blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

2007年を振り返って

2007-12-30 22:47:38 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返ることにしている。
今月は1日早いが、明日の夜は実家に泊まることにしており更新ができない。
今日のうちに2007年を振り返ることにする。
全体的に見れば、迷いながら、動きながら、それでも前進はできた1年ではなかったかと思う。

いわゆる派遣労働者の数が前年比26%増というニュースがあった。
私も夏まではそのうちの1人であった。
派遣会社にもいろいろあるが、私は「日雇い派遣」中心の会社に属していた。
春先までは形の上では「長期安定」の職場に恵まれていたが、そこも打ち切りとなった後はまた不安定な生活に戻った。
仕方なく事務所の手伝いなどをこなしたが、9月頃、春先までいた職場が人手が足らず困っているという話を聞き、そこに直の採用で復帰することにした。
今は以前と変わらず接してくれるメンバーに恵まれ、楽しく仕事をやっている。
一方で、所属していた派遣会社は年明けから数ヶ月の業務停止命令を受けたとのことだから、とどまっていたら今頃はどうなっていただろうか。

とはいえ、収入は派遣時代と比べてもむしろ減っている。
正直言って毎月は少しずつだが赤字である。
もう少し収入のいいところはないかという思いもあるが、一度ストレスで体を壊した身、長時間労働が避けられない業界やノルマのかかる職種にはどうしても踏み出せない。
働ける場所があること、そして今の人間関係に感謝してしばらくはガマンするしかないのだと思う。

私生活では、実家を出て1人暮らしを始めるという大きな変化があった。
稼ぎが少ない中で不安もあったが、やってみれば何とかなるものだ。
苦しいといっても、生活インフラに加えインターネットまで享受しての話だから「本当に苦しい」うちには入らない。
芸人さんなどではもっと凄まじい貧乏話もあるだろう。

音楽方面は、バンドでも何度もステージに立たせてもらったし、今年はソロで歌も出した。
出したといってもまだ数回人前で歌っただけだが、いずれじわじわと広まって来年以降にCD化までできれば素晴らしい。
また来年は、部屋のキーボードを有効活用し、簡単な曲ぐらいは両手で弾けるようになりたいと思っている。

明日も仕事があり何だか年の瀬という感覚もないままだが、せめて明日の夜は実家でユックリして気持ちよく新年を迎えたい。
何だかんだで今年はいい年だった。
来年もきっといい年になるだろう。

2月からスタートした当ブログに日々多数の方にご訪問いただきましてありがとうございました。
来年も当ブログをよろしくお願い申し上げます。

東京大賞典

2007-12-29 22:38:50 | 休日
有馬記念で1年納めという人は多いが、毎年12月29日のこのレースを見逃すわけにはいかない。
今年は土曜日と重なったこともあり、現地には多数の来場者があったことだろう。
私はネット投票の権利も持っているが、1日部屋でダラダラもイヤだったので、例によって「北陸おでかけパス」で金沢まで行ってきた。

金沢競馬場といえば普通はクルマで行くところだが、基本的に1人で行動することが多いので、JRの各駅停車でノンビリと行くのが割安になる。
JR代は2000円で、金沢駅からは無料バスに乗るので交通費は往復2000円である。
魚津⇔金沢はざっと往復200キロある。
ガソリンがリッター150円の昨今、燃費10キロ/Lのクルマで一般道で行っても単純計算で3000円かかる。
高速に乗ればさらにお金がかかるのは言うまでもない。
急ぐ旅でもなし、列車に連れて行ってもらうほうがよほど安全でもある。

さて、メインの東京大賞典は1番人気のヴァーミリアン(JRA)が圧勝して2007年を締めくくった。
2着はフリオーソ(船橋)で、人気通りの堅い決着となった。
いちおう本線で的中させることができ、個人的にもよい年の締めくくりができた。
交通費や食事代を除けば、ほぼタダで遊べたのだからよい1日だった。

ヴァーミリアンはこの後、川崎記念を使ってドバイ遠征の計画を持っているようだ。
日本にはもはや敵はなく、戦法にも幅が出た今は、世界の強豪が相手でも去年の4着を上回る結果を期待していいのではないか。

近年は、休日の関係で中央競馬より地方競馬に触れる機会が多い。
今日のフリオーソのように、地方にも強い馬がいるというのは競馬ファンとしてうれしいことだ。
機会があったら、また各地の競馬場に遠征してみたいものだ。

