blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

6月を振り返って

2016-06-30 21:08:01 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
この時間ですでに相当眠いが明日は会社の行事もあって更新が不可能なため、今日の内にもう一つのエントリーとして入れておく。

月初め早々の4日からすでに梅雨入りしていた当地、猛暑にはなっていないが蒸し暑い日も多くまずは体調第一を考えて無事に乗り切ることができた。
仕事は至って順調、周囲にも恵まれて当初抱いていた不安はほぼなくなり、気分が極端に落ち込むような事態にはなっていない。
とはいえ日々危険も伴う環境にいるため、怪我や事故には十分に注意したい。

6月は各週末の最低1日はやや遠めの場所に行くという流れだった。
高原、ローカル線、アジサイ鑑賞と忙しく動いたが、まず外に出たいという気分になれること、その気分に従って出られる体調にあることの嬉しさを感じる月となった。
また、東海地方に住むのが初めてのため、日帰りで向かう目的地はほぼ全てが初めて行く場所になる。
この年齢で、その気になれば週を追うごとに新しい体験ができるのは幸せなことだ。
ただ、さすがに今週末は九州旅行の疲れを取ってリセットすることが主眼となるだろう。
長く通った歯医者の予定が入っていて、遠出しようにもしにくい状況ではあるのだが。

この夏は、本当の遠出となるとあと1回くらいになると思う。
週末はこれまで通り近場で行っていないところに行ってみたい。
これまであまりなじみのなかった長野県の南信地域(木曽・伊那)や静岡県はもとより、東海三県でもまだまだ見どころはいっぱいある。
平日は動くことができずストレスをためているであろう愛車をできるだけ動かして、7月以降もどんどん新しい体験を積み重ねていけるように、引き続き健康第一で過ごしていきたい。

6月27日の行状

2016-06-30 20:28:06 | 旅行
今日は6月の最終日で、例月の振り返りを書く日だ。
ただ、まだ旅行の最終日のことを書いていないので、月末の振り返りはエントリーを分けることにする。

6月27日、大分県の土を踏んで全都道府県踏破に向け、宮崎駅を出た。
南北に長い宮崎県の海岸沿いを特急がひたすら北上する。
富山のお仲間の一人にゆかりのある日向市を過ぎ、車窓が田園風景からいきなり工業地帯に変貌する延岡市(延岡といえば旭化成)まで約1時間かかる。
延岡から北は県境の山岳地帯で、次の停車駅がある大分県佐伯市までノンストップで1時間走り続ける。
佐伯を過ぎると港や造船所の景色が目立ち始める。
停車駅は多めになり大分駅まではこれまた約1時間、つごう宮崎からは約3時間の道のりであった。
ようやく旅の目的を達成したのはよかったが、大分駅に着いた途端に雨が降ってきた。

大分駅は昨年新しい駅ビル(JRおおいたシティ)が完成していて、屋上にはミニ鉄道などもあって楽しいスペースになっている。
雨がひどく写真撮影には難渋したが、晴れていれば景色もより良かっただろう。



もともと大分市では特段の予定はなく、早々に最終目的地である別府市に向かった。
別府駅に着いた時点でも雨が強いままだったため、別府ロープウェイや地獄めぐりなど屋外の観光はあきらめ、時間つぶしついでに別府競輪場に行ってみた。
もともと全国の競馬場・競輪場も地道にコレクションしているので、また一つアイテムが増えたことになる。
当日は久留米場外で選手はおらず、雨が降り続く中で場内の芝生を懸命に整備する人々の姿があった。



競輪場は3レースほど参加して、再び別府市内中心部へ。
行動範囲が限られる中で空港行きのバス停にほど近い別府タワーに上がることにした。



エレベーターで一気に17階まで行って、降りてみると客は私ひとり、お土産屋のおばさんの視線を気にせず高い場所からの市内の景色を楽しんだ。



なぜか別府タワーが写っているジグソーパズルを買ってきてしまったが、まだ手をつけていない。
今週末はさすがに遠出の計画はなく、100ピース程度なのでひまつぶしに作ってみようかと思う。

