blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

1月を振り返って

2018-01-31 20:11:00 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
去年までの私とは明らかに違う方向に舵を切るべく、新しいことを経験する機会を増やそうというテーマを設定する一方、捨てるべしと思ったものはひと思いに捨てることも試みた。
仕事に関してはほぼ自分の意思とは無関係にリズムがガラリと変わってしまったが、プライベートでもなるべく行ったことがない場所に行くように心がけた。

仕事では、思いがけず毎日が「二刀流」の日々という、かなりストレスの大きな状況に置かれた。
製造部門からのたってのお願いとはいえ、本担当の中身の理解も十分でない中で他の手助けにも回るということで、当初はどう段取りをつけていこうか頭が混乱して不安になったものである。
本来の自分の仕事には午前しか時間が与えられないプレッシャーがあるし、他部署のヘルプの方は当地に来てからは経験していなかった長時間の残業などもあって、日々の密度はこれまでとは比べ物にならない。
幸いにしてどちらの仕事も大きな損害を出すような失敗はしていないし、心配だった心身の疲れも今のところは大丈夫である。
ただ、やはりタイトな日々が積み重なっている影響で、心にゆとりがなくなってきているのは感じる。
しかし仕事として受けた以上、あと約1ヶ月、大した実績など残せるはずもないが、体が悲鳴を上げない限りは予定通り務めあげたい。
最後の最後、貴重な経験だったと心から思えたらそれでよい。

プライベートの時間は、城北線というマイナー路線からの最近話題のささしまスクエア散策、県営名古屋空港をくまなく探検、クルマの点検入庫のついでに犬山市内の城下町などを観光と、新しい経験を多く入れてみた。
それぞれは時間的には長くはないものの、自分なりに気ままに楽しむことができた。
冬の中京競馬にも一回だけ足を運べたし、本来2月中が期日のクルマの12ヶ月点検も1月のうちに済ませることもできたので、頭の中にあったことは一通りは実現できて満足している。

2018年の1月は、人生の中でも最も大きなものを捨てた月でもあった。
粗大ゴミという意味ではなく、存在として私の人生の多くを占めてきた某君とひとまずは距離を置くことにした。
伏線は数年前からあって、せっかく会っているのにいかにもめんどくさそうな態度に腹が立ち、その時点で終わらせることも考えたが、それから時間が経ち、私が当地に転勤で来てお互いに物理的な距離が近くなったことで今一度かつての生き生きした関係に戻れるかとも考えた。
しかし、昨年秋に会った時も以前と状況は変わっていないように感じたから、せっかくの長い長い付き合いではあったが今後彼が私の人生に必要かと言えばそうではないと判断した。
私からの投げかけなので未練は全くないし、彼も私という存在をひとまず消し去って、より心の安寧を得られるならそれでよい。
時をさかのぼれば、高校の時から、声の大きな一部の人間からは「何でこんなヤツ(=私)と付き合ってんの?」などと言われていて、実は実はハタチにもなる前から私という存在が重荷であったかもしれないのだから。

新しい経験を積み重ね、自分の殻を破ってなりたい方向に変わっていく、その目的は年の初めのひと月の中でわずかではあるが実践できた。
今の私にとって本当に必要なもの、大切なものを見極め、充実した時間を作っていきたい。
人生も折り返しを過ぎた今、無駄なものとの付き合いに時間を浪費する暇はないのである。

※1月のベストショットは、ささしま地区に社屋を移した中京テレビとした。


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確信に変わる?

2018-01-30 20:06:19 | 日記
「自信が確信に変わった」という言葉は、今シーズンから中日ドラゴンズに加入することになった松坂大輔投手がプロ入り1年目に発言したものである。
高校3年の夏の甲子園、決勝の舞台で京都成章を相手にノーヒットノーランという離れ業をやってのけたのを私は球場のネット裏で観戦していた。
高校生がまったく打てなかった球はプロの打者でも簡単には打てず、プロ入り直後から西武ライオンズのエースとして活躍を続け、やがてメジャーリーグにも渡って応分の活躍を見せた。
日米通算164勝という成績は現役選手の中でも屈指のものである。

