blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

7月を振り返って

2016-07-31 21:55:08 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
九州旅行の翌週であった第一週の土日こそゴロゴロで過ぎたが、毎週末のうち一日は外の空気を吸う機会を作った。
7月の締めくくりには、一度近くまで来ていながら通過してしまった岐阜県の恵那峡を選んだ。

*遊覧船乗り場の近くから木曽川上流方面。



*さざなみ公園に咲いていた花。



*恵那峡ワンダーランド近辺からの眺め。



プライベートでは、イベント参加やドライブに競馬観戦とバラエティー豊かに過ごすことができた。
どちらかというと近場にとどめたのは、8月の前半に「遠出からの帰省」という計画があるためだ。
現地までの足、現地での交通についてはあらかた支払いが済んでいるから、あとは衝動との闘いになる。
夏の賞与はあったが、夏タイヤの新調でけっこう持って行かれたので、何の制約もないお気楽な旅行といえどもお金の使い方は要所を押さえていきたい。
とにもかくにも、久しぶりに地元にも帰るから、平日の勤務は暑さ対策をしっかりして元気に過ごしたい。

仕事面は相変わらず順調だ。
昨年の10月アタマから当地に来たから、まるまる10ヶ月が経ったことになる。
10ヶ月と言っても安心するのではなくて、少なくともあと2ヶ月、一年という節目までは何としても元気なまま到達したい。
一年という時間を体調的に何の問題もなく送り、実質無休で乗り切ることができたなら、昨年の数ヶ月を棒に振った苦しい経験が「環境のせいだった」と言える。
その苦しかった中にあって、一瞬でも私に目をかけてくれた元の上司やお世話になった方々にも胸を張って連絡ができるようになったなら、一年という時間を経てようやく「恩返し」ができたということになる。
過去のわだかまりを捨て、いつの日にか笑って再会できるとしたなら、それは幸せということなのだろう。

たかが一人と言うなかれ

2016-07-28 22:07:03 | 日記
今週の我が部署は休暇や外出で全員集合とならない日が多い。
総勢10名に満たない部署では、一人二人の穴は非常に大きい。
昨日は二人が欠けていて、さすがにそういう時はいつも以上に動かないと回らない。
日頃は個々の担当はわりあいハッキリしているが、昨日に限っては相互に、普段はやらないことにも首を突っ込んで何とか一日を乗り切った。
当地に来て一年近くを経て、これまで見たこともないようなチームワークが出たのには驚いた。

私個人の話をすれば、本来は私以外の二人が担当している屋外用のフォークリフトに久しぶりに触ることになった。
担当の一人が休暇で不在、そこにこちらの担当で急ぎの仕事が入ってきた。
ボヤボヤしていると午前に終わらせるべきことができなくなると判断して、もう一人の担当者に断ってしばらく拝借した。
日頃、屋内用は愛車のごとくに使っているが、屋外用がやはり操作や構造から言うとフォークリフトの基本である。
せっかく免許を持っているのだから、チャンスがあったら触らないといけないし、そうしないと腕が錆びてしまう。
普段ほとんど触れないのは正直つらい部分もあるが、昨日のように複数人が欠けるような事態ではいつでも代わりがつとまることくらいは見せておいて損はない。
さんざん使って、こちらの仕事が落ち着いたところで本来の担当者に返した。
久々にしてはミスもなく、通常とは気分も変わり楽しく仕事ができた。
今の職場ではまず機会はないが、富山にいる時は毎日のように4トントラックにも乗っていて、いっとき職場の建屋を離れて一人になれるので気分的にはずいぶん楽だった覚えがある。
当地でも、私は乗り物に乗せてさえおけばゴキゲンさんだと知れれば、もっとチャンスが回ってくるのかもしれない。

