blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

4月を振り返って

2017-04-27 21:54:20 | 月末振り返り
少し早いのだが、例月の振り返りを今日のうちに済ませたい。
29日からは大型連休で久しぶりに実家に帰ること、また明日28日は月イチのお楽しみで街に出ることから、ブログ形式での更新は難しい。
当然ながら連休中の計画はすでに固まっている。
連休中は面白いトピックがあればツイッターなどを使って短く発信することとし、連休明け以降は詳しいところを本欄に上げていければと思う。

さて、年度初めといえば会計的な節目を過ぎてどの会社もどの業種もスタートダッシュをかけたいところだ。
メンバーのほぼ全員が長時間残業になるような、1年の中でも特別な日がこの時期には多かった記憶がある。
忙しくて当然の時期に忙しくないような会社では先行きが不安である。

ひるがえって我が事業所であるが、私も今まで経験したことがないようなスロースタートであった。
事業所としての特殊事情を割り引いても、仕事を前に進めたいのに進められない状況が多くあった。
世の中のおよそ商品とか製品と呼ばれるものは、中身と外装がそろわないと世の中に出すことは難しい。
中身はできているが外装が入荷していない、あるいはその逆、いずれであっても製品は世の中に出ていけない。
今月ようやくここ数日でバランスが取れてきたが、事務方でどういう段取りになっていたのか、一時は製造予定の数日がガラ空きになりそうな日もあった。

私がいる倉庫担当は製造の指図が出ないと動けないから、断続的に入る仕事をこなしては一服こなしては一服という何ともリズムが悪い流れになった。
こういうゆるい流れの時にえてして失敗は起きやすいもの、製造担当に入れ込む外装の数を間違えるミスがポツポツ発生し一時的ながら迷惑をかけてしまうことになった。

日々の仕事の流れが緩いと、一日会社に拘束されるのは同じでも感じる疲れは違う。
今は幸い明るいうちに帰ることができるが、4月は特に自宅に帰ってすぐに横になってしまい、夕飯やシャワーの前にしばらく眠りこけてしまうことが増えた。
日中に手すきの時間が多くなれば必然的にムダ話の時間が増え、聞きたくもない自慢や根拠のない主張やどうでもいいウンチクに加えて、会社員ならではのグチにも似た内容も混じる。
体を動かさない中で中身に乏しい話題の洪水の中にいると、頭が変になりそうになっていつもより疲れるのである。

そんな中でも4月はJR飯田線沿線を楽しむ旅に出るなど、わずかではあるが変化をつけた休日を作ることもできた。
まだ明日一日勤務があるが、事故やケガなくすっきり終えて連休に向かいたい。
当地は大変住みやすい土地ではあるが、やはり数ケ月に一度は故郷も含めて違う土地の空気を吸うことがきっと精神衛生上もいいのだろうと思う。
日々のウザウザは捨てて、自分らしく楽しんで過ごしたい。
次の更新は5月8日以降に。

去年の今頃

2017-04-25 22:49:14 | 日記
今から1年前ということになると、当地へ来てから約半年くらいのことになる。
同じチームの某氏から、名古屋市内での飲み会のメンツに空きが出たというので誘われた。
今ほどはひんぱんに飲みに出ていない時期、値段も高くなく楽しいステージもあると聞いて二つ返事で行くことにした。

4月の後半だから夜になればさすがに冷えてはくるが、ビールを飲んで、ステージの時間はバカになって楽しんでいたら、寒さもどこへやらであっという間に制限時間いっぱいとなってしまった。
4月からビアガーデンをやっても成立してしまうこと、また歌謡曲を中心としたショータイムがあるところも初めてだったから、やはり人口が多いところは違うな〜と田舎者らしい感想を持ったものだ。

あれから1年経った今日、私は普通に仕事を終わって普通に自宅に戻り、しばらく仮眠した後は夕食をとってシャワーを浴びて、今は本欄に手をつけている。
しかし、今年もその某氏も含む何名かは去年と同じように名古屋市中心部のビルの屋上に行ったようである。
イベントスケジュールを調べてみると、アイドル然とした可愛らしい女性のグループが出るのは今週は火曜の今日と金曜しかなさそうだった。
某氏は「予約した人がなぜか火曜日にした」とウソぶいていたが、アイドルに精通している某氏が予約した本人であろうことは容易に想像できた。

