこまでしてくれる上司がいることは幸せだし、だからこそ精神的にショックはあってももう1ヶ月頑張ってやってみようと思える。
一つ上の職責にある部長も、私が二刀流生活に入った当初「応援、楽しんでやれているか?」とある日の昼ごはんの時に声をかけてくれている。

逆に、私に一番近いはずの係長クラスの上司は、たぶん延長の話を知っていながら、昨日の帰り際にそのことを話題にはしなかった。
氏は部下の防波堤になることは一切なく、上に言われたことはそのままというタイプだから、あらためて氏からのフォローはないだろう。
私に話しかけるとしたら私が何か間違ったことをした時だけという典型的な指摘型の人なので、わざわざ部下がいる現場に出向くなどということ自体思いつかないのである。

係長は別として、少なくとも同じ部署の上司は味方であると感じられるのは幸運なことで、部長や課長のためにもできる限りのことはしたいとあらためて思い直してまた今日からの日々を乗り切っていきたい。

やっと行ってきた

2018-02-18 17:38:04 | 休日
今週は月曜日が休日で4日間の勤務であった。
1日短いとは言っても2月末までの特別な状況は変わらず、しかし本業の方も遅れは出さず、応援の方もいよいよ回数的にはカウントダウンの段階に入ってきた。
もう最後に近いからと気分にスパートをかける必要はない。
そんなことをしなくても、イヤでも時間に追われる日々はあと少し続く。
とにもかくにも月末までを無事に乗り切ることができたなら、いくばくかの自信にはなるだろう。

今週の水曜日にはバレンタインデーなるものがあった。
今の仕事の状況で週の真ん中に飲みに出るというのは明らかに無謀で、年明け以降は出るのは週末と決めてその通りにしてきた。
しかし、2月14日は1年の中でも特別な日、もうアタマの薄いオッサンでも「何もなし」というのは正直寂しい。
もちろん迷いはあったから「お仲間」には当日の連絡となったが、しっかり準備をしてくれる人はいるもので、望外の収穫を得ることができた。
早めに始めて早めに終わり翌日に備えようという当初の思いはお酒の力で雲散霧消して、結局は日付が変わるまで「チョコ狩り行脚」という、寂しいオヤジ丸出しの夜となった。
その分、金曜の夜は誰に告げるでもなく外出はパスして休むことに専念、と言うより横になった瞬間に眠りに落ちて行ったと書いた方が正しい。

土日は特に予定はなく、2日間ベタ休みでもいいくらいに金曜夜の時点では疲れがあった。
土曜は自宅の雑事をこなして、外出は昼食と買い物だけで済ませ、夜は五輪観戦と、ゆっくりめの過ごし方をした。
幸い今朝になって体の疲れは取れ、天気もいいので少し外に出ようという気持ちが戻った。
今日は競馬のフェブラリーステークス(G1)もあったから、再度ドライブがてら恵那市の場外にでも行こうかとクルマを出した。
しかし、ここでハタと気が変わり、昨年11月末にオープンしたココに足を運ぶことにした。





オープン直後はさすがに混雑するだろうと思い、少し時間が経ってからと考えていたが、年始からの思わぬ多忙により意識の外に行ってしまっていて、ようやくにして思い出して行くことになった。
ちなみにここは、クルマで行くには県営名古屋空港の駐車場にいったんクルマを置いてバスに乗る。
わずかな距離であるため、空港の窓口で駐車券を見せて申し出ると無料乗車券がもらえる仕組みだ。
帰りはミュージアムの窓口で同じように申し出て空港までバスに乗る。
さすがに航空ミュージアムだけあり、入口は空港の搭乗口を模した作りになっていた。



2階から1階へと流れる順路が組まれていて、2階は主に模型の展示や体験コーナー、1階の広いスペースに実機の展示という構成であった。
やはり実機の迫力に勝るものはない。
ミュージアムを代表する展示である、零戦とYS-11にはやはり引かれるものがあった。





海外では「ゼロ・ファイター」と呼ばれ戦闘力の高さには一定の評価があった零戦、またかつては富山=東京便でも大活躍したYS-11の実物を同時に見ることができる施設が自宅から10kmもないところにあるのは幸運だ。
こと、技術やモノづくりといった分野で愛知県を中心としたエリアの右に出るところはないとあらためて感じることもできた。

