blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

いろいろ

2021-01-29 21:38:33 | 日記
見出しの写真は昨日夜の某所の空に出ていた月である。
肉眼だと月だとハッキリ分かるが、スマホのカメラでは何が写っているのか分からないということになった。

さて、前の休日を利用して、長年使ってきたMac miniとiPhone6sを売りに出してきた。
近々出てくるであろうiOS15のサポートはiPhone7以降ということになったためか、6sの査定はほんのしばらくだけ持っていた初代SEの売却時よりも低かった。
しかし、たかだか2012年後期のMac miniが思わぬ高評価となり、全体としてはニンマリということになった。

当時わざわざPCをAppleにした理由は、ことPCに関してはAppleのシェアは圧倒的に低くウイルスの標的にされにくいということと、OSの更新にお金がかからないということであった。
時を経て、Windowsで数年一度の行事となっていたサポート切れによる半強制的な買い替えキャンペーンは、マイクロソフトとウイルス対策ソフトを作る会社とのいわば共作ということが分かり、この点ではAppleが大変良心的な商売をしていたことになるので、手放した今もそのことには感謝している。
さすがにOSの進化にハードが追い付かなくなり、いわゆるクルクル状態が頻発するようになったため、PC需要を簡便なAndroidタブレットに移行すると決めた時点で手放すことは決定したのである。

ほんの少し財布がふくらんだので、その中からほんの一部を使って、今年最初の競馬のG1レースである「川崎記念」に参加することにした。
中央競馬しかやらない人にとっては、年の最初のG1はフェブラリーステークスということになるが、地方競馬にも相当の思い入れがある筆者にとっては川崎記念は見過ごすことはできない。
◎は①カジノフォンテン(船橋)に打ち、○は実績上位の⑧オメガパフューム(JRA)として予想を組み立てたが、逃げてレースを引っ張った①が後ろに何もさせない絶妙なペース配分で堂々逃げ切り、左回りと小回りに不安があった⑧は2着がいっぱいという結果、馬連と馬単を的中させることができた。
JRA勢が圧倒的に強い中で、地方所属馬の優勝はかつて中央馬と互角に戦いG1を6勝したフリオーソ(船橋)以来10年ぶりというのも、地方馬びいきの筆者にとってはうれしいことであった。

店舗という場所で仕事をしていると、自らは一言も言葉を発せずともすべて自分の思い通りに事が運ぶと勘違いしている人の何と多いことか。
直前の勤務では、レジがいったん済んでからレジ袋を要求されたことが2回あった。
店員は両手に缶コーヒー2つくらいではレジ袋がいるかいらないかはわざわざ聞かない。
小さな袋でもほしいと思うなら言えばよいのだが、聞かれなかったから、とでも言わんばかりの体で「あれ?袋は?」などとはどれだけ他人任せの態度なのかと思う。
数ある生物の中で人間にしか与えられていない言葉というものを全く使わないで、自分の意思をしかもアカの他人である店員に伝えようなどというのは本来神業に近いことであって、店員をAIロボットか何かと同じように考えてもらっては困る。

業種を問わず、全てに至れり尽くせりの日本流は他国から見れば驚きでもあろうが、残念ながらそれが日本人から思考力という大切な能力を奪い、受け身な人間ばかりを大量生産する原因になっていることにいい加減社会は気づくべきである。
メディアの言うままを信じこんでさして強毒でもないウイルスに恐怖し、自らは厳重にマスクをして、時には他人に忠告までたれる人間が増えたのはその証だ。

戦後、娯楽にどっぷりと浸からされて、日本人は骨抜きになった。
平成以降の30数年で便利なものやお店が増えるにつれて、いわゆるマナーの類いも落ちるところまで落ちた感がある。
直近の一年だけ見れば、何かと行動を制限されて閉塞感が漂う世の中で、店舗のような比較的自由に振る舞えるスペースに日頃の鬱憤のハケ口を求める人間が多くなっている。
一昨年までの、本当に自由な世の中がいかにありがたく、またボヤボヤしているといつの間にか何もかも奪われるかもしれないという状況に我が国は早く目覚めないといけないのだと思う。

雑多に

2021-01-26 20:55:01 | 日記
今日は仕事は休みである。
コンビニ夜勤という立場だと、仕事がある日(夜に出て行く日)は体を休めることを優先してしまい本欄にまで気が回らない。
できれば毎日でも更新したいところだが、不定期になってしまうことはご容赦願いたい。

