毎月最終日はその月を振り返ります。
振り返りの前に、公開記事の大幅な削減と更新サイクルのナマクラ化にもよらず、多くの訪問をいただき感謝申し上げます。
性格的に無難な内容は好みませんが、自らのためもあり当面は辛抱です。
わりあい静かに始まった2015年は、静かなまま最初の月を終えることになりました。
写真のイベントが今年初めて県境をまたいだ行動で、お世辞にもあまり活動的とは言えない月になってしまいました。
毎日の生活は、仕事そのものには慣れ、ひと頃のような常に追い立てられるような状況ではなくなり、一定のリズムの中で過ぎています。
ただ、ある程度体に負荷をかける仕事からデスクワークに変わっても、日々の疲れは今の方が大きいような気がします。
週末はとにかく休みたいという気にしかならない今の状況は、以前とは違っています。
あくまで比較の上ですが、以前の方が仕事をしていて楽しかった感じはします。
周囲の人間というのはどの部署にいてもどの環境にいても条件は同じですので、そこに原因を求める気はありません。
いい人もいればそうでない人もいて、たまに意図して攻撃を加えてくる人がいたりするのは、たとえ会社が変わっても同じでしょう。
今の環境では周囲に必ずしもなじめていないのかもしれませんが、それも毎日が楽しくない理由にはなりません。
前の部署でも、4年半という時間を通しても「ほぼ会話ナシ」で終わった人も半分くらいいて、環境に溶け込んでいたというレベルではありませんでした。
毎日の仕事が楽しいかどうかは、周囲に左右されるものではなく、やはり仕事の中身そのものが大きく関わると言えます。
現場の仕事も今の仕事も、やりがいを感じ思い入れを持てていることは断っておきたいのですが、今の方が以前よりも「苦しい部分」が少しだけですが多いのです。
何が苦しいかと言えば、もともとは口下手な人間である私が、以前よりも仕事の上で「しゃべらなくてはいけない」ところです。
部署変わりをして数ヶ月、他人はどう思うかは知りませんが、やはり私は事務方よりは現場で作業をしているほうが苦しくない感じがします。
仕事は毎日のことですので、苦ではないという要素はかなり大事です。
とはいえ目の前にあることを放棄するわけにはいきませんので、今後は現在与えられている環境や仕事と私自身が抱える問題との折り合いを付けつつなんとか乗り切っていくよりありません。
どうしても、という事態になったところで生きていけなくなるわけではなく、何らかの判断が下りるまでは日々ベストを尽くすのみということだろうと思います。
振り返りの前に、公開記事の大幅な削減と更新サイクルのナマクラ化にもよらず、多くの訪問をいただき感謝申し上げます。
性格的に無難な内容は好みませんが、自らのためもあり当面は辛抱です。
わりあい静かに始まった2015年は、静かなまま最初の月を終えることになりました。
写真のイベントが今年初めて県境をまたいだ行動で、お世辞にもあまり活動的とは言えない月になってしまいました。
毎日の生活は、仕事そのものには慣れ、ひと頃のような常に追い立てられるような状況ではなくなり、一定のリズムの中で過ぎています。
ただ、ある程度体に負荷をかける仕事からデスクワークに変わっても、日々の疲れは今の方が大きいような気がします。
週末はとにかく休みたいという気にしかならない今の状況は、以前とは違っています。
あくまで比較の上ですが、以前の方が仕事をしていて楽しかった感じはします。
周囲の人間というのはどの部署にいてもどの環境にいても条件は同じですので、そこに原因を求める気はありません。
いい人もいればそうでない人もいて、たまに意図して攻撃を加えてくる人がいたりするのは、たとえ会社が変わっても同じでしょう。
今の環境では周囲に必ずしもなじめていないのかもしれませんが、それも毎日が楽しくない理由にはなりません。
前の部署でも、4年半という時間を通しても「ほぼ会話ナシ」で終わった人も半分くらいいて、環境に溶け込んでいたというレベルではありませんでした。
毎日の仕事が楽しいかどうかは、周囲に左右されるものではなく、やはり仕事の中身そのものが大きく関わると言えます。
現場の仕事も今の仕事も、やりがいを感じ思い入れを持てていることは断っておきたいのですが、今の方が以前よりも「苦しい部分」が少しだけですが多いのです。
何が苦しいかと言えば、もともとは口下手な人間である私が、以前よりも仕事の上で「しゃべらなくてはいけない」ところです。
部署変わりをして数ヶ月、他人はどう思うかは知りませんが、やはり私は事務方よりは現場で作業をしているほうが苦しくない感じがします。
仕事は毎日のことですので、苦ではないという要素はかなり大事です。
とはいえ目の前にあることを放棄するわけにはいきませんので、今後は現在与えられている環境や仕事と私自身が抱える問題との折り合いを付けつつなんとか乗り切っていくよりありません。
どうしても、という事態になったところで生きていけなくなるわけではなく、何らかの判断が下りるまでは日々ベストを尽くすのみということだろうと思います。