最後は屋上の展望スペースへ。
場所的には大型商業施設「エアポートウォーク」とさほど変わらないため景色に目新しさはない。
小牧方面と春日井方面。





なぜかハンモックに寝そべって空を眺めようというスペースが設けられ、私も短時間ながら寝そべってみた。





寒い日ながら、今後土日が毎週天気がいいとも限らないし、行きたい場所の一つに行くことができてよかった。
まだまだ「行きたいところリスト」は埋まっていない。
春近しとはまだ感じられないが、3月はすぐそこ、イヤでも春はやってくる。
新しい経験を増やしていくという今年の方向に従って、できるだけ初めての場所に、欲を言えば好天のもとで足を運ぶことができたら言うことはない。

四日市での1日

2018-02-17 10:47:00 | 休日
もう月曜のことになってしまうが、日曜にバレーボール観戦をしての翌日は三重県四日市市に出向いた。
三重県内には四日市と松阪の二つの競輪場があるが、今で言うG1、昔で言う特別競輪の開催はこれまでなく、9日から12日まで四日市で行われた「全日本選抜競輪」が三重県では初のG1開催ということで、開催に向けてはスタンドなどの改修も行われていた記憶がある。
リニューアルが施された会場で、相撲で言えば横綱大関クラスも含めた最高峰の選手が覇を競った。

競輪を楽しむと言っても、大枚を抱えて勝負という気はなく、競輪場の駐車場に着いた後もすぐには入らず、すぐ近くにある四日市ドームや周辺の工業地帯の撮影に時間を使った。







マスコットが印象的な競輪場の入り口。



スタンドと、四日市ドームをバックにした走路を撮影。





この日は車券の方はサッパリだったのだが、会場では流石にG1とあってイベントが多くあった。
中でも、レスリングで大活躍した浜口親子のトークショーでは楽しませていただいた。
父親の「アニマル浜口」氏は新日本プロレス時代によく拝見していたし、娘の京子さんは五輪や世界選手権でのメダル獲得など最高峰の舞台で活躍したのは周知の通りである。
格闘技の世界で育ったお二人も、マットやリングを下りれば大変穏やかで、笑いの絶えないトークショーになった。
もちろんお馴染みの「気合だー!10連発」もステージの最後に披露してくれ、私は2回とも見たのでつごう「気合だー!」を20回聞くことになった。
日々を明るく生きることの大切さ、またお二人の仲の良さををあらためて実感することができた。

さて、新田祐大選手(90期・福島)の優勝で幕を閉じた今大会、同期で地元、昨年暮れの競輪グランプリ覇者である浅井康太選手(90期・三重)は初日と二日目でいずれもレースの組み立てに失敗し、三日目の準決勝にすら進出できなかった。
地元バンクで初のG1開催というこの上ない条件で惨敗して一番悔しいのは当然本人だろうが、ファンの落胆も相当なものであった。
個人的には、年末のグランプリのために体調をピークに持っていったであろうS級S班の選手たちのことを考えると、そこからわずか1ヶ月半、しかも厳寒期である2月にG1があることは日程的にどうかという思いはある。
ただ、新田選手あたりはナショナルチームの練習や遠征と日本の競輪を両立させているので、浅井選手が今回早くに敗退したことは日程を言い訳にはできない。
競輪の世界では中部地区に属する富山出身の私は、どうしても中部(富山・石川・岐阜・愛知・三重)の選手には目が行く。
輝かしい実績を残した以上は、ファンも納得する安定した戦績を求められる。
中部のスター選手の一人として浅井選手には今後の奮起を期待したい。

帰りは急がない旅、桑名市にある県道106号線(揖斐川と長良川の間をすり抜けるように走れる私が大好きな道路)で撮り鉄などしながらのんびりと自宅に向かい、翌日からの仕事に備えたのであった。








あと半月だから

2018-02-13 21:58:49 | 日記
3連休明けの火曜、さしずめブルーチューズデーとでも言うべきか、4日間ながら重苦しい気持ちで今週の仕事が始まった。
現状として、午前中は本来の担当業務、午後からは他部署の応援に回っているというのは何度も書いている。
昨日月曜日が休日だったため、週明け初日ながら今日は残業付きという条件での応援であった。
今は、昼いちばんに入って行って作業の状況を確認して、今やっている作業のだいたいの終了時間が読めるようになった。
進行中の作業はだいたいは19時くらいで収束するだろうという読みはピタリと当たり、片付けを含めても19時半には会社を出ることができた。

私が応援に行っている部署は、ややもすると多忙が過ぎて精神的にスポイルされている人間が多いように感じると書いたが、本日も箸の上げ下げまでもが気に入らないような物言いを散々受けることになり、週の最初から気分は非常に悪い。
何度でも書くが、自分たちだけで間に合わないから他部署から人を集め、集まっている当事者たちは自分の仕事の時間を削ってでも、いわゆる「お家の一大事だから」と協力を続けているのだ。
いらないことをやりはしないかと監視され、少し要領を得ないだけで青筋を立てられてはこちらも立場がないというものだ。
大切な製造記録を引きちぎらんばかりに奪い取るように持っていこうとする姿を見て、もう素人にイライラするくらいなら自分たちだけでやれよ、と言いたくもなる。

