blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

3月を振り返って

2009-03-31 23:35:00 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
といっても、3月はあまり材料がないのが情けない。

新しい環境に飛び込んだまではよかったが、思いもよらないミスマッチに遭遇した。
今どき「オレに付いて来い!」タイプの上司がいるのかと、ある意味ショックを受けた。
少しでも理屈が通じるタイプなら良かったがそうでもなく、勢いと根性だけの人ということが分かった。
あくまで自分の型にハメようという方針なら、私あたりとは最初から「水と油」であった。
その型というのも「富士山のふもとの某施設」仕込みの100%受け売りとくれば、これはもうブラック企業に捕まったようなものであった。
そんなものに「洗脳」されるのはゴメンだったから、言い合いもしょっちゅうであったが、こちらは明らかに立場が弱い。
派遣会社の担当者も見かねて相談の場を持ってくれたが、結局は私がその環境を去るしかなくなった。

さて、やめてしばらくは本欄の更新も面倒になるくらいにつらい気分になった。
同じような失敗をまた繰り返したことは事実だ。
今後の生活不安も当然ある。
早く次を、と焦る気持ちがありながら、最近なかったような重いユウウツ感にさいなまれ、身動きが取れない日々が続いた。

そんなこんなで、3月の後ろ半分はとても人間らしい感じではなかった。
気分がふさいで横になっている時間が多かったから、3月はあっという間に過ぎた。
ここ数日で少しずつ元気を取り戻して、ダラダラ寝することもなくなってきた。
自室に長くいてネットにハマりぎみではあるが・・・。

この際、もう1度自分を真っ白にして「できること」と「できないこと」をハッキリさせようと思う。
人生を通じての悩みであるコミュニケーション下手に関して、専門の相談機関が自宅の近くに見つかったので近々行くことにしている。
専門家の方が相手だから、話ベタなりに、誠実に、自分のことを洗いざらい話そうと思う。
信頼して話すのだから、どんな事実も静かに受け止めたい。
進路のことはそれからでも遅くはない。

せっかく親からいただいた命である。
どんなに格好悪くても、まずは元気を出してとにかく生きよう。
新年度に希望を持って・・・。

ずっと、変わっていない

2009-03-29 21:47:32 | 日記
少し前の記事になるが、ちょうど30歳を迎えようかという時期に「うつ」に見舞われて、最初の勤め先を辞めることになった。
この出来事をきっかけに、これからは開き直って「やりたいこと」をやっていこうと思ったのは事実である。

仕事はそれまでの金融業から一転、旅行業にシフトした。
つらいことばかりではなく、仕事にも「楽しいこと」があるのだと知ったことは収穫であった。
プライベートでは、長く心に温めていたドラムに取り組み始めた。
結果、今はもう参加していないが、2つのバンドに所属して貴重な経験をすることができた。

小さなときからしんどい出来事ばかりが続いた私が、30歳を境に少しずつ生きることの楽しさを知るようになったのは、ガマンしないで素直に生きることをようやく覚えたからであろう。
不思議とよい出会いにも恵まれ、少しはモノの考え方もやわらかくなったのかもしれない。

「うつ」以前と以後で違いがあるとすれば、自分には「言葉以外の何か」で表現できる力があると知ったことである。
それは音楽とか、あまり数はこなしていないが写真とか、いわゆる芸術的な方面であろう。

とはいえ、昨日も書いたように、人づきあいのヘタっぷりは小さなときから一貫している。
自分を表現するまでに時間がかかりすぎて、特に第一印象が大事な仕事の場面ではずいぶん損をしてきたように感じる。
プライベートでも、たとえばバンドで出演したあとの「打ち上げ」も、苦痛とは言わないまでも何となく居心地の悪さを感じたりしていた。
一緒に楽しみ、決して敵ではないはずの他のバンドの皆さんにも「話しかける」ことはなかなか難しかった記憶がある。