去年の今頃に行って楽しんだ場所に今年は誘われなかったことに関しては特にショックもなく「ふ〜ん」という感じだ。
ここで書いている某氏というのは、日頃私と仕事上でコンビを組んでいる某氏と同一である。
私自身は、某氏の休みグセ怠けグセが明らかになるにつれて去年の夏以降から某氏に対する見方がまったく変わってしまい、仕事中ですら話をしたいとは思わなくなり、もはやコンビとして良好な関係とは言えない。
仕方なくコンビを組んでいるだけの人とわざわざ仕事を終わってからも付き合う理由はない。

私が心配してもしょうがない話だが、某氏は今日あたりは明らかにコンディションが良くなさそうに見え、チームの女性からも「飲みに行くのやめたら?」と心配されていた。
しかしそこは「だって行きたいもん」(この言い方、とても還暦を過ぎた男性には思えない)と言って聞く耳は持たず、アイドルのステージ中は飛んだり跳ねたりしたものと思われる。
他人が見ても調子が悪そうなところに名古屋まで遊びに出て次の日に疲れが残らないとは考えづらい。

月末が近くなり、明日は相当数の入荷物も予定されている。
いくら周りに強がったところで、飲みに出ると公言した翌日の動きが悪ければ何を言われても文句は言えない。
仕事上の関係が近い某氏の様子が、明日見ておよそシャキッとしていないとなれば私にとっても迷惑だ。
出したくもない大声を出さなくてはいけない場面もあるかもしれないが、プロとして同じ仕事場にいる以上は仕方がない。

一定の年齢の節目を越えて正社員でなくなったからといって、それなりの仕事でよい、少しはラクをしていい、では下の世代に示しがつかない。
私の富山での「師匠」とまではいかなくても、とにかく「汗をかく」ことが職業人としては大切だ。
役職や立場を失ってその部分が怪しくなるようなら、厳しいようだが同じ船から降りてもらうよりないのだと思う。

予定のない週末

2017-04-23 21:49:31 | 休日
今週の仕事も無難に終わった。
今年学校を出て社会人となった若い面々や、人員の補充で入ってきた人など、片手より少し多いくらいの新しい顔に出会った週だった。
私が所属するチームには新顔はいないが、敷地の中ですれ違いでもすればひと声かけることは最低限の礼儀として続けたい。
社員以外にも、日頃の運送業者さんに加えて工事関係の人の出入りも多い。
社外の人は予想のつかない動きをすることも多いので、仕事の中で機動力を使う時にはやや神経が張る。
社内社外問わず目的なく来ている人はいないので、一つの事故が目的の大きな遅れを招くことになるから、今だけではなく注意が必要である。

さて、先週末はあわただしい日程で南信州をまわり、今週のある日には思いがけず深酒をしてしまって疲れがたまったので、今週末は特に予定は入れずに体を休める時間にあてた。
とは言いながらも、2日間ゴロ寝というのもかえって足腰にはよくないので、洗濯や整理整頓といったいつもの雑事に加えて、ずいぶん手付かずになっていた場所の掃除などこういう時でもないとできないこともやった。
いろんな粉末で汚れた網戸や窓ガラスをきれいにし、いつもよりはかなり遅めにクルマのタイヤを夏用に交換した。
クルマのタイヤは、ひょっとすると3月の連休あたりで帰省するかもしれなかったので冬タイヤのままであったが、3月は富山から家族が訪問したのでその流れで延び延びになっていた。
よほどの山に行かない限りはさすがにこの季節になれば大丈夫だろう。

こうしている間にも我が国の周辺は以前緊張したままであるわけだが、市井の一労働者が心配しすぎてもどうにもならない。
幸い「社内失業」などということにはなっておらず、日々やるべきことは与えられているので、やや大げさな表現にはなるが一意専心の気持ちで目の前のことにあたっていきたい。
あと一週勤務すれば春の連休に入る。
実家には本当に久しぶりに帰るし、その前にはやはり国内で未踏の地を訪ねる計画もある。
楽しみの直前こそ体調には気を配って、楽しい連休になればよい。

正直何となく締まらない感じで始まった年度の初め、外的な要因も含めて少しずつでも追いついてくれば、また適度な忙しさの中で仕事をやっていけるのではないかと思う。
不思議なことだが、流れがゆるい時ほど人間は変なミスをしやすいことを4月に入ってから実感しているからである。

