blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

11月を振り返って

2015-11-30 20:32:48 | 月末振り返り
※本エントリーよりタイトル他を変更、URLと書く人間は同じなので内容はさほど変わりませんが引き続きよろしくお願い致します。

毎月最終日はその月を振り返る。
いつもの月のように、仕事がどう、プライベートはどう、体調はどう、などの文章ダラダラではなく、今回は写真がたまっているので画像を多めに。
異常に雨がなかった10月と違って11月はそこそこの降水があったが、冬になる前のこの時期、晴れた週末はできるだけ外に出るようにした。
せっかく違う土地に来たのだから、いろいろ行っておいて損はない。

*15日(日):豊橋鉄道市内線と豊橋競輪場







昭和レトロを意識した場内がなかなかイカしていた。(←これも昭和の言葉か?笑)

*28日(土):Vプレミアリーグ春日井大会



この日は、第1試合が前節時点で首位の東レと2位の久光製薬の対戦。
全日本の代表がズラリと顔を揃える好カード、この日は久光の粘りが東レの勢いを上回った。
ちなみに第2試合はトヨタ車体とデンソーの対戦。
どちらも愛知県が本拠だが、いずれもここまでは下位に低迷、地元チーム頑張れ。
春日井での開催は近年なかったようで、私もいい時に来たものだ。

*29日(日):JR定光寺駅付近、愛岐トンネル群一般公開と紅葉











旧中央本線の廃線跡を整備して、春と秋、それぞれ約10日間ずつだけ公開している貴重なスポット。(当日は最終日だった)
愛知県側は春日井市のNPOが保存を担っているが、岐阜県側(多治見市)は、地権者の理解や予算、安全面等の理由で全くの手付かずである。
3枚目の画像の向こう側は岐阜県。
全線を整備すれば、鉄道遺産として、また観光資源としての魅力はさらに増すと思われるが、こればかりは岐阜県側の対応を待つよりないのが現状のようである。

*おまけ:熱田神宮内のシキザクラ。




ここ数日は、いよいよ冬近しを思わせる天候が続いている。
雪は少ないと思うが、真冬は風が強い土地のようだ。
寒さはたいして変わらないわけで、12月も是非気持ち良く乗り切って、すっきりした気持ちで2015年を終われればと思う。

残業は美しいか?

2015-11-27 19:59:15 | 日記
かつて富山のある職場では、相当に仕事が増える日は定時で全て終了となるとなかなか難しい状況があった。
ただ、そういう日でも定時帰りをする人には、何となく冷たい目が向けられたものだ。
「通常の日はいいがせめて忙しい日くらいは」的な感情が私にもあったことは否定しない。
これとは反対に、「稼ぐなら残業だ」と堂々と口にしながらダラダラと毎日残る人間もいて、それはそれで「恥を知れ」とも思った。

残業はあくまでイレギュラーなものである。
この考え自体が世間一般の感覚に近いのかどうかは分からないが、形式的には、真にやむをえない時に命令に基づいてやるのが残業である。
実務的にいちいち命令などしていられないから各人の良識に任されているが、当日やるべき最低限度のことをやったらサッサと帰るのが筋だろう。

私は現在の職場に来てから残業はしていない。
日中はアナログな手作業も多いし体力的にもつらく忙しい時間もあるが、今のところは指導担当者の段取りのおかげで定時を過ぎるような事態にはなっていない。
当然ながら収入は激減しているわけだが、やるべきことが終わっているのに無理やり会社に残ろうとは思わないし、肉体労働でいたずらに残業していては体がもたない。
せっかく会社が考えて性格にフィットする場をくれたので、ゼニ金のことで文句を言ってはそれこそバチが当たる。

富山にもいたかもしれないが、当地にも毎日毎日決まって長時間残業をやっている人間がいる。
仕事の量に関して私やその周辺と明らかな差があるなら分かるが、どうしていつも遅くなるんだろうという疑問が直の上司の口から出るくらいだから、仕事の量は大したことはなく、どこかでペースを落としてダラダラと長くやっているというのが実情だろう。

