blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

8月19日の行状

2018-08-28 02:49:07 | 旅行
長い長い夏休みも19日で終わりであった。
この19日に東京でライブ出演という日程が入ったために今夏の予定が決まったと言っても良かった。
この春から積み上げてきた練習の成果を披露する場だから大仕事といえばそうだが、もともとステージ経験はたっぷりあって本番には強いタイプでもあるので、前日夜は餃子だけでなくビールもしこたま流し込むことができた。

なるべく余裕を持って会場入りしたいという気持ちから、当日朝は湘南新宿ラインの朝一番の快速(8:35発)を使うことにしていた。
鉄道写真ばかりになってしまうがご容赦を。











18きっぷによる節約旅ながら、実質最後の移動はほんの少しだけ奮発してグリーン車を取った。
ほぼ特急と同等のシート、2階建車両の2階を確保し、約1時間半、新宿までの移動はすこぶる快適であった。

ライブ会場がある下北沢は初めて下りる場所、若干道に迷いながらもまずはこの日のライブ会場である下北沢ReGをこの目で押さえてから昼食をとることにした。



周辺は、常に住みたい街上位にランクインすることがなるほどと思える街並み、ただし下北沢ロフトがまだ続いているかは写真だけでは分からなかった。





リハーサルは13時から、歌詞を思い切り間違えながらもつつがなく終わり、18時過ぎの本番までは新宿に戻って時間をつぶした。
本番を控えて気持ちが落ち着くはずもなく、出番よりは相当早めに会場に戻った。

私の出番の頃にはお客さんも増え、ステージ前ギリギリまで人が詰めている状況だった。
ステージ慣れはしているとはいうものの、これまではリズム隊の一員(ドラムズ)であることが多く、照明の具合によってはお客さんがあまり見えないことも多くあったが、ヴォーカリストとして上がるステージはそういうわけにはいかなかった。
しかし、練習した成果はほぼ出し切ることができ、余計なアオリまで入れられたステージは、歌い終わった後のトークも含めて個人的には大成功であった。

これからどんな流れになるのか、オリジナル曲がコンピレーションアルバムとしてCD化されることと各種音楽サイトへ配信されることは決まっているものの、自分自身の活動についてはまだぼんやりとしたままである。
さらに選ばれてミュージックビデオの制作までいっている出身者もいるようだが、そこまでいくのかどうか、ライブ終了後は何の音沙汰もない今は本当に何も分からない。
そこまで選ばれなくてもそうそうできない貴重な経験をさせてもらえたとは思うのだが、じっと私の方をまっすぐに見つめてリズムをとりながら拙い歌を聴いてくれたお客さんのことを思い出すと、これからいろんな形で露出を増やしていかなくてはならないとの思いを強くする。
できるならば、誰にも胸を張って大好きと言える「歌の世界」に使う時間を人生の中で増やしていければと思う。

3部構成のライブも、愛知に住む私は3部は見ることはできず(出演は2部)新幹線の品川駅に向かった。





若き頃に熱狂したラフィンノーズやニューロティカが立った(彼らはまだ現役なのでこれからも立つ)下北沢ReGのステージに自分が立てたことに感慨を覚え、同時にここまで導いてくれた多くの人々への感謝の気持ちを忘れることなく、好きなことを極めることを人生の一部として取り入れていけたら、きっと生きていて良かったと思える人生になっていくことだろう。

いろいろな場面はあったが総じて、新鮮な体験も多く充実した夏休みになった。
この夏休みを機に本当に今を変えていくことができるなら言うことはない。

8月18日の行状

2018-08-26 21:56:58 | 旅行
先週の旅行記を書いている間に、今週が終わってしまう。
今週末も昨日こそゆっくり休息したが、今日日曜は思い付いて近場の観光地に出かけている。
早く時系列で追いつきたいが、夏休みについては書きたいことも多い。
本日は8月18日のこと、明日に19日のことを書いて夏休みの話はようやくにして終わらせ、変わりばえなくつまらない平日のことは省いて、また新しい場所に行った今週のことを書きたいと思う。