かまってほしい人の話 PART2

2017-04-21 22:23:46 | 日記
前回この話題を書いた時は、数年前にいた富山の職場での話だった。
休み時間もプライベートも毎度のようにつるんでいる大の男2名が、実のところは互いを尊敬する気持ちなどなく、ただただ自分を相手にしてくれることに依存した中身の薄い関係であった(今もそうだと思う)ことは前回指摘した通りである。

他人の注目を集めていないと落ち着かない人というのは、私が昔そうだったからということもあるが、ほんのひと月ばかり観察していればだいたい分かるようになった。
その努力たるや、見ていて涙ぐましく思えるほどである。
当地でも、いろいろ観察していれば「ああこの人は寂しいんだな」と感じる人はけっこう多い。

例えば、ネットで何か面白いニュースを見つけたかした時に、必ず「お!」と一声発してその後しばらく何も言わず他人の「何?」という反応を待つ人がいる。
反応があれば、我が意を得たりとばかりに今見つけたばかりのニュースの説明を自慢げに始める。
仮に反応がないか薄い時は、ガマンができなくなって聞かれもしていない内容を自分から明らかにし始める。

あるいは、通常あまり職場にはふさわしくないはずの自分の家庭の中の話を延々とやる人もいる。
家庭を持てば持ったなりのいろいろなストレスがあることは理解するが、周囲はそもそも他人の家庭の事情をそれほど詳しく知りたいという気持ちはない。
周囲は本人に対して何の責任も取れないし、ましてや何か手助けをすることもできない。

この手の人たちは、どんな状況でもとにかく注目や同情をほしがるから付き合うのも疲れる。
昔話でも自慢でも付け焼き刃の知識でも材料は何でもいいから他人から「すごいね」と言われたい、自らの家庭の状況をそれはそれは饒舌に休み時間も潰そうかという勢いで話し続け「大変だね」の一言をほしがる、こういう人々は年齢がいくつであっても精神的には大人にはなっていないのだから、一緒にいて疲れるのは当たり前である。

今、2種類の「寂しい人」の例を挙げたが、恐ろしいことにこういう人どうしが、やっぱり「つるむ」ことが多いのである。
見た目にはそれほど親密には思えないが、互いの言動から「まんざらでもない」のかなと感じることが多い。
両人にとっては、互いが唯一「自分を相手にしてくれる」と感じているから、そこにひとまず寄りかかって何とか寂しさから逃げようとしているのが分かる。

不幸なことだが、他人から心からの尊敬を受けた経験もしくは本人の実感が乏しい場合、いわゆる「自己肯定感」が不足している場合だと、それほど自らを大切に思っていない人間とでも平気で一緒にいられるようになってしまう。
孤独を恐れ、寂しさに負け、絡んでくれる人間だからと寄りかかったところで得られるものはほとんどないどころか、結果的には相手に奪われるだけ奪われて返って来るものなど何もないことに、自己肯定を外部に依存しているうちは残念ながら気づくことはできない。

他人とは無縁ではいられない生活の中でも、「自分は自分」という気持ちがないことには他人に振り回されて疲弊してしまう。
その上で、他から奪おうとするのではなく、他に与えようというくらいの気持ちの余裕があればいい。
そうやって生きていれば、口先だけの賞賛や同情ではなく、心からの「感謝」が求めなくても周囲から入って来るものである。

飯田線と高遠城址の旅

2017-04-17 21:14:18 | 休日
この土日は題名の通り、愛知県豊橋市と長野県辰野町を結ぶ、距離にして195.7kmという長大ローカル線・飯田線を楽しみながら、沿線のお花見スポットである高遠城址公園(伊那市駅からバスでアクセス)を訪れる1泊2日の旅に出た。
東アジア情勢も緊迫する中、予定通り旅立ち、天候にも恵まれ無事に帰ってこれたことが何よりである。
今回は写真ばかりのエントリーになるがご容赦願いたい。

まずは春日井駅から中央本線、東海道本線を経て豊橋駅へ。



臨時急行・飯田線秘境駅号(手前)が止まっていた。



本来ならこれに乗りたかったが、ひと月前なのに満席だったのはJR東海ツアーズのほうでほぼ座席が押さえられていたからだろう。
飯田までは定期運行の特急「(ワイドビュー)伊那路」号にお世話になった。



列車は愛知・静岡・長野の三県にまたがる厳しい地形をなぞるように走り、いわゆる秘境駅も通過しながら昼過ぎには飯田駅に到着。





乗り換えまでには時間があり、駅前で昼食。
この時だけはやや大粒の雨が降っていたが早い時間にやみ、この日の宿がある駒ヶ根市へ。
飯田以北は優等列車もなく、各駅に丹念に停車しながら高低差の大きな地形をダイナミックにカーブしながら駆け抜ける。
16時前には駒ヶ根駅に到着。





