blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

3月を振り返って

2017-03-31 23:59:59 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
と言っても書いているのは4月1日、3月31日は会計年度の節目を無事に終えた安堵感から夕食は街に出てとることにして最後は遅くなったので3月31日付けでの記載とする。
年度末であり月末であり金曜日であった昨日は、さすがに飲食店には多くの人がいた。
お店選びには事欠かないJR駅周辺ではあるが、いくつかのぞいて結局は手羽先がおいしい某店に初めて行くことになった。
ベテランさんが切り盛りする店、古めかしい入り口のイメージに違わず、チェーン店のようなマニュアル的な対応や無駄なテンションの高さはなく落ち着いて飲むことができた。

さて、3月全体で見れば仕事の面では特に変わったことはなく順調であった。
人が急に少なくなった時期もあって担当外の仕事もしたし予定していた休日も1日返上するなど大変ではあったが、それほど難しい中身でもなく、吸収できることは何でも吸収したらよい。
幸いメンバー的には早いうちにまた全員が揃うことになり、当面は役割にも大きな変化はないだろう。
咋秋以来、腰に爆弾を抱えている状態はあり、最近も疲労の蓄積からピリッとした痛みを感じたことがあった。
案外早くに普通の状態に戻ったのはよかったが、仕事中に突然というのは今後は避けたく、やはり手作業と機動力の適度なバランスを考えていくしかない。
放っておくと運び屋ばかりをやりたがる某氏には、たとえ不満があっても手作業の部分にもなるべく関わってもらうように誘導するしかない。
時にはきつい言い方をしてでも負担はうまく分けたい。
負担を抱え込んでどちらかが壊れてしまったら困るのはチーム全体である。

31日の夜に話を戻すと、某店で軽く飲んだ後はなじみのパブにまたしても流れた。
その時の話題にもしたが、普段の仕事では難しい顔をしていることが多く普段の生活でも単独行動が多いから、そのお店での時間は私にとっては貴重な「笑いの時間」となっている。
笑うことの健康への効用は今さら私が書き立てることもないだろうが、バカなことを言いながらただただ笑っている時間は当地では意識して作らないと限りなくゼロに近くなってしまう。

最近は会社の中でも奇特な方が何人か現れて、何を話すでもなくお互い顔を見合わせてニンマリという場面がなぜか増えてきた。
常々職場は戦場と書いてはいるが、仕事中でも笑いが多くなるに越したことはない。
仕事の緊張の中で一瞬でもいいから癒しや安らぎを感じられるとしたら、そういう奇特な方はそれこそ大変貴重で大切である。
出会いに大いに感謝して、毎日を今以上に楽しいものにしていけたら言うことはない。

※3月のベストショットは、3連休での家族との時間から好天のナガシマスパーランドでのひとコマ。


年度の節目へ

2017-03-27 19:55:13 | 日記
家族との楽しい時間を終え、現実に戻って年度の締めが近づいてきた。
三連休に前後しては我がチームではいろいろなことがあって、訳の分からない言い合いがあったり、急病人発生により全員集合とならない日が一週間ほど続いたりと、全体としてはあまり順調とはいかない日々が多かった。
私自身は大ポカもなくやるべきことを片付けることはできたが、人がいないところは不慣れではあってもカバーしなくてはならずそれなりに神経は使った。
幸い、急病人は先週中頃から復帰して毎日元気にやっている。
詳しくは書けないが本人としたら少なからずショックもあったと思われる中で、仕事ができない状態にはならずに戦力として帰ってきたことはお世辞抜きで立派だと思う。
病気になる前からあった、調子がいいというか図々しい性格は何ら変わってはいないのだが。

さて、今月末でもって会計年度の節目を迎えるため、今週は大部分はその準備とリハーサル、そして本番ということになる。
モノの動きも明日まででほぼいったんストップし、通常とは違う流れになる。
体力的にはタダもらいのような日もあるが、単なる通過点とはいえ間違いなどありはしないかと不安にはなる。
一定の緊張感はあるにはあるものの、あと2日でしっかりと準備ができればリハーサルも本番も何らあわてることはない。

