blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

「わたし維新」の旅?

2017-11-28 21:01:55 | 旅行
23日から26日にかけて、山口県を中心に北九州市(門司・小倉)を最終目的地とする旅行に出た。
今回も天候に恵まれ中身の濃い旅になり、無事に帰ってこれたことは何よりである。
これまでの旅行では1日ずつの行状をエントリーを分けてアップしてきたし、本来ならそうしたい。
しかし、11月の終わりが迫り、月の振り返りに書きたいことも多くあることから、4日間をごくごく簡単にまとめてしまうことをご容赦願いたい。

昨年の6月に全都道府県に足を入れたことは入れたのだが、山口県は非常に薄い訪問で終わっていたこと、またJRのデスティネーションキャンペーンの対象が山口県だったことで、4日間のうち3日間は山口県をじっくり回る計画にした。
ちなみに、わたし維新なるキャッチはJRのキャンペーンポスターに使われていたフレーズであり、当地近辺でも見ることができる。

余計な感想や説明は省き、日毎のベストショットで訪問地を紹介していく。

<1日目>岩国市〜防府市

*錦帯橋(岩国市)



*防府天満宮(防府市)



*防府天満宮の敷地内にあった「芳松庵」の見事な紅葉。



<2日目>秋芳洞・秋吉台〜山口市中心部

*秋芳洞



*秋吉台



*国宝・瑠璃光寺五重塔(山口市)



<3日目>下関市〜北九州市門司区

*海峡ゆめタワー(下関市)からの関門海峡の眺め。



*唐戸桟橋(下関市)



*関門海峡人道トンネル内、山口と福岡の県境。(関門海峡を歩いて渡ることができる)



<4日目>北九州市門司区〜同小倉北区

*JR門司駅近くの大里緑地公園。



*JR小倉駅



*北九州メディアドーム(我が国で2つしかないドーム型競輪場)



山口県の東の端(岩国市)から西の端(下関市)まで、西へ西への行程で十分満足、最後の北九州市がオマケに思えるくらい、山口県内だけでも見どころは多くあった。
のぞみ号も全部は止まらず通過されがちな県ではあるが、広島を見て次は福岡というのはあまりにももったいないと感じた。
歴史に詳しい人なら明治維新と関係する見どころがごまんとあるし、私のような景観重視の旅行者にも大きな感動を与えてくれる。

今回の山口県のように、行くには行ったが薄くしか訪問できていなかった県をあらためて時間をかけて楽しむことができたのはいい経験になった。
まだまだ薄い訪問に終わっている県がけっこうあるので、お金と時間を見ながらまた計画を立ててみたいと思う。

今ある現実

2017-11-22 20:09:38 | 日記
土曜の夜に、文字通り夢のような時間を過ごし、日曜はゆっくり休んで月曜からの三日間はやはり淡々と進んだ。
大ポカをかましたわけでもなく順調といえば順調だったが、仕事を離れた時間には夢ではないまさに今ある現実に思いを巡らすことになった。

10人にも満たない我がチームにあって、私はついに私の中の「人間」を消し去ってしまわないことには今いる環境で心穏やかには過ごせないことを悟った。
人間を消すということはすなわち感情を消すということと同義で、周りの人間の言動をいちいち気にしていたらイライラするばかりなので、仕事中は感情というものを持たないことにしたのである。
私自身はひたすら目の前にある仕事だけを見て、周囲に余計な手出し口出しなどは一切しないで、とにもかくにも無難な道を行く。
小さなチームの中でも、もはや私に話しかける者はない。
当地に来て二年を経過してこの現実、三年目に入ったからといって大変わりするものでもないだろう。
仕事そのものが性格に合うこと、これ一つを支えに毎日会社に通う、今できることはそれだけである。