月曜の夕方だからか、大分空港行きのバスはやや遅れ気味にやってきた。
大分空港は大分市や別府市からはかなり遠く、正味1時間程度かかって着いた。



旅行中はその日その日の予定をこなすことでいっぱいだったが、大分を離れる段になってようやくホッとした気持ちになった。
グルメや名産には縁遠く決して旅らしい旅ではないと言われるかもしれないが、とにかく足を運ぶことを目的に、少ない時間とお金をやりくりしてようやく47都道府県を踏破した。
コレクションが一つ完成した今、今後は旅行のコンセプトが少しずつ変わるのかどうかは分からない。
訪問する土地の数を稼ぐための慌ただしく移動が多い旅から、狙いを定めた滞在型の旅になるのか。
はたまた好き勝手がきく一人旅の楽しさから脱して、ある程度の制約も受け入れながら他人と行動をともにし感動を分かち合う方向に行くのか。
それとも、日本は全部行ったのだからと海外に目を向けて新たなコレクション作りを目指すのか。
一つの節目を迎えて、いろいろと考えを巡らす6月の終わりであった。

<おまけ>

大分空港内の自動販売機。
いちばん手前は昔懐かしいコカコーラのビン売りタイプ。(栓抜きも付いている)
甘いものはよくないと思いつつ一本購入。


6月26日の行状

2016-06-29 22:00:53 | 旅行
実はもともと全都道府県訪問にはあまりこだわりはなかった。
それが今からだいたい4年前あたりか、前の米国駐日大使であるルースさんが就任3年半で我が国のすべての都道府県に行ったというニュースを見て触発された。
駐日大使と張り合える立場ではないが、いいきっかけになったのは確かだ。

さて、鹿児島県の次は宮崎県である。
梅雨の晴れ間の素晴らしい天候の中、JRの特急からはしばらく桜島を間近で眺めることができた。
線路が鹿児島湾を離れると列車は山の中へ。
日豊本線は大分まではほぼ単線電化区間で、行き違いなどもありそれほど速度も上がらず、宮崎駅までは2時間あまりを要してたどり着いた。



荷物をロッカーに預けて、ひと駅となりの宮崎神宮駅で下車し、駅西側にある宮崎神宮へ。
神武天皇をおまつりしている神社は九州には多いようで、宮崎神宮もその一つである。
敷地内には宮崎県の護国神社もあり、あわせてお参りした。



宮崎神宮駅をはさんで東側には日本中央競馬会の宮崎育成牧場がある。
もともとは競馬場としてレースが行われていたが昭和の時代に廃止となり、1歳馬の育成施設として使われている。
実際にデビュー前の大切な馬の調教が行われる場所であり、馬場スペースには一般の人間は入ることができない。





一般開放エリアにはポニーなどがいて、家族連れも多く見た。



場外馬券売り場もあり、当日のG1宝塚記念の馬券を最後に買って宮崎市内中心部に戻った。

宮崎での宿泊は、橘通りという大きな通り沿いであった。



この通りの西側一帯は「ニシタチ」と呼ばれる歓楽街である。



温暖な気候からスポーツ選手の来県も多く、写真のような手形モニュメントが3か所ある。



夕食をとる前に大淀川のたもとまでブラリと散歩。
午後7時台でも西の空はまだぼんやり明るかった。



夕食は鹿児島よりも少し豪華に、鶏の炭焼きや地元ブランドの焼酎をいただいた。
客引きのお兄さんは鹿児島同様多かったが、日曜は多くの店が休んでいたし、ここも何とか誘惑を断ってホテルに戻った。
若い時と違って、知らない土地では調べるまではやっても実際に行くことはなくなっている。
次の日の移動が長いこともあり、この日も表面的には至って健全に終えたのであった。

