blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

家庭ゴミ、とな。

2024-07-10 21:08:58 | 日記

今週は早出の週ではないので8時半がスタートである。

職場と自宅ではやや距離があるので渋滞も加味して早めに出発して8時過ぎに着けたらOKだ。

クルマで一服して始業20分前くらいには会社に入る。

タイムカード上で遅刻でなければいいとばかりに5分前くらいに来る人間もいるが、そこまでギリギリというのは性に合わない。

その日の諸々の段取りを整理して缶コーヒーを一杯のルーティンをしていたら15分くらいはあっという間に過ぎるからだ。

 

さて、同じ時間帯にやってきた某氏はクルマからレジ袋に入った何かを持って出てきた。

ひと目で家庭ゴミというのは明らかで、ご丁寧に会社のゴミ袋に分別しながら捨てているのを見た。

家庭ゴミを会社に持ってくる人間はほかの会社でもいたし珍しくはないが、住んでいる地域のゴミ出し日を把握していないか、していても面倒くさいから会社で捨てればいいやのどちらかだろう。

少し前には別の人で、何を契約したのかは知らないがNTTdocomoのロゴがデカデカと入った段ボールが会社に捨ててあった。

仕事とドコモには何の関連もないからやはりこれも家庭ゴミである。

しかも住所と名前の書いたラベルを貼ったままで捨ててあったのには驚いた。

これだけ個人情報の悪用が騒がれている時代にあってこの無防備、可及的速やかに脳みそをアップデートする必要があるのではないか。

 

私もわずかな期間とはいえコンビニというところで働いたことがあるが、店舗に来て最初の行動がゴミ捨てという人間は正直店舗に入れたくないと思ったものだ。

クルマから下りてナイロン袋にいっぱいのゴミをぶら下げて入ってきて店舗のゴミ箱に委細構わず押し込むように捨てる姿を毎日のように見せられると、養老先生ではないがやはり「バカの壁」というのは確かにあると痛感する。

わずかな割合とは思いたいがおよそ人として恥を知らない人モドキも、いちおう生物学的には「人間」として社会の一部を形成しているというのが残酷な現実と言えるだろう。

「誰一人取り残さない政治」などと政治家がよく叫ぶが、こんな手合いは勝手に取り残されていってくれとさえ思う。

 

会社に家庭ゴミもコンビニに家庭ゴミも根っこは同じ、いいオトナになってこんなことをしている向きは今さら他人が注意してもまず変わらない。

50年か60年か70年かは知らないが、人間として与えられた時間をただただ怠惰に過ごし刹那の楽しみにウツツを抜かして何らの蓄積もなく生きてきた結果が「会社に家庭ゴミ」だからである。

もちろんこういう人間の仕事ぶりは最悪で、帰りの準備だけは異常に速い。

もう帰れるとなったら喜び勇んでカーテンやシャッターを閉めにかかる。

その速さを一瞬でもいいから仕事の場面で見せてほしいのだが。

 

と思っていたら、家庭ゴミの当人は会社の無線機をまたまた他人に託して帰っていった。

横着が身に沁みついた人間は、見ていて、哀しい。


弊害は一掃

2024-07-09 22:20:44 | 日記

新しい担当になってからかれこれ半月ほどが経つ。

前担当が長く守ってきていたエリアは当人が離脱してしまったので今は私がやっている。

中身はほぼひとり仕事と言っていいのは再三書いているが、当人が長く守ってきたエリアなので当人の色が強く出すぎていた。

段取りも独特だったし作業台にはワケの分からない手書きの資料がゴロゴロしていた。

仕事を毎日続けていると手書きの資料など全く必要はなく事務所からもらえるものだけで十二分に仕事になるのだが、長くひとりが同じエリアにいた弊害が出たものと言える。

私は複雑なことが苦手なので全てをシンプルな形に置き換え、人さまが急に入ってきても在庫カウントができるくらいにしたいと思っている。

棚卸のたびに行方不明の製品があって時間が長引くようなことでは、ひとつのエリアをいちおうは任されている意味がなくなる。

 

