blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

2018年を振り返って

2018-12-29 17:12:32 | 月末振り返り
12月がある意味波乱の月となり文面が長くなったので、2018年の振り返りを別建てで書くことにする。

年の最初の目標は「新しい経験を増やす」ことであった。
結果的には、かなり思い切った挑戦も含めて、これまでにない多様な経験をすることができたと思う。
惜しむらくは、春先、桜の咲く頃に体調を崩し、年間を通して元気でいられなかったことである。
2019年は、年間を通じて心身ともに健康に過ごすことが他のことに優先して何よりの目標となる。

仕事面で年明けからの出来事を並べると、当時在籍していた会社で、午前は引き継ぎを受けたばかりの本来の役割、午後からは他部署の人手を補う役割という、流行り言葉で言えば「二刀流」の日々から始まった。
休んだり逃げたりすることはなく乗り切ることはできたが、「慣れていないこと」を日に2つやり続けることの負荷は見えないところで徐々に私の体に影響を与えていて、ちょうど他部署の応援が終わってホッとした春先、強烈な憂うつ感が襲ってきた。
2ヶ月間という長い時間をもらって、ずるずると先延ばしにはならずに復帰することはできたが、当地の事業所で感じてきた得体の知れないアウェイ感は、復帰後にはついに周囲とのコミュニケーション消滅という事態にまで至り、日々のモチベーションを失った私は、8年間、一時は窮状を救ってくれた会社に別れを告げることになった。
その後幸いにして次がすぐに見つかり、本来期待された役割ではなくなったものの、優しい人々に囲まれ今は楽しく仕事ができていることは最近書いてきた通りである。

プライベートでは、まず当地で今も仲良くしてもらっている同級生の某君に向け、地元富山から遠隔操作のごとくに干渉が入って、相当に嫌な思いをさせられた。
それが元で、人生の中で間違いなく最も長い付き合いのあった人物との関係が完全に切れた。
しかしこの出来事により、長い長い親しい付き合いと思っていた関係の中身は、おそらくはとうの昔に実質を失っていたことが分かったので、今は引きずるものは何もない。
遠隔操作を受けた某君は、引き続き彼自身の価値観で私のような変わり者との付き合いを続けたいと言ってくれたので心配することも何もない。
スクールカーストなるものが30年以上も有効であると考えるなど思い上がりも甚だしい。

2018年は、これまで会ったことのない種類の人たちにも多く会った。
特に、仕事を休んでいる間、自分で調べて足を運び、相当に大きな挑戦もした。
すべてがうまくいったのかと言われれば今の段階では分からないし、それはこれからということだと思う。

年が明ければまた目標を立てるが、仕事は、会社が変わったのだからまずは戦力になっていくことが第一である。
プライベートは、ややこれまでと方向性を変えて、音楽を生活の中に多く取り入れていきたいと思う。

2018年、当ブログをご覧いただきありがとうございました。
2019年もどうぞよろしくお願いいたします。

※2018年のベストショット=御在所ロープウェイと湯の山温泉街。



※特別グルメ賞=山形駅近くでいただいた名物「いも煮」。


12月を振り返って

2018-12-29 15:08:12 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
しかし今は年末、明日の朝には久しぶりに帰省するため、PC環境がある当地で今日のうちに書いておきたい。
地元では、一年の疲れを取り、新しい年はまた一つ新たな目標を持ってスタートさせたい。

12月ということで言えば、新しい環境に入って2ヶ月目、月のほんの初め数日はまだ現場に入って作業をしていた。
ところが、車両を使っていざ本番の仕事となった時、物を落としたりはなかったもののどうにもスピード感が出ずに仕事にならない。
周囲から怒声を浴びて、手足は縮こまり頭の中は真っ白になり、ただ車両を走らせることすら恐る恐るという精神状態に陥った。
翌日からは車両に乗ることはかなわず、大きな挫折感の中でモヤモヤとした気持ちを抱え、しかしそれが集中を欠く結果となってトラックヤードからの転落という出来事になったのが4日であった。
幸い体は何ともなかったが、自分の足で動いていてこんなことになるのなら、もはや車両の運転どころではない、7年8年曲がりなりにも倉庫という場所で働き積み重ねてきたつもりの自信は吹き飛んでしまった。
本来期待された役割を果たせないのなら会社にいてもしょうがないと思い詰め、せっかく縁をもらった会社ながら「辞めたい」と申し出たのが「落ちた」翌日の5日であった。

