blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

8月を振り返って

2016-08-31 20:55:48 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
仕事では多少の波乱があった程度だったが、私生活では大きな節目を迎えた。
お盆休みに、長い長い時間の積み重ねが実り、ようやく全国の中央・地方合わせた全競馬場を踏破できた。
6月に達成した全都道府県訪問と合わせ、求めてきたものに相次いで到達したことは、他人の役には何一つ立っていないが感慨深いものがある。
ただ、同じ年に大目標を続けてクリアーしてしまったからか、一時は脱力感にも似たテンションの低い状態が続いた。
ここ数日、ようやくザックリとした年末までの計画をオロオロと始められている。
気分のどん底からは抜け出ることができているようだ。

当地での生活も、早いもので9月末をもって1年が経過するところまできた。
あとひと月を何とか無休で乗り切って、1年無休のまま気持ち良く2年目に突入したい。
前の部署で思いがけず体を壊し長く休むという経験をしたが、当時の仕事に向かうには私自身の知識と経験がマッチしないという不運があった。
適当な環境に恵まれれば体調を崩して休むなどという事態にならずに1年という時間を軽々とクリアーできる。
それを証明できなければ、会社は「こいつはどこに回してもダメだ」と考えてしまう。
そうなることだけは絶対に避けなくてはならず、最低1年は何があっても壊れてはいけないと思ってやってきて、今こうして元気でいることには満足している。

勝手ながら、今後の月の振り返りには、その月の写真の中からベストショットを1枚選んで載せることにする。
月中の記事に載せたものから選ぶか、まったく違うものを載せるかはたぶんその月によって変わるだろう。
初回である2016年8月は、8月10日に北海道苫小牧市で撮影したものを載せる。
木の枝がアーチを作っているように見える間に製紙会社の大きな煙突があるという構図。



私は撮った直後にはあまり写真をマジマジと確認しない方で、後で見て「あ、コレいい」と思うことが多いのだが、上の写真もその一つで、半分は偶然のようなものだ。
プロではないのだから、今後も気ままに撮りためて、9月の終わりにはまたいい写真が載せられるようにしたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

癒しだね〜

2016-08-27 22:18:43 | 休日
慣れないサッカーの話題を書いた直後の今日、名古屋はFC東京に後半アディショナルタイムで追いつかれ引き分け、18試合ぶりの勝ち点3はならなかった。
すぐ上にいる甲府は逆に敗戦濃厚の状況から追いついて貴重な勝ち点1、名古屋との勝ち点7の差を維持した。
ただ、監督が代わって初めての試合そのものは現場も放送席も納得しているようだった。
次節は甲府の上にいる新潟が相手、もはや残り全部勝つくらいでないと厳しいのは確かでも、伝統あるクラブの意地を最後まで見せてほしいものだ。

さて今週は遠出はひと休みと決め、昼間のわずかな時間で庄内川対岸にある竜泉寺(名古屋市守山区)へ行ってきた。
職場からも見えるくらいの場所、いつでも行けるところだけにかえって足が向かなかった。
お盆も過ぎ、駐車場の車もまばらで人混みもなく静かなものだった。







一通りお参りを済ませると、一匹のネコが寄ってきてなかなか私から離れなかった。
きちんと写真に収めようと思うのだが、被写体が私に近づきすぎて変な写真が数枚できた。
もはや人間が寄ってこなくなり渇いている私の心にはひとときの癒しとなった。







墓地エリアまでは遠いので、車に戻ってあらためて行ってみた。
現在の生活の拠点である春日井市南部の風景。



お昼休み中の別のネコちゃんも。



今日は活動といえば実質これだけで、後は慌しかった8月の疲れを取るべくゆっくりした。
明日は天気があまりよくなく、今日と似たような過ごし方になるだろう。
当地に来てまる一年をあとひと月後に控え、できれば無休でという目標のため、今週末は体力的な無理は避け9月に備えたいと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気なし

2016-08-26 22:43:51 | 日記
元気がないのは私のことではない。
私も最近は大目標を一気にやっつけた反動があって元気いっぱいというわけでもないが、調子が悪いとか落ち込んでいるというのとは違う。
今年は当地のプロスポーツチームの成績が芳しくなく、明るいニュースに乏しい状況になっていることに触れたい。