それにしても、しばらく姿を見せていない前担当についての話題は現場ではトンと聞かない。

現担当だからと他の人から聞かれることはあるが、聞いていないものは聞いていないので答えられない。

当人の事情については公式の場では一度も発表はされておらず、今後も戦力として計算されているのかどうかも分からない。

分かっていることは、今の私の担当は前担当が戻ってきても私がやり続けるということだけである。

やたらに休憩するとか自分より動く人がいたら逃亡するとか勤務態度の面で必ずしもいい評判はないようだが、決して粗暴なタイプではないし我が社での経験も長い。

私の今後に影響はないにしても当人はある意味功労者であるから、このまま去っていくにしてもキレイな形で、戻ってくるにしても丁重に扱ってあげる必要はある。

 

戦力ということで言えば、私と入ってきた時期が近い年長さんも最近姿が見えなくなった。

持病のために毎週の検査もろもろで週に一回はいない感じだったが先週末から今日まではずっと来ていない。

なぜまた長く姿が見えなくなったのか、これまた公式には何のアナウンスもない。

この人についても、今後戦力として計算されているのかは私の知る限りでは判然としない。

 

上記2名についてはどちらも体調や病気がからんでの離脱だから、縁あって同じ時間を同じ場所で過ごしてきた仲間としての心配は当然する。

ただ組織論として考えると、このままズルズルと、10人にもならない部署で計算できない人員が2名という状態が続くことは現場にとって相当な負担になる。

マイナス2で済めばまだいいが、他の拠点の仕事のからみで当日にマイナス3になることすらある。

ただでさえ少ない人員、その中には動きの鈍い高齢者も多々混じるとなると、今日のように日中に出荷がないのに結局残業などということになってしまう。

私はその立場には当然ないが、離脱中のメンバーに先々見込みが立たないなら人員の補充を早急に考えるべきだし、まだ見込みがあるのなら時期としての具体的なメドくらいはアナウンスがあってもいいのではないかと思う。

何も知らされないまま人員不足の状態で塩漬けにされる状態が続けば、我が現場の若きエースもやがてつぶれてしまうかもしれない。

他に統率力のある人物がまるで見当たらない現状ではそれだけは絶対に避けなければいけない。

 

今週末には何やら会議が予定されているようだ。

1年近くいるのに会議などというものにはお目にかかっていなかったから、この際どんなことでも、先日の私の事故でも、今離脱している2名のことでも、明らかにひとり不足しているローカルの運転手さんはどうするかの問題でも、何でもいいから議題にして最低限ひとつの組織としての何らかの意思統一は図れないものか。

「暑いから」が「現場でヘルメットを着けない」に結びつく度し難い病理を抱える我が現場で座学を催す意味があるのかないのか、初めてとなる機会で見極めようと考えている。

弊害という弊害をすべて一掃してようやく常識にかかった職場になるなどというレベルでは今後長く続いていくことは難しい。

過去私は様々な会社に在籍して、実際に倒れるか倒れそうになった会社の姿も多く見てきた。

それらの会社には「共通の雰囲気」があることを指摘してエントリーを閉じたい。


7・6を経て

2024-07-08 21:49:41 | 日記

7・6(ナナテンロク)つまり7月6日はつらい日になってしまった。

本担当の仕事はきれいに終わらせることができたが当日は土曜日のわりには仕事量が多くほかの手伝いに回らざるを得なくなった。

土曜日はいつもの半分の4人しかいずその内1人は高齢者一歩手前である。

その人とせっかく2人で共同して入荷物の運搬をしていたのに当人が突如として違う仕事をやり始めたので運搬は私だけになった。

とにかくこのおじいさんは自分がやりたいことしかしないしやり出すと周りが止めても聞かないからあきらめて1人で運んでいたのだが、そのイライラもあってか一瞬の油断から運搬物をぶつけてかなりの量の荷物を壊してしまった。

今の現場に来てから最も派手なやらかしとなり、後味の悪い週末となった。

週が明けて月曜、朝礼では簡単ではあるが私が事故を起こしたことが紹介された。

現場に事故は付き物であり怒鳴られるようなことはないにしても、全員の前で紹介されてしまったのでただただ恐縮するしかなかった。

 