メジャーでの晩年、また日本復帰後のここ数年は、度重なる怪我もあってかつての姿も忘れ去られようとしていたが、彼がプロ入りした当時に西武で投手コーチをしていた森繁和監督率いるドラゴンズが同投手に手を差し伸べたというところだろう。
一軍選手の最低年俸での単年契約で再スタートを切る松坂投手には、せっかく当地の球団に入ったのだし無条件で応援したい。
もちろんローテーション入りはおろかベンチ入りすら確約はされていない状況からの再出発、甘くはないだろうが、ぜひもう一花咲かせてほしいと願うのは、あの甲子園の決勝戦をライブで見たことも大きい。

さて、私は本日20時まで残業の予定が18時でお役御免となり、この時間に本欄を更新している。
私が主に関わる作業場所は、またしても製品切り替えのための部品取り換えに長い長い時間を要し、結局は午後イチからかかって18時を過ぎても復帰しなかった。
機械が17時前にでも動けば20時までできる限りという流れではあったのだが、機械にさわる権限がない以上はさわれる人の作業の完了を待つよりない。
他のラインも見渡しても人員は十分に間に合っている。
残念ながら待っていても開始の目処が立たなかったので「帰れ指令」を受けて帰ってきたわけである。

市場への出荷日が決められている中、私がヘルプに行っている部署が切羽詰まった状況であることは何度も書いているし、毎日当然のように長時間残っている人たちに関してはお気の毒というよりない。
自分の仕事を別に持つ人間まで拘束して何とか埋め合わせを試みてはいるものの、毎日通えば通うだけマネージメントの稚拙さが浮き彫りになってくる。
いちおう17時を定時として動いている中で、17時の時点で現場がどうなっているのか見にくる人間がいないために、現場にいる人間は善意で少しでも前に進められることはないかと相談をしに行く。
しかし、その段階でどれだけの人間が現場にいて、どれだけの人間を残せばその日の仕事が区切りのいい時間に区切りのいいところまで行くのか、大して役にも立たない私のようなヘルプの人間がやるべきことがあるのかなどは、マネージメントの方で瞬時に判断しなくてはならない。
具体的には、残ってもらう人間と帰らせる人間をはっきりと指示して、何となく手すきになってブラブラする人間を出さないこと、時には善意の申し出でも断る勇気を持ち、その時間以降必要な人員以外はなるべく残さないことである。

現場の良心に任せていたずらに多くの人間を残し過ぎることは、積み重なれば会社の利益を大きく食ってしまうことになる。
背に腹は代えられない状況であることは理解しても、第三者機関を通じて我が社に来てくれている某国出身の技能実習生さんあたりは、本来なら長時間の残業で縛るなどもってのほかだ。
毎度の残業にもグチひとつこぼさず笑顔で仕事を続ける彼らの代わりは、本来なら事業所全体でもっと人数をつぎ込んでカバーすべきではないか。

いくら今がお家の一大事的な状況であるとはいえ、結局今は人間のアタマカズさえ足りていればそれでよく、アタマカズになるのならその人間は長期病欠明けでも産休明けでも契約社員でも派遣社員でも実習生でも何でもいいということになっている。
こういうところが、わが事業所ひいてはわが社全体の危うさにつながっていかないかという疑問が、ここ最近は確信に変わりつつあるような気がして本当に怖いのである。

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腹の中は隠せない

2018-01-29 19:47:24 | 日記
私が午後から行っている他部署のヘルプで、今日の午後イチの状況は、ちょうど古い製造番号で出たゴミを片付けようとしているところだった。
それならと勇んでゴミの片付けに取り掛かったが、日頃から私には細かいことばかり言う女性がいて、今日あたりはゴミのくくり方にまで口を出してきた。
普段は女性しかいないラインだから、ゴミをあまり大きくし過ぎて重くなると困るということであった。
中身だけなら分からないこともないが、毎度毎度言い方が高圧的なので、あえてそこは言葉では返事をせず、黙って私自身がゴミを捨てに行った。

毎日とはいえまだ半月過ぎたばかりの素人に対して、彼女はこちらが思い通りに動いてくれないとすぐに声を荒げてイライラするような態度を見せる。
自分たちが日頃やっているような仕事の流れに、たまたま頼まれて入ってきた人間が即座にはついていけず少々まごつくような場面があったとしても、そのたびイライラされてはこちらの立つ瀬がない。
何度でも書くが、彼女を含めてのチーム全体の能力が足らないから他部署から素人をかき集めなくてはならなくなっているのであって、それぞれが自分の仕事の時間を削って入っている人間たちに対しての接し方にはよほどの配慮が必要だし、私が頼んだ立場なら少しのことでチクチク言うようなことは絶対にしないしできない。
ヘルプに入っている人間たちの背景を考えれば、何も分からないのをいいことに少しイジってやろうかなどという邪悪な心理にはなりようがないのである。

