blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

8月を振り返って

2017-08-31 20:04:27 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
7月は伊豆旅行という大きな出来事があったが、8月はお盆休みもありながら全体的には近場で過ごす時間が多かった。
しかし、お盆明けには風邪をひいてしまったし、下旬には当地の事業所では最大級の衝突を経験するなどいらぬ振幅の大きい月ではあった。

できることなら日々穏やかにとは思うものの、仕事も遊びも熱が入りやすい性格上、職場では時に紛争の種を蒔いてしまったり、逆に遊ぶ方ではまたぞろ深夜まで延々飲み歩く日もあった。
残暑厳しいとはいえ、もう季節は秋である。
今年の夏もツヤっぽい話はなかったが、何とか秋にはもう少し落ち着いた暮らしを目指しつつ、何らかの「実り」を手にしたいものである。

さかのぼれば、当初お盆休みに帰省する予定を一週早めたのが8月の始まりであった。
お盆休みは5日間あったし帰省するにはちょうどいい長さではあったものの、地元で訪問したいところが同じような時期に丸休みすることが分かったため、せっかく帰っても時間を持て余す危険があった。
それなら、金曜の夕方に出て日曜には当地に戻るあわただしい日程ながら、例年の地元の夏祭りの週でもあり往復600kmの道のりも無意味ではないと考えた。
実家はじめ、家族はいつ帰っても温かい。
当地にも仲良しさんはいるが、リラックスという意味では地元に勝る場所はない。

お盆のような長い休みを地元ではない土地で過ごすというのは私にとっては珍しい。
全日を遊び倒したわけでもなく静かに過ごした日も多かったが、友人と飲みに行ったり、高校野球を見に六年ぶりに甲子園球場に足を運んだりと、外出回数は少ないながらそれぞれは中身の濃い時間にはできたと思う。
そういえば、お盆休み最後の日は某加熱式タバコを手に入れるのに近場のコンビニをぐるぐる回って結局自宅に一番近い店に在庫があったという骨折り損もしたっけ。

職場内での紛争のおかげで毎日の仕事の中身がわずかではあるが変わってしまった。
ある程度体力を使うことには変わりはない。
詳しくは書かないが、私の方は一日の中で急に忙しくなったり暇になったりすることは少ない分まだマシかもしれない。
しばらくは私と当事者は互いに干渉しない状況が続くので、気は楽といえば楽になった。
日々のイライラはいくらかはマシになるだろう。
9月は半期締めの月でもあり、しっかりと締めくくって、当地での三年目に入っていきたい。

少ない外出の中から8月のベストショットを選ぶのは苦労したが、甲子園球場からの帰りに立ち寄った大阪市の道頓堀とした。


おちょぼさん

2017-08-28 21:07:41 | 休日
先週は職場で何かとゴタゴタあり、当事者どうしは当面仕事上であまり交わらないことで収まった。
戦闘状態はわずかな時間で過ぎたが、お互い一年近くのモヤモヤを抱えた末での話なので、まさに現在の南北朝鮮のごとく差し当たりは「休戦」となっているだけである。
相手には相手の、こちらにはこちらの言い分があるが、建前は相互不可侵、相手のやることには口も出さないし手も貸さない状態がしばらくは続くだろう。

さて、そんな不毛な争いの疲れはひとまず夜の街に出て癒し、しかし土曜は疲れがどっと出て寝転んでいるばかりであった。
相応に気持ちの落ち込みもあったが、日曜の昼になってようやく元気も戻り、土日をすべて引きこもるのももったいない気になってきた。
と言っても時計の針はすでに14時、お手軽に行けるところとしていくつか考えていた中、岐阜県海津市にある千代保(ちよぼ)稲荷神社まで行くことにした。
日本三大稲荷は、京都の伏見、愛知の豊川、そしてココということで、近々豊川にも行ってまた新たなコレクション完成といきたいところだ。

千代保稲荷神社は、道路地図などでは「お千代保稲荷」と紹介されている。
読み方は「おちょぼいなり」となり、より親しみを込めて「おちょぼさん」と呼ばれることも多い。
そのおちょぼさん、いわゆるゼロメートル地帯の田園風景の中に突如として大きな鳥居が現れたのですぐに分かった。
南口大鳥居の写真。