人間ひとりの存在というのは思っている以上に大きいものだ。
会社にいつも同じくらいの時間に着く人がたまたま見当たらずアレっ?と思うとか、出入りの業者さんの担当がいつもと違う人だっただけでなぜかリズムが狂って手順を間違えたとか、ランチの時間にいつも見かけるステキな人が今日はいなくてガッカリするとか。
毎日同じように流れている日々でも、たった一人がいるとかいないとか、いつもと違うとかでその日の一部が変わってしまうのは、ひとりひとりが違った顔や個性を持っているからにほかならない。

先日は、我が国史上最悪クラスの大量殺人が起きた。
何もできない(実際はそんなことはないが)障害者などいなくなればいいという考えは、最終的には障害者がどうだこうだという枠を超えて「自らの常識と違うものはすべて排除する」方向に行ってしまう危険がある。
容疑者はいずれ死刑となりこの世を去ることになるだろうが、このような人間がどうやったら世の中に出てこないようにできるのか。
どれだけ障害が重かろうと、何かをなすことはできるであろう方々ひとりひとりをどう支えていけばよいのか。
山形県酒田市で購入した、障害者の方が作った手編みのスマホケースを眺めながら考える夜であった。

続・自由って

2016-07-25 21:12:48 | 日記
昨日は長久手市までクルマ系のイベントに行った。
その様子も書きたい気はするが、別ブログ(ブックマーク「206を飼う生活」)もあるので、本欄では少し違うことを書きたい。

案の定というか、ポケモンGOにからむ問題が全国で頻発している。
ただ、ゲームそのものに問題の原因を求めるのは酷であって、スマホの画面に集中し過ぎるあまりの事故やトラブルというのはポケモンGO以前からもずっと注意喚起や呼びかけが行われている。
この件に関しては秀逸なツイートもすでにあって、要はスマホに気を取られて事故やトラブルを起こす人間は、原因がポケモンGOでなくても起こすのである。
行政やメーカーや警察の再三の注意や呼びかけを理解することが不可能な人間は残念ながら世の中に一定割合はいて、材料が何であれ同じような問題を起こす可能性が高いということだ。

本欄の過去を振り返れば、「ダメでない」から「いい」と短絡的に考える人間について度々書いている。
例えば、お腹が空いたからと電車の中でおにぎりを食べることはダメではない。
通勤ラッシュで車内がスシ詰めの状態であっても、おにぎりを食べることはダメとはどこにも書いていない。
ただ、ダメと書いていないからといって、本当にギュウギュウの車内でおにぎりをムシャムシャやり出せば周りから白い目で見られるに決まっている。
ダメと書いてないからいいのではなく、いいかどうかはその時々の状況により、まず他人が不快に思わないかという基本的な判断がまずできなくてはいけない。
繰り返しにはなるが、禁止されていない=やっていい、では絶対になく、もしそういう考えを持っているとしたら年齢がいくつであってもその人間は子供であって、自由の意味を知らないまま年を重ねたということである。

人それぞれの本分をわきまえないまま振りかざされる自由ほどウットウシイものはない。
定められた残業時間の中ならばそれこそ「いい」と考えて日中から巧みにペース配分を図り決して定時には仕事を終わらせず残業手当をたんまりせしめて会社の利益を食いつぶす向き、有給休暇は使わなければ損とばかりに繁忙日でも委細構わず会社を空けては遊び呆けて休み明けには死にそうな顔で出勤する向きなどに至っては、私がしかるべき立場であれば「いないもの」と考えて扱うことになる。
あなたたちが10の自由を謳歌している陰では、3か4で我慢している人間が大勢いる。
私より長く生きている人間にして「お互い様」が分からない人間には早々の退場をお願いするより他はないのである。

休む日と決め

2016-07-23 19:57:13 | 休日
今日は動き詰めだった先週の疲れを癒すため、自宅とその近辺だけで過ごした。
先週の土曜は要請を受けて他部署の応援で一日出勤し、貴重な日曜はゆっくりすればいいところをバレーボール観戦とあわただしく動いた。
今週の平日も個人的には変わったこともなく順調に過ぎたが、日曜に初めての土地に出向いた疲れもあったのか、顔から首にかけてニキビがたくさん出た。
ここ数年は、肉体的な疲れとこの現象はほぼ連動している。
分かりやすいお知らせ機能が私の体にはたくさん付いているようで、今日はそれに従ってあまり大きく動かないことにした。