中日ドラゴンズも名古屋グランパスもすでに監督が事実上解任されてしまい、来シーズンに向けての体制作りが急務となっている。
最下位でも降格のない野球の世界はまだしも、名古屋グランパスはJリーグ創設時の10チーム(オリジナル10)の一員としていまだ2部降格を経験していない数少ないチームの一つであったが現在は降格の危機にある。
どのような経緯で、どのような原因で低迷することになったのか、本当のところは当事者にしか分からない。
しかし、熱烈なファンの意見と、地元中日スポーツの記事の内容にそれほど差はない。
指導経験が不足している人物を監督兼GMにかついだ親会社と、その顔色ばかりをうかがう球団トップの関係性というところにほぼ集約される。
いったんは「監督は絶対に代えない」と球団社長が言ったものの、その1ヶ月後にあえなく解任になったのはその象徴だろう。

親会社・トヨタ自動車の中で、名古屋グランパス球団の「位置付け」がどのようなものであるのか。
かりそめにも球団が閑職や単なる出向先だとしたなら、トップも含め職員は腰掛け感覚が抜けないからマトモな球団になるわけがない。
やる気に乏しい職員が漫然と運営するチームは進化せず低迷につながるのは目に見えている。

たまたま当地のチームが、私が当地に来てすぐのシーズンに前例のない低迷を経験している。
地元マスコミが厳しい検証記事を書かざるをえない状況にまでなっていることは一人のスポーツファンとして残念である。
トップに立つ人間の影響力がひとたび悪い方向に作用すると、組織というものはあっという間に活力を失って最悪の場合には機能不全に至ることが名古屋の低迷で証明されてしまった。

どんな組織も、最終決断とその責任はトップの手にある。
しかし、トップを支える役員なりブレーンなりが時と場合によってはブレーキを引くことができないと、組織はかなりの高確率で悪い方向に走り出す。
参謀役が保身ばかりを優先し物言い一つできなければ、もしくはトップが物言い一つさせないくらいに強大な力を持ってしまっているなら、どう見ても間違っていると思われる計画も正しいものとして進められる。
その先に待つものは、崩壊の二文字であることは言うまでもない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せを祈るくらいは

2016-08-25 21:45:27 | 日記
私が所属する部署は10人に満たない小さなチームである。
その小さな中で、最近若い某君が別部署に回ったため、人員が一名減となった。
それからというもの仕事の回りがやや遅くなり、一日中動き詰めという日も出てきた。
酷暑のさなか、ケアはしているつもりでも、ひとりひとりにかかる重みが変わって、ベテランぞろいのメンバーで果たしてどうなるか少し心配な感じがしている。

さてその某君だが、やや変わったところがあって、我が職場のストレス要因になっていた。
ある意味病的と表現してもいいように思うが、他人の指導や注意をマトモに受け止めることはなく、代わりにわざと相手を陥れるようなことをコソコソとやって反抗の意思を示してくるタイプであった。
被害はほぼすべてのメンバーが受けていて、私に関しては私物の保管場所を勝手に変えられていた時にはさすがに怒鳴りつけた記憶がある。

某君は複数の事柄を同時進行させることが苦手だったため、わが部署では精彩を欠いていた。
私が当地に来た当初は、毎日毎日それはひどい言われようで、休まずに会社に出てきていることが立派に思えるほどであった。
しかし単純なことはしっかりとできるし、私の担当にも積極的とは言い難いながら手伝いには来てくれてずいぶん助かっていたのも確かである。
振る舞いに難はあったが、いくばくかの戦力には間違いなくなっていた。
彼が出て行ってから、これまでただただ彼を使い倒してラクをしていた某氏が急に忙しくなり、私の担当も以前よりは負担が増えたのだから間違いない。

我が部署でも時々彼の話題は出るが、どうも彼に関して「貴重な戦力であった」ことさえ認めたがらない向きもいて悲しい気持ちになる。
そう思うような人間は、彼が自信を付けていずれ自分を抜いていくくらいになってほしいという愛情などカケラもなく接していたということであろう。
自分の能力に自信が持てない人間は、「どう見ても自分よりダメなやつ」を最低一人は必要とするからである。