くだんのおじいさんだが、日頃からとにかく状況判断がまったくできない。

物事の優先順位がつけられないばかりか、明らかに他人の通路になるところにリフトを止めて休憩に行ったり、ひとつしかない休憩室のテレビのチャンネルを何の断りもなく変えたり、各人持たされている無線機もロクに自分で返しに行かなかったりで、一言でいうとかなりの横着者である。

こんなことをされたら私を含めた他人は困るわけだが、他人が困った顔をするまで絶対に自分の行いに気が付かない。

明らかに仕事の能力も足らないのでただただ迷惑なのだが、社歴が長いためかけっこう他人に勝手な指示を出すことも多い。

現場全体のコンセンサスに一致しているならよいが、自分はラクをして他人をこき使うことしか考えていないので時に一致しない指示を出して現場を混乱させてしまう。

 

こんな人物だから私に限らず結果的に当人にハメられる格好になる人が非常に多くなる。

私もこれまでまったくのノーミスでここまで来れているわけもないが、しなくてもいいミス、防ぐことができたミスの遠因には必ず当人の横着が絡んでいる。

面倒くさいことは誰でもいいからやってもらおうと無造作に他人を動かすから、余計なことをさせられる方はイライラしながらやることになりそれが時にミスにつながってしまう。

自身が他人のミスを誘発しておいて、事後もヘラヘラ笑っているだけの姿を見ると絶対にこんな年の取り方はしたくないと思う。

 

自分の話に戻ると、納得できない部分は正直あるにせよ事故を起こしてしまったものは仕方がなく、大きめの事故を起こした人間にはボーナスが出ないらしいので夏のボーナスはあきらめぎみである。

ボーナスがなかったところで月々は十分すぎるくらい回るからどうということはないが、もしボーナスがあれば買えるかなと思っていたモノはあきらめざるを得ないと思う。 

反面、これまで事故と言っても軽微なもので済んでいて、あわよくばこの先も無事故でなどといらぬプレッシャーを自分にかけていたものから解放され、言葉は悪いが気がラクになったのは確かである。

同じことを繰り返さないよう、失敗を糧により現場で機能していけたらそれでよい。

 

大きな失敗の後であっても職業人としては出続けることが大事だ。

フォークリフトに乗るなと言われたわけでもないしましてやクビを宣告されたわけでもない。

休むことは試合放棄と同じ、試合に出ない人間はミスすらできないと今一度思い直して日々を誠実に積み上げたい。


決めつけんといて

2024-06-25 21:51:22 | 日記

急な担当変わりから間もなく一週間が過ぎる。

以前の担当業務も「ひとり仕事」に近いものはあったが今の仕事はその色がさらに濃くなった。

同じ建物の中ながら日中いるエリアがまず他の人と違うし取り扱うモノも今までとは全然違う。

場所のやり繰りや日々の段取りについては現場のリーダー氏や事務所とのコミュニケーションはあるがそれも多くは必要ない。

他の人ももちろんそれぞれに仕事を持ち忙しいからあまり人に見られている感覚もない。

人目につきにくいと言ってしまうと語弊があるかもしれないがそれくらいに他の人の日中の流れからは離れたところにいる。

 

今回私が今の担当になるにあたり私以外にも何人か候補はあがったようだが、そのうちの一人は「引きこもるからダメ」ということで事務所が却下したらしい。

要は人目につかないからと言ってサボることを考えるタイプは今私がいる場所はたとえこなす能力があってもダメだということになった。

人に見られていなくてもすることはすると思われているのは光栄なことだが、もちろん私だって生身の人間だからラクをしたいと思うことはある。

しかし今は前担当者のやり残しで多少乱雑な部分を整理する必要がありアレコレと現場をいじっているうちにあっという間に時間が過ぎていく。

自分の判断で現場をいろいろいじって文句を言われないありがたい状況でもあり、のちのち自分がラクにやっていくために今は少しラクを控えてアタマをひねって現場を分かりやすくしているといったところだ。

