blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

7月を振り返ってPlus

2024-08-02 23:42:35 | 月末振り返り

毎月最終日はその月を振り返る、と言って今日はすでに8月2日である。

そこでと言っては何だが、今回は7月を振り返ってPlusというスマホのような名前のエントリーとする。
 
7月はアタマから酷暑になり体力的にもつらい中で事故や間違いや手抜きが多発したのは残念だがそれでも仕事が減ることはなくお盆前ということで現場が多忙になっているのはありがたい。
 
私自身は日常の担当が変わるなどこれまでとは違う経験が多かった。
新しい担当にはすっかり慣れた。
前の担当者はようやくカラダも癒えて戻って来たが、今は働く時間が少し短い契約となったようだ。
このあたりは本人と会社とのことで何とも言いようがないが、今は以前私がやっていた仕事を中心に毎日元気にやっておられるので何よりである。
 
7月はいつもとは違う現場も多く経験させてもらった。
普段いる本現場がいかに恵まれているかが分かったし、違う現場での仕事の楽しさ難しさも学んだ。
あまり心の準備がないままの状態ではあったが、いわゆる対応力を試されたのだと思って、アタマを絞りつつ何とか事故もなく済ませられてよかった。
 
さて、夏のお楽しみといえばボーナスの支給であった。
ここしばらくはボーナスなど最初からない立場にいたが、ちょうど1年前に今の会社に正社員で拾ってもらってボーナスがもらえる立場に復帰できた。
 
ただ今回は「もしかしたらないかも」と思っていた。
月の初め頃に大きめの破損事故をやってしまったので半分はあきらめていた。
フタを開けてみれば多くはないがゼロではない金額をいただけた。
最近のいろいろに前向きに対応してきたこと、所用以外ではほとんど休まず会社に出てきたこと、また大きな事故を何度も繰り返したわけではないことで何とかゼロは回避できた。
 
事故間違いが極端に多い、勤務態度が今ひとつなどいろいろな理由でゼロの人も実際にいるためか、全体の場ではボーナスの話は出ないし現場でも話題にならない。
それほど余裕しゃくしゃくでもなさそうな業況ではボーナスも生活給などという労組的な発想は通用せず信賞必罰的なものになるのは仕方がない。
次回の冬もしっかりいただけるように事故やつまらないミスをしないようにしたい。
 
手抜きは論外だが仕事をしていればミスは出るし危ない場面もある。
しかし仕事の場にいなければミスのしようがないので、多少のことは「仕事をしている証拠」と言える。
スポーツの試合でも自らのミスが原因で負けてしまって時に涙する選手がいるが、そもそも試合に出ていなければエラーもできない。
 
スポーツなら試合に出る、職業人の世界なら仕事場に行くことが何より大切である。
前日にやらかしても次の日も胸を張って職場に行く、特別な事情以外はとにかく職場に顔を出し続けることで最低限の評価は得られるだろう。
どれだけ能力があっても休みがちのイメージを持たれては人員として計算してもらえないし評価も当然高くはならない。
 
今年のこれだけの気候では体調管理は難しいから、ひと口に出続けると言っても簡単ではない。
そんな中でも出続けていればいわゆる存在感が出てくる。
タマにいないとアレッ?と思われるくらいになればしめたものだ。
私あたりは常々うるさいから相当嫌われているとは思うが嫌われるのも存在感のひとつなのでどうということはない。
 
8月もまだまだ厳しい気候が続くと思われるが、とにかく休まないことを目標に日々を悔いなく過ごしていきたい。
 

6月を振り返って

2024-06-30 11:17:37 | 月末振り返り

毎月最終日はその月を振り返る。

環境が変わったというほどではないが会社の中での役割が変わった。

マイナス面といえばフォークリフトに乗っている時間がかなり長くなったこと、また扱うものが今までよりかなり重くなったことでやや腰に来ることが増えた。

乗り物を使っているから重いものが運べるのは事実としても操作する人間にはそれなりの負荷はかかる。

逆にプラス面としては他のメンバーの仕事からかなり独立したエリアにあるので、ひとり仕事的要素がアップして日頃のストレスは軽減した。

入った当初は執拗に当方をイジメていた某氏も今私がやっている仕事の中身は知らないしできないからウザがらみをする手立てはない。

プラスマイナス差し引きすれば、かなりいい方向に進んだと言える。

 