彼自身は今や私とすれ違ってもあいさつもしてくれないから人としてはどうかとは思うが、よほど我が部署での時間が苦しかったのかもしれない。
もし今の場所が少しでも我が部署より合うのなら、まだまだ未来のある若い彼のためにとっては間違いなくいい。
幼稚な行いに振り回されたことは多々あったし、プライベートで顔を見たいとは到底思えないとはいえ、職業人としていずれどこかで花が咲き自信を付けて毎日を送れるようになってほしいくらいのことは、一瞬でも一緒に仕事をした者として祈ってあげてもいいように思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分かれ道

2016-08-24 21:48:17 | 日記
お盆休みもあって感覚的にはアッという間に過ぎていくかに思えた8月は、今日24日夜の時点で「まだ一週間あるのか」と思うくらいに長く感じている。
あくまでも個人的な感じ方だが、休みが明けてから今日までの一週間あまりが異常に長い。
連日の猛暑を乗り切るのに神経を使っているからか、仕事に慣れてしまって刺激がなくなっているからか、たかが口パクアイドルのために月に4日5日は平気で会社を空ける人間にイライラするからか。
おそらくはどれも間違いではない。
しかし最も大きな要素は、プライベートで追い求めてきた「コレクション旅行」が相次いで完成して、達成感とともに若干の燃え尽き感が襲ってきていることだ。

幸か不幸か、40代半ばの現在に至るまで独りでお気楽な人生を送ってきてしまった。
お気楽な立場でなければ全県訪問や全競馬場踏破は成し得なかっただろうとは思うし、過去は変えることはできないからここまでの歩みにもちろん後悔はない。
ただ、旅に関しての次の目標がまだ定まってきていない現状はある。
一点集中の滞在リゾート型もいいし、宿泊施設にこだわってみるとか、ご当地の生活に触れる体験型のツアーに参加するとか、考えられることは山ほどある。
スポーツ観戦をからめて思い切って国外という手もある。
いずれにしろ今までとは違った内容の旅を志向していくことになるのは間違いなく、ある意味一つの節目の時期に来たと言える。
方向が定まれば行動も起こせるから、今週末あたりはノンビリを決めこんであれこれ思いを巡らすのもいいかもしれない。

節目というなら、これからも独りで生きていくのか、そうではない方向を考えるのかは年齢的にも分かれ道に来ているように感じる。
現実とは生活、生活とはお金、という視点で考えると、残念ながら誰かと一緒になって暮らしを立てていける自信は正直まったくない。
いつ爆発するか分からない体の問題もあり、あえて誰かに苦労をかけるという選択はあまりにも図々しくはないか。
大人になってから挫折の連続で、決して親の期待通りには育つことができなかった私、長い長い雌伏の果てに現在は細々とではあるが自立した生活を送ることができている。
一時のことを考えればここまで来れていることが奇跡であって、これ以上の何かを望むのはゼイタクな気もしている。
今は気を使って口うるさく言わなくなった親には悪いが、かろうじてでも今、故郷は離れたがとりあえず元気で生きていることで許してもらえないものか、と身勝手なことを考える夜であった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

避暑!

2016-08-21 22:21:31 | 旅行
少し早めの夏休みが終わり、今週は月曜から金曜までフルに出勤であった。
とはいえ、15日16日は世間様のほとんどはお休みで、長休明けならではのバタバタはなかった。
17日ともなると今度は世の中のほとんどがスタートし始め、水木金の3日間はあれこれと物事が集中して忙しかった。
残念ながらこういう週でも全員集合にならない日が出現して、それこそ出ている者が総出でカバーしないと回らない状態だった。
休む権利は各人あって誰も止めることはできないが、世の中が滑り出せば忙しいのが分かりきっているところにまるで考えが及ばないのは、職業人としてはいかがなものかと思う。

さて今週末はお盆期間の長い旅行の翌週で、本来ならゆっくりすればいいところ、今シーズンのダメ押しのごとく、ひと夏一度の「避暑」目的の遠出を実行した。
北海道は結果的に避暑にもなったものの、目的は競馬場2つプラス観光であった。
今回は、まず避暑をメインに考えて高い山に向かうことにしていた。