土曜、まさしく夢だったライブが終わり、打ち上げも兼ねて軽く飲みに名古屋市内某所に出た。
店の営業時間の都合で滞在時間は一時間足らず、酒量も伸びずほろ酔い程度ではあった。
駅ナカの店だけに改札口はエスカレーターを下りてすぐそこ、電車が私と逆方向の同行者はこちらに一瞥もくれることなく改札口に足を向けて去っていった。
会っている時間は普通だが、別れる刹那に視線も合わさずにそそくさと去っていく印象を受けたのは10月に会った時もそうだった。
彼の背中は疲れているようにも見えるし、寂しげにも映る。
そうさせるのは、私などよりはよほど責任ある立場にある彼の今の日常か、住んでいる地域でのしがらみか、考えたくはないが三十数年にも及ぶ私との関係そのものが彼にとって重い十字架となっているのか。

いくら彼と私がガキの頃に知り合っているとは言っても、中学、高校と進むうちに、より気も合いより楽しく過ごせる友人と巡り合うことなど至って自然なことで、彼の中での私の「相対的地位」が下がったところで私が文句を言える筋合いはない。
彼の結婚式には幸い呼んでもらえたが、友人代表でスピーチしたのは彼が高校で意気投合した別の人間だった。
人間は変わっていくものであり、それは彼も例外ではないし、私だってガキの頃からはずいぶん変わった。

かりそめにも、お互いに変わった中でもまだつながっている関係が自らの重荷になっているなら、そんなものは下ろしてもらって構わない。
もう夢の時間も一度共有できたことだし、心から身軽になってもらって、今よりも生き生きとした毎日を送っていってほしい。
典型的な「気は優しくて力持ち」タイプ、長年の付き合いにはいろんなことがあり、一言では言い尽くせない。
そんな彼の幸せを心から願うからこそ、余計な荷物は下ろしてくれ、俺は大丈夫だから、と伝えたい。
せっかく会っても、別れ際、疲れた表情で逃げるように去っていく姿をこちらも見たくはないのである。

明日からは今年最後の旅に出る。
楽しむことも大事だが、会社から、そして当地から離れた数日間の中で考えられることもあるのだろうと思う。
幸いにして天気には恵まれそう、名うての雨男からは完全に卒業したようである。

35年!

2017-11-19 19:11:16 | 休日
寒い週末になった。
もう11月も半分を過ぎたなら、そろそろ冬タイヤへの交換も考える時期だ。
タイヤを交換することは安全上当たり前だからいいとして、困ったのはクルマの屋根に付いていたラジオアンテナがどうやら盗まれたようでガッカリである。
単純にネジではめ込んであるだけだから盗もうと思えば簡単だが、あれだけを盗んだところで何の役にも立たないはずだから不思議だ。
仕方がないのでクルマではひたすらお気に入りのCDを聴くことにしよう。

さて、昨夜はおそらく人生の中でも大きな体験と言える時間を過ごした。
場所は、9月に野球観戦して以来のナゴヤドーム、しかし催しはもちろん野球ではなく、桑田佳祐ライブツアー「がらくた」であった。







ツアーは本日の名古屋2日目も含めて年末までまだまだ日程があり、中身についてはネタバレになるので本欄では省く。
バンド(サザンオールスターズ)も含めて、このトシにして初めて桑田さんをナマで見ることになったので、あくまでも個人的な思いを書いていきたい。

はるか35年も前、まだ中学生だった私は、地元の祭りで家族で外に出ていた時に、父親に当時(1983年)サザンの最新アルバムであった「綺麗」のカセットテープ(この頃は作品はレコードかカセットで買う時代)がほしいと2,800円という小さくはない金額をせがんだ。
案外あっさりとお金を出してくれてカセットを手に入れ、最初に流れてきたのは何やら怪しげなイントロから始まる「マチルダBABY」であった。
シングル曲ではないながら、後にはサザンのライブでも盛り上げ時に使われるようになった隠れた名曲に衝撃を受けた。
ちなみに「綺麗」はファンの間では評価が分かれるアルバムながら、今も私の自宅には中身のないLPレコードの紙ジャケットが堂々と飾られている。

それが端緒となり、さしあたり過去の作品を揃えるところから始まり、以降の作品もバンド・ソロを問わずほぼくまなく手に入れてきた。
しかし、デビュー直後数年で大物になってしまったサザンなり桑田さんのライブを見る機会は、田舎にいればなおさら恵まれず、ついに最初のお付き合いから35年という年月を経てようやく当地で実現することになった。
私はいわゆるファンクラブには入っておらず、ライブを見ることに関してはそれほど執着がなかったのかもしれないが、今回は最新ソロアルバムを買った中にライブの先行受付(もちろん抽選発売)の案内があったので、説明に従ってダメもとで応募したらたまたま当たったというわけである。