年度の節目を超えると同時に私自身は早いもので当地に来てから一年半となる。
幸い仕事そのものが性に合っているためか、会社に出るのがおっくうだと思ったことはない。
人間どうしの細かいウザウザはもちろん毎日のようにあるし、変わり者が多い我がチームは頭を抱えたくなるような場面も多いのは多い。
ただ、わりあい個々人で判断して自由に動けるほうの部署だから、昼間の真ん中にセンバツやら旅行の話で大盛り上がりになっている場所にいるのがイヤなら、黙って仕事に逃げればよい。
ムダ話をしないと死ぬかのようにムダ話をする人間を他人がどうこうすることは不可能である。

いろいろなことがありながらも、一昨年の10月からここまでの間、極端な気分の落ち込みをほとんど経験しなくて済んでいるのは、やはり仕事そのものが性格にフィットしているからに他ならず、この点に関しては会社には重々感謝しなくてはならない。
チームのメンバーとは特別に仲良しさんではないし、この先そこを目指そうという気もさらさらない。
幸いにして、会社に行く楽しみは所属するチームとは別のところで一つか二つは持っている。
とりあえずでも会社に出てわずかでも会社に貢献したいという気があるなら、何が支えであっても出て行けるに越したことはないのである。

三連休の話

2017-03-25 09:50:02 | 休日
ずいぶん更新が空いてしまった。
先の三連休は富山から家族が来ていて、ようやく写真の整理もついたのでまとめて上げることにする。

好天に恵まれた三連休は、私自身も初めてという場所もあり充実した三日間であった。
いつもはクルマではあまり行かない名古屋の中心部など慣れない道も通りながら家族を無事に案内することができ、最低限の使命は果たすことができたと思う。

1日目は午後からの行動、名古屋駅近辺の駐車場探しに手間取って出迎えが少し遅れてしまい最初から申し訳ないことになった。
午後から行けるところも限られるのでとりあえず名古屋城を目指したが、やや肌寒い天気ながら駐車スペースはどこもいっぱい、路上駐車のクルマであふれる中を慎重に進み、何とか天守の北側の道路にクルマを収めることができた。
入り口まではけっこう遠く疲れたが、何とか天守前の休憩スペースにたどり着いた。
天守の写真はこの角度からが全体がうまく撮れる。



当然ながら天守の上まで行くことになり、しかしエレベーターは大変混雑していた。
元気な甥っ子が階段でスタスタと行ってしまうので、大人も地下1階から7階までを階段で上がるハメになった。
近くにいた外国人の観光客が「Good exercise.」と言っていたように、もう若くない大人は額に汗をかきかき階段を上がった。
その後は階を下がりながらいろいろな展示を一通り見るともう16時を過ぎていた。
休日でもあり早めの夕食を取ろうと春日井市内にクルマを向け、春日井IC近くの某店へ。
肉ばかりでなく魚も豊富にあり、魚にうるさい北陸人にも好評だったからお店選びとしては大当たりだったようだ。

2日目はナガシマスパーランドまで行くことにしていて、無理をして早起きしてもらった。
広くもない私の自室で不自由な思いもしただろうからこの場を借りてお詫びしたい。
長島温泉まではほぼ全てで有料道路を使ってカバーできるので、開園よりもかなり前に着くことができた。



三連休の中日、乗り物はどれも満員で、待ちの少ない遊具でヒマをつぶすよりなかった。
写真にある「スティールドラゴン2000」や「嵐」などは軒並み120分待ちなどとんでもないことになっていたので、残念ながら乗ることはできなかった。



それにしても、広大な敷地の中に、子供さん向けのものまで合わせるとジェットコースターと呼べるものが10本くらいはあるのではないか。
コースターの他にも絶叫系、ゆるゆる系、一通りは揃っているので誰が行っても楽しめることは間違いない。
隣接するアウトレットショップもとてつもなく広く、アウトレットだけで1日つぶすことも十分に可能だ。
名古屋に近いこともあるが、施設のスケールがやはり田舎とは違っていた。