結局「うつ」になる以前から、私は言葉によるコミュニケーションが本当にヘタクソで、それは今も全然変わっていない。
変わっていないということは「問題としてあり続けている」ということである。
私が体験した「うつ」は、その流れの中の「二次的な災い」であって、本質的に私が人生で解決すべき問題はまだそのままなのである。

1人の人間として普通に経済生活を送るには、言葉による伝達が避けられない。
確かに、今までどの会社や組織にあっても、他の人よりは怒られたり攻撃されたりといった苦労は多かったと思う。
だからといって社会との接触を避けるわけにもいかない。

私は生まれながらにある種の「欠陥」を抱えて生きてきたのかもしれない。
そうでも考えないと、子供の頃から感じてきた「生きづらさ」が説明できない気がする。
近いうちに、中立な立場の方の意見を聞く機会を作りたい。
そこでもし「人生の謎」が解けたなら、あとは自分でそれを受け入れて生きていこう。

リセット

2009-03-28 23:51:43 | 日記
ここ最近は時間に任せて考え事をすることが多い。
この年になってなお、仕事でもプライベートでも懲りもせず挫折を繰り返すのはなぜなのか。
今もって人生がうまくいかないのは、何が原因なのか。
単に気持ちが甘いのか、それとも今まで知らなかった何かのせいなのか。

両親から高い能力を与えられて生まれ、私の人生は「表面上は」順調そのものであった。
学校の成績も良く、浪人もすることなく大学まで進んだ。
ただ私自身にとっては、それゆえの苦しみも多く味わった。
もともとコミュニケーションは不得手だった上に、他人はもちろん身内にまで嫉妬されて育ち、心ないイジメも頻繁に受けた。
イヤな思いをしなかった年はないと言ってもいい。

確かに今思い出しても、私は「変わった」子供(~青春時代)であった。
およそ子供らしくない発言や行動が多く、周囲からはいつも浮いていた。
子供どうしなのに「さめている」と言われたこともあった。
今風に言えば「KY」そのものの言動も多く、思い出していまだに背筋が寒くなることもある。

学生までは同世代の付き合いで何とかごまかせたが、社会に出て「コミュニケーション能力」が試されるようになって、私の挫折感はさらに増幅した。
およそ「うまくいっている」時期を思い出すほうが難しい。
失敗と挫折ばかりを重ねながら、ついには「ガス欠」になってしまった。

時間をかけて何とか体調は回復したが、コミュニケーション能力についてはまったく解決していない。
仕事でも、プライベートでも、普通に言葉で会話することがいまだに苦手である。
そうかと思うと「突然キレて」周囲を困らせ、その結果失ったものも多い。
ほんの少しのガマンができないで壊してしまったものも多い。

これまで私が感じてきた「生きづらさ」や「生きにくさ」は、果たして先天的なものなのか後天的なものなのか。
どんな形であれ、これからも生きていかなくてはならない以上、今のこの時期にハッキリさせておきたい。
近年は脳内科学の進歩で、いろいろなことが明らかになっている。
自分でもいろいろ調べて「ひょっとして・・・」と思うものがある。
それがもし「精神的な障害」という事実であっても、それをしっかり受け止め、その特長を生かした道を探したい。
もう1度自分をリセットして、たとえ収入は低くても納得のいく方向に行きたいと思う。

動こう

2009-03-24 19:36:19 | 日記
最悪の状態から脱したとはいうものの、ここ数日は気分が重い生活が続いている。
さしあたりの「義務」がない分、どうしても時間の使い方がよくない。
起きる時間も遅いし、今日やろうと思ったことも後回しになったりする。
「何もする気にならない」というのとは違うが、何となく行動範囲も狭まって自室にいる時間が多い。

さて、自室でPCを触っていても、ついついネガティブな情報に心を取られてハマってしまう。
気がつくと、モチベーションが落ちて投げやりになりそうな自分がいる。
「世の中捨てたもの」という感覚におちいりそうになるから、人の悪口ばかりを眺めるのもホドホドがいいようである。