こういう人間に限って「仕事できるアピール」がきついのが常である。
ボソボソと「忙しい、忙しい」とつぶやきながら始業終業のチャイムなど意識もせずに動き出し、やることがあるからと出席しなければならない勉強会も勝手に欠席、日常的にも無連絡で行方不明などおよそ常識に欠ける行動が目立つ。
仕事の進捗を聞かれれば、二言目には「オレがやってるからカンペキ」と口にする。
そこまでカンペキなら毎日しっかり定時に終わらせることができるはずだが、それができないのは能力と自信のなさを自らさらけ出しているようなもので、他人に対する指摘だけは一丁前という典型的な勘違いオボっちゃまと言えよう。
上司の再三の注意も聞かず、誰の手伝いも拒んで自ら仕事を抱え込み、長く会社にいて残業代をせしめようとは相当な大物だ。
こういう寄生虫のような、と言っては寄生虫にも怒られそうな人間はとっくに放逐されていておかしくないのだが、一つだけ確実なことがある。
その人物が困った時に心から助けようとか手伝おうとかは、すでに周囲の誰もが思わなくなっているという冷酷な事実である。

こういう手合いは、修学旅行の高校生を乗せた船が沈没して我が国の海上自衛隊が救助を申し出たがあろうことか断って300人もの若い命を海に沈めた半島某国と同じで、自ら滅びる道をすでに選んでいると言うべきである。

リセット

2015-11-23 21:53:00 | 休日
この3連休は、ひと月半ぶりに富山に帰っていた。
初日は朝早くに自宅を出て、休み休みのんびりと向かった。
この日は実家のある魚津に行く予定はなかった。
夜に富山の仲間たちと飲むことになっていたからだ。

ホテルに入れる時刻までの間は、お世話になっているクルマの販売店に行ったり、少し前までの自宅があった場所にほど近いスーパー銭湯に行ってリラックスしたりと気ままに過ごした。
ホテルに着いてから一休みし、19時の約束に間に合うように出て行った。
久々に会う仲間と夜遅くまで楽しんだことは言うまでもない。
それぞれの先には心ばかりのお土産を持って行ったが、誕生月ということもあってか思いがけずプレゼントが出てきたのには驚いた。
こちらは、お土産をどうするかで帰る前から頭がいっぱいで、何かをもらえることは想像していなかった。

次の日は、夜更かしした体を引きずって魚津の実家に行った。
実家では念のためにクルマのタイヤを冬用に交換するという小さな用事だけがあり、その他の時間は食事とフロを除いてはほとんど横になっていた。
前日にさんざん飲んだ疲れもあるだろうが、やはり知らない土地で生活を始めてまだひと月半あまり、たとえ休日であってもどこかに緊張があったのかもしれない。
実家に帰って一度心と体を完全に緩ませることができたのは、タイミング的にも良かったのだと思う。
疲れのバロメーターとも言える、顔や首筋のデキモノが急にひどくなってきていたところだった。

対照的な土日を過ごし、祝日の今日は当地に戻るのみだった。
早い時間に目は覚めたが、急ぐ必要はないと思っているからまた眠ってしまった。
結局10時前に実家を出て、休み休み、食事や買い物を挟みながらダラダラとクルマを進めて、自宅に着いたのは夕方になっていた。
本欄を書いたら早々に休まなくてはいけない。

それにしても、異動が原因とはいえ、富山市という場所は私にとっては単なる「旅先」になってしまった。
仕事と生活の拠点が他県に移り、帰省先といえば魚津になるから、今は拠点になるものが富山市には何もない。
会社の拠点はあるが、今の立場からして訪れることはほとんどないだろう。
富山市は遊びに来る場所以外の何物でもない、そう思うと、見慣れているはずの風景も微妙に違って見えたから不思議である。

とはいえ、自分のことをよく知り、顔を見れば温かく迎えてくれる仲間がたくさんいる土地であることには疑いはなく、時々の帰省の機会には、時間の許す限りなるべく多くの人と顔を合わせたいと思う。
幸い当地での仕事や生活に大きな問題はないし、当地でもリラックスできる時間と場所をこれからもっと作っていくつもりだが、大切な場所を忘れるつもりも毛頭ないのである。

