blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

10月を振り返って

2009-10-31 23:59:59 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
いろいろと心が揺れた月ではあったが、過ぎたことは仕方がない。
うつむいている暇はまったくない。

私がいるスペースには必ず毎日顔を見せていた社長も、私にとって最後である水・木・金の3日間は、出勤はしているのだが、なぜかまったく顔を出さなかった。
結局、挨拶らしきものは奥さんと上司のS氏、となりのYさんとはやったが、社長とはしないまま去ることになった。
さんざん私が社長の「痛いところ」を突きまくっただけに(本欄のことではなく、直接のやり取りにて)、私と向き合うことがイヤだったのかもしれない。
やはり思ったとおり、かなり器の小さい人間だった。
文句を言われていようが、自分が負けるところがあろうが、最後はミエミエのウソでも「ありがとう」のやり取りくらいはできるのが普通だろう。

あれこれ社内の資料を眺めているうち、今の経営者としての地位や数多い公職が、実は先代の信頼の上に成り立っていることが判明した。
二言目には「努力してビルを建てた」と吹聴していたが、何のことはない、ただの「二代目社長」だった。
物品の販売(正確には卸)で地道に経営し、今の礎を築いたのは紛れもなく先代の功績であろう。
100歳近くまで生きられて、亡くなられた時には遠く台湾からもお悔やみが届いていたというから、よほど周りに愛された方なのだろう。

先代を越えたいという思いがあるのかは知らないが、今の社長が進めている新事業や多角化は、今のところは名前だけは立派な、実際は確固たる方向性もない場当たり的な小銭稼ぎに堕している。
その過程で、金銭詐欺まがいの被害を受け裁判沙汰にまでなるという不運な経験もしているようだ。
仕掛けたほうはもちろん悪いが、「新事業に協力する」と言って近づき出資を求めるという、どう見ても怪しい、まず金ありきの話に簡単に引っかかってしまうほうも「ワキが甘い」と言われても仕方がない。
「儲け」が第一順位に来るからこういうことになる。
現場を知らないと言って尋問から逃げ回り、裁判資料の作成まで部下に丸投げという、どこかの政治家とあまり変わらない醜態もさらしている。

その苦い教訓が現在に生かされているとも実は言い難い。
特に、あまりにもお粗末な情報管理体制については私ごときが再三言ってきたが、結局は情報漏えいに関して誓約書を取られたりはしなかった。
私自身は悪さをする気はサラサラないが、仮にやられても証拠がないから、いざという時に会社として抗弁ができない。
書類を取らなかったことは、専門家には間違いなく突っ込まれるだろう。
こうなると、人がいいのか悪いのか分からなくなってくる。

今の社長には一言「原点に戻れ」と言いたい。
社員に誰一人として愛されていなくて経営がうまくいくはずはない。
自分のキャパシティーを越えた仕事は手放して、周りを見る余裕を持てば、今まで気づかなかったものに気づくことができるだろう。
また、先代の銅像をホコリまみれにしておかないで、会社の目立つところに置いて毎日掃除してあげたらよい。
やがて天からの助けに恵まれる時が来れば、いかに自分一人の力が小さいものかが分かるはずである。
もう外の人間となった今、「二代目で終了」とならないことを切に祈るのみである。

11月は誕生月でもある。
また新しいステージがやって来たと思い、前向きにいきたい。

スパシーヴァ高岡

2009-10-30 20:56:31 | 日記
題名は、かつて高岡市のご当地ソングとして発表された曲の名前である。
いろいろ検索してみても大した記事に引っかからないので変だなと思っていたら、すでに廃盤になっているらしい。
残念ながら一過性のもので終わってしまったようである。

ところで、スパシーヴァというのはロシア語で「ありがとう」の意味である。
エラそうに書いてはいるが、今年の初頭までいた会社の経営者がロシア人で、人数的には日本とロシアが半々くらいの環境であった。
少しでも居心地よくと考え、簡単な教則本を購入したのがきっかけだ。
基本的な言葉だから、当然最初の方に出てくる。

今日限りで、わずかの間ながらお世話になった高岡市の職場を離れた。
いろいろな思いはあっても、まずは「スパシーヴァ高岡」という気持ちでありたい。
県都・富山市と違って戦禍に遭わなかったため、道路が狭いなどややこしい部分を抱えてはいるが、その分歴史や伝統という意味では貴重なものが多く残っている。
先ごろ開町400年のイベントがあったばかりだが、同じ名前でこれだけの期間続いている街もそうはないのだろうと思う。