ここ半年は、ブラックともいうべきとんでもない企業に引っかかってかなり疲弊させられた。
誰を信じればいいのか、という感覚で日々を過ごすのは精神的にかなり厳しいものがあった。
生活のことはもちろんあるが、今のうちに知らず知らずにたまった心のダメージを何とかしなくてはいけない。

とにかく、1日に最低1回は外の空気を吸おう。
可能ならば、店員さんでも誰でもいいから話をしよう。
1人の世界にこもると、「世の中捨てたもの」の感覚が増幅される。
せっかく生きているのだから、とりあえず過去は忘れ、少しずつでも動こう。
動かないことには何も始まらない。

気持ちの問題?

2009-03-19 22:32:17 | 日記
先日、某自民党のS氏が「うつ病になるような人は気が弱い」と発言した。
心の病で休まざるを得ない教職員か何かを話題にしたものだったと思うが、おまけに「国会議員にはそんな人は1人もいない」とまで言った。
まさに厚顔そのものである。
国会議員になるような人はさぞ「ふてぶてしい」人間ばかりなのだろう。

うつ病というのは単に気持ちが強い弱いの問題ではなく、誰でもなりうる疾患である。
心を病むというとすぐに「ハート」のイメージで心臓近辺の問題だと錯覚するが、実際の原因は脳の中にある。
私自身、今でこそこうして日記を書いたり買い物をしたりといった活動を「普通に」やっているが、そんな簡単なことすらできない、あるいはする気にならないという時期を経験している。
今から思えば相当重い状態であったのだろうが、テレビや新聞も見る気にならず、歩いて1分で行けるコンビニに足を運ぶのもおっくうだった。
ガソリンが入っていない車と同じで、人間としての体をなしていなかった。
その頃は北海道の苫小牧というところで勤務していたが、一歩間違えれば支笏湖あたりに身を投げていたかもしれない。

幸い専門の医師の手助けや実家の家族の支えがあったから最悪の事態にはならず、今は相当に格好悪いながらもこうして生きている。
確かに体を壊してから後の人生は、仕事もたくさん変わったし、その中でもまた変な会社や上司に当たったりして苦労は相当に多かったと自分でも思う。
しかし、音楽をはじめ少しずつやりたいことに踏み出していけたのもこの時期からで、若い頃には考えもしなかった楽しく貴重な経験が多くできた。
そう考えれば、一時期心を病んだのも決してムダではなかったということが言える。

あれだけの状態から今こうして普通に活動ができているのは、ある意味「奇跡」かもしれない。
そう思うと、多少のことで自分に与えられた命は放り出せない。
ここからの人生は「もうけもの」と思って、日々悔いなく、亀の歩みでもいいから前進を続けたいと思う。

有言実行?

2009-03-18 22:51:27 | 日記
ずいぶん更新をさぼってしまいました。
ここ1週、正直「抜け殻」でした。
ようやく書く元気が戻りました。
またあらためてよろしくお願いします。

今日は休日で、実家方面へ行った。
普通タイヤが実家にあるので、冬タイヤと交換することにしていた。
さすがにもう雪も降らないだろうどころか、今日は富山が全国でいちばん気温が高かったようである。
3月にして夏日というのは、いくらなんでも驚いた。

冬タイヤを外す時期というのは、私が花粉で苦しむ季節と一致する。
タイヤ交換はもう自分で全部できるようになったが、それでも1時間近くはかかる。
実家周辺は田舎なので花粉の量も多い感じがする。
わずかの時間でもだんだん鼻がズルズルしてきて最悪だった。
目もショボショボする中で何とかやり終え、すぐに顔を洗ってスッキリした。