冷蔵庫

2007-12-27 20:27:29 | 日記
8月に引っ越しをして入った部屋も、今はすっかり慣れた。
家賃のわりには本当に悪くないところである。
窓から見る風景はのどかで、鉄道の音以外は静かだ。
近くにスーパーやコンビニがないが、あまり便利だとかえってナマクラしてしまうからこれはこれでいい。

そんな我が家も1つだけ不便に感じていたものがあった。
冷蔵庫が小さすぎるのだ。
今のものは引っ越しのときに妹の家に余っていたものを持ってきた。
コンビニ派の人には十分かもしれないが、自炊派の私にはやや余裕がなかった。
実家からの差し入れと自分の買い物がバッティングすると目も当てられない混雑(?)ぶりであった。
来客があってお酒なんかを冷やしたいときもある。

今日は休日を利用して、以前から目をつけていたものを買いに行った。
冷蔵室が上にあり、かつドアの付け替えが可能なタイプだ。
これなら、物を取るときにいちいちかがまなくてもよい。
また、ドアの付け替えができると違うレイアウトの部屋に変わったときも安心だ。
配達は正月明けになる。

古いものは処分してもらうのでリサイクル料を取られたが、いわゆる主要メーカー製ではなかったためかけっこうな金額になった。
必要な経費とは分かっていても、値札より相当多い額を払うのは何ともいえない気分である。
もともと棚が1段欠落していて、リサイクルといってもまず廃棄の運命をたどるだろう。
まだ使えるのでもったいない気もするが、実家にも置き場所はない。

それにしても、今の量販店というのは1つ物を買うといろいろと勧誘がある。
客の囲い込みに必死なのは分かるが、思わぬ出費のあとでヘコんでいるところに、やれ長期保証会員だ何とかカード会員だと言われて正直疲れてしまった。
カードのほうが無料だったので申込したが、普通のポイントカードと実質は同じだから別によかったのかもしれない。

とりあえずこれで生活に関しては不便はなくなる。
ほしいものは他にもたくさんあるが、言い出したらキリがない。
緊急のもの以外はなるべく慎重に考えたい。
お金というものは出て行くときは本当にあっという間だからである。

ムダを楽しむ!?

2007-12-23 22:34:13 | 日記
数日前、勤務先の近くのMというスーパーに立ち寄った。
昼食を仕入れに食品売り場に行ったら、レジ係の女性がみんなサンタの赤い帽子をかぶっていた。
本人達がどう思っているかは知らないが、その光景を見て何となくほのぼのとした気持ちになった。
ほんの少しの演出だが、わずか数百円の買い物が楽しくなった。

高速道路のサービスエリアなどには、かわいい動物をあしらったゴミ箱が置いてある。
動物などがデザインされているものは、運転で緊張していた心を落ち着かせてくれる。
無味乾燥な普通のゴミ箱よりも、しばしホッとした気持ちにさせてくれる。

サンタの帽子にしても、動物のデザインにしても、それがあるからといって売上が上がるとかゴミ箱の本来の用途が変わるわけではない。
こういった一見「ムダ」に見えるものこそが実は大変重要だ。
サンタの帽子をかぶったら、それをネタにレジ中の会話が弾んで、また来店してくれる人がいるかもしれない。
かわいいデザインのゴミ箱を見て心が落ち着く人が多ければ、少しでも事故が減るかもしれない。

レジ係はお金を間違わずお客を通すだけの存在なら、サンタの帽子をかぶる必要はない。
ゴミ箱がゴミを捨てるだけの用途を果たせばいいというなら、凝ったデザインは必要ない。
しかし、こういったちょっとした「演出」や「遊び」がない世の中を考えるとき、少しうすら寒い気はしないだろうか。
「ムダ=悪」という価値観だけでは、息苦しくはないだろうか。

短いスパンでは「ムダ」は「ムダ」で終わるかもしれない。
しかし、発信した側がその「ムダ」を楽しめれば、きっと長いスパンで見れば何らかの「実り」となって返ってくるのだろうと思う。

年齢不詳?

2007-12-19 21:25:34 | 日記
私は実年齢よりも必ず上に見られる。
単なる老け顔という説もあるが、それはひとまず横に置く。
「落ち着いている」と言われるのは普段あまりテンションを上げて会話することがないためで、実際のところはちょっとしたことでも動揺しやすい小心者である。
「大人びている」と言われたこともあるが、これは正解かもしれない。
人生を通じて、周囲の同年代と感性や興味が一致したためしがない。
大人びているというのはホメ言葉にも聞こえるが、同級生と接することの多い学校時代は苦しかった。
今のようにある程度「自分は自分」という考え方ができなかった頃だ。