以前、私の地元である魚津市の観光振興は「自然現象頼み」ではないかと書いたことがあるが、高岡市の観光はいまだ「古いもの頼み」の感がある。
私の母親などは、本人のせっかちな性格もあるのだろうが、万葉集の朗唱会あたりの映像を見て「高岡ってこんなタラタラしたイベントばっかやね」と言っていた。
仕事を通じて、ドラえもんを手がかりにしたまちづくりについても知ったが、作者である藤子・F・不二雄先生はすでに存命でない。
会社が主催したフォーラムには行政や企業のエライさんが5名来られたが、横で拝見していて、ドラえもんということに関しては、5名の間にかなりの「温度差」を感じたのが正直なところである。

ともあれ、親戚もなく同じ県内でもほとんど縁のなかった高岡近辺のことについて少しは勉強することが出来た。
うすうす感じていた「高岡人の気質」なるものも、私の中では確信に近いものになった。
良くも悪くも、高岡人の判断基準は、まず「損得」や「お金」である。
少なくとも外の人間から見て、好き嫌いのはっきり分かれる地域であることは間違いない。
今後この地域に縁があるのかないのか分からないが、仕事を通して今まで知らなかった観光資源を知ることもできたので、機会を見て訪れるくらいはあるのかもしれない。

明日は月の最終日。
いろいろあり過ぎた10月を振り返る。

権力者たるもの

2009-10-28 20:00:00 | 日記
月曜日に放映された「日本文化チャンネル桜」の中で、現職の沖縄県石垣市・大浜市長の性犯罪疑惑について放送されていた。
被害者自らが、7年の沈黙を破ってブログで告発したところ、とても大きな反響が来ているようだ。
権力者を告発する内容だから誹謗中傷も多いようだが、被害者を応援する多くの社会派ブロガーの方が取り上げて詳細な分析を行っている。
本欄では、直接の被害者であるサラさんのブログ(サラの日記)を紹介するにとどめるが、現在4期目という大浜市長の横暴はもちろん、石垣島ひいては沖縄県、沖縄のマスコミが抱える全体主義的体質が垣間見える内容だ。
ひとつ声を上げた瞬間、すべてが敵に回っていく様は、とても他人事とは思えないものがある。

今日は会社主催のイベントが、会社近くの展示館で行われた。
私たちには声がかからなかったが、普段営業に出ている男性社員を中心に、お客さんの対応などのため動員がかかっている。
日頃は社長が1人で何でも決めていながら、こういう時だけ総動員体制というのもいかにもムシのいい話である。
会社あげてのイベントを演出したいのがミエミエなだけに、動員されている社員さんにはむなしさばかりが募っていることだろう。

人間ひとたび権力というものを握れば、その人間の裁量で組織は良くもなり悪くもなる。
悪い方向に行っている場合は特に、その権力が本来の役割以上に肥大化・強大化し、取り巻きのような人間も増えて、なかなか少数の人間では突き崩すのが難しい状況になる。
弱い立場にあるものが、仕方なくその環境を離れることでしか解決していかない。
石垣島のケースも、結局被害者自身が家族を連れて島を出なければいけない事態になっている。

人の上に立ち、多数をまとめて引っ張っていく人間には、それなりの「器」が求められる。
器の小さい人間が上に立っている組織は、毎日が悲劇である。
会社の経営者であろうが、総理大臣であろうが、それは同じことだ。

あっという間の1日

2009-10-27 19:49:08 | 日記
となりのYさんと同様、特に決まった仕事もないまま1日が始まった。
そうは言っても何もしないというのも退屈であるし、残り少ない時間、少しでも自分のできる範囲で、これまでやってきたサイトのメンテナンスをがんばろうと思った。

今までずいぶん探検して、あらかたは直すことができたと思っているが、大事なものを忘れていた。
「リンク集」をあたってみると、大変な状態になっていた。
リンク先は北陸・甲信越各地の観光団体が中心だが、市町村合併が進み呼称が変わっているところが多い。
また、近年独自ドメインを導入する団体が増え、URLが変わっているところも結構あった。
1つ1つあたっていくと、何の変更もいらなかった先は全体の半分もなかった。
かなりの数があるため、すべて終わった頃には終業時刻に近くなっていた。

名前というのは本当に重要なもので、同じ○○観光協会でも、市とか町が付いていたりいなかったりなど微妙な違いがある。
組織変更などで、前のものはあとかたもないケースもあった。
いちおうネットに上がっている以上、誰かが見ると思えば、特に合併関係には敏感であって当然である。
いつまでも昔の名前が出ていたり、リンク切れやリンク落ちが多い状態だったりすると、まず相手に失礼なのはもちろん単純に恥ずかしい話でもある。
今日1日かけてみて、日頃いかに細かなメンテがなされておらず長期にわたってほったらかしであったかがよく分かった。