ところが、この年末、私はまだ会社に残っている。
最近は新人といえば派遣会社を通じてやって来る人がほとんどである中、私はあまり深いこだわりはなかったとは言え通常の社員として入っていて、とにかくもったいないから残りなさいということになり、新たな役割も急遽用意された。
過去、「フォークリフトに乗りたい!」というエントリーまで書いている私がフォークリフトをあきらめることに複雑な思いは当然あった。
しかし、幸いにして結果的にはより自分の長所が生きる仕事の中身となり、なくしていた自信もずいぶん戻って、仕事中に話すことも笑うことも増えた。
会社という場所で、がんばるほど疎まれるばかりであった変わり者の人間を、そのままで受け入れてくれる環境にいられることに感謝して来年以降は少しでも恩返しをしていかなくてはならない。

休日がそれほど多くなくあまりプライベートでは大きな出来事はなかった。
遠出の一つもしたかったが、秋口からの環境の大きな変化の疲れもあって、休みの日はただただ休むばかりとなってしまった。
しかし今は再出発後まもなくの大事な時期、しばらくは日々新しく覚えるべきことが出て来るだろうから、遊ぶのは週末のチョイ飲み(ガツ飲み?)くらいにして、何とか今の役割でもっとうまく機能していくことを考えていきたい。
余裕が出てくれば、ドライブもいいだろうし、路上で出会った美人ドラマーさんに刺激を受け、久々にスティックを握ってドラムの練習をするのもいいだろう。

月の振り返りが長くなったので、2018年の振り返りは次回に。
ベストショットは、12月なのにまだ楽しめた紅葉。(JRA中京競馬場)


眠いばかりだけど

2018-12-24 17:42:54 | 日記
先週の日曜から更新が途絶え、週明け、しかも出勤日であった今日わざわざ更新している。
日頃、更新する時間もないほど忙しいわけでは毛頭ない。
朝が早い分終わるのも早いから、夕方か夜に時間をとって更新しようと思えばいくらでもできるサイクルで動いているはずが、ここ2週ほどは横になったらいくらでも眠れてしまうということになっていて、日によっては小学生どころか赤ん坊よりも寝ているのではないかと思うくらいだ。

世の中的には忙しい12月、土曜日が必ずしも休みにはならない現状でも、毎日は遅くなるわけでもないし、日曜日とて疲れるほど動き回っているわけでもない。
それでも仮に疲れなるものがあるとするなら、9月の中頃からここまで、前の会社との縁を切り、当地でやり直す決心をし、しかし住まいは変える必要があり早い段階から引越しの準備、その後は引越しとそれに伴う諸々の手続き、そしてすぐにカタは付いたが仕事探し、新しい環境に飛び込んでからは慣れない仕事に加え周囲の人間も変わり、しかも当初私自身に期待された役割を果たすことがかなわず、入って1ヶ月あまりで役割が変わり、また一から新しい仕事を覚える期間があり、と、千変万化と言ってはオーバーだが、ここ3、4ヶ月のいろいろなことが積み重なっているということかもしれない。

もう月末も近くなり、毎度毎度ながら12月と2018年の振り返りを書く時期になった。
詳しくはその時に譲るが、2018年は新しい経験を増やすというテーマを自ら掲げてスタートした。
実際に起こったことで言うと、仕事の上では思いがけずの「二刀流生活」で年がスタートし、それが終わるタイミングでまたもや体を壊し2ヶ月も会社を空け、復帰後は周囲との距離が遠く遠く感じられるばかりでモチベーションを失い、ついには8年間在籍した会社と縁を切り、新しい環境に飛び込んでようやく2ヶ月が経とうとしている。
プライベートでは、まず捨てるべきものを捨て、その後は病気をきっかけに自分なりのチャレンジを試み、よかったことばかりではないながら、これまでにはできなかった貴重な経験をしたとは言える。