長い移動で疲れ、ホテルでひと寝入りしたら時計は20時を回っていた。
さすがにお腹が空いたので近くの居酒屋で一杯。



翌朝は8時過ぎにホテルを出て駒ヶ根からさらに北上、伊那市駅を目指した。
駒ヶ根駅前の朝。



伊那市駅までは20分ほど、駅を降りたらすぐに高遠行きのバスがやってくる。



JRバスの高遠駅に着くと今度は城址公園行きの循環バスに。
毎年大渋滞が起きるから、パーク&ライドの体系はよく整備されている。

さて、かんじんの公園だが、桜は見事に咲いていなかった。(新聞でも一分咲きとの発表)
3月の低温の影響か、高遠では例年より二週間花が遅れているのだそうだ。
もちろん例年なら満開に近い状態のはずだったからそこは残念だった。



園内で何とか花が咲いている枝を見つけて必死で撮影。





皮肉なことに公園の南側出口を出たところのほうが花の咲きが良かった。





バスで高遠の市街地に下りると、こちらのほうが景色としては良かった。
三峰川の堤防に咲く桜。



川にかかる赤色の奇妙な橋を発見。



天女橋という名前が付いていて、特に怖い要素はなかったが、狭いために車両通行禁止の時間帯がある。



バスターミナル近くの桜はわりあい多めに咲いていた。



あわただしく高遠に別れを告げ、伊那市駅近辺で昼食をとりお土産も仕入れて旅の目的はほぼ終了、飯田線の長野県側の起点である辰野駅で駅名板を写真におさめて飯田線完乗のしるしとした。



塩尻からは中央本線に入り、夕方には無事に自宅に帰ることができた。
前回も書いたが、富山からではなかなか行きにくかった南信(伊那・木曽)地域も愛知からなら比較的手軽に足を運ぶことができる。
個人的にはまだまだ奥の深そうなエリアだと感じたので、今年のうちにもう1回か2回は訪れることになるのではないかと思う。
休日を目一杯使って元気に動くことができたことに感謝をしつつ、日曜の夜はグッスリと眠りについたのであった。

まだ見ぬ地へ行ける?

2017-04-14 20:13:20 | 日記
一週間の勤務が終わった。
先週に感じたぬるいスタートの流れは今週も変わらなかった。
いつもなら当たり前のように2時間ほどは会社に残る人も、今はほぼ定時のチャイムとともに帰る。
事業所として避けられない特殊な事情も抱えてのことではあるが、それに加えて残業を減らせ減らせと急に騒がしくなったこともあって、それならとばかりにみんなしてサッサと帰っているのが実情である。
一般的には出遅れの後にはいずれかの時点で相当の無理がかかるのがお決まりだが、今の感じだとシワ寄せがどこかに来るのかどうかすら分からない。
船に乗せられて揺られているだけの立場の人間でも、この二週間はさすがに余計なことを考える時間が多かった。

幸い私自身は仕事そのものが性格に合っているためか、日々の中でつらさを感じることはほとんどないことは何度も書いている。
会社の外にも確実に楽しめる場所があるから、精神的に極度に落ち込むような場面は当面は考えづらい。
最近は会社の中でも昼食の時間帯が比較的合う人たちの輪に何となく入って、話を聞いているか時には適当な話題も振りながら過ごすことも増えた。
仕事中でも、構内でフォークリフトに乗っていて歩行者に先を譲れば(構内とはいえリフトも車両である)だいたいは感謝してもらえるし、時には満面の笑顔を見せてくれる奇特な方もある。
日中の時間帯でも他人の笑顔に触れる機会が多くなってきたことは、当然ながら当地での生活全般をより楽しいものにしてくれている。

さて、いよいよ暖かくなってきたので週末のお出かけを今週は実施する。
朝は早めの出発となるので、明日わが国が平和で過ぎるのかどうか分からないうちに動き出す。
遠出と言っても行き先は大して遠くはなく、目的はといえば、鉄道ファンにはおなじみの某長大ローカル線を楽しむこと、加えて沿線の某有名お花見スポットに足を運ぶことである。
最近は雨男はすっかり卒業し、週の初めには怪しいと思われていた今週末の天気も大きな心配はいらないらしい。
なかなか富山からでは行きづらいロケーションの土地に、当地への転勤によってずいぶん行きやすくなり今回初めて訪れることになった。
人は多いかもしれないが、悔いは残したくないので、ぜひ実りの多い時間となるようにしたい。

