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筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

被害者→加害者

2025-02-26 22:41:00 | 日記

今の現場を仕切っているのは年の頃で言えば40になっているかいないかくらいの男性である。

我が社は現場をいくつか持っており、当人は数ヶ月は別の現場にいたらしい。

今私がいる現場を守ってきた某氏と当人がある日ケンカになって、結果某氏が他の現場へ動いて当人が戻ってきたということらしい。

当人は某氏のパワハラにずいぶん苦しんでいたらしく、そこは会社も把握済みであったから、動かされたのは加害者である某氏の方となった。

私は某氏とからむことなく来たので実際にどれほどひどかったのかは知らない。

被害者である当人は当然ながら某氏のことは時たま話題にしていたから、それはそれでお気の毒ではあったろう。

 

さて、パワハラの被害に遭った人物はその気持ちや痛みが分かるから決してパワハラなどはしないかと言われれば実はそうでもない。

自らがつらい思いをしたから他人にはつらい思いはさせたくないと考えられる人の割合は意外に小さい。

かつて自分が受けた苦痛は心の傷として残したまま、その葛藤をどこかで消化しようとなぜかパワハラ行為に及ぶ向きはけっこういる。

前職で、事務方にいて役員クラスからかなりのパワハラを受けたため現場勤務に移ったが、その本人が新しく入ってくる仲間をことごとくパワハラしてつぶしてしまっていたというのが例としてある。

 

現在はどうかと言えば、かつてパワハラで苦しんだはずの当人があろうことか私を相手にパワハラ行為をしている。

まだ慣れるには程遠い段階の人間の努力など一顧だにせず、ダメなところだけあげつらって明らかにバカにしたり見下ろしたりアオり立てたりを繰り返してきた。

自分が教えて私ができるようになったことは無視して、ほんの些細な不足ばかりをオオゴトのように騒ぎ立てるだけではさすがにこちらのやる気は低下する。

どうにも程度が過ぎたので会社の代表者に電話で相談し、下に付いた者にしか分からない当人の態度については理解してもらえたようである。

上や強い立場の人にはワザとらしいくらいに腰が低いためか、代表者も私の話に驚いているようだった。

 

私と代表者との話は今日になって当人に伝わったようである。

会社の中で情報として受け入れられたということは、当人はパワハラ加害者として正式に認知されたということである。

彼にしてみれば、今後の人生は「パワハラ加害者」の汚名を背負い続けることになったわけで誠にお気の毒というほかはない。

今後私の身の振り方も含めて何らかの答えが出るが、おそらく彼自身の考えよりは重いことになる。

仲間でいられるはずだった人間をつぶして無傷でいられるほど人の世は甘くはできていないのである。


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人の道を知らずに生きてきた

2025-02-07 23:20:50 | 日記

新しい環境に変わっての本スタートである一週間を終えた。

通常運転であれば金曜日がいちばん忙しいと聞いていて、実際に月~木は待機時間が多くて退屈なくらいだったがさすがに今日は朝から終わりまで常に動いている状態だった。

研修期間が10日ほどあったおかげで今週は少しずつ仕事の流れに乗ることができるようになった。

 

さて、何とか一週間乗り切ってホッとしているところ、現場を手伝ってくれる元請側の社員さんから怒られた。

トラックへの積込作業は屋外だが、最後の車両の時は雪が激しく降っていた。

微妙な塩梅でトラックのアオリが閉まらないところを現場の偉いさんも外に出て懸命に人力で押して一件落着という場面をただ見ていたことをキツく注意された。

「偉い人も外に出てるのに、雇われてるんだから手伝いに行かないと、やらないと」ということで、さすがに言葉を返すことはできず恐縮するばかりであった。

 

このことひとつだけなら特別落ち込むこともなく、次に生かすだけの話かもしれない。

しかし、この出来事ひとつでなぜ私が「ジョブホッパー」として歩んできてしまったかが分かった。

上司や先輩同僚といった他人を信頼してその評価を積み重ねながら働いていくという、雇われ人としてやっていくには避けられない仕事以前の「人の道」的なところを学ばないまま生きてきてしまったからではないのかと。