山形市内で当地にいるような楽しみ方をした翌日、出発は10時くらいを予定していた。
山形駅は、地味な駅が多い奥羽本線にあってさすが県都という趣があった。



次の目的地は宇都宮市で、ここは山形市同様初めて足を運ぶ。
栃木県も日光市や足利市などには行ったことがあったが、やはり県都に行っていないと何かが抜けているような気になる。
時間的には余裕はあったが、山形からすべてを普通列車でカバーするのにはいささか無理を感じた。
山形新幹線はミニ新幹線のため特急料金が安く、その特長を利用して郡山までは新幹線の力を借りることにして、山形駅10時過ぎのつばさ号に乗り込み、11時半ごろに郡山に着いた。



郡山では昼食のためにいったん改札から出た程度で特に街歩きはせず、ここからは各駅停車を細かくつないで福島県から栃木県に入り、15時ごろに宇都宮駅に着いた。



言わずと知れた餃子の街、駅前にはその名も「餃子像」という石像が。



当日の宿は東武宇都宮駅に近く、やや歩くのは知っていたが、そのおかげでよく整備された市街地の写真をいくつか撮ることができた。







さすがにここまでの疲れがたまって、予定よりは相当早めに宿に入ったが、当日は派手に遊ぶ気はなくまずはひと寝入りということになった。
目が覚めて、ホテルや周辺でもらった地図を頼りにやはり餃子を夕食の軸に据えることにし、東武百貨店の中にある某チェーン店の店舗に入った。



まずはタレはつけずにという触れ書きがあったので素直に従って食べると、タレがなくても十分に味がしみ出していて至高の味わいであった。
シューマイなど余計なものは付けないで、写真の通りほぼ餃子だけのメニューにしたがまったく十分だった。
普段お米と一緒にお酒は飲まないが、あまりにも餃子がおいしいのでビールを二杯も飲んでしまった。

ずいぶん暗くなっていたが、東武百貨店から出て周辺を街歩きした。
アーケードのある立派な商店街は「オリオン通り」と言って、夜遅くにも関わらず若い人が多く出て活気があった。
東京に近い地方都市共通の悩みはあるのだと思うが、この夜を見る限りは宇都宮もやはり熱かった。
写真はオリオン通りのネオンサインと、あえて遠目に撮ったが宇都宮市内で最も「艶っぽい」お店がビッシリ集まっている一角。
競争はもちろんあるだろうが、あれだけ「同業」が固まっていると、共存共栄の仕組みもあるにはあるのだろう。





翌日、夏休みの最終日はいよいよ東京での大仕事が控えており、朝の出発も早い予定だったので、ニンニクの匂いは気になりながらも、疲れからかはたまたビールを飲んだからか、この日も横になったら早々に眠りについたのであった。

8月17日の行状

2018-08-25 20:49:40 | 旅行
新潟では街歩きは早めに終わらせ、休息を優先した。
この日が旅の一つのヤマ、新潟市→酒田市→新庄市→山形市という長距離移動の日であった。
しかし新潟を出発するのは早くなく、10時11分発の快速「きらきらうえつ」に間に合えばよかったから、17日の朝もホテルでゆっくりめに過ごせた。

さて、その「きらきらうえつ」は18きっぷユーザーならおなじみ、全車指定席(座席指定券520円別途必要)ながら快速扱いという大変ありがたい列車で、停車駅も特急とほぼ同じで酒田まで直通で行ってくれるのだから使わない手はない。



車両は国鉄型の特急車両を改造したもので、設備はほぼ特急レベル、4両編成のうちの1両はラウンジシート(車内の売店で購入したものに限り飲食可能)という快速とは思えない豪華さである。





新潟から酒田までは約2時間40分、昨日までの悪天候を引きずり数分遅れでの運行とはなったが、私の行程には問題なかった。
名勝・笹川流れを望む日本海沿いを走り、山形県に入ると米どころである広い広い庄内平野を突っ走る。
最後まで遅れは取り戻せなかったがわずかなもの、13時近くに列車は酒田駅に着いた。





酒田では駅前で昼食をとり、約1時間後の陸羽西線の新庄行き快速「最上川」に乗車する予定であった。
しかし、駅の案内板を見ると「バス代行」の文字がハッキリと見えるではないか。