 

私は仕事中は仕事のことしか考えないし周囲にもあまり遠慮せずズケズケとモノを言うから、あまりひとりの人間として見てもらえないところはある。

見てもらえなかったところで私には何のダメージもないし、見渡してもこの人と一回飲みに行きたいなと思える対象もいない。

職場の人は互いが同じ目的のために時に協力し合う仲間であることは間違いないとしても、仲間だから仲良くあるべきとは思わない。

 

こんな冷淡な考えを持つ人間だからかなぜか「何か趣味持った方がいいよ」などと言われたこともある。

仕事場での姿だけ見て無趣味で無機質な仕事人間だと決めつけているのかもしれないがとんでもない勘違いである。

私に少しでも関心があるなら「休み何してんの?」くらい聞かれれば答えることはできるがそうしないで自分の勝手なイメージで判断してしまうのはいかがなものか。

私は無趣味の反対で多趣味なのは本欄や各SNSを通じて知る方も多いと思うが、そう思いたくない人は実像がどうあろうと私が趣味一つない無味乾燥な人間でなければならないということのようだ。

 

トシを食ってプライドばかり高くなりアタマの切り替えができないというならそれは仕方がないし、残念ながらそんな人間も我が現場は少なくない。

将来「なってはいけない姿」を毎日見せてくれていると思えば、今からそうならないように努力すべきなのだろう。


サイレント人事異動?

2024-06-21 21:27:29 | 日記

学生さんが休みの期間に発売される「青春18きっぷ」(JR線全線の普通・快速乗り放題が5日分で12,000円くらい)、例年夏にも発売されてきたが今年は告知がやや遅れたこと、また北陸新幹線の延伸により我が富山県も含む北陸地方ではかなり使いにくくなったことでよもや打ち切りとのウワサが流れた。

実際はJR各社から発表があって例年通り発売されるが、告知もなくヒッソリと打ち切り=サイレント廃止のウワサには私自身もかなりヤキモキした。

各地の「快速」をうまく活用して低コストで長い距離を移動する楽しみは年齢が「18×3」に近くなった今でも十分に使いようがある。

 

さて、ごく最近になって私の仕事内容が急に変わった。

高齢化著しい我が現場、予想しないところで急に離脱者が出た。

誰かが離脱すれば誰かがその代わりをしなければならず、その誰かに私がなった。

通う場所が変わるわけではないしフォークリフトに乗るのも変わらないが扱うモノが変わるし当然日々の段取りやリズムも変わる。

私個人としては現場の中でできることが増えて何の損もないから二つ返事で引き受けているが、心配なのは今は離脱している旧担当者にこの話がしっかりとした形で伝わっているのかということである。

今は離脱中とはいえ体調が戻ればやがて当人は現場に帰ってくる。

これまでやってきた仕事が知らない間に他人の担当になっていて当人が驚くようなことではいけないし、元の仕事に改めて意欲を示さないとも限らない。

万一そうなったら現場は混乱してしまう。

私にとっても急なことではあったが辛うじて「サイレント人事異動」ではなかった。

しかし旧担当にとってサイレントな形になっていないだろうかという心配は残る。

 

こういう動きの当事者となって改めて思うのは、やはり職場には出られるだけ出ておいた方がいいということである。

高齢化している現場だから私も含めて体に何の問題もない人はない。

しかし病気や障害などいくら正当な理由があったとて休みがちであることは存在感の低下につながる。

病気や障害と付き合いながらもひとたび出てくれば結構な重労働だから人間としては感謝しかないが、職業人としての評価はそれほど上がらないのは致し方ない部分はある。

どうしても、どうしても、肉体的もしくは精神的に業務の遂行が難しいと判断されれば残念ながら会社都合での解雇事由に該当してしまうのも世の中の厳しい一面ではある。

 