職業人は他人の評価が全てであり、どんなにムチャな指示でもいったんは受け止めないことにはほどなく仕事場を追われることになる。

仕事以前の部分を外していくらアクセク動いたところでそんなものはただの自分勝手であって組織の一員としては失格であろう。

 

それにしてももういい加減な年齢になっていまだに他人の感情の機微もつかめず、どう動いても周りを怒らせるばかりの人間がそれを矯正できるのかといえば正直無理だろうと思う。

そういったことは幼少期から家庭や学校の中で、少なくとも社会に出る前の段階で身に着けておかなければいけなかったが悔やんだところで遅すぎる。

紆余曲折の末に何とか毎日苦にならない「職種」に巡り合うことはできたが、雇われて働く上でぶつかる壁に今も見事にぶつかってしまった格好である。

 

では、他人の気持ちが分からなくて永遠に評価されない人間がこの先は生きていってはいけないのかと言えばそれは違うと思いたいし、少なくとも自ら前途を絶つことだけはしたくない。

恐らくは根本的には解決しない問題を抱えていても、生きることそのものをあきらめたくはない。

目の前の生活に気を取られて安易な道を選び結局挫折の繰り返しになるくらいなら違った方向を模索する時期に来たのではないかとも思う。

今日の今日、雇われ人として生きる根幹の部分の不備を指摘されるに至ったからといってこの先の人生が閉ざされるわけではない。

今日のことは今後の人生にとっての良き知らせだと考えたい。

まずは、人から言われなくても自然にできることの中から手掛かりを探っていこう。


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見切り千両

2025-01-17 20:18:01 | 日記

タイトルは例月の通院で先生から聞いたもので、もともとは投資の言葉らしい。

言い回しとしては「見切り千両、損切り万両」ということのようだ。

どうやっても良くなる要素がない状況にしがみついて再起不能になるほどの痛手を負うのではなく思い切ってサッサと離れたことがよい、という意味合いだと思って聞いていた。

 

以前から書いている通り、昨年は思いがけず突然に担当職務を外される憂き目に遭った。

せっかく保っていた体調も一発で崩れてその後は仕事には出られないどころかロクに動くこともできなくなり仕事そのものからも離れざるを得なかった。

徹底的に休養して健康と言える状態は何とか回復したが、具体的な目標や張り合いがないまま年をまたぐことになった。

気持ちが落ちて何もかもが面倒くさい状態から何とか脱して外にもひんぱんに出られるようになったことは喜ばしいことには違いないが、やはり社会と離れている期間は漠然とした不安は常にある。

前職にあるうちは心がけて遊びを減らしお金を蓄える方向で行動していたのは今となっては良かったと思うが、だからと言って何も行動を起こさなければせっかく積み上げた貯蓄も減る一方となるからだ。

 

この年末年始は世の中のほとんどは9連休で、年始は1月6日からというところが多かった。

5日までは何も考えず、しかし6日以降は動かなくてはどうしようもないので世の中の動き出しと時を同じくして動き出した。

自分なりに最善を尽くして取れるだけの情報を取っていく中で、やはりいわゆる「黒い」ところには引っ掛かりたくないと思った。

仕事はどこに行っても甘くないのは承知の上、しかし長続きするには条件は大事、例えば年間休日が100日を切るようなところはまず避けるようにした。(本来の法定ギリは105日らしい…)

そんな中でたまたま最初に応募したところが書類審査を通って面接となり、数日後にはご縁をいただけるという知らせを受け取ることができた。

年齢的にも何十社も応募してそれでも…の苦しい苦しい時間を覚悟していたものが、今回は活動をたった一社で終わらせることができてありがたい限りである。

 

実際には始まってみないと分からないことも多いのだとは思うが、前職を離れたことが本当に見切り千両であったとなるようにしたい。

今年はいい年になるよ、とも言ってくれた先生に次回はいい報告ができるだろう。


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遅まきながら

2025-01-07 20:31:13 | 日記

新年あけましておめでとうございます。

本年も当ブログをよろしくお願いいたします。

 

世の中的には昨年のようないきなりの大災害はないが、個人のレベルでは火事や交通事故など年明け早々つらい思いに遭われた方々もいる。

ニュースとしては一瞬だけ伝えられて終わりの事柄であっても当事者にとっては大変なこと、本年が多難な船出となった方々の今後の幸せを祈らずにはいられない。

 