3日目は名古屋港水族館。
シャチやイルカ、ペンギンなどが売り物ではあるが、小型の珍しい魚種も多数あり、存分に楽しむことができた。
個人的にはイワシの群れと熱帯魚に感動したので写真を二枚。





繰り返しにはなるが、雨にも降られず、私自身は運転手として無事に帰りのバスまで連れて行ってあげられたことでひとまずはホッとした。
忙しい現実の生活に戻っても、自分には大切な家族がいることを実感できた。
時には楽しかった3日間のことを思い出して、日々の支えにしていきたいものである。

センバツ近し

2017-03-16 20:32:19 | 日記
3月も半ば、春本番と思える陽気も増えてきた。
しかしこの季節はご多分にもれず私も花粉で苦しむ。
去年の3倍の飛散量と言っているわりに症状が軽いのは、さしあたり起きてすぐに市販の鼻炎薬を放り込むという対策がきいているからか。
もう半月くらいは警戒が必要だが、対策をしっかりした上で今程度の苦しさで3月が過ぎていってくれればと思う。

さて、2月の終わりにはJリーグが開幕し、プロ野球の方はWBC開催中ということもあり例年よりも早めの盛り上がりとなっている。
もちろん国内のオープン戦も最終段階、3月末の開幕に向けてレギュラー争いも大体は決着しているところだろう。
私はキャンプやオープン戦の情報はあまり入れないことにしている。
毎年毎年開幕前には大きく取り上げられながら、本シーズンではトンと話題にならなくなる選手も多いからである。(応援している球団が悪いのかもしれないが)
オフからキャンプ、オープン戦と追いかける楽しみは否定しないが、競争を勝ち抜いたメンバーで争われる本シーズンの試合からじっくり見るのが例年の流れである。

プロ野球の少し前には春の選抜高校野球が開幕する。
ベテランが多いわがチームでは野球好きも多く、春と夏には朝一番から高校野球談義が止まらなくなる時期がある。
談義というにはかなり熱が入ることもままあるのは理由があるのだが、ここでそれを明らかにはできない。
私自身は自分の年齢が高校生から離れていくにつれて高校野球への興味が薄れていったため特に情報も仕入れないし、「談義」に参加することもない。
今年は北信越地区の2校の中に久しぶりに富山県勢(高岡商)が入ってきたが、一言の話題にもならないのは、大多数が愛知や岐阜の人で占められているわが事業所においては致し方ない。

仕事の上では、最近になってチームの一名が急に体調を崩し、場合によっては長期離脱の可能性も出てきたから、高校野球の話をする余裕があるのかと言われると実はあまりない。
少ない人数の中、日々のスケジュールも毎日同じというわけにもいかず、時には慣れないポジションを手伝う日もある。
こんな状況の時にあえて2名が欠ける日を作りたくないので、3連休明け火曜に予定していた休暇はひとまず取り下げた。
もちろん休暇のスケジュールはずいぶん前に立ててはいるが、だからと言って休まなくてはいけないわけではない。
3連休明け火曜の仕事量が結構なものになると読めてきて、加えて1名は確実に欠けると分かってという状況でなお「予定だから」と涼しい顔で会社を空ける気にはならなかった。

青信号は「進め」ではない。
自由や権利も状況に応じて適切なタイミングで柔軟に行使でき、場合によっては行使しない選択も取れるのが「大人」であって、それがままならない人は残念ながらいくら年齢を重ねていようと「子供」とのそしりは免れないのである。

東海道のなごり

2017-03-12 08:19:48 | 休日
昨日は天気も良かったので近場での外出を考えた。
テレビのニュースで一週間ほど前に紹介されたこともあり、ひとまず名鉄の有松駅まで行くことにした。