自分で考えて、自分で決めて、自分の足で動いて、公私ともにここまで様々な体験をした年はおそらくない。
もちろんすべてが成功とは言えなかったし、反省材料もある。
今感じている疲れが、自分自身でいろいろなものを動かそうともがいた結果であるなら、それ自体には悔いはない。
年間を通して健康でいられなかったことは残念だが、とりあえず生きていることに感謝をして、次の年も一日一日悔いなく過ごしていけるようにしたいと思う。

日曜日=安息日

2018-12-16 20:40:54 | 休日
今週も土曜日までしっかり仕事に出た。
土曜日は休出扱いになるのは書いている通りで、損になることはないし、昨日は思いがけず、簡単な仕事ではあるが現場の手伝いもさせてもらい、大した仕事ではないのに「ありがとう」の言葉をたくさんもらった。
毎日が全く同じということはないから、何でも屋に近い今の状況で仕事を選んでいては入社して日も浅い人間が信用など得られない。
簡単な仕事で感謝してもらえるのだから、むしろ恵まれていると思って、頼まれたことには誠実にあたっていきたい。

形式的にはまだ試用期間中の身で、実入りも限られる中、土曜日も出るのは仕方がなくというのは個人的な部分では当然ある。
前の会社でも、倉庫担当は土曜出勤はほとんどなく、金曜日にハメを外して土曜はグッタリ、しかし日曜には元気が戻ってクルマなりJRなりで小旅行もやっていたから、1週間のリズムの作り方にやや戸惑いがあるのも事実ではある。
まさに仕事に縛られる生活になっているのは間違いがないわけで、しかし仕事以外の時間で疲れを残して平日に向かっていくのはさすがに申し訳ない。

ということで、最近は日曜日といえばほぼ「休む日」ということになって、さんざん昼寝して、やっとこさ外出するとしても食材を仕入れるとか中古屋さんを冷やかすとか、ごくごく近場で済ませることが多くなっている。
土曜の仕事が終わった夕方以降は、文字通りどっぷり寝ることが主体となり、日曜日もあらかじめ予定を組んでいない限りは横になってひたすら疲れを取るのが最近のリズムである。

土曜の夕方からたっぷり休みたいために、週に一度の飲みもあえて金曜日の夜にやっている。
土曜日も仕事だと思えば、気分に任せて予定にないお店にまでハシゴしてしまって無駄遣いになることもなく、日付が変わる前に切り上げればいちおうは翌日の備えにはなる。
住まいがJR春日井駅前の飲み屋街からはやや遠くなり、なじみのお店が帰りにクルマを出してくれるので、以前のように歩いて帰れるのをいいことに勢いで他店のドアを開けることがなくなったからこれはこれでいい。
なじみのお店以上に自分が心をハダカにできるところもないと言えばないからだ。

もちろん、本来の予定で休日とされている土曜日を休むことに関しては、遠慮することなく申し出て休むこと自体に問題はない。
毎日現場をハシゴして事務仕事をしている関係上、休むことを知らせる必要はあるが、休むことそのものに関しては止められるなどの心配はない。
次の土曜は予定ができたため、ほぼひと月ぶりに休日とする予定で、久しぶりに勤務そのものは月から金の5日間となる。
土日に続けて休むことが貴重な機会となっている現在、自分で申し出た以上はあらかじめの予定も含めて楽しく過ごしたい。
調子に乗って2日間で疲れを残すことなく、今年の最終週に臨んでいければそれでよい。
いろいろあった2018年、しっかり締めくくって、今年の振り返りには「なんだかんだでいい年だった」と記して終わりたいものである。

尊敬が大事

2018-12-13 20:06:13 | 日記
せっかく縁のあった会社を離れようとまで思い詰めて相談した結果、役割を変更した上で引き続き会社に留まることになり、それからだいたい1週間が過ぎた。
このことについては、実際に相談の場に立ち会った上の人以外には詳しい経緯は話していない。
元の部署の人にしてみれば、あまりにも急に私がいなくなったことでいろいろな推測はされただろうが、会社そのものをあきらめようとまでしていたことを知る人は少なく、せいぜい現場がイヤになったからぐらいにしか思っていない人もいるだろう。