今の担当は人目につきにくいのでサボろうと思えばいくらでもサボれるし、現に前の担当者はやたらに休憩が多くて悪評を買っていた。

しかし、私がまだ慣れていないことを割り引いても実際に携わってみるとこの仕事量でどうやってサボりながらできるのかという感じである。

所定の休憩を飛ばしてまでがんばろうとは思わないが昼の食事を除いた午前午後の小休憩は飛んでしまうことがある。

サボることを考えるのは慣れてからでも遅くない。

とりあえず現場が全体としてうまく回るように動けるようになるまでは今しばらくのガマンである。

 

全体としてと書いたが、ひとり仕事になったといっても当然全体の流れから全くの無縁ではいられないし、こちらの仕事が片付かないせいで現場のスペースが空かないと文句を言われることになるから物事の優先順位は考えていく必要がある。

文字通り全体を把握してこちらの立場も理解している人は表立っては言わないが、高齢化している我が現場ではとにかく自分のことは早く終わって早く帰りたいという向きも少なくない。

いざ自分の仕事となればゴキブリのように飛びついていって、思い通りに進められないとなると時にはこちらに文句を言ってきたりする。

ごく一部を除いては私の担当はやろうと思ってもできないから、文句を言うとしたらそういう時しかない。

 

今だけ自分だけ、全体を見渡せない人間というのはどうにもこうにも簡単に直るものでもなく、さりとてアタマカズとしては貴重だから排除できないというのが会社としての本音だろう。

いくら社歴を積んでも毎日同じことばかりやって新しいことを覚えずできることが増えないから、いつまで経っても体力勝負の面倒くさい仕事も押し付けられてしまう。

体力勝負が好きならどうぞご勝手にというところだが、そういう仕事に回っていたほうが気分的にラクというのではそれこそいつまで経っても進歩がない。

エリアとしてはごくわずかとはいえ、自分よりも後に来た人間が「数量の管理」までやり出した現状に危機感を覚えないようであれば、我が社での時間はただの運び屋積み込み屋で終わってしまう。

お前なんかお前なんかと思っていた人物が、すでにはるか前方、背中すら見えないところを走っていることに早く気づいていただきたいものだ。


4月を振り返って

2024-04-30 20:46:09 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
正直なところ今夜は4月で一番疲れている。
月の半ばから1名が病気のため長期離脱となって、人間ひとりがいかに大事か改めて思い知っている。
よほどの大企業を除けば人員はどこもギリギリで回しているだろうと思うが我が現場も例外ではない。
防ぎようのない理由で人員が欠けたなら残った人間で何とか回すしかない。
ひとりひとりが少しずつ能力の底上げをすれば、ひとり分の不足はカバーしていけるだろう。

一番疲れていると書いたが今日はどちらかと言えば心地よい疲れである。
毎日仕事をしていれば時にはうまくいかないこともあるし、大型連休中では唯一の出勤日であった昨日はまさにそうだった。
通常の4分の1という少ない人員の中で互いに「いつもはやらない」仕事をする必要があり知らず知らずのうちに心身が削られる。
私を含めてその日出てきていた人間は、午後を越えてきてから少しずつ歯車が狂ったようなもどかしい時間を過ごすことになった。
幸い私に関してだけ言えばすぐに前日のモヤモヤを晴らす機会に恵まれ、やはりいつもはやらない仕事が多かったもののとりあえず仕事にはなったので緊張感から解放されたという意味での心地よい疲れということになった。

仕事に臨むにあたってはもちろん指示があればそれに従うことも重要だが、何も指示がない時はできるだけどこかに「参加」するようにしている。
できることが多くて損なことは何一つないし、今のように絶対的に人が不足している時はイザという場面で出ていけることがあるかもしれない。
一定の期間を経てようやく周囲とのコミュニケーションも増え、ボールペンの場所ひとつ分からなかった頃とは違ってまずは現場のひとりとして機能することに集中できるようになった。

少しさかのぼれば「昨日の自分を超える」というエントリーがある。
そのエントリーを上げてからしばらくしてのこと、大変有名な方がテレビのCMで同じことを言っていた。
その方とは50歳を超えてなお現役を続けるサッカーの三浦知良選手である。
「なぜそんなに選手を長く続けられるのか?」という子供さんの質問に答える形で出た言葉が昨日の自分を超えたいというものであった。

私は三浦選手よりは年下だが50代である。
50代ともなれば職業人としては先が見えてしまう場面もあるだろう。
先が見えるといえば例えば私がこれから人の上に立って集団をまとめるなどということはない。(そもそも向いていないが)
しかしそれがかなわないからと言って寂しく思うこともない。
いち職業人として日々少しずつうまくなっていけたらそれでよく、その面では前職時よりも手ごたえを感じているし、この年齢からまだ何かが伸びているというのも幸せなことなのだろうと思う。