日程はこの土日の2日間で、初日は夕方までに長野県の駒ヶ根市に入ればいいという急がない旅。
道中では飯田市の天龍峡を観光。
つつじ橋という吊り橋がかかっていて、その付近の眺めは最高だった。
丈夫に見えるが、歩くとギシギシと揺れる。
橋の真下が見えないだけまだよかった。





駒ヶ根市に入ると夕立が降ってきたので、早めにJR駒ヶ根駅近くのホテルにチェックイン。
JR飯田線は、愛知に来たからには早いところ乗りつぶしておきたい長大ローカル線。



ホテルでひと寝入りしてから夕食へ。
駒ヶ根名物がソースかつ丼ということで、ホテル近くの、パンフレットにも紹介されていた店に行った。
公式(?)のソースはあるらしいのだが、その店は自家製のソースを使っているとのことだった。
舌が肥えていない私には細かいことはどうでもよく、大変おいしくいただいた。
ただ、老夫婦が切り盛りするお店、五千円札で勘定を払おうとしたら千円札のお釣りが切れていた。
そこで、千円未満の勘定をひとまず預け、私がいったん店を出て近くのスーパーで買い物をして五千円札を崩して千円札を作って再度店に戻って払うというドタバタ劇であった。
なかなかできない経験ができて、これはこれで楽しかった。

翌日は朝イチで駒ヶ根高原方面へ。
途中からは一般車両が入れないので、駐車場にクルマを預けて駒ケ岳ロープウェイ行きのバスに乗り込んだ。
厳しい道をバスは一生懸命に登り、ロープウェイの山麓駅であるしらび平へ。
そこから7分半で標高差950mを一気にカバー(これは日本一)して、これまた日本一高所(標高2,612m)の駅である千畳敷に到着。
目の前の景色(千畳敷カール)はまさに素晴らしいの一言、高山植物も多く咲き、1時間程度の散策も外気は気温20度を切っていて大変気持ちよかった。
今回は山歩きで終わったが、次回は装備をして山頂まで行ってみたいと思う。







たっぷり自然に触れた後にもかかわらず、午後からは森の中へ入った。





この写真だけでは分からないと思われるが、実はこの森はこの施設の敷地の中である。



おまけ程度で足を運んだつもりが、案内付きで工場見学までさせてもらい、敷地内も基本往来自由というのは何とも太っ腹、創業400年の企業の自信を垣間見た気がした。

ここまで動いてさすがに疲れたので帰りは中央自動車道へ。
厳しい地形を貫いて作られているからか、ところどころで流れが一定しないのは宿命かもしれない。
多治見から先がやや渋滞との報があり、多治見で下りてわざわざ川沿いの県道を流して自宅に帰った。

次の週末はさすがに外出の予定はない。
8月はずいぶんお金も使ってしまったので、しばらくは外出のペースを緩めて、やや慎ましい方向にリズムを戻したいと思っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月10日の行状

2016-08-18 19:35:51 | 旅行
旅の目的を順調にこなし、また長く追いかけてきた目標も果たして旅の最終日を迎えた。
門別競馬場でクジを引いてもらったノーザンホースパークの無料入場券があったから足を運ぼうかとも思った。
しかし千歳から富山に向かう飛行機は14時過ぎ、お盆に入る前とは言っても8月の北海道は混雑する。
楽しみは次回に回して、この日はかつて住んだこともある苫小牧市を散歩しようと考えた。
苫小牧まで来てしまえば新千歳空港にもだいぶ近い。
札幌からJRの快速と普通を乗り継いで、10時前にはJR苫小牧駅に着いた。



私が苫小牧にいたのははるか15年以上も前の話で、当時勤めていた会社の命により赴任することになった。
順調ならば3年から4年は北海道での生活が続くはずだったが、仕事や人間関係の悩みから、ものの半年もしないうちに人生で初めてのガス欠状態を経験することになった。
医師の診断をもらって2ヶ月ほど休んだ後に復帰したものの、同じ環境に戻ってまたぶり返してしまったため、結局会社そのものを辞めることになった。
そんな経緯があるから苫小牧にはあまり楽しい思い出はない。
それでも一度は生活の拠点を置いた場所、かつての職場も駅から徒歩圏内にあるし、時間的にも手頃、天気も上々ということで旅の最後は苫小牧で締めようという思いに至った。