私としては、当初は車両の運転を任されるはずが練習時間の不十分さもあるとはいえ上達に乏しく、運転以外の仕事でもなぜかヒヤリとする場面に多く出会い、毎日怒声が飛び交う殺伐とした環境も重なり、先々明るいものを感じられずモヤモヤしながら日々を送っていた。
とどのつまりがトラックが付くホームからの転落ということで、車両の運転どころではない人間がいていいものかと本気で悩んだ末に進退伺の提出にまで至った。
前の会社を辞めてすぐに次が見つかったがここはダメかもしれない、とりあえず1ヶ月収入があったことに感謝し、また切り替えて次を探そうと考えた。
しかし、周囲の厚情により会社に残れることになったのは前回も書いた通りだし、早くも会社の中に何人も「恩人」ができてしまった以上、これからはその恩返しを時間がかかっても必ずやっていかなくてはならない。

相談して後の1週間、新しい役割をやっていく中で、災い転じて、ではないが、あれほどドンヨリとした気持ちで通っていた場所が全く変わって感じられている。
与えられた仕事に慣れるのも早く、仕事の中身によっては、自分もやりやすく、かつ他人にも見栄えのいい方法を考えるなど、日々アイデアをひねり出しながら少しでもいい仕事をしていこうという心持ちになっている。
自分の力が幸いにも足りて、少しは役に立てている実感が出てくるなど、ほんの1週前にはおよそ考えられなかった。
拠点にしている事務所の雰囲気もいい。
仕事中に笑うことも話すことも増えたのがその証だ。

自分がいた現場しか見ていなかったのが、同じ会社の他の現場や他のメンバーとの接触も自然にある役割になって、同じ会社でも空気感の違うところがあると分かったし、急に役割が変わった私にも、以前と変わらず声をかけてくれる人も多いのは本当にありがたいことである。

事務方に回ったからには、現場に最大限必要な支援をすることが一番の役割だ。
少なくとも、現場に出る人たちは日々大変な場所に出て行ってくれる人たちだという思いを持って接したい。
それほど大きな組織ではない、現場と事務、どちらがえらいということもない、みんなが仲間ではある。
しかし、現場仕事に挫折して役割が変わった人間からすれば、現場を尊敬できなくて何ができるということだ。
これから自分の役割も増えてくるので他人の心配をしている余裕はないが、日々現場が安全に終わることを願わずにはいられない。

もらった命だから

2018-12-09 22:15:56 | 休日
役割こそとても追いつけないと感じるようなところからは変わったが、土曜日が当たり前に休みと考えることは今後は難しくなっている。
会社の予定で建前上土曜が休日になっていれば、土曜に出れば休出扱いとなり、私自身にその意識がなくても時間外勤務をしていることになり、いわゆる割増賃金も発生しているはずである。
形の上では、月曜から金曜の通常勤務時間(部署により微妙に違う)以外はすべて時間外という解釈であり、出た人間には手当があるのだから、問題があるかないかと言えば「ない」となる。

私が世話になっている職場は地域に冠たる工場の敷地内であり、中には様々な外部の業者が入り様々な仕事がなされ、人間の勤務形態もまた様々である。
我が社だけとっても、担当業務によっては日曜日に出て平日のどこかを休むとか、いわゆる人が寝ている時間に働くとか、ただただ頭が下がるとしか言えない仕事を続けている人も大勢いるわけで、たかだか土曜日が休みにならないくらいで文句を言っているようではそれこそ間に合わないということになる。
事務方という役割上、また現場のつらさも短い期間ながら実感したことからも、現場に出る人に対しては敬意を持って接するのが当たり前だし、今与えられている役割の中ではそこは一番忘れてはいけない部分と感じる。

それでも、休出扱いにしてもらえるとはいえ土曜は当たり前に出勤という職場は、私くらいの年代ならともかく学校すら週休2日で育ってきた若い世代にはあまり魅力はないかもしれない。
職場の年齢層が高めなのはまず間違いのないところで、人の補充に努力はしていても定着となると心もとない部分はあり、少ない人員で多くの仕事をこなさなくてはならない現状は急には改善はされず、少ない人員が定時以降の時間も割きながら日々を回してきているのが現状である。