8月上旬の豪雨により陸羽西線は運転を当分見合わせるとのことで、14時ちょうど発は同じながら乗るのはバス(列車代行バスだから18きっぷで乗車OK)というちょっとしたハプニングとなった。
バスは鉄道とほぼ並行する国道47号線を進んだが、進行方向左手に陣取れたのは運が良く、最上川の雄大な流れを終始楽しむことができた。
悪天候の影響で泥水の最上川ではあったが、本来はもっと綺麗な姿であろうかと思う。



代行バスとは言いながら、鉄道と同じ時刻での運行は保証されてなく、鉄道利用よりは30分ほど遅れて新庄駅に着いた。
下の写真は山形新幹線つばさ号。





本当なら山形駅までの道中で寄りたいところがもう一つあったが、スケジュール的にそこは困難になったので、仕方なく山形駅まで直行することにした。
奥羽本線沿いは山形盆地の中を通り、右を見ても左を見ても遠目には山、近いところは果物畑が延々と続くという一般のイメージ通りの道中であった。
単線区間もあり行き違いの待ち合わせなどがあって、結局山形駅着は予定より20分ほど遅れてしまった。
ホテルが駅近くだったことは幸いだった。

夜近くに着いた山形市では、観光よりは夜の食事を楽しむことにした。
駅前北東側の香澄町と呼ばれるあたりがどうやら飲食・歓楽街のようで、泊まったホテルもその一角にあった。
ホテルがくれたクーポンを頼りに駅前すぐの某居酒屋でまずはひと飲み。
名物(と書いてあった)イモ煮は本当においしかったので写真も載せる。



ホテルの建物が少し変わっていて、ホテルは3階から上、2階から地下1階はいわゆる夜のお店が入っているというのも初めての経験だった。
だからというわけではないが、そのうちの一軒でやや夜更かしして「楽しい時間」を過ごしてしまった。
県内の他の土地は分からないが、山形市は相当に熱い街であったというのが感想だ。
今回は夜だけだったので、次回は昼間の観光も取り入れたい。
いずれにしろ、酒田市と立石寺(山寺)しか行ったことがなかった県なので、県都に立ち寄れたことは良かったと思う。

今回では唯一日付が変わるまで飲み、しかし翌日は移動時間には余裕があったので、寝過ごしだけはしないように対策をして横になったらアッという間に眠りについていたのであった。

8月16日の行状

2018-08-24 19:46:22 | 旅行
長い夏休みの後半は、いよいよ青春18きっぷをフル活用しての鉄道旅のスタートである。
ただ、スケジュールの都合上、地元から上越市までは新幹線の力を借り上越妙高駅へ。
旧信越本線で直江津駅まで出て、そこからは長岡行き快速、長岡からは新潟行き快速と、各駅ではない列車をうまくつないで昼前には新潟駅に着いた。



当日はこれ以上の大きな移動はなく、まずは越後線で2駅の関屋駅に向かった。



なぜわざわざ普通の住宅地が中心の駅で下りたかというと、駅から徒歩5分くらいのところにある公園を目的としていたからである。
その公園が下の写真。



何ということはない公園に見えるが、実はここが旧新潟競馬場の跡地である。
石碑が建っていて、関屋から現在の場所に競馬場が移った経緯が記されている。
ちなみに今も夏の新潟開催には「関屋記念」という距離1,600mの重賞レースが組まれている。



競馬ロマンに浸った後は新潟駅に取って返し、いったんバスで新潟市の繁華街である古町まで。
天気が悪い中ではあったが、ただただ街歩きがしたくて行って見たところ、通称「ドカベンロード」(水島新司マンガストリート)という通りがあるので足を運ぶことにした。
新潟出身の水島新司さんはドカベン以外にも野球マンガを多く残されている。
通りには、「あぶさん」や「野球狂の詩」にちなむ銅像もあったが、やはり個人的にも最も馴染み深いのは「ドカベン」で、銅像の数もいちばん多かった。
以下、山田、里中、殿馬、岩城の順。









