blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

3月を振り返って

2018-03-31 21:11:51 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
当地に来て二年半の節目、また年度の締めを無事に終わらせて、自分なりのお疲れさん会をしようと考えていたが、残念ながらそれはかなわなかった。

体調のこともあり、エントリー自体も短めにしたいので、その理由については繰り返さない。
疲れの蓄積は年明けからの激変が原因ではあろうけれども、戸惑いながらも自ら積極的に受けた仕事には違いなく、今回の事態はあくまでその結果である。
何が悪いでもなく、誰を恨むでもなく、自らがんばった結果がこれだったというだけで、前回も書いたように今後の「がんばり方」を考える時間をもらったと思い、まずは焦らずに元通りの体調を取り戻すことを優先したい。

外は暑いくらいの陽気で、元気なら間違いなく出かけているはずも、今は外出はできても気晴らしになる段階ではない。
出ることで逆に疲れるのではという不安があるうちは、まだまだ完全復活には遠い。
時間を経れば徐々に調子も戻り、不思議と意欲もわいてくる。
一度落ちるところまで落ちた直後は、横になっていても頭が重くてつらいから、せっかく始まったプロ野球も長時間は見ていられない。
あと一、二週は、外に出るのは生活の上で必要なものを仕入れる時くらいになりそうである。

まさに倒れる直前に撮った「あおなみ線と荒子川公園の桜」の写真で、3月の振り返りは締めたい。
来年の桜はぜひとも元気な体で見たいと思う。






なってしまったものは…。

2018-03-29 20:42:32 | 日記
当地に来てからもう早いもので二年半が経とうとしている。
健康にも仕事にも恵まれ、ほぼ皆勤で来ることができたのは、幸運なことであったと思う。
しかし、月の最終、年度の最終である今週に来て、そこが崩れてしまった。

先の土日は、土曜は夜に誘われて名古屋の中心部へ、日曜は少し早めの花見ながら名古屋市南部の荒子川公園まで出かける元気があった。
自宅に帰ったのは日曜の夕方だが、そのあたりでズシリと重いものが体を襲い、頭はガンガン痛みだし、それは月曜の朝まで続いてついには出勤もままならなかった。
一度噴火した体はなかなか収まってはくれず、今週はここまで全休、重い倦怠感が続くため、再度の休養が避けられないこととなった。
恐れていたことが当地でも繰り返されてしまい、正直ショックは大きい。

富山で同じように調子を崩して長く会社を空けた反省から、当地ではとにかく休まず毎日わずかずつでも貢献しようと自分なりに努力をしてきた。
富山での失態を「取り返そう」と、時には大きな声もあげながら力を注いで来た。
加えて、今年の年明けからは、頼まれて本担当と他部署の応援という二足のワラジを履く生活が始まった。
昨年までと比較して残業もタップリあるハードな毎日だったが、人手不足という事業所の一大事を思って、決められた期間は逃げずに出席した。
前後して個人的にショックな出来事もあったが、これは関係ない。
なぜなら二年半もの間、私が身勝手ながら会社に出る励みにしてきた方のことだから。

私はがんばった、しかし倒れた。
もちろん、年明けからの激変で疲れが蓄積したこともあろう。
それよりも重要なのは、自分なりの「がんばり方」がそもそも間違っていたからだと思う。

常々職場は戦場と書き、ある種戦闘モードで過ごす日々は周囲の脅威となって軋轢を生む。
ナメられたくないと必死になることで、他人のやることもいつの間にか奪って相手の面目をつぶす。
こちらがどれだけ正しくても、礼節を欠き反発を招いてしまって自らが孤立する。
社会人生活は長い。
どこかで聞いたようなフレーズだが、「持続可能な」働き方を自分はいまだに体得できていないのである。