今日はそれを嘆くのが本旨ではないのでこれくらいにしておくが、明らかにまずい状態のものを少しでも整理できたことは、大掃除を終わらせた後のようでなかなか気持ちのいいものであった。
他人には、言わなければ気づかれもしないことだろうが、自身としては今日の1日の使い方には納得できた。
いずれ誰かがアクセスしてくれて「お、ずいぶん変わったな」と思ってもらえることだろう。

ここ数日やや内容が長くなっていたので、今日はつとめてこのあたりで打ち切る。
あまり見る方に1回の記事を読むのにグリグリとスクロールしてもらうのも悪いので、いつもは500字から1,000字くらいで収めようと思っている。
所信表明演説も個人のブログも、ホドホドがいいようである。(鳩山さんのは長すぎた)

やればできるじゃん!

2009-10-26 20:00:00 | 日記
今朝出勤したら、お客さんも出入りする正面受付の横に山積みになっていた資料がなくなっていた。
もちろん単純に捨てたのではなく別の場所に移動したのだとは思うが、明らかに外部の人にも見える場所から消えたことは進歩だ。
また、私がいつもいるオフィス、特に公道から見える部分も若干ではあるが「整理したんだな」という形跡があった。
まだまだ客観的にはほめられた状態ではないが、ほんの数日で終わるような規模でもない。
とにもかくにも「動きだした」ことはいいことだ。
開始がなければ完了もない。
さんざん暴れこいて伝えた甲斐があったのだと思い、朝から少しいい気持ちになることができた。

もう静かにしていればいいのだとは思うが、わずかの期間でも世話になったと思うからこそ、大きなお世話とは思いつつあえて手の内腹の内をさらしてあれこれ伝えている。
本当に恨んで去っていくだけなら、改善を切に望む旨の内容をわざわざ日報に書いてまで上げたりはしない。

掃除のほかには、情報管理に関しても疑問に思うことがあり、実際に投げかけてもいる。
少なくとも「ITベンチャー」を標榜している会社で、PCが個人持ち込みOKだった(社内データが毎日会社と自宅を往復)というのもお笑いだが、会社で運営している、現状「看板」ともいえるサイトに関しては特に意見を申し上げたところだ。

具体的には、サイトの書き替え方法を知っている私がやめていくので、パスワードの変更は当然考えてはどうですかとの提案をした。
やめていくほうから言うのも馬鹿馬鹿しい話ではあるのだが、私に言われて初めて「あ~、そうやね」という感じだったので、レベルは推して知るべしである。
かつて私が勤務していたあるお店では、退職者が出るたび金庫の暗証番号を変えていた。
人を信用しないとかということではなく、内部と外部の区別を明確にするという意味で至極当たり前のことであろう。

パスワードの変更などそんなに難しく考えることではなくて、極端に言えば文字1つ変えるだけでも終息する話である。
無理に、使うほうも覚えられないようなものにすることは必ずしもないが、外部の人間に容易に推測されるような内容ではもっといけない。
本来なら、たとえ覚えにくくても、まったく脈絡のない英数字の羅列くらいにしないと、この節かなり心配なのではないかと思う。
社内で、ある一つの明確な考えでもって定められたものなら、第三者には無意味な文字列に見えても社内で覚えられないということも、そもそもないのではないか。

私の個人のメールアドレスは、プロバイダーから通知されたものをあえてそのまま使っている。
@マークの前の何文字かはそれこそまったく意味不明の英数字の並びだが、おかげでスパムメールらしきものはこれまでほぼ皆無である。

社長や上司のPCのアドレスは知らないが、女性の名をかたった明らかなスパムメールがたくさん来ている。
下手に「分かりやすい」アドレスになっているのかもしれない。
私あたりにそれを見られてしまうのは、PCをつけっぱなしで外出などという、ITベンチャーが聞いてあきれる行動を平気で取るからなのだが。
仮にも情報を扱う企業で、この「ザル」っぷりには、怒りを通り越すものがある。

「整理整頓」という当たり前のことがようやく手に付きだしたのだから、この際ITを語るに足る情報管理体制についても真剣に考えてほしい。
私はまもなく外の人間になるが、今のままでは外からでも容易に「看板サイト」が書き替えられてしまう危険がある。
会社を守ろうと思えば、出て行く人間をある意味「徹底的に疑う」ことも必要になる。
誓約書の1枚でも取って後日のために証拠を残すのが常識ある企業の姿だろう。
今までもそうしてきたのなら結構なことだが、労働条件の話もまともにできなかったくらいだから、そのあたりの意識もかなり怪しいかもしれない。
退職日の帰り際に「せーの!」でデータを消してもいいけれど、最後の日にそんなパフォーマンスかセレモニーのようなことは面倒だ。