とりあえずはお参りに来たわけなので、まず本殿の敷地内に入って静かにお参りをした。





その後は種々雑多な店舗が立ち並ぶ参道を気まぐれに散策。



何か一つくらいは買い物を、と思い、「千代保」を丸で囲ったデザインの昭和臭いTシャツを一枚買って帰った。
出入りの運送屋さんが同じものを着ていたのをうっすらと覚えていたのである。

本来は串カツなんぞをかじりつつノンビリ散策するのがいいのだろうが、初めてだったし来た時間も遅かったのでけっこうあっさりと出てきてしまった。
帰り道、車から撮った「東海大橋」の写真。
橋の途中に県境があって、写真では手前が岐阜県側である。



この地区独特の風景として、三本もの大河がほぼ同じところに集中してくる様子は圧巻である。
土地の高低差が少なく流れも文字どおり滔々としているのが急流河川ばかりの富山とは違うところだ。

最近のゴタゴタもあって、もしかしたら私の当地での時間もそう長くはないのではないかという思いに駆られている。
サラリーマンにとって、二年という年月はどこかに動くのに短すぎるということはない。
もう少し楽しみたかった当地とお別れすることになれば、おちょぼさんも最初で最後の訪問となってしまうだろう。
詳しくは書けないが、事業所としては徐々に人が要らなくなってくるはずなので、私のような気性の荒い、しかし動かしやすい社員はいつどうなってもおかしくないくらいに思っておいて損はないのかもしれない。

死ぬことの意味

2017-08-26 20:47:44 | 休日
美人薄命という言葉をよく聞く。
いいヤツほど早く死ぬ、とも言う。
死ぬ原因はそれぞれ、病気であったり不慮の事故や災害であったり、あるいは「殺すなら誰でも」と思っていた人間にたまたま引っかかる、またあるいは「考え事をしていた」運転手が乗るトラックにやはりたまたま当たられる、などである。
徳島県で起きた追突事故では、30歳の男性と15歳の女子高校生というまだまだ未来にあふれていたはずの命が奪われた。

人はいつかは死ぬとは言え、志半ばの年齢で天に召される事例を見るたび、なぜこの人が死ななくてはいけなかったのか、と切ない気持ちになる。
ニュースで関係者の声を聞くたび、周囲でもそれこそなくてはならないような貴重な人に限って犠牲者になっている。
現世に生きる我々からすれば不条理以外の何物でもない。

私の親族にも急病によって若くして亡くなった人間がいるし、若くはなかったが家屋の屋根から転落して亡くなった人間もいる。
長らく寝たきりなどなら周囲もある程度の覚悟やあきらめも抱えながらということはあるが、急病や事故は周囲に何の覚悟もないから悲しみは倍加する。
他人の事例の時と思うことは同じだ。
「なぜこの人に限って、こんなに早く、こんな形で」である。

この先、私より下の世代が私より早くこの世を去る場面など絶対に見たくはないし、もちろんまだ両親はじめ上の世代が健在である今、私自身が早くに現世を去って上の世代を悲しませることにも絶対になりたくない。
万が一そういうことが起これば、現世に生きる人間は当然悲しいし悔しいし残念だ。

ただ、その万が一が起きた時、気持ちをなんとか落ち着ける手立てとなるならば、こう思い込むしかない。
亡くなった方は「神様が選んで自分の手元に置きたくなった」人なのだと。
そうでも考えないことには、あまたの「天才」や国民的大スター、あるいは社会になくてはならない大切な人などが比較的早くに亡くなることの説明がつかない。
現世でも必要なものは、天の上でも必要とされるのだと思うより、才能にあふれた者、社会に貢献してきた人ほど夭折してしまう意味を理解できない。

もし現世が今以上に争いが絶えず、薄汚い策謀が横行し、嫉妬や憎悪にあふれた醜い足の引っ張り合いばかりの姿になっていくなら、神様は「いいヤツ」をどんどん現世から引っこ抜いていってしまう。
やがて残った悪いヤツが、果てなき争いの末に地球を何も住めない死の星に変えてしまうのかもしれない。

人並みの人生などもう不可能になった私には、せめてせめてお天道さまに笑われないように、いつ死んでも悔いはないと言えるように生きるより他にできることはない。
現世に未練タラタラで死んでしまっては、何となく天に上がっていきにくい気がするのである。