駅の周辺は大型スーパーもあるし国道1号線も近く住宅も多い。
ごく普通の都市空間の中に、数百メートルの一本道だけが昔日の東海道のなごりを残している。
歩行者天国でもなく、まったくの別世界という雰囲気でもないが、このような風景を現代まで残すこと自体に大変な努力がなされていることは伝わってきた。
道沿いには雛人形がいたるところに飾られ、中には堂々と木の枝に鎮座しているものもあった。











旧市街を抜けたあたりに、なぜか名鉄線の北側に通じる歩道橋を発見。
民家の間にいかにも申し訳なさそうにあるのだが、日常的に大切な通り道なのだろうか。
登りきった場所から撮り鉄。





有松の町並みを抜けてひと駅分歩き、中京競馬場前駅の近くまでやって来た。
当日は、三週間しかない中京競馬春開催の初日、入り口の日の丸は震災6年ということで半旗となっていた。



土曜日ながら重賞も組まれていた関係で、G1ほどではないものの多くの来場者で賑わっており、芝コースのゴール板は、すでに再来週のG1高松宮記念仕様になっていた。



成績の方はパッとせずがっかりして帰ったが、新しい発見もできたので、お手軽ながらいい休日になった。
これからいい季節になるので、天気や体調により、近場でいろいろ発掘に行ければと思う。

最後は自分

2017-03-10 21:13:53 | 日記
今週の勤務が終わった。
大きなミスもなく無事に終わることができたのは何よりである。
ただ、今週は他の人の休暇や通院などで全員集合になった日がなかった。
最近あったようなやや身勝手な抜け方ではなかったので腹が立つなどということはないが、いない人のカバーのために通常はやらない仕事もけっこうやった。
限られた人数でやっている以上、多少人が抜けても回るくらいでないと始まらないし、そのためには経験がないからと尻込みして人任せにしてばかりもいられない。
難しい要求があるわけでも、必要以上に仕事を振られるわけでもない。
自分自身が休む日は誰かがカバーしていることを思えば、勉強のためにいろいろな場所に首を突っ込んでおくことは大事だ。

さて、週の最後の金曜日、自分の仕事は大過なく終え自席に戻ると何やらメンバー同士が言い合いをしていた。
どれくらい続いたのかは知らないが、話の結論は出ないままだったようである。
仕事上でのほんの小さな「こだわり」に起因して不毛な言い合いを起こす人物はだいたいいつも同じである。
当人の中で譲れない部分があるのは分かるが、何か一つ言われた時の反応があまりにも過敏なため、こじれなくてもいい普通の話がなぜか毎度毎度ややこしくなるというのは見ていてやはり変だなとは思う。
よほど図抜けた能力があると自他共に認めるくらいの人物ならまだしも、言っては何だがわがチームの仕事は特別な知識や資格を必ずしも必要としない。
主役にはなりえないチームの中で当人がどれだけ自信を持って取り組んでいようと、第三者から見れば大したことはないし、それは私に当てはめても同様だ。

私の周辺が特にそうなのかもしれないが、それなりの年齢を重ねていながら「他人に認められたい」欲求が強い人が多いように感じる。
その欲求が強すぎると自分を大きく強く見せようとする方に意識が行って、少しのことでも自らの評判が落ちるのではないかと心配する。
その気持ちの裏返しが過敏な反応となって現れ、時にはウソやゴマカシ、虚言や妄言につながる。
ミスを矮小化して報告するのも一つ、見下ろせる人に対しては徹底的に攻撃するのも一つ、たった今仕入れたばかりの知識を昔から知っていたことのように吹聴するのも一つ、である。

他人に認められないと満足できないというのはまさに地に足が着いていないということと同義であって、仮に自分を認めてくれる人が現れたと感じた時にはその相手に自らをドップリ預けてしまう危険がある。
相手が自分に近づいて悪意で利用しようとしているかどうかの区別はおそらくつかない。
痛い目に遭うまではいかなくても、期待するような現象がなかなか起きず、長い月日が経ってようやく気づくことになっても後の祭りである。