大雨の中、古町のアーケードを頼りに何とか万代橋までたどり着き、苦しい態勢ながら何枚か写真を撮った。
万代シティのレインボータワーには「さようなら」の文字があったから、近々取り壊しになるのかもしれない。





当日は早めに宿に入ることは決めていた。
夏の甲子園で3回戦まで勝ち進んだ富山県代表の高岡商が、後に選手権を制する大阪桐蔭と対決する試合をホテルのテレビで観戦したかったからだ。
負けはしたもののスコアは1-3の僅差、しかも相手の4番バッターを無安打に抑えての山田投手の11奪三振の力投は、富山県勢の夏の大会としては屈指の輝きを放つ成果として記憶されるだろう。
来年以降、富山県勢も少しは警戒されるような存在に徐々にでもなっていってほしい。

せっかくなので遊びたい気持ちもあったが、雨がやんだ夜もちょっとした街歩きと普通の食事のみで終わらせ、今回ではいちばん移動距離の長い次の日に備えてこの日は早めに休むことにしたのであった。

「わたし維新」の旅?

2017-11-28 21:01:55 | 旅行
23日から26日にかけて、山口県を中心に北九州市(門司・小倉)を最終目的地とする旅行に出た。
今回も天候に恵まれ中身の濃い旅になり、無事に帰ってこれたことは何よりである。
これまでの旅行では1日ずつの行状をエントリーを分けてアップしてきたし、本来ならそうしたい。
しかし、11月の終わりが迫り、月の振り返りに書きたいことも多くあることから、4日間をごくごく簡単にまとめてしまうことをご容赦願いたい。

昨年の6月に全都道府県に足を入れたことは入れたのだが、山口県は非常に薄い訪問で終わっていたこと、またJRのデスティネーションキャンペーンの対象が山口県だったことで、4日間のうち3日間は山口県をじっくり回る計画にした。
ちなみに、わたし維新なるキャッチはJRのキャンペーンポスターに使われていたフレーズであり、当地近辺でも見ることができる。

余計な感想や説明は省き、日毎のベストショットで訪問地を紹介していく。

<1日目>岩国市〜防府市

*錦帯橋(岩国市)



*防府天満宮(防府市)



*防府天満宮の敷地内にあった「芳松庵」の見事な紅葉。



<2日目>秋芳洞・秋吉台〜山口市中心部

*秋芳洞



*秋吉台



*国宝・瑠璃光寺五重塔(山口市)



<3日目>下関市〜北九州市門司区

*海峡ゆめタワー(下関市)からの関門海峡の眺め。



*唐戸桟橋(下関市)



*関門海峡人道トンネル内、山口と福岡の県境。(関門海峡を歩いて渡ることができる)



<4日目>北九州市門司区〜同小倉北区

*JR門司駅近くの大里緑地公園。



*JR小倉駅



*北九州メディアドーム(我が国で2つしかないドーム型競輪場)



山口県の東の端(岩国市)から西の端(下関市)まで、西へ西への行程で十分満足、最後の北九州市がオマケに思えるくらい、山口県内だけでも見どころは多くあった。
のぞみ号も全部は止まらず通過されがちな県ではあるが、広島を見て次は福岡というのはあまりにももったいないと感じた。
歴史に詳しい人なら明治維新と関係する見どころがごまんとあるし、私のような景観重視の旅行者にも大きな感動を与えてくれる。

今回の山口県のように、行くには行ったが薄くしか訪問できていなかった県をあらためて時間をかけて楽しむことができたのはいい経験になった。
まだまだ薄い訪問に終わっている県がけっこうあるので、お金と時間を見ながらまた計画を立ててみたいと思う。

11月5日の行状

2017-11-12 19:56:36 | 旅行
今日の日中、テレビをつけたらたまたま前回書いた「さいたまクリテリウム」の様子が放映されていた。
こちらはナマの迫力を味わってきたとはいえ、人混みの中で何が何だかという時間も多かっただけに、しっかりとした映像と解説であらためてレースの様子を見ることができたのは幸運だった。

さて、5日は快晴。
旅の最終日は千葉県の東端、銚子市が目的地であった。
JR銚子駅からはさらに総路線わずか6kmあまりという銚子電気鉄道の線路が延びている。
今回、犬吠埼にぜひ行きたかったので、鉄道好きとして銚子電鉄に乗ることも欠かせない目的であった。