どんな分野でもそうだが、毎日出続けて普通に役割さえこなしていれば最低限、水準程度の評価は得られる。

出続けることは簡単そうで実は難しい。

休日が少ない業界にいて日々の体調管理は年齢とともに大事さを増してくる。

あまり無理のきかないトシになっていることを今一度心にとめ一日一日を積み重ねたい。


早朝から

2024-06-18 22:22:54 | 日記

今週は早番のため7時半からの勤務に備えて6時半には自宅を出る。

いつも使っている給油所が24時間営業に変わって便利になったから通勤途中に立ち寄った。

すると見覚えのあるクルマが隣のレーンから出ていこうとしていた。

そのクルマはずいぶんと背が高い。

私のクルマは小さいから見上げるように隣を見るとクルマの主は私と前の職場で良からぬ因縁があった人物であった。

視線を送る主が私だろうと気づいたとは思うがカラんでくるようなことはなかったのでホッとした。

 

それにしても、平日の6時半という時刻に彼の住所からはやや離れた魚津市内にいるということは気になった。

私の前職の始業時刻は9時で、彼が引き続きその職場で続いているとすれば平日の6時半なら彼自身はまだ自宅で寝ていてもいいくらいの時間であるが彼は確かにクルマに乗って魚津にいた。

過去、自身より意欲もあり能力もある人物をことごとくいじめ抜いて追い出してまで仕事場にしがみついてきた当人も、ついに自分自身もいられなくなる何かがあったのかもしれない。

 

自分の居場所を何とか守り抜こうと乱暴な方法も含めて必死で工作して最後には相手を追い出すまでやってしまえば短期的には勝ったように見える。

しかし時を経て自分自身もその居場所を失うことになれば、勝ったように見えていたものもそうではなくなり実質は負けとなる。

今彼がどんな立場で、どんな契約形態で働いているのかは(そもそも働いているのかどうかも)知る由もないが、私自身は災い転じて何とやらで、数か月の雌伏ののち正社員という立場で今の会社に拾ってもらえた。

私からすれば、負けたように見えていたものがそうではなくなったわけである。

 

彼の顔を見て1年あまり前のイヤな出来事を思い出してしまったが、仕事の時間になってしまえばそんなことは忘れてしまった。

応分の投資と時間を使って得たせっかくの資格を存分に生かして仕事できている今は幸せである。

今の現場にだって私の活躍を「望まない」勢力も少なからずいることは確かで、単に社歴が長いとか社内事情に精通しているとかのアイマイな根拠に基づく変なプライドは一丁前に持っている。

「オレより後から来た人間だからオレよりはできない知らない」などという脳内設定は、日々私自身の手によって目の前で粉砕してあげているはずなのだが、その事実には残念ながら気づいていただけてはいないようだ。

 

長く生きてきた結果、他人に期待しすぎない冷酷な人間になってしまったので、今の職場でもこれからもいろいろとあるだろう。

対立するまではなさそうな人でも、関心事が違いすぎるためか特別に仲良くなれる感じではない。

あくまで仕事場では仕事、と割り切ってあまり心をザワザワさせないでいくのがいいのだろう。


休むも仕事のうち

2024-06-11 21:45:03 | 日記

我が業界は成り手不足が深刻なためどこの会社と言わず圧倒的に年齢層が高い。

どこぞのインフルエンサーとやらが差別心丸出しで底辺などと吹聴するし、業界の構造から言ってよい待遇も期待できないから若い人はハナから寄り付かない。

いわゆる3K(きつい汚い危険)職場には本人の実像はともかく見た目が怖い人も少なくはないので、怖いのKを加えて今や我が業界は4Kと言っていい。

 

我が職場では高校を出て3年目くらいの社員もいるが彼だけが極端に若くてあとは40代以上であり、社会的に定義されるところの高齢者(65歳以上)も少なくない。

50代前半である私でもかなり若い方になってしまうからいかに高齢化した職場かお分かりいただけると思う。

そんな職場だから、今この時点で何らかの病気を抱え「闘病中」という人も少なくない。

大きな病気にかかれば誰しもが不安だし定期的に観察も必要になるから職場を空ける日も多い。

職場はたとえ何人欠けようと回さないわけにはいかないし何だかんだで回ってしまうものだが、当事者にすれば休みがちなのは気になるところだから出てきた日はかなり張り切って仕事をしようとする。