もちろん今回のセットリストの中で知らない曲はなかったし、曲によっては感情があふれ出そうにもなった。
ほぼ満杯となった会場が一つになる光景はライブならでは、お世辞にもいい席ではなかったがそんなものは関係なかった。
作品をくまなく手に入れる程度の投資しかしていない人間が特等席で見られることを期待してはいけない。
特等席にこだわるなら特別な投資(ファンクラブ入会など)が必要になることくらい長く生きていれば分かることである。

今回は、かつて私と同じように桑田さんの音楽に入れ込んだ長年の友人と一緒だったので、始まってしまえば余計な会話は必要なかった。
今後は出来る範囲でまたライブを見る機会を伺いたいとは思うが、毎度毎度競争率は高いので、一度だけでも実現したことは本当に良かったと思う。
21時くらいに終わったライブ、大勢の人がいて会場から出るにも数十分、名古屋市内某所で打ち上げを兼ねた飲みに入ったのは22時くらいであった。

お酒も入りいい気分で昨夜は自宅に戻り、しかし今日は「祭りのあと」の疲れで一日ぐったりであった。
明日からの勤務は水曜までの三日間、金曜は休みをもらっていて、木曜の祝日もからめた四日間、今年最後の冒険に出る。
憧れのアーティストのライブだけでもお腹いっぱいになりそうなところ、旅行も二回やるとはこれまでにないくらいに欲張った誕生月となりそうである。
その分12月の予定がスカスカなので、これからの努力で楽しいものにしなくてはならない。

ペースダウンの時期

2017-11-17 23:20:11 | 日記
金曜日の勤務が終わって、ややホッとした気持ちで本欄に手をつけている。
ホッとはしているが、今週は水曜にも飲みに出なかったし、今日金曜も出ず、明日土曜もたぶん出ない。
なじみの市内某店には、暗にこれからペースをかなり落とすことを伝えた。
富山にいた頃、数年前のある半年間、お金回りが苦しくなったことを告白した上で夜の飲み屋さんとは完全に距離を置いた経験がある。
その頃ほどは財政的にギリギリでもないのだが、毎月必ず赤字になるようなペースで行っていることには変わりなく、同じ轍を踏む前に早めに、やはり半年程度の「活動休止期間」をいただこうと考えている。

当地に来ての二年間は、遊びもそうだが仕事もかなり拍車をかけて走ってきた感覚があり、あっという間に過ぎ去った気がする。
仕事に関しては、アクの強いメンバーたちから余計なことを言われたくはなく、また長期病欠明けという状況で当地に来て、少なくとも当地では決して倒れることなく日々を乗り越えなければ会社への「恩返し」にならないと思い、強制的に消化させられる有給以外はほぼ皆勤でやってきた。

10月に入ってから仕事のペースが一段階落ちたようにも思われ、良く言えばお互いの本来の役割を全うさえしていれば何とか回る状況にある。
こういう状況だと、ヘタに他人の仕事に首を突っ込んで逆に疎まれることがある。
仕事の絶対量が少ない中では、手伝いを申し出ても相手にとっては「私の仕事を取らないで」となり、「いいです!」という冷たい反応が返ってくる。
最近はあまりにそこがひどいため、余計なところには行かなくなったし、余分なこともしなくなった。
ヒマな時間は増えるわ、周囲の会話はくだらないわでいい加減食傷ぎみの毎日、私自身はチームの中では自分がやるべきことだけはしっかり、しかし言葉はほとんど発することなく、人間性を抹消してまるでロボットのように振る舞うことで何とか日々を乗り越えている。

この二年間のこと、また今の事業所の状況を思えば、これまで肩に力が入りすぎていたところを少しだけ緩めて、いい意味で気楽に毎日を過ごせば、という何かの知らせにも思える。
話し相手や飲み相手など「人間」としての役割を期待されてなどいなくてもよい、日々淡々と、決して仕事を逆流させない形さえ取れていれば、差し当たりはOKである。