今は担当が変わったばかりだから毎日作る資料は少ないが、他人の仕事をこれから徐々にもらうことが予想されるので、今後は時には追われるような日や帰りがかなり遅くなる日もあるかもしれない。
現場の人間よりは実入りも少なく、毎月のやり繰りにもやや難渋するかもしれない。
それでも過日、現場でやや高いところから足を滑らせて落ち、落ち方が良かったから今は普通だが、仮に落ち方が悪かったら今私はもうこの世にいないか、重い後遺症を背負って生きていくことになっているかもしれなかった。
それを思えば、身の危険は少なくなった今の役割に力を注げなくてどうするのか。
日々精度を上げる努力はしながらも、ある意味もらった命なのだから、儲け物と思って大切に使いたいと思うのだ。

来週は年末の中京開催に出かける予定のため、とにかく今日は貴重な休み、いろいろあり過ぎた今週の疲れを取ることに専念し、外出も必要最小限にとどめて、本欄を閉じたらすぐに寝る。
また長い1週間が始まるが、滑り出しくらいはしっかりとやって、その後を気分良くいきたいのである。

ガマンしすぎない

2018-12-06 20:21:55 | 日記
新しい職場を得て働き始めて1ヶ月あまり、私の役割は早くも当初の予定とは違うものになっている。
本来であれば、やや特殊な車両を用いて現場を自由自在に走り回り、ひっきりなしにやって来る大型車に積み込む製品を運搬する役割を担うはずであった。
しかし、1ヶ月現場を眺めていて、単純に「これは自分では間に合わない」と感じるようになっていった。
特殊であるが故、いわゆる教科書通りの運転では仕事にならないと悟ったこと、また性格上「がんばる」が「無理をする」につながってしまいがちなことも、超重量級のモノが猛スピードで行き交う現場にあって、やがて取り返しのつかないことを起こしかねないのではないかという心配の方が先に立つようになってしまった。

入社する際に期待された役割を果たせそうにないと感じたことはもちろん大きいが、さしあたり与えられた、特に何かに乗る必要のない仕事を淡々とこなす中でも、結果的に危険な動きになってしまうことが多々あって、挙げ句の果てには人の腰の高さくらいから落下するという経験までして、これでは車両の運転どころか、私が現場にいること自体が危ないのではないかと思い詰めるに至って、せっかく縁をもらった会社だけど肝心の仕事でこれでは…と、方向転換の伺いも添えて相談を持ちかけた。

しかし、会社の思いは「もったいないから辞めるな」というものであった。
仕事は現場を離れ、書類の作成やチェックが中心の仕事が急遽用意された。
車両の運転要員として入ったのに、それがかなわなかった人間を残してくれることについては、何と礼を言っていいのか分からない。
また全く新しいことを覚える段階からスタートすることになるし、車両の運転をする人よりは実入りもグッと下がる。
それでも「現場よりは合ってるだろう」と会社が判断して残してくれたので、頼まれること、与えられることについては素直に誠実にあたりたいと思うし、そうしなくてはならない。

最近も書いたが、野球の世界なら投手で入って野手に転向する選手などいくらでもいる。
車両の運転手としては失格(半分は自らあきらめ)という形で事務方に回ることになったが、ややもすると殺伐とした空気のあった元の現場よりは雰囲気はずいぶんマシになり、より話のしやすい環境に変わった。
元の現場の人は、突然離れていった私にいろいろ思うところはあるかもしれないが、自分では元の現場にガマンして居続けて何かが良くなるとか花が咲くとかの前向きなイメージがどうしてもわかなかった。

私の人生も折り返しはとうに過ぎた。
そう思えば、どうせなら、泣いてばかりいるより笑っている時間を増やしたい。
ガマンしすぎず、ダメなものはダメと、短い時間でもサッサと踏ん切りをつけ、よりよい人生になるよう、変わることを恐れず、これからも過ごしていきたい。