経営の都合で複数店舗を渡り鳥していた状況から、某店で人員が一人抜けたこともあり、同じ店舗に専属となって一週間あまりが経った。
一部品目ではあるが商品の注文に携わる身、同じ店に出続けることで注文が多すぎたのか少なすぎたのか自分自身で把握できるようになったので仕事としての楽しさは増したと思う。
多すぎたところでゴミが増えるだけ、少なすぎたところで若干お客さんに不便をかけるだけで、自分が生きるか死ぬかという話にはならないから深く考えることはないのだが、現場の状況を見て売れ行きが絶妙な感じに収まったと感じた時はなかなか気持ちがいいものだ。
もともと、感覚をつかめるまでには半年か一年はかかるという話を聞いていたことからすると、正解ではないにしても大筋は外していない仕事ができていることには我ながら満足している。

さて、某日の勤務中にかつての職場で大変お世話になった先輩と再会することができた。
職業人という立場で私自身が恩師と呼べる方は二人いるが、そのうちの一人と偶然にも会うことができた。
今とは全く違う、物流倉庫という場所で、全くのゼロからフォークリフトと4トントラックの運転をマスターすることができたのは間違いなく氏のおかげであって、その職場で4年半という長きに渡って生き延びられたのも氏の存在なしでは考えられない。
やはり縁のある人とは会うようになっているものとの思いを強くしたし、当時のことを思い出してあらためて感謝の気持ちが沸いてきたのも偽りのないところである。

今の職場の話に戻ると、いわゆる「上を見て仕事をしている人」が残念ながらいることが分かった。
同じ立場の人間の言うことは全く聞かないが、経営の覚えだけは失わないように振る舞っているのが見えて正直ドン引きというのが本当のところである。
シフト勤務だから時間が来たら帰ればいいところ、仕事を勝手に一人で抱え込んで長い時には一時間半も勝手に残業する姿を見ていると、よほど他人の評価がほしいのだとしか思えない。
他人の評価がなければ精神的に危ういということであるなら、それは自分に自信がないということだろう。
同じ現場にいる人間としては、あえてうるさいことは言わないで、動いてくれる分にはラッキーと思って好きなようにさせておけばいいと思う。
受け入れられたくて無理をすることが単に利用されるという結果を招くだけだということを知らない人間は、勝手に動かさせておけばよいのである。

なぜかアカウント凍結を食らって使うことができなくなったTwitterの中にも、いわゆる承認欲求を満たすことが主たる目的に思える発信を多く目にして幻滅することが多かった。
表向きには世直しを標榜していても、発信内容やソースとされる画像に明らかなフェイクが混ざっていたり、発言そのものがウソだったりと、同じように真剣に世直しを願って発信している人々のイメージまで落としかねないような振る舞いがあるアカウントは触れていくうちに分かってきて、ミュートなりブロックなりをせざるを得ない状況にはなった。
貴重な発信手段であり、多くのつながりも生んでくれたプラットフォームが使えない状況は寂しい面もあるが、フェイク合戦や工作員の跋扈に疲れていたことも事実で、自分のペースで本欄を中心とした発信に回帰することができたのはむしろよかったのかもしれない。
光を他に求めるのではなく自分自身の中に光を見いだせれば、どんな世の中になろうとも大丈夫だということを逆に教えてもらったと思って、引き続き自分のペースで発信していければいいのだと思う。

私は次男坊なので、仕事が軌道に乗ればできるだけ早く実家を離れたいと思ってきたが、このたび審査も通り、あと10日もすれば引っ越しをして新しい環境での生活を始められる。
実家は決して悪い環境ではないが、たまに酒を飲んでグチっても逆に正論でやり込められてしまうので、引っ越し後は、これまで一人で暮らしていた時と同じように付かず離れずでやっていこうと思う。
たとえ子供が全員外国にいても寂しくない親御さんがいるかと思えば、ウチのように、長男とは同居、私を含むあとの二人も同じ市内にこれからもいるというのに、いつも寂しさを感じているように見える親もいる。
自分の親なのであまり言いたくはないが、夫婦仲が決して良くないこともあって、子が精神的にとっくに親離れしているのに、親の方が子離れできていない。
今回は、合鍵を作れと言ってきてもキッパリ断ろうと思う。
家族といえども、世帯が違えばそれなりの礼儀は必要である。
春先に帰ってきて以来、長い時間世話になってきたことには重々感謝はしているが、だからといって支配される筋合いもない。

