blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

1月を振り返って

2008-01-31 20:46:02 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
昨日今日の旅行のことはまた明日以降に。

取り立てて大きなトピックはない月だったけれど、何となく気持ちの浮き沈みが激しかった。
ものすごく自分の状況が悪い方向に変化したわけではないが、休みの日などひどく落ち込んだことがあった。
未来への漠然とした不安なのか、1人暮らしを始めて半年経ったところで少し疲れが出たか。
この寒い季節にカゼ1つひかないのはいいのだが、メンタルの部分もケアが必要だ。

仕事場では、冗談も言いながら和気藹々とできている。
とにかく話すことでずいぶんストレスの解消になる。
ストレスとは物理的なもので、出さないとたまる一方、決して消えることはない。
今は1人だから、部屋にいるときが問題だ。
部屋にいると、どうしてもいろいろ考え込む。
午前中が空いているなら、楽器の練習などに出かけるといいかもしれない。

もう7年ほど前になるが、ストレスから体調を崩した。
今から考えると、程度としてはかなり重かったのだと思う。
何しろ、専門外のお医者さんにも分かるくらいであったから。
その頃は、通り1本向かいのコンビニに行くのもおっくうだった。
TVや新聞も見る気がしなかった。
最低限の活動以外は、フトンをかぶって寝ているという生活が数ヶ月続いた。

専門のお医者さんに会い適切に処置をしてもらったから、今はこうして活動的な自分を取り戻すことができた。
しかし、闘いは今も続いている。
いつの日か、このブログで「完治」の報告ができることを願っている。

いざ、出陣!

2008-01-29 22:40:53 | 日記
明日から2日間、関東方面を旅行する。
目的は「川崎記念」である。
中央・地方を通じて、今年最初のGⅠレースだ。

明日は競馬場に行く前に、川崎大師にも行ってみたい。
京急大師線の沿線でもあり、必勝祈願も兼ねて行くことにする。
競馬場では、有名キャスターのトークショーもあるようだ。
けっこうミーハーなので、よい場所で見るかもしれない。
パドック脇の大盛り焼きそばもぜひ食べてみたい。
天気も良さそうだから、内馬場も探検してみたい。
馬券ばかりが競馬場ではない。
写真も撮って、HPにアップしよう。

さて、川崎記念。
昨年の最優秀ダートホースであるヴァーミリアン(JRA)が直前で回避したのは残念だが、馬券的には面白さは増した。
1番人気はフィールドルージュ(JRA)かフリオーソ(船橋)になるだろう。
しかし、この両者は去年の秋口からずっとレースを使っている。
そのあたりに落とし穴はないか。
面白そうなのは、アンパサンド(川崎)。
休み明けの東京大賞典は8着だが、昨年の前半はフリオーソと好勝負を展開している。
地元でもあるし、斤量の56キロも有利だ。

今年は競馬や競輪はメリハリを付けて楽しむ、と年頭に書いた。
明日は待ちに待った今年の「初打ち」である。
せっかくの遠征だから、遠慮せずに楽しみたい。
おみやげを少し豪華にできれば言うことはない。

少し重い日々

2008-01-26 23:25:13 | 日記
朝方、地震を感じて目が覚めた。
今の部屋に移ってからごくごく小さなものは経験していたが、今日のは大きかった。
ニュースを見たら、またもや能登半島が震源のものであった。
「またか!」といった感じだが、震源近くの地域に被害がなかったのは何よりだ。
緊急地震速報が出なかったことについて、気象庁の役人がサラっと「誤差の範囲」と言っていたのにはあきれたが。

ここのところは本当に冷え込みがきつい。
雪がそれほど多くないので楽な面はあるが、1月は本当に寒い日ばかりである。
冬型は徐々に緩んでいるようでも、気温の低い状態は続くという。
体調だけは、重々気をつけないといけない。

昨日今日とせっかくの連休をもらっていたが、昨日は午前に富山市に出た程度であとは部屋で過ごした。
今日も夜にバンドの練習に外出しただけだった。
この2日間は体も心も重く、元気がなかった。
疲れていると肩がこるのだが、今もかなりひどい。
明日は仕事だから、早めに休んだほうがいいようだ。

月末にはまた連休をもらう。
すでに遠出をする予定になっており、少しでも気分転換になればいい。
悩むほど、まだ状況は悪くなっていない。

相次ぐ閉店

2008-01-25 20:32:35 | 日記
自宅近くの大型スーパーに行ったが、白いシートがかかっている箇所が2つあった。
1つはCDショップであり、もう1つはかの不二家の店舗であった。
いずれも、今月中に閉店となったものだ。

CDショップのほうは、かなり前におとなり黒部市内の店が閉店となったから、富山市より東ではこの会社の系列の店はなくなった。
ポイントカードはほかの店でも使えるが、ポイントをためるために25キロも先の店に行くことはシンドイ。
魚津市内にはまだ4つほどCDを買える店があるが、いちばん自宅に近い店だっただけに残念だ。