ただ、張り切るのはいいがどう見ても無理をしているように思えることが多くてかえって痛々しく見えてしまう。

 

我が社としては高齢傾向は今に始まった話ではないので事あるごとに「何はなくとも体優先」とはアナウンスされる。

職場はいちおうはお互いが仲間どうしであって、誰かに何かあれば人間としての心配は当然する。

ただし職業人としては、仕事をたびたび中座しなければいけないような状態では文字通り無理をしないで早めに帰ってもらって休んだ方がその後を考えればよほど周囲のためになる。

実際は当事者の無理が原因であっても、会社が不本意ながら労務管理上の何かを問われることになってしまえば会社の対外的なイメージさえ傷つけるかもしれない。

無理を押して仕事するなどいいことは何もないから、調子が悪ければすぐに仕事の手を止めて休めばよい。

休むべき時には休むのも仕事のうちである。

 

私は今の現場に来てから皆勤賞と言いたいところだがそうではない。

たった一日だけだが「今日行ってはダメだ」と思って休んだ日がある。

体調がとても悪いというわけではなかったものの今から思えばずいぶんと新入りならではのストレスがたまっていた時期があった。

行く気にならないから休んだというのは身勝手に思われるかもしれないが、その時分のストレスもあって本当に「今日行ったら壊れる、ダメになる」と思ったから休んだ。

結果的にはその日に思い切って休んだおかげで翌日以降少し元気が出て、その延長で今日まで来ることができたと言っていい。

 

誰しもみな生身の人間、分かりやすい病気やケガはもとより突然の「ガス欠」だってありうる。

しょっちゅうガス欠を起こしてきた人間だからこそ、ダメな時には思い切って休むことを推奨して今日の投稿を閉じたい。


安全第一

2024-06-04 20:17:17 | 日記

近頃はこのブログに取り立てて書くようなことはあまりない。

変化がないと言えばそうだし、大きなハプニングなどはなく順調であるとも言える。

仕事場でのアレヤコレヤはひと頃に比べればだいぶ減って、朝に何となくイヤだな~などという感じは幸いない。

個人のレベルでは仕事上困ることがほとんどなくなっていることは喜ばしい。

 

気がかりがあるとすれば、組織全体として統一された決まりがなくまとまりをややもすると欠いているように思えることだ。

例えば朝のラジオ体操の様子はとても人様には見せられない。

音楽に合わせてしっかり体操をする人は半分もいず、ずっとポケットに手を突っ込んで何もしない人、音楽を無視して適当に体をほぐす人など、文字通りバラバラの光景が展開される。

現場で働く者に対して会社がタダでケガ防止対策をしてくれていると思えばラジオ体操とて決してバカにはできないところ、何もしないでスカしているのがあたかもカッコいいかのような謎文化が我が職場にはある。

 

また、狭いスペースにフォークリフトが7台8台と行き交い大型トラックの出入りも頻繁な現場だから「安全第一」であることは言うまでないわけだが、残念なことに私が加わって以降に限れば座学で安全について語られたことはただの一度もない。

曜日を特定して会議が持たれていた時期もあったようだが少なくとも今はない。

するとどうなるかと言えば、安全に関しては完全に個々人に任されるということになる。

個々人が思う「安全」はそれこそバラバラなので、私からすればどう見ても危険な行動や運転はなくならず言葉は悪いが毎日生きた心地がしない。

譲ることも待つこともできない老人たちに思い思いに運転されては体がいくつあっても足りない。

 

全体的な高齢化の影響もあり時々ではあるが信じられないような事故も起こっている我が職場だから全員集合の会議は定期的に行われてほしい。

一枚の写真を見て予想される危険について意見を出し合うことは、過去に在籍した会社では茶番気味ではあったが月イチで機会があった。

毎朝の締めで「今日も事故のないように」と言っていて、どうすれば事故が起きないか全く話し合われない職場も珍しい。

ひとたび巨大な事故が起きれば全員で積み上げた利益も一瞬で吹っ飛ぶというのにだ。

 

