blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

何とか一週間

2023-02-24 22:52:46 | 日記
月曜から新しい現場に移って、最初の週の仕事が終わった。
木曜が祝日だったため稼働日としては4日間、だからといってラクだったわけではない。
いつもなら木曜に出せばよい大口の送り込みは前倒しで水曜になるなど、一日一日の密度は濃くならざるを得なかった。
そんな状況の場所に新しく行って大丈夫かとは思ったが、伝票のフォームが変わるわけでもなく、手順が変わるわけでもなく、扱う製品が違うというだけで今までの経験はそのまま生きた。
もちろんこれまでと勝手の違うところはたくさんあるが、慣れてしまえば何とかなるレベルの話で、さしあたり今後に関しては大きな心配はない。
事故やケガ、ミスなどもなく順調な滑り出しができて何よりである。

今の現場では、何はともあれ会話がある。
モノが言いにくい人もいないし、仕事ができないクセにいばっている人もいない。
分からないことは聞けば親切に教えてもらえるし、ホッタラカシには決してされない。
当たり前かもしれないが、とにもかくにも仕事に関しては前向きな人ばかりなので居心地はいい。
会話の中身はお世辞にも品がいいとは言えないし、私からすればあらかた知識のある事柄を延々としゃべり続ける人もいるから正直うるさいくらいだが、普段は暑い寒いの話すらなかった前の現場とは大違いだ。

前の現場では、仕事に慣れるにつれいろいろとアイデアもわいて、あれやこれやとウルサイ人間であったからずいぶん恨まれてしまったかもしれない。
管理者氏からすれば厄介払いができてセイセイしているところだろうが、私が抜けた分はそのまま一名減となったため、今週の仕事の進み方は悲惨なものだった。 
その日のうちに出た伝票はすべて片づけるのが当たり前だったのに、今週のさるミーティングの場では先日付のものが未処理のままで分厚く残っていた。
たった1人抜けただけなのにずいぶんとスピードダウンするものである。
今月の在庫カウントでは差数が出たというが我が現場には関係がなさそうだったので、人員減の影響で余裕がなくなっているのだろうと思う。

そもそも現場の指揮監督をする立場の人間が、小売業の店長のごとくに「管理だけ」になっているのが問題だ。
小売の店長は場合によっては距離の離れた4つとか5つの店舗を同時に任されて現場の作業に入るヒマなどなく帳票類に目を通すだけで滞在時間も長くない。
しかし、今の職場は現場は2つで、距離的にもお互いに窓から見えるような位置にあるので実質は同じ場所である。
そんな現場の状況で、いちおうは会社に選ばれて入った社員様が管理だけというのでは、作業もしないでどうやって時間を使うのか逆に疑問である。

我々にはない会議や交渉事があることは理解するがそうひんぱんなものでもなかろう。
毎朝、現場を不在にする言い訳ばかりを聞かされるコチラとしては、イザという時に果たして代わりが務まるのかと思う。
社員はあくまで作業者のバックアップというならそれもよかろう。
しかし、バックアップというからには、日頃作業を任せている人間たちと同じかそれ以上の作業能力がないといけないが残念ながら我が社の社員様にはそれがない。
仕事の指示ひとつにしても、〇〇さんからお達しが…などと上の人の名前を使って言ってくるものが多く、要は自分たちではアタマをひねって考えていない。
アタマをひねることができないということは、申し訳ないがすべてが「やらされ仕事」で自発的なやる気は皆無、言い換えれば後ろ向きで日々にあたっているということであろう。

個人的には、そんなやる気のない人間の顔を見る時間がかなり短くなったので精神衛生上もこれまでよりは良くなった。
今の現場は主に子分の若い社員が管理しているが、上が上だけにやることもそれなりで何ら頼りにならない。
今や会社にも目を付けられ無理難題を押し付けられ放題になっている管理者氏の下となるといわゆる「上司ガチャ」では大外れだ。
しかしこればかりは他人があれこれ言ったところで本人が気づかないとどうにもならない。
管理者氏本人はもはやどうしようもないレベルだが、まだまだ若く未来のある子分君のことは少し心配にはなる。