6月25日の行状

2016-06-28 22:20:49 | 旅行
先週末の土日に月曜をくっつけての三日間で、鹿児島・宮崎・大分の三県を訪問する旅行を敢行した。
最終日の大分県訪問をもって、国内47都道府県すべてに足を踏み入れることができた。
今自宅で本欄を書いていて特別な感慨はあまりなく、祝杯をあげるとか変わったことは今のところやっていない。
出発地のほとんどが富山という田舎であったことを思えば、東北や四国・九州が最後の方になったのは致し方なく、しかし思い切らないと行けないのがこれらの地域である。
40代中盤の今まで好きなように生きてきてしまったから達成できたと言えるのかもしれない。

ともあれ三日間を無事に楽しく過ごすことができたので、記憶が薄れないうちに旅行のことを書いておきたい。
今回は一県に一日ずつ使っているので、今日は初日の鹿児島県について。

梅雨の時期でもあり天気には期待できない中ではあったが、鹿児島空港に着いた時点では雨は落ちていなかった。



空港からはすんなり鹿児島市内には入らず、旧知覧町(現南九州市)にある特攻平和記念会館を目指した。
知覧は城下町の面影を今も残すいわば小京都で、中心街から少し外れたところに特攻平和記念会館があった。



温暖でのどかな街が、先の戦争では沖縄に最も近いことから特攻隊の最前線基地となり、特攻での戦死者千人余りのうち4割以上が知覧からの出撃によるものだった。
館内には遺品や遺書が多数あったが、出撃イコール死という境遇に置かれた人間が書いたとは思えない清廉な内容がいやがおうにも胸を打つ。
20歳前後の若者が、後に残る者の幸せを信じて次々に沖縄の海に消えていった悲惨な出来事の上に今の平和な世の中があることは決して忘れてはいけない。
館内が撮影禁止のため、館外にある「三角兵舎」(出撃待機場所)の写真を載せる。



九州には地理的な要因で戦争遺跡が他にもたくさんある。
県外人にとっては非常にアクセスが難解な場所だったが、こと先の戦争ということで言えば象徴的な場所に行くことができてよかった。

鹿児島市内に戻り、宿泊は鹿児島中央駅の近くであった。
九州新幹線の終着駅でもあり、中央駅の駅ビルの上には観覧車までできていた。
中央駅はもともとは西鹿児島駅という名前で、ターミナルの機能は昔からとなりの「鹿児島駅」ではなくこちらだったが、新幹線開通によりますます鹿児島市の玄関口としての役割は強くなったようである。







夜は、南九州一の繁華街である天文館まで行って夕食と街歩き。
アーケード街が発達しているのは、暑さと降灰対策というのが鹿児島らしい。
無料案内所のお兄さんの誘惑を振り切って早めに帰り就寝、次の日に備えることにした。

いろんな土地がある

2016-06-21 21:57:32 | 日記
今日は昼が最も長い夏至であった。
朝方の土砂降りから一転、午後は晴れたため気温が上がって非常に蒸し暑くなった。
それでも数字の上では30度くらいだったか。
これから太陽が出ている時間は少しずつ短くなるが、暑さはこれからが本番である。
紫外線はすでに非常に強い。
職場の中のわずかな移動であっても日傘を使っている女性が多い。
カンカン照りでない時ほど要警戒というから難しい。

さて、先日三重県内に行った時、夕方に四日市市の近鉄百貨店に入り、上の方の階で食事をとっていた。
日の入りまでには少し時間があったが、太陽は西側の鈴鹿山脈に沈もうとしているのが見えた。
地元の人々にとっては当たり前の光景ながら私には少し不思議な感じがした。
私の故郷である富山県魚津市では太陽は山から昇って海に沈む。
東側が山で西側が海だから当然だ。
生まれ育った町ではそれが当たり前だったために、違う土地に行ってもそこがうまく脳内変換されない時がある。
今の住まいも愛知県の中では内陸だから、高い建物に上がったところで海に沈む太陽を見ることはできない。
少し考えれば、例えば岐阜や長野など海がない県では太陽が海に沈むことなどないと簡単に気づくはずだが、幼少期の体験というのはいくつになっても体にしみついて離れないものなのかもしれない。

