blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

8月を振り返って

2015-08-31 22:12:51 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返ります。
お盆を境に猛暑は去り、時間帯によっては涼しく感じられるようになりました。
まだまだ日中は湿っぽくて爽やかとまではいきませんが、徐々に秋めいてきている気配は感じます。
これからは、高い山も避暑ではなく少しずつ変わり始める風景を楽しむ時期になります。
今シーズンはもう一度くらいは登山をしてみたい気もしています。

8月は、毎年1日にある富山市の花火大会に始まり、その翌週には魚津に行って天神山に登って夜は海上花火、お盆には久しぶりに山登り(乗鞍岳)をしましたし、立山山麓での音楽イベントにも行きました。
中年になってくると妙に地元や近県の観光地に興味がわいてきて、若い頃には見向きもしなかった場所に足を運ぶことが増えています。
少し時間ができればいわゆる三大都市圏ばかりに行っていた頃とは違ってきています。
北陸新幹線がせっかく3月に開業したのに、いまだに東京までは利用したことがありません。
乗ったことがあるのは、金沢から富山、富山から糸魚川のまだ2回だけです。
そのうち用事もできるでしょうが、無理やりというわけにもいかず悩ましいところです。

お盆に前後して、ようやく今後の道にメドがついてきました。
受け入れ予定先とも直接顔を合わせて話をしました。
環境のミスマッチが原因であるため異動が前提での長期休業という、組織にとっては面倒臭い事案だったとは思いますが、そろそろ下半期に向けて全体の人の動きも決まってきているはずです。
デスクワークではなく体を動かして汗をかく仕事という希望に沿う路線はほぼ間違いなく、あとはどこで働くことになるかだけです。
せっかく縁のあった会社、以前のように元気にハツラツとやっていければそれ以上の幸せはありません。

9月がどんな月になるのかは、まだ分からない行き先に左右されます。
判明はもう間もなくと思われますが、場所によっては早々に準備が必要になります。
いずれにしろそこで必要とされて行くわけなので、今後はしっかりと出続けることが第一です。
あまり順調でない2015年になっていますので、最後の数ヶ月だけでも充実したものにしたいと思います。

出られるときは出る

2015-08-29 22:43:45 | 休日
昔から旅行に出ることが好きで、これまでいろいろ行きました。
若い時分はなるべく安く効率的にと欲張りますので、夜行列車やバスなどに頼る体力勝負的なものも多かったような気がします。
行ったことのないところに行くことは気分的にかなり高揚もしますし、心の洗濯にもなります。
私の場合は、おいしい料理や地元の名産・温泉などにはあまり縁のない中身にはなりますが、行くところそれぞれで感動ありハプニングありで思い出は尽きません。

そうこうしているうちに、国内の全都道府県踏破まではあと5県、また全国にある競馬場(中央・地方)の完全踏破まではあと3場まで来ました。
達成のための旅行の回数としては2回か3回で済むのですが、いずれも富山からは遠くやや不便な地域です。
それでも今年の前半のうちに少しは減らせるとタカをくくっていたところ、仕事や生活、加えて体調も順調さを欠いてまったくカウントダウンができていない年になっています。

失業中以外では人生で最も長く仕事の場から離れている今は、事情が事情だけに体が回復したからと言って泊りがけの遠出をするのは気が引ける思いがありました。
その分ここ数ヶ月は、近場で行ったことのないところに数多く出ることになりました。
昨年以上に暑い日も多かった今年の夏、手っ取り早く標高の高い涼しいところに行くという選択肢も多くなりました。
自然の中に入って歩き回ることも多くやりましたが、外で大いに活動できる体に戻れたことに安堵すると同時に、自宅でただただ横になっているよりは疲れがスーッと抜けていくような気分がしたものです。
自然に入ることは、以前いた部署の上司のアドバイスでもありました。
いきおい、最近は山登りへの興味がどんどん湧いてきているところで、嬉しい悩みになっています。