3月を振り返って

2024-03-31 21:40:22 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
先日は思わぬ形で「役員報酬」なるものをいただいた。
会社で特に役職はない私も今年度は自治会の役員になっていた。
担当したお役目も天候不順などにより流れたものが多かったから何をしていたのだろうという感じだが一応任期は全うした。
4月1日からの新年度はお役目はなく次の機会は1年後である。

さて、年度の終わりということで何かとバタついた中、休日の少ない現状で仕事と寝るを繰り返すだけの日々になってしまった。
具体的な経緯は分からないが今年に入ってからは外の会社に預かってもらっていたものを再び我が社で管理することになり、特に朝の時間帯にやるべきことが増えた。
外に預けることで会社としての利益が圧迫されていたのでその契約をカットし、我が現場から見ればしばらくなかった仕事がまた復活したということのようだ。

長くいる人はともかく私としては増えた仕事は「新しいこと」なので、例によって見よう見まねで覚えていって、さしあたり朝いちばんは手持ちぶさたになることはなくなった。
仮にも組織の長から指名されて現場を采配する社員とコンビを組ませてもらえているのだからありがたいことである。
ゴマをする必要までは感じないがいろいろな場面で声がかかる存在ではありたいと思う。

今の環境に来て一定の期間が過ぎたので有給休暇なるものもめでたく一定日数付いた。
3か月に1度の検診はもちろん、突発的な用事があっても月々の実入りを心配することがなくなったのは大きい。
それ以上に、一定期間を出席し続けたことでようやく「お客さん」から脱して組織の一員になれた感覚が持てたことにホッとしている。

ただ、一員になれたかなとは思いつつ、ホームかアウェイかと言われるとアウェイ感の方がまだ強い。
毎日仕事を続けていく中で周囲の見かたも徐々に変わっているのは感じるが、ごくごく普通に仲間として協力し合う関係以外に厄介なタイプも出てくる。
一つはこちらが何をやろうがどう振る舞おうが「お前なんか絶対に認めない」とでも言わんばかりの空気を出すタイプ、もう一つはこちらを適当におだて上げて仕事を押し付け自分はラクをしたいのが丸分かりのタイプである。
今は認めない派と押し付け派を合わせるとメンバーの過半数になる。
一定期間を経ていろいろと慣れてきた中でもいまだにアウェイ感が強いのはこのためである。

くだらない障害は気になるとはいえ、年度も新しくなることだしこの土日がちょうど月末にかかって気分を入れ替えるにはちょうどよかった。
過去の経験からは突然の「ガス欠」がいちばん怖いので、いろいろと心の中にため込むことはやめて日々をスッキリした形で終われるように、今まで以上に注意しなくてはならないと思う。

1月を振り返って

2024-01-31 21:58:45 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
元日から能登半島では大地震があって、もう1カ月とは早いものだ。
いまだ被害の全容は分かっていないし、最も被害の大きかった石川県のみならず我が富山県でもこれから新たな被害(液状化による家屋への影響など)が出るのではないかとも言われる。
復興などという安直な言葉は今は通用しない。
まずは元通りの生活を取り戻す=復旧が最優先の課題ではあろう。

安直と言えば「がんばろう〇〇」などという物言いがまたも大手を振ってしまうお寒い現状がある。
今さらがんばろうなどと言われなくても北陸は十分がんばってきた。
さすがに今は公に表現されることはないが、北陸も含めた日本海側はかつてはウラ二ホンなどと呼ばれて容赦なく根拠なく蔑まれてきた。
それでも「住みやすさランキング」の類には北陸地方の自治体が軒並み上位に顔を出す。
冬季の降雪による生活の不便さはあるし、実質クルマがなければ生活が…という部分はあるにせよ、何らかの基準を満たしているからランキングに出てくるので各市町村単位ではがんばっているところが多いと言える。

さて、年が明けてひと月、地震の影響もあるのかメーカーさんも忙しくなり当然に我が現場も忙しくなった。
仕事があるのはありがたいことだが、現場仕事で毎日20時前後というのは隔週土曜休という条件も考えるとかなりこたえる。
仕事から帰ると翌日に備えて早く寝ることが主になってしまうし、休日もひたすら疲れを取ることに専念せざるを得なかった。
長かった正月休みには写真撮影のために外に出ることもあったが仕事始め以降はあまり外に出ることはなく写真がほとんど増えなかったのは残念だ。