私ももういいオッさんなので、多少チクチクやられたくらいですぐに噴火したりはしないが、時間を経るにつれて、この人の発言は明らかに私に対する指導ではなく攻撃だと感じたら、いかに温厚な(嘘です)私でもさすがに爆発する。
一回爆発して相手がそれ以後黙ってしまえば、それまでの発言は指導ではなく攻撃だったということが一瞬でバレる。
少しキレられたくらいで態度が変わるようなら、最初から本気で指導する気などないのである。

この人をこの現場で一人前に動けるようになってもらおうと本気で思っている人なら、爆発それ自体をまずはとがめ、すべての手を止めさせてでも正面から相手に対して指導できるはずだ。
あなたが今ここにいる意味を考えろ、ここまではぜひできるようになってほしいと思うから私はアレコレ言うのだ、と。
かつての富山での「師匠」がまさにこのタイプだった。
その時は説教を聞き続けるのはつらかったが、あの時の体験は今こうして地元を離れて働いている状況で確実に役に立っていると断言できる。

時間がないからこっちを急げだ何だと言って素人をせっつくわりには、スキルの不足によって機械の復帰に手間取り30分以上のロスがあったのだから、急がされた意味が何もない日となってしまった。
その現場を見慣れた某上司が「この様子なら進まないのも当たり前かな、フフッ」とサラッと言っていたくらいだから、誰がどう見ても決してレベルが高い現場ではない。
あとまるまるひと月、いつまで続くかも分からぬバタバタぶりを仕事をしながらも「見物」させていただくこととしようか。

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寒い寒い週

2018-01-28 20:32:46 | 休日
今週は平日から今日までずっと寒い日が続き、当地でもわずかながら積雪があった。
困ったのは雪よりも低温で、日の当たらない裏道などでは水曜か木曜にできた路面の凍結が土日まで消えなかった。
土曜日は12ヶ月点検に預けていた愛車を各務原市まで引き取りに行ったが、代車が冬タイヤを履いていなかったため店舗に着くまでは正直気が気ではなかった。
自分のクルマが戻って来た今もずっと消えない氷がまだあって、当地にしてこれほどの事態には本当に驚いている。

当然ながら地元北陸では降雪もさることながら風も強く、備えは万全のはずの各交通機関にも大きな影響が出たようである。
私がかつていた富山の部署では、朝の外気温が-10℃くらいになったことがあるが、その年と同じような寒さになっている今シーズンは、月並みながらやはり記録的と表現せざるを得ないのだろう。

さて、日々何か新しいことを、というテーマでもってスタートした2018年、仕事の上では咋年末に引き継いだ仕事に加えて他部署のヘルプにも拘束されるなど、去年までとはリズムがずいぶん変わってしまったことは何度も書いた。
他部署のヘルプだけ取ってみても、午後いちばんに現場に入る時点では毎日様子が違っていて、本来の担当とはまったく別の場所で慣れない作業を指示されることも少なくなく、結局そのままその日の制限時間を迎えてしまう日もあった。
約束の期日までの間、毎日が「生まれて初めて」の経験になる可能性もあり、仕事に関してはイヤでも新しい経験をしなくてはならない状況になっている。
決してムダにはならないとはいえ、やることが毎日違うというのは、その現場ではド素人である私にとっては失敗の恐怖との戦いであるし、実際に何も失敗しない日などないくらいである。

年明け早々、そんなド素人にまで入ってもらわないと間に合わなくなった状況そのものについての事情はうかがい知れないが、部署全体の能力低下というそしりは免れないのではないかと思う。
同じ人数を張り付けておいて仕事のペースが落ちるというのは、意欲のある優秀な社員がモチベーションを落として残念ながら抜けていっている事実があり、意欲やスキルが一段階落ちる人間ばかりが残っているということであろう。
そうだとすれば、最終的にはマネージメントが行き届かず人を育てられていないせいでこうなっていると言われても仕方がない。
願わくば、管理職も自ら現場に入り実務に当たってもらえれば、わずかでも状況は変わると思うのだが。
約束の期日が、なし崩し的に延びるようなことがないことを祈るばかりである。