そんな静かな土曜のルーティンといえば洗濯である。
野外ではないがこの季節の現場での仕事はさすがに体には厳しい。
汗をかき肌着をこまめに替えるから知らない間に洗濯物がたまる。
冬でも夏でも、一週分の洗濯物は5kgタイプの洗濯機で2回分になる。
年のせいか休日でも目がさめるのが早くなったはいいものの、2回目の途中あたりで二度寝に落ちる悪癖があって、今日もそれをやってしまった。
洗濯物を洗濯槽の中にほったらかしにしておいていいことは何もない。

梅雨が明け晴天の日も多くなり、各地では毎週のようにイベントがある。
せっかくだからいろいろな場所に行ってみたいが、体は一つしかなく、1年目からあれもこれもと欲張っても仕方がない。
例年のイベントは逃げてはいかないので、周囲から情報も仕入れつつ好みに合ったものから足を運ぶようにしたい。
今年はすでに近隣の多くの観光地に行ったし、お盆休みの前半には6月の九州に続いて今年のもう一つのハイライトになるであろう旅も予定にある。
今日のような何もしない休日もうまく混ぜながら、また日頃の仕事も無理をし過ぎず、人に任せるべきは任せ、余計な疲れをためないようにしたい。
8月の旅行も大きな目的を抱えているが、せっかくの計画も元気な体があってこそ、旅先で不調というのだけは避けたいものだ。

その旅行が済んだお盆の後半は久しぶりに実家に帰る。
最近では5月の連休に帰っているから、次の機会はつごう3ヶ月ぶりとなる。
3ヶ月というのは当地に来てからでは最も間隔が長い。
最初の頃はやはり何かと不安が大きくて、短いスパンで実家に帰ったり富山の仲間に会いに行ったりしていたが、当地での不安は当初よりはだいぶ取れて3ヶ月でも何とか大丈夫なレベルまで来た。
わずかずつながら、当地にあっても会社の看板を下ろしたひとりのオッさんとして接する人が増えてきたこともあるだろう。
これからさらに見聞を広めて新たな仲間に恵まれるようなことがあったら素晴らしい。

自由って

2016-07-20 21:33:12 | 日記
7月14日、フランスのニースで革命記念日を祝う花火大会に大型トラックが突っ込んで84人が死亡した。
劇場が襲われた時は100人以上、一枚の風刺画をめぐって新聞社が襲撃された時は10数人が犠牲になった。
相次ぐテロに見舞われているフランスでは、非常事態宣言が来年の1月末まで延長されることになった。

フランスは自由・博愛・平等を国是とし、国旗の三色にそれらを明確に表現してもいる。
市民自ら王制に立ち向かってこれを倒し共和制を確立した歴史を持つ国として、自由への希求は当然ながら強い。
権利意識の高さが日常的なデモやストライキに発展するのはご愛嬌、しかしそんな国でも非常事態宣言のもとでは市民生活に相応の制限が加えられていることは想像に難くない。
リベラルと言われるオランド大統領にしてイザという時にはこうした決断をためらいもなくやるし、主権国家として当然のことでもあろう。

世の中にはいまだに独裁など強権的な体制の国も多くあり、内戦が起きたり深刻な人権侵害が行われたりしている。
我が国は現在、法の支配や言論の自由などの価値観が確立され、有色人種の国では唯一G7に入っている。
全世界に200程度の国や地域がある中の7つに先進国として名を連ねているのも、経済力を持ち自由が保障された国だからだ。
時の為政者をどれだけ痛烈に批判しても牢屋に入れられることはないし、他国を利するような言動をしても罰せられることもない。(外患誘致罪は死刑になるが)
我が国は何でも言えて何でもできる。
そんな国に生まれて人生を送ることは決して当たり前ではなく大変ありがたいことと思わなくてはならない。