正月早々、大地震が私自身何度も行ったことがある地域で起こるという悲しい出来事があったとはいうものの、年末年始のまる1週間が休日であったことはずいぶん恵まれていると感じたが、最近になって思わぬ落とし穴があった。
我が現場は12月29日~1月4日までのちょうど1週間が休みであったが、そのうち12月の29~30日、1月4日の計3日分の休暇届けを出せと言ってきた。
富山の我が現場ではなく別の現場がその3日間は働いていたので、それに合わせるということらしい。
形式だけ合わせるのかと思えばそうではなく、有給休暇日数のある社員は有給日数を3日ゴッソリ削られ、まだ有給休暇がない社員は3日間分がまるまる欠勤扱いとなり給料から小さくはない金額が控除された。
まだ歴の浅い私は、せっかくの年末調整戻り分がほぼ全額吹っ飛ぶ形となり残業の多かった年末年始を考えて多少は期待していた手取り額が案外なものになってしまった。

高齢化著しい我が職場にあっては、仕事は生活のためと割り切っている層が大半である。
であればこそ、お金の話は後出しでコッソリやるのではなく事前に説明があるべきだった。
現場の責任者の指示で与えられた休日によって有給日数もしくは現金収入が後から削られるなどというのは他国であれば暴動モノだろう。
朝礼の話を聞いていれば、我が現場単体でも必ずしも余裕のある業績ではないし、他の拠点まで広げれば大変厳しいようではある。
余裕がないと言えば、もともとの給与体系が各県の最低賃金を「意識」したものになっている時点でお察しということであり、給与明細に謎の手当てがくっついてきて(=最低賃金が上がり基本給の部分が最低賃金に満たなくなった分を補正)社員から疑問の声が出てようやく説明があるというありさまで、世の賃上げの波にはハナから乗る気がないか乗れる状況にはないということであろう。

間もなく今の現場に来てから半年が経とうとしているが、仕事にも慣れた今のタイミングで見えてきたものも多くあり、当初とは会社の「見え方」が変化してきたことは否めない。
雇う方も雇われる方も最初の半年間くらいは「互いにとっての」お試し期間であって(いわゆる試用期間の多くは6カ月)雇用側が今後ダメだと思えば労働者はクビになるし、労働者側がダメだと思えばその意思を伝えて会社を捨て去ることができる。
6か月という期間は会社というところの状況を知るのにはちょうどいい時間である。
もうすぐその節目を迎えようという今、特段の話し合いがなければそのまま継続とはなるだろうが、継続でもそうでなくても、私としてはできることを日々悔いなくやるのみである。
やれるだけのことをやって仮にダメであっても人生が終わるわけではない。
今の環境に縁がなくても、きっとどこかでまた輝くことができるだろう。

3月を振り返って

2023-03-31 22:22:39 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
桜がかなり早く咲き、3月最終の週末はあいにくの天気だったので、富山市中心部あたりはもう見ごろは過ぎたかもしれない。
幸いにしてこの土日は好天になりそうだから、少し山手に向かってみて、ちょうどよい感じの木に出会うことに期待をかけてみる。

新しい現場に移ってからひと月半ほどが過ぎた。
まだまだ慣れているとは言い難い中でも外に響くようなミスは今のところ出していない。
何を怖がっているのか知らないが、我が社ではミスは「あってはならないもの」であり、月のアタマから来たばかりのシルバー人材の皆さんにも「間違うな、間違うな」という指導の仕方ばかりしている。
全くの初心者に向かってあまりに酷だろうとは思うし、監視されてまで仕事をしたいとは思わない向きは半年という契約期間を待たずにサッサと逃げてしまう危険がある。
できないのは初心者だから当たり前であり、できないからといって怒りつけながら仕事をさせているようでは、仮に半年もったとしても来年また来てくれるかと言えばかなり怪しい。
昨年から何一つ進歩もなく、使えるものは何でも使えという接し方をするから毎年毎年違う人が来ることになってしまう。

私自身は現場が変わったからと言って特に今までと進め方を変えているわけでもなく、その必要もそもそもないので余計なプレッシャーとは無縁である。
物量的には以前の現場よりも少ないので、忙しい月火あたりでも拍子抜けするほどである。
大きくは建屋が2つあって、それぞれの1階と2階で計4つのフロアを行き来するためか、フォークリフトに乗りっぱなしという感じではなく歩きの作業もかなり多い。
設備も古いので不便さを感じることもままあるが、歩きが多い分なのか最近は体重がみるみる減ってきている。
いわゆる標準体重(身長ー100の数値に0.9を掛ける)までは無理でも、身長ー100は見えてきた。