姿が見えるだけで不快になる人間が立場では上にい続けるのは厄介だが、せっかく新しい現場に行ったのだから、今後は少しでも役に立ちつつ楽しく仕事をしていくことを考えながら日々を乗り切っていきたいと思う。

節目

2023-02-17 19:52:41 | 日記
今週の仕事もつつがなく終わり、夕食をいただきホッとした気持ちで本欄を書いている。
週末は珍しく両日とも予定があって、またぞろ雑然としてきた自室の整理をするヒマがあるかどうか。
増えすぎたものは減らしていくのが理想だが、いつまでも未練タラタラで眠っているだけのものも多い。
どうせ管理しきれないのだからサッサと片づければいいのに、余計な思い出ばかりが浮かんできて延び延びになっている。
仕事となればトコトン合理的にいけるのに、私的なことは理屈では語れない要素がジャマをしてしまう。

さて、仕事の面では今日でもってひとつの節目を迎えた。
来週のアタマから、一年あまり過ごしてきた現場から同じ部署ではあるが場所が違う現場へ異動する。
話としてはひと月前くらいにはあったが、それからの時間は案外早く過ぎていきアッという間に今日を迎えた感じがする。
仕事をする場所が変わるだけなので特に大きな心配はしていない。
次の現場のメンバーとは数少ない機会にもコミュニケーションは取っており、気性の荒さも含め人物像は伝わっているとは思う。
これまで大きな事故や間違いは起こさないでやってこれたので、引き続き自信を持ってやっていきたい。

季節的な要因であまり出荷量が多くならない中、我が現場は大きく変化した。
変化した、というよりは変化させられたといった方が正しいか。
衛生管理上の問題から他部署の製品も小さくない割合で我が現場のスペースを埋めていて、それだけでも管理者にとっては悩みのタネだったところに、今度は遠隔地で管理していた製品が大量に入り込んでくることになった。
ただでさえ悩んでいたところに輪をかけての悪い流れ、少しは現場の責任者として抵抗したのかと思えばそんな気配はまるでなく、あっという間に製品が搬入されて我が現場を埋め尽くした。
すっかり変わってしまった現場はさながら敗戦後の焼け野原のようでもあった。
物騒なことを書いたが、今回の事態は明らかに部署間の戦いであって、我が現場は戦場の最前線となり結果として無残に敗北しほぼほぼ無条件降伏させられたというわけである。

大量の製品を、他部署の倉庫、それも既存の製品をどかしてでも入れ込むなどという話は、入れ込む側の部署でも思い付きでできることではなく前もって計画はされていたと思う。
それにしてもなぜ、出るものが少なく置き場所に例年苦労していると分かっている冬場にわざわざ「無理難題」にも近いことを言ってきたのか。
春から夏なら出るものが多くて場所繰りにも少しは余裕があると分かってなぜ今の季節なのか。
そんな大事なことが、なぜ我が現場や我が部署の人間にとっては文字通りの「寝耳に水」となったのか。
そこの部分が、今回の事態は「戦い」であったことの裏返しなのだろう。

我が現場の管理者は、ある日「上の方と面談がある」と言った。
聞いてもいないのに名前を言うから会社の組織図を見たら、経営サイドまではいかないが上も上、まさに「ラスボス」のような人だった。
上の人にはからっきし弱い氏のことだから、そんな人と対面で会話して対等に渡り合えるはずはない。
「頼むよ!」とダメ押しを食らって「ハイー!」となったことは容易に想像がつく。

そもそもそんなエライさんとの面談、しかも部署の貴重なスペースを大幅に譲ってくれという大事な話にひとりで放り込まれるというところに我がリーダー氏の致命的な弱点がある。
残念ながら氏は、直属の課長さんや、その上の部長さんに「助けてやろう」と思ってもらえてはいない。
これではサラリーマンとしてはもはや先がない。
今回の事態は、極論、会社総出で我が現場のリーダー氏を孤立させ追い詰める工作であったのではないか。