当地での生活が存外長くなるのか、もうわずかしかないのかは、私が決めることでもなく全く分からない。
財政健全化のためとは言え、夜のバカ騒ぎも抑えていこうという中で、気持ちのバランスをいかにして崩さないかをこれから半年くらいの大きなテーマとして考えていきたい。

内輪の中に内輪あり

2017-11-16 19:58:06 | 日記
私の今の住まいは会社を通じて紹介を受けたアパートである。
見た目まったく古くは見えないし、本来の賃料を考えると薄給の私の身の丈には明らかに合わない恵まれた物件だ。
会社から相当の補助を受けているから住めているのであって、マトモなら生活するだけでやっとである。
つくづく有り難さは感じながら、浮いた部分が時にストレス解消の名目で無駄な方向に行くという情けない状況は、2年を経過し土地にも慣れた今からでも改善しなくてはならない。

古くもないが新しくもない物件であることは、例えば蛍光灯などに今や消滅した「National」のロゴが入っていることなどで分かるとはだいぶ前に書いた。
その絡みで、先月から徐々に外装の洗浄や防水など種々の工事が始まっている。
今日あたりは帰宅して塗料のニオイが若干ながらしており、今が作業の真っ最中であることをうかがわせる。
もちろん管理のしっかりしたハウスメーカーだからこそ、このような工事も行われるのであって、住んでいる者としては喜んで協力しないことには失礼千万である。

仕事の方は相変わらず淡々と日々過ぎている。
一部予定の変更もあって手すきの時間が今日は少なく退屈な時間帯はあまりなかったのは有り難い。
全体としての仕事量は戻っているとは言えない中で、個人的には仕事をした気になれた一日であった。

私が属するチームは10人にも満たない小勢、他の部署は知らないが、笑いが絶えないという意味では大変良い環境である。
笑いがあるということは元になる話題があって会話があるということ、隣の席どうしでも会話のない部署もあると聞いている中ではこれもまた素晴らしい。
ただ、毎日流れている中で「話題が尽きなくて」笑いにつながっているのとは少し違う。
「毎日同じような話題」なのに同じように盛り上がって最後は同じようなオチが付いて終了するという、素晴らしい中にも不思議な部分はある。
その同じような話題は、だいたいは同じ人間が口火を切り、周囲がそれを茶化すなりいじるなりの繰り返しで、話にオチをつける人間もだいたい決まっていて、どんなオチかも毎日のことなのでだいたい読める。
毎日同じ組み合わせのプロレスを見せられているような感じで、お世辞にも建設的とは言えないやりとりが毎日続く。

どうにもこうにもそういったやりとりに「内輪ノリ」的なものを感じてしまうこともあって、私はクスリとも笑うことができずに、いち早くチームの部屋から出て何かを始めるか、内部の提出物に手をつけるか、帰り近くなら時間が過ぎるのをひたすら待つ。
無理になじむ必要は感じていない。
もともと、みな同じユニフォームを身につけていながらも「内輪の中の内輪」があることは当地に来た時から感じてきた。
そういう集団が存在するのは、以前我が事業所の土地にあった別会社を我が社が吸収合併した歴史があるからだ。
我が社にも問題まったくなしとは言わないが、「内輪の中の内輪」の人間は旧組織の思い出話と我が社への悪口が非常に多い。
私くらいのドの付く中途入社ならともかく、いわゆる生え抜き、特に若い社員は合併当時のことなど知らないし、ベテランであっても富山から流れてきた人間はなぜかあまりいい言われ方をされていない。

内輪の内輪で楽しくやりたいならそれでもよい、しかし、自分たちが内輪と認めたくない人間も大勢同じ船に乗っていることは忘れてほしくないのである。

淡々と

2017-11-14 02:29:19 | 日記
10月の下半期スタート、いや4月の今年度スタートからと言ってもいいような気はするが、私の担当に限れば日々は至って淡々と過ぎている。
一部製品が他の事業所に振り分けられて仕事の絶対量が減っているばかりか、さらに一部の業務に旧担当者が「しがみつく」ような動きを取ったために、当方から提唱してそこからは離れている。
こうなると、時間に追われるような場面というのはほとんどなくなり、他人の手伝いに回る時間の方が多いのではないかといった有様である。
急に仕事の量が増えるわけでもなく、一従業員としては体を壊さず、毎日ほんのわずかでも貢献することが当面の目標ということになる。