今の現場は、ロクな会話もなかった以前の現場よりは多少でも会話があるだけマシとは書いた。
しかし人間とは欲なもの、毎日の話題にあまりにも変化がなく中身は時代錯誤も甚だしい下品なものばかりなので以前とは別の意味で疲れを感じる。
申し訳ないが、およそ生物としての欲望丸出し、何のひねりもなくオブラートにすら包まないむき出しの会話というのはおよそ人間というよりはケダモノどうしの会話と言われても仕方がない。
国の今後を憂えての憲法論議の場をサルだ蛮人だと言って炎上中の某野党議員がいるが、この世に野蛮人なるものがいるかと聞かれれば間違いなく私のそばにはいるという答えにはなる。

その下ネタ大魔王のような某ベテラン氏も今日は静かだった。
わずか5人という小勢の現場、くだらない話に何となくでも相手はする2名がどちらも休みだった。
下ネタを言いたくて言いたくてたまらなくても、私を含めて相手にしない人間しか周りにいなければいくらがんばってもムダである。
ダラ(富山弁でバカアホの意)の一つ覚えで日頃下ネタばかり言っている人間は、イヤイヤでも相手をしてくれる人間がいない時にはあまりに惨めであり哀れである。
何とか別の話題を探そうとはするものの、下ネタが通じなければ天気や野球といった当たり障りのない話しかできない。
突破口を開こうとしてか季節の植物の話題を振ってきたものの、残念ながら私は植物には疎いのでナマ返事しかできず会話にならなかった。

会話とは聞いてくれる相手がいてこそ成り立つものであって、話を聞いてくれる相手を増やすには広く薄くでもいいからいろんな知識を蓄えておく必要がある。
必死になって話題を探そうとしたところで残念ながら70年近く生きてきていても蓄積や見聞があまりに薄いことが今日の時点でよく分かった。
自分が見聞きしてきた狭い狭い世界からのモノ言いしかできない人間の言うことには説得力のカケラもないというものである。

泣いても笑っても今の現場での仕事は当分は続くことになるので、下品な人間たちとは適度に距離を取り仕事だけは破綻しないように接していけばよい。
4月以降も心配なことは何もない。
新しく入ってきたからと不必要に足を引っ張ろうとするような蛮人にはこれまでにも出会いすぎていて、それらの経験から彼らの考えることなど手に取るように分かる。
陥れたつもりが逆に陥れられて黙りこくるしかなくなりうろたえる人間を鼻でせせら笑う日もそう遠くはないのだろうと思う。

1月を振り返って

2023-01-31 19:32:17 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
2023年が始まってひと月、とにもかくにも健康で乗り切れたことがいちばんだ。
いい滑り出しはできたと思うので、2月以降も乱れがないようにやっていきたい。

私生活では、少しずつではあるが自室のグレードアップを進め、本欄の更新に使っているPCも新しくするなどストレスが少ない環境に何とか持ってこれた。
最新のスペックを求めるわけではないものの、PCで何か作業をしようと思っても一定の処理能力がないことにはすべてに時間がかかってイライラのもとになってしまう。
と言って、仕事でビデオ会議を使うでもなく趣味で動画編集をするとかでもないから、物凄いスペックまではいらないし保存容量も自分の使い方なら十分すぎるくらいある。
上を見ればキリがない。
使い方や身の丈に合った機種で満足できるならそれでよい。

残念なことに値上げ値上げの世の中になり、先日来た次回の電気料金が「未知の領域」とも言えるもので、お金を使うばかりではなく、削れるものは削らなくてはならない。
年初からは保険の見直しにも着手して、年齢を重ねた今にあっても月々の負担は減りながらも保障をより厚くすることができた。
今の時代、調べれば手続きも簡便で中身もシンプルな形の保険はたくさんある。
家電やクルマと同じで、求める最低限さえハッキリしていれば自ずと選択は定まるというものである。
保険以外でもまだ支出を削る余地はあると思うので、2月以降もよりムダのないスリムな形を目指したい。

仕事は前回も書いた通り、個人のレベルでは順調に過ぎた。
2月の今頃には同じ部署ではあるが働く現場が変わっている予定であり、慣れるまでに少しばかりの苦労はあるかもしれない。
会社が変わるわけでもなく、当然ながら扱う伝票のフォームも同じだし、違うことといえばやや細かい商品が増えることくらいだから大きく心配はしていない。
メンバーとコミュニケーションを取りながら楽しくやれるようにしたい。