さて先月、外国人経営の怪しい?会社から離れて次の環境であるC社に行ったが、そこに待っていたのは世間で「ブラック企業」の1つと噂されるD社出身のイケイケ上司であった。
営業スタイルはD社流の「飛び込み一本やり」で、とにかく「元気と勢い」で売って来いとは時代錯誤も甚だしいものがあった。
時折、私のテリトリーに勝手に見張りにも来たから始末が悪い。
見張ってでも人を働かせるのはD社の十八番であると後で知った。
D社を辞めてもなお、そのスタイルを捨てられないというのは可哀想な話である。
結局は、C社に入ったつもりが実質はD社に入ったようなものであった。
リーダー氏と私の関係も程なく悪くなり、この先は「日ごとに詰められるだけ」の勤務が想像できたので、派遣会社のS氏と相談し、不本意ながらC社との縁を切ることにした。

私自身は、人からとやかく言われるのがものすごく嫌いな人間である。
本当なら「雇われない生き方」が合っているかもとは思いながら、生活が苦しくなると安易に「サラリーマン的」な働き方に流れてきた。
時に「特殊」とも思える上司や同僚に当たったりしてしまうのも、自分の安易な生き方への報いかもしれない。

経済的なことはもちろん緊急の課題なのだが、まずは「本当にやりたいこと」を遠慮しないでやっていくことからまた始めたい。
行政非公認とはいえ「シンガー」を名乗る人間だから、本来ならその活動の場を増やす努力をしなくてはいけないが、特に今年はそれを怠けていた。
とりあえずデモCDが部屋に転がっているから、どこかに宣伝に行ってもいいだろう。
どうせ無名なのだから、ピンポン営業同様「ダメもと」で何でもやればいい。
短い人生、悔いのないように、とあらためて自分に言い聞かせて今日を終わりたい。

車を使わない生活

2009-03-06 23:30:19 | 日記
冒頭から「エコ」を連想させて申し訳ないのだが、今の私の生活が何となくそうなっているだけで、特に努力をしているわけではない。
勤務先は富山市の中心のオフィス街にあることから、まずクルマでは行きにくい。
JRの富山駅からもトロトロ歩いても10分くらいだから、不便ということもない。
勤務の始まりが遅い関係から、終わるのも21時頃なので特にどこかに寄り道しようとも思わない。

自宅から最寄りのJR呉羽駅までは歩いても15分くらいである。
JRでひと駅だけ乗ったら富山駅に着くから、大した通勤ではない。
以前も書いたが、通勤だけで毎日50分程度歩くことになるので、運動不足の身にはちょうどいいのかもしれない。

こうなると、仕事がある日に自家用車を使うことがない。
本来クルマというのは毎日少しずつでも動かした方がいいのだとは思うが、無理やり使う理由も見当たらない。
自宅に戻るのは遅いが、コンビニやスーパーに行くにしても歩いて行けないことはないところにある。
1日仕事で運転していると、もう運転する気にはなれない。

週に2日は休みがもらえるので、そのときは実家に顔を出すなり遊びなりで車を使うこともあるだろう。
ただ、それくらいしか使わないなら、今の車のサイズは大きすぎるかもしれない。
軽四なら税金も安いし、今の生活なら事足りる。
しかし、何かあったとき軽四はさすがに普通車よりもろいから悩ましい。

もう少し生活に余裕ができれば、小さな普通車の線で考えたい。
呉羽地区は狭い道も多く、あまり大きなクルマを振り回せる環境にない。
小さなクルマは維持費も安いし、燃費もいい。
休日ドライバーなら、大きなものはいらないのである。

ちなみに、仕事で乗っているクルマは軽四だが新車である。
会社の名前も書いてないから、願ったりかなったりだ。
毎日たくさん回るからサボっているヒマはないが、気分的には楽な面はある。
何だかんだ言って前よりは数段恵まれている環境で仕事ができるのだから、重々感謝しなくてはいけないのだろう。