私は幸いにして学校や会社のからみで富山と違う土地に暮らす機会を多く得てきた。
長くいたところ、残念ながら短く終わってしまったところ、いろいろだが、それぞれの土地でのことは鮮明に覚えているし、訪れた際には懐かしさを感じる場面もあるだろう。
今はまた会社の命で初めての土地で暮らしている。
当然ながら地元とは違うことが多いし、自ら行動して様々な違いを吸収して楽しみたい。
時間的にはまだ短いが、これから当地で多くのことを学び、いずれ第二のふるさとと呼べるくらいになれば素晴らしい。

梅雨の晴れ間

2016-06-19 08:21:52 | 休日
珍しく朝早くに更新している。
この時間は曇っていて、午後からは雨が降るらしい。
最近は土日のうち土曜のほうが天気がいいので、土曜日に外出して日曜はゴロゴロするパターンである。
今日も天気が持つならあるいは…とも考えたが、もう空はかなり怪しい。
出ても近場にとどめて平日に備える日にしようかとも思う。

さて、昨日はつかの間の好天に恵まれて車を出した。
向かった先は、岐阜県関市(旧板取村)にある通称アジサイロードである。
整備された公園の中にもたくさん咲いているが、道路沿いにもこれでもかとばかりにアジサイが植えられている。
約20kmもの距離がアジサイのベルトになっている景色は初めて見た。
本来は雨が似合う花ながら、カンカン照りの陽射しをいっぱいに浴びているものもまたよかった。





下は当日のベストショット。



食事をとった後は山を下り郡上市へ。
今は郡上市のエリアはだいぶ広くなっているが、旧八幡町の街並みを遠目にしか見たことがなかったのでやはり初めて行ってみた。

ちょうど市街地への玄関口にあたる場所に長良川鉄道の郡上八幡駅があり、ホームには高級列車「ながら」が停車していた。
第三セクターの赤字路線復活への起爆剤になるかどうか。



郡上八幡の市街地は川と古い町並みが調和した落ち着いた雰囲気だった。
外気は35度近くあったと思われ八幡城の天守まで歩くのは断念したが、逃げていくわけでもなくまた機会があったら行ってみたい。
2枚目の写真、右上に天守がチラッと写っているのが確認できたのは自宅に帰ってからだった。





週末となると必ずどこかには行っている今月、最終週には泊まり付きの遠出をする予定だ。
日程が順調にいけば、長年目標にしてきた事柄がようやく達成される。
大切な旅行になるから、出発まではいつも以上に意識して体調を崩さないように努めたい。

順調です

2016-06-17 21:31:59 | 日記
当地では6月4日から梅雨入りしたことが6月8日くらいに発表になった。
梅雨入りかどうか判断するには一定の条件があるようで、それに合致する気候であったので日付をさかのぼって発表したということらしい。
時には梅雨入りや梅雨明けが発表されないままという年もあるし、気象というのは難しい世界であるというほかはない。

当地では初めての梅雨を迎えているが、夏場に関しては地元富山とそうそう大きくは変わらない。
湿気が多いのも同じだから当地用の特別な対策はない。
仕事中は一部で空調のきかない環境もあり、世間で言われているような熱中症対策をしっかりやることに尽きる。
世界的に暑い夏が予想されている中、何とか体を壊さずに当地では初めての夏を乗り切りたい。

さて、暑い暑いと言っている季節が過ぎたら私も当地で1年の節目を迎えることになる。
これまでは、やむを得ない用事や制度休暇以外では会社を休まずにきている。
知らない土地、新しい人間関係、そして何より体のことなど不安だらけで始まった当地での生活にもここに来てずいぶん慣れて元気に過ごすことができている。