幼稚な平和主義者

2017-08-23 21:14:02 | 日記
私も当地に来て間もなく二年、特に大きな担当替えはなく、年長の社員氏一人とコンビを組んで同じ仕事を二人で協力してやってきた。
当初、つまり私がまだ仕事に慣れず氏の指導が必要だった頃は取り立てて関係に大きな問題はなく、お互いに共通する趣味もあったりなどでむしろ極めて良好な状態にあった。
人柄は一貫して変わらないが、取り立ててクセはなく穏やかで、唯一年齢にそぐわないような軽い物言いが気になる程度であったから、感情的になってぶつかる場面もなく仕事も順調に回っていた。

それが少しずつ変わり始めたのは、一緒に会社の外で飲み始めるようになった頃からである。
お酒はどちらも嫌いではなく、日本酒やワインが苦手な私はそちらは敬遠しつつ、互いに飲むとなればかなりの量をいくことが多かったように思う。
飲めば当然歌の一つもひねりたくなり、勝川地区にある旧市街の老舗スナックに入った。
お互い酔っているし、さほどお客も多くなく歌の順番などすぐに回る。
私も好きなものだから歌いたい歌を歌ったら、機械の採点で97点が出てしまった。
周囲のお客さんからも拍手を受け恐縮しきりだったが、となりにいた氏の顔がなぜか笑っていなかった。

そのあたりから、氏の私に対する態度は微妙に変わり始めた。
ちょうどこの頃には私も仕事にすっかり慣れ、同じ内容の仕事を同じようにこなすことができるようになり、時には先回りをして前がかりで氏のフォローにあたったこともあった。
しかし、私の力が氏に追いついて来たと感じたからかは知らないが、その頃からは二人で協力すれば早く済む仕事もなぜか一人で抱え込んで、情報もこちらにくれなくなる場面が増えた。
ちょうど一年ほど前には、何が気に入らなかったのか、当たれば間違いなくケガにつながる作業道具を当方の足元に向けて思い切り転がして来た。
気に入らないことがあるなら言葉で言えばいいものを、気づかずに当たれば骨折もありうる工具を投げるように足元に転がすなどおよそ尋常ではない。

それ以来の一年は、氏とどうやって付き合っていいものか分からなくなり、本心を探りたい、もっと言えば怒らせて腹の中を出させたいという一心であえて意地悪なものの言い方もしながら挑発ぎみに接することも増えた。
平和主義者を自認する氏は、私のような気性の荒い年下の生意気な社員から相当失礼な扱いを受けても顔こそムッとしているが大きな声も出さずにこらえているようには見えた。

しかし、ここ数日でお互いのモヤモヤはついに爆発して、結局はすべて二人で協力してやって来た仕事(仮にABCの3種があるとする)を、Aは氏が、BとCは私が、という形で完全に分担することで話がついた。
氏はもう六十の節目を超えているため、直属の上司が体力的な負担も考慮して私を氏の下に付けた経緯があるのだが、その意図は水泡に帰し、氏が私を自らを脅かす存在として煙たがるという幼稚な思考に思い至った結果、体力的にもやや負荷の大きい毎日を自ら選択することになったのは皮肉としか言いようがない。

もし、氏に体力的な問題が生じたところで氏が選んだ道なので私は一切同情も関与もしない。
たまたま下についた社員が自分を追い越すことを喜ばないような狭量な人間のできることなどたかが知れているのである。

修正して

2017-08-20 21:08:12 | 休日
盆明け早々、発熱を伴う風邪に悩まされ、金曜までの3日間は無理やりながら乗り切った。
土曜になって体調はずいぶん回復、しかし今日日曜も含めて遠出はせず、外出は近場で買い物や食事をする程度でおさめてほとんどは自室でゆっくりした。
おかげで、まだ鼻やノドが少し変なこと以外は、いつもの姿に戻ることができた。
しかしまだまだ油断は禁物、今夜も夜更かしはしないで本欄をあげたら早々に休むことにしたい。

月末の振り返りの時にも書くので短く留めるが、8月は第1週に予定外で帰省して言わば動きづめだった。
その分、第2週にあたる5日間のお盆休みはそれほど毎日毎日遊び回るつもりもなかった。
11日に名古屋市内で友人と再会して音楽を楽しんだのと、14日に高校野球の地元代表応援のため甲子園まで日帰りで行ってきたくらいである。
仮にお盆の5日間を夜更かしも含めて連日遊び倒していたとするなら盆明けにいきなり反動が来たとなっても納得だが、意識して休む日も作り体力的には万全を期した中でも風邪にかかってしまったのは、やはり徐々にではあるが年齢の影が忍び寄っているとしか言いようがない。