1月といえば年の始まり、詳しくは聞いていないが、職場は12月が締めの月となっているようで、会計年度も1月から12月で切っているようだ。
1月が会社にとっての年度の始まりということならば、第何期かは知らないが社としての大方針はあると思う。
ところが、年が明けてひと月経った今、それらしいものが発表された気配はない。
昨年までならそういった方針めいたものは我々のような立場の人間にも聞く機会はあった。
今年に入ってからは方針の読み上げや唱和といったものが全くないのは不思議な感じがする。
2023年の方針は普通なら2022年の内に決まっていると思うが、いまだに決まっていないのだろうか。

今年の方針が明日から2月というのに決まっていないわけはないと思うが、伝える立場の人間が単に伝えていないだけだと思いたい。
いくら何でも年度の最初の1か月を何の目標もないまま走る企業であっては困るし先が思いやられる。
同業他社は多数あっても中身(高付加価値)という面では並ぶ存在はないと言っていい会社が何の目標も立てないまま2月を迎えることなどありえない。
すでに社員には伝わっているかもしれないから、機会を見て現場のリーダー氏を突っついてみるのもおもしろい。
会社の目標や方針が正社員だけのものであっていいはずはないからである。

12月と2022年を振り返って

2022-12-31 21:59:55 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
今日は大みそかなので、本年全体を振り返って2023年につなぐことにする。

まずはこの一年、体調を崩すことなく、避けられない所用を除いては仕事を休むこともなく健康で乗り切ることができたのがいちばん大きい。
一年を健康で乗り切るという簡単そうなことが、昨年からさかのぼって4年ほどはできていなかった。
その4年ほどは、原因はいろいろあるが必ずどこかでガス欠になったり気分の落ち込みにさいなまれたりで仕事から離れる時間がどうしてもできていた。
その間には当然ながら経済的にも苦しく、ほんの一瞬は投げやりな気持ちにもなって、不注意とはいえ「ほぼ自殺」と言われても仕方がない事態にもなった。
それを思えば、昨年秋から入った環境でまる一年を超えて過ごすことができて、細々とでも自力で何とか生活を回しながら少しずつほしいものも買いそろえるなどできたことは、苦しいばかりだった2021年を思えばずいぶんとマトモになった。

この一年、仕事に関しては個人レベルでは至って順調で、現場のこともあらかた覚えて自分のアイデアも入れながら分かりやすく組み替えていった。
その結果、毎月の在庫カウントは非常に短時間で終わることができるようになり、年末締めの緊張感とは無縁で終わることができた。
モノを間違えたとか数を間違えたとかのミスもなく、また秋ごろには若い作業者さんのためにリフト講師を務めるなど、できる範囲での協力はしてきたつもりである。

そんな中でも、実務スキルに乏しい人間の指示を受けて動く毎日はそれなりにストレスもあった。
他人の間違いは人前でも大っぴらにする一方で、自分の間違いは一切認めようとしない、自分が悪くないという結論のためなら周囲の人間を平気で裏切ることも人間の盾にすることもいとわないある種の異常者との日々は文字通りの戦いであった。
ただ、その人間は、聞き間違いでなければ年末最後のあいさつの中で「年明け皆さんとお会いできるか分からないが…」と口走った。
都合の悪い話は出てこないか事後報告になる今の職場の体質からして、もしかしたら年明けからは別の部署の人間になっているのかもしれない。
我々作業者の目の前で別の部署に行かされるなどという格好の悪い話が本人の口から出るわけはなく、年末最後の出勤日で「お別れ」という大事な話もその場では出ないということである。

私個人の例を引くまでもなく人間には争いは付き物だと思っているし、たかが仕事と言っても最後は実力しか頼るものはない。
2023年以降も日々わずかでも積み重ねができれば、日々の積み重ねがゼロのまま年数だけを重ねている人間には少なくとも負けないとは思うので、これまでの人生や経験を出し惜しみせずにやっていきたい。
そのためには引き続き健康であり続けることが大事なので、2022年に続いて最大にして唯一の目標は「日々健康」ということになる。

本年は環境への慣れを優先した結果、本欄の更新は少なくなってしまいましたが、ご覧になっていただきありがとうございました。
2023年も本欄をよろしくお願い申し上げます。