プライベートは、金曜に週に一度のガツ飲みというパターンが定着し、土曜にならないうちにその週のウザウザを解消してしまおうという動きになっている。
一部ムダ金を食ったこともあるが、咋冬のボーナスでは大きな買い物をしておらず、車の点検代も支払って今の状況なら大きな心配はいらないとは思う。
昨年と違って、今年は寒い時期は大きな旅行もする予定はない。
遠出は暖かくなってからでも遅くはない。
冬の間は近場の面白いスポットをもっと発掘しながら楽しもうというのが今のところの計画である。
行ったことがないところはもちろん、過去に行ったことがあるが記憶があまり定かではないところ、次の機会はこの季節にと考えたところなど、いわゆる東海地方の名所に積極的に足を運ぶような毎週末にできればいいと思う。

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金曜から今日まで

2018-01-22 20:08:29 | 日記
去年までとは違って追われるような日々が続き、平日の夜に飲みに出る余裕はない。
その分と言っては何だが、金曜日の仕事が終わった後の解放感が非常に大きく感じられる。
平日の夜も使って外でのエネルギーを分散ぎみに解放できていたものが、特に先週は金曜日に堰を切ったようにハジけることとなった。
酒量も通常より多く、一時は前後不覚の時間帯までありながら、いわゆる帰巣本能というヤツでもって何とか自宅にたどり着いた。
最近は限界が急に来るので気をつけなくてはと思っている。
気持ち悪くなるというよりは、体が動かなくなると言ったほうが正しい。
いずれにしろ、周囲に迷惑がかかり余計な会計も張るので、動けなくなるまで飲むのは避けたほうが賢明ではある。

さて、土曜の午前は車検の谷間にあたる12ヶ月点検のため、毎年お世話になっている各務原市のプロショップに足を運んだ。
平日にクルマに乗らないためか、前年の車検からの走行距離は5,000kmほどしか伸びておらず、今のところは特に大きな修理箇所も見つからず軽めの予算で何とかなりそうだ。
同店とは富山にいる時からご縁があって、私が当地に転勤になり同店がちょっとしたドライブ程度の距離になったのは本当に幸運というほかはない。

代車には国産の軽自動車が出て来たが、すぐに当地に帰るのももったいないので、木曽川対岸の犬山市を散策することにした。
駐車場からの道中に犬山城を写真に収めたあと、まずは「ハートの神社」で人気上昇中の三光稲荷神社へ。





ピンクのハート型の絵馬がずらりと並ぶ光景は圧巻でもあり、犬山城への近道ともなる朱塗りの鳥居もなかなか風情があった。





その後は犬山の城下町を散歩。







オマケとして、木曽川をやや上流に行ったところにある桃太郎神社へ。
童話に登場する動物や鬼などの人形がいたるところにあって見ていて楽しいが、イザナギノミコトと深い関係にあるという大変由緒正しい神社であることは付言しておく。



昨日は同級生+彼の会社の同僚+私という構成で朝から一日中京競馬でドップリ勝負の世界へ。





今回は前回以上に朝から気分を上げるべくビールやハイボールを飲み倒しながら、私自身の最近の傾向と比較してけっこう金額も張りながら勝負した。
幸運なことに午前の3連勝の貯金、また中山競馬の重賞も手堅くゲット、また中京最終の単複まとめ取りなど、最近になく馬券は好調で、またまたお酒が増える展開となった。
アラームをかけてまで早起きして一日戦って財布の中身を増やして帰れたのだから幸せだったし、勢い込んで名古屋市内の某スポーツバー風のレストランでさらに飲んで食べても敢行できて申し分のない休日となった。

また今日から通常の慌しさが戻って来た。
あとひと月と少し、忙しいながらも新しい経験は決して無駄にはならないはずだから、日々の疲れはしっかりと癒しながら誠実に勤め上げていきたいと思う。

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偶然ですが

2018-01-17 20:39:12 | 日記
年明け早々から思いがけない依頼を受け、最近は「二刀流」をこなすためにあまり余裕を持って日々を過ごせていない。
去年から引き継いだ「主」たる仕事に午前中しか時間を使えず、午後からは年明けから頼まれた「従」たる仕事のほうに縛られてしまう。
主たる担当の方に使える時間が限られることから、間違わずにソツなくこなさなくてはならないというプレッシャーがかかるのである。

