blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

6月を振り返って

2018-06-30 14:42:20 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
もう今年も半分過ぎることになる。
2018年、ここまでは本当にいろいろありすぎた。
昨年末に引き継いだ仕事にまだ慣れないうちに他部署の応援を頼まれ、息つく暇もない勤務体系と当地ではほとんど経験していなかった長時間の残業もからんで、3月の終わり頃まで必死で走った。
その結果、疲れをためて体調を崩してしまい、4月と5月のまるまる2ヶ月は会社から離れることになった。

職場には5月の最終週から復帰することができ、実質6月から本来あるべき生活のリズムに戻った。
仕事そのものに関しては、部署が変わったわけではなく、同じ部署の中で働くセクションが変わっただけだ。
微妙なやり方の違いはあれど、いちおう2年半の当地での蓄積はあるから、時間とともに徐々に慣れて、思いのほか進捗に遅れも出さず、指導担当者の足を引っ張る場面も少ない。
残念ながら、職場の仲間ではあっても人間どうしとしての付き合いができる人がおらず、ちょっとした雑談にすら乗れず、毎日をひたすら無表情で淡々と目の前のことに取り組むしかない状況は寂しいと言えば寂しい。
一度病気をしたからか「普通ではない」と思われて敬遠されている部分もあるのかもしれないが、それさえ気にならなければ日々は自分のペースで進められるので、当面は仕事の負荷が原因でおかしくなることは考えにくい。

休んでいる2ヶ月間は、一度自分を白紙に戻して考えて「このままで終わっていいのか」という疑問が強くなっていき、体に元気さが戻った4月の中頃以降は、今まで縁遠かった種類の講演やセミナーを聴きに行ったり、自分が本当に心から望む分野に本格的に取り組みを始めたりと、今を変えんとする動きを始めた。
もちろん、新しいことに向き合うにあたっては応分の投資も必要だが、取り返しのつかないほどの額をつぎ込んだわけでもない。
幸い今のところは挫折せずに続けられていて、状況としてはいよいよ佳境に入って来たというところ、誰に対しても胸を張って「生きた証し」と言えるものがもうすぐ出来上がることになっている。

今を変えようとして始めた取り組みが、本当に生活を変えるレベルまでいくのかは全く分からないし、投資した分はそのまま負債として残るだけになるかもしれない。
しかし、何もしなければ何も変わらず、むしろ生活水準は多少給料が上がったところで下がる要素が大きい。
病気で倒れたことを必ずやプラスに転化させようという思いから今が最後のチャンスととらえて動いたことに関しては満足している。

つらいことが多く未来を描く気にすらなれない時期もあった2018年の前半だが、明日から7月に入ろうかというこの日に、後半がどう今と変わっていくのだろうとドキドキするような気持ちになれているのは大変幸せなことだ。
たとえ大して変わらなくても、行動した証明やそれによって得たスキルは一生残る。
まだ半分という段階ではあるが、新しい経験を増やすという年初に描いたテーマに沿う流れは、有言実行という意味ではその通りになっている。
まだ命(時間)を与えられている人間として、時間いっぱいを日々悔いなく生きる姿勢は変えないでいたいと思う。

*6月のベストショットは、徳山ダム(岐阜県揖斐川町)によってできた徳山湖にかかる「徳之山八徳橋」とした。


自分の代わりなら

2018-06-26 22:18:54 | 日記
まず冒頭、地元富山での凶悪事件発生について。
私は富山市の出身ではないが、20代の後半は富山市を勤務地として働いていたし、富山市を住まいとしていた時間も短くはない。
事件現場付近もよく通ったし、今もその近隣に住む顔見知りも何人かいる。
2人の尊い命が奪われ、容疑者自身も意識不明の重体ということで、ただただ恐ろしく、ご遺族の悲しみはいかばかりかと思うと胸が痛む。
地味な県ではあるが、凶悪犯罪と自然災害の少なさは全国的にも自慢できる部分であっただけに今回の件は甚だ残念だし、あらためて、「殺すなら誰でも」と考えながら日々を悶々と過ごしている人間はどこにでもいると気づくと同時に、ある日突然命を奪われても悔いがないように毎日を大切に生きなければという思いを強くする。