私自身も、判断の基準が他人にあるうちは幸せではなかった。
心ない他人に振り回されたりももちろんしたわけだが、不満を他人のせいにしているうちは自分自身には進歩がなかった。
心から幸せと感じられない人生が少しずつ変わり始めたのは、結局「他人に振り回されるような生き方をしてきた自分が間違っていた」と腹の底で実感できた時からである。
ずいぶん時間はかかったが、物事の判断を自分に委ね、その判断に基づいて行動し、その結果生じる利益も不利益も全部自分で面倒を見ることができるようになってからは、生きているという実感を得られるようになった。

私よりもはるかに長い時間を生きているのにいまだ「幼児」同然の振る舞いをするのを見るにつけタメ息の一つもつきたくもなるが、今後も変わらず今の調子で悔いのない日々を重ねていきたい。

思いつきでも楽しく

2017-03-05 20:27:28 | 休日
通常より若干ハードだった平日を乗り越え、土曜は自室の整頓や買い物などの雑事のみで空いた時間はゆっくりした。
日曜もゆっくりするかどうかは日曜に目覚めてから考えようと思っていたが、平日と同じような時間に目覚め天気も良い。
体の疲れも何とか取れ動く元気があったので、日中はクルマを出してふらふらすることにした。

急ぐ旅でもなく、一般道をたらたらと走って着いたのはココ。



駐車場は滝よりも高い地点にあり、看板から階段を5分ほど下ると、居酒屋ではない本物の「養老の滝」が現れた。
落差こそそれほどないが、優美さという意味では我が国有数だろう。
滝つぼや周辺の水の流れも大変きれいで自然も豊か、一帯はレジャー施設も豊富にあってその気になれば一日過ごすことは可能だ。









滝を十分に堪能した後は、駐車場に戻りしばし眼下に広がる濃尾平野の景観を楽しんだ。
午前やや早い時間帯のためややかすんでいたのが惜しい。
左は山麓にクルマをとめた場合に利用するリフト。



駐車場内のお土産屋兼食事スペースには、昔懐かしいビン入りコーラの自販機がデンと置かれていた。
輸送コストもあり、1本140円は致し方なし。



下界に戻ってクルマを南に向け、木曽三川公園方面を目指した。
公園そのものは昨年の春先にも訪れているので通過して、長良川と揖斐川の間の細長い中州を走った。
地図で見ても大変細いところを二つの大河を左右に見ながら爆走できるのは当地ならではと言える。
JR関西本線と近鉄名古屋線の鉄橋が並ぶ地点でしばし撮り鉄。







これだけ楽しんで、帰りも一般道を流して途中で昼食もとったりしながらゆっくり動いて、自宅に着いたのはまだ14時くらいだった。
土曜は珍しく昼寝をしなかったこともあって、さすがに横になると一気に眠りに落ちていった。

18時過ぎまで眠りこけ、自室で食事をとってシャワーを浴びた後、本欄を書いている。
一週間で区切れば、まったく飲まなかった週も久しぶりだ。
今日のようにあまりお金をつぎ込まない遊び方もある。
当面お店方面は「誘われベース」とし、場合によっては断りも入れるなどプライベートのメリハリを付けたい。
春の連休にはまた大きな計画も控えている。

自室の話から

2017-03-04 20:13:15 | 休日
私の住まいは、会社を通じて借りているアパートである。
見た目は悪くなく、最初見た時はけっこう新しい建物かと思った。
それが、仲介業者さんからは「それほど新しくはない、築10年越えたくらいかな」との話があった。
本当かなと思って入居後にいろいろ観察すると、風呂場のスイッチやキッチンの照明などに「National」のロゴがいくつか見える。
松下電器がパナソニックに改称したのはそう最近のことでもないから、本当に新しい物件なら「Panasonic」のロゴが見えるはずで、業者さんの言っていることはウソではなかったことになる。