すべてとは言わない、ほんの一部でも今後のためにしてほしい。
やればできる会社であることを信じている。

安く済むものは安く

2009-10-25 22:38:34 | 日記
かつて横浜ベイスターズの中心打者として活躍したロバート(ボビー)・ローズ選手のことをふと思い出した。
長く日本でプレーし、いわゆる助っ人外国人としては最上レベルの成績をあげた選手である。
チームメイトやファンに大変愛されたようだし、私自身も「紳士」のイメージは強くあった。

さて、「マシンガン打線」の4番を張っていた選手だから、当然高額の報酬はあったはず。
しかし、身に着けるものなど生活そのものは大変質素だったという話を、試合の中継か何かの中で耳にした覚えがある。
安いものでも高いものでも「Same Work!」(働きは一緒)ということのようだ。

確かに、最低限この機能さえ付いていればいいと思えれば、いたずらに高いものを買うこともない。
車だったら近場の用事がほとんどならレ●サスでなくてもいいし、今ナンドキか分かればいいならロ●ックスの時計もいらないわけだ。
それほどこだわらないものについては無駄なお金はかけない、というのは至って賢いやり方だと思う。

ものすごくスケールの小さい話になり恐縮だが、最近腕時計のベルトを交換した。
今までは、専門店かホームセンターに行って気に入ったものを選び、取り換え作業は店員さんに任せていた。
工賃がかかるような作業でもなくベルトそのものの値段だけだが、せっかくだからと少しは色やデザインに迷って、結局毎回2,000円前後はかけていた。
それが今回、簡単な工具と「バネ棒」が付いていて、自分で取り換え作業ができる600円程度の商品があって手に取ってみた。
商品は色は黒しか選べないものの、いかにも安っぽい感じでもなく、ものは試しと思って買った。
私は手先が大変不器用なので、ただでさえ小さなバネ棒をなくしそうになりながら、時間はかかったものの何とか自分で交換できた。
今はきっちりと「役割」を果たしてくれている。
色やデザインはどうでもよかったから、安く済む方法としていい選択ができたことになる。

世の中は「Windows7」の話題で持ちきりで、店舗にもプリインストール版のPCがさっそく並んでいる。
米国系のメーカーでよいなら、良い意味で至れり尽くせりではない(=日本のメーカーはいらないソフトが多すぎる)のでそれほどビックリするような値段でもない。
しかし私自身は、今後どう考えても、320GBやら500GBあたりのHD容量や、ブルーレイディスクドライブ、まして地デジチューナーなどは必要としない。
新しいものには当然興味はあるし、ポンと買えるものならスペックを調べたりもしたいが、残念ながら今はそんな余裕はない。
決して買えないひがみではなく(笑)、実のところは最近導入したばかりの中古のXPマシンのスペックで十分だからである。

建前上は仕事用だが、実際は「試用期間でバイバイ」という事態も見据え、いずれは自宅でメイン機としても使えるものをと考えていた。
不安が現実化した今、光学ドライブはDVDマルチにしておいてよかったと思う。
安さにつられてDVDの書き込みができないものに手を出していたら、自宅に戻すとなった今、けっこう後悔しただろう。

本体のみで買ったので新たにキーボードとディスプレイが必要になってきたが、キーボードは余計な機能がないシンプルで安いものを今日買い、あとはディスプレイだけである。
キーボードは手で触るものなので安くても新品としたが、ディスプレイにはそれほどこだわりはない。
なにぶん本体が中古なのでディスプレイもアナログ接続の中古で十分だ。
15インチなら安いが、今までのノートPCが14.1インチなので、どうせなら17インチ以上はほしい。
仕事場が17インチで、それに目が慣れてしまっているのもある。

最低限ほしい機能を満たすことを前提になるべく安く済ませる。
こだわりと使えるお金のバランスを考えてあれこれ悩むこともまた楽しいものだ。

文化祭シーズン

2009-10-24 21:50:52 | 休日
今日は病院に行くため、実家方面に向かった。
早々に用事を済ませ、かつて長らく通った黒部市の市街地近辺を回った。
実家方面に行く時はこのコースがデフォルトになっている。
某旅行代理店のNさんの顔が見たいのもあるが(笑)、今日は気づいていただき軽くあいさつができた。
なかなかお客さんとしての用事がなく、申し訳なく感じているところだ。