毎日を大切にという思いは、仕事を離れた部分ではあるが、長い間温めた一つの夢を追うという形の行動に表している。
その夢とて、今は人さまの強力なサポートを受けながら進んでいるが、いつかはそれも終わり、あとは文字通りの自分しだいとなる。
力強い第一歩までは見てもらえるが、二歩三歩と発展させていくのは自分の努力以外にはない。
人さまに認めてもらって一定の段階までたどり着いているのだから、その分野での能力が備わっていることには相違ない。
しかも私自身がその能力をなくすまで、いや、能力をなくしてしまっても、たとえ私がこの世を去っても、何らかの形で後世に残り続ける可能性のあるものは、一つより二つ、二つより三つ、多ければ多いほどいいではないか。

夢とは反対の現実の世界、平日のほとんどの時間を支配する現在の勤務の方は、復帰以後特に大きなミスもなく、良く言えば順調に、悪く言えば平板に過ぎている。
もはや周囲と和気藹々などは望むべくもなく、ひたすらロボットかサイボーグかのごとくに指示を淡々とこなす毎日は寂しいと言えば寂しいが、病気で休む前から状況としては同じようなものだ。
楽しいのは乗り物(フォークリフト)の運転くらいで、特に心躍るような場面は今の仕事中においてはない。

休んでいる間に、勝手ながら職場での張り合いにしてきた人だったり良き話し相手だったりした人が軒並み今の職場からいなくなったのも残念な部分ではあるが、そのために気分が極端に落ち込むことはない。
いなくなったからといって文句を言える筋合いはないし、むしろ毎朝眠い目をこすって、重い体を引きずってでも職場に足を向かせてくれる存在としていてくれたことに感謝する気持ちの方が大きい。

詳しい事情は割愛するが、もともと当地に来た時点では「余剰人員」だったし(今は形式上はそうなっていないが)、おまけに一度病気で長期離脱をやってしまった私だから、下手なアピールをしてもどうしようもないし、誰も口にこそ出さないが、今後私に大きな期待が寄せられる場面があるかと言えばそれは違う。
だからと言って手抜きや気の緩みがあっていいというのではもちろんなく(職種柄ケガや事故につながる)、あまり高いところは見ずに目の前をしっかりとこなすというところに集中していけばよいと思う。
上司から言われるまでもなく「自分の代わりなんていくらでもいる」と気を楽にしているくらいの方が、少なくとも再び倒れるなどという事態は避けられるのではないかと思う。

いよいよ

2018-06-24 10:50:54 | 休日
ずいぶん更新が空いてしまった。
今週の仕事も変わったことはなく、特別に忙しいとかはなかった。
しかし、最近はトンとごぶさただった「寝落ち」で、W杯開催中ながら注目の試合も見れないで未明まで目覚めずズルズル朝を迎える日がいくつかあった。
夕方に仕事が終わって、夕食をとり、シャワーを浴びて横になるといつの間にか寝ているのである。

私の「先生」は、定時5分前になっても仕事をやめない(やめられない?)タイプだから、着替えが必要な現場から解放されるのはだいたい定時を過ぎる。
モノであふれ返って狭くなっている現場を、時には重い物も抱えて移動しながら行う作業はそれなりに体力を使う。
最近体重を計ったら、久しく切ることがなかった80kgを切っていた。
ストレスや病気などを原因とする好ましくない痩せ方ではないから、これはこれでいいのだろう。
ひとまず「身長マイナス100」の値なら日中のスタミナ的には問題ないので、もう少し絞れればよい。
BMIなどのいわゆる「理想値」となると、さらに絞る必要があるが、そこまで行ったら逆に体力が持たないかもしれない。

先週の日曜には思い立って岐阜県境に近い「内々(うつつ)神社」に行き、よせばいいのに奥の院まで探検してけっこうな運動をすることになった。
日曜日に動きすぎると、月曜以降にけっこう引っ張るから注意しなくてはならない。
ということで、今週の土日は静かに過ごしている。
今週は木曜に旧友と名古屋市内で会って楽しい時間を過ごした。
一人が遠方のため二次会もなく、平日なのでもう一軒だけ寄って早めに帰った。
金曜は、以前から取り組んでいる別分野の活動のため仕事が終わった後に大阪まで。
21時からの用事は短く、夜行バスですぐに当地に取って返すのがいちばんいいが、昨日はバスが取れず寝るだけのホテルに世話になり、朝のバスで大阪を出て当地には昼過ぎに着いた。

やはり疲れもあって、土曜夜にはあらためて出る気にはならなかった。
金曜夜に大阪へ出向き、用事をこなしてすぐに当地へ帰るスケジュールがあと2回ある。
活動自体はいよいよ佳境に入って、ほどなく仕上げの段階になる。
毎回の移動は面倒だが、すべては夢のため、全部の段階を経ればその半分は達成である。
あとは、この平板で退屈な日常を変えられるレベルまで行けるかどうか。
好きなことを突き詰めることこそが幸せへの近道であると、私が己の体を使って証明したいと心から願っている。