だいぶ近くはなってきましたが、組織の都合もあり復帰にはもう少し時間がかかるようです。
せっかく貴重な時間をもらっているので、文字通り有意義なものにして、今よりも元気になって復帰したいものです。

プロの歌声

2015-08-22 22:27:39 | 休日
今年でもう8回目という写真のイベントに行ってきました。
天気が微妙なのは分かっていたのですが、自宅近くは陽も射していて、特に中止の案内も出ておらず大丈夫だろうと思いました。
しかし会場に着いてみたらやはり山、雲が下から上がってくるような天気で始まる前は雨もけっこうひどく心配しました。

コンサートは予定通りに始まり、ひどかった雨も小降りになったのは幸いでした。
当たり前ですがプロの歌声にただただ感動、ベテランになってもまったく声が落ちていないことに感服しました。
また、このメンバーだと曲的にはほぼ私のストライクゾーンに入るものばかりで、懐かしいやら嬉しいやらで思わずジーンときてしまったほどです。
雨予報も何のその、まずは足を運んで大正解でした。

私も過去、バンドの一員として人前に立つ機会がありました。
音を出した瞬間、歌い出した瞬間に客席の空気がその都度変わるのを、ステージの後ろのほうでも(ドラムだったので)感じていたものです。
音楽はよく共通言語という言われ方をされますが、どんな言語で歌われていようともメロディーやリズムだけで楽しめるのが音楽のいいところです。
本当に、一瞬で、同じ場所にいるバラバラの人間が一つになる光景はいつ見ても感動しますし、今日ももちろんその例に漏れることはありませんでした。

私も、聴くばかりでなく歌うことは大好きです。
最近はもっぱら「薄暗い場所」(笑)で披露するばかりで人前には立っていませんが、遠いところから思いがけず拍手が飛んできたりすると嬉しいものです。
たまたま居合わせた者どうしで少しでも盛り上がれるなら、おフザケもけっこう平気です。
過去の経験で、音楽が共通言語であることが少しは実感できているからかもしれません。

人間、仕事も当然大事ですが、仕事以外の世界を持つことは大変重要です。
オンとオフのバランスというより、どうせならどちらも徹底的に突き抜けた人間になっていくのが理想です。
好きなことをあきらめずに続けて職業にまでしてしまった歌手の皆さんから「もっと好きに生きていいんだよ」というメッセージを受け取った一日でした。

東北の夢、またも。

2015-08-20 23:23:33 | 日記
写真は、今日の甲子園決勝で野球部が惜敗した仙台育英学園です。
去年のお盆は東北を旅し、楽天イーグルス戦を見るためJR仙石線・宮城野原駅で下りて出口を出たところにこの立派な校舎がありました。
会社には高校野球が大好きな先輩がいて、お盆明けにはこの写真を見ながら盛り上がりました。
校舎内には「逆転の仙台育英」という文字も見えました。
今日の試合ではよく追いつきましたが追い越すまではいかず、東北勢の春夏通じての初優勝の夢は持ち越しとなってしまいました。
最後は4点差がつきましたが、チーム力は紙一重の素晴らしい決勝戦で、勝った東海大相模の集中力も素晴らしいものでした。

実際に現地に行くと分かりますが、甲子園球場は小さな盆地のようなもので、中の気温は発表されるものよりもはるかに高いはずです。
その中で、競技の性質上半袖半パンというわけにもいかず、遮るものも何もないところで試合をする選手の苦労は並大抵ではないはずです。
真夏の炎天下でハードな日程ということに関しては以前から批判も多く、会場の分散化や日程の改革などが叫ばれてずいぶん経っています。
ただ、野球が人気スポーツだけに特別目立つだけで、例えばインターハイの他の屋外競技も日程的には似たようなものでしょう。