もちろん新しいことへのチャレンジには損なことは何もないし、未来永劫続くものでもない。
また、まったくの偶然ではあるが、午前の「主」の仕事で私自身が初期段階に関わっている某製品について、午後の「従」の仕事では、同じ製品の最終段階に関わっている。
主の仕事では一つだけの製品を担当しているわけではないが、一つの製品の最初と最後に同じ日の中で関わるという不思議な時間となっているのである。

当地に来て2年あまり、決して広くはないが、自分が入ったことがない建物やエリアがけっこう多かったことに気付かされたし、独立しているように見えるそれぞれの建物やエリアが実は相互につながっている。
当たり前と言われるかもしれないが、物流倉庫での経験は長かったものの、工場という場所での経験は当地に来るまでなかったから、いろいろな仕事を経験することで、その仕組みを体を通して実感できている。

とにもかくにも、毎日毎日時計とにらめっこのハードな毎日、その代わりに一部の仕事は時間的な制約から免除してもらってもいるので、今与えられている慌ただしくも充実した時間をあとひと月と少し楽しみたい。
従たる他部署のヘルプから解放された後は、毎日はそれほど追われるような場面は少なくなり、時間があればチームの他の人の手伝いにも回ることができるだろう。
今は特殊な事情により人の手を取ってばかりになっているが、時間が取れるようになれば当然ながら恩返しの意味でも去年までと同じような感じでいろいろなところに顔を出して少しでもいいからチーム内で貢献をしていきたいと思う。

繰り返しにはなるが、今からマネージメントの世界を経験することはないであろう私は、あくまでプレイヤーの一人として少なくとも「便利」ではありたい。
素晴らしい出来栄えではなくても、どんな仕事も何となく形にはできるという、使う方とすれば使い勝手のいい存在にはなりたい。
フォークリフトに乗れることは物流部門にいればそれは本来業務だからアピールにはならないが、本来業務と違うことも苦もなくこなすとなれば周囲の見方も変わる。
チームの本来業務をしっかりとやる力があり、加えて事業所内でいろいろとできる人間だということが認識されていけば、そうそう「二軍落ち」ということにはならないのだろうと思う。

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立て直しの週末

2018-01-14 20:57:11 | 日記
ここのところ寒い日が続き、地元でも電車が遅れるくらいの積雪があったようだ。
日本海側で生まれ育った人間で、今の私のように太平洋側に住んでいる者は、冬型と言えば冷え込みこそきついが空は快晴という状況に何となく「申し訳ない」という思いがしてしまう。
雪が舞うくらいのことはあっても、基本的に足もとがいい当地では雪による不便は年に数回あるかないかだ。

もともと冬に足もとがいい地域に住んでいる人と出身が降雪地帯の人とでは、今回の北陸や東北の大雪を見る目に温度差が出るのは仕方がない。
たまたま冬の足もとはいい土地であっても、冬の雪とはまた別の苦労が多い場合もある。
温暖な地域の人が降雪地の苦労を思いやるのは容易ではない一方で、台風の通り道になりやすい沖縄や九州の苦労を寒い地域の人間が思いやるのもまた容易ではない。
大部分の人が生まれ育った「故郷」で日々を懸命に生き、たとえ厳しく思える気候であっても案外地元の人は「こんなもんだ」と思って生きている。
いろいろと不便はあっても、やはり生まれ育った土地だから面倒なことも受け入れて過ごしていける。

さて、いよいよ通常運転に戻った世の流れの中、私はほぼ1ヶ月前あたりから担当する仕事がガラリと変わってしまい、おまけに他部署のヘルプまで頼まれている状況で、誰かの手伝いに回ってあげられる時間はほぼない。
ほぼ日中のすべてを「慣れない仕事」で過ごすことのプレッシャーと戦いながらの日々、平日の夜にオロオロと飲みに出るなど到底余裕はなく、金曜日に残業がナシに変更になったことで、ようやくその日の夜だけは仕事仕様の自分を解放して楽しむことができた。

ただ、土日に関しては外出らしい外出はなく、慌ただしかった平日の疲れを癒しながら、いらないものの整理や部屋の掃除、好天を利用しての布団干し、消耗品の買い替えなど、自室周りのことに時間を費やした。
前回も書いたように、年賀状のたぐいは過去5年分(5年分でも三十数枚)だけは残し、21世紀初頭のものあたりはすでに市のゴミ袋の中にある。
生まれた時代が時代だからそれなりに物欲はあって、決してミニマリストの方向に行くわけではないが、何かの記念になっているものを除いては、使わなかったり見なかったりになるくらいなら、また時間を見て文字通りひと思いに片付けることにしたい。