安全を個人任せにしたところで、迷惑駐車に危険運転、他人の迷惑などどこ吹く風、いわば人としてのベースに問題があるメンバーも多いのだから、せめて組織として最低限これだけはやってくれるなといったところはしっかり決めて全員に徹底するべきだろう。

いつ大事故が起きても不思議ではない現場に明日以降も足を運ぶことにはなるが、いつか怖い思いをしなくてもいい現場になることをただただ祈るより今はないようである。


いいことをしたい人

2024-05-11 21:28:45 | 日記
今の現場に来てから一定の月日が経って毎日のリズムにもだいぶ慣れた。
会社そのものは日曜以外は動くので人間ベースでは土曜日は一週おきの出勤だ。
平日ほどは仕事量はないから、二班体制の片方つまり人員の半分が出て対応する。
建前上は定時まで拘束されるが実際は現場としてやるべきことを終わらせることを前提に早めに帰れるケースが多い。
早めと言っても半ドンなどは望むべくもなく、だいたいは15時から16時くらいだから気持ち的には定時までいるのとあまり変わらない。
今の時代この土曜勤務だけは何とかならないかとは思うが、業種のわりには品のいい職場だし平日の帰りもめったに遅くはならないから文句を言うにはあたらない。

さて、我が職場には、日頃から一見良さげな振る舞いをしていながら周囲の評価がまるで上がらない人がいる。
今はもう見ないが、以前は自分が手すきになったら私のいる現場の手伝いに入ってくることが多かった。
私も最初の頃は何も分からなかったから「ああ、こちらが忙しいのを見かねて入ってくれているんだ」と考えていたし、職場にいろいろと注意書きを貼ったりしてわりあい気が回るタイプなのかとも思っていた。
しかし本人の魂胆はまるで違っていることが後になって分かった。

話はそれるが、例えば性格が大変マジメな学生さんで、どこかで災害や何かがあればボランティアに行かずにいられない。
学生さんは自由に使える時間は多いし、熱い思いに駆られて行動することは必ずしも悪いこととは思わない。
しかしこういう学生さんが就職試験の面接で「取り組んだこと」としてボランティアをアピールしたとする。
私が面接官なら「で、卒業は大丈夫なのですか?」と質問する。
そこで言葉に詰まるような学生さんだったら一発アウトである。
ボランティア活動を絶対善と信じ込み学生の本分である勉学をそっちのけにしてまでのめり込む人物は、組織に属しても組織の本分から外れた行動をとることが目に見えるからだ。

我が職場の「いいことをしているが誰からも好かれない人」は自分の担当業務にアヤフヤなところがあって、物品の破損も多く残念ながら事故が多い印象を持たれている。
本人を観察していて分かるのは、自分の担当で活躍できないモヤモヤを別のことで何とか埋め他人から注目ないし感謝されたいというさもしい心情である。
学問をしないでボランティアにばかり行って卒業が危うくなりそうな学生さん同様、自分の仕事がボロボロなのに他部署の手伝いや雑用など一見良さそうなことをしたところで周りの評判が上がるわけがない。
本分を忘れた状態で表面だけ飾ろうとして周囲に見透かされて逆に迷惑がられることになっているのに、本人は本気で「なぜだろう?」と思って不満をため込む結果となっている。

こういうタイプは他人がとやかく言ってもムダで、本人が心底気づいて「これではダメだ」となるまでは絶対に直らない。
いつ気づくかはまさに本人しだいである。
他者の評判をほしがって時に痛々しいまでにかいがいしく動いてはみるが思うように得られずためなくてもいい不満をためているから、時に不可解なタイミングや状況で感情を乱して余計に煙たがられてしまう。
逆に「お、こいつは自分の仕事はキチンとやっとるな」という評判が固まれば、極端に言えば良さげな行動などする必要もない。

かくいう私自身もそのあたりの塩梅が分からないまま結構いい加減な年齢までいってしまった。
どこかの時点で気づくことができたから今は当時とは全く違った心持ちで過ごすことができている。
しかし本人にはこれから私から何か言うことはない。
いくつからでも人生は変えられるとどこかの時点で気づいてくれればいいのだが。