指導と指摘 PART2

2015-11-18 20:26:03 | 日記
gooブログでは、アクセス数の多い記事を上から10件、毎日更新されたものを見ることができる。
その中でほとんどベストテンから外れることのないエントリーが、2010年7月12日付「指導と指摘」だ。
無名の人間が5年も前に書いたものが時を経ても日に10PV前後を稼いでいるのは不思議でもある。
人間関係、特に仕事場において、この問題がある種普遍的なテーマであることの裏返しということかもしれない。

さて、今の職場に来て約一ヶ月半、自分自身のやるべきことについては、日々の流れも含めだいぶ慣れてきた。
私自身に関しては、この先肉体的にも精神的にも急を要する状態になることは考えづらい。
特に、フォークリフトを中心に乗り物を動かしている姿が傍目には楽しそうに見えるようで、最近同じセクションの年の近い方と飲みに行ってそういう話を聞いた。
自信を持ってやれる仕事だと、自然に表情も落ち着いて気持ちにも余裕が出てくるということか。

他人を心配している場合ではないと言われるかもしれないが、心配なのは我がセクションにいる新人の男性である。
仕事の上で失敗が多く、同じことを繰り返している現状はあり、直接関わる人間からは毎日のようにお小言をいただいている。
新人さんといえどもプロだから同じことを何度も言われるのは避けなくてはならないのだが、学校を出た直後の人間に多くを求めるのには無理がある。
言う側が必要以上に追い詰めるような感じやクドクドと長ったらしい言い方をするので、毎日のことながら聞くに堪えない。
彼が今のセクションに配属されたのは夏場のようなので当初のことは知らないが、周囲がゴチャゴチャ言い過ぎることで未来のある若い人を萎縮させてしまっているようにも思える。

物事をやっていく上で、恐怖心は最大の敵である。
彼にとってみれば、周囲から浴びる言葉は、違っているとかダメだとかいう「指摘」ばかりだから、仕事に恐怖心が芽生えていても不思議ではない。
ではどうすればいいのかという投げかけとか、手本を示すために実演してやってみるとかという「指導」の場面にはトンと出くわさない。
本人も何か意見を言おうとするのだが、その話を聞く前に言葉をかぶせて黙らせてしまうから一層タチが悪い。

結局、明らかに力も経験も劣る相手をつかまえてウダウダやってしまう人間というのは、その新人さんに自信をつけてもらって自分以上の存在になってほしいなどとはこれっぽっちも思っていない。
事業所内では必ずしも花形とは言えないセクションにあって、自分が「実力最下位」の烙印を押されるのを恐れるが故、今のところは圧倒的に弱い人間を半ばいじめることによって精神の安定を保とうとしているということであろう。
実力が最下位かどうかはともかく、人に言えるほどのものはない、むしろ長年経験を積んでなお落下や破損などシャレにならない失敗をしていることは私もすでに知っている。
弱い人間をストレスのはけ口や自分の実力のなさの隠れ蓑にしようとする人間の話など、半分以下で聞いていればよいのである。

小さくても旅は楽し

2015-11-16 20:52:00 | 休日
写真は、JR豊橋駅前のイルミネーションである。
昼間を豊橋市内で過ごし自宅に帰ろうとして駅に着いたところ、ちょうど点灯式が行われる時間だった。
しばらく足を止めて、電球が灯る瞬間を見届けた。
これから寒い時期の間、駅前を光で彩るようである。

豊橋へは、例によってJRのとくとくきっぷを使った。
新幹線は使えないが、東海道本線の特別快速には乗れる。
中央本線沿線に住む私にとっては乗り換え駅は金山であり、そこから50分足らずでもう豊橋である。