さて、黒部市への道中で、魚津市にある新川みどり野高校の前を通ったら文化祭の看板が出ていたので、黒部から戻る足で立ち寄ろうと思った。

会場に着いてみると車も多く、物品の販売も多くてけっこうな賑わいだった。
一通り会場を見て回ったが、このデジタル全盛の時代に、模造紙に手書きの研究発表など、いかにも学校の文化祭と言う雰囲気が伝わってきた。
「清涼飲料水には実は砂糖がこんなに・・・」とか、世の中で騒がしい「感染症」についての発表は興味深く見た。

この高校には、かつてバンドでお世話になったT先生(すでにご退職されているが、ご自分の作品を出展されておられる関係で来場)やH先生がいて、運良くお会いすることができた。
私のワガママから相当な迷惑をおかけした経緯もあるのに、普通に声をかけていただけるのはありがたいことだ。
何事もヘタに勘繰るクセや皮肉屋の面が改善されれば、私ももっと人にかわいがられる人生を送ることができるのだろうが、理不尽にはつい声を上げてしまう性格ともども根本的に直ることはないのだろう。

さて、そのT先生の作品は、富山県の美しい山々の写真であった。
T先生は、富山県、特に新川地区が本当に恵まれた自然環境にあることを心からの喜びとして、日々写真を撮っておられる。
自らギャラリーを開き、誌なども収録した作品集も出され、ウェブサイトにも膨大な数の写真がある。
バンドではヴォーカルを一手に担っておられるのだから、まさに多才多芸である。

バンドではギターを担当しているH先生は、今日はマスクをしておられた。
報道を見る限り、富山県ではどちらかというと東部のほうで学級・学年閉鎖などが多いようであり、お大事にとはお伝えした。
私があまり得意ではない「下でハモる」センスが抜群であり、バンドではたびたびその妙技を見せていただいた。

高校の同級生であるK先生にも偶然会うことができた。
バンドのライブには時おり顔を出してくれたのでありがたかった。
私がソロ作品を歌った姿も見ているので、同級生の中では「近年の姿」をよく知ってくれているほうである。
高校を出てずっと会っていない人間に、私が人前に出て演奏したり歌ったりというイメージは間違っても浮かばない。
それもそのはず、私自身高校時代はプレイヤーとしては音楽には関わっていなかった。

富山市と魚津市はそれほど離れてはいないが、やはり本当の地元に帰るとこういううれしいこともある。
今、またしても厳しい状況を迎えた私だが、私の顔を見て喜んでくれる方が1人でもいる限り、決してあきらめてはいけないと思い直して今日を終えたい。

S氏への「渡らない手紙」

2009-10-23 20:00:00 | 日記
方向が決まって、すでに「ないもの扱い」の私は、それでもPCに向かって懸命に文章を書いた。
午前中は、働く者として、かつもうすぐこの環境を去る者の立場から、今まで本欄でも書いてきた事柄をダメもとでも直接ぶつける内容、午後は直の上司としてお世話になったS氏への私人としてのメッセージである。
公人としてのものは当然要望にも近い強い内容(特に「ザル」とも言える情報管理体制やオフィスのあまりの汚さを指摘するもの)にしたが、私人としてのものは今までさんざん社長にいじめられてきたS氏個人に多少思いを寄せる内容にした。
今日は、S氏へのメッセージのほうを公開する。
コピペとなってしまうが、原稿に時間と分量はかかっているのでご容赦願いたい。
固有名詞の部分は当然伏せてある。(黒丸で伏せてある部分がS氏。あと、同じ記号は同じ名前が入ります。見苦しいですがご容赦ください)

(以下引用)

お疲れ様です。
本日の日報には、報告といいますか最後のお願いのようなものをお付けしました。
あくまでもうすぐ当社を去る人間としての公の立場で書きましたので、耳障りのよくない内容になっていますから、適当に流していただいてかまいません。

さて、本文では、あくまで私人として私なりのメッセージをお伝えします。
確かに社長は厄介な存在でしたが、悪人などおらず、ただどうしてもかみ合わなかったということだと思います。

とは言いましても、●●さんのプライベートなことまではほとんど知らないまま終わることになりました。
ここでは、9月に▲▲▲の○○女史が話してくださったことをもとに書きます。