ただ、我が国もいずれ他国や過激派の脅威が迫るとか、再度の大災害ということにでもなれば、今のフランスのように市民生活での自由が一部制限されることになるかもしれない。
そういう事態になった時に権利権利と騒ぎ出す集団は必ずいるわけだが、全体的には時代にそぐわない部分も多くなった現行憲法でさえ「公共の福祉」という概念を持ち、権利の濫用を戒めている。
米国人が一週間で作った憲法ながら、状況によっては公が優先される事態もあり得ることはキチンと明文化しているのである。

そう思うと、自由を10与えられたら10すべて消費しなければ損、という考え方は必ずしも賢明とは言えないし、もっとキツい表現をすれば子供じみている。
私は会社員だし、体のこととはいえ昨年長く休んだ反省もあって、元気になれた今、本当にやむをえない時以外は会社に出たい気持ちが強い。
あらかじめ決まったスケジュールを眺めながら、会社をなるべく空けないで済む日程を何とかひねり出していろいろな経験につなげるからこそ達成後の満足感も強まる。
公私のバランスを取るため、時には10の自由も7か8の消費に抑える我慢が効くのが大人というものだろうし、少なくとも自分はそうありたいと思う。

お得な大会?

2016-07-18 21:32:45 | 休日
土曜日は他部署の手伝いのため出勤したので、昨日は貴重な休日だった。
こういう時は一日寝ていてもよさそうなものだが、浜松市で下の写真の大会があることを知ったので行くことにした。



中部日本というだけあって、参加チームは開催地の静岡県はもちろん、いわゆる東海三県に北陸三県、これに新潟県と長野県を加えた9県から来ていた。
高校の部と一般(社会人・大学)の部があって、それぞれ男女があるので、相当数のチームが会場の浜松アリーナに集まっていた。
メインアリーナとサブアリーナ合わせて6面を使って進んでいくため、体がいくつもほしい感じにはなった。

*メインアリーナ



*サブアリーナ



故郷である富山県からは高校2チーム、社会人2チームの計4チームが参加していた。
高校生はなかなか健闘、男子の高岡第一は初戦を突破、女子の富山第一は決勝まで進み惜しくも準優勝だった。
対して社会人、男子の北陸電力は初戦敗退、いきなりVリーグ1部覇者の豊田合成が相手では致し方ない。
女子のVリーグ2部KUROBEにおのずと期待は集まったものの、同3部の浜松にまさかの敗北でこれまた初戦で姿を消す結果となった。
秋のリーグ戦までに立て直して、1部昇格争いに絡む成績を期待したい。

私は当地に来たことをきっかけに、Vリーグ1部のトヨタ車体に注目するようになった。
この日も、前キャプテンの竹田沙希選手を中心によく声が出ており、コーチやスタッフにも笑顔が絶えない明るいチームである。
下の写真の左側には、いつもの「夢・感動・笑顔」の横断幕がかかっているのが見える。



15-16シーズンのVリーグ1部で5位と健闘したチームも、シーズンが終わって5人もの選手が退団し、監督にはかつての名選手である多治見麻子氏を招聘するなど新体制でのスタートであった。
昨日は初戦の新潟医療福祉大との試合だけだったが、現時点での主力は温存し、メンバーチェンジも一切せず、相手を難なく押し切った。
しかしながら今日の準決勝では、来シーズンから1部に昇格するPFUに負けてしまい、優勝は同じ愛知県のデンソーにさらわれることとなった。
リーグ本番になればポイントゲッターのラヒモワ選手も帰ってくるし、リオ五輪代表の荒木絵里香選手の加入も決まっているとはいえ、昨シーズンまで控えだった選手が中心のメンバーではやや精度を欠く場面も目立った。
新たにキャプテンとなり、現役引退した藤田夏未さんのポジションを継ぐセッターの比金桃子選手がリーグ本番までにどれだけ成長できるかに特に注目していきたい。