家電に関しては、今でこそニーズに応じてメーカーを使い分けているが、昔は信者と言ってもいいくらいの「松下派」だった。
私の母が現役の時に小さな電子部品会社に勤めていて、松下行きのものは厳しいから特に気を使ったという話を再三聞かされていた影響が大きい。
昔も今も松下(パナ)の製品は他よりも少しずつ高いし、品目によっては値段の関係で他メーカーに流れたものもあるが、途中で変な壊れ方をしたものは全くないどころか、学生になる時(つまり30年近く前)に買った紙パック掃除機は今も現役、最も近いところでは車のバッテリーもパナ製のものに変えてしまったくらいで、製品に対する信頼感はずっと変わっていない。
近年は為替の影響や外国勢の台頭を受け、個人的には続けてほしかったプラズマテレビ生産から撤退するなど厳しい経験もし、直近のニュースでは富山県内の工場に勤務していた男性の死亡について労災認定が出るなど必ずしも明るいとは言えない話題もある。
創業者である松下幸之助翁の著書の一つである「事業は人なり」の精神が失われないことを祈りたい。

さて、我が国で松下電器のライバルとして長年トップを走ってきた東芝は現在大変な状況にある。
本欄でも上層部による過大な要求(=チャレンジ)で一時騒がれたことは書いたが今回はその比ではなく、米国での原発事業に大きく足を引っ張られた格好で債務超過回避のためのなりふり構わぬ資本調達策が練られているようである。
これだけの事態になっていても、やはり「ノートPCといえば東芝」など、製品への信頼はいまだ厚い。
せっかくいい製品を世の中に出しているのに、一事業の大損失でグループ会社の切り売りのようなことまでやらなくてはいけないのは、やはり時の原発事業に関わった人間が米国でどういう話をしてどういう見通しを立てたかに尽きると思う。
下々の、日々真面目に働いている社員の皆さんの苦労が水泡に帰すという意味では、やはり組織のトップが舵取りを一つ誤ることは大変に恐ろしいことだと分かる。

靴下やTシャツくらいなら中国やASEAN地域の製造でも構わないが、食べるものや長く使うものに関してはなるべくなら日本製を手にしたい。
値段は張っても信頼感は何物にも代え難い。
お金をケチって命や生活に関わる事態になったら、悔やんでも悔やみきれないのである。

またこの季節が…。

2017-03-03 20:54:01 | 日記
3月に入り、いよいよ気象の世界でも春になった。
今日の当地は数字の上では最高気温10度くらい、しかし北からの強風のせいで体感的には北陸にいるのと変わらない感じだった。
寒さはともかくこちらにいて感じる北陸との違いはとにかく足元がいいことである。
雪も数回降ったが、なぜか週末と重なったりして通勤や生活には大きな影響がないまま2回目の冬を越えたことになる。
少なくとも大人になってからは雪が降るとイヤな気持ちしかなかったのに、こちらではたまに降られると長靴を履いて踏みしめてみたりしたくなるのだからたいそう身勝手な人間にできているものだ。

さて、この季節は本格的な春に向かう高ぶりを感じながらも、花粉という厄介物への対策が必須という悩ましい時期である。
今シーズンはまだ自覚症状が出ていなかったが、今日になってついに兆候が出始めた。
まだまだ最盛期に比べれば症状としては軽くて目立たないながら、目のかゆみ、サラサラの鼻水にクシャミなど、花粉症特有のものがジワっと襲ってきた。
私は幸い苦しいのは1ヶ月程度で、中には2月のうちから春の大型連休明けくらいまでの長期戦になる人もいるからお気の毒なことだ。
マスクをすれば視界は狭まり、鼻水クシャミとくれば気が散って安全上よろしくないので重々気をつけなければとは最近も書いた。
毎年のように事前に根本治療を済ませておけばと後悔するのだが、今シーズンも時すでに遅しであり、自分自身や周囲への迷惑にならないようにできることをやるしかない。