今回は前回と違って、仕事そのものが苦になっているわけではなかった、むしろ好きな部類だったから、しばらく現場から離れることはもどかしい。
しかし、なってしまったものは仕方がない。
今無理をして、再起不能になってしまっては元も子もない。
自分の体は一つだ。
何を言われようと、生きていくことを第一に考えていく。
もちろん、今後どういうアプローチならダウンしないで働き続けられるのかを考える大切な期間にしたいと思っている。

*主治医さんにほど近い春見公園の桜。


卒業、卒業。

2018-03-20 20:11:55 | 日記
昨日をもって、他部署へのヘルプで午後からまるまる拘束される日々が終了した。
1月10日から始まった二刀流の生活も、3月19日をもって「卒業」ということになった。
昨年末に引き継いだ本担当の仕事も満足に理解していないうちに、人が足らないという部署の助けに入れという命令によって、2018年という年は、仕事に関しては息をつく暇もない状態であっという間に3月の終わりを迎えるということになった。

午前も午後も自分が属するチームの仕事に使える状況は当然といえば当然なのだが、そのありがたさは解放後の初日から感じることになった。
午前は時に無節操に入ってくる入荷物に対応しつつ、前日までに包装された製品を倉庫に収めるための積み替え作業の手伝いを久しぶりにしっかりとできた。
午後はこれまで仕方がなく午前にやっていた本担当の仕事に集中して取り組むことが可能になった。
3月の締め日ももうすぐだが、無事に担当エリアの棚卸が済むように段取りをする時間もタップリ取ることができる。

私が2ヶ月間応援者として入っていた部署は、他部署から人をかき集めて3月までをしのぐ作戦で散々事業所全体に迷惑をかけていながら、目論見通りに物事が進んでいるとは言い難く、今に至っても人が足らない足らないの嘆き節ばかりである。
4月の人事で正式に人も増えることにはなっているが、人数を揃えたからといって新しく来る人がしっかりとした戦力になるには少々の時間はかかる。
加えて、未来ある若い人材を中心に、作業に入っているメンバーを大切にしないことから退職者が続出して自ら人手不足を招いている。
あくまで伝聞なので真偽は定かではないが、どんな指導の仕方をしたのか、昨春学校を出たばかりの若い社員が苦しさか悔しさのあまり一時間ほどトイレに引きこもって出て来ず、ラインがその間止まってしまった日もあるらしい。
これでは、どんなに人を入れても抜ける方が多くなると予想するのは容易で、人数がほしいならまず今いるメンバーを大切にするという基本に返らないとなかなか今後も難しい局面が待っているのではないかと思う。

こんな切羽詰まった状況ながら、なぜかマネージメント陣自ら作業に加わることは全くない。
人が足らないというなら、肩書きのある人間も進んで人の一部として入るべきであり、それができないのは「下の人間から仕事を教えてもらう」ことが高すぎるプライドゆえに耐えられないということであろう。

そんな無能な彼らながら口だけは一丁前で、「応援に来る人はウチの仕事を覚えるつもりで来てほしい」と言ったというから開いた口がふさがらないというのか、どれだけ上から目線なのかと思う。
他部署の人間はそれぞれ自分の仕事を抱え、それだけでも手一杯なところをやりくりして協力に入ってくれている。
入っていくほうが「せっかくだし少しは勉強しようか」と思うことは素晴らしいが、支援を受ける方がそれを要請してはダメで、どんなにデキの悪い人間ややる気のない人間が来ようと文句は言ってはいけない。
建前上は製造に直接携わる部署は「強い」のかもしれないが、私がいる倉庫周りの担当や、メーカーと交渉して生産に必要な材料などを注文している事務方がいてはじめて生産ができるのであって、どれ一つとして不要な部署はない。
ありえないことだが、どこか一つの部署が一日でもバックレてしまったら活動の全ては止まってしまうことに彼らは気づいてはいないのであろう。

