blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

7月を振り返って

2015-07-31 21:36:03 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返ります。
7月の話題として、ベタなところで「三井アウトレットパーク北陸小矢部」の写真を載せました。
しばらく、特に週末は周辺の渋滞もきついと思います。
1日つぶそうと思えばつぶせる場所ですので、その日の目的がココだけというならクルマはなるべく避けてバスを使ったほうがいいかもしれません。
子供さん連れだったり、買い物が増えすぎたりすると大変ですが…。

7月は確実に健康体に向かうことができたいい月でした。
七夕様あたりまでは波があった体調も落ち着き、特にここ数日はあちこち外に出て活動することができました。
まずはここまで回復したことを喜びたいと思います。
この季節ならではの健康管理はありますが、とにもかくにも行動をする元気が戻ったことが何よりです。

仕事に関しては、診断書上のいちおうの節目の日を迎えましたが、こちらのコンタクトに対する反応は結局今日までありませんでした。
体が元気になったので早く今後の方向が見えてきてほしいですね。
大事なのは、しっかり協議していただいて一つの方向を出すことです。
その中身がたとえ私にとって好ましいものでなくても全然いいのです。
伝統のある会社にふさわしい対応をしていただければ、私は納得して従います。
こちらは焦って動くようなことはせず、ただただ辛抱強く待つことに致します。

8月も最初の一週間くらいは猛暑のようです。
小欄にご訪問いただく方々のご健康をお祈りして、7月を終わります。

道は?PART2

2015-07-28 22:45:29 | 日記
職場から離れている間も、朝方ダラダラと寝ているかといえばそうでもありません。
仕事に行っている時と同じか、それより前に目がさめることも多いです。
小中学生の時には、休みとなるとまともに「昼」まで寝ていることもありましたが、この年になるとさすがにその時間まで寝ていることはありません。
その日の天候により、外の空気を吸うか、自室の雑事を片付けることで時間を使います。
仕事への復帰が近くなった今は、横になりたい誘惑を断って日中は何がしか活動するように心がけています。
活動と睡眠のリズムが崩れたまま復帰するのは体にも良くないと思います。

さて、仕事を離れてからふた月、一応の期限も迫ってきたところですが会社からは何のコンタクトもないまま今日まで来ました。
そこで、当方からコンタクトを取るため医師の新しい診断書も付けて手紙を送りました。
手紙にしたのは、直の面談や電話だとどうしても頭に血が上って的確に伝えられない気がしたからです。
特に中身には変わりはなく、間違っても再発などしたくないので、復帰は前にいた部署を軸に考えてもらえないかという内容です。
ギリギリとはいえ、とりあえず会社よりも早く動いたことでヨシとします。
体は元気になったのにいたずらに休み続けるのは本意でなく、まかり間違っても黙殺されないことを祈ります。
仮にも会社を名乗る組織が「無回答」などということはしないはずです。

書きたいことを書き思いを伝えるというアクションは起こしましたので、後は待つ身、気を楽にして、体のケアだけは十分に気をつけていたいと思います。
早く進む道が決まって、美味しいお酒を飲みたいものです。

道は?

2015-07-26 21:43:56 | 休日
昨夜、富山市内某所で、横浜市長や衆議院議員をされていた中田宏さんを見かけました。
お連れの方と固い握手を交わし、笑顔でタクシーに乗り込んでいかれました。
有意義な集まりとなったのでしょうか。
ツイッター上では、富山うんぬんのツイートはまだされていないようですが…。

最近、私の高校時代の友人が新しい職場を得て再出発を果たしました。
詳しい事情は知りませんが、求職活動を余儀なくされたとのメールがあったのが6月の初めの方でした。
親にとてもよく似た可愛いお子さんも抱えており心配していましたが、今月の最初の方で次の行き先が決まったとの連絡が入りました。
辛い時期を乗り越えた友人にはこの場を借りてあらためてお祝いを言いたいと思います。

私のほうは、医師が示したいちおうの休職期限が近づいてきました。
長い時間をいただいた以上、まずは休む前の体調を取り戻すことが大命題でした。
ちょうど七夕様あたりまでは山あり谷ありでしたが、それ以後今日まではなんとか落ち着いて過ごすことができています。
最低限の姿に戻れたことは、ひとりの人間としては喜びです。