こんなことを書けば「なんてひどい会社」などという反応があるかもしれない。
しかし、これは会社がひどいのではなく、リーダー氏の日頃の行いが招いたと言える。
面倒なことは他人に任せ自らは向上しようとせず、何か事が起きれば周囲を人間の盾にしてでも、バレバレのウソをついてでも逃げ回ることしかしてこなかった。
作業レベルが低いから、他部署の応援はおろか、自分の担当部署の作業でも満足な戦力にはなっていない。
どこに行っても疎んじられるので社内に居場所がなく、仕事のフリだけして社内をウロウロするか、子飼いの後輩君を命令して動かすかくらいしかやれることがない。
それでも時間が余って、時にはトイレにこもって何十分も出てこないことさえある。

さすがにここまでの社員を置いておく余裕は会社にはないので、時期的な要因で弱っているタイミングを狙いすまして、仕掛ける方とすれば絶対に負けない戦いを仕掛けてきたと考えるのが自然である。
結果は、リーダー氏からすれば大敗北となり、社内での発言力は無に等しくなってしまった。
今日も誰もいないところで「こんな会社…」と吐き捨てていたが、いまだに自らの「現在地」が分かっていないのではないか。
ここまでの仕打ちを受けてなお、こんな会社と口では言いながらも袂を分かつ決心ができないというなら、この先は「つらいことだけ」しか待っていない。
目先の苦難はあるかもしれないが、いても何の実りもない環境から思い切って離れる決心が氏には必要ではないか。
私自身の単なる部署異動なんかよりはよほど大きな節目が氏に迫っていると見た方がよさそうである。

開設記念日

2023-02-07 20:25:18 | 日記
2月7日は当ブログの開設記念日になる。
2007年2月7日開設だから、今日で16周年となった。

無名の小ブログに少なくはないアクセスを毎日いただきありがたい限りである。
記事をひとつ上げればこれまた少なくはない反応をいただける。
今日もそうだったが週の初めは一日中動き詰めになってバタンキューになる日も多く、そうそう毎日は更新できない中でも楽しみにしてくれている方々がいる。
それだけでも続けてきてよかったと思える。

書いている本人からすると、あくまでも当ブログは安全な場所である必要があり、コメントはされないように設定してある。
どんなに言葉を選んで誤解が生じないように気を付けたところで、どうやったらそんな解釈になるのかと思うようなコメントが来る。
残念ながら悪意の読者というものは確実にいて、避けられないのならば最初から遮断した方がいい。
発信そのものは他のSNSでもやっているから、わざわざ当ブログまでを「危険」にさらすこともない。
書く中身がほとんどは日々のウザウザで、書き散らすことでアタマの整理もでき少しは冷静にもなれるから、一種の精神安定剤のようなものだ。

16年分すべてを読み返すことは書いている私でも無理だし時間的にも不可能に近い。
ただこの期間だけ取っても、いろいろな人に出会い,、いろいろな思いを抱えながら、いろいろと悩んだり怒ったりしてきたことは確かである。
良く言えば試行錯誤、悪く言えばドタバタの期間を経て、今は何とか自分の足で立ち、ゼイタクはできないが普通の生活ができ、健康上の大きな問題もない。

もちろん自分だけでは今日まで生きてこれなかったこともまた確かで、何度期待を裏切っても決して見放されなかったことには感謝以外の言葉が見つからない。
せめてせめてそういう人たちを二度と泣かせないで生きていくことが残された人生の唯一絶対の目標ではなかろうか。

命あることに感謝し日々を悔いなく、これさえできれば残りのはその積み重ね、年齢的には折り返しはとうに過ぎたがこれから見える景色が見たこともないような素晴らしいものになると信じて開設記念日の記事を閉じたい。