いまをいきる

2018-06-16 23:13:13 | 休日
先の日曜、結構な遅い時間に妙齢の女性が自宅に訪問してきた。
こんな時間に何だろうと思ったが、宗教系や早起き系の勧誘ではなさそうだったので、とりあえず玄関先に出ることにした。

黒いスーツに身を包んだ彼女は、おずおずと用件を話し出したのだが、不動産投資という私のような貧乏人には最も縁遠い内容だった。
話に進展の見込みはないので普通にお断りしてもよかったが、会社の命令とは言えわざわざ戸別訪問などというこの節最も効率の悪い方法で熱心に食い下がってきた。
日を改めて上司と一緒に会ってほしいというので、さっそく翌日の月曜に自宅から車で5分ほどの某喫茶店まで行った。
どんな話が出ても「まず無理」な種類の話で、筆記用具やハンコの類は持っていかないと事前に彼女に告げ、しかしあえて出て行ったのは、今年は新しい経験を増やすというテーマのもと、知らない世界の話も何かの足しにはなると思ったからだ。

さて、かんじんの話については、相手が本題に入ることすらできないというハッキリ言って無駄な時間となった。
そうならなかったのは、本欄でも「不良中年」を名乗る私の価値観と、20代後半(には見えなかったが)、雰囲気的には時の人である朝鮮労働党委員長にも似た感じの上司との価値観がまったく相容れなかったことによる。
せっかくの貴重な時間を、冷やかしで来てその気のない人間のために無駄遣いさせたことは申し訳なかったが、二言目には「備え」や「現実」という言葉ばかりの彼の話は、正しいが面白くも何ともなかった。

いろいろ真面目な質問をされたところで期待に沿うような答えができないので、なぜか彼の方が半ギレ気味になってしまい、「会社が楽しくないなら生活保護でも受ければ」とか「これからベーシックインカム導入なんていう話もありますし」など、いかにも貧乏人を見下ろすような態度を取り始めた。
確かに貯蓄と呼べるようなものはなく月々の給料はただ回っているだけの私だが、仮にも企業に在籍し毎日仕事をしている人間に対してはあまりにも失礼な発言が目立ってきたのはひとえに彼の若さということであろう。
最後には、彼のオフィスで話をしているわけでもないのに「帰っていただけますか」「何で今日は来たんですか」などとダメ押しをかけてくるので、こちらは「いくら客としての見込みがなくても、さすがにその言葉は余計だ」と返して、そそくさとその場を去った。
最初に自宅まで来てくれた新人の女性の方が、なぜか「ありがとう、ありがとう」と何度も口にして出口まで送ってくれたのは意外だった。
私の話を聞いて考え方が変わり、今頃は辞表を提出しているかもしれない。

若くして預貯金が8ケタだと言ったその上司君だが、その若さでそれだけ貯めこむのに「今」をどれだけ犠牲にしてきたのだろうなどと考える。
遊びたい盛りの年齢で、すべてを我慢して遠い遠い未来のためにひたすら備えるというのは、夢に乏しい時代を生きてきた若い世代との彼自身の発言からも今の業種を選択しているだけの背景はあるとは思えるが、あまりにも守りに入りすぎてはいないか。
言っては何だが、血眼になって老後に備えてみたところで、そんなものは来ないかもしれないのだ。
どんなに真面目に堅実に生きてみたところで、「殺すなら誰でもよかった」などという人間に遭遇するとか、ながらスマホや認知症のドライバーの車に当たられるとか、悲しいことだが突然の災害とか、いろんな原因である日突然命を奪われることもあるのが人間で、そうなるかならないかは「運」ひとつである。

私自身は、よく誤解されるが、ただただ今が楽しければいいという生き方は、若い頃はそうだったかもしれないが今は違う。
今は、いつ死ぬかなんて分からないからこそ「いつ死んでも悔いがない」ように、一日一日を大切に生きたいのである。
少なくとも今できることをしないで、それこそある日刺されて終わったら何のために生まれてきたのか分からなくなる。
今取り組んでいる夢の部分では、この段階までは何があっても死ねないと感じているが、それとてほんの数ヶ月先のことに過ぎない。
そこを越えればあとは全ていただきものだと思って生きていくのが、資産運用などという世界にはとても足を入れられない人間の進むべき道なのだろうと思う。