わが国の周辺は緊急事態と言ってもいい状況にあり、いつまでこんな駄文雑文戯言をのんびり書いていられるのかは分からない。
今からあえて南朝鮮を訪問するほどボケてはいないが、半島で万一のことがあれば米国の同盟国たるわが国及び南朝鮮も相当の被害は避けられないだろう。
様々なオプションが練られているだろうが、米国の動きは、すでに「戦後処理」についても中国やロシアと話を付けてしまっているかと思わせるような素早さである。

明日は何かが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。
政治の世界もくだらないことで対立しているのではなく、こういう時こそ与野党一致で最善の対策をとるべきである。
今はまだ「韓国には行くな」程度の情報しかないし、目立った警告もないので私は明日予定通り旅に出るだろう。
しかし、明日の朝起きて「不要不急の外出は避けるように」と出ていれば、私は日本国民としてその指示に従うつもりだ。

住めば都、かもよ。

2017-04-10 20:52:23 | 日記
自分の仕事を卑下するわけではないが、わがチームの仕事はお世辞にも華やかではなくハッキリ言って地味である。
退屈とまではいかないが平板で単調な平日が終わると、だいたい週に一度のペースでお楽しみとして外で食事をとることは前回も書いた。
仕事から完全に離れてひたすらバカ話に興じ、仕事場では出ないような爆笑また爆笑の時間を作ることで何とか週単位での気持ちのバランスを取っている。
笑うこと同様にマイクを取って思い切り歌うのもいい。
きっちり週イチとはいかなくても、笑ったり歌ったりして腹の底から声を出す機会は今の生活には欠かせないし、それができる場所が当地に何とか見つかっていることは幸せである。

さて、つい最近のお話相手のひとりは、少し前に実家のある関西に帰省したようで、ほんの短い時間が「関西自慢」のようになっていた。
仕事場に当地を選んでいる人にして、当地は関西と比べて活気がないように感じるという。
例えばエレベーターが閉まりそうになって「開ける」のボタンを押して誰かを入れてあげたら、関西なら必ず「すんまへんな」などと言葉があるが、当地の人は黙っていることが多いらしい。
人間の数はそれなりにいるが、どうもその人の地元と比べると当地は人と人との言葉のコミュニケーションが少なく感じられるようだ。

私は関西でも東海でもなく、もっと田舎の北陸・富山の出身だ。
当地に活気がないかと言われると、さすがに自宅近くまで来てしまえばともかくも、名古屋市内の中心部は深夜になっても明るいところも多くて見た目の活気というなら富山とは比べものにならない。
通りすがりに地元発アイドルのライブが見られることも田舎ではまずありえない。
私は関西に住んでいたこともあるが、あえて関西と当地がどうだという答えは出さず、自分は田舎の出だから分からない程度の話しかできなかった。
関西では、人との心理的な距離の詰め方が急な人が多いので私自身はそれに戸惑ったこと、また「あなた」という意味で使う「自分」になじめなかったことなど、お相手の期待に背くような話になってしまったところでちょうど「お時間」となってしまった。

北陸の出の人間から見て当地の人々を見る時、本欄でも常々書いているが「ヨソ者は決して自分たちのサークルの中には入れずにあくまでヨソ者として扱う」イメージはある。
私もそのヨソ者のひとりとして、当地では尋常ならぬアウェイ感の中で暮らして来たことも本欄で何度も書いた。
田舎者を見下ろすのは正直関西も当地もそれほど変わらない。
本人に対してズバッと言葉にして言ってしまうか、本人には言わないで陰でコソコソ言っているかの違いだけである。

結局人は生まれ育った場所がいちばん快適に過ごせるのであって、数ヶ月単位でやはり地元の空気を吸いたくなるのは私ばかりではなく故郷を離れている人間の自然な感情だろう。
いわゆる三英傑(信長・秀吉・家康)を生んだ土地というプライドの高さは端々に感じられるとしても、少なくとも私の住む尾張の北東部はわりあい品のいい土地柄には思えるので、自分から良いところを見つけてより住みやすくしていけたら最高だ。