何度でも繰り返す。
「本来のメンバーだけではまったくもって間に合わない」から他から人を呼ばざるを得ないのであって、自分たちの乏しい能力を棚に上げて応援者をぞんざいに扱うのならこの後の予定を放棄してもいいくらいの気持ちだ。
実際にはそこまでのことはするつもりはなく、題名の通りあと半月、2月いっぱいまでだから、もういい加減イヤにはなっているが命令を放棄することはない。
あと半月、回数にしてあと10回ほどを乗り切れば、短かった縁も切れる。
後腐れのない分、ある意味気楽に過ごせばよい。

ただ、事後の話となるとやはりこの期間中にあったことは自分なりに記憶や記録にとどめておきたい。
今この時点で確かなことは、仮に今後また同じように他部署から人がほしいなどという話が出た時に再度私に声がかかっても前向きにはなれないし、他人が対象となった場合は私がこの期間で受けた仕打ちを洗いざらい伝えることにはなる。
私の立場ではおこがましいが、せっかくの臨時の戦力すらスポイルするところだという話が広まれば、どこの部署も応援など出さなくなるだろう。
どんなに残業が増えようと、休日がいくらつぶれようと、とりあえずは本来のメンバーだけでやって、あらかじめ決まっている市場出荷にキッチリ間に合わせてみるがいい。
2月末まで他部署の人間をこき使って当座の危機はしのげたと息をつくだけではなく、3月以降は、今後誰も応援に来なくなってもいいように、部署内部でしっかりとモノになる人材を育てていただきたいものだ。

東美濃で富山弁?

2018-02-11 21:05:31 | 休日
金曜日までの仕事をドタバタしながら終えた。
形式ばかりに気を取られ楽しく仕事をすることを忘れている現場は、簡単な話題さえ通じないほど精神的にスポイルされた気持ちの悪い環境である。
年明けからヘルパーとして乗り込んでいる私は、月曜日から金曜日までのストレスやウザウザは金曜日のうちにガツ飲みして晴らしてしまい、土曜日以降には持ち越さないという荒技でここまでを乗り切っている。

さて、この3連休は初日は特に予定はなく、雑事と買い物で過ごした。
寒い寒い今シーズンの冬、上に着る物のバリエーションが不足していたので、国道沿いにある古着屋を冷やかして二着ほど追加した。
一着は見た目普通だが、もう一着は見る人によっては「引かれる」危険もありそうなシロモノだ。
いい意味で年齢不相応に見られたい欲求が、若い頃には考えもしなかったような色合いの服を選ばせている。
いちばん外見に気を使っていいはずの年代に、見た目にトンと無頓着だったことで若い時代の楽しさが著しく減殺された苦い経験を今からでも取り返したいと願う気持ちがある。

日曜の今日は同郷の友人にすべてお任せの日程で、岐阜県中津川市にある東美濃ふれあいセンターという施設に行ってきた。



当日は、バレーボールVリーグ女子、チャレンジ1リーグ(2部リーグに相当)に所属するKUROBEアクアフェアリーズ(以下アクア)がフォレストリーヴス熊本(以下熊本)を相手に戦うことになっていた。
17/18シーズンは、トヨタ車体の皇后杯制覇という嬉しいニュースはあったものの、Vプレミアリーグのトヨタ車体やデンソーの試合などのライブ観戦は実現していなかった。
アクアは、友人の出身地である富山県黒部市に本拠を置く地元中の地元のチームであり、選手たちは黒部市内を中心とした各企業に散らばって仕事をこなしながら日々の練習と鍛錬に勤しんでいる。
私は西となりの魚津市出身なので、私にとっても地元のチームと言い切って何ら差し支えない。
そのアクアが、たまたま当地からは約60kmという地で試合をするというので、かなり前から計画は立っていた。

写真のポスター近辺には各チームのグッズ販売があり、チームの応援TシャツとVリーグのプログラムを購入した。
地元中の地元のチームなので、アクアのスタッフが陣取るスペースでは東濃の地でコテコテの富山弁(東部仕様)が飛び交うという不思議な光景があった。