心は梅雨空、でも。

2018-06-15 18:50:15 | 日記
今週の勤務も無事に終わった。
やっていることは、休む前までにやってきたこととそんなに変わらない。
パートごとに微妙なルールの違いがあるだけで(なぜ同じ事業所でそうなるのかは謎)、そこにさえ対応できれば不安なことは何もない。

仕事をするにも、時間管理の面では大きく二種類のタイプがいて、一方は「今日はこの仕事まで」と決めて、それが済んだらもう定時まで手すきになっても構わないとする人、もう一方は「決められた時間までは仕事をする」と決めて、やりかけの仕事が出てもいいからとにかく物事を前に進めておきたい人、である。
今私が付いているベテラン社員は典型的な後者のタイプ、17時過ぎの定時という環境下、16時半に新しい依頼が来てもとりあえずは手をつける。
私はそういう人に付いているから、所属する部署の「シマ」に帰るのは定時ギリギリになるか、たまに越えることもある。

もちろん本人の担当は、直前の変更や追加が際立って多いパートだから、例えばせっかく16時ごろにその日の予定が終わったとしても容赦なく携帯で呼び出されてまた現場にトンボ返りする場面を何度も見る。
仕事の指図もなぜか夕方押し詰まってから出ることが多いので、それに応えてあげようという気持ちが強いのだと思う。
そういう事情や本人の性格もからんで、もうかなりの高齢なのに当たり前のように長時間の残業になっていた時期もある。
私はわりあいキリのいいところで物事を止めたいタイプなので、「この時間から何できるんやろ」と思うこともあるのだが、今の先生に逆らっては会社での居場所がなくなるので我慢している。

居場所といえば、わがチームのシマは他部署からは独立しているので、そこに集まるのは我がチームの人間しかいない。
当面の仕事が済めば一旦そこに帰って、新しい伝達事項などがないかチェックしたり、人手が必要な日付を確認したりする。
昼休みも、昼食が済めばそこに帰り13時までひたすら休む。
一日の中で、長い時間とは言えないが必ずいくばくかの時間は過ごす場所である。

過去、雑談の一つもできなければ仕事のささいなお願いさえしにくくなると書いた記憶があるが、現状ではチーム内での雑談には全く入っていけないし、挨拶をしてもほとんど返ってくることはない。
コミュニケーションと呼べるものを「シマ」の中で普段できないから、仕事上のささいなお願い事すら「意を決して」という感じになってしまう。
私が何かお願いしてやってくれないわけではないが、昨日などいかにも面倒くさそうな態度で対応されたので、やはり私はシマの中では「あまり関わりたくない存在」なのだろう。

病気を境に周囲との心理的な距離も離れ、仕事に出て行く張り合いも失い、仕事そのものも変わらず苦ではない程度で楽しくはない。
それなりに思い入れがあったつもりの今の会社との縁もここにきて急速に薄まってきている感じがしている。
そんな感じがしたところで、すぐに辞めるという話にはならないが、今取り組んでいる夢が実現するまではガマンしていようと思う。
それはやはり、本当に好きなことに本格的に取り組み始めたことが大きく、そこで見られる世界と比較すると、不思議なもので少しはあったつもりの「愛社精神」なるものが全くのウソっぱちだったことに気づかされるのだ。

夢への道のりは遠いが、少しずつ形として現れてきている。
もういくつかの段階を踏んで、まずは夢への第一歩となる完成版が出来上がってくる。
「生きた証し」としてはそれだけでも十分にも思えるが、心のふれあいもないただただ平板な職業生活を送るくらいなら、第一歩からさらに踏み出して文字通り羽ばたくことができるならそれに越したことはない。
何をもって幸せとするかはまさに十人十色、人によって違っていて当たり前だから、私は私なりの幸せに向かって進んでいこうと思う。

西美濃をめぐる

2018-06-10 21:10:10 | 休日
昨日は、梅雨の晴れ間で絶好の行楽日和となった。
金曜日に飲むことの多い私だが今週はそれをせず、ゆっくり休むことにした。
土曜は特別早くに目が覚めたわけではなく、しばらくは自宅でのんびりとしていたが、前々から行きたかった徳山ダム(岐阜県揖斐川町)を目指すことにして車を出した。

出た時刻もそれほど早くなく、とりあえずは大垣までは高速を使ってそこからは国道417号線をひたすら北上、徳山ダムの入り口にまでたどり着いた。
しかし、国道417号線は徳山ダムによってできた徳山湖の奥まで続いていて、最終的には行き止まりとなる。
ダム見学よりも前にその行き止まりまで車を進めることにし、トンネルが多いながら走りやすい道を行った。