私は以前から、夏の甲子園と競馬の日本ダービーはよく似ていると感じています。
日本ダービーはその年の3歳馬の頂点を決めるレースですが、馬の3歳春はちょうど人間の高校生くらいです。
まだ若い馬たちが、東京競馬場の2400mというタフな設定で覇を競うことが夏の高校野球に何となくダブります。
関係者にとって最大の目標であり夢であることも共通していますので、体調のピークはそこにもっていきます。
その結果、時にはその時点で精魂使い果たし燃え尽きる者も出てしまうのもよく似た部分です。
甲子園の優勝投手がその後もプロで何百勝、ダービー馬がその後も年上の馬と伍して息長く活躍、などとは限らないのは過去の歴史が証明しています。

未完成な者を過酷な条件で競わせることについて賛否はあると思いますが、長年社会に定着し続いてきたものも多くあります。
先人の考えたことですのでそもそもの発想は分かりませんし、今さら変えることも難しいものもあります。
過酷だから見ているほうは面白いと言ってしまえばそれまでですが、観客の立場としては当事者の努力に対する敬意は忘れてはいけないのだろうと思います。

終戦の月に寄せて

2015-08-16 23:48:53 | 休日
この夏は、癒しを求めて自然に触れることが増えました。
山に行ったり水辺でノンビリしたりすると、何となくですが体が落ち着くのを感じます。
去年にも増して暑かった今年ですので、近場で涼しいところに逃げるとなると山が手っ取り早い選択であったことは確かです。
写真は乗鞍岳の登山道からのものです。

8月は終戦の月、連日連夜、戦争に関する番組が放送されました。
もちろん全てをフォローするわけにもいかず、中にはアホらしい内容のものも多くあったように思います。
今ここにある現実に対処するには何が一番いいのか、一人一人の考えは違うのでしょう。

金曜に出された総理大臣談話ですが、過去と比較して画期的なものでした。
表現はあくまで慎重ながら、歴史観としてこれほど堂々としたものは今までわが国のトップから聞くことができませんでした。
侵略はわが国だけが行ってきたものではないこと、日露戦争の勝利が白人支配に苦しんでいたアジアに勇気を与えたこと、謝罪を求め続ける隣国にはいつまでも謝罪はしないとはっきり宣言したこと、さらには戦後のわが国の平和国家としての歩みを強調することで中国を暗に牽制したこと、などです。

安倍談話はほぼ世界中から称賛されました。
では、中韓が大騒ぎしたかというと案外静かでした。
わが国が胸を張って正論を述べたので、成すすべがなかったのです。
中韓ですら一定の評価をせざるを得ないと言って騒がないところを、言葉尻をとらえて騒いでいるのは他ならぬわが国の少なからぬメディアという何とも不思議なことになっています。
反日反日と言っていますが、いちばん反日なのは外国ではなく日本ではないかと思うくらいです。

侵略するよりされた方がいいなどと寝ぼけたことを言っても、隣国のお墓に行って土下座して謝ってきても、基本的には罰せられることもない自由な国に生まれたことに「彼ら」はよほど感謝しなくてはなりません。
しかし、今の平和な国が、心ならずも命を落とした先人たちによって築かれたことに思いを致す必要があります。
二度と戦争をしないためには理想ばかりを言っていても無駄です。
憲法を守ろうとは言うが日本を守ろうとは決して言わない人間に騙されてはいけないと思います。

再起動へ

2015-08-10 23:17:19 | 日記
ここ北陸は、数字の上では酷暑ではなくなっているようですが、夜も気温が下がりにくく立秋を過ぎたとはとても思えません。
立秋を過ぎると「暑中見舞い」ではダメで「残暑見舞い」が正解とはいえ、実感としては残暑という感覚はありません。
晴天ばかりで雨が降らないので、暑さよりはそちらの方が心配になってきました。
全国的には水不足のニュースが意外に出てきませんが、今年は台風の通過も多いからでしょうか。