もう時効だと思いますので書きますが、9月24日は「△△△△△まつり」の2日目ではありましたが、平日ということもあり人通りもあまり多くなく、展示会のの受付は入り口付近に張り付かないで事務所の中におり、音が鳴ったら出るという感じで、誰もいないときは「おしゃべり」をしていました。
その日は▲▲▲は私にとってはわずかに3回目の訪問であり、もちろん○○女史とお会いするのも3回目でした。
人も来ないし、どうやって17時までと思っていましたがそれは杞憂に終わり、話がはずんではずんで仕方がありませんでした。
実質初対面の方と、時間も忘れるくらいにいろいろなお話ができたことは当社にいたわずか2ヶ月の間でも忘れられない一番の思い出です。
唐突に「▲▲▲にはお世話になったから、あいさつに行きたい」と申し上げたのにはそういう理由があるのです。
2ヶ月間同じ建物にいてもコミュニケーションがままならず「相互不信」のままお別れというケースがある一方、実質初めてでも奥の深~い話ができることもあります。
ここで理由や比較はあえて言いません。
「波長が合った」とか、「人間ふしぎ」ということで乱暴にくくっておきます。
具体的には、お互いに格好を付けず、心を開いたからこそ、ぶっちゃけの話までできたのだろうと思います。

さて、●●さんに関する話としては、一時ストレスから体調を崩されたやに聞きました。
当時、診断書までもらわれて1週間ほどお休みをいただいたにもかかわらず、2日目あたりには早くも社長から出社の要請があったとか。
この話を聞いて、少なくとも私は××社長なるものがどういう人物か、本当に恐ろしい気持ちになりました。

話は飛びますが、私が最初に面接に来て社長とお話ししたとき、いつもの威圧的なあの調子ですので、私はいい加減帰りたくなって適当にボソボソと答えていましたら、「お前、ウツ病と勘違いされるぞ」と言われました。
私も実はストレスから体調を崩した経験がありますので、こういう発言には敏感です。
半ギレ状態で「そんなものには1回とっくになっています」と答えました。
すると、社長は急にオロオロとした感じになって、「お、おれも社内でそういう人間見たことある。ほ、ほ、本を読んでウツ病のべ、勉強もした。ウ、ウツ病のことは、わ、わ、分かっているつもりだ!」などとあわてて言い訳を始めました。
私はその頃は社長をまだ信じていましたので、「精神疾患にもいちおう理解のある方なんだな」と思ったのですが、今となっては明らかな差別発言だったのです。

戻りますが、日頃の社長を拝見しておりますと、本当にウツ病について勉強したのかなと思えるような言動ばかりでした。
面接での「勉強している」という発言は「真っ赤なウソ」でした。
むしろ、被害者がいちばんウツ病になりやすいパターンの典型と言えます。
仕事そのものにとどまらず、経歴や人生そのものにまで平気で土足で踏み込んで言葉の暴力、時には手まで出してくるやり口は、もはやまともな人間の域にはなく、野蛮の一言であると思います。
こんな方がよく経営者であり、複数の公職にいられるものだと思います。

なんだかんだ言っても、社長は●●さんがいなければ何もできない。
そうでありながら、あまりにも●●さんは粗末に扱われすぎている。
イヤイヤでも自分の「右腕」として動いてくれている●●さんを、社長本人はモノのようにしか思っていない。
そうでなければ、先日のように、トイレの途中にドアを開けられ「おちおちトイレもできない」ようなことはありませんし、診断書が出ているのに無理やり呼び出そうとすることもないでしょう。
いろいろと考えましたが、心理的にはドメスティック・バイオレンスと同じようなもので、社長は絶対にお認めにはならないでしょうが、要は●●さんに「離れていってもらっては困るが、自分の思い通りに動かしたい存在」として「ベッタリ甘えている」に過ぎないわけです。

●●さんと社長は長いお付き合いのようですが、長いお付き合いになってしまったのは、●●さんが良くも悪くもガマンしてこられたからでしょう。
毎日毎日「ダメだ、レベルが低い、頭が悪い、仕事ができない、使えない」などと言っていても、決して社長は●●さんを切ろうとはしない。
今までさんざん有為な人材に逃げられていることは推測できますので、社長としては、●●さんにまで逃げられては、また逃げられた人数の「悪しき実績」(?)が増えてしまいます。
だからガミガミ言うわりには切ろうとはしません。
むしろ「こいつにやめる勇気なんてない」とタカをくくっている。
社長のような人物にとっては、「責め続けることができる存在」が必要なのです。
そうすることで、自身の中身のなさ、薄っぺらな実力を巧妙に覆い隠し、また「俺に逆らえばこうなる」ということを見せつけることによって、間接的に他の社員をも支配しようとするわけです。
まさに私が定義するところの「体育会系」のステレオタイプとも言えるのが社長です。
残念ながら、●●さんはあの系統の人間が仕掛けるワナに長年はまり続けたのですね。