成田から銚子に向かう成田線の車内は意外に混み合っていたが、途中の佐原駅で鹿島線に乗り換える人々が大量に下りていった。
格好を見ればサッカーチームの応援というのはすぐに分かったので、なるほどなと思った。
沿線といえば本当に何もなく、あるいは地平線も見えるかというくらいの平たい風景の中を各駅停車が1時間20分くらいかけてようやく銚子駅に滑り込んだ。



駅舎が工事中だったため撮影できず、駅前の様子を少し。
ここまで来れば利根川と太平洋が出会う地点もすぐそこである。





いよいよ銚子電鉄のホームに立ち、入線してきた2両編成の電車を撮影。



銚子駅から終点の外川(とかわ)駅まで、わずか20分の間にも、アイドルのような車掌さんがいたり、地元銚子商業高校の女子生徒さんたちが車内販売に入ってきたりで、一時は廃線の危機にあった路線が今も地元の人々に懸命に支えられている様子が伝わってきた。
私は乗り鉄なので、終点一つ前の犬吠駅はひとまずやり過ごし、まずは終点の外川駅で下車。



外川駅は海岸からやや高いところにあり、駅近くから海岸に下りて行く坂道が一つの見所になっているようだった。



時間の関係もあり、今乗ってきた電車に折り返しで乗り、となりの犬吠駅で下車。





目指すはもちろんココ。



真っ白な犬吠埼灯台。



灯台には登ることもできたので、太平洋の絶景を思う存分堪能できた。(3枚目は市内もう一つのランドマークである銚子ポートタワー)







灯台から下りてくると、なぜか真っ白な郵便ポストが。



犬吠駅まで取って返し、お土産用に名物のぬれ煎餅を買い込み駅周辺で撮り鉄。



あわただしくも楽しかった銚子に別れを告げ、一路成田空港へ。
成田からは中部空港行きが夕方に2便飛んでいて、いちいち東京に出なくてもいいことにメリットを感じ、早めの予約をかけていた。
JR線を下りて案内板の通りに歩いて行くといきなり保安検査場にたどり着いた。
飲食スペースやおみやげ屋さんは、検査場をくぐった後の搭乗口のかたわらに小さく設けられているだけだった。
成田の国内線はあくまで海外各地から国内各地への乗り継ぎ地点の役割が強く、ターミナルに大掛かりな商業施設を設けるメリットがないのであろう。
私のように純粋な国内旅行の一部として成田発の国内線を使う人間は少数派、それでも日本で指折りの空港の一端を垣間見られただけでもよかったと思う。

3日間、ほぼ晴天に恵まれ、新しい体験も多くできて、ここ数回の中では特に満足の大きい旅ができた。
あらためて、今こうやって旅を計画して実行に移せる体力と健康に恵まれていることが嬉しい。
一つしかない大切なこの体、元気なうちに多くの土地に行って、少しずつでも多くの経験を積み重ねていきたいものだ。

11月4日の行状

2017-11-11 09:22:48 | 旅行
昨夜は会社の集まりがあって本欄更新できず。
もう旅行から一週間、記憶が薄れぬうちに早めに追いついておきたい。

この日の目的地はさいたま新都心駅周辺、まずは最寄りのJR馬喰町駅から、と思っていたら、宿では秋葉原駅行きのシャトルバスを出していた。
秋葉原からなら京浜東北線で乗り換えなく行けるから、これはありがたかった。
どこに行く時もそうだが、ホテルのフロントまわりをウロウロするとけっこう便利な情報が手に入る。
周辺の飲食店情報や、やや広域の観光情報など、出発前には分からなかったことが分かることも多い。

さて、さいたま新都心駅に着き改札を出ると、さっそくこの日のお目当てであるイベントの横断幕が目に飛び込んできた。



「さいたまクリテリウム」という自転車のロードレースが終日行われるのがこの日であった。
今年ですでに5回目、本家ツールドフランスの名を冠した我が国唯一のレース、参加選手には今年夏にあったツールドフランスの総合優勝者と準優勝者も含まれるというロードレースファンにはたまらないイベントである。
コースはさいたま新都心駅を中心とした3kmちょうどの周回コース、レースが始まるまでの時間、ジリジリと移動しながらコースの写真を撮った。