毎日の仕事はハードだが時間が遅くなるわけでもなく、日々の疲れはその日のうちに処理できてもおかしくない。
また、休日に出勤することもほとんどない現状では、毎週毎週ちょっとずつ動き回ったくらいでは疲れがたまるまでのことにはならない。
しかし、これら自分の中で「常識」であったものは、今後少しずつ修正を迫られてくることになるのだろうか。
動き回った週末の次の週末は完全に休むくらいの気遣いが必要になってくるのかもしれない。

若作りした見た目をいくらほめてもらっても、実年齢はごまかせない。
東京五輪の年には生誕50年を迎えるこの体、メンテナンスフリーで乗り切れるほど甘くはない。
日頃の管理はもちろん、まだ自分で気づいていないものがあるかもしれず、今まで面倒でほったらかしにしていた部分にもそろそろ気を使う時期が来ている。

もちろん、健康に大切なのは毎日を明るい気持ちで過ごすことだ。
他人のことが目につかないとなるとウソになるが、代わりができるわけでもなく、不足があれば指摘も止むを得ない。
そもそも私などよりよほど当地で長くいて経験も豊富なメンバーばかりなのだから、誰かに不足が生じるとすればそれは能力ではなく意欲の問題である。
しかし、明らかに意欲のない人間のそばで仕事をやっていても、気にし過ぎていては毎日が暗くなる。
熱い気持ちは持っていても、表面上は淡々と冷静に正確に日々の仕事にあたっていけばよい。
せっかくいい場所に仕事と生活の拠点をもらって、ストレス解消の手段も至る所にある。
体調も何とか戻った今から、あらためて明るく前向きに楽しんで毎日を過ごすことを心に留めたいと思う。

盆明けは風邪スタート

2017-08-19 20:00:14 | 休日
甲子園まで行った翌日の15日は今年の盆休みの最終日であった。
遠出をするでもなく、家電の店や近場のコンビニをぐるぐる回って1日が終わった。
コンビニをぐるぐる回らなくてはいけなかったのは、某加熱式タバコのキットをコンビニで受け取る設定にした上で、3,000円オフのクーポンを取得していたからである。
現物在庫があるところがなかなか見つからず難渋したが、結局自宅に一番近いところにあるわりあい小さな店舗が在庫を持っていた。
何とも皮肉な話だが、新機能も付いていくらか初代から改善されたキットは、まだ慣れていないが使いにくさは感じない。

さて盆明けの仕事は16日、この日まで休んでいるところも多いだろうと思って、いきなりのハードワークは予想していなかった。
しかし会社に出てみると、以前にも書いたが15日に出て来てがんばったところがあったようで、こちらが受け持つ手作業が朝からたまりにたまっていた。
よりによってその日はこちらのメンバーが一人欠けていたため、普段は違う担当にいる人間の協力も得て捌き切った。
しかし午後には、次の製造に対する資材の入れ込みを急がされる有様で、一息つくヒマはこの日に限ってはまったくなかった。

午後の途中から、いきなりのハードワークが影響したのか、休み中の人混み疲れか、それとももらい風邪なのかどうかは分からないが、仕事中にだんだんノドが痛くなってきた。
私の風邪はだいたいノドからで、ノドのモヤモヤはいつしか熱に変わる。
前日までまったく兆候はなかったのに、盆明け初日から発熱するとは思わなかった。
変になったのは遅めの時間だったので何とか定時までいて、自宅に帰ったら食事を少なめに取った以外はとにかく何もせず、熱を下げることだけを考えた。
この季節に長袖のジャージを上下とも引っ張り出して毛布を重しにして寝ることになるとは思わなかったが、熱を下げるには汗を無理やりでも出すことが効果的だし、休み明け早々会社を空けたくもなかったから必死だった。
しかももう年齢的なものか、翌17日もいったん下がったはずの熱がまたぶり返して、同じことを2日も続けてやる羽目になった。
とりあえず休まずに盆明けを乗り切れたことで満足だ。

今日になってようやく、テレビで高校野球を見たり、こうして本欄を書いたりする元気は戻った。
盆明けの仕事が3日間だけで本当によかったと思う一方、これからはしばらく月金の5日間のリズムが続く。
特に週の最初におかしくなると、その週の残りが大変厳しくなる。
せっかく与えられている職場、むやみに休めばポジションが危うくなる立場上、最善の努力をしてめったなことでは休まないようにしたいから、明日の日曜も大事を取って遠出や不要不急の外出は避けて、月曜日から元気に出られることだけを考えたいと思う。