字数が多くなりすぎたので、まだまだ書きたいことはあるが、次回以降に回すことにする。

手酌酒~♪

2021-01-22 22:16:40 | 日記
前回書いた通り、古いMac miniとiPhone6s、二つのApple製品を初期化して、いつでも売りに出せるようにした。
HDD500GBでもスカスカのまま推移したPCにも、長らくメイン機としてがんばってくれたスマホにも思い入れは当然あるが、2014年時点ではXperiaのフラッグシップであったX2シリーズのスマホとタブレットが奇しくもオソロになったことで手放す決心がついた。
発売当時でRAM3GBというのは確かに上位機種にふさわしいもの、それほど負荷のかかる使い方をしない私にとっては、2021年の今にあっても十分に用途に足りるということである。

タブレットの方は画面焼けがあるなど必ずしもキレイとは言えないが、PC代替としてネット閲覧、そしてスマホ入力が苦手な私にとって、キーボードとマウスを使って本欄を更新できればよく、また画面サイズも10インチあるから写真や動画もキレイに見られる。
まさしく必要十分なものが手頃に私のもとに舞い降りてきた?ことになった。

さて、今夜は仕事が休みで(夜勤だから夜に出ていかない日が休み)、仕事明けの日中は例のごとく寝るばかりであった。
明るい時間に寝られるものか当初は不安があったが、幸いにして毎日ぐっすり眠ることができ、仕事中に眠くなることはほとんどない。
一定以上の睡眠時間さえあれば(私の場合は平均より多目に必要とは言え)、仕事上不安になるようなことにはならない。

シフトの関係で連休が取れないので休みの日は街に繰り出してもよいのだが、このご時世、営業休止中のお店、やっていても時短営業のお店が多く、行くときはトコトンというタイプの私にはたいそうもどかしいことになっている。
例えば富山市内に出るなら、安宿を取ってでも時間を気にせずに飲みたいのだ。
富山のお仲間には、今日を含めて誕生日を迎えるメンバーがこの時期に集中しているのだが...。

というわけで、休みの夜は自宅で飲むことが定例となっている。
飲む量としては街に出た時の半分もないだろうが、家族の中で酒が飲めるのは自分だけ、酒飲みの気持ちが分からないオヤジやオフクロ相手では飲む楽しみはそれほどない。
実質は兄家族の家である実家では、御膳場に長居しているとやがて時間もなくなってきて心の底からは楽しめないから、今夜は自室にビールとチューハイを持ち込み、飲みながら本欄を更新している。

それにしても、このコロナ禍というのはいつになったら終わるのか。
インフルエンザが大流行し、全国で一日に200万人の患者が確認されても、世の中がマスクマンであふれ、行動の自由が今ほど制限されることはなかった。
残念ながら、この新型コロナなるものが「存在」してくれていた方がよい層が世の中の上級クラスを占めており、経済的な利益も享受できている(本当はインフルエンザでもコロナと診断すれば医師や病院に相当のお金が入るというウワサ...)ことから、人間の意図でもって終わらせられないというのが本当のところであろう。
何しろ世界中を巻き込んだ壮大なウソが展開されている中では、我が国も地方自治体も「引っ込みがつかない」というのが本音で、世の中の批判を恐れて「やってる感」を演出するのに躍起になっているというのが現実であろう。(富山県のステージ2再指定も然り!)

そんな本質がある時点で透けて見えたので、私自身はコロナに「恐怖」することは全くないままこれたわけだが、直接の影響を被る、特に飲食店関係の方々にはかける言葉もないくらいに心配だ。
相撲やラグビーは行われ、満員電車は放置されたままなのに、飲食店だけが過度な対策を余儀なくされ、事業の継続すら危うくさせられているのはまさしく人災というほかなく、日本人がやむなく撤退した一等地をオカネが有り余った大陸人に売り渡す計画があるというウワサもあながち間違っているようには思えない。

新しい生活様式などいらない、元通りの生活に早く戻りたいと切に願う。

パソコンいらない人?