不二家のほうは、賞味期限騒ぎがあってからいったん営業を停止していて、去年のいつかにまた復活したが、お客さんが戻って来なかったということだろう。
やはり富山市より東で、不二家の店はなくなったことになる。

ザックリ言ってしまえば、県都富山市より東側の新川(にいかわ)と呼ばれる地域は、高岡市などがある西側の地域より不便である。
大阪や名古屋からの特急列車はほとんどが富山駅止まりだし、普通列車の本数も少ない。
国道8号線のバイパスも、魚津市と黒部市の間で未着工区間があり、いつになったら開通するものか見当もつかない。

今日発見した2つの閉店にしても、人の少ない地域から手がつけられている格好だ。
都市と地方の格差というが、地方都市どうしの格差もまた広がっていく印象がある。
魚津市あたりはまだ「県東部の拠点」という機能を辛うじて果たしているが、すでに何年も前から旧市街はさびれているし、新幹線の駅も実現しなかった。

ふるさとが「没落」する前に、できることはあるだろうか。
買い物中に、ふとそんなことを考えた。

グリーンピースの件

2008-01-22 23:29:39 | 日記
南半球で調査捕鯨を行っている日本の船に、環境保護団体「グリーンピース」のゴムボートが近づいて妨害行為を働いたというニュースがあった。
日本側から抗議が起きるくらいだから、相当危険な行為が行われているものと思う。

クジラを捕ることの是非についてはここでは避ける。
問題となるのは、主義主張を通すために暴力的行為に走ることである。
「環境保護団体」というとたいそうご立派に思えるが、人の活動を実力で阻止しようとするのだから、やっていることは悪党と何ら変わりがない。
耳障りのよさそうなスローガンを掲げている分、普通の悪党(?)よりもかえってタチが悪いとも言えよう。

グリーンピースはあまたある環境保護団体の一派にすぎず、言葉は悪いがその中の「過激派」と言っていいのだろう。
ほかの多くの団体は、実力行使には走らず地道に主義主張を展開しているものと思うのだが。

グリーンピースあたりは、さしずめ「環境原理主義団体」と言ってもいいかもしれない。
自分たちの主張に反することを行う者を認めようとせず時には排斥しようとする考え方を「原理主義」と定義するならば、彼らの活動はまさにその通りだからである。

主義主張はあって結構だが、他を認め、他と共存するという考え方にならないと、このようなくだらない「争い」はなくならないのだろうと思う。

リミッター付きの体?

2008-01-20 22:08:32 | 日記
最近はわりあいユックリめに起きるようになったが、朝ごはんはしっかり作って食べる。
仕事の昼食休憩が2時か3時なので、多少遅めのほうが昼時に間食をしないですむから結果オーライである。
食事といえば、1人暮らしになって多少でも痩せるかと思いきや逆に太った。
母親がご飯を減らして少し痩せることに成功したと言っていたので、さっそく今日の夕食からご飯を1膳でガマンすることにした。

今の姿がすでに見苦しいと言われればそれまでだが、食べたいものを食べてそれほど運動もしないのに、なぜか「どうしようもないデブ体型」にはなっていかない。
自分の体にリミッターのようなものが付いていて「これ以上はダメだ」と抑えている感じがする。
お通じ対策(?)に、安物のクロレラの粒をちょこちょこ飲んでいるからその効果もあるのかもしれない。

体のリミッターといえば、私は中学3年あたりからメガネをかけている。
メガネをかけ続けていたら、裸眼視力はどんどん悪くなるのが普通だ。
しかし私の場合、寝るときと風呂くらいしか外すときはないのに、今も裸眼視力はかけ始めのころの0.2のままである。
私の体の中がどうなっているのか知らないが、得といえば得な体質をしているのだと思う。

それでも年齢が上がるにつれ、生活習慣病に対するリスクは高まる。
体のリミッターもいつきかなくなるかもしれぬ。
努力で解決できる部分もあるだろうから、できることからやっていきたい。

もっと「よい言葉」を

2008-01-18 23:39:57 | 日記
誰でも新しい年がいい年であることを願う。
しかし、年明け早々ニュースで伝えられる言葉は「死んだ」や「殺した」や「だました」や「盗んだ」などが多い。
そういう事柄だからニュースになるとも言えるが、あまりにもマイナスの言葉ばかりが世の中にタレ流しされている。
ホッとするのは動物の赤ちゃんの話題だけというのはいかにも寂しい。

普通の社会生活を送る中では、どうしても最新の情報というのは必要ではある。
しかし、メディアが発する「悪い言葉」にあまり浸りすぎると、だんだんと心がすさんでくる。
時には最新情報からあえて離れて「よい言葉」に触れる時間も持ちたい。
たまにはTVや新聞を見ないで、好きなジャンルの本を読むなどするといい。