さて、先週末は人の動きに伴う飲み会が会社近隣であり、広い意味で同じ部署のメンバーということで参加した。
当事者は当地の出身ながら長らく富山にいて、私自身は当地に来る際に諸々の手続きの面で電話では大変お世話になった。
じかに話すのは初めてで、わずかの時間ながら共通する話題もあり、年下の私にも丁寧に応じていただいた。
また、当日はこれまで会があっても話す機会がなかったベテランの女性陣の近くにあえて陣取っていろいろと話した。
これまでは、その日は参加しなかった某ベテラン氏が喫煙者を近くに固めてしまい、席が自動的に女性陣から遠いところになってしまっていた。
会社の喫煙所が行くには面倒な場所に移動したため今は日中はタバコは吸っていないが、その会の時もタバコは吸わないと腹をくくってこれまで距離が遠かった女性陣との交流にあてることにした。
それほど深い話もできるわけもなく、しかし仕事を離れてリラックスした姿は見てもらえたのではないかと思う。

一次会がつつがなく終わり、さてどうしようかと思っていたら、まだ食べ足りない人がいたようで、男女合わせて6名ほどで近隣のラーメン屋さんを探し歩くことになった。
2軒ほどは満員で断念、しばらく歩いてようやく6名が座れる店を見つけて締めのラーメンを待ち、安くておいしいラーメンを賞味できた。
話題としては、すでに結婚している人に関して、財布は分けているのかやお小遣い制なのかどうかなど、多少デリケートな部分にも触れる展開にはなった。

その辺りで済んでいればまだよかったものを、よりによって私と同じチームにいる某氏が台無しにしてしまった。
二次会メンバーの中にはすでに結婚して20年近くを過ごしている人もいる。
結婚している当事者は、何となくでも夫婦が信頼関係で成り立っていることをサラリと口にしたのだが、あろうことか結婚をしていない某氏がそれに噛み付いて「そんなものは嘘だ、偽善だ」とやり出した。
さんざん酔った上での話ではあるが、結婚していない人間がしている人間に冗談半分で責められる場面はあっても、結婚していない人間がしている人間を真っ向から否定して責め立てる場面は初めて見た。
酔ってはいなくても、昼間の仕事でもちょっとしたことに噛み付く悪癖があって、私としては「また始まった」といったところだった。
メンバーからは「昔イヤなことでもあったの?」などと半分流し気味の対応をされてはいたものの、勢いづいた某氏はさらに「自分を棚に上げて他人には厳しくしたいのが人間の本性だ」などと持論を展開、もはや収拾がつかなくなったので、話が途切れたタイミングで強引にお開きにして店を出た。

週明けの今日、ずいぶん前に終わった日帰り出張の費用の申請書類にやっとこさで取り掛かっている某氏の姿を見て、この世に恥を知らない人間というのが本当にいるのだと実感できたのであった。

11月5日の行状

2017-11-12 19:56:36 | 旅行
今日の日中、テレビをつけたらたまたま前回書いた「さいたまクリテリウム」の様子が放映されていた。
こちらはナマの迫力を味わってきたとはいえ、人混みの中で何が何だかという時間も多かっただけに、しっかりとした映像と解説であらためてレースの様子を見ることができたのは幸運だった。

さて、5日は快晴。
旅の最終日は千葉県の東端、銚子市が目的地であった。
JR銚子駅からはさらに総路線わずか6kmあまりという銚子電気鉄道の線路が延びている。
今回、犬吠埼にぜひ行きたかったので、鉄道好きとして銚子電鉄に乗ることも欠かせない目的であった。

成田から銚子に向かう成田線の車内は意外に混み合っていたが、途中の佐原駅で鹿島線に乗り換える人々が大量に下りていった。
格好を見ればサッカーチームの応援というのはすぐに分かったので、なるほどなと思った。
沿線といえば本当に何もなく、あるいは地平線も見えるかというくらいの平たい風景の中を各駅停車が1時間20分くらいかけてようやく銚子駅に滑り込んだ。