さて、体は回復しましたが、これからの行き先がまだ分かっていません。
会社の考えもきちんと把握して対応を決めなくてはいけません。
好きで休んだわけではありませんが、職業人がふた月も職場を離れた事実は消えません。
この厳しい競争の時代、一時的にせよ脱落した者にかまっていられる余裕が組織にあるのかは分かりません。

しかし、働き場所は替えがきいても自分の体は替えがききません。
長い目で見て、体を壊さず元気に生きていくことを優先に、しっかりと決断したいと思います。

超一流は

2015-07-24 22:10:04 | 日記
俳優の高田純次さんが今月放送の「情熱大陸」の中で話したことが名言として賞賛されているようです。
歳をとってからやってはいけないこととして「説教」「昔話」「自慢話」の3つを挙げ、自分にはそれらがないからエロ話しか話すことがない、というのです。
テキトーが代名詞のようになっている氏ですが、長きにわたって第一線で活躍する方の考え方はやはり一味違います。
誰も真似できないキャラクターであり続けていることも、長続きしている理由でしょうか。

前にいた部署でずいぶんお世話になった方は、常々「俺は高田純次を目指している」と言っていました。
上に挙げた3つのうち、どうしても説教だけはなくならず、プライベートでもしょっちゅうモメてしまったものでした。
ただ、自分に正直で、決して格好はつけないので、いろいろあったとはいえ決して嫌いにはなれない人です。
私の働く部署が変わってからはごぶさたですが、連絡一つでまたお酒が飲めそうな気もしています。

長年の経験には敬意を表するにしても、やはり上の3つが多い人は付き合いにくいものです。
宴会での説教は言うまでもなく、仕事の上で力技や無茶が通じた時代のことを延々と語るやら、口八丁手八丁で飲酒検問をすり抜けたやら、会社の金で大騒ぎしたやら、どうでもいいような話が好きな人は確かに多いです。
そんな話ばかり聞かされても、聞いている方は「いい時代だったんですね」と思うだけで、押し付けがましい印象しか持ちません。
今の時代、そんなことは許されないどころか、たちまちコンプライアンスの名のもとにマークされてしまうのですから、もはやジェネレーションギャップどころの騒ぎではなく、若い世代の「割合わない感」が上の世代に対する憎悪に発展しそうな気配を薄々ながら感じてしまいます。

若くもなく、しかしまだ年寄りとは言われたくない年齢の私は、せめて生きている年数に比例した余裕を持ちたいと思いながらもたぶんまだまだだと思います。
若い世代に「こんなヤツをこれから支えていくのか」と言われないよう、せめて支えがいがある年寄りになっていきたいものです。
高田純次さんの域には遠いとしても。

チャレンジね~。

2015-07-23 21:01:04 | 日記
今年もすでに半分が過ぎ、いろいろな新語や流行語が誕生しています。
年末にかけてはまたそんな話題も多くなると思いますが、ごく最近は、新語ではありませんがイヤ~な言葉も登場しました。
粉飾決算(と言い切っていい)で揺れる東芝問題での「チャレンジ」です。
本来の意味からはかけ離れ、通常の企業活動では成し得ない利益計上を強要することがチャレンジだというなら、東芝内部ではずいぶんおぞましい意味合いを帯びていた言葉ということになります。
高い目標を経営が掲げることは悪いことではありませんが、100mを15秒で走る人にいきなり12秒でと言っても無理でしょう。
無理な要求を重ねて現場が疲れ果ててしまったら、ラクなほう(不正)に流れることが分からなかったとは思えません。

東芝とはまったく話は変わって、最近はスポーツの世界でも「チャレンジ」という言葉が使われだしました。
これもまた本来の意味合いとは違って、これまで人間が行ってきた判定に対する異議申し立てのことを言います。
大相撲のように行司の軍配に対して審判委員から「物言い」がつくのはチャレンジではありません。
土俵下にいる審判委員は勝負の当事者ではありません。
最近出てきたチャレンジは、監督なり選手なりの「勝負の当事者」からの直接の異議申し立てができるようになってきたことを指します。
競技によってマチマチですが、一試合の間に何回かチャレンジの機会が与えられていて、ビデオ判定等を経て人間の判定が覆ればチャレンジ成功、そのままなら失敗ということです。
選手同様、厳しい訓練を経て競争にも勝ち抜いて大きな舞台に立つことができる審判ですが、うまくやって当たり前、間違えば時には世界中から非難されます。
その上にチャレンジと来れば、この先々、審判のなり手がいなくならないかと心配です。
時代の流れと言われればそれまでとはいえ、審判の権威を保つためにもチャレンジの対象は可能な限り少なくあるべきとは思います。