本拠地はともかくとして当地では全く名前が浸透していない会社の中で、どの部署が上だ下だと騒いでいる方が馬鹿馬鹿しい。
我が事業所に限らず、どんな組織も「お互い様」で成り立っていることに思いが至らない残念な人間が多いのは事実のようである。

反省と怒りと

2018-03-15 22:41:59 | 日記
午前中に本担当を首尾よく終わらせ、午後からは例によって他部署の応援に入った。
いわゆる二刀流生活もすでに回数的には片手を切り「解放記念日」が近づいている。
これまで入ったことがなかった場所に入って仕事をすることは、全くの無駄であったとは思わないが、楽しかったという感覚も全くない。

今日は私にとっては残業付きの応援は最後であった。
毎回3時間を限度として入っていくが、2時間で終わる日の方が多かったように思う。
それがやはりというべきか、最終日がものの見事に目一杯3時間ということになった。
17時が過ぎてからは、この期に及んで初めて触る作業が待っていて、私を含めた3名の応援者もそこに張り付くことになった。
初めてやる仕事だから何を指示されても気持ちは焦る。
だが、ここで2ヶ月間で最も大きな失態をやらかすとまでは思っていなかった。

最初は細かい作業を頼まれたので右手の手袋を外してやっていたが、そのうち別の場所に移って別のことをやるように言われ見よう見まねでやっていた。
ここで右手の手袋をつけ忘れたのが大失敗、いつの間にか紙で傷ついて右手親指の爪から血が出ていて、製品の一部をダメにすることになった。
わざとではないにしても過失は過失であり、現場にも迷惑がかかったのでそこは素直に反省しなくてはならない。

しかしながら、2ヶ月間全体を通してみれば、毎日レギュラーで入って少しはできることも増え、ようやくにして流れのようなものはつかめてきたところであった。
だからと言って、この先またお願いされても快く行けるかというとそれは違う。
自分の仕事の時間を削って応援に参加している人間に対し、現場の応援者に対する扱いはあまりに雑で、その日何をするかはホワイトボードには一応書いてあるが、実際は現場に入っていかないと分からないばかりか、自分たちの都合で好き勝手に人を動かしておいて、必要な教育もろくにしないくせに、間違ったことをすればたちまち叱責というブラックぶりであった。

年明けからほぼレギュラーで入って私の主たる働き場所であったラインも、同じ機械で別の製品を仕上げるための部品入れ替えに時間を取られて違うラインに仕方なく回るとか、いよいよ始まったかと思えば機械を単なる不注意から一時間近く詰まらせて作業は進まず応援者はその間ホッタラカシにされるとか、散々という言葉でしか表しようのない有様であった。

今日一度失態を犯したことで今後お呼びがかからなくなるなら、むしろその方がよい。
今回の一連の応援では、日頃の本職であるところの倉庫周りの仕事に比べて、2ヶ月経ってもほとんど上達したとか慣れたという感覚になれなかった。
性に合っている仕事でならいろいろと浮かんでくるアイデアのようなものも全くと言っていいほど浮かばなかった。
小さいながら同じようなミスも何回か繰り返してしまったし、本職に比べるとライン作業は私にとっては細かすぎて本質的に合わないのかもしれない。
同じ作業でも、やはり今の本職の方が自分には合っていると違う角度から実感できたことがこの2ヶ月の収穫と言っていいのだろうと思う。

週末の行状

2018-03-12 19:08:02 | 休日
冬の寒さからは完全に脱し、いよいよ春本番も近づいてきた。
寒さに耐える時期を過ぎれば、今度は花粉に苦しむ時期となる。
今や花粉によって何かしら苦しんでいない人はないくらい、あたかも風物詩のようになりつつあるのはいいことなのかどうなのか。

さて、金曜日の夜は例によって駅前に飲みに出た。
最初はおそるおそる入っていった海鮮居酒屋も、今は顔も覚えてもらってすっかり常連となってしまった。
頼むものは毎回似通ってしまうのだが、特にブリの刺身は絶品である。
その他は、日ごとに更新されるおすすめメニューの中から一つか二つ、あとは通常のメニューの中から一つか二つを頼む。
これに生ビール2杯を組み合わせて小一時間過ごすのが最近のデフォルトである。