さて私はと言えば、一時はドン底に落ちてしまった体調を回復させるのに年の終わりの実質ひと月半ほどを使うことになってしまった。

なるべく余計なことは考えず徹底的に休んだことで何とか健康と言える状態で年を越し、正月は実家に通常通り顔を出して初詣にも一緒に行くことができた。

仕事の場から離れてしまっていることには当然不安もあるが、今の段階では普通に動ける体に戻ってきたことを喜びたい。

世の中の動き出しはおおむね6日ということを踏まえ、それに合わせて活動を開始しようと思い実際に動くこともできている。

平坦な道ではないかもしれないが、動ける体にせっかく戻ったので早いうちによいご縁をいただいてまた元気に活躍したいものである。


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あっという間だった

2024-12-12 21:50:32 | 日記

私が前職を離れてから早いものでひと月が過ぎた。

離れた直後は心身のダメージも大きく一時は食欲も落ちるありさまで、何かをやる気も起きずただただ時間を浪費するばかりであった。

何かをしようにも体がついてこないことにはどうしようもない。

それまでこなしていた仕事がある日突然なくなって、張り詰めていたものがあまりにも急に切れてしまった反動はそれほどまでに大きかった。

有給休暇がけっこうな日数残っていたので退職日は11月30日とキリよいところとし、手続きは月が明けてすぐに終わらせてきた。

当事者からすれば不本意そのものと言っていい出来事を受け入れた末の手続きの最中、実質の経営者からかけられた言葉は「精神的にやられたか?」というものだった。

突然仕事を奪われ職場を追い出された人間が精神的に痛手を負っていないはずなどなく、むしろ言葉など何もない方が良かったと思える。

従業員はあくまでも使えるうちは使い倒し、使えなくなればポイ捨てという体質の企業から抜け出せたことでヨシとするしかない。

アカの他人となった今、売上の大黒柱を失った企業がこの先どこまで粘れるか、生ぬるい視線を送るよりない。

月が明けてからはようやく疲れも取れてきて、ただただ寝てばかりの毎日からは脱しつつある。

今週に入ってからは何がしか用事があって必ず外に出る機会もあり、ある程度の時間は外で過ごしても大丈夫になってきた。

まだ全てではないにしろ、今のところはやるべき手続きにやり残しはない。

一日一日、しっかり食べてしっかり休息し少しは外にも出る。

今後のことはもちろん気にはなるが、まずはひとりの元気な人間に戻ることを優先したい。

時間はけっこう食ったがずいぶんいいところまで戻ってこれたので、日々少しずつでも万全に近づけるように過ごしていきたい。


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答え合わせ

2024-11-12 14:40:07 | 日記

11月11日、いつものように職場に行き朝礼の時間を迎えた。

そこで現場のリーダー氏から突然告げられたのは、先週まで私がやってきた担当を今日から廃止という提案だった。

事実上のひとり部署になっていたことで私と他メンバーとの溝がどうたらこうたらと説明があり、表向きは誰もがどこのパートに行っても回るようにするという建設的な提案に見えた。

しかし話としては、私が何かと現場リーダー氏を無視して事を進めているのではないか、それは許さないとでも言うような、ひたすら責められるような中身で、週の初めから全員の前で吊るし上げにされることになった。

 

朝礼がハケて仕事に入ろうとしたが、先週までやってきた仕事には全く触らせてもらえず、仕事はすべてリーダー氏が指示するからということで一日が始まった。

いくら何でもある日突然仕事を取り上げられて面白いはずはなく、お互いに感情的に高ぶってもおり一時は言い合いから軍事衝突寸前にまでなった。

いったん互いに感情をおさめ、互いの目を見ながら話す中で注目すべき一言があった。

リーダー氏自ら「正直、自分も(私が)苦手で避け気味だった」と。

その上で「(これからメンバーが離ればなれになるので)自分と同じ職場を希望するなら言うことを聞いてほしい」ということであった。

 

