blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

3月を振り返って

2024-03-31 21:40:22 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
先日は思わぬ形で「役員報酬」なるものをいただいた。
会社で特に役職はない私も今年度は自治会の役員になっていた。
担当したお役目も天候不順などにより流れたものが多かったから何をしていたのだろうという感じだが一応任期は全うした。
4月1日からの新年度はお役目はなく次の機会は1年後である。

さて、年度の終わりということで何かとバタついた中、休日の少ない現状で仕事と寝るを繰り返すだけの日々になってしまった。
具体的な経緯は分からないが今年に入ってからは外の会社に預かってもらっていたものを再び我が社で管理することになり、特に朝の時間帯にやるべきことが増えた。
外に預けることで会社としての利益が圧迫されていたのでその契約をカットし、我が現場から見ればしばらくなかった仕事がまた復活したということのようだ。

長くいる人はともかく私としては増えた仕事は「新しいこと」なので、例によって見よう見まねで覚えていって、さしあたり朝いちばんは手持ちぶさたになることはなくなった。
仮にも組織の長から指名されて現場を采配する社員とコンビを組ませてもらえているのだからありがたいことである。
ゴマをする必要までは感じないがいろいろな場面で声がかかる存在ではありたいと思う。

今の環境に来て一定の期間が過ぎたので有給休暇なるものもめでたく一定日数付いた。
3か月に1度の検診はもちろん、突発的な用事があっても月々の実入りを心配することがなくなったのは大きい。
それ以上に、一定期間を出席し続けたことでようやく「お客さん」から脱して組織の一員になれた感覚が持てたことにホッとしている。

ただ、一員になれたかなとは思いつつ、ホームかアウェイかと言われるとアウェイ感の方がまだ強い。
毎日仕事を続けていく中で周囲の見かたも徐々に変わっているのは感じるが、ごくごく普通に仲間として協力し合う関係以外に厄介なタイプも出てくる。
一つはこちらが何をやろうがどう振る舞おうが「お前なんか絶対に認めない」とでも言わんばかりの空気を出すタイプ、もう一つはこちらを適当におだて上げて仕事を押し付け自分はラクをしたいのが丸分かりのタイプである。
今は認めない派と押し付け派を合わせるとメンバーの過半数になる。
一定期間を経ていろいろと慣れてきた中でもいまだにアウェイ感が強いのはこのためである。

くだらない障害は気になるとはいえ、年度も新しくなることだしこの土日がちょうど月末にかかって気分を入れ替えるにはちょうどよかった。
過去の経験からは突然の「ガス欠」がいちばん怖いので、いろいろと心の中にため込むことはやめて日々をスッキリした形で終われるように、今まで以上に注意しなくてはならないと思う。

昨日の自分を超える

2024-03-06 21:30:18 | 日記
前回の「1月を振り返って」からずいぶん間が空いた。
2月7日の開設記念日(17周年になりました)すらすっ飛ばして更新が滞ってしまった。
更新しないのに毎日少なくはないアクセスがあることには感謝感謝である。

さて、しばらく更新がなかった理由はまたぞろ職場で戦争になって無職になったからではない。
隔週土曜休という条件で働いていると休日は月に6〜7日程度しかない。
体を動かす仕事だからどうしても「たくさん寝る」ことに集中しないといけない。
体質的に長く寝ないとダメなタイプで、寝不足は即仕事上でのミスにつながる。
今どきのお子様より早いのではないかと思われる時刻に横になることもしばしばである。

また、ここ数週の休日といえば写真撮影などで外に出るより、スマホやPCをあれこれいじっている時間が長かった。
いじると言ってもただただゲームや動画に没頭するというよりは、例えば「お古のGalaxyをAndroid10化する」とか「ハードディスクのないPCを外付けドライブにインストールしたWindowsから起動して使う」といった、半分は変態趣味と言っていいところに時間を使っていた。
こういう作業はなかなか時間を使うもので、試行錯誤しているうちに一日が終わってしまうことも多い。
今本欄を更新している環境はWindowsではなくLinuxであったりもする。
まだどんなアプリがあるのか詳しくは見ていないが、標準搭載のアプリで文字通り世界中のテレビが見られたりするのでなかなか面白い。
データ保存はWindowsに任せ、Linuxではいろいろなアプリを試してみる場にしたい。
スマホのカスタム化にしろLinux導入にしろ去年までの自分には縁のないものと思っていたが、実際に大きな失敗もなくこれらのことが実現している。
去年までは考えてもいなかったことに手を付けて実現させているという意味では去年までの自分を超えていっているとは言える。

仕事の方は、ごくたまにポカもあるが大失敗や大事故には至らず順調そのものである。
今のような作業系が自分にフィットしていることもあるだろうが、仕事場での経験を積むにつれて周りもよく見えるようになりアイデアもいろいろと湧いてくるようになった。
フォークリフトの運転にしても、日に日に新しいやり方を考えて実践し自分のものにできている。
50をゆうに超えた年齢にして、毎日「昨日の自分を超える」経験ができていれば毎日は楽しくないはずがない。

ずいぶん前の話だが、普通に構内をフォークリフトで走っていると「楽しそうですね」と言われたことがある。
自分では意識していないが他人にはそう見えたということはやはり「合う」仕事をしているということだったろう。
また、経験がそんなに長くないのに「何年もいる人みたいだ」と言われたことがあるのもありがたいことだ。
若い頃は、その時は気づかないが今にしてみればどうしてそんな仕事をしていたんだと思うような、どう考えても合わない仕事をしていて、毎日は苦労のみ、楽しいことは一つもなかった。
その時分は日々明るい気持ちになれるわけもなく時には「見た目50代」と揶揄されたりもしたが、50代に入った今の方が見た目にも気持ち的にも若いのではないかと思う。

仕事場を観察していて思うが、進化をあきらめ現状維持に甘んじようとする人間は表面には出さずとも明るくは見えない。
現状維持で本人がいいと言うならそこは他人が入り込むことは難しいとしても、周りに進化する人間がいるとすれば相対的には進化する人間との差が広がるわけで現状維持は後退と同じことになる。
そういう人間は、お気の毒なことだがもれなく体に支障が出ていたり聞けばドキッとするような病気と戦わざるを得なくなっていたりする。
明るい気持ちで日々を過ごすことがいかに大事かは、今の状況を見ても、暗い気持ちで過ごしすぎて病気になってしまったかつての私を思い返しても痛切に感じるところである。
毎日仕事をしていれば思い通りに行かないことも多いが、明るく前向きに誠実に日々をつとめていけばいつか見たこともない景色にたどりつくことができるのかもしれない。