昨日の自分を超える

2024-03-06 21:30:18 | 日記
前回の「1月を振り返って」からずいぶん間が空いた。
2月7日の開設記念日(17周年になりました)すらすっ飛ばして更新が滞ってしまった。
更新しないのに毎日少なくはないアクセスがあることには感謝感謝である。

さて、しばらく更新がなかった理由はまたぞろ職場で戦争になって無職になったからではない。
隔週土曜休という条件で働いていると休日は月に6〜7日程度しかない。
体を動かす仕事だからどうしても「たくさん寝る」ことに集中しないといけない。
体質的に長く寝ないとダメなタイプで、寝不足は即仕事上でのミスにつながる。
今どきのお子様より早いのではないかと思われる時刻に横になることもしばしばである。

また、ここ数週の休日といえば写真撮影などで外に出るより、スマホやPCをあれこれいじっている時間が長かった。
いじると言ってもただただゲームや動画に没頭するというよりは、例えば「お古のGalaxyをAndroid10化する」とか「ハードディスクのないPCを外付けドライブにインストールしたWindowsから起動して使う」といった、半分は変態趣味と言っていいところに時間を使っていた。
こういう作業はなかなか時間を使うもので、試行錯誤しているうちに一日が終わってしまうことも多い。
今本欄を更新している環境はWindowsではなくLinuxであったりもする。
まだどんなアプリがあるのか詳しくは見ていないが、標準搭載のアプリで文字通り世界中のテレビが見られたりするのでなかなか面白い。
データ保存はWindowsに任せ、Linuxではいろいろなアプリを試してみる場にしたい。
スマホのカスタム化にしろLinux導入にしろ去年までの自分には縁のないものと思っていたが、実際に大きな失敗もなくこれらのことが実現している。
去年までは考えてもいなかったことに手を付けて実現させているという意味では去年までの自分を超えていっているとは言える。

仕事の方は、ごくたまにポカもあるが大失敗や大事故には至らず順調そのものである。
今のような作業系が自分にフィットしていることもあるだろうが、仕事場での経験を積むにつれて周りもよく見えるようになりアイデアもいろいろと湧いてくるようになった。
フォークリフトの運転にしても、日に日に新しいやり方を考えて実践し自分のものにできている。
50をゆうに超えた年齢にして、毎日「昨日の自分を超える」経験ができていれば毎日は楽しくないはずがない。

ずいぶん前の話だが、普通に構内をフォークリフトで走っていると「楽しそうですね」と言われたことがある。
自分では意識していないが他人にはそう見えたということはやはり「合う」仕事をしているということだったろう。
また、経験がそんなに長くないのに「何年もいる人みたいだ」と言われたことがあるのもありがたいことだ。
若い頃は、その時は気づかないが今にしてみればどうしてそんな仕事をしていたんだと思うような、どう考えても合わない仕事をしていて、毎日は苦労のみ、楽しいことは一つもなかった。
その時分は日々明るい気持ちになれるわけもなく時には「見た目50代」と揶揄されたりもしたが、50代に入った今の方が見た目にも気持ち的にも若いのではないかと思う。

仕事場を観察していて思うが、進化をあきらめ現状維持に甘んじようとする人間は表面には出さずとも明るくは見えない。
現状維持で本人がいいと言うならそこは他人が入り込むことは難しいとしても、周りに進化する人間がいるとすれば相対的には進化する人間との差が広がるわけで現状維持は後退と同じことになる。
そういう人間は、お気の毒なことだがもれなく体に支障が出ていたり聞けばドキッとするような病気と戦わざるを得なくなっていたりする。
明るい気持ちで日々を過ごすことがいかに大事かは、今の状況を見ても、暗い気持ちで過ごしすぎて病気になってしまったかつての私を思い返しても痛切に感じるところである。
毎日仕事をしていれば思い通りに行かないことも多いが、明るく前向きに誠実に日々をつとめていけばいつか見たこともない景色にたどりつくことができるのかもしれない。