駅舎が工事中だったため撮影できず、駅前の様子を少し。
ここまで来れば利根川と太平洋が出会う地点もすぐそこである。





いよいよ銚子電鉄のホームに立ち、入線してきた2両編成の電車を撮影。



銚子駅から終点の外川(とかわ)駅まで、わずか20分の間にも、アイドルのような車掌さんがいたり、地元銚子商業高校の女子生徒さんたちが車内販売に入ってきたりで、一時は廃線の危機にあった路線が今も地元の人々に懸命に支えられている様子が伝わってきた。
私は乗り鉄なので、終点一つ前の犬吠駅はひとまずやり過ごし、まずは終点の外川駅で下車。



外川駅は海岸からやや高いところにあり、駅近くから海岸に下りて行く坂道が一つの見所になっているようだった。



時間の関係もあり、今乗ってきた電車に折り返しで乗り、となりの犬吠駅で下車。





目指すはもちろんココ。



真っ白な犬吠埼灯台。



灯台には登ることもできたので、太平洋の絶景を思う存分堪能できた。(3枚目は市内もう一つのランドマークである銚子ポートタワー)







灯台から下りてくると、なぜか真っ白な郵便ポストが。



犬吠駅まで取って返し、お土産用に名物のぬれ煎餅を買い込み駅周辺で撮り鉄。



あわただしくも楽しかった銚子に別れを告げ、一路成田空港へ。
成田からは中部空港行きが夕方に2便飛んでいて、いちいち東京に出なくてもいいことにメリットを感じ、早めの予約をかけていた。
JR線を下りて案内板の通りに歩いて行くといきなり保安検査場にたどり着いた。
飲食スペースやおみやげ屋さんは、検査場をくぐった後の搭乗口のかたわらに小さく設けられているだけだった。
成田の国内線はあくまで海外各地から国内各地への乗り継ぎ地点の役割が強く、ターミナルに大掛かりな商業施設を設けるメリットがないのであろう。
私のように純粋な国内旅行の一部として成田発の国内線を使う人間は少数派、それでも日本で指折りの空港の一端を垣間見られただけでもよかったと思う。

3日間、ほぼ晴天に恵まれ、新しい体験も多くできて、ここ数回の中では特に満足の大きい旅ができた。
あらためて、今こうやって旅を計画して実行に移せる体力と健康に恵まれていることが嬉しい。
一つしかない大切なこの体、元気なうちに多くの土地に行って、少しずつでも多くの経験を積み重ねていきたいものだ。

11月4日の行状

2017-11-11 09:22:48 | 旅行
昨夜は会社の集まりがあって本欄更新できず。
もう旅行から一週間、記憶が薄れぬうちに早めに追いついておきたい。

この日の目的地はさいたま新都心駅周辺、まずは最寄りのJR馬喰町駅から、と思っていたら、宿では秋葉原駅行きのシャトルバスを出していた。
秋葉原からなら京浜東北線で乗り換えなく行けるから、これはありがたかった。
どこに行く時もそうだが、ホテルのフロントまわりをウロウロするとけっこう便利な情報が手に入る。
周辺の飲食店情報や、やや広域の観光情報など、出発前には分からなかったことが分かることも多い。

さて、さいたま新都心駅に着き改札を出ると、さっそくこの日のお目当てであるイベントの横断幕が目に飛び込んできた。



「さいたまクリテリウム」という自転車のロードレースが終日行われるのがこの日であった。
今年ですでに5回目、本家ツールドフランスの名を冠した我が国唯一のレース、参加選手には今年夏にあったツールドフランスの総合優勝者と準優勝者も含まれるというロードレースファンにはたまらないイベントである。
コースはさいたま新都心駅を中心とした3kmちょうどの周回コース、レースが始まるまでの時間、ジリジリと移動しながらコースの写真を撮った。