隠れた名所

2017-04-09 19:38:44 | 休日
何となくぼんやりとした雰囲気で過ぎた年度初め、やることが少ないのも逆に疲れる。
金曜にはいつもの週末のお楽しみに出かけて、週に一度、ほんのわずかな時間だがお酒を飲みながら腹の底から笑って過ごす。
繰り返しにはなるが、職場ではそれほど大笑いするような場面はなく、生活の中にこんな時間でも作らないとマジメに健康に響くような気がする。
職場に楽しく話せる人が全くいないかと言われればそうではないのだけれど。

今週末の土日は予定らしい予定は入れてなく、ただ当地周辺は桜が満開となっていたのでどこかで桜見物をしようとは思っていた。
何となくハッキリしない天気の中でも、花を散らすような大雨や強風にはならず、雨の止み間をぬって自宅近くの地蔵川沿いに出かけてみた。
あまりテレビなどで大きく取り上げられるような場所ではないが、地元では大変人気があって、規模もそれなりにあるので隠れた名所と言っていいように思う。
私ばかりではなく、カメラのシャッターを切る人や家族連れで散策する人々も多く見た。

以下、写真を数枚。









その後は若干場所を移動して、鉄道とのコラボができないかスポットを探した。
防音壁が高くないところが運良く見つかったので、電車が通るタイミングで適当に連写をかけ、写りのいいものを残した。
写真は若干車両の先頭がブレているが、編成の後ろまで収まっているので、スマホのカメラとしては上出来だろう。



雑誌のような写真が撮りたければ一眼を買うしかないが、私が写真でこだわるのは精細さよりは構図の切り方なので、撮る機械は何でもいいのである。

もう冬のような寒さは完全に去り、いよいよ春本番となってきた。
来週末はローカル線の旅に出かけるため今週末はほぼのんびりしたが、少し標高のある地域に行くから、桜も一週遅れの満開くらいでいてほしいと願っている。

不気味だ

2017-04-05 20:22:21 | 日記
新年度がスタートした。
主な企業の入社式は3日に行われたようだが、晴れやかなニュース映像を見ながら、せっかく選び選ばれた会社との縁は大切にしてほしいと願う。
とはいえ会社というところは入ってみて初めて分かることも多い。
入社式までは優しかった先輩が翌日から鬼教官になって、社会の厳しさとやらを叩き込まれるところも多いのかもしれない。

私自身は、薄っぺらな自己分析とあいまいな目的意識のまま何となく社会に出てしまい、さしたる実績も残せず毎日がつらいばかりで、しまいには体まで壊して、最初に入った会社での生活には8年ほどでピリオドを打たざるを得なかった。
その後、その日暮らしのような生活も経ながら今はようやく性に合う仕事にめぐりあって、何とか毎日をそれほどの苦しさを抱えることなく過ごしている。

最初に入ったところで長く頑張れるに越したことはないが、どうしてもどうしてもシックリこないと感じた時は別の道を考えたらいい。
若いということは「選び直す時間」もたくさんあるということであり、少々の挫折をしたところで何度でも巻き返すチャンスはある。
学生や生徒の時代には考えもつかなかった仕事が、実は天職かそれに近いものだったという場合もあるから、とりあえずは与えられたものに全力で取り組んでみて、芽が出ない場合は早々に割り切る決断も全然あっていいように思う。

さて、わが事業所の新年度だが、たまたま1日2日が土日であったため、3日からのスタートの準備で1日の土曜にはわずかながら出勤者がいた。
通常土曜日にはすすんでは出ない私もその1人となったのは、自分の担当に深く関わるところだったためである。
半日あまりを使って久々の土曜勤務、翌日の日曜は何をする気にもならずただただ寝ているばかりであった。

会計年度の節目では物の出入りも止まって静かな流れとなるが、月が明ければ猛ダッシュがかかるのが通常であり、かつての富山の職場でも当然そうだった。
ところが、週が明けて3日、詳しくは書けないが特殊な事情もあるとはいえ何とも静かな立ち上がりとなっている。
特殊事情は私の担当では関係が薄いからロケットスタートになっているかというとそうでもない。
これも詳しくは書けないが、どこでどういう段取りになっているのか、期のスタートをキッチリ決めたくても決められないという何とももどかしい状況になっている。
わがチームは他部署の指図を受けないと動けないのだが、その指図が出てこないのだからどうしようもない。

私は今の会社での年月は長いというほどではないが、会計年度の初っぱながこれほどスローなのは初めてだ。
当地の事業所だけの話ならよいのだが、静かな期初というのは何とも不気味で気持ち悪いものだと感じている。
せっかく会社に出ているのだから、やることはあったほうがいいに決まっているのである。