これを美しい話で終わらせるつもりは毛頭ない。

過去の記事を読んでいただければ分かるが、どうもある時期から私をなるべく関わらせない形で現場を回そうとしているのではないかという推測が出てくるはずで、当人がそれを裏付ける発言を自ら行ったことになる。

こちらは避けられているのではないかと疑心暗鬼となっており、当人は当人で実際に私を避けて仕事を進めていたというなら、最近のコミュニケーション上の不足や食い違いは「私だけの責任ではなかった」のである。

そこを朝礼では言わないで私は朝礼で吊るし上げに遭い、しかし私個人には事後に告白するという後出しジャンケンも甚だしい言動にはもはや返す言葉もない。

 

会社から命を受け絶対的な権限を持って長年現場を采配し、作業レベルとしても誰がどう見ても群を抜く存在であり、私自身も、直接の会話は少ないながら尊敬もしお手本にしてきたと言ってもいい当人なら誰に対しても自信を持って接することができるはずで、苦手で避け気味になる部下など本来は存在しない。

苦手というのはあくまで方便、要は「自ら叩く必要に迫られた」ということではないだろうか。

これまでは、当人と年代のよく似たパワハラ気質の人物(これとて事務職で入社したものの上席者の指導に耐えられず現場にやってきてなぜか現場でパワハラをしている)が、ある程度の技量を持って入ってきた人物をことごとく攻撃することで排除してきた歴史がある。

リーダー氏は「口が悪い」で片付けてはいるが、いまだにそのような人物に大した注意や警告もせず放置しているのは、「自らが手を下さずして台頭する人物を排撃してくれていた」からではないのか。

 

我が社は近日中に一部を他社に売り渡すことが決まっている。

会社が変わればこれまでの従業員など全員クビ、も考えられた中で、事業の継続性を重視して希望する従業員は移籍により引き続き同じ仕事に従事できるというある意味大甘の条件が示されている。

さりとて、今の会社で長年にわたり揺るぎない地位を得ていた当人にとっても、会社がまるごと変わってしまえばどこまでこれまでの優位性を保てるかは分からない。

新会社の判断ひとつでこれまでの関係性が逆転する可能性も全くのゼロではないところで、先手を打って苦手(=私)を排除しておく策に出たのではないだろうか。

 

上記が、とりわけ10月以降の我が職場での私を取り巻く事象の答え合わせとなる。

直接の指示者であるリーダー氏自らの発言も踏まえてのものだから、単なる憶測にとどまるものではない。

つまるところは、空気を変えそうな人間は手段を選ばず排除するというのがこれまでの我が現場、ということであり、長くいる人間はたかが新人を集団リンチにかけてでもその空気を守りたいということである。

私は、周りにとってはうるさい話も多々してきたし、出る杭であったというなら今回ことわざ通り見事に打たれたことになる。

打たれて先どうするかは分からないが、少なくとも移籍によって今通っている職場で仕事をし続ける選択肢はなくした。

我が社で存続する部門に身を置くか、それとも我が社にすら別れを告げ全く別の道に進むのか。

労働者の権利(有休)を使って数日職場とは距離を取った今、じっくりと考えてみようと思う。


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ついにバレた

2024-11-09 21:09:06 | 日記

※一部脚色につきフィクションとしてお読みください。

 

我が社は現場をいくつか持っていて、日頃はメンバーはそれぞれに分かれて作業をしている。

本日は土曜日で某現場のメンバーが休みとなっていて、いつも仕事をしている本現場に出社早々、そちらに向かってほしいとのお達しがあった。

メンバーの休みくらい事前に把握できていそうなものだが、今日の今日、しかも今すぐという話は全く予想外のことでさすがに当惑した。

積み込み先の車両は先に着いて待っているだろうとのことで、一も二もなく会社の車でそちらに向かった。

 

車両は案の定先に着いていて荷物の段取りも含めてずいぶんお待たせすることになったが、何とか無事にお役目を果たして午後の早いうちには再び本現場に戻ることができた。

すると、日ごろ私が作業をしているエリアが大量の入荷物で「侵犯」されていて、土曜当番の他のメンバーが運搬しているさなかであった。

ハケてしまわないとこちらの残務が片付かないので手伝いに入ろうとすると「ジャマだから入るな」と言われるので後はホッタラカシにしていたが、これがまあ遅い遅い。

いつまで経っても荷物はハケずこちらは待ちぼうけを食らうばかりであった。

 