おそらくは能力に大きな偏りがある、通信簿で言えば5と1しかないような人間だからこそ、毎日の仕事は今の職種のように「性に合う」か最低限「苦ではない」ことが大切になる。
昨年の今頃は精神的にずいぶん苦しんでいて生きた心地もしなかったが、その後配慮をしてもらって再度現場で汗を流す仕事に復帰した。

かつての元気を取り戻せたのも私のために尽力してくれた人々のおかげであり、恩返しのためにもまずは1年の節目までは同じ理由で倒れることなくいくのがせめて今の自分が目指せることだ。
苦しい時には心配をかけた人にも1年を過ぎれば胸を張って連絡ができるだろう。
1年を過ぎたらあまり先のことは考えず、1日1日を丁寧に、元気な状態で積み重ねたい。

とにもかくにも順調と言えるのは幸せなことだ。
今が幸せだと思えない状態だと変えられもしない過去のことまでが恨めしく感じるが、なんだかんだで今は幸せだと感じられれば過去にも感謝ができる。
故郷での思わぬ挫折が、当地での大切な大切な出会いにつながっているのだから、ほんのわずかなつらい時期にも感謝ができなかったらウソだということになるのだろう。

乗り鉄+夜景

2016-06-12 22:49:39 | 休日
外はいま天気が悪い。
日曜の今日は前々から予報に傘マークが出ていたが、雨が降ってきたのは夕方になってからだった。
日中をうまく使えばよかったと後悔したわけではない。
好天だった昨日は一日動き詰めだったから、今日は疲れを取るためにゴロゴロしていてちょうどよかった。

さてその昨日は、先週に続いて三重県内に足を運んだ。
たまたま二週連続で同じ方面に行った形だが、今回は車を使わず鉄道に揺られることが目的だった。
最寄駅から名古屋駅へ、そこから快速みえに乗りまずは松阪駅に。



今回は松阪市内が目的ではなく、松阪駅から伊勢奥津駅(旧美杉村、現在は津市の一部)を結ぶJR名松線に乗る旅である。
平成21年10月の台風被害によって一部区間の不通が続いていたものが、今年の3月に6年半ぶりの全線復旧を果たしたとして地元のニュースで取り上げられていた。
話題性もあって、もう個人的にはおなじみになったJRの乗り放題きっぷを使って乗りに行くことにしたのである。

松阪駅を出ると紀勢本線から分かれ、平凡な田園地帯を1両こっきりのディーゼルカーが走る。
40分弱でたった一つの行き違いポイントである家城駅に着き、ここでは10分以上停車する。
もともとマニアックな路線なので車内は鉄道ファンとおぼしき乗客がほとんど、あちこちで写真を撮影する姿が見えた。
のんびりした雰囲気の中、下の写真のようなアングルが実現するのもローカル線ならではである。



災害で長らく不通になっていたのは、この家城駅から終点の伊勢奥津駅までである。
道のりはかなり険しくなり駅間も長くなる。
山あいを縫うように右に左にカーブを切りながらゆっくりゆっくり走って、松阪を出て約1時間半で終着の伊勢奥津駅に着いた。



車止めの向こう側、細く高い建造物は、かつて蒸気機関車が走っていた頃の給水塔であったという。



駅周辺には往時の伊勢本街道の名残が見られ、売店や観光案内所もある。
ただ、駅から他方面に抜ける交通がほぼ皆無であり、地元の熱意で全線復旧が実現したとは言っても存続には課題も多いのだろうことはうかがい知れた。

折り返しの列車に乗ってまた1時間半かけて松阪駅へ。
そこから名古屋方面に取って返し、JR四日市駅で下車。
南紀方面の特急も停車する大きな駅ながら周辺には見事に何もなかった。
人の流れは近鉄四日市駅付近に集中しているようだ。
名古屋から三重県内への鉄道は近鉄がJRを圧倒している象徴のような風景であった。
上からJR四日市駅と駅前、近鉄四日市駅と駅前の写真。