私は、わずかの期間でしたが、ほとんど「被害」を受けませんでした。
私は個人のブログを持っていますが、入社1週間も経たない8月末の時点で「社長は成り上がりの小心者だ」と記述しています。
単に木っ端のバイトに言ってもという部分もあったかもしれませんが、その時点で私は社長の「人間の小ささ」を見抜いていました。
いい加減な指示にはキッチリ質問を返し、日本語が間違っていれば臆せずに指摘し、明日までと言われたものをその日のうちに仕上げる、など、とにかく「スキ」だけは見せないように注意をしてきました。
要するに「言うときは言う」「戦うときは戦う」という姿勢を見せ、イメージ(相場とも言います)を作る努力をしたのです。
努力が強すぎたのかは分かりませんが、そのうち普通に話しかけることすらしてこなくなりました。
体育会上がりの人は基本的に「弱いものいじめ」が体にしみついていますので、怖がっているとか、弱いところを見せないことが大切でした。

●●さんご自身は、▲▲▲の契約終了の3月末で1つ区切りを付けられるようですね。
あと半年足らずとはいえ、これからの毎日も大変だろうと思います。
愚痴の吐き出し口にでもなれればよかったのですが、私自身もほとほと疲れましたので、もうすぐここを去ります。
今後は、少しは強いところも社長に見せられてはいかがですか。
「一矢報いる」ではありませんが、●●さんの最後の「意地」を期待します。
和歌の朗唱とか、写真とか、ブログも書いておられて、多彩な才能をお持ちなのですから、区切りを付けられた後は、肩の荷を降ろして楽しく過ごされることと思います。
私はわずかな期間で去ることになりましたが、ここでのことは忘れないと思います。
短い間でしたが、本当にありがとうございました。

(引用終わり)

一時は印刷して本人に渡そうかと思ったが、渡さないことにした。
すでに昨日の話し合いで「相互不信」が明らかになり、渡ったところで反応一つないだろう。
それでも、直接の上司として、せめてもの感謝や表現しにくい微妙な気持ちも込めて本欄に公開し永く保存するものである。

埋められない溝

2009-10-22 20:00:00 | 日記
昨日の夕方のことだが、打ち合わせと称して会議室に呼ばれた。
相手は、社長の奥さんとS課長で、話し合いの内容はずばり「今後」についてであった。
使うほうも使われるほうも、2ヶ月か3ヶ月はお互い「様子見」の期間という認識を持っていたことは事実であり、ちょうどこの時期に話し合いを求められたこと自体はごく当たり前のことと思う。

せっかくのいい機会なので、会社が復活させたいという旅行会社の認可の状況について聞いてみたところ、なんとすでにとっくの昔に認可が下りていたようなのだ。
私はとりあえずは有資格者として「人的要因」の1つであり、所定の履歴書と宣誓書に署名もしている。
にもかかわらず、審査の状況などがまったく伝わらなかったことは大変残念でありその旨を伝えたところ、「経営者がそのようなことを社員にいちいち伝えなくてはいけないのか、なぜあなたはそんなことにこだわるのか」という趣旨の発言が奥さんからあり、打ち合わせはにわかに険悪な雰囲気となった。

さらに追い討ちをかけたのが、「あなたは自分(=私のこと)がいたから認可が取れたと思っているんじゃない?」との一言であった。
確かに会社の財務内容や事業実績に加え、旅行に関する事業計画その他もろもろが勘案されて認可が下りることは、私が前の会社で実際にやったことだからよく知っている。
しかし、どんなに盤石な財務状況や素晴らしい事業計画があっても、資格保有者が1人もいなければ認可が下りないのも事実である。
さらには「実はあなたのほかにももう1人声をかけていて、たまたまあなたを選んだだけだ」とまで言われたが、これに至っては論外というほかはない。

態度を硬化させた私に対して形だけの面倒くさそうな謝罪はあったものの、結局この会社が、社員または人間というものをどのように考えているかが図らずも明らかになってしまった。
少なくとも「財産」などではなく「道具」くらいにしか思っていない、代わりはいくらでもいるくらいにしか思っていないのだろう。
当社の社長が毎日暴力を振るうのは、テレビが突然映らなくなったら叩くのと同じ心理である。

その上で今後について聞かれれば答えは1つである。
社員を道具としか考えず、まして議論すら許されない環境は正直やりにくい、S課長の普段の扱われ方を見ていればそれはよく分かるでしょう、とS課長もいる前ではっきりと申し上げた。
おまけに営利事業としての旅行会社の仕事内容は、ちまたの会社とほとんど差がないようである。
実質新参の会社が、何の差別化や特長も打ち出さないで始めていってどうやって生き残ろうというのだろう。
せめて今まで会社として関わってきた「まちづくり」や「エコ」といった、既存の旅行会社がまだあまり手をつけていない分野を発展させたもので考えていくというのなら話も違ったのだが、結局は旧来型の、他人が思い描ける範囲の旅行業務ということになると今までの活動はいったい何なのか。
営利事業だからとごくごく普通のやり方に流れるのであれば、単なる他人の後追いに過ぎない。