11月を振り返って

2022-11-30 20:02:17 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
世界は狂人に支配されていると言ってのちに非業の死を遂げたのはジョンレノンだが、我が職場もある意味狂人によって支配されていることが確認できた月であった。
会社であれ学校であれ、組織というものはそれぞれに閉じた空間でそれぞれに秘密も抱える。
その意味では、国民国家たる国とは別に、組織はひとつひとつが国のようなもので、社会一般の常識が通用しないことの方が多いといっていいのだろう。

日頃近い場所にいる我が現場のリーダー氏に関しては、前回のサイコパス認定でもってマトモに取り合う相手ではないし、今までさんざん書いてきたので本日は省略する。
加えて、狂人が氏だけではないことがここ数日でハッキリしてきた。
正社員とそれ以外分け隔てなくが社風、と語った上席者とは裏腹に、より現場に近い方の管理者がことごとく狂人で、自分たちで正社員とそれ以外を分け隔てる結果を生んでしまっている。

本日は朝礼の後、部署単位で安全に関するミーティングが予定されていた。
朝礼が終わり会場に行くと机が明らかに濡れている。
机が湿っていたら話し合いなどできないから参加者がそれぞれティッシュやハンカチで机を拭いていたら、それをブスっとした顔をして見ていた某女史の姿があった。
せっかく私が机を水拭きしてあげたのに…という気持ちでもあったのかもしれないが、水拭きをして乾く時間の計算はしていなかったのか。

過日、我が現場で明らかなミスが発生した際、顧客が怒っていないからミスではないと我が現場のリーダー氏同様に公然と言い放ったのもこの女史であったが、その定義は社会通念に照らしてどうなんだと迫ってようやくミスだと認めるありさまであった。
あまりに抑揚のない話しぶりから、人の体温を感じない、まるでAI自動音声のような人という印象は以前からあったのだが、他人への共感が薄いという意味ではやはりサイコパス的なところがあるのかもしれない。

帰り際には、いつも朝に話し相手になっている某氏が私を呼ぶので何かと思ったら「もうこの会社はイヤだ」と言い出した。
穏やかではないので聞いてみたら、氏の現場を仕切る別のリーダーが、たまたま昨日私と氏がほんの数分雑談を交わしていたことをつかまえてネチネチと攻撃してきたというのである。
わずか数分のその場面だけを切り取って言いがかりをつけてくるなら、毎朝リーダーどうしでホウキを持ったままロクに掃除もしないでしゃべってばかりいるのはどうなるのか。

このリーダー氏はずいぶん前の朝礼で、ある派遣スタッフから仕事について質問された際「オレにそれ聞くんか!」と激高し、全員が見ている前でそのスタッフと口論になった。
口論だけで終わればよかったが、そのリーダー氏は明らかに自らの意思でもって左腕でそのスタッフを突き飛ばした。
もんどりうって倒れたそのスタッフは、現場の金属製の棚に頭をぶつけ軽いケガをした。
打ちどころが悪ければあるいは…ということが分かって突き飛ばしたとすれば、傷害あるいは殺人未遂にも等しい行為であるが、このリーダー氏はクビにならないどころか何の処分も受けていない。

本日の振る舞いを見れば、当時の反省などもはやどこかへ行ってしまっているのだろう。
正社員でない者はイヌ同然くらいに思っているのかもしれないし、そう思われても一向に構わない。
派遣スタッフを感情に任せて突き飛ばすなどという行為は、犬にも及ばないおよそケダモノの所業であり、ケダモノにえらそうに指示される筋合いは本来はないからだ。

我が課だけのこととは思いたいが、ミスひとつにしてもパートや派遣に対してはことのほか厳しい一方で、社員どうしは「まあまあ…」でキズを舐めあい、それが当たり前かのような雰囲気すら感じる。
世界に誇れる特許を持ち、社屋にはSDGsの大看板を掲げる会社でも、中身はさしずめ社員天国、ユルユルの生ぬるい環境である。
製品の優位性からよほど間違えなければ会社が倒れるようなことはないだろうが、これまでの信頼が先人の努力の上に成り立っていることが現在会社を背負う人間に認識されなければ、坂道を転げ落ちるのも案外早いのかもしれない。

10月を振り返って

2022-10-30 20:07:30 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
10月はまだあと一日あるが、週明けが極端に物量が多く、たぶん仕事から帰ったら早々に寝てしまうので振り返りは今日にすることにした。