チャレンジの日本語訳は「挑戦」であることは誰でも知っています。
本来、挑戦というのは長い長い時間がかかり、その先に達成という喜びがあるのかないのかも分からないがなお継続されるもの、くらいのイメージを持っていましたが、最近はやや意味合いが変わってきたようです。
東芝のチャレンジも、スポーツ界でのチャレンジも、目先の有利不利にこだわっている点では共通しています。
想定外の使い方をされ、言葉自体が気分を悪くしていないか聞いてみたい気もします。

いかにも海の日だった

2015-07-20 22:48:14 | 休日
写真は昼くらいの八重津浜海水浴場です。
これだけ暑く、世の中的には休日でもっと混んでいるかと思いましたが、海よりもプールに行っている家庭が多いのかもしれません。
私の小さい時は、親の好みもあって泳ぎイコール海でした。
おぼれそうになったりクラゲに刺されたりもしましたが、足が着かない深さでも大丈夫になって泳ぎに自信がついたのは海に行っていたからだと思います。
プールにはプールの楽しさがあることは認めつつ、子供の時分は多少危険な思いもしたほうがいいような気はしています。

今日は良すぎるくらいの天気で、高温注意情報も出たくらいでしたから、あまり長居もできず写真を数枚撮っただけで退散しました。
八重津浜の後は、神通川対岸の岩瀬地区に渡り、岩瀬カナル会館でしばし休憩。
観光船の船着き場が富山ライトレールの線路に近く、いいタイミングで電車が来たので撮り鉄しました。
その後は、信号のない神通川の右岸をひたすら富山市街に向けて流し、食事を取ってから帰りました。

富山県はあまり大きな県ではないので、クルマで気軽に行けるところはあらかた行ったような気はします。
とはいえ、まだまだ知らないところ、行ったことのないところは多いです。
お手軽なところなら富山市や旧新湊市などには水上観光がありますし、多少ホネですが山登りのスポットにも事欠きません。
クルマが入れない先の楽しみ方はまだ知識も経験も乏しいのですが、せっかく恵まれた土地に住んでいるので、文字通り足を運ぶことでしか見られない景色など、新たな目標を見つけていろいろと探検したいものです。

金曜の夜は、ホッ。

2015-07-17 23:57:18 | 日記
長期お休み中の人間が何を言っているのだと怒られそうですね。
初めてご覧いただく方は失業中かと思われるかもしれませんが、ひと月半ほど前に体調を悪くしたためにしばしのお休み中、ということです。
毎度毎度の駄文雑文を更新する回数も最近は増え、ずいぶん活力は戻り日常生活には何の問題もないところまできました。
社内で冷たい視線を浴びても、当時思い切って休む決断をできたことは正解でした。

毎日が日曜という状況でも金曜の夜が来るとホッとするというのは、少なくとも土日祝は会社からの連絡がないからです。
さすがに平日だからといって外出ひとつしないわけではありませんが、会社から借りている携帯電話は必ず持ち歩きチェックはします。
本来仕事がある日には、せめていつでも連絡を受けられるようにしておくことが底辺も底辺の義務です。
といって、このひと月半、かかってきたのは間違い電話一本だけなのですが。(苦笑)

さすがにこの時期になるまで、会社の誰ひとり、一本たりとて連絡がなく、また「復帰後」のことについて何も示されない状況は何となく気持ち悪い感じがします。
そろそろどうなっているか聞いてみる必要がありそうです。
基本的にはいい組織なのですが、要望や時には催促をしないと動かないとか答えが出てこないとかという体質は気になっています。

私自身は「体を壊した当の部署」に復帰するのは正直気が進みませんし、そこはすでに会社に伝えてもあります。
不調になるくらいの体験をした場所に帰ってもうまくいかないことは見えています。
出たり休んだりの繰り返しはもう絶対にできないと思うからこそ、社内で環境を変えたほうがいいと伝えてあります。

とはいえ会社にも余裕はありませんので、最悪の事態もないとも限りません。
そうなったらそうなったで、「卒業」の時期が来たということでしょう。
人生は一度、働き場所は地元でなくても自国でなくてもいいのです。
視野を広げて、真っさらなところから今後を考えるのもいいかもしれません。
最後が悔いなく終われればそれでいいのだと思います。

やらねばならぬ?