*スタート/ゴール地点周辺











*西大通り周辺







都会の、しかも駅周辺を規制しての自転車レースというのは世界的にも珍しいようである。
スピードが出る平坦コースということ、また大きなイベントだけに私のような素人も多い会場、また世界のトップが集まっていることもあって、神経質なほどの交通・観覧規制が敷かれていたのには正直参ったが、自転車競技への理解が欧州ほどは高くない我が国にあっては致し方ない部分もある。

西大通り付近の飲食スペースには、フランス国旗も多数飾られ、本場の雰囲気が演出されていた。



レースは、スプリントや個人・チームによるタイムトライアルを経て、15時からは3km×19周=57kmで争うメインレースであった。
周回コースなので選手を何度でも見ることができたし、周回を重ねるごとにみるみる展開が変わっていくのも見ていて楽しかった。
レース中の自転車のスピードが速すぎて、手持ちのコンデジの性能では限界がありあまりいい写真が撮れなかったのは残念だったが。

ゴール前直線はけっこうな集団でのスプリント勝負となって、結局英国のカヴェンディッシュ選手が優勝した。
ロードに詳しい人なら、平坦コースではいわゆるスプリンターが有利ということであらかた予想通りの結果だったらしい。

自転車がらみといえば競輪を中心にトラック競技ばかり見てきたが、競輪でラインを組むのと同じようにロードレースもチームで戦うのが大原則である。
各チームにはエースが存在し、アシスト役はエースを勝たせるために献身的なまでに役割を果たす。
強いチームになると、他チームならエースを張れるような力を持った選手がアシストに尽力するから、エースにとってはなんとも心強いということになる。
自転車競技は風(空気抵抗)との戦いであることはトラックもロードも変わらない。
その部分を初めてのロードレース観戦であらためて実感できたことは、今後国際規格のトラック競技や別のロードレースを観戦する時にも役立ってくれるだろう。

レースの興奮冷めやらぬうち、宿までの行程を急いだ。
翌日の目的地の関係もあり、さいたま市から成田市まで移動する必要があった。
この日はほぼ一日立ちんぼで腰が痛くなってくるほどであったから、宿に併設されたコンビニで夕食を仕入れ、体を休めることを優先して、至って健全な夜を過ごしたのであった。
翌日の行状は次回に。

11月3日の行状

2017-11-09 20:11:38 | 旅行
誕生日当日の深夜、JR春日井駅前を経由する東京駅行きのバスに乗り込み、3日間の旅が始まった。



私はあまり乗り物では寝られない方だが、独立シートなど工夫された快適な車内で眠りに落ちていた時間は間違いなくあり、東京に着いた頃には思ったよりも疲れはなかった。
この日は朝の6時過ぎから目一杯動いたため、文章をダラダラつづるよりは写真を多く載せることにする。

*東京駅と皇居・国会周辺(4枚目は総理官邸)









トランプ米国大統領の来日はこの2日後ながら、駅のコインロッカーはすでに使用禁止になっていたし、国会周辺にもこの時点で警備員がかなりいたように思った。

*東京モーターショー(東京ビッグサイト)











とにかく開場前から人、人、人で、時間の関係もあり日本車メーカーはほぼ無視という暴挙。
ただ、せっかく愛知から来たので、トヨタ系メーカーや愛知県内にある高校の展示は足を止めた。
会場が大き過ぎて、一つ一つ丹念に回るには一日仕事になるところだった。
写真は、マイナーチェンジしたばかりのプジョー308、BMWZ4、ヤリスWRC(=日本名ヴィッツをベースにしたトヨタチームのラリーカー)の順。
なお、会場では某外国部品メーカーのブースで高校時代の同級生と再会。
SNS上で盛んに写真をアップしていたのは知っていたが、あえてアポなしで突撃した次第。
この場を借りて感謝申し上げたい。

*JBC競走(大井競馬場)











昨年の川崎開催にも足を運んだ、ダート競馬の祭典。
一日にG1競走が3つも見られるのは一年でもこの日だけである。
地方競馬場の持ち回りで開催してきたJBCが来年はなぜか中央の京都競馬場で行われることになっている。
地方競馬場での開催は最低でも2年待たされることになるので今年もライブで見ておきたいと思った。
ちなみに成績は散々、しかし我が国のトップクラスが一堂に会し、レディスクラシックでは地方所属馬ララベルが優勝するなど、会場の大きな盛り上がりを体験できたことはよかった。