最近書いている通り、今住んでいる愛知県春日井市と同じく苫小牧市にも王子製紙の大きな工場がある。
住居は駅からやや離れていたが、赤白の高い煙突を毎日見ながら過ごしていたことは確かである。





駅前や繁華街を一通り流して歩いてみて、変わったところ、変わっていないところ、それぞれあった。
かつての職場は店舗でもあるので中に入って遠目に眺めたら、昔一緒に働いた人の姿も複数あった。
15年以上の歳月は経っていても、一目見てすぐ分かるくらいに雰囲気は変わっていなかった。
店内は人も少なく話の一つもできないかとも思ったが、相手は仕事中だしこちらは1年も経たないうちにさしたる実績も残さずに辞めていった人間だ。
お互いにそれぞれの今を生きている以上、時計の針を過去には戻さずその場はそっと去るのが賢明だと思った。

やはり太平洋側、外気も涼しく快適な街歩きであった。
駅前から伸びる道路の真ん中までやってきたところで富山の実家から電話がかかってきた。
この日の飛行機で富山に帰ることは伝えてあったので、富山に着いてからの段取りを話した。
実家へのおみやげを駅前で買い、空港行きのバス停に着いた時、苫小牧に来てよかったと心から思え、旅の最後にすがすがしい気分になることができた。



空港行きのバスは、観光タイプの車両ではなくごく普通の路線バスで、地元の人たちの足も思い切り担いながら進んだ。
かつては直行に近いタイプもあったような気がしたが、記憶違いかもしれない。

新千歳空港は、8月でもあり特に手荷物を預ける窓口が混んでいた。
最近はアジアからの観光客も多く、残念ながら段取りがよろしくない向きもあり、必要以上に時間がかかっていた印象だ。
本来2階にある窓口がなかなか進まないため、係員に誘導されてあまり人がいない1階の団体カウンターを使って手荷物を預けた。

ここまで来ればあとは搭乗を待つのみである。
混雑もあって昼の食事を満足に取れなかったため、保安検査場を抜けた後の搭乗口内の売店で軽食を買って食べた。



定刻から10分ほど遅れて出発した飛行機は、富山に着く頃にはだいぶ遅れを取り戻した。
いよいよ窓から富山県内の風景が見えたので写真を一枚撮った。
中央に剱岳が入るようにしたつもりだが、遠すぎて最後の写真はデキの悪いものになった。



富山の風景が見えたら着陸はすぐである。
ほぼ定刻通り無事に富山に着き、楽しかった旅が終わった。
天気にも恵まれ、当初考えた予定はほぼ変更なく実行できた。
体が元気であればいろいろなことができる。
当たり前のようで当たり前ではないこの事実をあらためて噛みしめた4日間であった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月9日の行状

2016-08-17 21:25:59 | 旅行
札幌の夜を楽しんで眠りこけ、いよいよ門別競馬場へ行く日を迎えた。
しかし門別競馬もナイター開催のため、札幌発の無料バスは昼過ぎに出る。
午前中の自由な時間は札幌市内をぶらぶらと散歩することにした。

どうせなら今まで行ったことがないところへと思い、メインの訪問先は北海道大学のキャンパスにした。



何しろ広大なキャンパスなので、構内はクルマが頻繁に通る。
制限速度25km/hの標識やラウンドアバウト(ロータリー)がある大学はさすがに初めてで、画像の切り方によっては大学の中だとはすぐには分からないだろう。





ロータリーのそばにある、あの有名なクラーク博士の胸像。



敷地の西側奥にある、これまた有名なポプラ並木には多くの観光客がいた。
台風の被害を受けたりして一時はずいぶん荒廃したようだが、歴史的価値の観点から何とか存続させているという。