地図で見ると静岡県もすぐそば、わざわざ愛知県の東の端までやってきたのも、当地のG3競輪を見るためである。
豊橋がホームバンクの深谷知広選手(96期・愛知)が順調に勝ち上がって決勝レースでも人気を集めていた。
地元で優勝し、気持ち良く週末のG1競輪祭(小倉)へ、と行きたかったところだが、積極的な仕掛けが見られずマクリ不発で9着惨敗となった。
後ろを固めたのが同じSS班の浅井康太選手(90期・三重)ということもあったのかもしれない。
自力でも十分に強い選手が後ろだと仕掛けのタイミングに悩むのは致し方ない。
別線の先行選手がスピードに乗り切った後ではいくら深谷選手といえども巻き返すのは難しかった。
年末のグランプリに出るには競輪祭で優勝するしかない。
経験がモノを言う競輪の世界で、20代でSS班にいるのは高い能力があればこそだ。
本人の中で気持ちが切り替わっていればいいのだが。

あまりいい写真がないので載せられないが、豊橋競輪場の場内はズバリ「昭和レトロ」がコンセプトになっていて、今や至る所にできた◯◯昭和館的な雰囲気が楽しめる。
秀逸なのは、地元選手を使ったパロディーの映画ポスターだ。
昭和30年代あたりのものをイメージしたのだろうか、ネーミングなどよく考えられていて思わず笑ってしまった。
車券は残念ながらマイナスではあったが、CSチャンネルお抱えのアイドルのライブや元トップ選手の予想コーナーなど想像以上に楽しめた。
公営競技場の訪問コレクションもまた一つ増えて、有意義な小旅行であった。

帰りはお腹が空いたので、金山駅で一度下りて駅前近辺で食事をとった。
富山で行きつけにしている居酒屋のマスターがすすめてくれていた手羽先唐揚げのお店にようやく行った。
名古屋を中心に店舗はたくさんあるようだが、金山の店舗は大げさな店がまえではなく、どこにでもある小料理屋のようだった。
料理人の推薦だけあり、味の良さは言うまでもない。
金山駅は、最寄駅から見て名古屋駅の一つだけ手前の駅で、少しだけ運賃も安いので、今後は案外金山に多く来ることになるのかなと感じた日曜の夜であった。

テレビの話

2015-11-12 22:14:04 | 日記
前回の続きのような流れで、今度は当地に来てからのテレビについて。

現在は特に自分ならではの仕事がなく他人のヘルプが中心で、帰りが遅くなることはしばらくはない。
会社と自宅は近いから、終業のチャイムが鳴ってまっすぐ帰れば20分後には自宅の中にいる。
となると、各局の夕方のニュースをしっかりチェックできてしまう時間帯、ということになる。
全体を見渡せば時差出勤など大変なところもあるが、私の仕事に関してはベテラン社員の指導と管理のもとで段取りが遅れたりはしていないから、あくまでやるべきことを片付けた上でサッサと帰っているということである。

地上波放送のチャンネルも富山と比べれば多いので、各局の6時台のニュースを見比べてもいいとは思うのだが、富山にいる時と同様に何となくNHKに合わせてしまい、他の局にあえて合わせようとは思わなくなってしまった。
CMが入らないことがまずは大きく、また若い女性キャスターの方が春日井市の出身とあったので、移ってきたばかりながら身勝手にも親近感が湧いてチャンネルを変えることができない。
ちなみにNHK名古屋局は広く「東海北陸」をカバーする番組作りも行っており、金曜の夜や土曜の朝は富山でも名古屋局制作の番組が見られる。
天気予報や道路情報も北陸地方を含めたものでやってくれるから、遠くて全然違う土地に来たという感じがしない時もあるのだ。
いろいろな要因が重なって、民放ネット局のローカル番組を見ることは今までのところはほとんどないということになっている。

では、地元の情報はNHK以外からは仕入れないのかというとそうでもない。
自宅にCATVの配線が来ている関係で、地元CATV局の二つのチャンネルがパススルーで見ることができてしまう。
こちらは取材地域が名古屋市の北側に位置する自治体を中心としていて、超の付く地域密着型の放送だ。
ネット局が作るローカル番組は県単位の広がりはあるが、CATV局のそれは◯◯市や△△町の話題となる。
名古屋ばかりが愛知県ではないし、自宅も名古屋市内ではないので、かえってこういう「どローカル」な番組を見る時間の方が多くなっている。
事件や事故などの殺伐としたニュースがないのも安心だ。