2015-07-16 02:49:14 | 日記
写真の撮影日時は7月16日の午前1時21分です。

どこの会社かは知りませんが、こんな時間までかかってやるべきことがあるのでしょうか。

今年のうちに死人が出ても不思議ではありませんね。

こんなことを考える人間は、日本を逃げ出してギリシャあたりに移住したほうがいいのでしょうか。

借りた金も返さず堂々としている国ですから、「働いたら負け」って本気で考えているのかもしれません。

10年か

2015-07-12 21:20:04 | 休日
私の自宅にも富山市の広報が配られてきます。
最新号のトップに、写真にある合併10周年式典のことが書いてあり、行ってみることにしました。
当然ながら来賓には県知事や県選出の国会議員など、さしずめオールスターの趣であったので、普段着だとまずいかなと思ったくらいでした。(実際は大丈夫でした)
私が魚津を離れて富山に来たのは合併よりも後なので、合併10周年には特別な感慨はありません。
ただただ貴重な機会、普段なかなか生で見られない人を見たいというミーハー根性だけで行きました。

富山市民として暮らしてきた7年かそこらの間に、富山市は間違いなく注目される都市になったと感じます。
国内的にも海外からもここまで認められている地方都市はそうそうないです。
加えて、外からの評価とは別に、従来の「富山になんか何もないわ」的なスタンスが市民レベルでも変わってきているということが県出身の著名人の口から聞かれました。
もはや背伸びをするでもなく、大騒ぎするでもなく、市民ひとりひとりが普通に振舞っているだけで外にアピールできる兆しが出てきているというのです。
だいぶ前にも書いたかもしれませんが、ゆるキャラやB級グルメ、大河ドラマ誘致といった安直な街おこしに頼らず、今あるものを時にはアレンジを加えながらも大切にする、そういうひとつひとつは地道な取り組みが時間をかけて実を結んできたということかと思います。

北陸新幹線のからみでは、観光客の入り込み数の面で金沢市がずいぶん多いような報道も目にします。
駅の近くに有名な観光地があらかた集まっている金沢と、観光地が分散している富山を比較するのは酷だとは思いますが、確かに駅の混雑は一度行っただけですがとてつもないものでした。
反面で金沢に関しては、主に公共交通の運転手の態度が良くないなど、リピーターの喪失を危惧するような指摘も出ているようです。
京都がいつまでも京都たりえるのは「現在をおろそかにしない」ことだというのが若い頃に7年ほど住んだ人間の実感です。
リピーターを失ったら寂れるしかないのは観光地もラーメン屋さんも同じ、寄りかかっていては未来はありません。
とはいえ、とかく張り合うばかりの関係で語られがちの富山と金沢、新幹線でわずか20分あまりという時間距離から考えて、スクラムを組めるところは組み、地域として発展する展望もあっていいような気はします。

お堅い式典が終わった後は、大きくなった富山市の一部である立山山麓エリアまでクルマを運びました。
暑すぎたというのもあったのか人が少なかったのが残念でしたが、中心市街地からスキー場まであっという間に行けてしまう富山県の不思議さを感じた1日でもありました。

7月に入って

2015-07-09 20:59:13 | 日記
うっとうしい天候が続いていましたが、気温が低く、本当に7月なのかと感じます。
明日からの予報ではこの時期らしい気温になるようです。
暑くなったらなったでまた大変なことはあります。

サッカーの女子W杯も終わり、代表チームは連覇はなりませんでした。
苦しい試合ばかりの中を決勝まで勝ち進んだことはただただ立派です。
ありがとうございました。

国内では放火や自殺など痛ましいニュースがなくなりません。
岩手の中学校の件ですが、明確にSOSが出ているものに対処しなかったことは重大です。
私の時代にも日々を記録するノートはありました。
私も一時期辛い目に遭っていてノートに書き込んだのですが、まったく無視された記憶があります。
無視した教師は、後に見事校長まで出世されました。
当事者の苦しみをよそに、自分や学校、組織のメンツを優先し、面倒なものには関わりたくないと思うのは昔も今も変わりはないようです。

私自身はとにかく体第一、山あり谷ありがいまだにある中ですが、今日は書くことができました。
書くことはなんだかんだで心の支えになります。
書ける体調の時には少しでも何でもいいから書きたいと思います。