全国との差は

2017-08-15 20:40:20 | 休日
8月14日、早朝のJR春日井駅。
いまだ工事が続く、しかし以前よりずいぶんキレイになった。



その春日井駅発5時台の電車に乗って、名古屋朝イチの新幹線に飛び乗り着いたのはココ。



この時期は早め早めの行動がかんじん。
しかし、8時前に甲子園駅に着いたのに、ほどなく「入場券売り切れ」という無情の案内が。
幸い高校野球は外野席は無料なので、何とか席を確保し球場を撮影。
やはり日本一の球場はいつ来ても素晴らしい。



第一試合に地元近畿の京都成章が出ていたとはいえ、これほどの混雑は予想していなかった。
試合の途中には外野席すら一杯になり入場制限がかかる有様だった。
第一試合の京都成章×神村学園はオマケだったが、京都の9回2死からの同点ホームラン、その裏の神村のサヨナラ劇と、いい試合を見せてもらった。

さて、お目当てである富山県代表の高岡商は、全く騒がれないが今年度は春夏連続出場という力のあるチームであった。
西東京代表の強豪・東海大菅生を相手に2回表に先制を許すもその裏にすぐに追いつき、5回までを1-1。
6〜8回に1点ずつ許して8回までで1-4、しかしここまではまだ立派な内容だった。
9回表の大量7失点で結果的には1-11の大敗となってしまったが、決して都会の強豪とトンデモナイ差があるようには思えなかった。



実は6年前、2011年の大会でも私は現地で同じような試合を目にしている。
この年の代表は新湊、初戦で龍谷大平安に勝利し勢いをつけて次戦は東洋大姫路との戦いであった。
この日新湊は先攻で、8回表までで1-2と何とか粘っていたが、8回裏に悪夢の9失点で奇しくも今年と同じ1-11というスコアで敗退している。

たった2つの試合だけで論じるのは乱暴なので他年度の成績もチラ見しながら書くと、やはり富山県勢は全国レベルでは打撃が弱く、投手中心に守り勝つしかない。
事実、2008年からの過去10年間にあげた7つの勝利のいずれもが、相手を0点か1点に抑えている。
たまたま私が目の前で見た2つの試合は、打線の援護が少ない展開での緊張が、一つの守備のミスなどをきっかけに切れてしまった結果と思われる。
ロースコアの展開から一歩突き放す攻撃力が向上して、とりあえずでも試合の主導権を握る展開が多くなれば投げる方も楽になる。
そういう戦いが全国でできるようになれば、夏の大会ではいまだ8強が最高という記録も近年のうちに破られることだろう。

<おまけ>
せっかくなので、大阪のおなじみのスポットを冷やかしてから帰ろうと思った。
当たり前だが、このあたりの人出はハンパではない。
昼食にたまたま入った「大阪ブラック」がかなり美味しかったことも付け加えたい。



ミナミまで来たし時間もあったので復路には近鉄特急を選択し、19時前には自宅に帰ったが、4時半起きプラス人混みの疲れで、写真の整理をした後はあっという間に眠りについたのであった。

お盆も折り返し

2017-08-13 20:17:05 | 休日
山の日からスタートした世間一般のお盆休みも今日で折り返しである。
多くは16日まで休みだろうから日数的にも今日で半分ということになる。
我が社に関しては本社もしくは東京の事務方や外回りの人間は16日まで休むが、当地事業所など製造に関わるところはなぜか15日まででお盆が終わる。
去年は事務方や営業の休みが恐ろしく中途半端だったのに対して、製造の方は祝日を振り替えたりして一週間を超える連休であったから、年ごとの明暗はある。
今年のように単純に1日短いとかくらいで文句を言ってはバチが当たる。
世の中にはもっと不規則な働き方をしている人もいるし、我が事業所内にも所定の5日間さえままならないところもあるから、しっかり5日間休めることには感謝しなくてはならない。