春日井市は名古屋市に接していて、自宅のある場所から名古屋市中心部までは10km程度しかない。
とはいえ、名古屋はあくまでも用事や遊びに出る場所という感覚はしばらく消えないような気がする。
不便では全くなく、しかしクルマが大いに活躍できる点で、私にとっては結構「ちょうどいい」ところなのだと思う。
名古屋で用事があっても終わったらすぐに帰りたくなるのは、縁あって住むことになった土地に早くも馴染んできた証拠なのかもしれない。

当地の言葉

2015-11-10 20:41:19 | 日記
愛知に来てからひと月あまりが過ぎた。
土地が違えば当然言葉も違う。
愛知県は名古屋市を中心として人口が多いから、いわゆる名古屋弁は少なくとも富山弁よりはメディアに露出する機会も多いだろう。
芸人さんやタレントさんがやや大げさにマネをしているのもこれまで多く聞いてきた。

果たして、短い期間ながら実際に周囲の人の言葉を聞いていると、テレビなどでよく聞いていたステレオタイプな名古屋弁はトンと聞かない。
デラだのガヤだのといった世間に流布しているものは、これまであまり聞くことができていない。
これまでで最もよく聞いているのは「~でえ」とか「~だでえ」という言い回しである。
私がいる職場はベテランが多いし、どちらかというと同世代より上の人が使う印象はあるが、最近は電車の中で若い女性も使っていた。

こういう言葉使いは誰かに似ているとモヤモヤしていたのだが、元騎手で評論家の安藤勝己氏の話し方がそうだと気付いた。
出身は愛知県で、岐阜県の笠松競馬で活躍していた方であり、インタビューやツイッター上でも名古屋弁に近い話し方になることがある。
職場にはアンカツさん同様に飄々とした性格の方がいて、言葉がそっくりだからイメージがダブって思えるほどである。
最近はその方の後ろについて仕事を教わっているので、いずれ言葉がうつらないか心配(?)である。
富山に帰って「~だでえ」などと言ってしまうことはないと思うのだが…。

私は競馬が好きだから、安藤元騎手に関しては親交の深いライターさんが書いた本も何冊か持っているし、馬券の上でも大変お世話になった。
まだ氏が笠松所属だった1995年、笠松の強い3歳牝馬をパートナーに中央競馬のクラシック戦線に挑んだことは忘れられない。
桜花賞トライアルを圧勝し一躍注目を浴び、本番の桜花賞では一番人気を背負って4着だったが差はわずかだった。
氏の名前が全国区になったのはこの年からで、やがて中央競馬への移籍を果たし、その後の活躍は私が書くまでもないだろう。

この年私は社会人三年目、職場でも桜花賞戦線のことはチラリと話題になった。
桜花賞で氏が乗るライデンリーダーが4着に敗れたと知った時、30代の某先輩が「所詮草競馬の騎手が…ハハッ」と言い放った。
私は氏が笠松では圧倒的な存在であることを知っていたから、その反応は仕事で怒られるより腹が立った。
「にわか」を全否定するつもりはないが、表面的な結果だけでそう発言するのはいかにも底が浅いと思った。
地方競馬所属の騎手にそうやすやすとG1のタイトルを持って行かれてはたまらないと思う中央所属騎手の意地は当然ある。
スタートが良くなかったこともあるが、他の馬にマークされて道中はずっと包まれていたことを考えると、0.4秒差の4着は大健闘だった。

その先輩が今どこでどうしているのか、私は会社そのものも変わったから知る由もない。
あの桜花賞以後のアンカツさんのキャリアを紐解けば、氏が単なる草競馬の騎手でなかったことは分かるだろう。
私自身は、それ以来あまり裏付けのない下手な発言は避けようと思うことができたから、反面教師としてはいい先輩に出会ったのかもしれない。