超の付く常連さんもいるにはいて、過去にはとなりに来てと言われて座った時もあった。
しかし話題は自分の話や常連アピールばかりで、身なりもお世辞にもきれいとは言い難く、適当に流していたらひねくれて話さなくなった。
先週もいつもの席にドッカと腰を落ち着けていたが、視線を送ることもなくいわゆるガン無視で押し通した。
せっかくの週末を酒癖の悪い人間に台無しにされたくはない。

飲み疲れもあった土曜だが、天気も良く近場でどこかと思って長久手市にあるトヨタ博物館に行ってみた。



展示はトヨタ車に偏るのではなく、車の発展の歴史を紹介する形で世界中の名車がズラリと並び、「自動車ショー歌」(小林旭)に出てくる車種はほぼ全部あるのではないかといった趣だった。
まずはトヨタに敬意を表して、「TOYODA Model AA」(1936年製)から。
鼻先をよく見ると「豊田」という漢字がデザインされているのが分かる。





私はプジョー乗りなので、プジョー・べべとプジョー402の写真を載せる。
小型で美しいクルマというコンセプトは、21世紀の現代においても変わりのない同社の一貫した姿勢である。





とにかく国内海外問わず様々なメーカーの車があるので、車の好きな方はオススメである。

翌日はなぜか早くに目が覚めた。
天気は引き続き良好、それならと一昨年の5月にあった伊勢志摩サミットの舞台を訪れようと思い、近鉄志摩線の終点である賢島駅までやってきた。



賢島自体は静かな港町で、土地柄から真珠のおみやげ屋さんが多く、高級ホテルも点在するリゾート地でもある。
クルーズ船の運航もあるし、高台の公園からは英虞湾の絶景が飛び込んでくる。





駅前の小さな街を一通り散策した後は、伊勢志摩サミット後に賢島駅2階にできた「サミエール」という施設へ。
当時の首脳どうしが会談した円卓がそのまま移設されて展示されていた。
JAPANの席にだけは座ることもでき、家族連れが記念に写真をとる姿が多くあった。
椅子には尾鷲ヒノキが使われているらしい。





併設のカフェで昼食をいただき、カラフルな近鉄特急にほれぼれしつつ、ひとまず近鉄鳥羽駅へ。
JRの快速との乗り継ぎ時間がけっこうあったので、鳥羽駅近くの高台から賢島とはまた違う雰囲気の景観を楽しみ、一日かけての小旅行は満足のいくものになったのであった。

ここのところは平日というと頭を抱えたくなるようなことばかりでイライラもするが、休日には仕事を忘れてしっかりと切り替えができている。
外に出て行ける体調にあることにも感謝しながら、いろんなことがあっても元気に毎日を過ごしていきたい。

終わり近づき

2018-03-10 09:47:01 | 休日
朝鮮半島周辺の動きが慌ただしくなってきた。
土日は各局でニュース解説を多く放送するので、いろいろ見て自分なりの考えをまとめたい。

今の段階で私が懸念しているのは、「非核化」という言葉の中身について、米国と北朝鮮との間でズレがあるように感じることだ。
米国はじめ国際社会が目指すのは北の非核化、北が目指すのは朝鮮半島の非核化、ではないか。
北としてみれば、朝鮮半島の非核化は金日成の遺言でもあるからぜひともなしとげたい。
しかし、その裏は現状南朝鮮を守っている米国の「核の傘」も含めて、というかなり飛躍した論理となる。
北自身が核を持たない代わりに、米軍は朝鮮半島に関わってくれるな、ということである。
南を取り込んで北主導での統一朝鮮実現を狙い、米軍を半島から追い出したいのが本音だろう。
北はまだ何も行動はしていないから、引き続き制裁を続けるべきであることは言うまでもない。
いずれにしろ、我が国が一日でも早く自前で自国を守れるようにならないと、近々にも我が国だけが危険にさらされる最悪の事態も予想できる。