近鉄百貨店内で少し時間を使い、暗くなるのを待って四日市港ポートビルへ。
最寄の富田浜駅からやや遠いのは仕方なく、しかし14階地上100mからは国内有数の石油コンビナートが作り出す素晴らしい夜景を堪能できた。
船に乗って海上から眺めることもできるようであり、機会があったらまた足を運んでみたい。



久々に朝から晩まで動いたかいがあって、得難い経験ができた。
同時に、名古屋圏とはいっても基本的には田舎で、公共交通は場所によっては使いづらい現実も思い知った。
いかにも現代的な都会の風景は、東海地方では名古屋駅とその近辺だけだ。
列車に乗っていて、平凡な車窓が突如として高層ビル群に変わるのを見ていっそうその感を強くした。
もともとがもっと田舎の生まれの私には東京や大阪よりも肌に合うのかもしれないから、当地にいられるうちにいろいろな場所に行って楽しみたいと思っている。

記憶にない風景

2016-06-05 21:26:47 | 休日
男子バレーの世界最終予選が終わった。
最後までもつれた4位争いはカナダが中国に勝って、実に24年ぶりという五輪出場権を手に入れた。
アジアの4チームのうち、五輪に手が届いたのはイランだけという残念な結果となった。
その中で最も下位に沈んだ日本チーム、今夜のフランス戦には快勝したものの相手は五輪行きを決めていて控え中心のメンバー、消化試合に勝ったところで喜んでいいものではない。
フランスは北京、ロンドンと出場できてなく、昨日出場権を獲るまでは控えを試しながら戦う余裕はなかった。
やはりベストメンバーではない日本チームに対してミスも多かった内容を見ると、主力と控えの差が大きいチームだったのかなと思う。
日に日に痛々しさを増していったテレビ放送(特にTBSの石井アナ)も含め、バレーボール界は今回の結果を踏まえてメンバーは男女ともに思い切った世代交代、プレーは泥臭く嫌らしく相手を利用するテクニカルさをテーマに立て直しを図ってほしい。

さて、この土日は土曜の方が好天と予想されていた。
風邪を引きずって大人しく過ごした先週のこともあり、今週はぜひ遠出をしたいと思って、いつもは土曜の朝にやる洗濯を金曜のうちに済ませた。
幸い目覚めも早かったので、はるか昔20代の頃に京都から出向いたことがある三重県の青山高原を目指すことにした。

急ぐ旅ではなく道中も楽しみたいので、往路は一般道を選択。
国道23号線は流れも良く、四日市市から亀山市を経てこれまた久々の名阪国道を気持ち良く流した。
上野東ICから南下して国道165号線を東へ、看板に従って急な登りをクリアーすると青山高原の公園エリアに着いた。

カフェのある駐車場からの眺め。



そこから歩いてほんの1分、三角点がある展望スペースからは多すぎて気持ち悪いくらいの風車が見えた。



20代に来た頃は、景色の素晴らしさは覚えていたが風車のイメージはまったくなかった。
施設の管理棟の近くには説明用の看板があって、どうも私が前回訪れてから後に風力発電施設が作られてきたようだ。
今や我が国有数となっている施設が作り出す景観は圧倒的なものがあった。





帰り道はそのまま東へ、津市の中心部から再度国道23号線に合流。
北上して四日市市に入り、昨年の競輪グランプリを優勝した浅井康太選手のホームバンクである四日市競輪場に立ち寄った。
当初の予定にはなく車券も買わずに場内の写真だけ撮って退散したが、周辺は名うての工業地帯で、煙突や構造物が建ち並ぶ無機質な風景が広がっていた。
最近は工場夜景ツアーなる企画も各地で人気を博していて、四日市でも行われているらしい。
今回は時間の都合で通過してしまったが、あらためて目的地として訪れてみたい。

一般道ばかりでいい加減疲れたので、みえ川越ICから伊勢湾岸道に入り、そのまま名古屋第二環状道に入って帰った。
我が国指折りの貿易港の姿はドライブの締めくくりとして気持ちのいいものだった。