2021-01-19 20:29:52 | 日記
もともとPCや携帯端末の類は嫌いではなく、スマホの時代になってからはお決まりのキャリア契約を早々に脱して、いわゆる格安simの世界、またsimフリーの世界に一般の人よりは早く突入していった経緯がある。

かといって、その時代の最新もしくは最高のスペックを追い求めるのとは違って、スマホなどの通信機器に求めるものはそれほど高くない。
今現在の話をすれば、端末ベースで言えば、スマホ1台、タブレット1台、通話専用のフィーチャーホン(ガラケー)1台であるが、スマホとタブレットはなぜか2014年製XperiaZ2のお揃い(Android5.0.2)だし、ガラケーに至っては4G通信は可能ながらネットサーフィンをするにはかなり足らないというシロモノだ。
常時通信が必要なゲームなどを入れているわけではなく、自分の使い方であればAndroidが10とか11とかの世の中であっても5で事足りるというわけだ。

今まだ残っているPC(2012年後期のmac mini)は、MacOSの進化に動きが追い付かなくなったこともあるが、たかだか500GBのHDD容量の3分の1も使っていない状態であったし、大切な写真や動画はmicroSDにコピーしてタブレットに収めてしまったから、近々初期化して売りに出そうかとも思っている。
AppleのPCを売りに出そうというのだから、長らく愛用はしてきたがiOS15のサポートからは外れるというiPhone6sも当然ながら整理の対象となる。
初めて手にしたスマホがiPhone5だったことを考えるとやや寂しい気もするが、Apple製品が身の周りから消える日が近づいているということだ。

ちなみに当ブログの更新は、XperiaZ2タブレットに、Bluetoothキーボードとマウスを接続してやっている。
内部ストレージは32GBと大きくないが、たぶんこれすらほとんどスカスカのまま推移するだろう。
これから増えていくであろう写真の類も、私の使い方ならクラウド保存(Googleフォト)で十分すぎるからだ。
つまり、表題にあるように大容量のストレージを擁する端末は私には必要がないのである。

古い端末でも十分に足り、通信もMVNOで十分ということになれば、何とも安上がりな形でネット社会に触れていけることになる。
これから実家を出て自活していくにあたっては、安くできるところは安くしておくに越したことはない。
通信機器以外のところでも、ミニマリストとまではいかなくても、聴くかもしれないCDとか、読むかもしれない本とかは思い切って断捨離して、なるべく身軽になっていければいいのだと思う。

再開します。

2021-01-18 17:30:22 | 日記
前回の更新が3月26日となっている。
このスペースは、gooメールとセットで月に300円ほど支払ってお借りしているので、活用しないこと自体がもったいない話である。
本当に久しぶりの更新となるので、前回から後、年を越えて2021年になった現在までのことをかいつまんで記したい。

前回の更新から間もなく、3月の末をもって4年半お世話になった愛知県を離れ地元富山に戻った。
愛知では楽しいことも多かったが、仕事のストレスで何度も体調を崩してしまった。
収入が途切れる時期もあって徐々に生活は苦しくなり、不安ばかりが募る状況となって体調も良くならず、地元に帰ってリセットすることを決意した。

地元に帰ってからも回復には時間を要し、コロナ禍の中で就職にも苦労した。
ようやく夏の終わりに県東部の会社に縁をいただいたが、環境が合わずにすぐにやめることになった。
早々に働き口を見つけ、肩身の狭い思いをして実家に間借りする生活から脱する予定が、ずいぶん長い時間を浪費することになった。

幸いにして、秋も深まってきたタイミングではあったが、ようやくにして某店舗での仕事の話をいただき、今までのところ特に大きな問題もなく2ヶ月半が経過した。
深夜帯の仕事には体調面で不安はあったが、お客の少ない時間であることがかえって私にとってはよかったと思う。
周囲にも恵まれて、特に大きなストレスも感じることなく長続きしそうなのは何よりであるし、経営者の方には感謝申し上げたい。
数日前には、いよいよ実家を出る準備をすべく、物件の内見をしてきたところでもある。

職に恵まれない間は、世の中の自粛ムードもあり気持ちの晴れない日々が続いたが、ちょうどツイッターなどで、世界の動き、ひいては今も続くコロナ禍の本質について知る機会を得、ネット上ではあるが新たなつながりを見つけることができ、何とか希望をつないでつないで生きてきた感じがする。
肥大化しすぎた資本主義がいったん破綻して新たな価値観の下での世界に変わっていくというが、果たしてどうだろうか。
ツイッターを中心に、この時期は短文での発信に完全にシフトしていて、当ブログが長期間お留守になる原因にはなってしまった。

仕事に恵まれ、体調も何とか保てている今の状況を大切にしながら、また本ブログに日常のアレコレを書きなぐるスタイルに戻り、自分らしく発信を続けていきたい。
間もなく実家を出ることもできるだろうが、そこまでいって本当に帰ってきたことになると思ってきたから、時間はかかりすぎたがよくあきらめなかったと思う。

不定期ではありますが、更新を増やしていきたいと思っていますので宜しくお願いいたします。