恐らくは私が朝一番から別の現場に行ってしまったので夕方まで帰ってこないだろうとタカをくくって私の作業エリアに大量に並べておいたものが、私が案外早く戻ってきたので大あわてで片付けだしたというのが真相だろう。

しかし、入るなとまで言われてなお手伝いに入るほど私もお人好しではないので現場の床掃除などをして時間をつぶしていた。

ここ数回はいつもそうなのだが、大して忙しくもないこの土曜日に定時ギリギリまで作業をして、結局定時には終わったもののやりたいことを最後まで終わらせたようには見えず、定時が来てしまったから仕方なく終わったように見えた。

 

あまりにも愚かだと思うのは、手伝いに入れる人間がひとりいるのにそれをあえてハブって、結局作業が定時に間に合わなかったことだ。

態度だけは大型新人である私がさぞかし煙たいだろうことは承知の上だが、いざ完全に私にバックレられてしまえば全く大したことのない土曜の仕事さえ時間内に終わらせられない。

つまらない意地を張ったところで、ひとりをハブって仕事を回せるほどの能力はないことが完全にバレたのである。

 

こんなメンバーでももう一方の班よりははるかにマシという状況では、これからやってくる「黒船」(我が社は近日に部門譲渡されることが決まっているのでその譲渡先のこと)にはとても対抗できない。

ザイゴ(田舎)の中小に長年いて染みついたナアナアの風情のままでは、東証プライム上場企業を親に持つ会社のやり方には絶対についていけないと断言する。

もとより経営者の変更となれば、受け入れ会社側は自社の精鋭を送り込んで「従来の従業員など全員即刻クビ」が当たり前であるところ、事業の継続性を重んじてあえて私を含めた従来のメンバーを「事情を分かっているから」ということで受け入れるという大甘の提案をしてくれている。

そのありがたみを全く分かっていないように映るのは同じ現場のひとりとして甚だ残念と言わざるを得ない。

 

一定の期間、食い扶持を稼がせてもらったことには感謝できても、我が社がいかなるものであったかは十分に身に染みたし、恐らく事態が落ち着くまでにはもうひとふた波乱はある。

いかに他社との係争が原因とは言っても、現役の管理職が一時的とはいえ身柄拘束などということがあった会社はさすがに初めてである。

もう間もなくすれば、いかにも素性の悪そうなギラギラの装飾を施した庸車が出入りすることはなくなり、銭湯お断り系の絶対に半そでにはなれない人間の出入りもなくなる。

そんな文化はまっぴらゴメンであり、それ系のものに触れることが今後なくなっていくとすれば私個人としては非常にいい流れが来ていると言えるのだろう。


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格の違い

2024-11-07 20:23:15 | 日記

注目の米国大統領選挙はトランプ氏の圧勝に終わった。

我が国の報道を見れば接戦かハリス氏有利との言説ばかりで、選挙が終わった今となっては各局こぞって見苦しいばかりの言い訳・負け惜しみ大会となっており、米国本国同様に我が国のメディアも「青組」(民主党寄り)であったことが一般レベルでとうとうバレてしまった。

当たり障りのない話題はともかくも、今後はメディアの言うことをそのまま受け取る愚というものが周知されていくだろうし、米国国民が今回はメディアに騙されなかったという意味でまさしく画期的なことではあったろう。

 

勝敗ということで言えばトランプ氏の強さというよりはハリス氏が弱すぎたことも大きく作用したものと思う。

現職の副大統領として、大統領であるバイデン氏が早い時期から何かとおぼつかない状態(かなり言葉を選んでおります)となって存在感を示す時間はたっぷりとあったはずが、それを実現させる能力や知性が根本的に足らなかったということに尽きる。

前大統領として4年間の実務経験に加えカリスマ性もあるトランプ氏とは格の違いがあったと言わざるを得ない。

 