多くの企業がそうであるように、わが社も年度末の締めが近づき、この時期ならではの忙しさが過ぎたら半期に一度のお決まりのルーティンが待っている。
私自身は組織という舟に乗せられてただ揺られているだけの立場で、日頃の積み重ねの中でモノの出納を確認できてさえいれば節目の日が近づいても特別あわてるようなことはない。
様式は事務方が作ってくれるし、後は他部署の人間が見て分かりやすいようにモノをキチンと整頓するだけだ。
なぜか赴任して最初の締めの時からエリアの「担当者」とされているのだが、現場の様子は周囲のほうがよく分かっているし、担当者といっても重いものではまったくないので、3回目となる今回も気楽にかつ冷静に臨みたい。

先週は半日ながら土曜も出たし、今週は事業所内の一部に特別な事情があって、自分の担当以外のところを手伝って時間目いっぱいになる日も多く動き詰めだった。
土日の天気はいいようだが、とりあえず明日は体を休め、日曜の行動は土曜が終わる段階で決めたいと思う。

働き方改革?

2017-03-01 21:04:59 | 日記
今日から来春卒業予定の学生さんの就職活動が解禁となったというニュースを見た。
某大手広告代理店の社員さんが自殺するという痛ましいニュースを受けて、学生側も働き方に関して企業がどのような取り組みをしているかに興味がいっている。
企業側は現在行っている、あるいは今後行うことにしているワークライフバランスへのビジョンを明確に持っていないと学生からそっぽを向かれることになってしまうためこれまた必死になっている。

短いニュースの中では紹介しきれない部分もあったかもしれないが、働き方や働きやすさばかりで選び選ばれるわけでは当然ない。
学生さんは当然やりたい仕事をボンヤリとでも頭に描いて活動に入っているだろうし、企業は企業で当然仕事内容のこともアピールしているだろう。
ただ、近年はブラック企業等々の問題もあり、政府も遅まきながら働き方改革を主要なテーマに掲げる世の中になった。
求職側の検討材料として、また企業のアピール材料として、働き方や働きやすさの重みが増す流れは変わらないと思う。

さて、企業がいくら働き方に関する努力を続けたところで、そこに寄りかかるようではどうにもならない。
義務や公の心の裏付けのないところで叫ばれる自由や権利にはいい加減辟易している。
最近の信じられないような話だが、10人に満たないわがチームで2名が同時に2日間を休むということがあった。
1名の予定にたまたま違う1名の別の事情が同じ日に重なったわけではなく、最初から計画して2名で同一の行動をとるための休暇であったが、当事者たちは直前まで「そうではない」フリをしてがんばっていた。

そうは言ってもこういった怪しい話はどこかから明らかになるもので、わがチームの上司も事情はいずれかの時点で知り、その上で知らないふりをしてそれとなく当事者たちの言葉を引き出そうとしていた。
当事者たちは、バレているとは感じながらも結局事前の段階では自分たちの口からは同一行動であることを決して口にしなかった。
2名が同じ2日間を休むことそれ自体がいかなる理由があってもあまりいい印象は持たれないし、バカ正直に告白すれば早い段階なら却下される可能性もあった。
当事者たちはそれが分かっているから、何を言われてもウソをつき通すしかなかったのである。

残される人間のことは何一つ考えず権利だからと限度いっぱいまで休み、年度末までまだ1ヶ月もあるのに有給が1日を切っている大バカ者は今回の当事者の片方である。
仮に感染症にかかったら5日間程度は強制的に会社に出てこれない決まりだから、有給がなくなったら欠勤扱いとなり実入りが減ることは本人も分かっているだろう。
気持ちをあえて追い詰めてがんばるというのならいいが、相変わらずのノラクラとした動きに加え、くだらないミスも増えてきた。
明らかに私が当地に来た当初よりもパフォーマンスが落ちているためか、最近は周囲からも浮き気味である。
もはや本来の意味での働き方改革などどこ吹く風の輩には、せめて自らの働き方(=働きぶり)の改革に努力してほしいものだ。