モノの好みはどうだろう。
音楽や芸能に関しては、明らかに古いものが好きだ。
バンドでは70年代の曲をやり、自分で作った曲も古臭いB級歌謡のニオイがする。
お笑いでは、すでにVTRでしか見られない「やすきよ」や「いとしこいし」あたりがいい。
映画はめったに見ないが、たまに見るのは「日活アクション」や「若大将シリーズ」や「無責任シリーズ」だったりする。

話が少しそれるが、最近の芸人さんというのはつくづく大変だと思う。
昔ながらの漫才や落語のように「起承転結」をやっているヒマがない。
わずか1分、時には数十秒の間に観客をつかまないと次のステージもおぼつかないという状況だ。
これでは、どうしても見た目のインパクト重視の芸風になってしまい、それこそ私のような「古い」人間には押し付けがましく思えてしまう。
実際のところは、芸人さん本人に帰属する問題というよりもTV局がそういったものを求めているという気はするのだが。

これから登場する「新しいモノ」は、自分に必要ならば勉強して大いに使えばいいと思う。
同時に、時代を越えて「いいものはいい」という感覚は失わないでおきたい。
「年齢不詳」と笑われても、好きなモノは大切にしていきたい。

落としどころ

2007-12-17 23:29:25 | 日記
最近は寒いこともあって、なかなかフトンから出られない。
仕事が昼からなのをいいことに、たいそう遅くに起き出すこともしばしばである。
夜更かしをするタイプではなく、いつもそこそこの時間には寝るのだがこの体たらくである。

早く起きれば時間がたくさんあっていろいろなことができると思うのだが、緊急性のあること以外はなかなか手に付かない。
去年の今頃は、午前中といえばPCにかじりついて旅行の提案をせっせとやっていた。
そのあと子供用品店(=現在の職場)の仕事に出かけて夜まで勤務。
家に帰るとたまに提案に関する質問が来ていてそれに答えるというのが1日の流れであった。

去年と比較して、残念ながら今年は午前中をムダに使ってしまうことが多かった。
昼からは仕事だからそんなに遠くに出かけられるわけもなく、職安や親しいマスターのいる喫茶店や仕事場近くのスーパーで時間をつぶすことが多かった。
もちろん銀行などの用事があれば済ませることができるから、昼からの勤務というのもそれはそれでありがたいのだが。

総合旅行業務取扱管理者という資格を去年取ったが、今は取っただけの状態で何の役にも立っていない。
旅行業界でしか役に立たない資格なので、使うとしたら業界にカムバックするしかないが、私自身の健康面その他もろもろ考えて勤まるのかどうか。

毎月ギリギリの収入だが、本当に周りのメンバーに恵まれている今の職場を大切にするべきか。
それとも、せっかくの資格をムダにしない方法をあくまでも探していくべきか。

もう数年もすれば、私も40代に突入する。
好きなことをやるのもいいが、すべて自分の思い通りというわけにもいくまい。
そろそろ、人生の「落としどころ」を探る時期に来たのかもしれない。

今年の漢字

2007-12-14 23:31:49 | 日記
2007年の漢字が発表され、大方の予想通り「偽」が選ばれた。
私は、人が謝っている場面が多かったから「謝」という字を考えていたが、結局は謝罪の「元となる事柄」のほうに票が集まったということか。

京都・清水寺の貫主さんもこんな字を書きたくはなかっただろう。
「神仏が見ている、親が見ている、先祖が見ている」という貫主さんの言葉がひときわ印象的ではあった。

売上や利益や、TVなら視聴率といった「数字」。
数字に追われる、いや逆に追い求めるあまりに行われる「偽装」や「改ざん」や「演出」。

何という世の中・・・。
しかし明日はやって来る。
私は私の道を行こう。

無名のシンガーが・・・。

2007-12-13 22:39:52 | 音楽
ネットで見つけた記事だが、18歳の「元ひきこもり」の日本人少年がアメリカのR&Bの聖地と言われる会場で歌い、万雷の喝采を得たらしい。
日本で引きこもっていたくらいだから、国内でもまだ無名。
ましてアメリカなら「完全アウェー」の環境。
最初は司会者もバカにしていたが、歌い終わってコロッと態度が変わったという。
何でもこの少年、人にはマネのできないような素晴らしい声を持っているようだ。

音楽をやっていて感じるが、歌のチカラというのはすごいと思う。
バンドのメンバーは、個々人全く違った日常生活を送りながら、「今度のライブはコレとコレをやります!」という連絡さえあれば、集まって「せーの!」で音が出せる。
バンドの内部だけでなく、対お客さんのシチュエーションにしても、音を出した瞬間に反応があったり雰囲気が変わったりする。
この、まさに「一瞬で」というのが大事で、時にはこの少年のように国境や民族を越えて人々を感動させることができる。