数年前、今以上に不安定な身分にあった頃、すすめられてある施設に「お勉強」に行かされたことがあった。(健全な団体のものです、念のため)
10日間程度の合宿生活を送り、一般のマスコミ情報から半ば隔離されてひたすら「ありがたいお話」を聞くのである。
その中では、「コトバが人生をつくる」と何度も聞かされた。
不思議なことに、そういうありがたいお話をシャワーのように浴び続けていると、何となく自信がついたような気になってくる。
暗い顔をしてやって来た人が一変して明るくなって帰っていくのも見た。

言葉の力というのは、想像以上に大きい。
受験生がよく「合格!」などと書いて部屋に貼ったりするが、あれ1つでずいぶん気持ちの持ち方も変わるようだ。
また、成功者と言われる人たちの中では、夢手帳のようなものを書いている人が多い。
思っているだけではなく、実際に書いて表現することでモチベーションを高め目標に進んでいけるということだろう。

一般のニュースがもっと「よい言葉」を発するようになったら、世の中はもっとよくなるのにと思う。
いつもこうして書いているブログも、何かの批判ばかりでなく、もっとホンワカとした明るい話題を扱っていきたい。

「よい言葉」を発して「よい人生」を送りたいものだ。

一つの別れ

2008-01-17 22:48:05 | 日記
10月に入ったばかりのパートさんが、明日付けでやめていく。
明日は私は休みなので、彼女とは今日が最後であった。
急に寒さが来てスキーウェアばかりが閉店間際まで売れた今日だから、ゆっくりと話す暇はなかった。

もとより、忙しくなくても彼女とはあまり話すことはなかっただろう。
自分のことを全く明らかにしなかったので、結局最後までどんな人なのか分からなかった。
3ヶ月あまりの間、暑い寒いの話すらしたことがなかった。
話すことといえば本当に仕事に必要なことだけだったような気がする。

私は、仕事上でたびたび彼女には厳しいことを言ってきた。
うるさいヤツだと嫌がられていたことも知っていたが、私の存在がやめる原因になったのかもしれない。
私と同年代ならまだまだ将来がある人だと思っていろいろ言ってきたが、どう受け取ったかは定かではない。
結果として、わが店での時間が本人にとって不本意なものになったことは残念だ。

それにしても、やめると決意して約1ヶ月半、以後割り当てられた日は休むことなく勤め上げたのは立派だったと思う。
思うところは多々あっただろうが、誰に弱音をこぼすこともなく仕事をしている様子はやはり立派であり、痛々しささえ感じた。

客観的に見れば、彼女のその「立派さ」が彼女自身の人生を苦しくしているように思える。
迷惑をかけるからといって自分を責めてやめていく彼女だが、この世に迷惑をかけないで生きていける人間はいない。
どうしてもかけてはいけない迷惑は、自殺や暴力行為などのごくごく限られたものだろう。
あとはほとんどが「かけてもいい」迷惑である。

もう私がかけてやれる言葉はないけれど、いつの日か「立派に生きる」ことから解放され、彼女の本当の輝きが放たれることを願ってやまないのである。

プチ孝行

2008-01-11 20:45:28 | 日記
今日は両親と昼食(回転すし)を食べることになっていたが、午前中を棒に振るのもどうかと思い、待ち合わせまでの時間はすし屋近くのスーパーに行った。
とにかくバカでかい建物で、ホームセンターと食品スーパーが合わさったような感じである。
店内は「ないものはない」と言ってもいいくらいに物があふれている。
安物商売だけに高級品はないし、洋服のデザインも野暮ったいものが多いのは仕方がない。
店の一角にダンボールが積まれているところがあったが、お客様用ということで持ち帰り自由との記述があった。
商品が入っていたダンボールの処理は店にとっても悩みだろうから、少しでも持っていってくれたらということだろう。
お客さんからしても「タダ」には弱いから、必要な人にとっては願ったりかなったりといったところだ。

さて、待ち合わせの11時半に無事に両親と会うことができた。
何度も書いているように厳しい財政事情は変わらないのだが、年末にちょっとした臨時収入があったので「できるうちに」と思って今回は私が主催した。
すしとなるといつも父親のほうが力が入り、私よりもたくさん食べる。
母親は赤身の魚があまり好きではなく、安い皿ばかりを取っていた。
いつも3人で行くと同じような会計になるが、今日もイメージ通りであった。

引っ越しをした今も、実家からはいろいろと支援がある。
今日にしても、手ブラでくればいいものを若干の食料を積んで持ってきた。
日頃私のために使ってくれているお金のことを思えば、今日の昼食代あたりを惜しんでいてはそれこそバチが当たる。

親孝行といっても、今は今日ぐらいのことしかできない。
大きなものを買ってやれる余裕はない。
圧倒的に借りを作った状態で年月だけが過ぎていく。
今は、私自身が元気で明るい人生を送ることがせめてもの親孝行と思いたい。