画像は、土曜に魚津に出向いた時のものです。
実家からもそう遠くない天神山というところですが、戦国時代には上杉家の城が築かれていました。
見どころの多いエリアですし、旧の洗足学園短大にはバンド練習でもよく足を運ぶなど何度となく来ていますが、てっぺんには今まで行ったことがありませんでした。
写真にある櫓台(やぐらだい)は市街地から見てもけっこう目立ちます。
この後は実家に厄介になり、結局その夜の花火大会まで一緒にいました。
ふるさとや家族のありがたさを噛みしめるのはいつもこの時期です。

大切な家族を心配させた長いブランクもそろそろ終わりに近づいています。
連絡を待っている間は良からぬことばかりが頭に浮かんで自己嫌悪になっていましたが、8月に入り少しずつ話が進み、次の方向がだんだんはっきりとしてきました。
都会(?)での仕事は残念ながら結果的にミスマッチでつらい時間にはなりました。
しかし、短いながら貴重な経験として無駄にはならないでしょう。
その上で、会社を変わることなく心機一転のチャンスがいただけるのですから感謝の気持ちしかありません。
段取りもあり復帰はもう少し先にはなりそうですが、それまでは今まで通り心と体のケアをしっかりして備えたいと思います。

今後は、二度とブランクを作らないことが第一です。
繰り返しにはなりますが、くだらない理由でのケガや事故も避けなくてはいけません。
こんな人間でもまだ期待して受け入れてくれる場所があることにあらためて感謝して今日の分は終わります。

死人に口無し

2015-08-07 23:45:11 | 日記
物騒なタイトルで申し訳ありません。
それにしてもここ数日は、つらいニュースが多かったですね。
特に、自殺のニュースが続けざまにあったのは心が痛みます。
北見市長、競輪のトップ選手、そして自作の電気柵で親類を死なせてしまったご老人、それぞれ耐えられない事情があったとしても大変残念なことです。

もちろん自殺は決して他人事ではなく、ある日突然の災害や事故であったり、長く病と闘って光が見えてこなかったり、信じていた人にひどい裏切りを受けたりなど、気持ち的に追い詰められる場面は誰にでも起こり得ます。
逃げるに逃げられない環境で苦しみ、もうダメだと思い続けながら日々暮らしている方も同じです。
私だって、状況によっては周囲にも言い出せず、という場面が来ないと断言することはできません。
原因になりうることは、いつ何時、誰の上にも降りかかる可能性があります。

私自身は、小さい時からけっこうひどい目に遭うことが多く、死にたいと思ったことは二度や三度ではありません。
大人になってからも、周囲に執拗に追い込まれて心身ともバランスを崩したことが何度かありますし、最近は環境の激変によって久しぶりにまたおかしくなり仕事を一時離れざるを得なくなりました。

死にたいと思って本当に死んでしまった人を責めることはできませんが、何度も死にたいと思った私はまだ生きています。
つらい状況にはあっても、過去の心の傷が癒えていなくても、本当に死のうと行動を起こしたことはありません。
一般論としての命の尊さを言い募りたいのでは全くなく、自分だけが死んでしまうことは「割りが合わない」からです。
自分の命を絶ってまで訴えたいことがあっても、世の中はあっという間に忘れてしまい、残された家族だけが苦しみ続けます。
パワハラ上司やいじめっ子は、本人が死んだのをいいことに都合のいい言い訳を並べ立てるばかりか、挙句の果てには次のターゲットを探して同じことを繰り返します。
そんな人間がのうのうと生き続け、自分だけがあの世に行ってしまうのはあまりにももったいないことです。

今年か昨年か、富山市内某所で中学時代に私をいじめていた人間に遭遇しました。
やや距離はありましたがお互いに気づいて顔を見る時間が数秒ありました。
私は彼の顔を視線をそらさずにジーっと見続けました。
数秒後、その場を先に離れたのは私ではなく彼でした。
生きていれば、こういったほんのささやかなリベンジも可能です。