バスまではわずかに時間があったので、札幌駅の南側に回り、旧道庁(赤れんが)から大通、時計台と半分やっつけぎみに消化したら門別行きのバスの発車が近づいてきた。

札幌から門別競馬場までは距離にして80kmほどあるが、いちばん使い勝手がいいのが札幌駅北口から日に1本だけ出る無料バスである。
大きな街で言うと苫小牧がかなり近いのだが、門別競馬のための路線は用意されてなく、JR日高本線もいつぞやの高波の影響でバス代行区間があるなど大変に不便な状況で、アクセスとしてはほぼ一択であった。

札幌駅を出て約1時間半、右手に太平洋と牧場が見え始めて、14時頃に門別競馬場に着いた。
こじんまりとした入場口をくぐって、ついに国内全競馬場訪問達成となった。



帰りのバスは最終レース後にしか来ないので、この日は自動的に第1レースから最終レースまで戦うことを余儀なくされた。
無理をして全レース馬券を買わなくてもいいわけだが、せっかく最後にやってきた競馬場なので、少額ずつでも全レース楽しむと腹をくくった。
とはいえ、15時過ぎの第1レースの発走まで時間があったので、帯広同様に場内の写真を撮って回った。







日が暮れて夜になると、馬の姿もナイター照明に映えてキレイである。
輪乗りの様子とスターターは、ややズームをきかせたのでうまく撮れているかどうか。





馬券の方は、第2レースの大ヒットのおかげで「勝ち逃げ」を計算しながら楽しめた。
最後の方はだいぶプラス分が減ってしまったが、帯広と通算してわずかの負けで済んだので御の字だ。
ちなみに、最終レースには「フリオーソ賞」の名前が付いていた。
現役時代は2000mを中心に活躍、船橋所属ながら中央馬相手にも互角に戦い、G1競走を6勝もした名馬である。
長い競馬歴の中で応援した馬となると彼が最右翼ではなかろうかと思うくらいの馬の名前を冠したレースがある日と、私の競馬場コレクションの最終局面が重なったのも、これ以上ない幸運な巡り合わせであったと思う。

帰りはまたバスに揺られて1時間半、札幌のホテルに着いたのは22時半くらいであったから、飲みや遊びには出ず旅行の最終日に備えることにした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月8日の行状

2016-08-16 20:02:50 | 旅行
長い夏休み、わが職場でも多くの人が遠出をして楽しんだようだ。
中にはアジアや欧州など海外に出た人もある。
私は海外の経験が少ないから、おみやげ話は純粋に興味を持てたし聞いていても楽しかった。
そんな中、近い時期に北海道を訪れた某氏は、氏が行った札幌駅のJRタワーや時計台の内部に私が行かなかったと聞いて「ヨシ」と小さく言った。
自分が行ったところに他人が行かなかったからといって「勝ち」ではないとは以前に書いたが、氏にとっては勝ちになるらしい。
氏が海外旅行組の楽しい話を聞く輪に入らなかったのは、「海外>国内」という根拠のない劣等感の表れであったろう。
海外のことを知りたいなら、いつも顔を見ている職場の仲間だし、話を聞いて少しでも勉強すればいい。
この鼻持ちならないプライドの高さはどこから来るのだろう。

さて、8月8日。
帯広が競馬場だけで終わってしまうのもどうかと思い、路線バスに乗って帯広市の南部、旧国鉄広尾線幸福駅の跡地に作られた幸福交通公園に行ってみた。



成り立ちは看板の説明書き通りなので繰り返さないが、北海道には北陸からの入植者が多いことは間違いない。
旧広尾線には「愛国」という駅も存在したため、現在は全国各地にある「恋人の聖地」にも認定されている。
線路が通っていた場所だから、使われていた車両も展示してあった。(二枚目は車内)





幸福駅の駅舎は、写真のように外も中も願い事の紙でビッシリ埋め尽くされていた。
中には「◯◯くんとヨリを戻せますように」という切実なものもあった。
おみやげ屋さんでは、鉄道跡地らしく日付入りの切符を売っていたので、御守り代わりに買ってきた。