みんな大変

2009-03-04 21:20:35 | 日記
休日の今日は、昼前に出かけた。
以前一緒に働いていたS女史と会う約束であった。
名目は、ある商品の契約のお願いということで事前に電話をもらっていた。
彼女も長らく外回りをやっている関係上、期末の3月は胃が痛い季節のようである。
昔と違って商品が多様化しており、覚えるのはもとよりそれぞれに数値目標を課せられているから本当に大変そうである。
獲得力はもともと素晴らしい人なのだが、オールマイティーというわけでもないだろう。

高くもあやしくもない商品で、最初から協力するつもりだったのでそれはそれとして、実質10年ぶりくらいの「再会」を楽しんだ。
お互いの居場所は違ってしまったが、10年経ってもそのときの出来事は頭に残っている。
「あの人は今」のような話など、思い出を振り返る時間となった。
この世知辛いご時世、かつて一緒に時を過ごした人々も、その後それぞれにいろいろな目に遭っていると聞いた。
私が在籍していた頃に支店長でふんぞり返っていたS氏さえ、心身の不調に悩まされた時期があったらしい。

彼女に今の職場や上司の様子を聞いたら、経費節減で社員の食堂もなくなり、雰囲気もよくないとのことであった。
仕事中なのに私と2時間半も話しているくらいだから、店にあまり戻りたくないのだろうと思った。

私は私でいまだに大変な立場とは言えるが、「昔はよかった」などとはまったく思っていない。
様々な経験をして、10年前は見えなかったものが今は見えることが実感できる。
さらに10年経ってまた見えてくるものがあるのだろうか。
10年後、今よりもう1段くらいはマシな人間になっていたいと思う。

実質初日

2009-03-02 23:03:17 | 日記
今日から実際にテリトリーに行って営業活動を開始した。
最初の10軒くらいは、上司のK氏が同行した。
とりあえず見本と言ってK氏が5軒くらい、そのあとはやってみてと言われて私が5軒ほど話した。
研修では緊張して言葉に詰まることもあったが、お客さん相手だとかえって開き直って話せる。
少なくともお客さんに拒否されているとは感じなかったから、正直自信はなかったが、明日以降も大丈夫だろう。

それにしても、後半の5軒で私が話している横からK氏が勝手に入って来るのには閉口した。
気になるのは分かるが、これでは過保護な親と同じである。
かといって、注意されることといえば「声が小さい」とか「動きが遅い」など形にこだわるような内容ばかりだ。
このあたりはさすが「根性系」だ。
少なくとも商品について間違ったことは伝えていなかったと言えるから、私としては十分OKだったと思っている。

俗に言う「ピンポン営業」など、ハッキリ言って「ダメもと」の世界であるから気楽だ。
案外、個人宅にズカズカと行くのは苦ではない。
というよりも、回っているうちに自然にテンションが上がってくる。
法律上休憩は取る必要はあるが、一度エンジンを止めると人間なかなか難しいので、このあたりは悩ましい。
上司はうるさいが、声の大きさなどにはとらわれず、とにかくこれまでの経験通り、ひたすら腰を低く丁寧に回ろうと思う。
初めて顔を見る私にも、温かい言葉をいくつかの家でいただいた。
商売抜きで、自分のテリトリーの人間は全部味方につけるくらいの気持ちでありたい。
今日は60軒くらいピンポンしたが、田んぼばかりが多いダダっ広いテリトリーにしてはよくできた。
トークのほうも、徐々に慣れていけばよい。
上がどう言おうが、いい意味で毎日「ジコマン」できる活動ができればそれでいいのだと思う。

電気ビルの中には以前一緒に働いていた人も多く、そういう人たちも心の支えになっている。
この人はどんな人かなど、情報を取ろうと思えばいくらでも取れるのは恵まれている。
ぶっちゃけの情報なども仕入れて、自分が動きやすい環境に1日も早くしてしまいたいと思っている。