さて、この3日間は一日中動きづめという日はない。
11日の夜こそ、幼な馴染みと言っていいレベルの同級生と名古屋市内で音楽ざんまいの楽しい時間を過ごした。
上品ぶって音楽ざんまいと言っているが、1次会はビアガーデンで散々飲み食いしながらステージも楽しみ、2次会は近くのライブハウスに流れてカクテルを何杯もあおりながら古き良きポップスに身を委ねていただけである。
どちらの会場にしてもどうやって楽しむかは自由で、曲ごとに踊り狂ってもまったく構わない。
私自身もかつてはアマチュアながら演奏する方に立っていた側、ライブの魅力はよく分かっているつもりである。
ただただ飲み屋さんで馬鹿話に興ずるのもいいが、今回はいつもとは違う楽しみ方ができ、同行者にはこの場を借りて感謝したい。

その反動ということでもないが、この2日間は自宅中心にのんびりと過ごした。
部屋の掃除・洗濯・整理整頓などの雑事はもとより、PCを長い時間開けて、中にあるデータや、意外に管理が甘くなる各種ID・パスワードの確認に時間を費やした。
PCの中に保存してあるものもあれば、紙にメモしかしていないものなど、大切なものと知りながら各々の設定時にはけっこう急がされることもあってどこに記録したかがアヤフヤになる時がある。
アナログでしか管理できていなかったものはなるべくPCの中に収めた。
確認し出すと意外に時間がかかるもの、イザという時のため日頃から取り出しやすいところに収めておくことは大事だろう。
仕事がしばらくないこういう時だからこそジックリ気持ちを落ち着けて目に見えない整理整頓もできたので、遠出はしなくても過ごし方としてはよかったのではないかと思う。

あと休みも2日間、15日の天気はどうもよろしくないようで、外に出るとしたら明日になるだろう。
前回も書いたように、早起きして富山県代表の応援に甲子園まで行くか(第2試合とはいえこの時期は朝から満員)、昨年のG7サミットがあった三重県志摩市あたりを訪問するか、酷暑を避けるため標高の高い場所に逃げるか、いずれにしろ天気に恵まれるのが明日だけと考えるといろいろ考えてしまう。
短いお盆ながら、もう一つくらいは何か「実績」を作っておきたいなとは思うからである。

何しようかな

2017-08-10 20:36:30 | 日記
明日から多くのところではお盆休みに入る。
世間的には11日から16日の6日間が平均的なところか。
もちろん銀行など金融関係はカレンダーの黒いところは普通に出勤、サービス業に至ってはサラリーマンが休んでいる時が書き入れ時となり、時期をずらしての夏休みをとる人もいるだろう。

去年は一週間以上の休みがあり、それを利用して北海道に飛び、帯広と門別の2つの競馬場を訪問して全国にある25の競馬場にすべて足を入れるという目標を達成した。
今年は一転、世間様よりは短めの明日から5日間が与えられている。
先週末に帰省して墓参りまで済ませているので今回のお盆は当地で過ごすことになる。
明日と15日あたりはあまり天気が良くないようなので、野外で楽しめる日は限られてくるかもしれない。

長くはない休みなので、北や南に飛ぶような遠出はたぶんしない。
近場でまだ行ったことのないスポットにいくつか行ってみる格好になると思う。
しかし具体的にどことはまだ決めてなく、去年のように標高のあるところへ行っての避暑などもいいだろう。
休み中に高校野球の富山県代表が初戦を迎えるので、大変暑いのを覚悟で久々の甲子園というのも悪くない。

お盆の当地、特に名古屋市内は帰省の影響で人が少ないのだろうか。
何せ当地でまだ2年近くという段階で、名古屋市の真ん中に多く行ったかと言われると、案外少ないと言っていいくらいである。
普段の生活に必要なもの、外食やたまのお酒も含めて今は春日井市や隣接する名古屋市守山区あたりで十分事足りている。
名古屋の中心街でなければ買えないような特別なモノや場所となるとやや私には縁遠いし、クルマで行くには相当の覚悟を要することも頻繁には足が向かない原因かもしれない。
イベントの類が県都に集中するのは当然で、わざわざ名古屋の中心まで出向くとすればそういう系統の用事が出来た時くらいである。

本欄を書いているさなか、外が急に騒がしくなってきた。
大粒の雨が落ちて、雷も鳴っている。
九州北部の豪雨は多数の人的被害を出してしまったし、迷走また迷走の末に結局我が国を直撃してこれまた大きな被害をもたらした台風5号など、今年の夏は激しい気象現象が時に急に、時にごくごく局地的に起きるという私自身は初めて経験する夏になっている。
やはり地球そのものの変革期が徐々に訪れていると見るべきで、残念ながら地球自身は地表にどんな生物が住んでいるかなどは知ったことではなく動きたいように動いているだけである。
その結果、多数の人命が奪われるような災害も世界各地で起きてしまうわけだが、一つ何か起きれば軒並み極端な様相を呈するようになった近年、絶対安全などという場所はないことだけは心に留めておいて損はないのかもしれない。