*スタート/ゴール地点周辺











*西大通り周辺







都会の、しかも駅周辺を規制しての自転車レースというのは世界的にも珍しいようである。
スピードが出る平坦コースということ、また大きなイベントだけに私のような素人も多い会場、また世界のトップが集まっていることもあって、神経質なほどの交通・観覧規制が敷かれていたのには正直参ったが、自転車競技への理解が欧州ほどは高くない我が国にあっては致し方ない部分もある。

西大通り付近の飲食スペースには、フランス国旗も多数飾られ、本場の雰囲気が演出されていた。



レースは、スプリントや個人・チームによるタイムトライアルを経て、15時からは3km×19周=57kmで争うメインレースであった。
周回コースなので選手を何度でも見ることができたし、周回を重ねるごとにみるみる展開が変わっていくのも見ていて楽しかった。
レース中の自転車のスピードが速すぎて、手持ちのコンデジの性能では限界がありあまりいい写真が撮れなかったのは残念だったが。

ゴール前直線はけっこうな集団でのスプリント勝負となって、結局英国のカヴェンディッシュ選手が優勝した。
ロードに詳しい人なら、平坦コースではいわゆるスプリンターが有利ということであらかた予想通りの結果だったらしい。

自転車がらみといえば競輪を中心にトラック競技ばかり見てきたが、競輪でラインを組むのと同じようにロードレースもチームで戦うのが大原則である。
各チームにはエースが存在し、アシスト役はエースを勝たせるために献身的なまでに役割を果たす。
強いチームになると、他チームならエースを張れるような力を持った選手がアシストに尽力するから、エースにとってはなんとも心強いということになる。
自転車競技は風(空気抵抗)との戦いであることはトラックもロードも変わらない。
その部分を初めてのロードレース観戦であらためて実感できたことは、今後国際規格のトラック競技や別のロードレースを観戦する時にも役立ってくれるだろう。

レースの興奮冷めやらぬうち、宿までの行程を急いだ。
翌日の目的地の関係もあり、さいたま市から成田市まで移動する必要があった。
この日はほぼ一日立ちんぼで腰が痛くなってくるほどであったから、宿に併設されたコンビニで夕食を仕入れ、体を休めることを優先して、至って健全な夜を過ごしたのであった。
翌日の行状は次回に。

11月3日の行状

2017-11-09 20:11:38 | 旅行
誕生日当日の深夜、JR春日井駅前を経由する東京駅行きのバスに乗り込み、3日間の旅が始まった。



私はあまり乗り物では寝られない方だが、独立シートなど工夫された快適な車内で眠りに落ちていた時間は間違いなくあり、東京に着いた頃には思ったよりも疲れはなかった。
この日は朝の6時過ぎから目一杯動いたため、文章をダラダラつづるよりは写真を多く載せることにする。

*東京駅と皇居・国会周辺(4枚目は総理官邸)









トランプ米国大統領の来日はこの2日後ながら、駅のコインロッカーはすでに使用禁止になっていたし、国会周辺にもこの時点で警備員がかなりいたように思った。

*東京モーターショー(東京ビッグサイト)











とにかく開場前から人、人、人で、時間の関係もあり日本車メーカーはほぼ無視という暴挙。
ただ、せっかく愛知から来たので、トヨタ系メーカーや愛知県内にある高校の展示は足を止めた。
会場が大き過ぎて、一つ一つ丹念に回るには一日仕事になるところだった。
写真は、マイナーチェンジしたばかりのプジョー308、BMWZ4、ヤリスWRC(=日本名ヴィッツをベースにしたトヨタチームのラリーカー)の順。
なお、会場では某外国部品メーカーのブースで高校時代の同級生と再会。
SNS上で盛んに写真をアップしていたのは知っていたが、あえてアポなしで突撃した次第。
この場を借りて感謝申し上げたい。

*JBC競走(大井競馬場)