生きていても、つらいことの方が圧倒的に多いかもしれません。
でも、死んでしまったら、わずかの楽しい経験も、つらい目に遭わせた人間への「恩返し」もできません。
だから、なるべくなら死なないでほしい、そう思います。

道は?PART3

2015-08-05 23:25:04 | 日記
猛暑猛暑の毎日で、自宅にいても冷房は欠かせません。
さすがにつけっぱなしでは電気代が、と思ってタイマーで切れるようにしていましたが、タイマーが切れると目が覚めてしまいます。
最近の機種は制御もしっかりしていて、つけっぱなしでもあまり電気代は変わらないと聞きました。
一度ある程度の温度まで冷やせばあとは維持するだけの出力しかいらないので、思うほど電力は使わないようです。
確かにつけっぱなしで変な時間に目が覚めることはなくなりましたので、体にはいいと思います。

さて、この暑い夏を迎える手前でストレスからダウンしてしまった私は、長い休みをいただくことになりました。
山あり谷ありの時期を乗り越え、今ではずいぶん活動できるようになりました。
体が何とか戻った中で、ただ一つ、復帰後の行き先が見えない時期が長かったことだけが不安でした。

ひとりになればどうしても悪い考えばかりになり、心がだんだんササクレてくる感じがして情けなくなりました。
自分は仕事をナマクラしたわけでなく悪いことはしていないと思う一方で、長い間職場を空けてしまった事実、ストレス性の疾患に対する偏見もまだまだ根強い世の中のことなど、いろいろなことがアタマに浮かんでどうなることかと悩みました。
しかし自分に決める権利はなく、どんな答えでも受け入れようと辛抱して待ちました。

待ったかいがあったのか、最近になって一本の電話が入りました。
最悪の事態は避けられ、次の行き先が考えられているようです。
さしあたりホッとした一方で、次でダメなら今度こそ終わりです。
途中で倒れることなく、毎日元気に出続けて少しでも貢献していくことしかありません。
健康に十分気をつけるのは当然として、つまらない怪我や事故も絶対に避けていかなくてはいけません。
同じ会社の中でも、新しい環境では信頼ゼロからのスタートだからです。

冷夏のはずだったのに

2015-08-02 21:27:39 | 休日
今年の春ごろの長期予報では、今年の夏はエルニーニョ現象やらの影響で特に8月は日照時間が少なく気温も低めということだったと記憶しています。
暦は8月に入ったばかり、6月7月がかなり暑くなったことはもう過去の話なのでいいとして、8月もしばらくは傘マークすら見当たらない猛暑になりそうです。
長期予報が見事に外れてしまった格好ですが、暑い暑いと嘆きながら暑い日がないと気持ち悪くなるのですから、つくづく人間は身勝手にできていますね。

写真は富山市中心部、グランドプラザ前の様子です。
時間的には、間もなく神通川の花火大会が始まろうかというところです。
8月1日は富山大空襲があった日で、地方都市の中ではもっとも大きな被害が出たと言われています。
花火大会は、空襲の犠牲者の鎮魂のため終戦2年後の昭和22年から始まって、毎年途切れることなく今年で69回目を迎えました。
不運にして犠牲となられた方々、また、生き残って焼け野原から今日の姿を築き上げた先人の皆様に感謝せずにはいられません。

個人の話をすれば、私の母の実家は富山市の中心に近かったそうです。
何度か空襲の話をしてくれたことはありますが、まだ小さい子供ながら必死で逃げのびてくれたおかげで、後に母は父と出会い、私もこの世に生を受けることができました。
とっくに高齢者の領域に入っている今も、なぜか一人だけ魚津ではなくほんの少し離れた富山に住んでいる私のことを心配してくれています。
今は何をおいても健康であることが、たった一つできる恩返しです。

もしかして大きな変化を経験する月になるかもしれませんが、花火を見た後に午前様ができるくらいになれました。
体さえまともなら、困難な事態も乗り切っていけます。
できること、したいことを迷わずにやって、悔いのない毎日にしていきます。