束の間のお盆休みだが、少しでも収穫のある期間にしたいし、心身も今一度立て直してまた元気に仕事ができるように文字どおり休む時間もしっかり作りたいと思う。

一週早いお盆休み

2017-08-08 21:28:41 | 日記
まったくの予定外ながら、金曜日4日の仕事が終わってからすぐ富山に向かうことにした。
もちろんお盆休みがないわけではないし、家族に急を要する事態が起きたわけでもない。
ただ、富山に帰って楽しく過ごせる場所(飲み屋さんなりクルマ屋さんなり)の休みが軒並み自分のお盆休みと丸かぶりになっていたため、せっかく帰るのならと急遽帰省を一週早めることにした。
その週末はちょうど魚津の夏祭りもあるから、あわただしいながらわざわざ帰るのに「不足」まではないと考えた。

土日の2日しか休みがない週に帰ることはあまりない。
しかし、ひとたび帰ると決めたら疲れているはずの体もせっせと動いて、金曜の18時過ぎくらいには準備が整い一路富山へ出発となった。
週末の夕方で渋滞がひどいかと思ったが、一宮付近で若干時間を食った程度で、21時半前にはもう富山に着いていた。
夕食は帰る道中に済ませていたので、お世話になっている飲み屋さんにさっそく顔を出した。
無理やり押し込んでも20人も入らないが、ママも含めてお店側も3人態勢というちょうどいい空間である。
最初は団体さんがガヤガヤと騒いでいたが間もなく帰ったので、いつもと同じようにとりとめのない話題で楽しく過ごした。

お店側がいつも元気いっぱいに迎えてくれるので、こちらも日々のあれやこれやを忘れるには絶好の時間となるが、その日は話している中で、元気そうに見えるメンバーもそれぞれにやや体に不安を抱えながらの毎日であると知った。
妙齢の某女史あたりは、恋はしたいけど体のことでそこまで余裕が持てなくて、とのことだった。
彼女が近いうちに結婚するとして、今の時代ならば彼女くらいの年齢なら晩婚どころか至って普通だと思う。
本人も当然その気持ちは持っているが、自分のことで精一杯の現状ではなかなか、と言われて返す言葉が見つからなかった。
目に見える結果には結びつかなかったとはいえ、私が当地で一人の誰かを心の支えとして思い続け日々に前向きに取り組んでこれたことそれ自体が、体が健康で心に余裕がある証左であり実は大変幸せなことなのだと分かった。

金曜は遅くまで飲み、宿の手配もないままやってきた富山で久しぶりに郊外のサウナで一夜を明かすことになった。
大きなお風呂につかってホッと一息、しかし仕事の後にすぐにクルマを富山まで転がしてお酒も入った体は疲れていて、他人のイビキがガーガー聞こえる状況ながらあっという間に眠りについた。

一夜明けて土曜は実家に向かい文字どおりの骨休め。
夜は夏祭りのハイライトである花火大会が魚津の海岸であり、家族でぞろぞろと出かけ、短いながら余計な間合いも大げさなナレーションもなく淡々と上がり続ける花火を楽しんだ。
前週には豊田市で3万発というスケールの大きな花火を楽しんだ後なのに、3千発の魚津の花火もやはり楽しい。
小さい頃から慣れ親しんだものは、やはり簡単には頭からは消えないものだ。

日曜にはなぜか一週ズレて帰って来た私のために、母親がお墓参りに付き合ってくれた。
当たり前の話ながら、ご先祖様のおかげで大切な家族や私がいることをこの時期には思い出す。
人並みの人生もやや微妙になって来た私が努力してできることといえば、健康に気をつけ、毎日を悔いなく積み重ね、決して上の世代よりも早くこの世を去らないことくらいであろうか。
短いながら元気をもらった先週末の貴重な時間を、今までよりさらに毎日を明るく生きる糧としたい。

当地で過ごす予定のお盆は暑くなりそうだ。
混雑は心配だが、何日かは涼しい場所に避難することも考えなくてはならない。