最近はあまり私的なことを書いていない。
10月になれば少し標高の高い場所では紅葉が盛りとなっていて、今後徐々に平地に下りてくる。
ここ二週の週末は天気にも恵まれ、職場のベテランさんにもすすめられてまだ行ったことがなかった場所にも出向いて楽しんできた。
携帯の電波すら届かない場所に行って、しばし憂き世のあれやこれやを忘れるのは大切なことだ。
10月はまた、ここのところ再度流行り出したと言われるレコードやカセットなどのアナログメディアを聴けるように自室に機器の導入もした。
最近のCDラジオタイプの機器はコンパクトで置き場所に困らない代わりに低音のパワーに欠ける。
音響機器はやはり機器そのものに奥行きがないとダメだ。
かといって高級な機器というわけでもなく製造は21世紀初期のものだから驚くほど安く手に入れられたというわけである。

さて、10月のわが現場は物量もすっかり落ち着き、夏場のように追われるように仕事をする場面はなくなっている。
出るものが少なくなれば当然入るものが増え、これから冬を越すまでは置き場所の確保に悩み続けることになる。
どんな計画になっているかは知る由もないが、現状の在庫が読めているのかと思うような入り方をされると横の連絡の悪さを疑わざるを得ない。

10月は横だけでなく縦の関係性が怪しいと思われる事案にも出会った。
月の真ん中に判明したミスの報告が部署のトップに行くまでに一週間、その報告からあらためての事情聴取に動くまでにさらに一週間を要した。
何をもってミスと定義するかは会社によって違うとは思うしそこは変えようがないといっても、その定義そのものがいわゆる「常識」からずれていないかどうかは実際に運用する人間が考えなくてはならない。

何らかの原因で特定のある日に客先にあるべきものが現場から見つかったら通常はミスであるが、今の現場では顧客や社内の営業さんがクレームを入れてきたもののみをミスとカウントしているようだ。
すなわち、客観的に見て届くべきものが届いていなくても、オオゴトにさえならなければミスにはカウントしないというのである。
だから、10月中に運搬中に誤って現場に転げ落ち会社の敷地から出るべきものが出なかったケースはお客さんが怒らなかったということでもってミスにはカウントせず、ミスゼロ連続日数という数字が何事もなかったかのように伸びていったのである。

会社や学校など組織というものにはそれぞれ独特のルールがあるし、ルールそのものには一定の意味があるとは思う。
ただ、ルールそのものを自らを甘やかす手段に用いれば、外部から多くの人材を作業者として頼る環境では当然のように疑問が出る。
外からやってくる人間はただただ怠惰に生きてきたのでは決してなく、それぞれにいろんな経験をしている。
その経験を基にして出てくる疑問を、ウチでは・・・などと言って何が何でも正当化しようとすれば事態はたちまちこじれる。
外部から来る人間は日頃利用するだけ利用して、ひとつミスでも犯せば腕組みをして仁王立ちという場面は何回も見るのに、自分たちのミスは認めることもしないしどうかすれば隠そうとする。
そういう姿を見せられると、日頃指示に従って動いている立場からして信用しろという方が無理である。

決してすべてとは思わないが、残念ながら自らの乏しい実力や貢献度を棚上げして、ただただ「社員かそうでないか」で物事を考える人間がいるということであろう。
それは会社としての教育か一部の人間の意識だけのことかは分からない。
外部の人間には厳しく社員どうしは傷を舐めあう体質があるとすれば問題だし、そうだとすればそれは立派な差別であって、社員とそれ以外の壁は作らないという日頃の掛け声は全くのウソということである。

私も今の環境に来て間もなく一年になろうとしている。
率直に「会社まるごとがダメダメ」という感覚は全くなく、管理職の中でも現場に近い方の人間が上の指示を都合よく捻じ曲げて運用しているように思う。
外部の人間に直接指示を出す人間の思想が差別的であることが、この一年、特に春先からここまでの半年間のバタバタぶりで説明できてしまう。
仕事に行き詰まれば、今いる人間の誰でもいいから知恵を借りて乗り切らなくてはいけないのに、外部の人間には決して頭は下げられない。
乏しい能力をいくら結集しても乏しい結果しか生まれないことは分かってはいても、つまらないプライドが邪魔をして自分たちで自分たちの首を絞めてしまっている。

こんな状況は短い時間では解決しない。
11月の振り返りも同じようなことを書くことになるのか。
あるいは月末の到来を待たずして、彼らが自分たちで重ねたウソの重みにつぶされるのか。
11月は私の誕生月でもあるが、何か面白いことが起こりそうな予感がするのである。