下部リーグとは言えVリーグの一翼を担う公式戦、リーグの立派な横断幕に加え、チームの選手の名前が書かれた垂れ幕が会場には多くあった。





結果は3-1でアクアが熊本に勝利をおさめ、リーグ戦は残り3試合を残すのみとなった。
ここまではプレミアからの降格組である岡山シーガルズやPFUブルーキャッツの壁を崩せず3位に甘んじているものの、パワーのある外国人選手もいるし、熊本と比較して明らかに高さもあって決してポテンシャルの低いチームとは思えない。
今日は1、2セットの内容からしてストレート勝ちすべき流れだったが、シロウト目には無駄な選手交代によって流れが熊本に行ってしまい第3セットを落としたように感じた。
第4セットも同じような流れに一瞬なりかけたが、熊本のミスにも助けられて第4セットで勝負を決めた。
ひとたび詰めの甘さやスキを見せると、強いチームは必ずそこから自分たちに流れを持っていってしまう。
来シーズン以降も簡単そうで難しい課題が付きまとうことになりそうだ。

ひいきのチームが勝利をおさめてまずは一安心、帰りついでにシアター恵那で中央競馬の重賞に挑みあえなく撃沈したのは余計だったが、バレーもさることながら、私から無軌道に繰り出される雑多な話題にも丁寧に付き合ってくれる友人には毎度のことながら感謝している。
次の機会は、できれば私個人としても今年のテーマとしている「新しい経験」をどこかで共有したいと思う。
アクアの応援Tシャツ、写真には載せなかったが、前面の裾や背中の部分に総勢5名ものサインが隠されているのも彼のおかげなのであった。


11周年

2018-02-09 20:04:35 | 日記
本欄を開設したのは2007年の2月7日で、早いもので11周年ということになった。
11年間同じ場所を安い賃料で借りて、好き放題に日々のあれやこれやを書かせてもらってきた。
ツイッターで短くそのことを書いたら、gooサンクスチームというところからツイッター上でお祝いをいただき恐縮至極である。

2月いっぱいまで続く二刀流生活、他部署のヘルプは来週の4日間が終わればほぼほぼカウントダウン気分にはなってくる。
現場の指示は何かとうっとうしい。
たまたま呼ばれてやって来て1ヶ月半で去って行く素人を大切に扱えというのがそもそも無理な話、慣れぬが故に変わったことをやりはしないかという目で見られるばかりの毎日はストレス以外の何物でもない。

私の見る限りでは、要請を受けて各部署からかき集められている人たちのほうが人間的なレベルは高い。
業種的な知識で言えば、崇め奉りたくなるような人もいる。
私も近くに人がいる時は、私自身も退屈しないように頭の引き出しをアレコレ開けて「無言」の状態を作らないようにくだらない話題を提供したりするのだが、そこに反応できるのはヘルプ組が中心で、もともと長くその現場にいる人間は話題には乗ってこない、あるいは「乗れるレベルにない」と言った方が正しいのだろう。

仲間を腐すようで申し訳ないが、素人が入り込んで来ている現状、元からいる人間の中には自分が何となく優位にあると錯覚しているように見える向きも少なくない。
私から見れば、彼らもしくは彼女らはその仕事ができるのではなく慣れているだけなのであり、仕事内容から見ればみっちり指導を受ければ数ヶ月もあれば容易に役割逆転も可能である。
申し訳ないが、自分たちのやっている作業ごときで「手に職が付く」とか「キャリア形成」などということには絶対にならない。
たかが今の担当作業ができるからと言って偉いなどということには全くならないし、風を吹かせて威張るなど勘違いも甚だしい。

もし今の自分の担当をどれだけ長くやったところで「手に職」に値しないと気づけば、行動は自ずと決まる。
在籍している会社だけでなく、第三者も認める何かを、時間とお金を捻出して身に付けるのである。
私だったらそれはフォークリフト免許であったり、4トントラックの運転(昔の普通免許が許している範囲に最大限挑戦した形)であったり、今の仕事にはまったく関係ないが趣味が高じて思い立って挑戦し取得できた旅行業の資格であったり、である。
お金さえあれば(ないが)自分で旅行会社を開くことができる人間が、フォークリフトに乗りガラス瓶やプラスチックのキャップをせっせと運ぶこともできる。
もう少し投資をすれば、いわゆる「中型限定」を解除して、電車通勤の社員の送迎に毎日使っているマイクロバスを運転することもできるようになるのである。

たかがライン作業に慣れているだけで威張っているような人間が、急に違う世界に放り出されてもやれることはほぼない。
ものすごいことでなくてもいい、自分を大切に思うのならば、小さなところで踏ん反り返っているのではなく、せめていわゆる「つぶしのきく」レベルにまでは行っておいて損はないのだろうと思う。