それにしてもこれだけの規模の大会が入場料無料、しかも観客と選手の距離は近いなどというレベルではなく、会場の中は観客と選手がごちゃ混ぜの状態であった。
横目程度ではあっても富山県のチームの応援もできたし、貴重な経験ができた。
高校生も含めてたくさんのチームを見られてお得な気分であった。

スケジュールが押していたため終了は17時を過ぎていた。
選手の出待ちはせず、待機中の運転手さんに頼んでトヨタ車体のチームバスを撮影。
親切に前のドアを閉めてくれたのには驚いた。
この場を借りてお礼申し上げたい。
帰りは今春開通した新東名高速を通って一路自宅に向かったのであった。


煙が出てないよ

2016-07-12 20:11:37 | 日記
自宅の近くには王子製紙の春日井工場があって、大きな二本の赤白煙突から白い煙が出ているのが見える。
煙突は大変高いからわが職場からも見える。
煙の方向や傾きが当日の風の強さや向きの参考になるから、仕事の上でも役立つし数時間後の天気の目安にもなる。
何しろ目立つので外を歩いていても目が行くことが多い。

赤白煙突といえば大きな工場には必ずと言っていいほどある。
先日旅行で行った、旭化成のお膝元である宮崎県延岡市で列車の車窓から大きな煙突が見えた。
正確には「旭化成せんい」の工場が延岡駅の近くにあるようだ。
延岡を通ったのは月曜日、どう見ても同社がらみと思われるスーツ姿の男性二人が延岡駅で下車していった。

さて、この月火はなぜか王子の煙突から煙が出ていなかった。
社内事情など知る由もないからなぜかと言われても当然分からない。
今まで煙が出ていない日を見たことがなかったからアレっ?と思ったまでである。

その王子製紙の春日井工場には硬式の野球部がある。
かつて千葉ロッテのエースを張ったジョニーこと黒木知宏投手(現北海道日本ハム投手コーチ)もここの出身で、今年の都市対抗野球にも出場を決めている。
製紙業界も一時再編の動きが盛んであったためチーム名が細かく変わっている歴史があるが、今は持ち株会社(王子ホールディングス)から取ったのか単純に「王子」という名前である。
昨年準決勝まで進んだのだから強豪と言っていいし当然今年も期待は大であるが、7月17日の初戦はこれまた強豪のJR東日本という厳しい組み合わせとなっている。

不運にして大変短かったとはいえ、かつてやはり王子のお膝元である北海道の苫小牧市に勤務したことがあるのは過去にも書いた。
今また王子のある街に運命のいたずらでやって来て、春日井市を代表して全国大会に出るようなチームがすぐ近くにいるのは幸せなことだし、縁というものを感じずにはいられない。
会場は東京ドームで日程の狂いはないので、初戦は17日の18時からである。
チケットも手頃でライブで見に行きたい気もしながら、翌日海の日があいにく勤務日のため決めきれていない。(後日振替休日あり、笑)
速いテンポで試合が進めばよいが、もつれたり大味になったりすると新幹線の最終が危うくなる。
18日、世の中は祝日だからとタカをくくって久々の東京行きとするか、非常に悩ましいところである。

桶狭間で戦ってきた

2016-07-11 20:36:15 | 休日
参議院選挙には昨日の朝一番に行った。
投票所は近くの小学校、当地に来てからは初めての選挙だったが、流れはどこにいても変わらず正味5分で首尾よく済ませた。
国政、地方選を問わず投票はほぼ欠かさず行っている。
投票には行けと説教をたれるつもりはない。
私もたまには、ごくごくたまには、酒でも飲みつつ政治の話もしたい時がある。
いちおうは参加しないと、そのごくたまの機会が後ろめたく感じるだけのことである。