ごく普通の旅行業をやってお金儲けをしたいというのは大いに結構だが、以前も書いた、およそありえないようなオフィスの散らかりっぷりからまずは改善したほうがいいだろう。
これ1つだけ取っても、とても働く人間のことを考えているとは思えない。
日ごろの整理整頓もできないような、現在すらも大切にできない、人間を大事にしない企業に「未来ナントカ」などチャンチャラおかしいということをこの際に知っていただきたいと思う。

残念ながら、お互いの埋められない溝が、実はすでに最初のほうからあったようだ。
私はまたもや身の振り方を考えることになるが、仕事の調べ物の途中で偶然ステキな事業をやっておられる会社を見つけた。
人を採ろうとしているかどうかも抜きで、ぜひ経営者の方にお会いしたいと思うほどのところである。
時間はあまりない。
思いつくまま、前向きに動くのみだ。

投げかけて、それからは

2009-10-20 21:05:40 | 日記
先週の木曜あたりから上司のS氏と話していることは、当社の社長が「観光部門で結局何がやりたいのか」不透明だということである。
方向性がはっきりしないから、何を準備していけばいいか分からず、S氏としても私たちに何を指示していいか分からなくなっている状態だ。
結果、となりのYさんとともに、何となく時間が余ることが多い。
毎日の日報は書いているが、埋める事柄が少なくて困る。

今日は朝方から社長じきじきに指示が出たが、数千円単位でお金をいただける街歩きコースを考案するというなかなかに厳しいものである。
新聞記事を参考に持ってきてくれたのはいいが、よくよく読んで見ると行政やNPOが無料で催している内容の記事だったのでまったく参考にならなかった。
この節、富山県からなら岐阜県あたりのアウトレットに行くような日帰りツアーでも5千円前後ではなかろうか。
地元の名所をチョロチョロ見せるような企画は、すでに公の機関やボランティア団体が手がけていてネタも出尽くした感がある。
そこに新参のわれわれが、見たことがあるようなコースでしかも有料、3千円や5千円取るつもりでいたら、いったい誰が来るのかという話である。
よほど高級な昼食でも組み入れないと納得はしていただけないだろう。

そんな、半分ボッタクリのようなチマチマした企画を考えるより、さっさと旅行代理店の免許を取って「大きく儲ける」ことを考えたほうが健康的である。
まだ業としての認可がない状態では大っぴらなことはなかなかやりにくく、企画自体が日帰りの街歩き中心に限られてしまう。
地元密着はいいが、どうせなら宿泊付きで、3日4日かけてじっくり楽しんでもらったほうがいい。
旅行業の免許があれば、よりスケールの大きい企画が現実に可能になる。
富山市のある業者では、写真家をガイド役にした世界遺産・五箇山の撮影ツアーという企画があった。
2泊3日で相応の料金を堂々といただく立派なツアーになっている。

私が入社してやがて2ヶ月にもなろうとする今に至っても、まだ旅行業の申請すらやっていないのは不自然だ。
そもそも本気でやりたいのか、やりたくても今はできないのだとすれば何がネックになっているのか、そんな大切なことに関して誰からも説明を受けたことがない。
下からの報告はしつこく求めるクセに、上からまったくモノが伝わらないのは矛盾もいいところだ。

免許のメドも立たないうちに金になるコースを考えさせるよりも先にやるべきことがあるはずだ。
前の会社でも似たようなことを感じたが、物事には順番がある。
行政のお墨付きを得てから、あるいはそのメドが立った時点でようやくお金をいただけるプランを考えても遅くはない。

本欄に書いているばかりでなく、今日の帰り際に社長あてに質問を文書で投げかけて会社を出てきた。
仮に旅行業ができなくなったとかやめることにしたなどとなれば、そんな会社に私がいる意味はなくなる。
単に観光部門のウェブサイトの更新・修正くらいなら私より上手な人はゴロゴロいる。
あくまで「質問」あるいは「意見」として投げかけたつもりの内容だが、「文句」とか「批判」に受け止められるかはまったく分からない。
もし後者となれば、お互いが根本的に相容れないことが判明する。
そうなれば、不本意ながらまたもや身の振り方を考えなくてはならない。

私が落ち着ける場所はいったいどこになるのだろう。