行き止まり地点はトイレがあるだけで他には何もないが、大型バスも転回できるスペースが設けられていた。
福井県との県境まで数kmというところ、今は福井県鯖江市側とをつなぐ工事が端緒についたところのようだった。
岐阜県と福井県を結ぶ国道は、郡上市から大野市に抜ける158号線と、本巣市からやはり大野市に抜ける157号線しかない。
その中で、157号線はいわゆる「酷道」として全国的にも有名で、緊急時にはとても役に立たない。
今から新しくできる417号が157号の代替路線として大きな期待を背負っており、早期の整備が待たれるところだ。

行き止まりから取って返し、徳山湖のシンボルとも言える「徳之山八徳橋」(ダム建設で水没した8つの集落にちなんで命名)を渡ると徳山ダムの入り口はすぐであった。



飲食店こそないが、駐車場や展望台は完備していて、ダムの天端部分をすべて歩いて見学できる。
ダム本体の大きさや高さ、ダム湖の貯水量など数字的なデータはいずれも我が国トップレベル、本格運用が平成20年と比較的新しいこともあって、快適に安全に見学できた。





ダム見学の後はどうしても旧根尾村(本巣市)を訪ねたくなり、厳しい林道を突き抜けた先に旧根尾村があった。
ここで有名なのは淡墨桜、桜は来春までお預けだが、手入れも行き届いた立派な巨木が目の前に現れた。



釣り人もいるのどかな風景を写真に収め、帰り道にはやはり有名な根尾谷断層を見学、19世紀末、M8.0の地震一発で土地に大きな段差ができた痕跡がハッキリと残っていた。





束の間の晴れ間、私らしい気ままな、休日らしい休日を久しぶりに過ごすことができた。
私自身の体調の問題もあって、しばらく長い距離を流してやれなかった愛車には深く感謝申し上げたい。



【番外編:終着駅シリーズ】

上:樽見鉄道樽見駅
下:養老鉄道揖斐駅




かなしいな

2018-06-08 22:41:22 | 日記
仕事に復帰して今日でまる2週間となった。
とりあえずでも仕事ができる体調にあること、普通であることの有り難さは感じている。
組織に属している以上、そこを形として完全に離れるまでは、わずかでもいいから何がしかの貢献をしなくてはならない。
少なくとも何かをさせてもらえる状況にはあるわけだから、しっかりと受け止めて、あまり先は考えず一日一日を積み重ねたい。

金曜日のこの時間はだいたい街に出て、なじみのお店でバカ話をしているのがお決まりである。
週に一度、週の仕事が終わった直後に、職場での自分とは別人になってゲラゲラ笑って楽しく過ごすことは今の自分には欠かせない。
ただ、今日は出るのは見送り、混雑は覚悟で明日の出陣となるだろう。
金曜ばかりにこだわると、長い間顔を見なくなるメンバーも出る。
顔はしばらく見ていなくても、春先からの体調不良を心配して時々小さく連絡をくれる人もある。
たまには曜日をずらして、そういう人との会話の機会もぜひ作りたいのである。

仕事の話に戻ると、やっていること自体はこれまで違うパートでやってきたこととほとんど変わらない。
今はまだ慣れないし、長休明けでもあるので、優しいベテランの社員に付いていることは何度も書いている。
仕事そのものは苦ではなく、あれこれ聞きやすい人なので仕事のやりにくさもない。
毎日を職業人として過ごす分には、ダラダラとした手すきの時間もできない程よい忙しさの中で、落ち着いてできていると思う。

そんな中でなぜ「かなしいな」などというタイトルになるのか、これは最近チラッと書いたことにも通じるが、周囲、特に同じチーム内の人間との心理的な距離が遠いことが大きい。
春先に急に倒れ、2ヶ月も会社を不在にし迷惑をかけたのは確かだが、復帰の当日、少なくとも同じチームの中では、誰からも、何の言葉もかけられなかった。
もともと休む前から自分自身は浮き気味ではあったが、病気という出来事を通じて、あるいは周囲の中では「なるべく関わりたくない人間」というコンセンサスが出来上がってしまったのか。
というのも、わが事業所には病気を盾にとって自己中心的な振る舞いをする不届き者も数人いて、普通に元気になって戻ってきただけの私に対しても「やっぱり精神を病んだヤツは…」的な偏見があるのかも分からない。
毎日同じ場所に通う同じチームの一員として協力すべきことは当然するが、深入りしたくない存在と思われているなら、そこは私が変えようとしても無理である。

