blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

4月を振り返って

2024-04-30 20:46:09 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
正直なところ今夜は4月で一番疲れている。
月の半ばから1名が病気のため長期離脱となって、人間ひとりがいかに大事か改めて思い知っている。
よほどの大企業を除けば人員はどこもギリギリで回しているだろうと思うが我が現場も例外ではない。
防ぎようのない理由で人員が欠けたなら残った人間で何とか回すしかない。
ひとりひとりが少しずつ能力の底上げをすれば、ひとり分の不足はカバーしていけるだろう。

一番疲れていると書いたが今日はどちらかと言えば心地よい疲れである。
毎日仕事をしていれば時にはうまくいかないこともあるし、大型連休中では唯一の出勤日であった昨日はまさにそうだった。
通常の4分の1という少ない人員の中で互いに「いつもはやらない」仕事をする必要があり知らず知らずのうちに心身が削られる。
私を含めてその日出てきていた人間は、午後を越えてきてから少しずつ歯車が狂ったようなもどかしい時間を過ごすことになった。
幸い私に関してだけ言えばすぐに前日のモヤモヤを晴らす機会に恵まれ、やはりいつもはやらない仕事が多かったもののとりあえず仕事にはなったので緊張感から解放されたという意味での心地よい疲れということになった。

仕事に臨むにあたってはもちろん指示があればそれに従うことも重要だが、何も指示がない時はできるだけどこかに「参加」するようにしている。
できることが多くて損なことは何一つないし、今のように絶対的に人が不足している時はイザという場面で出ていけることがあるかもしれない。
一定の期間を経てようやく周囲とのコミュニケーションも増え、ボールペンの場所ひとつ分からなかった頃とは違ってまずは現場のひとりとして機能することに集中できるようになった。

少しさかのぼれば「昨日の自分を超える」というエントリーがある。
そのエントリーを上げてからしばらくしてのこと、大変有名な方がテレビのCMで同じことを言っていた。
その方とは50歳を超えてなお現役を続けるサッカーの三浦知良選手である。
「なぜそんなに選手を長く続けられるのか?」という子供さんの質問に答える形で出た言葉が昨日の自分を超えたいというものであった。

私は三浦選手よりは年下だが50代である。
50代ともなれば職業人としては先が見えてしまう場面もあるだろう。
先が見えるといえば例えば私がこれから人の上に立って集団をまとめるなどということはない。(そもそも向いていないが)
しかしそれがかなわないからと言って寂しく思うこともない。
いち職業人として日々少しずつうまくなっていけたらそれでよく、その面では前職時よりも手ごたえを感じているし、この年齢からまだ何かが伸びているというのも幸せなことなのだろうと思う。

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脳内設定

2024-04-20 21:30:12 | 休日
昔いた会社に奇妙な人間がいた。
あらかた富山県人ばかりの中で当人は他県出身であったが、ある日の昼休みには「立山には室堂というところがありまして…」などと講釈をたれ始めた。
富山県人なら誰しも立山に室堂があることなど知っていることも考えずにそんなことを言うのは、ただただ自分はそこらの凡百の人間とは違った物知りなのだと主張したい気持ちが先行してしまった結果だろう。

さて、その時からはずいぶん年数が経った最近のこと、同じような場面に出くわした。
我が社は日ごろ私がいる本社(便宜上そう呼ぶ)に加えて近隣にいくつか現場を持っている。
ある日は私にとっては初めてとなる現場でしばし作業をすることになったので、あるベテランさんが道案内をしてくれてそこにたどり着いた。

作業も終わって全員解散となりクルマに乗って帰ろうとするとそのベテランさんが私を呼び止める。
何かと思ってクルマを戻すと「ここからの帰り道分かる?この道をまっすぐ行って右に折れたら8号線に出るから」と言う。
本人はやはり他県の出だが日ごろの住まいはその現場のすぐ近くらしい。
ただ、初めて行く現場までの道案内をしてもらったことには感謝するが、見渡せば黒部市の新幹線駅もすぐ近くに見えている場所から魚津市出身在住の私が道に迷って自宅に帰れないことはあり得ない。
出たくもない土曜に出てきてしたくもないムダな手作業で疲れ切っていた後だったので、大きなお世話感を感じながら家路についた。

こんなほんの小さな例からでも分かることはあって、「同じ会社で後から入ってきた人間は自分よりは何もかも未熟でありモノが分からない」という脳内設定を持っている人間は少なくないということである。
初めて行く場所に案内なしで行けるスーパーマンなどいないが、そこからの道がもしかしたら分からないのではないかと考えるのは、社歴の浅い者には何事にもケアが必要であるというかなりバイアスがかかった思考と言っていい。
それだけ「社歴」に付いて回るプライドというのは厄介なもので、時にこういったナンセンスなやり取りを生む原因となる。

上のような半分はおっちょこちょいのようなやり取りならまだしも、そんな脳内設定がさらに強化されると「後から入ってきた人間は永遠に自分よりは未熟でロクな仕事もできない」ということになってしまう。
そう考える人間のアタマの中は、新しく加わってきた者が徐々にでも仕事を覚え成長していってはいけないということになっている。
どれだけ長年同じ仕事をやっても完璧の域にたどり着く人間はいないが、一定期間会社に通って何一つ覚えない人間もまたいない。
そんな当たり前のことが分からない人間が実際にいるのは恐ろしいが、そんな人間に限って箸の上げ下ろしのようなことにまで口を出してきたり何か失敗した時だけを狙ってからんできたりとロクなことはまるでない。

少し考えれば分かることが分からない理由は一言「恐怖」である。
絶対に口にすることはないが、実は自分の能力に自信がなく、後々自分を追い抜いてしまい現在のポジションを奪われるのではないかと身勝手にも恐怖している。
恐怖心は正常な判断を鈍らせるから、恐怖を抱いているうちはどうやってもこのくだらない脳内設定から抜け出せないということになる。
そこには「みんなが少しずつでも上手になって、結果ひとりひとりがラクになっていけばいい」などという発想が生まれる余地はない。
他人を攻撃して退職や休職にまで追い込んだところで人員不足のツケは自分にも回ってくるということすら考えられない人間は本来であれば組織には不要なのである。

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