しばらくは梅雨の時期に入り、休日もスッキリしない日が多いかもしれない。
雨の時期ならではの楽しいスポットもあると思うので、しっかり調べてまた楽しみに行きたい。

あっさり敗退

2016-06-03 22:52:15 | 日記
男子バレーボールの日本代表チームは、五輪最終予選のあと2試合を残して早々に敗退が決まった。
世界ランキングから言っても挑戦者の立場、滑り出しのベネズエラと中国に連勝してようやく望みも出ると予想したが、中国に完敗したことからこの時点でかなり五輪が遠くなったと感じ、果たして結果はその通りになった。
アジア4チーム中の1位もしくは出場8チーム中の4位以内が条件というところで、アジアのチームに全敗したのだからどうしようもない。

高さでかなわないのは前から分かっていることで、そこを克服するには強いサーブの精度が重要だったが機能しなかった。
逆にサーブで崩され、リードをあっという間に吐き出す場面を何度見たか。
体格差は永遠に埋まらないわけで、今大会で米山裕太選手が見せたようなテクニカルなプレーがいわゆる「日本らしいバレー」の一つの方向性とは言えないか。
テニスの錦織選手を出すまでもなく、強い日本人選手が必ずしも体格に恵まれているわけではない。

イラン戦の放送中に、アナウンサー氏が「イランは日本戦にコンディションを合わせてきている」とサラリと言っていたがこれは大ウソで、イランはエースを次の中国戦に備えて温存した。
大会の流れの中で、アジアの1位は中国との争いになるだろうと考えるのは当然で、イランは日本戦ではなく中国戦に全力投球だったことは間違いない。
そのかいあってか、イランはフルセットの激戦を制してアジアの1位をグッと手元に引き寄せることになった。
近年アジアナンバーワンの実力がありながら五輪出場がなかったイランが悲願に一歩近づいた。

相も変わらず我が国のテレビ局は、日本チームをやみくもに応援するばかりで他国の戦力分析や試合経過などには目もくれなかった。
どう分析しても相当厳しい戦いになるという都合の悪い事実は「言わないでおく」ほうがリアルタイムの視聴率にとっては都合がいい。
さすがに近年批判されたニセ生中継(18時開始の試合を19時から放送し、巧妙な編集により生中継のように見せる)はなくなったが、テレビ局にとっては単に数字が取れるコンテンツの一つであればそれでよしということであろう。

もちろん、テレビのこんな雑な扱いを長年許している協会の責任は重い。
毎回批判は受けているはずだが、またしても部外者(アイドルグループ)を真剣勝負の場(コート上)に立たせてしまったことは国際的にも恥ずかしい。
代表チームが勝とうが負けようが、日本戦だけでも東京体育館がいっぱいになって興行として成立すればそれでいいという考えでは予選免除でイヤでも出場できる東京五輪では赤っ恥をかくことになる。
今回の結果を受け南部監督は退任の方向、また協会の強化委員長も辞任するという。
その委員長は、40年前のモントリオール五輪に出た人物というから驚きだ。
今こそ組織を一度まっさらにして、育成や選考方法を見直したい。
運動能力の高い若者が他競技に流れているという傾向もあるようだから、バレー界をより魅力あるものにしていくことも必要だろう。

見る側も、石川選手や柳田選手だけがお目当てというのは必要悪の範疇、ただ会場全体として、完敗続きのチームにブーイングひとつない異常なまでに優しい観客というのではいつまで経ってもチームのためにならない。
ふがいない試合の後には応援グッズを投げつけたいくらいに思う、あるいは本当に何かがコートに向かって飛んでくるくらいの緊迫した雰囲気を見る側が作れたらいい。

好きなバレーボールのことを思い、通常より冗長な内容になったことをご容赦願いたい。
土日のあと2試合、モチベーション的には酷な状況かもしれないが、全国のファンのためにもいいプレーを見せてほしいと心から願っている。