いい時間

2015-11-08 19:39:20 | 休日
今日は当地に来て初めてと言っていいくらいの、何もしなかった日である。
10月が異常なくらいに天候に恵まれたため、平日は置いたままのクルマをどうしても出したくなってあちこち動き回ることが多かった。
朝から本降りの雨がまだ本降りのままの日曜日は、いよいよゆっくりすべき日と決め、朝寝も昼寝もかましてあっという間に夕方になっていた。
近隣の銭湯に行き、その後に食事をした以外は自宅にいることになった。
週に一度くらいは足を伸ばして入浴し、月曜以降に備えたいという思いが強い。

昨夜は旧友との久々の再会があって、名古屋駅付近で飲んでいた。
もともと自室で飲む性分ではないことから、お酒そのものが10月の3連休に富山市内で飲んで以来だった。
もう少しすれば自宅近辺でお店を探して飲むこともあるだろうが、ここまでは精神的な余裕がなくて実現していない。
チョイ飲みにしてもそれ以外(?)にしても馴染みのところができれば何でもかんでも名古屋ということにはならないし、選択肢は当地でも豊富にある。

さて、その名古屋での時間は、久々にアルコールを入れたこともあって楽しい時間になった。
段取りは相手方に任せたが、店の予約も特にせず当日の感覚で行動することになった。
一次会は居酒屋、肉料理を前面に出した店が多い中、おでんを売り物にしている小洒落た店だった。
話すことは昔から特に変わりはない。
ただ、運命のいたずらで互いに近い距離になったという実感がやっと出てきたような気がする。
二次会も特に決めない中、チラシを自ら配って熱心に誘ってくれた某アイドルグループのライブを見ることになった。
アイドルに関しては全く疎い私でも、決して広くはないステージで懸命に歌い踊る彼女たちを見ていて、素直に拍手を送りたくなった。
東京資本の分派とは違って正真正銘の地元発、活動歴も浅いながら地道にファンを増やしているようである。
さすがに深く投資をしていく気にはならないが、貴重な経験ができた。
相手が仕事帰りでもありまだ早い時間に終了したものの、昨夜の全てに感謝したい気持ちだ。

自宅を会社に近い場所にしたこともあり、平日はどうしても自宅と会社の往復になりがちだ。
以前にも書いたが、休日は仕事を頭から追い出して文字通りガラッと行動を変えて気分転換を図ることが健康的だ。
ドライブやお酒も悪くはないが、新しいことを始めてみるのもいいだろう。
一つのきっかけを昨夜友人からもらったような気もするので、身につけられるものは貪欲に追求したい。
仕事は、どんなにやりたくてもいずれタイムリミットが来る。
自由な時間をうまく使い、自分に投資を惜しまない格好にして、仕事以外の人生をもっと充実させることを今の年齢から考えてもいいと思う。
思いつくことをやって誰かが文句を言うわけではない。
今年のうちに来年に向けての助走くらいは始めておきたい。

willの使い方

2015-11-06 22:37:14 | 日記
中学か高校かどちらかの英語の教科書の終わりあたりだったか、助動詞の特別な使い方の説明が載っていた。
助動詞のwillといえば、通常は未来形として使われるが、特殊な使い方として「○○は××するものだ」という表現をする時にwillを使うとあった。
People will talk.とあれば、人は話すものだ、となる。
他人の言うことばかりが気になる人にかける言葉の例として出ていた記憶がある。

いろいろな環境を経験してきたが、どこに行っても感じるのは、まさに人というのは話すものだという単純な事実である。
このひと月の間、残念ながら、仕事の手を止めてまで株を中心としたもうけ話に没頭するやら、誰に向けて言っているとも分からないようなボヤキやグチ、あくまでも自分が正しいと信じて疑わないがための聞き苦しい言い訳、文字通り重箱のスミをつつくようなくだらない指摘など、気にするのもバカバカしいような言葉を多く聞いた。
来てひと月の人間などまだまだ異物扱い、教えられてもいない阿吽の呼吸に近いことをいちいち言われてしまうのは仕方がない部分もあるが、自分を棚に上げて何を言っているのかと思う。
慣れない新入社員をいじめているヒマがあったら、自らの段取りを省みてほしい。
自分がラクをするためだけに他人にイヤミを言って好きに動かそうとするのは、いい大人としていかがなものかと思う。