さて、休みなのに早起きしてしまい、結局は二度寝してしまって目が覚めたら10時を回っていた。
手ごろな外出先と言っても遠くには行けない。
7月は中京競馬が四週にわたって開催されるからどこかの週には参戦したいとは思っていて、ちょうど午後から参戦するにはいい時間だったので行くことにした。

今もそうなのかは分からないが、中京競馬場のレース実況を担当する東海テレビの番組では、勝負どころの3コーナーから4コーナーあたりを「桶狭間ポイント」と言っていたように思う。
実況アナの言う通り、名鉄線の中京競馬場前駅のすぐ近くには桶狭間古戦場の跡が公園として残っている。
競馬場とは反対側に出て(1枚目)、国道1号を渡る歩道橋を越えて行ってみると、何ともこじんまりとした場所であった。(2枚目)
歴史に疎い私があれこれ言うのは愛好家の方に失礼なのでやめておく。





桶狭間を見た後は、私自身の戦いの場である中京競馬場へ。





今は学生時代のように朝の1レースからドップリ馬券を買うことはしていない。
この日も到着は昼どきで、馬券の前に腹ごしらえも兼ねて特設の「ハイカラガーデン」に足を運んだ。



ハイカラ=ハイボール+カラ揚げであり、戦いの前にいい気分になるにはちょうどよかった。
しめて1,000円なり。



馬券はまずまずで、メインの重賞レースは堅い決着ながら外してしまったが、準メインでの貯金があったのでほぼトントンで済んだ。
半日タダで遊ぶことができ、ハイボールに上乗せしてビールも入っていたので帰り道はなぜか足取りは軽かった。
帰り際に4コーナー方向を撮影。
遠目だと分かりづらいが、相当な急坂が設けられているから走る馬にとっては大変タフなコースと言える。
今夏の開催最終日にはファンに芝コースを開放するとのことだ。



夏の開催が終わったら、中京に馬が帰ってくるのは12月である。
開催日数がそれほど多くない中、目の前を馬が走る本開催には各々せめて1回ずつは足を運びたいと思う。

なぜ、じゃなくて

2016-07-07 21:08:45 | 日記
国内外で毎日のように痛ましいニュースが入り、暗い気持ちになる。
国内で30代の中国籍女性を殺害した少年は、またしても「優秀で真面目」だったそうである。
過去にも書いたかもしれないが、我が国のマスコミは「優秀な子がなぜ」という視点で分析をしようとする。
そもそもこの前提が間違っていて、少年は優秀だったからこそ事件を起こしたのでは、という分析はトンと聞かない。
幼少時より優秀で真面目であることから外れるのは許されず、ありたい姿を隠して偽りの姿を演じ続けなければ生きてこれなかったストレスは想像を絶する。
殺人という本人の行為を擁護することは絶対にないにしても、このような人間を作るのは学校でも社会でもない、家庭だ。
少年の親御さんは彼をきっと「立派」に育てたが、立派の方向性はどうだったか。
子供らしく、笑い、泣き、はしゃぎ、時には悪さもするような姿を親御さんは彼に許していたのか。

先日起きたバングラデシュでの大規模テロの容疑者の一人は、過激派に関わった動機がなんと失恋だったそうだ。
失業などに伴う経済的困窮が動機ではと前回書いたが、失恋ともなるとこれは個人の八つ当たりレベルの話である。
また、容疑者たちは一様に地元の名門校の出身で、やはり優秀と言われる人間であった。
優秀であるがゆえに挫折を知らずに生きて、初めての壁にぶち当たって苦悩する心のすき間に過激思想が入り込み、その結果がテロや大量殺人というのは、我が国におけるオウム真理教事件の構造と非常によく似ている。
なまじ頭がいいだけにSNSなど最新の通信手段はお手のもの、世界中の「世に八つ当たりしたい人間」が瞬時につながって組織的・計画的な大規模なテロがいとも簡単に起こってしまう時代になった。