格という字を使った言葉には格式だとか合格だとか性格だとかいろいろある。

格式などと言うと由緒正しい家柄にでも生まれなければ備わらないようにも思えるが、エエトコの子に生まれなくても「品格」くらいは持ち合わせることはできるだろう。

さほど裕福ではなくとも、言うほどの地位や名誉に浴していなくとも、日々の心持ちを清く保ち、時にはつらい経験ですら力に変えていくような生き方をしていれば自ずと品格はにじみ出てくるものである。

本人があえて言葉にはしなくとも、品格もしくは気品のたぐいは当然他人にも分かる。

卑しい品格しかない者は気品ある者を勝手に憎み始めその人を攻撃するかひたすら無視するしかなくなって余計に卑しくなるばかりである。

いかに財産を人さまよりひと桁ふた桁多く持っていようと、本人の口から「世の中カネよ」などという言葉が出てしまう向きは、品格などカケラもないただの俗物と言わざるを得ずマトモに相手をするべき対象ではない。

 

我が社のようなごくごく小さな環境にあっても人によっての品格の差は歴然としてある。

品格のない者はとにかく何をやらせてもダメか全く大したことがないばかりか、本人には自信もないのでやたらに他人にマウントを取ろうとすることでしか存在を示すことができない。

人生の中で品格を磨く訓練を全くしていないからそうなるので、何十年生きてこようと努力してこなかったのだから身についているわけがない。

ただただその日その日を食べたいだけ食べ遊びたいだけ遊び飲みたいだけ飲んで寝たいだけ寝てと、ひたすら怠惰に生きてしまえば品など備わるはずはない。

 

たとえ下品な話題でも言葉づかいひとつで上品とまではいかなくてもクスッと笑ってもらえる話くらいにはできる。

品のない人間はいわゆるオブラートに包むということができないので下品な話はそのままド直球の下品な話になる。

オブラートに包める包めないは語彙力の問題であって、言葉の選択肢が乏しい者にいくらそれを言ってもムダであるから、要は人生でいかに学んだかが品性に直結すると結論づけていいのだと思う。


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一家ちりぢりの責任は?

2024-11-01 20:36:15 | 日記

※一部脚色しておりますのでフィクションとしてお読みください。

 

改まって全員が集められた会議の中身は驚くべきものだった。

売り上げの大方を占める取引が解消される方向となり、当該取引に関係する部署が他社に売られるという。

会社は残りの取引を続けながら存続するが、当該取引にかかわる仕事をしている社員はすでに決まっている受け入れ先への移籍を基本線として話が進んでいる。

詳細その他については未定の部分も多く、受け入れ先からの説明と個別面談の機会は後日用意されているとのこと。

 

そもそもの話として、規模はどうあれ取引先からの信用が盤石なものであったならば「切り売り」の決断をさせられるには至らない。

入社して長いとは言えない私はどういった状況がそうさせたのか、断片的に耳には入るものの正直言って分からない。

長らく、とある会社と何やら係争中という話だけは知っていても中身までは知らない。

ただ、取引先にとっては大切な商品の管理上看過できない事態が起きていて、残念ながら今後全幅の信頼は置きづらいという意思表示があったものと思われる。

 

話だけ聞けば、非は我が社よりも係争先の方にかなりのものがあるらしいが、とにかく中身はよほど詳細に聞かないと分からないし今さら聞く気もないから何とも言えない。

ただ、そういうアクドイ(?)先に何かのキッカケで引っ掛かってしまい、最終的に会社規模の縮小に至った結果責任は我が社の経営サイドには当然ながらある。

経営にとっては小さくなっても会社がなくならずとにかく続けばいいという話かもしれないが、一般の社員は今回の事態により引き裂かれてしまう。

売られる部門の社員は手続きが整いしだい我が社のロゴが入った作業服を脱ぎ、新会社の真新しい作業服で日々を送ることになる一方、存続する部門は当然ながら今まで通りである。

毎日朝礼で輪になっている社員がふたつの会社に分かれていくこと、また毎朝指示を出している上席者も手続き完了の折にはアカの他人になってしまうことには「やりきれない」という思いしかない。

 

私自身はわずか一年と数か月という短い期間とはいえ身に余る仕事をいただき食べさせてもらってきた会社に感謝の気持ちは当然ある。

私にとっては前職でお世話になった「恩人」を追いかける形で応募し幸運にもご縁をいただくことができ、当初は陰惨なイジメにも遭いながら何とか乗り越えて今日までやってこれた。