この少年は、学校になじめないという挫折を味わい引きこもったが、自分の声という素晴らしい宝物に気づき自分だけの道を切り開こうとしている。
それまではツライ人生だったかもしれないが、彼にしかない宝物が見つかった瞬間から人生が輝きだした。
「人生変わる」とは、急に金持ちになるとかモテるようになるとかということではない。
その人にしかない宝物に出会い、この世で為すべきことが見つかった瞬間に人生は変わるのだ。

冒頭の少年より2倍も生きて、私もやっと自分にとって歌が宝物だということが分かった。
この世に生きて、ようやく1つ自信の持てることを見つけた。
とにかく、どんどん人前に出て歌っていくことが私の「生涯の仕事」だ。
少しずつ、少しずつだが、成果は出ている。
あきらめずに継続していれば、きっと「伝わる」。

雨のちくもり?の気分

2007-12-09 23:23:39 | 日記
昨日は買い物に出た程度で、ほとんどを部屋で過ごした。
その前日は、人繰りの都合で朝の開店から夜の閉店まで店にいた。
めったにあることではないが、実質9時間半の立ち仕事はなかなかこたえた。
特に急ぎの用事もなかったから、たまにはゴロゴロもよいだろう。

昨日だけで疲れが取れていればよかったが、今日の朝はなかなかフトンから出られなかった。
いつもは昼出の日でも7時か8時には起きるが、何となくユウウツな気分がしてダメであった。
仕事は何とかこなすことはできたのだが。

特別なキッカケはなくても、時には過去のあやまちなど悪いことばかりが浮かんできて身動きの取れないような気分になることはある。
振り返って悔やんだところでどうにもなるものではないが、ずいぶん乱暴な生き方をしてきたために多くの人に迷惑をかけたことを思うと胸が苦しくなることがある。

具体的には、ある環境から離れようとする時に、きちんと礼を尽くしてきれいに離れたことがほとんどない。
ほんの少し冷静であったなら、もうひと呼吸考えることができたなら、なくさなくてもいい関係をなくすことはなかった、という例が多い。
大事な縁というものを、自分のワガママでいくつ引き裂いてきたか。
人の優しさというものを、いっときの感情でどれだけ裏切ってきたか。

このような人間でも、まだ必要としてくれる人がいる。
見離すことなく付き合ってくれる人がいる。
その奇跡に感謝し、日々を生きたい。
今まで迷惑をかけた人には、これから自分らしくハツラツと生きることで、せめてもの「恩返し」ができたらと思う。

デジタル化=アメリカ化?

2007-12-06 21:13:20 | 日記
昨日付けの記事は、結局は職場のグチではないかと言われそうだが、職場自体は好きである。
管理者である店長もほとんど店に来ることはないし、人間関係も私個人の歴史からして最上の部類に入る。
自分が世話になっている会社が、極端なデジタル的思考の果てに「商売の楽しさ」までもを放棄しているように思えるのが残念で、ついつい言葉がきつくなってしまうことをご容赦願いたい。

話は変わって、数日前の報知新聞の終面に、今年パイレーツでプレーした桑田真澄投手のインタビューが載っていた。
アメリカに1年間行って日本の良さを再認識したという。
1つのエピソードとして、とにかく向こうの選手は自分が出すゴミも満足に片付けないらしい。
桑田選手が自分でゴミ拾いをしていると「掃除する人間がいるのだからそんなことはしなくていい」と言われたそうである。
彼にしてみれば、掃除する人間が少しでも楽になればと思ってやったことなのだが、そういった「思いやり」というものがアメリカにはなかったとのことである。
役割を完全に分担するという考え方は、デジタル的と言える。

桑田投手が良さを再確認したというその日本も、徐々にアメリカ型社会に近づいていると言われる。
「思いやり」や「互恵」の精神は薄れ、「オレがオレが」と権利ばかりを主張する人間が増えた。
とにかく、どんな手を使っても、時には他人を蹴落としてでも「勝つ」ことが現代の美徳となっている感すらある。
こういったデジタル的思考が「勝ち組・負け組」という言葉に象徴されるように、生活水準の二極分化すなわちデジタル化までをもたらしたのだとすれば恐ろしいことだ。

デジタルは道具として利用する分にはよい。
だが、人間はもとよりアナログな存在だ。
デジタル的思考には「情」や「温度」がない。
こんな世の中だからこそ、アナログの持つ温かみを今一度見直したいと思う。