そんな状態だから、私が職場で話すのは仕事に関する話だけである。
一人で作業する時間も長いから、一日いてもほとんどしゃべらない日も多い。
加えて、過去私のような者でも大変良くしてくれたり話し相手になってくれたりした貴重な人たちは、ことごとく退職や転勤でいなくなってしまった。
会社に行けばこの人に会える、話せるという楽しみは、仕事に出て行く張り合いにも当然なるが、今はそういったものは皆無である。

あまり言いたくはないことだが、同じ会社で2回も倒れてしまえば、多少なりとも縁の薄まりを感じざるを得ない。
そのタイミングと、大切な話し相手が目の前から消えて行くタイミングが重なって、職場の中に限ってはとてもニコニコできるような心持ちには今はなれない。
当面は、そのウップンは会社の外で解消するしかない。
飲むばかりではなくても、小旅行でも、ちょっとしたドライブでもいい。
心にいくつかある穴を少しでも埋めるのに、会社にいない時間は努めて人と話し楽しむようにしていきたい。

リズムを作る

2018-06-03 21:34:42 | 休日
もう梅雨も間近という予報もある中で、今週末はお出かけ日和になった。
しかし、個人的には外出は最小限に抑えて休息を優先する形になった。
先週末の土日は、所用でまるまる2日間東京にいて、当地に帰ってきたのもバスの都合で日曜の23時を過ぎていた。
その翌日から仕事に復帰をするというタイミング、平日の5日間は大丈夫だろうかと心配にもなった。
たとえ大丈夫でも、この土日は天気によらずあまり動かないことにしようと早々に決めたことは結果的にはよかったと思う。

仕事に関しては、いったん私が主となってやるものはなくなり、ベテランの人に付いてその人がやっていることを少しずつ覚え始めている。
前回も書いたように、人柄のいい優しいタイプなので余計なプレッシャーを感じなくていいのは何よりである。
ただ、本人が抱える仕事量は同じチームの中では多い方で、私はできる範囲で本人の負担が小さくなるように、分からないながらも考えてやるよりない。
幸い、分かることに関しては2年半の蓄積があり大筋では忘れていないので、そういう場面ではむしろ率先して早め早めに作業を始めて余裕を持って終わるようにはしたい。
フォークリフトの運転も復帰最初の週では特に問題はなかった。

春の大型連休の後は、7月の中旬まで土日以外には休みはない。
しばらくは月金と土日の繰り返しのリズムの中で進んでいくことになる。
ブランク明けということで気を使ってもらって平日の残業や土曜出勤も免除されている今のうちに、平日と休日の繰り返しのリズムを取り戻して、休日にはしっかり切り替えることも忘れずにやっていきたい。

大変気の毒なことだが、もはや週休2日が当たり前ではなくなっている部署も多く、平日も人によってはずいぶん遅くなっているようでもあり、起きている時間のほとんどを会社の敷地の中で過ごしている人は相当の数にのぼるだろう。
私自身は、体調を崩したことをきっかけに「時間=命」ということへの思いがとてもとても強くなってきた中で、会社に拘束される時間というのがいかにももったいないものだと感じるようになってきた。
今の仕事にやりがいや充実感が満ち満ちている稀有な方を除いては、会社にいる時間というのは必ずしも心から楽しくはないはずで、それならばせめて会社にいない時間には何か別の要素を加えたいと思う。
スパイスでもいいし、刺激でもいいし、ドキドキワクワクでもいいし、彩りでもいい、表現自体は無限にあるだろう。

ザックリとした言い方にはなるが、もう中年と呼ばれる年齢になっていながら、あらためて夢を持つこと、好きなことや得意分野をもっともっと生活の中に混ぜ込んでいくことの大切さを感じるようになってきた。
夢を持ち、好きなことに取り組んでいる人間は輝いて見える。
輝いて見える人には、本人が過剰に求めなくても周りが勝手にいいものを持ってきてくれるのは実際の経験でもあった。
たとえそのことで地位や名誉や大金が来なくてもいい。
しかし、やりたいことをやらずにこの一度きりの人生を終わらせたくはない。
限られた時間を少しでも輝かせて、他の人の時間にほんの一瞬でも光をあてられるところまで体験できれば、世の中の役に立つということで言えば私にとっては最高の形になるのだろうと思う。