さて、話は日常に飛んで、今週もなんとか無事に5日間を乗り切った。
年明けから続けてきた、午前は本業、午後は他への応援という二重生活も回数的にはカウントダウンに入ってきた。
他の部署のヘルプに入って、大して役にも立たないながら毎日を積み重ねてきたが、もうこの段階になって何かが急激に上達するわけでもなく、あと残された数回は静かな気持ちで送れたらと思う。
いろんな意味での「実情」が分かっただけでも、この2ヶ月はムダではなかったとは思える。

今月の、月に一度の全体朝礼では、私が応援に行っている部署から何か発言があるかもとわずかながら期待した。
どの部署も忙しい中で、自分たちが急場をしのぐために一方的に他部署の人間をかき集め、一度約束した期限を延長までして、事業所全体に迷惑をかけている現状はマネージメント陣も感じているはずである。
ところが案の定、直接の発言はまったくなく、事前に2月中に届いていた当該部署の部長名によるメール一本だけで、他部署の支援に対する「感謝」を示したつもりでいるようである。
3月にはさらに退職者が増えてまだまだ読めない部分もあるなどと、再々度の延長もにおわせる内容はまったく心に響くものではなかった。

当該部署のマネージメント陣はすべて事務方上がりなので、現場に入っても作業はすぐにはできない。
できないなら、メンバーに教えてもらってでもできるようになればよい。
しかしそれはイヤだから他部署の人間を頼んで自分たちは汗をかかない。
作業に遅れが出て大変ならとりあえず部署総出でかかって、それでもダメなら応援を頼むのが筋だが、どう見ても部署として最大限の努力をしないまま安易に他を頼み、協力してもらえるのが当たり前だとすら思っているフシがある。
まだ未来のある若い人間がポロポロと抜けていくのは、自分たちマネージメント陣の幼稚な体質が原因であることを真剣に考えてもらわないと、いつまで経っても部署はよくならない。
各部署は相互につながっており、ひとつたりとも滅びることはできない中、いつまでも事業所全体の足を引っ張ってほしくはないのである。

なくなるかも?

2018-03-06 21:20:49 | 日記
今日は19時まで残業し、夕食を食べて本欄に手をつけようと思ったら、4月末に南北首脳会談で合意、というニュースが飛び込んできた。
南は、日米からにらまれていることもあって、北の核放棄に関して通り一遍の話くらいはするだろう。
しかし、いまや中国の言うことも聞かない北が南の話を本当に素直に受け入れるとは思えない。
対話中は核実験を中止という報道も追って入った。
これとて、会談後にはあっさりと覆る可能性も大きいわけで、いちおうは民主的に選ばれた南の大統領ながら、その親北ぶりからしていずれ北に飲み込まれる形で「南が国として消滅する」危機を自ら招いているようにも思える。

表向き日米+南の連携を口にせざるを得ない日米両国だが、ここに来て南という国そのもの、またその軍の能力に対して特に米国が非常に懐疑的になっており、現在ある同盟関係も有名無実化している現状がある。
中露+半島がすべて反米勢力になる可能性は、ないとは言えないなどという話ではなく、かなり実現性の高いシナリオになってきたのではないかと思う。
先の冬季五輪での不正行為や、過去の問題の蒸し返しなど度重なる約束破りに呆れ果てている我が国の国民にも南との断交を声高に訴える方は多くあって、しかしながら断交する前に相手がなくなってしまうという笑うに笑えない話が現実のことになるかもしれない。