大した理由もなく長年抱えているものなど、捨ててしまってもあまり悲しい気持ちにはならない。
モノやヒトに限らず、どうでもいいようなコダワリなどなど、捨てるべきものを捨てた空きに新しいものを取り入れることが、きっとこれからの毎日を豊かにすると信じたい。

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虚礼廃止

2018-01-12 07:47:56 | 日記
今年は枚数的にはわずかながら例年送ってくれる人からは年賀状が来た。
いつからか「送った人に返す」という方針に変更したわけだが、今年はついに返すこともしないというナマクラぶりであった。
富山市長のブログを読んでいると年賀状の返事はずっとしていないとのことだが、自治体のトップと違って、もらっても片手ほどしか来ない私がそれをやらないのだから、面と向かって責められてもおかしくない話ではある。

しかし、自分が出す立場になって考えたとして、今年くれた相手と今後顔を合わせる機会などほぼ永遠にないと思われる。
もちろん各人家庭があったりなかったりという事情はあるにせよ、盆や正月などけっこう故郷にみんな集まっているのが見え見えの時期、会おうと思えば連絡して今日の今日という会い方もできるところを結局お互いに声をかけることはないのだから、それほど強烈に会いたいという気持ちは相互に持ってはいないということである。

年賀状トモダチは年賀状トモダチで残しておけばいいのではという意見もあるが、心のこもったメッセージが思い浮かばない。
「お元気ですか?」はまだ救いもあるが、「また飲もう!」などという実現させる気のないメッセージを書く気には到底なれない。
年に一度のまさに儀礼とは言っても、それだけのために一枚62円を使う気にはならないし、わざわざ62円を使ってくれる人には申し訳ない気もするのだ。

かつての同級生で今は文筆業をしている某女史はブログで、確か過去の年賀状を思い切って捨てたというような内容を書いていたと思う。
そこに至るまでの葛藤は、彼女らしい軽妙洒脱で湿り気のない文章を読んで思わずうなづいたものである。
ここ数年のものは直近の住所という資料的な価値はあるかもしれないから別として、本当に昔の年賀状ともなると、まさに「読むかもしれない本」や「聴くかもしれないCD」と同じで結局は引き出しの中から出てこず目に触れることはないと思う。

年明け早々、過去の年賀状どころではない大きなものを捨ててしまいバチが当たりはしないかと心配しているところだが、スペースに若干余裕はあるとはいえ、やはりあまり昔のお手紙や年賀状などは処分した方がいいように感じる。
わずかではあっても、物理的なスペースを空けることは、心のスペースを空けることにもなる。
心のスペースを空けることで、そこに少しでも幸せが入って来てくれるなら、まさにダンシャリさまさまということになるだろう。

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しばらく二刀流

2018-01-11 07:42:32 | 日記
昨日から「助っ人」としての仕事も始まった。
隔日交代制とはいえ、初日の昨日は残業に当たっていた。
ひと月半でいなくなる人間には作業的にそれほど難しいものは与えられず、苦痛ではないが長かったという印象だ。

しかし、製品は中身と外装がどちらも整って市場に出すことができる。
チェックされた中身が箱に包まれて流れて来ても、その箱に傷がついていたら箱は使わず、新しい箱に入れ直す手間がかかる。
機械のやることを人間の目でチェックした後、最終的には段ボール箱に入って積み出し口に運ばれる。
その段ボールとて、目立つ傷があれば使わないのは言うまでもない。
簡単な仕事には見えても、細かい傷を見つけ出す集中力と、当たり前だが自ら箱に傷をつけないような丁寧な取り扱いが求められる。

残業がある日ない日によらず、昼休みから本来の定時までは必ずそこに入ることになり、館内でひと月半の間に役割の変更もないようだから、本来は一人でやるところを一人横に付いてもらっている状態から脱出できれば、本当の意味で役割を果たすことになる。
製品のチェックは慣れていないが、箱詰めや積み上げ、運搬はいわば本業なので、製品のチェックがちゃんとできる人かどうかの信用をまず付けなければいけないということだ。