昨年の川崎開催にも足を運んだ、ダート競馬の祭典。
一日にG1競走が3つも見られるのは一年でもこの日だけである。
地方競馬場の持ち回りで開催してきたJBCが来年はなぜか中央の京都競馬場で行われることになっている。
地方競馬場での開催は最低でも2年待たされることになるので今年もライブで見ておきたいと思った。
ちなみに成績は散々、しかし我が国のトップクラスが一堂に会し、レディスクラシックでは地方所属馬ララベルが優勝するなど、会場の大きな盛り上がりを体験できたことはよかった。

この日の宿は新日本橋、宿近くの居酒屋に入るとピンマイクを付けた板前さんが大勢の客を前にマグロを解体していた。
マグロ解体のあとは客全員を相手にじゃんけんゲームまで飛び出して、広い店内はこれまた盛り上がった。
少しでも楽しんで帰ってもらおうというサービス精神には頭が下がる思いがした。
値段はいたって普通、芸能人のサインもあまたあって、たまたまとはいえ稀有なお店に入ったものだと思う。
翌日の目的地はさいたま新都心駅周辺、内容は次回にて。

9月19日の行状

2017-09-24 08:32:14 | 旅行
お世話になった方へのプレゼントも渡し、初めての札幌ドームで野球も楽しんで、残る目的はただ一つであった。
大通公園一帯で行われるグルメイベント「札幌オータムフェスト」である。
なにぶん屋外イベントのため前日は台風で全会場が中止となり、足を運ぶとしたらこの日しかなかった。
会場は大通公園に広く展開していて、荷物を持った私は狙いをしぼって1丁目の「オクトーバーフェスト」の会場を目指した。
今回の場合、オータムフェストはグルメイベント全体、オクトーバーフェストはその中のビールを中心に楽しむセクションを指している。

写真では晴れているが、台風の名残りか天気雨っぽい変な空模様の中、1丁目近くに着いた。



目的通り、オクトーバーフェストの会場に着いてはみたが、スペース的にはテレビ塔の真下を使っているだけのあまり広いとは言えないものだった。
スケールや雰囲気は残念ながら名古屋市内で7月にあった同じようなイベントには劣ると感じた。(1丁目以外のブースには行っていないので念のため)
加えてやはりイベントの常、メニューそのものも高値横並びで、朝っぱらから一杯1,200円のビールというのも気が引けた。
今回の旅の柱に据えていたつもりが、写真だけ撮って退散という自分でも予想のつかない流れになった。



ビールを楽しんだはずの時間を使って、まずはテレビ塔のすぐ隣にあるNHKの札幌局を冷やかした。
最北の離島である礼文島をテーマにしたギャラリーもあって、わずかな時間だが楽しめた。
テレビ局だから致し方ないが、警備員さんの数が多く、何となく「見られている」感覚になったので、あまり長居はできなかった。
放送会館自体も少し古さを感じたのは、市内全体が再開発で新しい建物が増えているからだろうか。

結局JR札幌駅までたどり着き、これまでは行けていなかったJRタワーの展望台に上がることにした。



地上160mからの眺めは大変素晴らしいもの、大通・すすきの方面もさることながら、北海道大学から札幌競馬場を望む景色がより気に入ったので、本欄にはその写真を載せる。



タワーはJR札幌駅の真上にあるから当然ながら線路はタワーの真下である。
ズーム付きコンデジの泣き所でもあるフォーカスの合いにくさと格闘しながら何枚か鉄道写真も撮ってみた。
たまたま特急列車のすれ違いで、車両の鼻先がピッタリ合った瞬間をとらえた写真が1枚できたので、これも載せる。
右側の列車はカラーリングから臨時運行のものと思われる。



タワーから下り、早めの昼食(最後の締めは札幌ラーメンの定番のお店)をとって、昼過ぎには新千歳空港に向かった。
この日は平日ながら人が多く、旅の疲れもありわずかの時間だが快速エアポートの指定席に乗り込んでユッタリと移動した。
今回は飲食でそれほど散財しなかったので、520円の贅沢くらいはいいだろう。