あまりこういうことばかりを書いているとまたかつての恩師に怒られてしまうのだが、世の中には上がいるもので、最近まさに知る人ぞ知るブロガーの存在を知った。
内容的には、生活の断片を記すオーソドックスなもの、ボヤキ的なもの、かなりファンタジックなものもある。
更新はほぼ毎日、日に複数回もザラなので、知る人にはかなり注目されているはずである。
他人のブログをあまり頻繁には見ない中で楽しみが一つ増えた気がしている。
形態はどうあろうと、何かを表現しようとしている人には共感してしまうのである。

明日は名古屋市内に出て久しぶりの飲みである。
相手とは、長い付き合いながら決してなあなあではなく、たとえメールでもお互いに挨拶から入るという極めて気持ちのいい関係である。
親しき仲にも何とやら、長続きする関係はまさに互いをリスペクトしていないと成立しない。
オレがオレがと主張ばかりが強いメンバーに囲まれる平日だけに、気分を入れ替えて磁石を元に戻すのにはいい機会だ。
飲み過ぎには注意して、楽しい時間にするつもりである。

節目を過ぎて

2015-11-04 20:10:11 | 日記
11月は私の誕生月である。
もう誕生日は過ぎ、順当に一つ年をとった。
この年齢になってみると、直接のメッセージなどをもらうことを除いてはあまり嬉しい気持ちにはならない。
ただ、どんなに強い横綱でも一日に二つ勝つことはできないのと同様、年齢も一年に一つしか増えない。
毎年のことながら、次の誕生日までを悔いなくいい一年にできるようにと思うだけである。

さて、その誕生日は朝から雨であった。
当地に来てから雨が降っている光景を見たことがなかったのに、狙ったように降られた。
飛び石連休の中日、「雨の日と月曜日は」(カーペンターズ)よろしく、テンションの上がらなかった人も多かったかもしれないが私もその一人であった。
さすがに自転車は出せず会社までは歩いたが、15分程度だったから個人的な不便はなかった。
職場でも誕生日云々の話題は振ってなく、いつもと同じように淡々と仕事をした。
せっかくの節目の日に大きな失敗もなかったことが何よりだ。
夜は特に飲みにも出なかったが、こちらは文化の日が休みではなかったので仕方がない。

愛知に転勤してひと月、新しい環境に不安はまだ残るものの仕事の中身はかつての富山での経験が生きている。
細かな方法論の違いはあるが、もともとが違う会社だったからこれまた仕方がない。
まずは人まねから入り、それで問題なければOKである。
言葉の成り立ちとしては、マネル→マネブ→マナブという流れ、と聞いたこともある。
まずは人まねができることが何かを覚える上では第一歩ということか。
私は芸人さんではないが、モノマネが演芸の基本ということと本質は同じだろう。

仕事を中心に日中の振る舞いに慣れることが第一だったため、夜にちょっと一杯あたりのことも当地ではまだできていない。
週末にはようやく最初の機会がやってくるが、地元富山の旧友との久しぶりの再会ということで大変ありがたい。
当人はずいぶん前から中京地区に住んでいるので、いろいろと教えてもらえるかもしれない。
相も変わらず多忙な生活を送っており当日も会社帰りだそうだが、同じ県内で生活することになった縁に改めて感謝して大いに楽しみたいと思う。

何度も書いているように、2015年は途中体調を崩すなど全体としては順調にいっていない。
せめて10月からの3ヶ月はいいものにしようと意気込んで、最初の1ヶ月は思った以上にうまく過ごすことができた。
つらい経験はあったとはいえ、この際最後に笑って終われればそれで良いと割り切りたい。
一度底をついたら後は上がる一方と思って、日々を明るく前向きに乗り越えていきたい。