毎日は、午後は助っ人仕事にまるまる拘束されるため、本来の担当は午前中しか動ける時間がない。
その分と言っては何だが、雑務を省いたコアの部分だけに集中できるような態勢はとってもらっているし、周囲も昨日は朝一番からできることはないかと自分の担当のところにドヤドヤと何人もやってきてくれた。
二刀流をやっている身には周囲の気づかいはありがたく、であればこそなるべく周囲の手を取らないように、始業時間直後からどう動くか、毎日事前にイメージしておかなくてはならないだろう。

それにしても残業自体が私にとってはかなり久しぶりのことだった。
残業そのものは、社会人としての時間の中で20時21時22時などは経験はあるし、今の会社でも富山では20時くらいはザラにあった。
たまたま当地に来てからは、自ら悪意で段取りを先延ばしでもしない限りは残業にはならない役割であったので、ほぼすべての日で定時帰りという恵まれた環境であった。
私は期間限定、それも残業の割り当ては隔日という予定が組まれていて、その予定を信じる限りは気分的にはラクである。
しかし、その場所の本来の担当者たちは毎日毎日残業があって、人によっては土日のどちらかをつぶすこともあるというから気の毒なことだ。

短い期間ではあるが、周囲に余計な仕事をさせないよう、足を引っ張らないように乗り切りたい。
本来の担当も時間がないことを言い訳にせず、しっかりとこなしたい。
イザという時にお声がかからない存在になったら、せっかくの当地での時間も短くなってしまうかもしれない。
今から管理職にもなれない私の目標は、野球に例えれば「ピッチャー以外ならどこでも守れます」くらいの存在になることだ。
そうなれれば、少なくとも一軍のベンチから外れることはないのだろうと思う。

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連休明け

2018-01-09 21:05:48 | 日記
3連休を何とかゆるい感じながら楽しむことができ、今週からはいよいよ関係の業者さんも含めての通常運転に戻った。
昨年末に新しい仕事を引き継いだことは何度か書いたし、当面は私にとっての「主」の仕事になっていく。
昨年までとはまったく違うと言ってもいい仕事、まだひと月も立たぬ身には戸惑いもあるが、任された以上は質を高める努力をするしかない。

ただ、他部署で進捗に遅れが出ていることから、明日からは「助っ人」としての仕事も加わる。
当地に来てからはほとんどやっていなかった残業前提の助っ人で、仕事としては「従」だが時間的にははるかにこちらの方が長くなる。
引き継いだばかりの仕事の理解も十分ではないのに、本来の仕事が午前中しかできないのは正直痛いし気持ちも焦る。
ただ、「お家の一大事」とも言える事情、約ひと月半という短い期間、残業そのものも交代制で毎日ではないこと、の3つでもって引き受けることにした。

私の本来の仕事に関しては、細かい運搬やゴミ出しなどはなるべく他に任せて、いわゆるコアの部分に集中できるように配慮がなされるべく事前の話し合いも行なった。
状況によっては、単純に段ボールをつぶしてもらうような場面もあるかもしれないから申し訳ない気持ちもある。
ただ、私もわずかな期間とはいえ「二足のワラジ」を履くことになった以上、手が回りきらない部分は他人の力を借りるよりないのである。

そもそもこういう声がかかるのも、私が辛うじてでも「お願いしてみよう」と思われる対象であるということだから、そこには感謝しなくてはならない。
単に「使いやすい」ということであっても、必要とされていることには変わりはない。
長期病欠明けで当地にやってきたのも2年以上も前のこと、自分自身としても今さらそこに逃げこむようなマネはしたくないし、多少の残業ならラクラクこなす体力と意欲があることを見せられれば、また当地での寿命が伸びることにもなるだろう。

助っ人業務があるしばらくの間は仕事に携わる時間が今までよりも長くなるので、さすがに週の真ん中に飲みに出ることは難しくなると思う。
その分週末は心置きなく楽しめばいいのだと思うが、夜の街で飲んではしゃぐだけの時間の使い方は減らすと決めている。
仲良しさんとどうでもいい話をしながら楽しむ時間が減るのは寂しいが、やはりここ数日書いているように、ただ遊ぶにしても新しい経験を取り入れたい。
調べて各地のイベントに出かけたり、ライブハウスで音楽を楽しんだり、あるいは長年離れているドラムに向き合ったりするのもいいだろう。
自宅には使われないまま転がっている小さなキーボードもある。

しばらくは気持ちに余裕がない日々が続くとは思うが、もとより失うものもないので、思い詰めすぎることなくただただ誠実にあたっていきたい。
どう頑張っても体はひとつしか提供できないのである。

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