新千歳空港では、見た目は晴れている空が運行上はあまりよろしくなかったようで、空港の上空が混雑して機材遅れが頻繁に発生する状況であった。
私が乗る予定の便も最終的には25分遅れの出発となり、中部空港に着いたのは結局定刻より40分ほど遅れてしまった。
しかし、もし今回の旅の最終日を前日の18日にしていたら飛行機が飛ばない可能性もあったし、飛んでもすんなり中部空港に降りられたか分からなかった。

今回の旅は台風の動きを終始気にしながらのものだった。
しかし、道内で台風がひどかった18日がちょうど移動日ではなかったことで、事前に組んだ日程を、若干順番は狂いながらもほぼ予定通りにこなすことができた。
天候不安の中、細かいハプニングはあったが致命的な事態に遭遇しなかったのはまさに奇跡的というよりほかはなく、今回も大きな満足感を得て帰ることができたのであった。

9月18日の行状

2017-09-23 08:39:36 | 旅行
結果的には寝るだけの場所になってしまった苫小牧だが、十数年前と変わらないところももちろんあって懐かしい気持ちは感じた。
次回はしっかり予定を立て、仕事の上ではあまり役に立てなかった土地をもう少し深く掘り下げてみたいと思う。

さて18日は台風の直撃が予想されていて、道南や太平洋側では強い風が吹き漁業関係などに被害が出たようでお気の毒なことである。
JR線も前日のうちから特急列車の運転見合わせと、普通・快速の減便をアナウンスしていたので、多少早めの行動が必要かなとは感じた。
幸いにして千歳線を中心とした札幌近郊はそれほど強い風もなくほぼ通常通りであった。
新千歳空港=札幌間はJR北海道の生命線でもあり、さすがに全面運休とはいかなかったようである。

私の当日の予定は札幌ドームでの野球観戦であった。
札幌ドームは最寄駅が地下鉄なので交通機関の乱れによる中止も考えにくく、その点ではラッキーだった。
さすがに駅からの道中はザーザー降りの雨だったが、風は弱くて傘さえあればしのぐことのできる状況だった。
今年は残念ながら下位に低迷している日本ハムファイターズ、しかし台風の中でも最終的には2万人を超える入場があった。
晴れていてもそこまで入らない東海地区の某球団とはえらい違いだ。
また老若男女、幅広い年代の人々がレプリカのユニフォームやTシャツを着込んで応援する様子は、他の球団では見られないものだ。
巨人ファン優勢だった北海道にすっかり根付いたのは、球団の努力の賜物だろう。
試合開始前の様子。





試合は、1回裏にファイターズが4点を取るなど1回だけで30分も費やしたので、果たして終わるまで何時間かかるものかと心配したが、その後は意外にも締まった展開となり、結局は3時間ちょうどくらいで終わった。
当日プロ初勝利をあげた吉田投手の間合いの短い投球が寄与したことは疑いなく、駆け引きの多いプロ野球にあっては投手の投球テンポが試合時間にずいぶん影響するとあらためて感じた。

当日のスコア、勝利試合の時に見られる花火、そして帰る頃にはすっかり晴れていたドーム周辺。







試合後は、すすきの交差点に近いホテルに戻り、しばし休憩。
夕食はホテルから歩いて5分くらいのジンギスカンのお店にしようと思っていたら、残念ながら休みであった。
開催中の「札幌オータムフェスト」はこの日は台風のため中止で、仕方なく昨年の夏にも入った居酒屋で飲むことにした。
食材はさすがに美味しいのだが、昨年と違ってタブレット端末で注文する方式に変わっていたことが残念だった。
回転寿司のお店ならよく目にするが、外国人対策とはいえ居酒屋でタブレット注文というのはいかにも寂しい飲み方となった。
知らない土地では、くだらないことでもお店の人と一言二言は話したいもの、これなら当地の自宅から歩いて10分のお店のほうが数倍マシだ。
あまたあるお店の中でたまたまハズレを引いたというほかはない。

本来この日に2次会として流れる予定であったスポーツバーは前日に顔を出したし、急に他を探す元気もなく、すすきの界隈をしばらく文字通り歩いただけでホテルに戻り、旅の最終日をどう過ごそうかゆっくり考えることにしたのであった。