幸福近辺は帯広市の南の端で、南にもう数キロ走れば中札内村に入る場所だ。
周辺は畑と真っ直ぐに伸びる道路という、北海道らしい風景があった。



時間の都合で愛国駅はあきらめて帯広駅へ戻り、札幌行きの特急に乗り込んだ。
今度は遅れもなく順調、16時前には札幌駅に着いた。
今回お世話になった283系気動車。



夜を楽しめるのは実質この日くらいだったため、少し遅めではあったが札幌市の真ん中へ出て行った。
普段ロクな食事もしておらず、とある居酒屋に入って厚みたっぷりの銀ムツなど、通常はなかなか食べないようなものを満喫した。
食事の後にフラフラとすすきのを歩いていたら、あるスポーツをコンセプトにしたバーに誘われたので入り、しばし五輪やアメフトなどスポーツネタを話題に楽しく過ごした。
まったくの偶然だが、お相手が私と同じバドミントン経験者で、そちら方面の話でも盛り上がった。

地下鉄がなくなりそうになったのでお店を出て、あまりにも有名なすすきの交差点を撮影。
やはり酔っていると写真も失敗する。
ニッカのおじさんの顔が時計に隠れてしまった。
すすきのの夜、ただ一つ悔いが残ったのがこの写真であった。



次の日は午前に札幌中心部を散歩、午後は無料バスで一路門別競馬場の予定。
競馬場コレクションの旅もいよいよ終わりに近づいてきた高揚感は、お酒の力にアッサリと負けてしまい、横になったらあっという間に眠りについてしまったのであった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月7日の行状

2016-08-15 19:47:16 | 旅行
旅行の初日である8月7日は、中部空港を昼前に出るというスケジュールだった。
夕方までに帯広にたどり着き、ナイター開催のばんえい競馬に間に合えばそれでよかった。

飛行機は定刻よりも早く着き、予定の列車までは時間があったから食事を軽くとるなど余裕を持って行動できた。
新千歳空港駅を出て、となりの南千歳駅で特急に乗り換えるためホームに下りたら、千歳基地での航空祭を見に来たお客さんで狭いホームがごった返していた。
特急停車駅とはいえホームで人があふれるほどになっているのは見たことがなく、場内のアナウンスもしつこいくらいにかかっていた。

その中で、私が乗る帯広方面の特急が定刻には来ないこともアナウンスされた。
途中駅で機器を点検したため遅れが出ているという。
一時期は事故が頻発して悪い話題を提供してしまったJR北海道だが、まさかいきなり自分が当事者になるとは思わなかった。
致命的ではなかったものの、道中では再度機器の点検のため長時間停車し、帯広には20分ほど遅れて着いた。



宿泊先から見た帯広市内の様子。
真下には道民御用達のコンビニであるセイコーマート(略称セコマ)があった。
遠くにはなぜか「長崎屋」の看板、富山から撤退したのはもう20年くらい前だろうか。



帯広競馬場には路線バスが出ているが、特急の遅れが影響して予定のバスに乗ることができず、仕方なくタクシーを使った。
この日は市内は七夕まつり、その翌週には平原まつりというのがあって、8月は祭りのシーズンだと運転手さんが教えてくれた。

さて、ようやく帯広競馬場に着いたのでまずは場内の写真を撮って回った。





ばんえい競馬は、サラブレッドの倍くらいの体重がある馬が、騎手が乗ったソリを引っ張って順位を競う。
道内にはかつて岩見沢、旭川、北見といった競馬場があったがいずれも廃止となり、今は文字どおり世界でただ一ヶ所、帯広でばんえい競馬が行われている。





200mのコースの間に坂越えが二ヶ所あって、第二障害が最大の勝負どころとなる。
写真で見てもかなりの急勾配だから、馬も騎手も大変だ。
見る方とすれば、平地の競馬と比べて馬がゆっくり動くので、馬と一緒にコースの前を歩きながら応援できるのは最大の魅力だろう。



夜にはコース全体がライトアップされて、なかなかキレイだった。



この日の第10レースでは、断然の1番人気馬が第二障害を越えられず座り込んでしまい、人気を裏切った騎手がさんざんヤジを浴びていた。
それも含めて馬券のほうはパッとせずホロ苦い訪問とはなったが、いよいよこの時点で全競馬場踏破まであと一つとなった。
ホテルのすぐ近くには飲み屋街も見えたが、移動続きで疲れもあったので、翌日の市内観光及び札幌への移動に備えて早めに休んだのであった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする