blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

1月を振り返って

2024-01-31 21:58:45 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
元日から能登半島では大地震があって、もう1カ月とは早いものだ。
いまだ被害の全容は分かっていないし、最も被害の大きかった石川県のみならず我が富山県でもこれから新たな被害(液状化による家屋への影響など)が出るのではないかとも言われる。
復興などという安直な言葉は今は通用しない。
まずは元通りの生活を取り戻す=復旧が最優先の課題ではあろう。

安直と言えば「がんばろう〇〇」などという物言いがまたも大手を振ってしまうお寒い現状がある。
今さらがんばろうなどと言われなくても北陸は十分がんばってきた。
さすがに今は公に表現されることはないが、北陸も含めた日本海側はかつてはウラ二ホンなどと呼ばれて容赦なく根拠なく蔑まれてきた。
それでも「住みやすさランキング」の類には北陸地方の自治体が軒並み上位に顔を出す。
冬季の降雪による生活の不便さはあるし、実質クルマがなければ生活が…という部分はあるにせよ、何らかの基準を満たしているからランキングに出てくるので各市町村単位ではがんばっているところが多いと言える。

さて、年が明けてひと月、地震の影響もあるのかメーカーさんも忙しくなり当然に我が現場も忙しくなった。
仕事があるのはありがたいことだが、現場仕事で毎日20時前後というのは隔週土曜休という条件も考えるとかなりこたえる。
仕事から帰ると翌日に備えて早く寝ることが主になってしまうし、休日もひたすら疲れを取ることに専念せざるを得なかった。
長かった正月休みには写真撮影のために外に出ることもあったが仕事始め以降はあまり外に出ることはなく写真がほとんど増えなかったのは残念だ。

正月早々、大地震が私自身何度も行ったことがある地域で起こるという悲しい出来事があったとはいうものの、年末年始のまる1週間が休日であったことはずいぶん恵まれていると感じたが、最近になって思わぬ落とし穴があった。
我が現場は12月29日~1月4日までのちょうど1週間が休みであったが、そのうち12月の29~30日、1月4日の計3日分の休暇届けを出せと言ってきた。
富山の我が現場ではなく別の現場がその3日間は働いていたので、それに合わせるということらしい。
形式だけ合わせるのかと思えばそうではなく、有給休暇日数のある社員は有給日数を3日ゴッソリ削られ、まだ有給休暇がない社員は3日間分がまるまる欠勤扱いとなり給料から小さくはない金額が控除された。
まだ歴の浅い私は、せっかくの年末調整戻り分がほぼ全額吹っ飛ぶ形となり残業の多かった年末年始を考えて多少は期待していた手取り額が案外なものになってしまった。

高齢化著しい我が職場にあっては、仕事は生活のためと割り切っている層が大半である。
であればこそ、お金の話は後出しでコッソリやるのではなく事前に説明があるべきだった。
現場の責任者の指示で与えられた休日によって有給日数もしくは現金収入が後から削られるなどというのは他国であれば暴動モノだろう。
朝礼の話を聞いていれば、我が現場単体でも必ずしも余裕のある業績ではないし、他の拠点まで広げれば大変厳しいようではある。
余裕がないと言えば、もともとの給与体系が各県の最低賃金を「意識」したものになっている時点でお察しということであり、給与明細に謎の手当てがくっついてきて(=最低賃金が上がり基本給の部分が最低賃金に満たなくなった分を補正)社員から疑問の声が出てようやく説明があるというありさまで、世の賃上げの波にはハナから乗る気がないか乗れる状況にはないということであろう。

間もなく今の現場に来てから半年が経とうとしているが、仕事にも慣れた今のタイミングで見えてきたものも多くあり、当初とは会社の「見え方」が変化してきたことは否めない。
雇う方も雇われる方も最初の半年間くらいは「互いにとっての」お試し期間であって(いわゆる試用期間の多くは6カ月)雇用側が今後ダメだと思えば労働者はクビになるし、労働者側がダメだと思えばその意思を伝えて会社を捨て去ることができる。
6か月という期間は会社というところの状況を知るのにはちょうどいい時間である。
もうすぐその節目を迎えようという今、特段の話し合いがなければそのまま継続とはなるだろうが、継続でもそうでなくても、私としてはできることを日々悔いなくやるのみである。
やれるだけのことをやって仮にダメであっても人生が終わるわけではない。
今の環境に縁がなくても、きっとどこかでまた輝くことができるだろう。

職場とは戦場なり

2024-01-19 21:01:46 | 日記
今日の朝礼では人の異動の発表があった。
我が社は元をたどれば富山県ではなく他県が本拠であり、その県のナンバーを付けた車もけっこう見る。
何も当人の富山での最終出勤日にいきなり発表することもないと思うが、数か月前には当時ただひとりいた女性の事務員さんがやはり本拠のある県に帰るというので最終日に発表があったから「そういう会社」ということだろう。

その方は現場ではなく事務方なので今まで会話もできないままであったが、今日はたまたまメーカーさん側の倉庫に作業の手伝いがあって行ったらその方もおられた。
「この作業は初めてですか?」と話しかけていただいて、最後の最後にわずかだが会話をすることができた。
当人は富山では今日が最後であったからか、メーカーさん側の何人かと連絡先を交換する姿があった。
仕事の話だけの関係なら勤務地が変わるからと言って連絡先の交換まではしないと思うが、本拠に帰ってもある程度は富山とのつながりが残るのかもしれないし、そこのところはよく分からない。

作業の手伝いは30分程度で終わったので我が社の現場に戻ると、私が仕事をするスペースにフォークリフトが2台、ご丁寧に縦に並べられてとまっていた。
担当者はふたりとも休憩ということで2階に上がっていたようだが、本来リフトをとめておく場所は決まっていてそことはまったく違う場所でしかも私の仕事に思い切りジャマになる。
面倒くさいので動かしてもよかったのだが、今までにはなかったことなのでまずは現場保全、証拠保全のために写真を撮影して、不便を感じながらも仕事を続け担当者の帰りを待った。

休憩が終わった担当者がオロオロと2階から下りてきたので、ひとりをとっつかまえて「なんでココに置いた?」と聞いた。
「{私が}いなかったから」と聞き苦しい言い訳をするので「人がいようがいまいがリフトをとめる場所は決まっているだろう?」と返した。
普通なら「ジャマになってたんだったら悪かった」くらいの一言があってもいいが、何も言わないので「悪いけど写真撮ったし」の一点張りで押し通したら「なんで写真なんか撮るの」と逆ギレして最後には何かブツブツ言いながら去って行った。
どうやっても謝らないということは、意図的に私の仕事にジャマになるように、もしくは私に反感を持つ誰かの命令を受けてわざわざイレギュラーな場所に駐車するという嫌がらせ行為に及んだということだろう。

ことの重大さを考えれば当事者どうしでは当然終わらせられないので、事務所に足を運びちょうど在席していた社長に直接報告した。
撮影した写真もちゃんと見せたので、状況は理解してもらえたと思う。
結果がどうなるかはともかく、嫌がらせを受けても絶対に泣き寝入りはしないという強い意志を示しておかないことには今後は言われっぱなし、やられっぱなしになってしまうからこちらも必死である。

ラジオ体操をやらないメンバーのことを社長と話してわずか2日後にこの仕打ち、分かりやすいと言えばそうだがいいトシをして小学生でもやらないような物理的な嫌がらせに及ぶとは何とも幼稚な集団である。
私としては決してひとりで抱えて悩むことはしないで文字通り速攻で誰かに話す。
組織の中にいるのだから、発言力の強い人にとにかく話す。
そうしなければ、職場という戦場では生き抜いてはいけない。

どうしても、何をしてでも私の足を引っ張って引きずり下ろしたい人間など何人いてもかまわないわけだが、「お前なんか、お前なんか」で接してくる人間はいずれ自滅する。
こうやって私と争って何らかの穴に落ちなかった人間は今までただのひとりもいない。
短期的にはコチラが負けても数週間数か月経って本人(たち)が会社から処分を受けるとか、あるいは会社そのものが経営破綻するとか、必ず何らかの報いを受ける。
今の職場であれば、事務の方が一名異動したタイミングでもあり私が近日中に事務方に入ることだってないわけではない。
コイツの言うことなんか聞いてたまるかと思っている相手から会社としての指図が出てくることほど屈辱的なことはないだろうが、嫌がらせをするような人間にはそういった可能性を考えるアタマが残念ながらないということである。

いわゆる底辺と呼ばれる業種にいると、世の中の9割はただただ感情に流されて自分では何も考えないという言い草もあながちウソではないなと思えてくる。
私自身は間違ってもそう思われないよう、実際に人様からどう見えているかはともかく、絶対にその9割には入りたくないと思って日々暮らしている。
まだ昼にもならないうちから疲れた疲れた早く帰りたいを連発しながら他人様には嫌がらせをするような向きは間違いなくその9割の一部だ。
人の風上にも置けないポンコツ社員は、自宅といわず親族のいる土地にサッサと帰ってほしいのである。

パワハラはヒトゴ〇シ

2024-01-17 22:13:48 | 日記
今朝はよく晴れていて日中も雪や風の影響もなく順調に業務が過ぎた。
ただ晴れていると朝の冷え込みは厳しい。
私のクルマは住まいの建物から少し離れていて、最短距離で行くには鉄製の階段を下りてクルマに向かう。
路面は雪が降りそうな時に井戸水を流してくれるのでクルマが出られない心配はないが、冷えているとその水が凍結する。
そこに気づくことができず朝っぱらから滑って派手にコケてしまった。
右腕と右の腰を軽く打った程度で済んだからよかったが、今週は早番でもあるので足もとには十分気を付けなければならない。

今夜は住まいのある地区の会合が予定されていたが、秋の運動会の時の段取りの悪さ(=前日に豪雨がありながら前日のうちに中止を決められず日曜の朝6時半に会場に集められ結局中止で帰される)に閉口してその種の集まりにはそれ以来行っていない。
市の広報が配られるだけのために町費を月あたり500円取られるのもバカバカしいところ、お金は対面での集金という時代遅れ感ハンパない役割が数か月に一度回ってくる。
支払いすら拒む気はさすがにないから口座さえ指定してもらえれば今ならスマホでもすぐに手続きができるのになぜこんなシチめんどくさいやり方をするのか。
ロクに選挙もせず同じ人が某政党の委員長よろしく区長を長々とやり続ける硬直した体制では便利な方法さえ思いつかないということか。

さて、職場のウザい某ベテラン氏とは今日はからみはなかった。
しばらくおとなしかったものが、実はいつか揚げ足を取ってやろうと待ち構えていたような人間と分かればそこはさすがに再度警戒する。
ミサイルを飛ばしてくる国を警戒するのなら、職場で「実弾」を飛ばしてくる人間を警戒するのも同じことだ。
とにかく姿が見えればあからさまに警戒している様子を見せる。
人として嫌われ完全に警戒されてしまうことはこういうタイプには案外重いようで、さすがに必要性に乏しいウザがらみをしてまで何かを言ってくることはない。
ここ数日はフォークリフトに私物のカメラを大っぴらに設置していて、立派な抑止力として機能してくれているのもあるだろう。

当人の言動を見ていれば、これまでも決して指導の意思のない指導(=パワハラ)によって何人もを退職にまで追い込んでいるはずである。
そこまで追い込めば相手の仕事場を奪い収入を奪い生活を奪い人権を奪うことになるわけで、これはもはや殺人とほぼ同義である。
パワハラ≒殺人という認識が世の中に広まらないことには、我が職場のみならず至る所で志半ばで職場を去る人はなくならない。
パワハラをする人間は、自らが相手を追い込んでおきながら相手がいざ辞めるとなった時「辞めるのはそいつの選択、そいつの人生」などと平気の屁のカッパで口にして責任逃れをするもので、もとより人間の心など持ち合わせてはいない。そんな人間もどきに対しては社会的にもっともっと重大なペナルティーを科すような議論がされてもおかしくないテーマと言える。

今日はその人間もどきが何やら他の人と大事そうな話をしているのを見たが、あろうことかこれから出荷されていく大切な製品に背中から寄りかかっていた。
今の地位にそれこそ寄りかかって仕事そのものをナメてかかっている人間もどきに指導される筋合いなど本来はない。
指導の意思など一切なくただただモノを言うことを目的にモノを言う、単なるチンピラヤクザの言いがかりと変わらない振る舞いをする者を相手にしているヒマは私にはないのだ。

心ならずも我が職場を去っていった人たちのためにも、ただのヤンチャくさいド田舎の爺さんなどに負けることは絶対にあってはならない。
何かよからぬことがあれば毅然として対応し、永遠に黙らせておかなければならない。

あきらめきれない人

2024-01-16 19:56:12 | 日記
月曜が祝日だった先週は、やはり仕事が集中してかなり時間がかかることになった。
めったに遅くならないわが職場だが、やることが多ければある程度遅くなるのは仕方がない。
今はいわゆるサビ残などは許されない世の中になったから、残って仕事をした分はしっかりと手当が付く。
残業時間などは普段からあまり関心はないしましてや前もって計算することもない。
昨年末のクリスマス前もずいぶん長く会社にいたから今回はけっこういくかな~などと考える程度である。

土曜が休みだったため先週の勤務は4日間だけであったが、会社にいる時間が長かったこともありあまり外に出る気にならず日曜には貴重な休みで日も照っていたのに昼寝をしてしまった。
15時くらいに横になって目がさめたら21時くらいになっていたから、結果的には先の週末は休むことが正解だったと言えるだろう。

休養十分で今週の仕事に向かっていったものの、思わぬ滑り出しとなった。
ミスをしたとかではないものの、不用心に私のフォークリフトの真後ろを歩く人間がいて危うく接触しそうになった。
それを見ていたベテランの某氏が一方的にこちらを怒鳴りつけてきた。
歩行者帯すらロクに整備されておらず現場ではどちらが優先なのかさえアヤフヤなままの状況にあって、運転側がすべて悪いとでも言いたげな反応には納得しかねるものがあったが、実は氏が私だけを怒鳴った背景には別の理由があった。

この件があって数十分後のこと、氏が他の社員と談笑している中で「久しぶりにやっつけてやったわ、ガハハ」と言っていた。
やっつけられたのは他でもない私であって、どうやらしばらくミスも出さずに仕事をしていた私に何か言う材料もなく勝手にウップンをためていたらしい。
ヒヤリとする事態をとっつかまえて待ってましたとばかりに怒鳴りつけてきたところを見るに、私に何か言うことをあきらめきれないで機会を虎視眈々と狙っていたようである。
まったくヒマな人間というより他はない。

当人はヘルメットを脱げば髪は真っ白の短髪で相当な年齢と思われる。
いちおうは指揮系統のひとりとしているものの、実際のところは我が現場のエース社員ひとりがほとんどの段取りを決めており当人が機能している場面はあまりないし、当人自ら現場のことはその社員の頭に描かれている線から外れられないと言っていた。
つまり、日頃の段取りは若い社員に放り投げておいて自らは考えることはしないが態度だけは指揮系統の一員という面倒くささ満載、老害そのものの存在である。
社歴はエースより短いので面と向かっては何も言えず、かと言ってエース以上のアイデアを出す能力はなく、しかし若いエースが現場を仕切る状況は実は面白くないという身勝手で屈折した感情を抱えて仕事をしているから、エースにはべたべたの敬語だが歴の浅いものには八つ当たりやイヤミっけの多い指摘をしてウップンを晴らすというわけだ。

こういう系統の人物が複数いる我が現場の雰囲気は文字通り殺伐としており、いくら若いエースが奮闘しても限界がある。
能力がないから若いエースの言うことを聞かざるを得ないのに、そのことに勝手に不満を抱いてそのウップンを下の者にぶつける。
特にエースが昼休みなどで現場にいない時は、普段抑圧されている感情が弱い立場の者に突如として降りかかることも少なくない。
自らの能力のなさ、人望のなさを棚に上げて人目の少ない時間を狙って仕掛けてくるのにはほとほとあきれるばかりで言葉もない。

今週は早番が当たっていて、雪を見越してかなり早く会社に着いた。
少し早く着いた分、カギを開けるのに一番乗りで来ていた社長とコミュニケーションを取ってみた。
入社して以来、話らしい話もできずにいたが現状を一部でも話す機会が持ててよかった。
私としては朝のラジオ体操をキチンとやる人とガン無視して一切しない人に分かれているのはどうかと思っていたので話を振ると「そうだなぁ」とのことだった。
残念ながら今回挙げた氏もラジオ体操は全くしないし、重ねて残念なことに大型のドライバーさんはちゃんとやるのに倉庫のメンバーは半分ほどはやらず、しかも指揮系統に入っている人間は全員やらない。
会社がわざわざ準備体操の時間を用意してケガの防止などに配慮してくれているというのにやらないというのはいかがなものか。
これについては長年の積み重ねで指揮系統に入っている層に根拠のない特権意識があるのではないかと踏んでいるが、具体的な考察は次回に回すことにする。

仕事始め~週末

2024-01-08 19:36:58 | 休日
5日が仕事始めとなった今年、朝礼ではやはり能登半島地震の話が出た。
会社のいくつかの拠点に被害はなかったようだが、個人のレベルでは震源に比較的近い場所に実家がある方などで被害が出たようである。
我が県でも西部を中心に道路や家屋の破損、地盤の液状化や土砂崩れなど決して小さくはない被害が出ている。
幸いにして被害が少なかった地域に住んでいる者としては、日々の仕事を誠実に果たすことによって被災した地域に力になれるようにしたい。

今週はその5日に加えて6日も勤務の順番にあたっていて2日間の勤務となった。
昨年末にやや体調を崩して正月はわりあい静かめに過ごし何とか元通りに戻したものの、いざ働くとなると大丈夫なのか不安はあった。
長めの休みを経て通常に近い動きができるか最初は手探りだったが、両日とも一つの仕事に集中できる流れとなり、休み明けである9日以降に向けての準備はあらかた完了させることができた。

我が班の問題児は年が明けてもピリッとしない。
年の瀬の某日に続いてまたも無断で始業時刻に現れず、結局1時間くらい遅れて現れた。
北陸というくくりで見て大変つらい出来事が起き、無念にも命を失った方々、大切な人を突然なくした方々がたくさん出ている中、働ける体を持ちながら社会人としての最低のルールすら守らずにノウノウと生きている人間がいる。
そこに良心が痛むことがないのだとすれば、サイコパスの疑いがあるので一度診てもらった方がいい。

週末は祝日も含めての連休となったのはありがたいことであった。
日曜日にはVリーグ女子の地元・KUROBEアクアフェアリーズ(以下アクア)の試合が黒部市であったので行ってきた。
施設からは見えないが海はそれほど遠くない立地で海抜も1階部分は5m、2階が10m程度である。
開催そのものの可否も検討されたものの最終的には開催の運びとなり土日2日間は無事に試合が行われた。
アクアは、地震の後でメンタル的にもベストではない中よく戦った。
土日で勝ち星はつかなかったが現状のチーム力は発揮できたのではないかと思う。
アクアのがんばりはもちろん、このような状況の中で黒部に来てくれたJT、埼玉上尾、トヨタ車体の3チーム並びに開催に尽力したすべての方々に感謝したい。

祝日の今日は雪模様となり、外出は最低限で済ませほとんどの時間は自宅で過ごした。
家庭で出るゴミのうち、リサイクルできるものはマチナカの資源センターに持っていく。
家電リサイクル法の制限にかからない小型の家電も持っていくことができる。
見ると、いわゆるガラケーを中心に携帯電話も多く捨ててあった。
3Gが順次停波していくから電話としてはダメになっていくのは仕方がないにしても、まだまだ何らかの形で延命できそうな端末も多く何とももったいない感じがした。
いわゆるジャンク品をあの手この手で復活させたり、電話や通信の機能は捨てて音楽プレイヤーやラジオ、目覚まし時計などなどいろんな使い方をしたりというのもまた楽しいものなのだが。

本年2週目は火曜からのスタートになる。
短い週はそれだけ仕事も集中するから年初の滑り出しと同じような気持ちで丁寧にあたりたい。
いろいろと気になることはあっても自身としてはいまできることをやっていく以外にないのだと思う。

大変な幕開け

2024-01-04 20:16:19 | 休日
※写真は魚津市・経田漁港(1/3撮影)。
海越しに今回地震で被害が大きかった氷見市から七尾市にかけての海岸が見えた。

年明けから早いもので4日目となった。
しかし年明け早々元日の夕方には石川県能登地方で大地震があって、当県は最大震度5強、我が魚津市も震度4の揺れを観測した。
震度4自体は経験はあったものの、本震の揺れの長さ、いつまで続くのかと思わせる余震の多さ、このあたりは全くの初体験であり一言怖かったというのが正直なところである。

決して往来が便利とは言えない地域、被害の全容すらまだつかめない中で苦しい状況に置かれた人々を思うと胸が痛む。
被災地へ出向いて何とか助けにとの申し出も殺到しているようだが、幸いにしてケガもなく物的な被害もなかった人間ができることはやみくもに押しかけてまで行くことではなく普段の生活をしっかりと送ることだ。
元気な地域、元気な人間が普段通りの生活をすることが今弱っている地域への助けに必ずつながる。
どうしてもというならネット募金などの手もある。
今は一般人が体をオロオロと現地に持っていくタイミングではない。

地震の翌日には航空機事故、その翌日には北九州市での火災、そして今日は山手線での通り魔と年明けからウンザリするようなニュースが続いている。
今まで例を見ないような年明けになってしまったが、本日4日から仕事始めの業界も多いから世の中全体が通常運転にこれから戻る。
思いのほか長い休みをもらった私も年末年始の休みは今日で終わり、明日が仕事始めである。
年末の最終2日間まるまる高熱を耐え忍び、何とか年明けの朝には平熱近くまで戻した。
年明けは用心してそれほど遠出はせず近場でごみ捨てやスーパー程度の外出にとどめることにしたが、地震があってもなくてもここは同じだったろう。
目に見えない疲れがある時は体が合図を出してくれる。
合図に従って休息優先で過ごして、今は明日以降の仕事には心配のない体調まで持ってこれた。

休み中も起きる時刻は仕事をしている間とほぼ変わりはなく起きることだけ言えば特に問題はない。
しかし長い休みの後は何かが抜けやすい。
まずは忘れ物をせず、遅刻には絶対ならない時刻に家を出て余裕を持って仕事場に着きたい。
仕事は始まってみなければ分からないが、休み前までと同じように動くことができれば何よりだろう。
備えのため、今夜は特に早寝するつもりなので今回のエントリーはこれで閉じることにする。

謹賀新年

2024-01-01 13:38:47 | 日記
新年明けましておめでとうございます。
2024年も本欄をよろしくお願いいたします。

昨晩更新した後で、特筆すべきことは何もないが、ここ北陸は大晦日夜から続いた雨があがり晴れ間がのぞいている。
やや気温は低めながら、足もとがいい年の初めとなっている。

1年間を健康に、とはいつも思うし目指すところではある。
昨年は最後の最後、30〜31日に苦しむことになり、今日実家にあいさつに行けるか不安を抱えていた。
29日には富山市に出てセルフ忘年会を催し大いに満足して帰って来たのはいいが、次の日の朝からどうもおかしい。
昼頃には熱が38度台まで上がっていて、完全休息を決め込まざるを得なかった。

昨年後半は新しい環境に身を置き、何も分からないところから必死で走ってきて、いろいろと余計な気づかいもしながら何とか年末までたどり着いた。
直接的には富山市の真ん中から駅までの歩きの道中がかなり寒かったのが影響したと思うが、本質的には約半年分の疲れが長い休みに入って出てしまったというところだろう。

熱を下げるには汗を出すのがいちばん、これでもかというくらい水分をとり厚着をしてフトンにこもる。
その繰り返しをまるまる2日やって、ようやく元日の今日になって平熱近くまでになった。

実家へのあいさつは問題なく終えられ、帰ってからは用心して再び休息にあてている。
熱が出た時、最後には必ずおなかが痛くなるので、そこまでが済んだから熱がぶり返す心配はないだろう。

ギリギリ形の上では健康体で年をスタートを切ることができたので、まずは1年間継続したい。
やりたいことがいろいろあっても健康でなくてはかなわないのだから。