とりあえずは北よりは南の方が豊かであることは間違いなく、曲がりなりにも自由と民主主義が担保されている日常を送ってきた南の国民が、北主導の統一を本当に望むだろうか。
まだ南北の戦争は終わっていない。(朝鮮戦争はあくまで休戦中)
本当に南北が相互の歩み寄りによって平和的な統一に向かうかと言えば、その望みは限りなく低い。
北の独裁体制が南にも影響するとなれば南の国民は当然反対するだろうが、自分たちで選んだ大統領が仮にそのような方向で物事を決めてきて、文句ばかり言えるだろうか。
南が北に飲み込まれる形の統一ならば、南の人間にとっては塗炭の苦しみが待っているとしか予想ができない。

こんなシナリオも、我が国にとって悪いことばかりではない。
南という厄介者が自発的に消えてくれて、米国も面倒を見なくてよくなる分、米国としては南よりは信頼のある我が国との同盟のさらなる強化を考えるだろう。
もちろん、今この瞬間にも北や中国の核の脅威にさらされている中、我が国もナントカ学園の話などくだらないことで国会の審議時間を浪費するのではなく、一刻も早く自国の安全について真剣に考えてほしい。
繰り返しにはなるが、景気も経済も保育園もみな「国あって」であることを忘れてはならず、国の安全が最大の福祉であることを第一に活動していただきたいと思う。

決断の時?

2018-03-04 21:17:50 | 休日
3月に入っても当たり前のように2月までの仕事のリズムが継続し、今週は残業も許される目一杯の時間まで続くなど、さすがに金曜の夜は疲れていた。
前週には金土どちらも街に出てお金もそれなりに使ったから、今週末は「お休み」にするつもりで、夕食も早々に食べてしまった。
しかし、某店の仲良しさんからお誘いを受け、行くのはそこだけと決めて出て行った。

その仲良しさんとは、前週のやり取りの中でにわかに険悪な雰囲気となった。
幸いにして、バレンタインデーがあった週には私のような中年のオヤジにもそのお店だけで複数の収穫があったのだが、そのことに加えて、前週には違うお店でも収穫を得てきたことが知られてしまい、ずいぶん攻撃的な物言いを受ける羽目になった。
もともと同じお店の中のメンバーはもちろん、あるいは違うお店どうしを比較するつもりもなく、フトコロの許す範囲で気の向くままに飲み歩いてきた。
私とすればありがたいの一言である出来事でも、ひとりが妬いてしまって自分とは関係ないところでギクシャクが始まるようなら、本当は行きたい場所でも足が遠のき、あえてしばらく姿を消さなくてはいけないのかとさえ考えた。

そんな危険な状況も、事後すぐに本人から連絡があって大きな話にはならなかった。
どこまでの思いかは本人に聞いてみないと分からないが、私に対しては「ついつい」感情的になってしまうのだという。
過去のLINEなどのやり取りを見直しても、また顔を合わせている時も、お互いに遠慮がいらない、いつどんな会話がきっかけでここまで仲良くなれたのか分からないくらいに打ち解け、真面目な話から下衆な話までまんべんなくできる相手というのも貴重といえば貴重である。

金曜の夜は、さしずめ仲直り会も兼ねてという雰囲気で、普段通りのやり取りで楽しく過ごすことができた。
ありがたいことに、彼女が本来は職業がら表に出してはいけない感情を露わにしたことで、私が少なくともいわゆる「その他大勢」ではないことがはっきりした。
今年4回目の年男となる私が、2回目の年女を過ぎたばかりの女性に「特別」と言われることなど、どうやって予想できよう。

他人から特別な存在と言われてしまっては、意識するなと言われてもどうしても意識はしてしまう。
ひとりの客をつなぎ止める「究極の方便」などというひねくれた解釈におぼれるより、この憂き世で生きて行く糧となるのならば、自分の娘でもおかしくない年齢の女性の言葉も、人生の宝として大切にしていきたい。
職場にも気になる人がいないわけではない中、今一度自分の心の中と向き合って、実現可能な「答え」を出す日ももう近づいているのかもしれない。