同時に、事の経緯が見えてくるにつれて怒りのような感情も湧いてくる。

生活の糧をいただいてきたことに感謝こそできても、実態が「信頼にまでは値しない」会社であったとなると何とも表現のしようがない感情に襲われる。

良く言えば細かくない、悪く言えばルールらしいルールがない、何かにつけアイマイな部分をはらんだまま日々が流れていたことは私にとっては結構なストレス要因となっていた。

私は今の勤務地から言って「移籍組」になることが濃厚なので、アバウトそのものと言っていいガバナンスが多少は良い方向に行くことは期待している。

もっと言えば、しっかりとしたルールにのっとって運営される環境を切望していた部分もあるから、個人としては今回の事態はむしろ歓迎すべきことなのだろう。

受け入れ先からの説明はまだだが、調べる限りでは「格が違う」くらいの印象はありガバナンスに関してはほぼ心配はないのではないか。

 

今回のように会社が割れてしまう事態というのは長らく社会人をやってきた中でも初めてのことだ。

ただ、若い頃は僭越ながら企業(財務)分析も担当していた関係で、企業というものを俯瞰的客観的に見る目も多少は残っている。

企業に何らかの変化が起こる時に共通した「兆し」が今回も見られたことを記して記事を閉じることにする。


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口が軽いのは

2024-10-30 19:09:58 | 日記

全員が輪になる機会は毎日の朝礼くらいしかない我が社で珍しく終礼なるものがあった。

文字通り珍しいことで対象者も全員、しかも本来であれば夕方前に帰宅するメンバーもということで「イヤな予感」はした。

果たして中身は予感をはるかに超える重いものであったため詳しくは書くことはできない。

我が社の中だけで済む問題ではないことがその理由である。

ただ一つ言えるのは、我が社の日頃のガバナンスの積み重ねが招いた事態であること、それだけである。

 

あくまで一般論として書くが、経営サイドから「もうひと踏ん張り」とか「今少しの辛抱」などという言葉が出る時はその後高い確率でしぼんでいくかひどい時は終わる。

こういう言葉が出る時点ですでに解決しようがない問題を抱えていることが多い。

技術論ではなく精神論を言うしかない組織はその時点でかなり弱っているということである。

 

私個人に落とせば今後に関して困ったなと思う要素は今のところはない。

今のところはと書いたのは、これまでとはわずかながら変化が見込まれる中でそのわずかが納得できるものになるかどうかが分からないからだ。

望めば同じ場所で同じ仕事を続けていけるようではあり、その基本線上にある限りは受け入れられないことはないだろう。

 

果たして大変に大きな話が飛び出したのち、メンバー間ではやはり話題にはならざるを得ない。

ところが、世の中にはオシャベリという困った種類がいて、私は目撃していないが出入りの業者さんにもペラペラと話していたという。

それを察した上の人が事務所から飛び出してきたというからいかに軽々しく扱ってはいけない話かということなのだが、こういう、煮ても焼いても食えない人物もいるのが残念ながら我が社である。

もっとも会議の中身は「決して口外はしないように」と解散前にクギを刺しておけば済んでいたこと、このあたりも含めた会社としてのワキの甘さが多方面で災いしたことは否定できないと思う。

 

ガバナンスという言葉を出したが、今後はそのあたりが改善する可能性はある。

いい意味で常識にかかった、今よりは厳しく見えても実はそれは当たり前、くらいのガバナンスになるなら私にとっては願ったりかなったりである。

幸いにしてまだ我が社での時間が短いこともあり、私自身はよからぬ習慣に染まっていない自負はある。

むしろ、これまでのユルユルのガバナンスから多少変わって「ついていけない」者が出る可能性はある。

ぬるま湯につかり切っていた人間が淘汰されていくにはいいタイミングなのかもしれない。

 

今のところは「方向」が示されているだけであり、何かを考えるにもこれからと言うしかない状況ではあるが、少なくとも「悪い」ということは全くないので、今後も変わらず日々を誠実に乗り越えていきたいと思う。


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