ともあれ、このような過激集団に付いて回るイスラムなどという看板はまったくのお飾りであり隠れ蓑だということはハッキリした。
幼稚ともいえる個人的な動機から過激派集団に加わって残虐非道を働いているのは、阪神タイガースが優勝した時の騒ぎに乗じて阪神ファンのふりをして道頓堀川にダイブするような輩と本質的には変わらないということである。
国際社会は「テロとの戦い」を標榜するが、明日失恋するかもしれない人間までいちいち監視してはいられない。
世界中がいっぺんに豊かになるとか、男女がもれなく両思いになるとかが不可能である以上、テロ予備軍は未来永劫消えないし、その中の何%が本当に実行してしまうとすれば、テロはこの世からなくなることはないと言える。

繰り返しにはなるが、人間社会から争いがなくなることはない。
この平和な我が国でも、A県とB県、同じ県内のC市とD市など、歴史的な経緯もからんで平成の世にあってもガツガツといがみ合っているところは山ほどあるではないか。
それを考えると、某元首相が大好きだった「地球市民」などというのは最初から無理である。
文化背景の違う移民を受け入れ過ぎれば、テロや暴力は我が国でもっともっと増えてしまうだろう。
国あっての経済であり保育園であり年金であり雇用でありなのだから、やはり我が国もきちんと備えを、というのが前回に続いての結論だ。

生活がかかると

2016-07-04 20:43:35 | 日記
7月に入り、いよいよ暑さが本格化してきた。
これから先数日は当地では連日30度超えの予想である。
昨日の夕方には短い時間に大量に雨が降った。
今日の日中は雷も鳴ったし、それでもまだ梅雨明けはしてなく、これからがようやく夏の盛りだと思うとゾッとする。

数日前は地元北陸が猛暑日になった。
北陸が全国一の暑さになるのは年に一度か二度はある。
低気圧が日本海に入り南風が山を越えて吹き下ろすフェーン現象の時は、前橋や甲府など国内の有名な高温都市を押しのけて北陸地方が高温日本一となる。
フェーン現象が起きなくても、平地に限れば北陸の夏はまったく涼しくはない。
猛暑日の予想が出て信州の高原に逃げるように出て行ったこともあるくらいだ。

この暑さの中でも、私自身や周囲の毎日は至って穏やかに過ぎている。
しかし、先日はバングラデシュで邦人が巻き込まれ犠牲になるなど、世界各地の争いや暴力、特に昨今の一方的なテロ行為は一向になくなる気配がない。
イスラム過激派とひとくくりにされてはいるようだが、宗教対立は隠れ蓑に過ぎず、主に欧州における経済(失業)問題が背景にあるような気はする。
若者の失業率は平均値よりも深刻だから、仕事に就けない若者が報酬につられて勧誘を受け、顔を隠して残虐行為に及んでいる実態が想像できる。
イスラム教を看板に掲げてはいるものの、構成員がすべてイスラム過激思想を動機としているとは思えない。

戦争の原因は、宗教・資源・民族の三つと言われるが、三つの中ではやはり資源(経済)が最も大きいと思う。
かつてわが国も連合国の石油禁輸などの経済封鎖に対抗するために戦争に打って出ざるをえなかった。
誰しも生活がかかると必死にならざるをえない。
国のレベルなら、国民を養えない危険が迫った時、どの国も戦いを考えるだろう。
今は、経済的に追い詰められ、絶望して、時には自らの死と引き換えに現世に復讐しようとする個人が世界中でテロを働いている時代だと言えるのかもしれない。

今も昔も戦争ほど儲かり武器ほど高く売れるものはないし、それ以前に人間にエゴというものが存在する限り、この世から争いがなくなるかと問われれば答えは残念ながらノーである。
その現実がある以上、我が国において、いざという時の備えすら許さないという主張を持った勢力に支持を与えるわけにはいかないのである。