この日の宿は新日本橋、宿近くの居酒屋に入るとピンマイクを付けた板前さんが大勢の客を前にマグロを解体していた。
マグロ解体のあとは客全員を相手にじゃんけんゲームまで飛び出して、広い店内はこれまた盛り上がった。
少しでも楽しんで帰ってもらおうというサービス精神には頭が下がる思いがした。
値段はいたって普通、芸能人のサインもあまたあって、たまたまとはいえ稀有なお店に入ったものだと思う。
翌日の目的地はさいたま新都心駅周辺、内容は次回にて。

誕生月

2017-11-09 04:40:09 | 日記
11月に入り、すでに誕生日は過ぎ、今年もまたひとつ歳をとった。
今年は、実家の両親はもとより、当地の仲良しさんや富山の仲間たちなど多方面からメッセージをもらい、ありがたい限りである。
直接的なお祝いとなると、なぜか前日までにお菓子などをもらって終了し、当日の夜は特別なことは何もなかった。
誕生日である2日の深夜には日に1本だけJR春日井駅に停車する東京行きのバスに乗り込む予定だったから、準備などがゆっくりできてむしろ良かったと思う。

3日から5日の3連休は関東方面へ旅行して、行ったことのない場所にも行き、新しい体験もし、天気にも恵まれていい旅になった。
誕生日を起点とする一年を楽しくスタートすることができた。
11月はまだまだ楽しい予定を詰めてあり、例年以上に中身の濃い誕生月になっていくだろう。
ようやく写真の整理もついたので、追い追い旅行のことは上げていきたい。

プライベートはこれでもかとばかりにスケジュールを詰め、着々と準備も進んで楽しみが増すばかりである。
ただ、仕事の時間を含めた昨日までの8日間全体で見ると、言うほど元気いっぱいというわけでもない。
飲みに出たのは1日の夜だけで(旅行中も1回出てはいるが)、出ない日は夕飯を終えたらすぐに横になってしまい、そのまま未明まで眠りこけるという何とももったいない時間の使い方になり、本欄もホッタラカシになってしまっていた。
仕事はひと頃に比べてそれほど体力的にハードではないし、残業などまずない今は、夕方以降の時間を使ってできることはたくさんあるはずだ。
誰にも文句を言われないのをいいことに、平日をやや安易すぎるリズムにしてしまっている部分は少し考えなくてはならない。
今からでも新しく身に付けられそうなことがあるなら、週イチでもいいから夕方以降の時間を振り向けたい。

と意気込んではみるものの、仕事の日がいわゆるバタンキューばかりになってしまうのは、体力的なものとは別の疲れもあるのかもしれない。
最近は職場の喫煙所が従来の場所から移動して著しく面倒になったため、会社でタバコを吸う気が起こらなくなり、タバコを会社に持って行くことすらしていない。
タバコ場でしか接点のない人もいるし、タバコ場でしかできないような話もある。
そんな中で、タバコ場に行くのを放棄するのは寂しい気持ちもあるが、やはり不便な場所に行かされるくらいなら、という思いの方が強い。
タバコを吸えないことによるイライラは私の場合はないので日々の本数は減って良いかもしれないが、コミュニケーションの機会も減ってしまうのは仕方がないと思うよりない。

昨日は久しぶりに雨だったが、今日は天気はいいようだ。
天気がいいと取り合いのようになる外のフォークリフトも、昨日特に雨が降っていた午前は私がほぼ独占であった。
我がチームの年寄り連中は、自分が濡れるのがイヤで雨の日は積極的には乗らないからである。
これから寒くなれば、寒いからという理由も加わるが、どれだけお坊ちゃん育ちなのかと思う。
育ちの部分は今からうるさく言っても変えようはないわけで、やらないのなら私がやるより仕方がない。
こんな、ハングリー精神のカケラもない人間たちに囲まれて仕事していれば、疲れるのも無理はないのかもしれない。
自分が疲れ過ぎないように、イライラしそうになったら意識して熱を抑えるようにしていくしかないのだろうと思う。